はてなキーワード: お笑い番組とは
27日にフジテレビで放送された「坂上探検隊」という番組が、今ネットで大炎上中だという。
http://news.livedoor.com/article/detail/14219432/
「ほんとに怖いのはチーターじゃなくてテレビ」視聴者が引くほど体を張った狩野英孝さん、着ぐるみでアフリカの動物に接触 #坂上探検隊
https://togetter.com/li/1193983
まあ、ツイッターでちょっと批判ツイートがあったくらいのことを、ネットニュースがいつものように大事に書き立てて世間を煽ったものの
ただ、ただこれだけは言わせてくれ。
「WILDBOYZ」について一切誰も触れていない!
いや、この「坂上探検隊」、やってることは「WILDBOYZ」そのままなんだよ。
「WILDBOYZ」とは、10年以上前にアメリカのMTVで放送されていたお笑い番組で、
アメリカのバカ二人が世界中の大自然を駆け巡って野生動物相手に危険なチャレンジをするという番組だ。
で、この「WILDBOYZ」の中で「坂上探検隊」で狩野がやっていたロケとまったく同じチャレンジをしている。
https://www.youtube.com/watch?v=sm4Xj_5bslg
なんか観客の「ヒュー!!」みたいな歓声が付け足されているのが気になるが(元番組にはこんな余計な音は無い)、
ほらね、まったく一緒でしょ!!
つまり、この「坂上探検隊」は日本版「WILDBOYZ」なのである。
やっている内容が完全に一致することから、「WILDBOYZ」を模範しているのは明白であり、
ワイルドボーイズのほうが10年以上も先!つまり、10年前のアメリカの番組を今更インスパイアしているのである。
「そんなん日本人スタッフが知る訳ねーよ」と言うやつもいそうだが、
なかでもカンニング竹山はWILDBOYZの大ファンであり、自身の出演番組で何度もオススメDVDとして紹介し、上記の動画を繰り返し放送した。
また、初代ニンテンドーDS発売時、日本では宇多田ヒカルがCMを担当したが
https://www.youtube.com/watch?v=sRD7Ha-78m0
つまり、日本のテレビ関係者がまさかWILDBOYZを知らない訳が無いのである。
これをパクリだ、などと攻め立てるつもりは毛頭ない。
こんな叩かれるのわかりきってる企画を今の時代にカネかけて地上はゴールデンでやりきった気合はお笑いマニアとして素直に褒め称えたい。
地上波で、しかもネットの嫌われ者であるフジテレビが放送したから案の定叩かれただけで、
これがamazonプライムビデオやabemaTVでやってたら逆に大絶賛だったろう。
もはや、地上波のテレビは何をやってもダメというどうしようもない局面に追い込まれたのだ。
で、俺が言いたいのはこんなことではない。
日本のテレビ番組は「Jackass」からネタを拝借しているのにリスペクト足りなさ杉!!と声を大にして言いたい。
「Jackass」とは、やはりアメリカMTVで2000年に放送開始したお笑い番組で、
プロのスケボー選手達がイタズラ、ドッキリ、身体を張ったチャレンジなど、危険なことならなんでもやってしまうという番組である。
これが放送するやいなや、アメリカで大ブーム。これをマネして大怪我をするクソガキや頭の悪い大人が続出し、社会問題となってしまい、
そして、「Jackass」が放送できなくなったので10名ほどいた出演者のうち二人をメインに抜擢してスピンオフとして放送されたのが、先ほどの「WILDBOYZ」である。
Jackassはアメリカだけでなく、世界中で大ブームとなった。
なぜかといえば、日本のMTVでも放送されていたが「論理的に販売できない」とソフト化が見送られ続け、
ついに2004年にDVDが日本語字幕つきで販売されるに至り、日本でも広く知られることとなった。
たちまち日本でもちょっとしたブームになり、当時のタワレコやツタヤなどのレコードショップでは店頭の大画面でリピートされDVDは山積み、店の猛プッシュ状態。
で、宮川大輔やカンニング竹山など、Jackassファンを名乗る芸能人がテレビでJackassを紹介しまくり、
カンニング竹山に至っては深夜番組で「Jackassを超える映像を撮る!」などという企画をやっていた。
