はてなキーワード: 宿命とは
産業構造が昔と大きく違っている中で、「道徳を涵養していけば、道徳に忠実にやってくれる人が多くなる」
と思うのは見当違いです。とくに若者はそんなことは考えていませんから、処方箋をいくら出しても、
強制でもする以外、そうはならないでしょう。強制すれば、また違う害が出てくることは明らかですから、強制もできません。
「こういうのがいいんだ」とわかっていても、そうはできないし、そのとおりにはならないのが現在の大きな問題なのです。
やる人がいないし、耳を貸す人もいません。もしいてもそれは少数だけで、根本的な解決にはならないでしょう。
長く人生を生き、戦前・戦中・戦後と一定の視点で人間というものを見ていると、どうも人間というのは、なかなか向上しない、
立派になりにくい宿命を背負った存在ではないかと思うことがあります。戦争のような大きな悪の中では、
個人個人は倫理的で善良になり、平和の中では個人個人が凶悪になっていくという矛盾があります。
かえって人間としては時代を経るにつれて低下していくような気がしないでもありません。戦争中から比べると、
現在はご飯を満足に食べられ、家柄や男女にかかわらず行きたい大学に行け、やりたい仕事に就ける夢のような時代になったはずです。
しかし、欲望がすべて満たされたら満たされたで、人間はまた悩み始めているのかもしれません。
あれほど未来性を持ったマルクスのような人でさえ、人類がこのような時代に直面するとは予期していませんでした。
世界の現状や個々人の考え方や生き方がこうまで問題の多いものになるとは思っていなかったと思います。
いまの状態は、社会主義国だと言っている国も、資本主義国だと言っている国も
そう変わりばえのあるようなことをしているわけではありません。ひと昔前に声高に論争しあった思想や政治システムといったものよりも、
人間性や人間の本質のようなものが生み出すものや、人間性そのものが問われる時代になっているのではないでしょうか。
そういうことを考えていくと、現代は人類がかつて体験したことのないまったく新しい状態まできているということになります。
もしかすると、これから先、歴史の繰り返し以上に人類はだめになる危険性もあります。
残念ながら誰の考えをたどっていっても、こうまでは考えていなかったろうと思います。これから先のことは、
自分たちで新しく考えていくより仕方ありません。
よさそうでかつ害のなさそうなことをやる、小規模でもやっていくということ以外にこの新しい時代に対処する方法はないように思います。
これは、科学的に社会のことを考えてきた人も想像していなかったろうと思います。そこが現在の一番の問題かもしれません。
一つはっきり言えるのは、いいことをいいと言ったところで無駄だということです。それは歴史が何回も証明してきました。
いいか悪いかではなく、考え方の筋道を深く追わなければ、問題の本質が見えてきません。考え方の微細な筋道をたどっていかないと、
解決の糸口を見失ってしまうでしょう。
何はともあれ、いまは考えなければならない時代です。考えなければどうしようもないところまで人間がきてしまったということは
吉本隆明「真贋」より
政権交代させて見たら自民党が劣化しまくっている可能性について覚悟する必要があるだろう。
政策の不一致は、まあ自民党が選挙互助会の寄り合い所帯という宿命だから仕方ない。
が、政権が自民党に移ったら、まず最初に起きるだろう政治的懸念事項は、
大臣病患者のセンセイたちに対する論功行賞人事としてのたな卸し的大臣人事だ。
自民党が圧倒多数で政権を奪取できる可能性が低い以上、谷垣総裁が派閥無視の適材適所人事なんぞを組める目はない。
むしろ求心力維持の為に派閥に報いざるを得なくなる。そもそも自民党自体が「民主党の反対」の先にある
成長戦略を描けてないし、野党時代の民主党さながらの政局遊びに興じている。
下手すると、「民主党時代の方がまだマシだった」という言葉が、当の自民党支持者から聞こえてくるかもしれん。
そうはならない事を祈って已まないが、さてどうなることやら。
若者の意識や離職率に急激な変化は見られない。企業側の採用行動の変化により、希望通りのコースを歩めないというのが事実である。働く意志がある人間がなぜ働けないのかという観点から、企業の側の原因が指摘されてきた。これを、働く意思の存在しない、特異な傾向を持つ集団にフォーカスすることによって若者が甘えているからいけないのだ、と「問題のすり替え」が行われているのがニート問題(あくまで2005年段階の話です)。実際は、たとえニートを働かざるをえない状況に追い込んでも働くことはできない人が多数いることが問題。
しかもニートの中でも「刹那を生きる型、つながりを失う型、立ちすくむ型、自信を失う型」の4類型が確認されているが、このうち「刹那を生きる型」のみに焦点が当たっている。ニートについてすら正確に理解されていない。ニートですら甘えが本質問題ではない。
高度に専門化した現在の職業状況では、最も多いと言われる文系のフリーターがちょっと訓練さr他程度では使いものにならない。それゆえ彼らはノースキルでもなんとかなるアルバイトや派遣社員を選択せざるを得ず、また企業側もそうした使い捨ての人材を欲するという構造的悪循環。しかもこれを放置していると潰しの聞かない人材を多く抱えたフリーター世代が後世で日本社会の大きな負債となる。
そもそも若年層の就業問題とは、既得権益を有した、特に男性の年長世代が、相対的な弱者としての若者にたかる構造だったのだ。若者はそうして保護された親の既得権益にたかりかえしているのであり、あくまで「たかりあい」の関係。この認識ができていないと議論が進まない。
自己責任原則は、一方で国や企業に頼るなといいながら、あらゆる長期計画(安定性)を放棄せよというダブルバインドなメッセージを発している。若者たちはこの分裂したメッセージに対処するために、やりたいことを目指しながら、現在の状況をそのまま受け入れるという宿命論を招き入れざるを得ない。結果、不断の躁鬱状態に置かれることになる。
http://sanpoapril.blog104.fc2.com/blog-entry-167.html
http://d.hatena.ne.jp/saebou/20120102/p1
Mステは原語表示の下に日本語訳がつく。CD付属のとほぼ同じ内容。
日本とかJAPANとか出てくるのは、その番組では言い替えて歌ったから。
| スマスマ | 紅白 | Mステ |
|---|---|---|
| あなたが彼を愛そうと、キリストを愛そうと関係ない | ||
| みんなで手を挙げて | ||
| それがあなたの生まれ持った宿命なんだもの | ||
| 小さい頃 よくママが言ってた | My Mama told me when I was young 私が若い頃 ママが言ってた |
|
| 人はみな 生まれたときはスーパースター | We are all born superstars 「みんな生まれたときからスーパースターよ」 |
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| 化粧台の鏡の前 | She rolled my hair and put my lipstick on 髪をまくり上げて 口紅を塗ってくれた |
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| 私の髪をカールし 口紅をつけながら | In the glass of her boudoir ガラス張りのブードワで |
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| 自分を愛するのはいいこと | "There's nothing wrong with lovin' who you are" 「ありのままの自分を愛せばいい」ママが言ったわ |
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| 神はあなたをパーフェクトにつくったの | She said, "Cause he made you perfect, babe." 「そのままで完璧なあなたを 神は創ったの」 |
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| くよくよしないでいれば きっと成功する | "So hold your head up girl and you'll go far, 「だから顔を上げていれば 遠くまで行けるわ" |
