はてなキーワード: むしろ邪魔とは
この話の続き
systemd-nspawnに移行した
以下詳細とか雑記
docker commitもdocker diffも使わないし、要らない
要らないだけならまだしも、aufs、overlayfs周りでトラブル可能性がありむしろ邪魔
イメージの差分管理はファイルシステムの層でやるのが素直でコンテナ管理にくっついてるのに違和感がある
Docker特有の機能をフルに使ってる奴ならまだしもコンテナ動かすだけなら何使っても変わらねーよw
Docker Hub からイメージダウンロードしてtarで解凍すりゃ良いだけじゃねーか
composeだって容易にコンバート可能だし、composeで何が起きるかわからない状態で本番運用とか口にしないで欲しい
実際systemd-nspawnの今でもベースはDocker Hubから拾ってきてるし、Docker使ってる奴との受け渡しも問題ない
やりかたは runc.io のGetting startedでも見れば?
Docker hubでよくわかんねーイメージ落とすときに、出所がクリアになるってメリットだけだなこんなん
取り急ぎansibleでセットアップは済ませてる
コンテナにしたからプロセス管理は違う方法でやります→supervisorで云々→めんどくさいだろ!
じゃあ1プロセス1コンテナにしてマイクロサービスにします→本当に便利それ?管理できる?
ログの管理は?logrotateは誰がやる?データボリュームはどこにする?みたいなアホみたいな検討し始めたときに俺は会議室を出た
「いや今はこれが主流で流行ってるから便利です」みたいな事言ってるバカが居て殴りたくなった
「毎週、毎週swarmが壊れたバージョンアップで再起動だのと余計な仕事増やしやがって、いつまでDocker社のβテストに付き合うつもりだクズども」
とは言えないので
「今の状況は前よりも運用負荷が高い状況みたいなので、systemd-nspawn等のシンプルなものに代替できないか検討してほしい」
と言ってなんとか説得
(結局半分以上は俺が対応したが)社内のクリティカルな部分のDockerは全部廃棄した
普通に起動して、普通に終了できる。コンテナの中なのにそれを意識しないくらい普通に起動する。
aufs,overlayfs等の差分管理しなければそれに付きまとう問題もない(overlayfsとか使うこともできる)
自動起動も設定もコマンドもコンテナ内だから〇〇しなきゃダメみたいなやつが無くなって、ものすごく安定してる
Dockerも--privilegedつけてinitからrunすればいいって?糞不安定だし、権限多すぎだろ?capabilitiesを適切に設定しろだって?
一生やってろバーカ
結局のところ本当にこれ便利になったんだっけ?って聞かれて理由を言える奴じゃないと何をやってもダメってことが分かった
これはDockerに限らず全部そうだと思う
QiitaとかにあるDockerでこんな素晴らしくなったよって記事の大半は本質を見失った馬鹿記事
楽になるどころか厄介事を+1してるだけ
とりあえずこっちはDockerのゴタゴタに振り回されなくなって良かったよって話
宣伝おつ。って感じだがむしろ開き直って「ああ、宣伝だとも」と言っておく。
元々、色々な所を見たが気に食わない。なら作るかと思って作った。
マウスで動画再生とかいらない。むしろ邪魔。英語もさして読めないし
デザインセンスもないのでテンプレートをちょこちょこって改造しただけ。
サーバー代くらい出てほしいので広告を3か所。多すぎると邪魔だし、わかりやすいのを配置。
さして期待はしてないが本の何冊かでも買えればうれしいさ。
ともかくデータ集めが大変。これからも集めるのでまだまだ大変なんだろうが、これ見て自分の性欲が解消されればいいかな。
とりあえず、数百件はデータ集めた。
果たして時間と金の無駄遣いなのか。それとも作ってよかったと思うのかはまだわからない。
私はよっぽど混雑していないなら電車の中ではベビーカーを畳まなくていい派です。
ドアのところで畳んで広げてをやるのはむしろ邪魔だし、親も大変だろうし。
そのまま乗っていいと思う。もちろん端に寄せるとか混雑していないところを選ぶとか配慮は必要でね。
混雑してる時はバランスを崩した人が乗っかってきたりしてベビーカーの中の子供が危ないので抱っこしたほうがいいんじゃないかな〜くらいの感じ。
バッキバキに喪女でこのまま子孫を残さず地球の人口を無為に減らすしかない私からすれば、子供を産んで育ててくれてありがとうございますという気持ちしかないので子育て中のお父さんお母さんは尊敬しております。
でも今日、土曜のお昼時、中央線の快速電車。それなりに混んでる車内。
そこで通路を半分以上塞ぐでっかいベビーカーに乗った多分4歳くらいの大きさで起きてる子供と両親を見たとき畳めよ!!!!と思った。
ベビーカーだし一応優先席付近にいときますかハハハみたいな感じで品が良さそうに談笑してるの、両親が。
ちょっとね、年齢が高めのご夫婦で、持ってるものも服装も高級な感じで、子供は男の子で、ああすごく可愛がってるんだな、でっかいベビーカーも買うよね、うんうん。
でもね優先席に一番近いドア入ってすぐのとこにベビーカー止めて通路塞いでるから優先席に行きたいおじいちゃんおばあちゃんが入れないんだよ!!!!!!