テレビ東京の深夜でも勝手に「日本版Jackass」を名乗る番組、「ヤンチャ黙示録」が開始。その内容は見たことのない若手芸人によるビックリするほどつまらない映像だったが・・・
また、電撃ネットワークの南部虎弾もJackassに強い影響を受け、無名若手芸人に身体を張らせる過激なDVD「南部塾」を発売。
2004年から2006年にかけて、日本のお笑いDVD界は日本の芸人によるJackassオマージュDVDが席巻した。
で、本家MTV、Jackassの世界的ヒットを受けアメリカ以外の国でも、Jackass的な番組を制作を開始。
まずはイギリスで「ダーティーサンチェス」という番組を開始。これはぶっちゃけ、Jackassとは違うベクトルで笑えないため、あまり流行らなかった。
監督に「とんねるずのみなさんのおかげでした」でおなじみ、マッコイ斉藤を向かえ、これまた日本の無名若手芸人に無茶なチャレンジをさせるという番組「TEMPURA」を開始。
ただ、これはJackassファンにはあまりウケなかったのだ。
公式な日本版Jackassとして始まったTEMPURAだが、内容といえばマッコイ斉藤が若手芸人をイジめているだけの映像だったのだ。
「人を便器に流そう!」という企画で、嫌がって泣き叫ぶメンバーの一人を数人で抱えて公衆便所の汚い便器に顔を無理やり突っ込ませたり、
「落ちている物を食べよう!」という企画で、これまた嫌がって泣き叫ぶメンバーに無理やり公園にポイ捨てされたペットボトルの残りを飲ませたり・・・
で、一人マッコイ斉藤がゲラゲラ笑っている。という映像にしか見えない出来だったのだ。
これはJackassではない・・・
本家Jackassも、TEMPURAと同じようなネタをやる番組なのだが、印象が全く違うのだ。
汚いチャレンジや絶対ケガするようなネタも、誰かに無理やりやらされるのではなく、自分から進んで挑戦しているのだ。
アメリカのカッコイイ兄ちゃん(しかもプロスケボー選手)がすごくスタイリッシュにくだらないことをしている。
日本のバラエティは、どうしても「嫌がる芸人に強制的にやらせる」という陰湿な構図になってしまう。
日本のお笑いとアメリカのお笑いは、やってることは同じでも間逆に映ってしまうのだ。
だからこそ、当時の日本でJackassが新鮮味をもって受け入れられたと言っていい。
宮川があまりにもJackass出演者の顔がプリントされたTシャツばかり来ているから、ダウンタウン松本が「それ、誰やねん!」とツッコんだことから
Jackassの存在を知り、映画評論の著書「シネマ坊主」にてJackass評を書いている。(Jackassは4度も映画化され、公開のたびアメリカでは1位になっている)
松本は、メンバーが皆自発的にくだらないことをやっているが、何が目的でこんなチャレンジをしているのかわからないので日本人ではあまり笑えない、と評した。
やはり、日本のお笑いでは「陰湿なイジメの構図」が必要不可欠なのだ。
最初に貼ったWILDBOYZの動画を見てもらえばわかると思うが、出演者が生死をかけた危険なロケをやっているのに
なんら嫌がる素振りはせず、むしろやってる側がゲラゲラ笑いながらライオンに接近していて、完全なキチガイであるがゆえに、見ていてハラハラはするが嫌な感じはしない。
陰湿ではないのだ。
JackassやWILDBOYZでも、出演者がションベンをかけられるなどイタズラやドッキリで酷い目に合わされるのだが、必ず後でやり返している。
そこに上下関係はなく、ただのバカな仲良し感が出て、なかなかハッピーな空気になっているのだ。
「坂上探検隊」は、WILDBOYZと同じことをやっているのに、やっぱり日本人特有の陰湿さが出てしまった。
陰湿にならなくても、Jackassがそこそこ日本でも流行ったのだから、日本人でもイジメの構図がなくとも笑えるということは証明されているだろう。
ただ、面白いのが東京ではJackassのDVDはバカ売れしたのだが、関西では全く売れなかったという。
東京ではウケていたが、関西人が見ると「何が面白いのかわからない」「何が目的でやっているのか意味不明」という感想ばかり出てきたという。
宮川大輔をはじめとした、大阪吉本の芸人の間では流行っていたそうだが、関西圏の人間にはJackassは理解できなかったようだ。
やはり、地域によってはイジメの構図がないとお笑いは成り立たないのだろうか?