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| 私の言葉を 信じなさい | Listen to me when I say" これから言うこと よく聞いて」 |
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| 私には自分なりの美しさがある だって神様に間違いはないから | I'm beautiful in my way Cause God makes no mistakes 自分らしいままで美しい だって神には一寸のブレもない |
|
| 私は正しい道を進んでいる こうなるように生まれてきたの | I'm on the right track baby I was born this way このまま進めばいいのよ ベイビー 私はこの運命のもとに生まれてきた |
|
| 後悔の殻に閉じこもらないで 自分を愛せば うまくいく | Don't hide yourself in regret Just love yourself and you're set 悔いに身を隠さないで ただ自分を愛せばそれでO.K. |
|
| 私は正しい道を進んでいる 私はこう生まれてきた | I'm on the right track baby I was born this way このまま進めばいいのよ ベイビー 私はこの運命のもとに生まれてきた |
|
| ほかの生き方なんてない | Ooo there ain't no other way Ooo そのほかの道なんてない |
|
| こうなるように生まれてきたの | Baby I was born this way ベイビー 私はこの運命のもとに生まれてきた |
|
| ほかの道はない こうして生まれてきたんだから | Ooo there ain't no other way Ooo そのほかの道なんてない |
|
| Baby I was born this way ベイビー 私はこの運命のもとに生まれてきた |
||
| 私は正しい道を進んでいる 私はこう生まれてきたから | I'm on the right track baby I was born this way このまま進めばいいのよ ベイビー 私はこの運命のもとに生まれてきた |
|
| Don't be a drag, just be a queen ドラッグ・クイーンじゃなくて クイーンになればいい |
||
| Don't be! なればいい! |
||
| 分別をわきまえて、友を愛しなさい | Give yourself prudence And love your friends 自分の体を尊重して 友だちを愛するの |
|
| 日本のみんな、真実を喜びなさい | Subway kid, rejoice your truth 「サブウェイ・キッズ、真実を祝え」 |
|
| 自信が持てない者達の信仰のために | In the religion of the insecure I must be myself, respect my youth 弱者のための宗教では 自分らしくいて 若さに敬意をしめす |
|
| 私は自分を見失わず、若さを大事にする | ||
| 誰を愛しても、それは罪ではない | A different lover is not a sin Believe capital H-I-M (hey hey hey) 恋人が“ヘン”だからって罪にならないわ 信じて大文字の“H-I-M”(神)を |
|
| 主なるイエスを信じなさい | ||
| 私は自分の人生を愛しているし、この曲も愛している | I love my life I love this record and Mi amore vole fe yah (love needs faith) この人生もこのレコードも愛してる(愛には信じる心が不可欠) |
|
| 愛することは確信することよ | ||
| 私は私のままで美しい | I'm beautiful in my way Cause God makes no mistakes 自分らしいままで美しい だって神には一寸のブレもない |
|
| だって神様は間違えたりしないから | ||
| 私の生き方は間違っていない、これが私の生まれ持った宿命 | I'm on the right track baby I was born this way このまま進めばいいのよ ベイビー 私はこの運命のもとに生まれてきた |
|
| 悲嘆に本当の自分を隠さないで | Don't hide yourself in regret Just love yourself and you're set 悔いに身を隠さないで ただ自分を愛せばそれでO.K. |
|
| 自分自身を愛せば大丈夫 | I'm on the right track baby I was born this way このまま進めばいいのよ ベイビー 私はこの運命のもとに生まれてきた |
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| 私の生き方は間違っていない、これが私の生まれ持った宿命 | Ooo there ain't no other way Ooo そのほかの道なんてない |
|
| Baby I was born this way ベイビー 私はこの運命のもとに生まれてきた |
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| 他の生き方なんてできない | Ooo there ain't no other way Ooo そのほかの道なんてない |
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| これが私の生まれ持った宿命 | Baby I was born this way ベイビー 私はこの運命のもとに生まれてきた |
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| 私の生き方は間違っていない、これが私の生まれ持った宿命 | I'm on the right track baby I was born this way このまま進めばいいのよ ベイビー 私はこの運命のもとに生まれてきた |
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| 野暮なこと言わず、女王でいればいいのよ | ぼやいてないで いっそ女王になろう | Don't be a drag, just be a queen ドラッグ・クイーンじゃなくて クイーンになればいい |
| あなたが貧乏でも、お金持ちでも | 貧富の差も 肌の色も 国籍も関係ない | Whether you're broke or evergreen あなたが貧乏でも 恵まれていても |
| 黒人でも、白人でも、ベージュ肌でも、ラテン系でも | You're black, white, beige chola descent 黒人でも 白人でも ベージュ肌でも インディオ系でも |
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| レバノン生まれでも、東洋系でも | You're Lebanese, You're Orient あなたがレバノン生まれでも 東洋系でも |
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| 障害を負って、仲間外れにされて、イジメられたり、からかわれても | 人生で困難があっても いじめられ からかわれても | Whether life's disabilities Left you outcast, bullied or teased 人生で障害を負って 仲間外れにされて イジメられて からかわれても |
| 自分を讃え、愛してあげなさい | 自分を信じ 愛してあげよう | Rejoice and love yourself today 今日いる自分を愛して そしてお祝いして |
| だってそれがあなたの生まれ持った宿命だから | それがあなたの人生だから | Cause baby you we're born this way だってベイビー あなたはこの運命のもとに生まれてきた |