バッカじゃねーの!!!!!!!
子供が寝ちゃってるならまだわかる、寝てる子供って重いもんね、でもめっちゃ起きてる。元気。
お母さん一人orお父さん一人ならまだわかる、一人で子供抱っこしてベビーカー持っては大変だよね、でも二人揃ってる。何なら二人とも手ぶら。
ベビーカー畳めよと思ったのは初めてかもしれない。
というお話。
男性が女性に求めるご褒美と、女性が男性に求めるご褒美って根本的に違うと思うのだけどどうでしょうか。
先日妻が頑張ったご褒美に背中からハグをしたら、むしろ邪魔者扱いされてとても傷つきました。
最近では妻からハグをしてくるなんてこともないので、自分だったら何が欲しいかを一番に考えたつもりでした。
僕は妻からのご褒美がほしいから仕事も家事も頑張るのだけど、どうやら妻はそうではないみたいです。
それで先日、毎日頑張ってるご褒美を貰えるとしたら何がほしいかを聞いてみた所、一人の時間と言われました。
なんだか僕自身の存在を否定されたみたいで悲しくて仕方ありません。
今までも食事やお酒やプレゼントを事あるごとに送ってきましたが、妻から愛情のご褒美をもらうことはほとんどありませんでした。
どうしたら妻が欲しがるご褒美をあげることができるのでしょうか。そしてどうしたら僕が求めるご褒美を貰えるのでしょうか。
小さな会社。職場環境は快適。人間も私のようなオタクコミュ障KY電波にもやさしく、さらに上がいたりオタクが多く人間の種類としてしんどくない環境。
残業も波があるが週1~10時間ぐらい。残業代も数分単位で出る。福利厚生はパーフェクト。
デスクでおやつを食べるのも、残業時に弁当を買ってきて食べるのもOK。
服装は自由。偉い人意外は、オフィスカジュアルの人さえいない。
仕事も自分にとっては難しくない(少なくとも苦に思わない)タイプの物。
だけど、私は病気になった。
社内で一番仕事ができる上司が、昇進していき社長にまでなった。
彼は社内では仕事が一番できる(売り上げがまだまだ芳しくないが)、だから昇進した。
マネジメントは苦手と言っていた。
仕事の話は得意だが、雑談が苦手。ほうれんそうが美味くなくよく下の人間が苦労する。
思いつきで締め切りギリギリ(売り上げのためならという大義名分)に仕事を入れ込んできたりする。
仕事としてやるべき内容についてコロコロ変わる。こちらも売り上げのためならという大義名分。
本人的には仕事ができるし、部下のことも大事に考えているし、悪気はない。
面白いと思って、部下とのコミュニケーションと思って、「白髪増えたけど大丈夫?」とか言ってしまうある意味でコミュ障。
1対1の面談になると、自分は絶対悪くないとして相手を貶める。仕事がなくなるなど悪気なく脅す。
悪気のないパワハラや、振り回されて疲弊して泣き出す子もいる。
社長になっても進行を良く知らないチームの仕事に思いつきの仕事を追加する。
休職中だが、もうこの社長のためにがんばろうとか、役に立とうとか思えない。むしろ邪魔したいぐらいに思う。
会社自体のために働くのはいいが、社長のチームの現場の仕事についてはもうだめだ。
転職したいが、会社のせいで病になったので治してからにしたい。
退職してから転職活動するのはいろんなテキストで言われていることだがおすすめされていない。
無職でどこも受からなかったら、完全に詰みだ。気持ちも沈んで負のスパイラル。
治ったら復帰することになるのでそれから転職活動をするつもりだが、また同じ日々ですぐに疲弊するだろう。
余計なことをしている気力はなくなる。
障害年金もうっかり払っていなかった時期がありまだもらえない。親戚も親もいないし、生活保護になるしかないのか。
生活保護に成功してもこれから後40年以上そんな生活を続けるのか。楽しくない。
休職中の今でさえ、退屈なのに。楽しいことがない。アニメ見る一つとってもやる気が出ない。
そもそももらえるのか。貰うためには貯蓄があってはいけないし、貯蓄がなくなってから申請してもらえなかったらどうなる。