で、10年ほど前の日本でも若干のJackassブームがあり、「世界まる見え!」や衝撃映像系の特番で何度も紹介されていた。テレビ関係者が知らないはずはないのだ。
が、2010年になり日本でのJackassブームが落ち着き、テレビでもあまり取り上げられなくなると
日本のテレビ番組でまるまるJackassのネタをやってしまうことが増えてきた。
坂上探検隊の話題で「イッテQを思い出した」というツイートも多々見たが、
イッテQでは頻繁に「Q Tube」というコーナーで丸々Jackassと同じチャレンジをしている。
Q Tubeというコーナーは、YouTubeで素人が面白チャレンジをしている動画をロッチ中岡がチャレンジするというコーナーで、
Jackassのネタを中岡がチャレンジする際には、Jackassの映像紹介がないのである。
そりゃアメリカの番組の映像を放送するのはカネがかかるかもしれないが、ネタを丸々拝借しているのである。
本家本元があるというちょっとした紹介くらいしてくれてもよいのではないか。
とにかく、「あぁ、これJackassでやってたことそのまんまだな」ってネタが多すぎるのである。
https://www.youtube.com/watch?v=9WbmRdvU6XI
https://www.youtube.com/watch?v=CsodsC7c4N4
たとえばこのJackassのネタなんかは、そのまんま中岡が挑戦していたが、この映像の紹介はなく、元ネタの存在をスルー。
エクストリームスポーツ界の神様ことマットホフマンとトニーホークが出演しとんのやぞ!!
というか、イッテQの作家鮫肌氏が、Jackassの映画が日本で上映された際にインタビューに答え、Jackassを参考にしていると答えている。
http://www.cyzo.com/2011/05/post_6937_entry.html
Jackassの出演者たちは、jackassが大成功、映画も連続大ヒットで今じゃアメリカでは大スターのセレブになってしまった。
メイン出演者だったジョニーは、ジャッキーチェンとコンビで主役の映画を撮ってしまい、
そんな人たちが気軽に日本のテレビに出演するとは思えないけど、元ネタくらい蔑ろにしないでくれや!
「速報!中国で工場が爆発して3人死亡!」「コントかよwww」「笑ったわwww」
これ
他にも韓国人が逮捕されたとか汚職政治家が病死したとか10代のカップルが事故死したとか
芸人が嫌いな人たちの言う「お笑い」っていうのは嫌いな人間が酷い目に遭ってざまあみろって嘲笑すること
だからお笑い番組も嫌いな人間を嘲笑することで成り立っていると思っている
番組を作る人は出演者のことが大嫌いで視聴者も出演者のことが大嫌いであざ笑うために見ていると思っている
俺らはネットでこっそり嘲笑しているのにお笑い番組は堂々と嘲笑していてずるいと思っている
だから潰したがっている
浜田の黒塗りの件で、もしかして私は差別容認派なのだろうかと自分を信じられなくなっている。
番組自体は見てなくてニュースサイトで今回の騒動を知った。「一個人に扮した仮装でしょ?別にいいやん」が最初に思ったことだった。ミラクルひかるが宇多田ヒカルに、前田健が松浦亜弥に、コロッケが美川憲一に扮するのと同じように「浜田雅和のエディ・マーフィーのものまね」としてそれを受け入れた。
なんで叩かれてるの?と思ったらどうやら世間は「浜田雅功の黒人のモノマネ」としてあの姿を受け入れたらしかった。
今回の騒動に関連した宝塚についてのエントリが上がっててそれを読んだときも思ったけど、タカラジェンヌの人たちは舞台の上で顔を白く塗っている。もともと舞台化粧は派手にしてなんぼなところがあるんだろうけど、「演じる役柄が白人だから」というのも白塗りの理由の一つだと思う。でもそれが叩かれてるのは見たことがない。なぜならタカラジェンヌの人たちはその劇の中で演じる一個人・一役柄として観客に受け入れられているからだ。「日本人が白人の真似をして白塗りしている」とは捉えられない。