| たとえゲイでも、ストレートでも、バイでも | 性的好みなんてどうでもいい | No matter gay, straight, or bi Lesbian, transgendered life たとえゲイでもストレートでもバイでも レズビアンでもトランス・ジェンダーでも |
| レズビアンでも、性同一性障害であっても、関係ないわ | ||
| 私の生き方は間違ってない、ベイビー | 私は正しい道を進んでいる どんな困難も乗り越える | I'm on the right track baby I was born to survive まちがってなんかいないよ ベイビー 生きるため産まれてきた |
| 私は生き抜くために 生まれてきたの | ||
| 黒人でも、白人でも、ベージュ肌でも、ラテン系でも、東洋系でも | 肌の色や国籍なんて関係ない | No matter black, white or beige Chola or Orient made 黒人でも 白人でも ベージュ肌でも ラテン系でも 東洋系でも |
| I'm on the right track baby I was born to be brave このまま進めばいい ベイビー 勇敢になるために産まれてきた |
||
| そう 歌おうJAPAN! | ||
| 私はこのままで美しい | 私には自分なりの美しさがある だって神様に間違いはないから | I'm beautiful in my way Cause God makes no mistakes 自分らしいままで美しい だって神には一寸のブレもない |
| だって神様は間違えたりしないから | ||
| 私の生き方は間違っていない、これが私の生まれ持った宿命 | 私は正しい道を進んでいる 私らしく生きている | I'm on the right track baby I was born this way このまま進めばいいのよ ベイビー 私はこの運命のもとに生まれてきた |
| 自分自身を愛せば大丈夫 | 後悔の殻に閉じこもらないで 自分を素直に愛せばそれでいい | Don't hide yourself in regret Just love yourself and you're set 悔いに身を隠さないで ただ自分を愛せばそれでO.K. |
| 私の生き方は間違っていない、これが私の生まれ持った宿命 | 私は正しい道を進んでいる 私はこう生まれてきたから | I'm on the right track baby I was born this way このまま進めばいいのよ ベイビー 私はこの運命のもとに生まれてきた |
| 他の生き方なんてできない | ほかの道はない | Ooo there ain't no other way Ooo そのほかの道なんてない |
| これが私の生まれ持った宿命 | こうして生まれてきたんだから | Baby I was born this way ベイビー 私はこの運命のもとに生まれてきた |
| ほかの道はない | Ooo there ain't no other way Ooo そのほかの道なんてない |
|
| こうして生まれてきたんだから | Baby I was born this way ベイビー 私はこの運命のもとに生まれてきた |
|
| I was born this way hey! 私はこの運命のもとに生まれてきた |
||
| 私の生き方は間違っていない、これが私の生まれ持った宿命 | 私は正しい道を進んでいる こう生まれてきたから | I'm on the right track baby I was born this way このまま進めばいい ベイビー 私はこの運命のもとに生まれてきた |
| これが私の生まれ持った宿命 | 私はこう生まれてきたから | I was born this way hey! 私はこの運命のもとに生まれてきた |
| 私の生き方は間違っていない、これが私の生まれ持った宿命 | 私は正しい道を進んでいる こう生まれてきたから | I'm on the right track baby I was born this way hey! このまま進めばいい ベイビー 私はこの運命のもとに生まれてきた |
| 同じ遺伝子 |
なんか、誰の役に立つのか分からんけど、私が高校生の頃にこういう説明があったら良かったなぁ……とふと思ったので書いてみた。
さて、大学の工学部機械工学科に入学するとしよう。基本的に機械工学科に含まれる研究分野は多い。もちろんそれには理由があるのだが、それでもほぼすべての学生が学ぶ共通の内容があり、機械工学科を卒業した学生に企業が期待するのはそれらの基礎知識である。そういう意味で機械工学は非常に実学に近いと言っても良い。
機械工学科の教員は本当に口を酸っぱくして「四力を身につけろ」と何度も何度も授業の度に言ってくる。古いタイプの教員ほどその傾向は強い。いわく、「専門分野の基礎がわかっている人間が社会では強い」、「四力が身についていなければ学科長が許しても俺が卒業させない」、云々。で、その四力というのは以下の4つの「力学」のことを指す。
機械力学というのはいわゆるニュートンの力学でいう「剛体の力学」で、弾性・塑性変形しない対象がどのように運動するかを扱う。振動工学とか解析力学とかはだいたいこの延長線上で学ぶ。高校の力学に微分積分を足した感じだと思えばいい。
熱力学はマクロで見た気体や液体の持つエネルギーを対象にする。これも微分積分やエンタルピー・エントロピーの概念を除けば高校で学べる物理とそう大差はない。次の流体力学と合わせて熱流体力学というジャンルを構成していることもある。統計力学は熱力学の延長線上で学ぶことが多いが、量子力学とともに挫折する学生が非常に多い。
流体力学はその名の通り気体と液体を合わせた流体の運動について学ぶ。航空関係の仕事がやりたいなら必須。多くの近似法を学ぶが現実にはコンピュータ・シミュレーションが用いられるのであまり細かく勉強しても役に立つ場面は少ないかもしれない。下の材料力学とは連続体力学という共通の基礎理論を持つ遠い親戚。
最後の材料力学は、弾性をもつ(=フックの法則に従う)固体の変形が対象。建築学科とか土木工学科だと構造力学という名前で開講されているが、内容はだいたい一緒。これも多くの近似が含まれる体系で、実際にはコンピュータを使った有限要素法でシミュレーションする場面が多い。とはいえ基本を大学学部時代に学んでおくことは非常に重要。
で、これら4つの科目がどう生きてくるかというと、たとえば20世紀における機械工学の結晶であるところのエンジンの設計なんかにはこれら全部が関わってくる。機械にかかる荷重や振動を解析し(機械力学)、エネルギー効率の高いサイクルを実現し(熱力学)、吸気と排気がスムーズに行える仕組みを作り(流体力学)、これらの条件に耐えうる材料を選ぶ(材料力学)。もちろん就職したあとにこれらすべてに関わることはないし、実際に使える高度な知識を教員が授けるわけではないが、機械の設計に際しては必須の基礎知識ばかり。とはいえ後のように四力から直接発展した研究をしているところはまれで、院試のために勉強したのに後はもう使わなくなった、なんてこともままあるわけだが……。
なお高専からの編入生が入ってくるのは2~3回生なのだが、彼らはすでに四力を身につけていることが多く、運が良ければ通常の学部生からは羨望と尊敬のまなざしを勝ち得ることができる(しかし英語ができないので研究室に入ってから苦労することが多いようだ)。
高度な数学や電磁気学であったり、機械加工や金属材料や設計に関する専門的な知識もカリキュラムに含まれることが多い。みんな大好きロボットは制御工学の範疇で、これは四力とは別に学ぶことになる。ロボット=メカトロのもう一つの必須分野である電気電子系の講義はほとんどないので独学で学ぶ羽目になるが、微分方程式が解ければ理解にはさして問題はない。プログラミングや数値計算などの授業は開講されていることもあるしされていないこともある。とはいえ機械工学科を出てガチガチのプログラマになることはほとんどないし、教えてくれてもFORTRANか、せいぜいCが限界である。さすがにBasicを教えているところはない。……ないと信じたい。