退屈だし、何もやりたくないし、連絡もとりたくないし、別に死にたいわけでもない。
どうしたらいいかわからないし、今はどうしようもできない。
http://sololife.jp/article/1141
これを読んで思ったこと、思い出したこと。
僕は完璧な無邪気さの記憶を持っている。僕が邪気を身につけたのは5歳くらいの頃。
それまでの僕は序列という概念を欠いていて、他者と自分を比較することを知らず、自分の位置づけを把握することも知らなかった。
もしかしたら他者と自分の区別すら怪しいということになるだろうか。そういう無邪気の源泉、無垢さだったと思う。
おそらく大抵の場合では、5人子どもがいれば5人ともウルトラマンになりたがるもので、
それでは成立しないから誰かが怪獣役になるわけだけど、僕はそこに対して何の違和感を感じることなく怪獣役をやっていたらしい。
怪獣役をやらされたとか、本当はウルトラマンになりたかったという記憶は全くないので、おそらく怪獣役が惨めであってウルトラマンが偉い等とは思わなかったんだろう。
きっと自分の立ち位置を思う視点に欠いていて、ウルトラマンごっこをウルトラマンごっことして楽しんでいたんだと思う。
皆がやりたがらない怪獣役をやった(またはやらされた)僕という立ち位置を把握したのは、そこから数年後のこと。
幼稚園の途中で地方に引っ越した時に皆が書いてくれた寄せ書きを読み返した時のことだ。
幼稚園児の汚い文字で「ウルトラマンごっこでかいじゆうになってくれてありがとう」と書かれていたものを読んでからだ。
これを読んだ時に初めて「そうか僕は怪獣役をやっていたんだっけか」と思った。
別な話。
同じ幼稚園の運動会で、網をくぐって平均台の上を走るだけの障害物競争に出た時の話。
最初の網の下で皆がモタモタと絡まっている中、僕は軽快に網をくぐってぶっちぎりの一位で平均台にさしかかった。
ふと振り返ると、一緒にくるはずの皆が来ない。
「止まっちゃダメ!はやくはやく!」などと観客の声は聞いた。しかし皆が来ないのになぜ僕だけが走り去らなきゃならないのかと思った。
競争の意味をまったく理解しておらず、皆が来るのを待ち、次々と平均台の上を走る園児全員を見送って最後に平均台を渡った。
ゴールにたどり着く順序がそんなに重大なものであるとはつゆとも思わなかった。
運動会の後、母親に「せっかく一番だったのにどうして止まっちゃったの?」と聞かれたが、何を聞かれているのかすら
全く理解が出来なかった。失策をしたらしいが、何が悪かったのか、その時は見当もつかなかった。
そのあたりの無垢さを失ったのは、地方に引っ越した先で入った幼稚園でのこと。
方言のきつい地域だったせいで、まず同じ園児が何を言っているか半分くらいしか理解できなかった。
同じ言葉を話せないことで僕は明らかに異質な存在として浮いてしまった。
たぶんからかわれたことも悲しかったのだけど、それよりも人と人には違いや優劣があって、しかも
あの時なぜ泣いたか、今ならこうやって表現出来るのだけど、あの時は自分がなぜ泣いているのかも
僕の邪気の起源を思い返すことでこういう話にたどり着いた。
他人との比較を知らないような、そんな無垢さを失うことは仕方のない事で、
大人になった今となっては無垢な部分など残っていてはむしろ邪魔であるとすら思う。
以下、飛躍したまとめ。
素人「やっぱ歌詞がいいよねーストーリー性やメッセージ性が高くて泣けるわー」
玄人「素人さんは歌詞で聴いちゃうよねー(笑)。音楽といえば歌曲、みたいな。おれらにとって歌は楽器のひとつにすぎないしなー。やっぱそういう訓練受けてないと歌詞にとびついちゃうよねー」
素人「ストーリーにマジ感動しました。あのシーンのセリフで泣いた〜」
玄人「映画とはフィルムの運動である。映画のストーリーとはセリフではない。ゆえにセリフは極限まで削って『運動』で見せることが重要。説明セリフはクソ」
素人「感動的な演説と説教、そして巧みな心理描写、泣けるわー」