ドナルドトランプでもマリリンマンソンでもウディアレンでも誰でもいいけど、もしあのとき浜田が白人有名人の仮装をして白塗りしていたとしたら、ここまで叩かれていたのかな。もしもの話だから実際のところは分からないけど、多分そうはならなかったと思う。今まで数多く放送されたお笑い・モノマネ番組の中で、白人有名人の扮装をした人たちはたくさんいただろうけどここまで叩かれたことはなかったからだ。
もちろん「白人の真似をして付け鼻をするのは差別!」という批判の声があるのは知ってるしそういうデフォルメは糾弾されるべきと思う。「肌の色で人間をカテゴライズしてデフォルメ化するな」というのは分かる。分かるんだけど、今回の件はそれとは違うと思うのだ。一個人に扮してその人の肌の色を真似ることが駄目なら、個人の特徴をクローズアップしてそれをエンタメとする「モノマネ」というもの自体全てアウトなのではないか。
黒塗りにだけ反応して黒人差別を叫ぶ「あの子はかわいそうな子だから触れないであげて!」みたいな腫れ物扱いって、逆差別ではないのか。黒人の肌の色は悪いものでもなんでもなく個人の身体的特徴だ。身体的特徴を揶揄するのは悪い。それは分かる。あれ、じゃあ今回の件もやっぱり浜田が悪いのかな。でもあれって「揶揄するために」黒塗りにしたのかな。じゃあモノマネ自体が個人を揶揄する行為なの?じゃあモノマネは全部よくないの?とかなんかよく分からなくなってきて自分は差別的な人間なのかとか感覚が偏っているのかとか色々考えて自己不信になっている。
今思うと、
左右の目で大きく視力が違い、黒板の字がぶれて見えるレベルだったのにずっと眼鏡をかけず過ごしてきたこと
扁桃腺が風邪でもないのに常に腫れていて喉がふさがっていること
とにかく運動音痴で小中高大と体育は何をやっても駄目だった
特に球技が無理。バレーもバスケも卓球も全部無理。目のピントが合うのにタイムラグがあるのでボールの正確な現在地が分からない
陸上だって誰よりもゼエゼエ言ってるのに足が遅いせいでクラスメイトからは白い目で見られ
時には「ずるをしている」などと言われた。本当に地獄だった
しかし、アメトーークの運動神経悪い芸人、めちゃイケ運動会、リンカーン大運動会などは好きで何度も見たことがある。今もアメトーークを見ている
自分は非コミュでアニヲタではあるがお笑い番組も好きで、お笑い芸人に好意を持っているので
(と言っても島田紳助は苦手でテレビからいなくなった時はほっとしたし、今炎上中のニューヨークはフォローのしようがないしフォローしたくもない)
アメトーークでは弄る側も弄られる側もスタッフも仲がよいであろうことを知っているし
あれは自分にとって、例えば子犬がポテポテ歩いていたら転んで隣の子犬とぶつかるとか、
猫が着地に失敗してつるっと滑ってしまうとかその手のほのぼの映像の延長であり
自分と違って「お前ほんっと運動神経悪いなwww」「いやぁ~www」と仲間同士で明るくネタにして笑い合えることへの憧れも感じる
あれはけして嘲笑ではない。学生時代、体育の時間に自分に向けられた冷たい視線とはまったく異なるものだ
自分のように学生時代体育で辛い思いをした人たちがあの番組を批判しているのを見るたびに
なんとも言えない気持ちになる
年末も近づいたこの季節、TVではM-1を始めとしたお笑い番組が大量に流される。
漫才、コント、色んな形態で芸人たちのネタが披露されるわけだが、
母親を亡くしたのは四年前で、自分でもずいぶん長いこと引きずっているとは思う。
また、自分は科学の徒であることを自認しているので、死後の世界だの霊魂だのが現実にあるとは思っていない。
ただ、自分を育ててくれた母親が、死とともに完全に消滅したと思うのも辛い。
生前あまり親孝行できたとも思っていない。ようやく孫の顔を見せてやることができ、
これからやっと親孝行ができるかと思った矢先に、母は病で亡くなった。
だからその母のためになることを何かしたい、母を喜ばせたいと強く思った。
もう死んでるのに。
肉体は完全に死んで、脳も活動を止めてしまい、客観的には母の人格は完全に失われてしまったというのに。
葬式というのは本当に優れたシステムで、一定のルールに従った服を着て、決められた儀式を開催し、
決められた受け答えをこなしていけば、死者のために尽くしたことにしてくれる。
それなりに信心深かった母のことだ、母が祖父母にそうしていたように、自分が母に対して正しく儀式を執り行えば、