実習や実験がドカドカと入ってくるのは理系の宿命なのだが、特徴的なのはCADの実習。おそらく就職したら即使う(可能性がある)ので、研究室に入る前に一度経験しておくといい。もちろん実際にCADで製図するのは専門や工業高校卒だったりするのだが、そいつらをチェックしてダメ出しするのは大卒なり院卒なりの仕事になる。
四力を身につけたらいよいよ研究室に配属されることになるのだが、基本的に四力を応用した分野ならなんでも含まれるので本当に各研究室でやっていることがバラバラ。隣の研究室が何をやっているのかは全くわからない(もちろんこれは機械工学科だけではないとは思うが……)。そのため学科のイメージを統一することが難しく、どうしてもわかりやすいロボットなんかをアピールすることが多くなってしまう。とはいえそういう「わかりやすい」ことをやっている研究室は少数派で、実際は地味なシミュレーションや材料のサンプルをいじくりまわしているところが多数派である。最近は医療工学系の研究をしているところが増えたらしいが、光計測だったり材料物性だったり航空工学だったり、あるいは全然関係ないシステム工学だとか原子力工学の教員が居座っていることもあるようだ。こういう教員を食わすために機械工学第二学科(夜間向けの第二部ではない)が設立されたり、環境とかエネルギーとかが名前につく専攻が設立されたりすることがままある(昔は学科内に新しく講座を作るにはいろいろと制限があったらしい)。そういうところは(上位大学なら)ロンダ先として利用されるのが常で、そうした研究室を選んでしまった学部生はマスターの外部生の多さに面食らうことになる。
とはいえいろいろ選べるならまだマシな方で、大学によっては計測か材料かしか選べなかったり、工業高校ばりの金属加工実験を延々とやらされたりすることもある(ようだ)。やりたいことがあるならそれをやっている大学に行け、とは機械工学科志望の高校生のためにある言葉かもしれない。
そう、就職は非常にいいのだ。「学内推薦が余る」という噂を聞いたことがある人がいるかもしれないが、まぎれもない事実である(とはいえ最近は上位校の推薦でもガンガン落としまくる企業が増えたようで就職担当も頭を抱えているようだが)。機電系なる言葉が広まったのはネットが登場して以降らしいが、機電系=機械工学系と電気電子工学系、というぜんぜん関係ない2つの学科をまとめてこう呼ぶのは、それだけこの国の製造業でこの2学科出身者が必要とされているということだろう。我らが機械工学科の後輩たちのために、これからも経済産業省には「モノづくり立国」なるわかったようでよくわからないスローガンを推進していただきたい。
inspierd by http://anond.hatelabo.jp/20110929232831
追記:あえて上位と下位の大学の事情をごっちゃにして書いているので、受験生諸君はあまり鵜呑みにせず自分でリサーチするようにお勧めする
10年前に公開された真珠湾攻撃の映画を思いついたように観て、
第二次大戦前、世界の有色人種のほとんどすべてが白人の植民地支配下で自立と尊厳を奪われている中で、
白人が優れているから有色人種は差別されても仕方が無いという当時の世界の「常識」を覆した、
記念すべき大事件だったのだ。
白人の専売特許と信じられていた近代科学技術を駆使して武装した飛行機をアジア人が操縦し、
戦艦を撃沈し、軍事施設を木端微塵に爆破し、白人を爆撃して蹴り散らしている。
当時どれだけの有色人種がこの光景を目の当たりにして、快哉を叫び希望と勇気を持っただろうか。
この映画はアメリカの国威発揚のために製作されたものであるが、
皮肉なことにも、世界規模で消費されるハリウッド映画であるだけに、
アジア人が白人をこてんぱにする映像を世界に放ったという点で、別の意味で衝撃的な映画と位置づけられたことだろう。
そして奇しくもこの数ヵ月後イスラム過激派によるテロが発生し、
真珠湾攻撃になぞらえられた。
実際はルーズベルトの謀略に嵌められただけと言えるし、
負けることは最初からわかっていたのだから、鉄則を守っていなかったという点で愚策ではあったのだろうと思う。
しかし、有色人種が近代科学技術を使って白人に対抗したという点で、
この事件は、宿命であったと言えよう。
先人たちの勇敢さに感謝しなければならない。
RPGの話をする。
RPGっていっても、テーブルトークRPGやMMOとかじゃなく、ドラクエやFFみたいな俺が青春を費やしたやつだ。
ストーリーってもう出尽くした気がするんだよね。
かつては、ストーリーに出尽くしなんかないと思ってた。
もちろん、定番のネタというのはあるけれども。
でもさ、思えばRPGにおけるストーリーの制約はけっこう厳しい物がある。
町の平和を守るとか、そういう小さな目的から、世界を救うといった大きな目的まで、その流れに沿って話を進めないとならない。
ハードと媒体の進化によって、グラフィックや容量に制限はなくなった。
いくつもの国があり、それぞれの国にはいくつもの町があり、それぞれの町には何百人、何千人、時に100万人以上の人間が住む大都市まで登場する。
そんな世界では、一人の魔王を勇者が倒せば諸問題が全部解決する、なんてことはありえない。
現実と同じくらい複雑な世界では、その世界の諸問題も現実世界の諸問題同様に複雑で、誰か一人をやっつければ解決するほど単純なものではない。
独裁者、魔王、そういった一個人をラスボスにすることが出来ないとなれば、ラスボスは超存在とか概念となる。
スーファミ時代から、いやファミコン時代の後期からそういう傾向はあったけどさ。
でも、そういうのってしっくりこないんだよね。
昔話、神話で刷り込まれた勇者が魔王を倒すっていう基本のストーリーははやっぱり強力。
そういう単純な話、敵をやっつけて一件落着というラストに落とし込めるような、箱庭的な小さな世界観のゲームのほうが結局面白い。
「世の中には善と悪だけじゃなくて、偽善やら偽悪やら、善のつもりで悪をしてたり、その逆だったり、頭じゃわかっても憎しみは消せなかったり、いろいろあるんだ」
などと説教されても
「うるせーバカ」
となっちゃうだろ?
最近になって、糸井重里がMOTHER3の開発が頓挫した理由を「大作主義に陥ったため」と説明した理由が理解できてきた。
フラッグシップハードのRPGは大作である宿命が義務付けられている。
グラフィックは美麗でないといけないし、美麗なグラフィックは古典的で単純なターン制では許されない。
誰得な複雑でわかりにくく珍しさだけで楽しくもないシステムを抱き合わせさせられる。
世界は壮大でないといけない。
敵の目的も壮大でないといけない。
ちっぽけな主人公の存在が世界の大きさに押しつぶされてしまうのだ。
(じゃあ主人公をちっぽけじゃなく、特別な存在にすればいいのか?そんな特別な存在に感情移入できるのか?)
ずいぶんと後に、ゲームボーイアドバンスでMOTHER3が発売された。
物語の全てが小さな島のなかで進行した。
人類が生き残っているのはその小さな島だけだった。
それでも、大作を目指してしまった痕跡と言うか、いろんなものを詰め込み過ぎた痕跡が見え隠れして、MOTHER2ほどの面白さがなかった。
「他の犬は知らないかもしれないけど、君達が世界を救ったこと僕は知ってるよ」
と言ってもらえるような冒険がしたいんだよ。
「オバサンという消費スタイル」という概念がそもそもパラダイムシフトになってないんスよ。
という話ではあった。
宗教の中にいる人に教義を離れた大きな枠組みを検討させるのは簡単じゃないもんだけど。
ほら、出てくる検討ってこれでしょ。
君も言ってるように全部「女子」の亜種。
「オバサン」ではない。
「オバサン」は死の世界、という女子至上教義から1ミリも踏み出して無いとこで考えてるから
結論は女子至上教義の枠内に収まるに決まってるよ。
「乗らなかったらメディアのブームに乗れなくなるじゃん」というよりは、「乗らないという選択をスタイル創出という形式で取るとか無理じゃね」的な。
「脱構築せよ」という話に対して
君の一案は「ワタシスタイル」というきわめて既存雑誌メディアの文法やセンスに忠実なもので
だからそこから出ろということを再三述べてるからここで1から繰り返さない。
明らかに同じ土地に居ないし同じもん食ってないっしょw 絶対昼飯かぶらない自信があるぞww
「毎食そのへんの犬を捕まえる部〇です」
ぐらいの人でないなら差なんかない。
他の多様な可能性に圧力を感じるだの不快だのというのは理屈の通らない話だよ。
今のスタイルに慣らされすぎてる脳の形までそうなっちまってるだけだ。
雑誌がいい加減ブームを作り出せなくて売上ヤバくて迷走してるってのはあると思う。
わからないだろう?