玄人「は? なんでもかんでもセリフや地の文で直截的に言及するってはしたなすぎない? 人物造形ってのはセリフとかじゃなくて、キャラの行動やら人物以外の描写やらなんやらで『語る』もんなんだよ。わかんないかなー素人には。『何を書くか』じゃなくて、『何を書かないか』が大事なの。っていうかさ、そういう行動と描写の集積さえあれば、ストーリーすらいらなくない? むしろ邪魔じゃない、物語?」
アニメ:
素人「みくにゃんいいよね……」
素人「いい……」
なんだか話題になってるから書く。
やっと初心者を脱して中級者になりかけてるプログラミング学習者が関数型言語に何を感じているかを書こうと思う。
Haskellが短いコードでプログラムを書けるというのは分かる。
それでやりたい処理のほぼ全てがまかなえるということも実感している。
副作用のない小さな関数を合成して大きな関数を作る利点も分かる。
再利用性も上がるし、どこからどう影響を受けているかが簡単に分かるからバグも出にくい。
ただ、Haskellの基礎になってる圏論が何の役に立つのかは、まったく分からない。
むしろ邪魔なんじゃないかと思う。
ファンクターやモナドの概念が圏論で扱われているのは分かるけど、圏論なんて名前だけ知ってればコードを書くのに不都合はないだろう。
圏論が必要なのは、Haskellを設計する人であって、使う人ではないと思う。
なのに、やれクライスリ圏だ自己関手の圏だのと、うるさいったらありゃしない。
Linux上で開発環境整えるのにカーネルのコードを読めって言うぐらい的外れだと思う。
いや、知識として持っとくのはいいだろうけど、役に立たんだろ。
Rubyが羊の皮をかぶったLispとはよく言われることだけど、関数型言語もオブジェクト指向言語とそこまで違いがあるような気がしない。
純粋な言語ではできないけど、クロージャに内部状態を保持してもらって無名オブジェクトみたいな使い方をすることはあると思う。
その無名オブジェクトにもっとあれこれデータや関数詰め込めば、いつの間にか普通にJavaやC#で使うようなクラスのできあがり。
その間はなめらかにつながっていて、不連続に切れるようなもんじゃない。
関数プログラミングと言いつつ、オブジェクト指向の考え方は利用できる。
上級者はデザインパターンをdisるのが好きかもしれないけど、逆の考え方をするべきだと思う。
デザインパターンはオブジェクト指向言語の欠点を補うための苦肉の策じゃないよ。
関数プログラミングの基礎的なパーツだと思う。
だからちょっと見た目がすっきりするだけで、結局やることはオブジェクトプログラミングと変わりはないと思う。
関数プログラミングコミュニティの人って、業務でクソコードメンテさせられて、その現実逃避に美しいコードに擦り寄っているように見える。
もちろん、美しいコードを書けるなら書いた方がいいし、現代的な言語を使えるなら使ったほうがいいと思う。
けど、適材適所というか、オブジェクト指向言語でも、やってやれないことはないわけで。
役に立たない圏論をありがたがる所とか、どうもイキがってるように見える。
今朝プレーヤーの電池が切れたから、久しぶりにBGMなしでてくてく歩くことになった。
これまでも何度かそういうことあったけど、やっぱり音楽を聴かないほうがいろいろ考えることができるね。
自分の場合、音楽を聴きながら通勤したら思考停止してるんだよね。
なんとなく流れてる音楽を頭の中で口ずさんだりとかすることだけに集中してしまってさ。
通勤通学中くらいはぼーっとしたいってんならいいけど、何か考え事があるなら音楽はむしろ邪魔だなと思った。
もちろん音楽聴きながらいろいろ考えることができる人もいるんだろうけど。
親(団塊世代)に聞いたら親世代当時は未経験資格無し職歴なしからでもやる気や愛があれば一流企業にあっさり入れたって。
コミュ力は会社に入ってから磨くもんだよと言い聞かせられたもんだ。
じゃあ今はなんでコミュ力を必要かというと、団塊世代がコミュ力ないって事は今会社の上にいる人間がコミュ力が不足してる上に、
