自らの子供を育ててみてわかったことは、人間もやっぱり動物だということだ。
知性がなければ糞尿は垂れ流すものだし、理性がなければマナーは愚かろくに欲求をコントロールすることはできない。
飛び散る食べ物と格闘しながら、睡眠などろくにとれずとも糞尿にまみれながらもわが子を育て続けられたのは、そこに確固たる愛情があったからに他ならない。
そんな子供の安らかな寝顔を見ながらわかったことは、本来、親から子への愛情は一方通行なのだということだ。
なぜなら、「親の愛情」というものを実感したことがないからだ。
親になってみてみるまで、何故親というものはあんなにも子供を信じず心配ばかりするのかが理解できなかった。
しかし今になってそれが少しずつわかってきたような気がする。
親が子供を厳しく叱るのは、コントロールができないことに苛立っているのではない。
そうまでしてでも、危険というものを理解させようとしていたのだということがいまさらながらに理解できたのだ。
単純な話、親になってはじめて自分がどれほど愛されていたのかが理解できたのだ。
この内から湧き出る感情は、どれほどの言葉を並べても伝えられない自信がある。
子供の排泄部の処理なんてものは、この愛情があれば造作も無いことだ。
自身は過去、多少の潔癖症である自覚があった(子育てへの影響も心配していた)が、そんなものはすぐに消えて無くなった。
単純な話、汚れることのストレスより子供を汚いままにさせておくストレスの方が大きいのだ。
そうして子供を育てる大変さを痛感しながら、いつも頭に浮かんでくるのは親への感謝だった。
こうして一番手間をかけた頃の記憶を失っているだなんて、自分とはなんて都合のいい生き物だと思ったものだ。
子育ての経験がなければ介護ができないということを言いたいのではない。
しかし、少なくとも子供を育てた経験を持つものは、この感謝に気づく可能性がそれだけ高いということを意味している。
認知症になり、我が子に対する記憶でさえ失ってしまった親に対して、それでも愛情をもって接することができるかどうかは、この感謝という実感の存在に大きく左右されることだろう。
そのことに気づいてから、身の回りにいる十分に大人と言える人間たちの行動をみてある傾向が見えてきた。
老人に冷たい人間は、総じて子育てを経験していない傾向にあるのだ。
例えば老人の咀嚼音、咳などの生活音に対して、敏感に嫌悪感を示すのはほとんどが子供を持ったことのない大人だった。
逆に、仕事上は冷徹な人間であっても何故か老人に優しい大人は、大半が子育てを経験したことのある大人だった。
今までは祖父母が身近いたかどうかが大きな要因だと考えていたが、どうやらそれだけはないようだ。
以前から、子育てをすれば一人前かどうかということがよく議論に上がるが、もし、老若男女だれに対しても優しくできる人間を一人前と呼ぶのだとすれば、このことは大きく影響のあるものだと言えるのだろう。
これは正論というか納得できる話なんだけど、「介護職」や「ベビーシッター」っていうのが資本主義経済に参入してることはおかしいと思うんだよね。本来そういうものはお金で買え...
そのくらいのことは子供作らなくても生物育てるだけで分かるけどね
いや猫をめっちゃ育てた経験あるけど全く別物だよ
そりゃ猫は人間より圧倒的にかわいいからな
おむつを穿いたサルだかチンパンジーだかを飼ってるのを見る(主に外国人だが) あれは似てるのかなあとちょっと思う
猫の方が圧倒的に可愛くて美しくて手間がかからなくて楽で責任も薄いけど子供の方が圧倒的に愛しいみたいな 産まんと解らんだろうがペットとは違うよ
あんた増田のくせにいいこと言うね 童貞のおれは母を失った後悔でもうダメだわ
そうかなあ。 自分の経験では老人に優しい人は(育児の経験は不明だが)介護経験者で、逆に最も厳しいのは介護未経験の子育て世代だと感じたよ。 子供が小さいうちなんて一番老人がわ...
介護したことがないひとの言い分だよな 介護職なら知ってると思うが 介護における虐待ってほぼ肉親。 自宅介護でも可能なら肉親ではなく、嫁とかの非血縁にやってもらえってのは半...
タイトルにのみ納得するけど、それって愛情の問題かな? 育児で場数が踏めるから、ってことだろうと思うけど。 糞尿にまみれるのも、介助者の生活ペースに巻き込まれて睡眠も自由時...
兄弟で親の面倒・介護をどうするかって話になると 子供の居る兄弟はだいたい子供が受験だからとか、うちには家族があるからとか 義実家がどうとか言って逃げまわるんだよね・・・