もう骨身に食い込んでてその異様さどころか存在すら自分の目には入らないからだよ。
>30台以降をずっと目をつぶって生きていくような恐怖の人生が女に与えられている。
>目を開けて降りるには死の覚悟を要する。
いや同種の恐怖はオッサンにもあるんじゃねw
全然違う。
頭から毛がなくなったら尼か坊主でない限り不便に決まってるし、
安定収入が絶たれたら辛いのは当たり前だ。
探してもそんな不出来な例しか挙げられないのはつまりそういうことだ。
「そこから降りると死にそうな心地がする」のは
いや、「オバサン」というだけで死の覚悟が必要になるのは「女子」至上教義独自のものだね。
大変厳しい無茶のある教義を誇っている。
その風合いは一信徒である君の発言からもいくらでも拾える、こんな感じ。
オバサンって「失った人」ってことでしょ。
ある意味不治の病と似てる
ガン患者
覚悟するくらいしかテがない
こわい
しかも地獄の世界が現世に現れる構造になっているから死後の没落で脅すよりある意味えぐい。
今まだ女子至上教義の観点からしかオバサンを検討できないからだよ。
オバサンがコインのうらっかわなんじゃなくて、君がオバサンを「女子の裏」としてしか見られないだけ。
これも違う。
自分にあわないパラダイムに抑圧されて従順な人というのはいくらでもいる。
特に変わり目にはね。
新しいパラダイムどころかその予感にすら怯えて攻撃したりする。
ヒンドゥーの中で被差別階級生まれな人にはメリットだらけだね。
全員生誕30年も経てば地獄が迫りながら地獄に目をつぶる苦行地獄(君の言葉で言えば全員がん患者)
っちゅー教義となってるから
http://anond.hatelabo.jp/20110921114931
「オバサンという消費スタイル」という概念がそもそもパラダイムシフトになってないんスよ。
という話ではあった。
オバサンというチョイスだとこれこれこういう事になるからダメなんじゃね、誰も安らかにオバサンになれねーだろ、という感じ。
でも「じゃあ何つーの?」って言われると詰まるんだよね。
マダムとかギャグやジョークの感じでしょ。艶女とか消えたし、消えてなくてもパラダイムシフトではないしね。「女子」の亜種。
「そういうものに乗る以外のライフスタイル」っていうのは個人が作るしかない、つーかライフ「スタイル」とか言っちゃう時点でアウトなんじゃね? という話。
「乗らなかったらメディアのブームに乗れなくなるじゃん」というよりは、「乗らないという選択をスタイル創出という形式で取るとか無理じゃね」的な。
だって例えば「ワタシスタイル」とか試しに言った瞬間にもうなんか臭いっしょ。絶対一時期どっかの雑誌で載ってたっしょこれ。
スタイルって要はパターンの集合で、ワタシもパターンの集合ではあるんだけど、要素の数と種類がスタイルの比じゃない。そもそも収まるわけがねーんだもん。
同じ島で同じもん食ってる我々の差異なんてたいしたことはない。
その程度の差異が過大に感じるのは画一化した「スタイル」に慣らされすぎている証拠だ。
意味が判らねえww
明らかに同じ土地に居ないし同じもん食ってないっしょw 絶対昼飯かぶらない自信があるぞww
同じものを見てもいないし聞いてもいない。
うまく支配してるならそれでいいけど
全てを「女子」におしこめようという横着をしている。
雑誌がいい加減ブームを作り出せなくて売上ヤバくて迷走してるってのはあると思う。
でも全てを「女子」におしこめるどうこうってのは意味が判らないな。
30台以降をずっと目をつぶって生きていくような恐怖の人生が女に与えられている。
目を開けて降りるには死の覚悟を要する。
いや同種の恐怖はオッサンにもあるんじゃねw
「ハゲたら終わり」的なそういう形かな? それとも「リストラ=もう自殺しかない」とかの方向か。
「そこから降りると死にそうな心地がする」のは「女子」概念のというよりはスタイルというものの宿命だから、幅を拡げれば解決するってもんでもないのでは。
やめればいいじゃん、で代替も出さんでそれはひどい。「オバサン」は新パラダイムにならへんで。単なるコインの裏っかわ。
だいたい言われるまでもなく採用してない人はとっくに採用してない。
そして採用することで幸福になるか、少なくとも不幸にはならない人間はそのパラダイムを捨てない。
理想としてはもっとガンガン乗り換えとか二股とか利くようにすべきだと思う。不幸になるから捨てて終わりとかじゃなくて。
二頭並んで爆走する馬の背に両足かけて仁王立ちってレベルかそれ以上までやれるべきだと思う。
現地人に間違われることも何回かあり、
北京語で筆談しようとして漢字を書いた紙を見せても英語で返される。
街中に溢れる英語はcentreとか-iseとかイギリス式だった。
ちょっと落胆した。
同じような顔をした東アジア人、同じ漢字の知識を持つ漢字圏の人たちと、
来日アジア人学生とは日本語で話していたから気付かなかったけれども、
日本に照準を当てていない外国人とは、いかに文化的人種的に近い東アジア人であろうとも、
最近東南アジアに行ったときも、やはり現地人との会話には英語を使うしかなかった。
現地の言葉を話そうにも、「サワディー」「カムオン」ぐらいしか分らないんだから。
英語は分るのに、同じような顔をした人達の基本的な挨拶も知らないなんて!
自分を恥じた。
日露戦争の時は日本人と清国人と朝鮮人とベトナム人とは、知識人であれば会話は出来なくても漢文で意思疎通が出来たらしい。
安は日本人看守に処刑前に「為国献身軍人本分」と自書した遺墨を渡した。
今や朝鮮人もベトナム人も平均的な戦後生まれは漢字を理解しない。
もっとも千数百年前は当時の漢文が今の英語の立場にあったのかもしれない。
英語で世界が均質化されるということは、逆に言えば今まで交流の浅かった遠い国との距離が縮まる分、
隣国との距離が相対的に広がるということでもある。
追記:
文脈によってその指す範囲は異なりますが、本稿では、文面から、
「漢字や箸や仏教や儒教を伝統文化として擁する東アジアの国々」から「モンゴロイドを主要構成員とする東アジアの国々」
までを漠然と指している、ということを、感じ取れないでしょうか?
形式的には「中華人民共和国」という国連の基準では一つの国家の中に含まれていても、
ウイグルやカザフやキルギスやウズベクやチベットを「東アジア」に含んでいないことを、感覚的に理解できないでしょうか?