海外メーカー等取引先企業がコミュ力を率先してるという話がマスメディアを通して伝わったから。
急激に意味もなくコミュ力を重視し出したのはこの辺りからだと思われる。
海外に負けるなという思いからコミュ力を重視した結果、新人はやる気よりも口先だけうわべだけの人間が量産されてしまった。
そのため上っ面だけの人間しかいなくなり会社が機能しなくなって倒産の憂き目に遭うという話。
よく派遣社員の体験談で、新卒が無能なのに高給くやしいっていうのは実は正論なんだ。
だって本当に新卒は無能だから。派遣社員(や契約社員)は様々な職場を経験してその道のプロになっている(と思ってる)からプロ根性が一般より強い。
本来、新人は生意気な位で十分なのに上っ面だけの人間ばかりを採用したせいで、そいつは本当にやる気があるのかないのかに関わらず業績が年々傾いてる。
傾くのは能力よりも安易にコミュ力を重視した会社の責任と損失だから、他がやってるからと新人への向き方を同じにしてしまうと会社は没個性化してしまう。
それでもコミュ力を重視するのは、海外メーカーに負けたくないからか、あるいは能力主義がカンストしてるからか。
実際業績(利益率)が右肩下がりですもん。
日本企業だから国内の顧客を増やさないと海外へ行っても負けますよ。
海外メーカーが重視するコミュ力はある一定水準以上の仕事遂行能力と会社愛ややる気に溢れた人が前提で、その上のコミュ力重視なんだ。
でも日本の場合はコミュ力だけをまず重視してるから、一定水準以上の能力がない、派遣社員の言葉を借りると“無能”な上っ面だけの新卒ばかりが採用される。
それじゃ本末転倒ってもんだよ。
コミュ力を重視してる会社はすべからく皆業績も上々だけど、それは徹底した能力主義が前提だから。
じゃあ業績が下がってる会社にとってコミュ力はむしろ邪魔じゃないかしら。
能力主義が根底にないし、すぐ根を上げる新人が多いから結局のところ、コミュ力を重視するのは失敗だったということになる。
コミュ力重視して新卒取りまくるのは問題ないけど、そいつらは果たして出来る人間か?
派遣や契約に馬鹿にされるような新人じゃコミュ力なくても出来る人間の方が、俺は必要だと思うけどなあ。
海外に負けないって気持ちは悪くないけど、それなら会社に入ってからやらせてるマナー研修はどうなんだよ?
あれこそ無駄の極みなんじゃね。コミュ力採用を重視してんならマナー云々も必要ないじゃん。
結局会社でコミュ力を培わせるんだったら、採用基準をコミュ重視から能力重視に切り替えても全く問題ない気がする。
新人に即第一線に出て貰うためなんだったら、いっそ経験者採用枠を増やした方が無難に回転できると思うね。
それこそ本末転倒か。
今ホッテントリになっている この記事『仕事が遅い人の共通項』http://tirrano.com/?p=1543 は的外れだ。仕事を速くこなすためには「素直さ」のようなことはどうだっていい。むしろ邪魔ですらある。仕事の速さに精神論は邪魔でしか無い。もっとシンプルな方法で仕事は速くこなせるようになる。具体的には以下の7つのポイントが有効だ。
「時間をかけて頑張って解決しよう」と考えている時点で、あなたは最も効率の悪い仕事のやり方を選んでいるといえる。なぜなら、「時間で解決しよう」というのは、創造的な解決方法を放棄していることだからだ。たとえば、「象を3秒以内にかけ」といわれたら、誰でも象を表現するために最適かつ短時間で終わる方法を考えだそうとする。時間による制限は人の創造性を引き出すシンプルかつ効率的な方法だ。だから、「イマイチ効率が悪いやり方をしているようだな」と感じるなら、自分がどれだけ時間を区切って作業できているかをみなおそう
仕事とは作業をやることではない。仕事とは目的を達成することだ。だから、相手から頼まれた方法が必ずしもベストなやり方ではない。相手の目的を達成することが重要だ。だから、その仕事は誰のために、何のために必要で、ゴールは何がどうなっている状態なのか、をしっかりヒアリングすることが大事。ゴールを聞いて、それを達成するための近道を常に考える事。