母はきっと喜んでくれるだろう。
そう信じて、その場にしゃがみ込みたい気持ちを抑えながら、とにかく正しく、つつがなく儀式を終えるように努力した。
列席者もおそらく同じ思いで、ひたすら正しく、何事も起きないように儀式を進めてくれた。
ところが、お笑いのネタとして葬式を消費する場合、そうはいかない。
奴ら芸人は、ひたすら「正しくない」葬式を舞台で演じ、それを観客が嘲笑う。
例えば無神経な葬儀会社の人間を演じ、遺族の神経を逆撫でするような発言を連発する。
自分が母を送った時に、もしそうやって葬式を台無しにされたら、と思うと恐怖しか感じない。
亡くなった母のために何かしてやれる唯一の機会を、一人(あるいは二人)の馬鹿のために奪われてしまうのだ。
さらに恐ろしいことに、その状況はどうやら、他人から見たら面白いらしい。
死者を悼む無言の一体感など全くなく、喪主が何とか儀式を正常に戻そうと無駄にあがく様は、
どうにも笑えて仕方がないらしい。
恐怖だ。
そう遠くない将来、父も送ることになるだろう。
自分はその時も、信心深い父のために、正しく、つつがなく儀式を進めようと努めるだろう。
そのとき、TVでうまくいかない葬式を見て嘲笑っていた人々は、どう思うだろうか。
どこかで「喪主のセリフが飛んだら面白いのに」「焼香の時に誰かが祭壇をひっくり返したら面白いのに」
とか思ってるんじゃないだろうか。
もしそうなった時、場を収めようとする自分は、やっぱり笑えて仕方がないんだろうか。
その時が怖い。
アニメ「妹さえいればいい。」の11話でちんちんを連呼していました。
ちんちん好きな方のヒロインがちんちん好きでない方のヒロインに無理やり言わせるシーンがあります。
これっていじめとか童貞いじりと同じように問題にならないのでしょうか?
個々の作品の問題としてではなく、無理やりちんちんと言わせる事をエンターテイメントとして楽しめる状況、ラノベの原作は人気があるからアニメ化されたと考えられるし批判もないからアニメ化でこのシーンも切られなかったと考えると(原作読んでいないのでアニメオリジナルのシーンだったらごめんなさい)、無理やりちんちんと言わせることを楽しんでいることは間違いないと思います。
よくお笑い番組の内容がいじめと変わらないと批判されますが、ラノベやアニメにおいてその内容がいじめであるといった(オタク側からの)批判は見かけないような気がします。
はあちゅうも言うように表現の自由はあれど、その表現を面白おかしいものとして捉えるかどうかは受け手の問題で、いじめの表現を楽しんでいるのは誰なのか。
https://anond.hatelabo.jp/20171022231330
ゆゆ式の魅力は、気の置けない友人との謎会話にあると思う
大抵のアニメ(漫画)、ドラマ、映画、小説におけるキャラ同士の会話は、最低限会話として成り立ってるんだ
あるいは会話になっていなくても、ギャグとして成り立っている
そうじゃないと頭がおかしい作品だと思われるから(例外はある)
しかし、学生時代に友人とした会話というのはもっと破綻していたはずだ
破綻していても、もしくは破綻していたからこそ楽しかった面があると思う
意味不明な事を言ったり、唐突に話題を変えたり、通じにくいことを言ったり、意味もなく頭を叩いたり
そういったことをして許されるかというのは、どれだけ仲が良いかに比例すると思う
彼女たち(主にゆずとゆかり)は、そのボーダーラインを探る遊びをしている
変なことを言ってみる → 上手いツッコミが来る → ゆいちゃん私の事わかってる、好き みたいな
そういう、妙にハイコンテクストな共感・共通認識の中で物語がすすむから
ちなみにゆず、ゆかりはそこらへん押せ押せだけど、ゆずは照れてる
・時には「私の思ってた会話の流れと違う」みたいなのもあるんだけど、お笑い番組で若手が外すのに似てる
・周りからは奇異に見えるので「変なやつだな」と思われる
・友人同士の「ノリ」を先生にぶつけて、受け入れられた時に嬉しい(基本困らせるけど)
・たまにやりすぎて怒られる、怒られるけど許される
そんな「友人との会話の疑似体験」が、必ず毎回下校BGMと共に終わる
あの寂しさがまた良いんじゃないかと思う
有限だからこそ尊くなる