だから、そのほかの文化が滅びていくことが無念だ、というのがこの日記の主題なんですよ。
安重根の辞世の句、これは漢文だから魂が込められているのです。
同じ文句を英語で安が発言したとして、意味は通じるでしょうが、それはもはや魂のない「記号」でしかありません。
(漢文も土着の言葉を蹂躙して君臨してきた事実を差し引いてもです。)
今の韓国人は安の遺墨「為国献身軍人本文」「国家安危労心焦思」を読めません。
安の遺墨に込められた魂は漢字排斥により子孫たちから断絶されました。
私たちは、英語を汎用できる利便性と引き換えに、それぞれ固有の文化が持つ魂を失いつつあります。
英語以外の言葉を学ぶにせよ、世界中の言語全てを「平等に」習得するのは無理ですから、
何にせよ取捨選択はしなければいけませんよね。
gizmodのブックマークに「だが湯木」「イタコ訳注意」というタグがつくことがあるが、あれはikemo33がBOTでそういうタグをつけるようにしているかららしい。
たしかに、湯木氏がそういう翻訳をしてしまうことは記事にもなったけどそういう適当な翻訳はニュース系サイトの宿命であって、そもそも gigazine とかロケニュとか産経新聞みたいなゴミクズみたいなPVさえ得られれば何をしてもいいと思ってるメディアがどんどんネット界で市民権を得て居る今、湯木氏だけを責めるのはいささかバランスを欠くものに感じる。
所詮はブックマークなのだし、普通の訳をしてるときでも「イタコ訳」とかBOTで無判断につけてしまうのは批判にならない。他の人のブックマークが汚された感じがするし、そろそろ許してあげてやれよ id:ikemo33
http://d.hatena.ne.jp/kaien/20110702/p1
スロウハイツの神様は本当にいい物語だとは思うので、この記事を読む前に読んでほしい。
この記事を読むと、この記事を読まずに読んだ時とおそらく得られる体験がおおきく変わってしまう。
逆に言うと、この記事を読むならば、もう原作の方は読まなくていいんじゃないかと思う。
どっちか片方を選択しないといけない。
作者は他のプロ作家と戦いながら、こういうネタバレ評者とも戦わなければいけない時代。大変だな。
映画好きな人ならわかると思うけど、別にあらすじを知っていても
一部のトリック的な部分はともかくとして、
核の部分はやっぱり読まないとわからないし、ネタバレ読んでても感動できるものは感動できる。
そういうもんです。
だからどうぞ気にせずブログ記事を読んだ上で本も読むといいよ。
ちなみにこの部分の記述を読んで
すべて物語というものには差別構造がある。ある人物を「主人公」としてクローズアップし、特権化し、その人物の悲劇を人類最大の悲劇であるかのように描くというどうしようもない欺瞞の構造。
その構造そのものを鬼頭は批判する。それはリアルではない、物語のなかで端役としてどうでもいいように死んでいくだれそれにも、実は何十年かの人生があり、かれが死ねば泣き叫ぶ家族があるのだと、そう告発する。もっと想像力を働かせろ、物語が切り取っている部分が世界のすべてではないのだと、そう思い知れ、と。
あまりにも「正しい」告発である。わたしはうなずくことしかできない。その通りだからだ。しかし、同時に、人間は「愛という名の差別」から自由になることはできないこともまた事実なのだ。
わたしたちは物語を通してその登場人物に愛着を感じ、その人物を「特別」にしてしまう。ほかのどうでもいい脇役、端役に比べ格段に重要ないのちだと錯覚してしまう。決してそうではないはずなのだと、理屈ではそうしりながら。
物語にひそむ、この「愛」、この「差別」は、本質的にどうしようもないものだ。どれほど批判されても、わたしたちはこの構造から抜け出すことはできない。これは人間の「愛」の限界でもある。わたしたちは、物語的に理解できない百万人の死より、物語として理解できるひとりの死のほうを哀しむ生きものだ。わたしたちは物語を通してしか世界を把握できない。
そして――『スロウハイツの神様』は、『ぼくらの』とは対照的に、物語を称揚する。物語の魅力、その迫力、ひとを天上にまで導くその圧倒的な力の賛歌をうたい上げる。物語は素晴らしい。それはひとの人生をも変える力をもっている、ほんとうに素晴らしくまたうつくしいものなのだ、と語りあげる。
そして辻村はそれをひとつの物語のかたちで表そうとする。この物語の最終章のもつ怒涛の迫力はどうだろう。わたしは思う。あまりにも不自然だ、こんなことがあるはずはない、と。しかし、その一方で、わたしはまた思う。これこそ世界だ。このようにありえないことがじっさいに起こる場所、それが世界なのだ、と。
そうだ、ご都合主義かもしれない。やりすぎかもしれない。何かが過剰で、しかもべつの何かが過少であるのかもしれない。しかし――しかしそれでもなお、この物語は、わたしの心を打つ。ここで語られているものは、ある人間が生み出した物語が、ほかの人間の心を捉え、その人生を変えてしまうことはありえる、奇跡は起こる、という信仰だ。
その奇跡の瞬間、灰いろの生は輝きを取り戻し、彩りを増し、信じられないようなうつくしさでわたしたちを圧倒する。それをまえにして、わたしたちは思うのだ。ああ、生きていて良かった。生まれてきて良かった。
この世界は暗黒かもしれない。人間の宿命は絶望かもしれない。それでも、ここに一冊の本がある。一篇の物語がある。それははるか遠く、わたしをしらず、しろうとも思わないだれかが、それでもわたしに向けて放擲したメッセージボトルだ。それは長い長い旅の末、ついにわたしに届き、そしてわたしの生を変えた。
ああ、それはなんて素晴らしいことなのだろう。その「エウレカ!」の瞬間、わたしの世界は黄金の光に包まれる。エウレカ! わたしは見つけた。わたしはついに見付け出したのだ。生きる理由を。それは一作の、ただおもしろいだけの物語だ。しかし、その物語があるだけで、この世界の地獄のすべては許せる。
愛しているよ、とわたしは思う。この世界を愛しているよ。どうして愛さずにいられるだろう。このような物語を生み出したその母なる世界を。この物語が生まれえたというだけで、すべての悲惨、すべての苦しみは許される。それほどに、わたしはこの物語を愛している。
kaienさんには「ワールド・イズ・マイン」の感想を書いて欲しいと思った。
どちらかというと「ぼくらの」寄りの作品だと思うんだけれども、しかし「スロウハイツ」的な部分も感じる。
物語とか世界というより、人間そのものが大好きな人が書いた作品だと思う。
なので、こういう作品をkaienさんがどう評価するのか読んでみたい。
ある種のポエムは、書き手が何かを隠蔽したいと考えている時に立ち現れる。書きにくいことを書かねばならない時や、書くべきことを書かずに済ませようとする時、散文は、詩の似姿をとることで、その場をしのぎにかかるのだ。卑近な例では、グラビアのキャプションがそうだ。アイドル水着写真には、必ず編集部のオヤジが書いた似非ポエムが添えられる。「ク・ミ・コ。声に出して言ってみる。ボクの心の日記帳はキミの名前でいっぱいなのさ」こんな詩は単独ではもちろん成立しない。が、グラビアがポエム抜きで成立しないこともまた事実で、結局、グラビアを見ている少年の恥ずかしさは、添えられたキャプションのこっ恥ずかしさで中和しないと解毒できない。そういことなのだ。
格闘技のイベントでも、リングアナウンサーの語りはいつしかポエムになる。「孤独な求道者の鉄の意志とぉー、血に飢えたプレデターの魂がぁー いまぁーリングに連なる獣道でひとつになったぁーーー。宿命と呼ぶにはあまりにもうつくしいー、バーリトゥードの旋律がぁ、いまぁー幕を切って落とされたぁああああ」こういう時、「旋律に幕なんてあるか?」 と突っ込む者はいない。ポエムは、殺伐とした空気を撹拌するための風だ。意味なんか要らない。むしろ、意味は有害。リングサイドの男たちは、あまりにも興奮していて、ポエム以外の日本語が理解できない。それだけのことなのだ。
神様のメモ帳とかまさにそんな感じ。読んでてイライラするのだな。
だから 前の時のように墓を暴いてまで自体を追求する義務はない。
「・・・証拠が見つからなかったら、適当に決めつけろってこと?」
「きみはどうしようもなく散文的な男だな」
終始こんな感じ。めんどくさい。アメリカドラマ好きな人が見たら発狂するレベル。
ポエミィや電波なヒロインと、どこまでも散文的な主人公。奇想天外なヒロインの行動を主人公がちくいち解釈する。
あるいはその反対の中二病の主人公と、現実的な幼なじみ。突飛な主人公の行動をちくいちたたきつぶすヒロインを見せる。
こういった組み合わせによって
人生経験も感性も乏しい読者に対して彼らにでもわかるような卑近な物事を、
電波なヒロインをドラッカーにかえたら200万部オーバーの作品ができることもあるわけでこういうものに対するニーズは根強くあるんだろうな。
もちろんそれ「だけ」と言いたいわけじゃない。ラノベ大好きだし。当てはまらない例のほうが多い。
やれSFだとかそれファンタジーだとかいけ魔法少女モノだとかまたゼロ年代だとかいう文脈で語られるまどか☆マギカ。
だけど私は思う、まどか☆マギカは徹底的なリアリズムだ、第三話以前と最終回を除いて。
もっとも、その除かれた物も、現実の只中にある視聴者が希求してやまないものだった。
一部の人間は日常の延長としての水着回を、あるいは美化された青春に永く留まっていたかった。
現実を突きつけられた視聴者は少女たちの救済を願って止まなかったし、事実それは達成された(視聴者の意図とはずれようとも)
少女たちは友人の死、避けられない宿命、隠されてきた歴史、対価と代償、資源枯渇の様々な現実を見せつけられ、翻弄された。
そしてそれは「よりよい終末」という政治的な解決(そしてそれは因果律を書き換えるほどの困難)によって救われる。
さて、なぜこれがリアリズムなのか。
数年前、蟹工船がブームになったのは、まだ記憶に新しいだろうか。
内容や当時の潮流などはさておいて、平成の世にまたブームが巻き起こるのは当然理由がある。
もちろんそれは今でも色褪せぬ現実がそこに描かれていたからにほかならない。まさに共感による再燃である。
つまり、文学的、思想的な背景は無視され、そこに描かれた現実のみが人を動かしたのである。
むろん、そこからの解釈は薄いと言わざるを得ない。表層的な一致が、ブームにつながったのだから。
しかしながら、それは今となっては関係がない。理解の程度はブームとは無縁なのは、バナナダイエットが示したとおりである。
さて、リバイバルヒットというのは、ときに悲しい事実さえも教えてくれる。現実は変わっていないということだ。
悪く言えば、成長していないということでもある。
いつか働かなくても生きていける社会が来ると、望んでは嘆き、を繰り返す。
そしてまた時が経って再評価されるのである。
いつか、まどか☆マギカが忘れられたときに再評価されるだろうか?