重いタスクほどすぐに着手するべき。なぜかというと、人間には認知的不協和というのがあって、着手したものが終わっていないと気持ち悪いと感じる心理があるからだ。着手したら終わっているべき、という認知があって、それが解決されていない状態は気持ちが悪い。だから、解決しようと集中して作業できるように心が動く。重い作業ほど、1分だけでいいので着手しよう。きっと1分は一時間になっているはずだ。
組織の大抵の仕事は前例があるものだ。たとえば、コンサルタントの提出する資料のかなりの部分が既存の資料の使い回しかアップデートだったりする。すでにあるものを再度創りだすことほど馬鹿な事はない。遠慮無くパクろう。とにかくパクる。で、自分よりもっとうまいやり方をしている人がいたら、躊躇せず彼の秘訣を聞き出す。とにかく、パクろう。
ほとんどの僕ら社畜にとって、仕事とは「関係している一番偉い意思決定者が満足するものをつくること」だ。だから、誰がその仕事の成果を評価する役割を担っているかを常に追いかけて、彼のニーズ・評価基準を見つけ出そう。これをするだけで、後からひっくり返されることがなくなる。
作業をする方向性の大枠が決まったら、その状態で見せるとムダな差し戻しが防げる。たとえば、パワーポイントを作る作業なら、アウトラインと主なメッセージが決まった時点で見せる。相手がダメ出しをする部分を先に出し尽くせば、ムダな差し戻しなく作業ができる。
全てを完璧にしようとすれば時間なんていくらあっても足りなさすぎる。だから、その作業の中で「適当にしていいもの」「絶対に抑えて置かなければならないもの」をヒアリングをして見つけ出し、手を抜けるところは徹底的に手を抜こう。時間内に求められたアウトプットを出すことが仕事の目的で、誰もが見惚れる配色のパワーポイントをつくることは僕達の仕事ではない。完璧主義なひとほど完璧から遠ざかる。捨てるべきは捨てよう。
以上を意識すれば、少なくても仕事のスピードで遅いと思われることはないはず。少なくとも僕はそうだった。最後は僕の大好きな時間に関する名言で締めようと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20090724055106
男オタだけど百合オタがちょいと苦手。
全員が全員そうではないんだろうけど、百合オタの人たちってなんちゅーのか、女と女の友情だの愛情だのを重視したいがあまりに、結構ちょくちょく「男イラネ」な感じになるんだよね。
「女の友情に男は必要ない、むしろ邪魔」「男邪魔」「男なんていらん!!」とか、そういう会話が普通に繰り広げられる。
「女の友情に比べて、男の友情なんてうっすいよねwww女の友情最高www」みたいな。いやマジで。
そういうの聞いてると、女同士のそういうのがすきなのはいいけどさ、何もだからといって男の話題をそう否定しなくてもいいじゃんかよ、といやな気持ちになる。男否定することで女×女をageてる感じつーのか。踏み台にせんといてくれと。大体、君ら自身男なのに、男disるようなこといって嫌にならないのか、それがマジで不思議。空しくならんのだろか?
男友達に「男の友達なんて女の熱い友情に比べれば所詮さー」なんていわれると正直悲しい。俺らの友情もそんなもんと言いたいのかい?的な……
しかしほんと、百合オタの人たちは自分も男なのにdisってて平気なんだろか?
それとも自分たちだけは別だと思ってるのか、自分達は男じゃないと思ってるのか。なんか若い百合オタなんかだと、男なのに男DISることがカッコイイと思ってる節さえある。(まあそれは中二病の一環だろうけど)
百合オタは何故女尊男卑なのか?って新書があって、フルボッコにされてたけど、正直タイトルは言いえて妙だと思ったよ。
こういう百合オタにしか、会ったことがないから。
そうじゃない百合オタの人がいるなら寧ろ救いだけど、本当にいるんだろか。