たぶん楽しめるかどうかは結構別れるところだと思うけど
「どれだけ適当なことを言葉足らずに言ってるか」「どれだけそれが通じてるか」
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会話破綻度が高くても通じる=仲がいい だから、真に共感した時はより深く深くハマると思う
そして代わりがないと嘆く
ある番組を見るまでは何とも思っていなかった。
ただ、番組でアニメオタクだったか、そういう話題の時に明らかに、オタクに嫌悪丸出しの発言してから嫌いになった。
その後、番組内ではオタク嫌いアピールせず、むしろ、「あー、オタクってすごいですねー」みたいなゴマスリしてて気分悪くなった。
カンナさんのマンガは比較的好きだったけど、渡辺直美がその役だときいて絶対見たくないと番組宣伝の時ですらチャンネル変える努力をしてる。
売るために媚へつらうのも嫌だけど、そういえば、昔お笑い番組で、無理やり男性に自分のおっぱい触らせていたのが気持ち悪くてダメだったな。
女性が安易に男性に体を触らせるものと勘違いさせることを助長させかねないと思ったけど、あれは売れる前で必死だったんだろうけど気持ち悪かったなー
ロリレイプ創作が過激すぎると批判される→「二次元なので被害者はいない。」
ロリレイプ創作を参考にした犯罪で実際に被害者が出た。→「大多数の読者は犯罪を起こさない。犯人が異常者なだけであり、警察の申し入れは表現の自由を侵害している。」
自分は、警察が”「作中の行為をまねすると犯罪になる」といった注意喚起を促すこと” を作者に頼むことが、そんなに愚かなこととは思えない。
例えば、爆弾の作り方をサイトで公開したとしても、日本では罪に問われない。
しかし、国内八カ所で爆発させ、人を傷つけた犯人が、「そのサイトを見て爆弾を作りました。」と取り調べで答えたら、どんなブコメがつくだろう。
「爆弾の作り方を公開するのは表現の自由だから、警察は何もすべきでない」というブコメが大半だろうか。
「犯人は責任転嫁を爆弾作成サイトにしているから反省していない。より重罪に問うべき。」みたいなブコメは書かれるだろうか。
たぶん違う気がするんだ。
もし警察がサイトの管理人に「配慮の申し入れ」をしても、今回の件みたいに批判はされないんじゃないだろうか。
むしろ、「手ぬるい」とか、「さっさと閉じさせろ」みたいなブコメがつくんじゃないかな。
爆弾の作り方は単なる科学的事実だし、その公開をやめさせることが、他の創作物に悪い影響を及ぼすとも思えないからだ。
それに爆弾だと、自分も被害に遭うかもしれないという気持ちが、ロリ二次元よりも強く働くからだ。
しかし、「爆弾の作り方」と「小学生を騙し、脅し、レイプする手法を詳細に描いた漫画」は、
(それが違うという人は、その理由を具体的に教えてくれると助かる。自分はこの点で混乱していると思うから。)
しかしそういった「表現」の冒頭で、”「作中の行為をまねすると犯罪になる」といった注意喚起を促す”ことが、そんなに不適切だろうか。
それはむしろ、表現の自由を守るための建前なんじゃないのかな。
お笑い番組でまき散らされた食べ物について、「この食べ物はあとでスタッフがおいしく食べました」というテロップが入るのと、だいたい一緒だと思うんだが。
○イメージ
・Pと凛の披露宴で異性愛者ばかりの席をふられてしまった棟方愛海
・異性愛者のアイドルから「レズの匂いがするー!」みたいな暴言を吐かられるんじゃないか? とビクビクする愛海
・雪歩が「いや、そんなことないでしょ」みたいななだめをする
・愛海が「765と違って346プロにはヘテロとそれ以外で明確な壁があるんだよ!」とわけのわからないことを言い出す
・披露宴で遠くの席にいる同性愛者友達たちがニヤニヤしながら「愛海ちゃんだけあいつらの島に入れらてかわいそー!」みたいな顔をする
・愛海が被害妄想じゃない事実こんな話題もあったと、過去にあった差別的な行為を話する
また、現実に実在する差別をなんらかのオブラートや比喩表現を使わずに、茶化したギャグにするのはよくない
なにかのラジオで誰かが言っていた「一般制作部とアニラジ制作部の壁がひどい」という話題が面白かったので、それをテーマにしたかった
○関係ない話