それはわからない。
報われない彼女らと、報われない私を重ねて。
私は卒研のテーマに「ゲームをする人」を掲げ、一年間自分のやりたいことを自由にできましたので、非常に幸せでした。ですので、後輩にもぜひ好きなテーマで卒研をして欲しいと思っていました。
私の同じ研究室には、3年生の後輩の一人に、「ライトノベル(以下ラノベ)を読む人」をテーマにして、実際発表した後輩がいました。しかし、後輩に「今の自分の研究テーマをそのまま卒研にするのか?」という旨を尋ねたところ、悩んでいるという回答が帰ってきました。
どうやら、発表の反応が鈍いことで二の足を踏んでいるようでした。
そこで私は思い切って、「この世の果てで恋を唄う少女YU-NOのwikipediaの考察がいかに素晴らしかったか」という話をしたかったのですが、酒の席であること、他の後輩もいたこと、説得力に欠けていたこともあって、遺憾ながら場は白けて終わってしまいました。
また、「この世の果てで恋を唄う少女YU-NO」は「アドベンチャーゲーム」の代表例として実際に卒業研究になっているようです。
これらを編集、記した方々は私よりも遥かな、確かな、達成感・効力感を持っているに違い有りません。(実際、素晴らしい考察だと思いませんか?)
他にもネットを探すとユニークなテーマに出くわせます。例えば「プロ野球選手と結婚するための方法論に関する研究」なんて研究もあります。
卒業研究は、CiNii - NII論文情報ナビゲータ ((http://ci.nii.ac.jp/))で検索しなくても大学生ならば、各々の大学の概要集を捲れば自然と笑みがこぼれるものです。
たしかに、「好きだからテーマにしますたwwwサーセンwww」なんて動機は発表までに、必ず根本的で大きな壁とぶつかり、ツケを払うハメになるでしょう。ですが、学生の本分は研究です。研究について真剣にできるならば、それが真に正しい姿だと思います。
もう一つせっかくですので、私がなぜ「ラノベを読む人」が素晴らしいテーマだと思うかについて書きたいと思います。
論文とは「問い」です。一般的に論文のテーマとなる問い(リサーチクエスチョン)は根源的な、直感的なものが白眉であると知られています。
「ラノベを読む人」で解釈すれば、「ラノベを読む人はなぜラノベが好きか」ということになるのでしょうか?
これはなかなか直感的だと思います。もちろん、大きな欠陥があることも否めません。それは、村上龍のこの箴言に集約されていると思います。
「「好き」は理性ではなくエモーショナルな部分に依存する。だからたいていの場合、本当に「好きなこと」「好きなモノ」「好きな人」に関して、わたしたちは他人に説明できない。なぜ好きなの?どう好きなの?と聞かれても、うまく答えられないのだ。「好き」が脳の深部から涌いてくるもので、その説明を担当するのは理性なので、そこに本来的なギャップが生まれるからだが、逆に他人にわかりやすく説明できるような「好き」は、案外どうでもいい場合が多い。」
つまり、「どう好きかは聞き出せない」という点です。聞き出せないならば、研究意義はないのでしょうか?それは違うと思います。つまり、いままで『「説明でき」なかったであろう「好き」の理由』を導ければいいのです。
そのためには、誰よりも人一倍考察が半ば前提的に必要になると思いますが。(私も自分の先輩に研究前にコテンパンに全否定されましたが、それがあっての卒業研究になっています。)私の後輩の考察は活き活きと良く出来ていた分、勿体無いという感情がたしかに私の中にはあるのです。
さて、前提的な考察は、すなわちラノベの「定義」と、研究する「意義」とに、密接に関わっていきます。まず、ラノベの「定義」ですが、混沌としているようですね。
程度で良いと思います。「読む人」に焦点があるならば、よく読む人はおそらく青少年から成人男性(20~30代)でしょうから。(成人男性が青少年対象の小説を読んでいる点は「オタク」で考察・解説すれば重複すると思うので、日記では割愛します。)
また、文学・物語といった点に対する「ラノベ」の遍歴も欠かせないでしょう。ここで、古めかしいものとの接点を設けること、考察をしてるサイト、本から概念を引用することが結果を導く前から既に必要となります。
例えば、物語的に観れば大塚英志が提唱した「物語消費」がありますね。また、ラノベではありませんがアドベンチャーゲームとの類似点があると思います。
ライトノベルにおいてもゲーム的な世界観が必要であり、大きな影響を与えてきたということは言われていますね。
オタクたちのメンタリティには、教養主義や文学性を引きずりながらも、シミュラークルに代表される動物的な消費社会の波に骨の髄まで浸かっているという両義性がある。という指摘をした東の「動物化するポストモダン」(1・2)も取り入れられると思います。
ここで、「外部性」や「キャラ萌え」(この日記では、美少女キャラに限定します。)が「文学としてのラノベ」のキーワード(カテゴリー)として浮かび上がってくるのです。言い換えれば、「外部性」は「社会性」、「キャラ萌え」は「女性性」にあるといえるでしょう。
ところで、先ほどラノベの定義は「混沌」としていると述べましたが、同じく「混沌」とした定義の文学に「SF」がありますね。
サイエンスフィクションもまた、外部性の幅が限界まで拡張されることによって何十年も前から定義は揺らいでいました。
小谷真理の『女性状無意識』に対する松岡の批評です。なお、小谷真里は、SF研究者であり、ラディカル・フェミニストであるそうなので「文学としてみたラノベ」を知る上で意外に検討する必要があると思います。
最初にハーバード大学のフェミニズム文学者アリス・ジャーディンが「ガイネーシス」(女性的なるもの)という言葉を造り出した。 (中略) テクノガイネーシスはそれにもとづいて提案した新概念で、
父権的な社会が蔓延するなかで女性的な無意識の紐帯が結ばれていく可能性を示していた。
長いあいだ、文明の基準や男性覇権社会の価値観のなかでは、普遍的すぎる母性、すべての他者をとりこむ包容力、あるいは基準をいちじるしく逸脱する狂気、説明のつかない無意識などは、しばしば社会の外部に押しやるべき面倒として片付けられてきた。中世の魔女裁判だけでなく、近代以降も「女子供の戯言」として片付けられ、20世紀後半になってもこの傾向と対決するためのウーマンリブ運動やセクハラ問題が噴出してきた。
では、そのように外部に押しやられた意識をつなげたらどうなのか。あるいは、家庭という内部(実は外部的辺境)に押し込められた意識といってもよい。男性から見れば、多くの家庭は基準社会の外部にあたっているからだ。 ジャーディンはこういう問題を引き取って、そこにはそのままこれらを連鎖させるべきメタネットワークがありうるのではないか、それは女性的無意識を象徴するガイネーシスになるのではないかと見た。
それにしてもいつのまに、女性こそが文学の可能性と限界を語るに最もふさわしい発言者だという情勢になっていたのだろうか。
まずはエレイン・ショーターが父権的文学規範の修正を迫ったそうである。ついでパメラ・サージェントが『驚異の女性たち』のなかで、メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』に始まる女性SF史がありうることを指摘した。他方、これに呼応するかのようにして、陸続とサイエンス・フィクションに挑戦する女性作家が出てきたようだ。 そこで、ヴァージニア工科大学の英文学者マーリーン・バーが「女流SFとフェミニズム理論には相似的な進行があるのではないか」と指摘した。
(中略) なぜこういうことがいえるかといえば、マーリーン・バーによると、多くのSFは“外部の他者”を描くわけだけれど、そこには現実を超えた出来事があまりに現れすぎて、文学的にはサブジャンルに追いやられるようになっていた。
しかし考えてみれば、そのように追いやられる宿命をもっていたのは、実は“外部の他者”の扱いを受けつづけてきた女性なのである。これではSFとフェミニズムとが連関していて、まったく当然だったということなのだ。
ということで、ここでは「外部の他者」たる女性と文学との密接な関連がみえてきました。これは美少女に「キャラ萌え」する「ラノベ」も他人ごとではないのではないでしょうか?
では、そもそも男性にとっての「女性」とはどういうものなのでしょうか?もはや哲学の領域に関連しているように私には思えます。
そこで、デリダにとっての「女性」というものを引用します。ちなみに、「動物化するポストモダン」の著者であり、前述した東は
「【デリダとは】仏哲学者。20世紀のすぐれた哲学者の常として「哲学なんていみなくね?」というのをすごく哲学的に言って、ややこしくなってしまったひと。でも基本の着想はいいので哲学の呪縛から解き放たれればいい仕事できた可能性がある。」
とツイッター上で紹介しています。* ((http://twitter.com/hazuma/status/24868908779446272))
デリダは、「真理が女性であるとすれば」という『善悪の彼岸』冒頭のニーチェの仮定から出発して、「女性というもの(=真理というもの)」は存在せず、したがって「性的差異というものも存在しない」という驚くべき帰結を導き出している。(「性的差異」の問題が重要ではないと言っているわけではない。逆に、デリダは、ハイデガーのニーチェ読解には、「存在論的差異の問題」はあっても「性的差異の問題」がないことを問題にしている。)
ニーチェは『悦ばしき智彗』の中で、「女性たちの最も強力な魅力は、それを遠方性において感じさせること」、つまり「遠隔作用」だとしている。
女性の魅惑を感じるために、「遠隔」が必要なのであり、遠隔のところに身を置くことが必要なのである。
女性というものは、「遠ざけるものであり、自分自身から遠ざかるものなので、女性の本質は存在せず」、「女性の真理は存在しない」。
女性は、真理が存在しないことを知っているのであり、真理の存在を信じない限りにおいて、女性であり、真理であるのだ(女性の本質、真理の本質は、それが存在しないということであり、自分が存在しないということを知っているということである)。
実際のところ、「女性=真理」を信じているのは、「男性」なのである(この意味で、フェミニストの女性たちは「男性」なのであり、「フェミニズムとは、それによって女性が男性に、独断論者の哲学者に似ようとする活動」だということになる。)
ニーチェの『善悪の彼岸』の「序言」の冒頭は、次のように始まっている。
真理は女性であると想定すれば、すべての哲学者たちは、彼らが独断論者であったかぎりにおいて、女性たちをうまく理解できなかったのではないかと疑うべき理由があるのではなかろうか。
そして、これまで彼らが真理を探求してきた際の恐るべきまじめさ、不器用な無遠慮は、女の子をものにするためには、拙速で不適切なやり方だったのではないか。
デリダは女性も真理も、与えることによって所有するのであって、こうして贈与=所有も非弁償法的な決定不可能性は、あらゆる存在論的、現象学的な解釈の試みを失格させてしまう、とした。
つまり、贈与に先立つ固有なものの存在がないのだから、女性(真理)というものはないのであり、性的差異といういものはないということになる。という帰結に至った。
見事にややこしいこの解釈から、女性の振る舞いは虚構的であるという面ががわかってきたのではないでしょうか。
ニーチェは芸術的と指摘しましたが、遊戯的、ゲーム的と捉えても過言ではないでしょう。
であることがわかります。(また、女性性を獲得し、同時に女性に所有されたいという願望を解消するメディアとも解釈できます。)
十数年前に、男性オタク達は「萌える」という言葉を発明した;「萌える」という言葉を使えば「セックスしたい」「愛してる」といったストレートな表現を避けながら、美少女キャラクターへの思慕をオブラートに包んで表現できる
という指摘もあります。
例えば、オタクにとっての現実における外部性にインターネットがあります。
○オタク男性であろうツイッターユーザーのアイコンが、イラストやアニメの美少女アイコンである可能性が高い点はオタクにとっての外部性を無意識に象徴しているのではないでしょうか。
また、ラノベ作家は決して女性が多いというわけではないですが、その必要はなく、いわゆるユングの提唱したアニマ(男性の女性的側面)による手で書かれている点、それがラノベを好む多くの男性読者に受け入れられている点こそ検討すべきでしょう。これはつまり、女性を真理とするのではなくアニマこそを真理とするさらなる「遠隔作用」をもたらしているとも考えられますね。
このアニマを真理とすることによる遠隔作用の効果としての共時性が
先程のツイッターのイラストやアニメの美少女アイコンを無意識的に選択させる要因になっているかどうかを検討することは興味深い対象ではありませんか?
以上より「ラノベ読者はなぜラノベを好むか」という問いの考察を注意しつつ踏まえ、ラノベ読者(男性)の実際に構築しているコミュニティ、家族間の関係、他の好きなメディア媒体等について研究することは簡単には説明できなかったラノベ読者の感性、つまり一つの社会的な側面を知る上で、大いに意義があると思うのです。
○ラノベの本質は-文学であり-女性性であり-外部性であり、それがラノベ読者の実生活と対照的にどう関わるかが重要なのではないでしょうか?
今のブームは「うしおととら。」
学校で孤立している少年にうしおのお父さんが、「理不尽」について話していた。
ひねくれて周りに対して背を背けていたから。
でも、周りを見ると、中学生で周りから勝手に、妖怪退治の宿命を背負わされたうしおがいて、
そもそも世の中には、そして誰しも「理不尽」なことがたくさんあると言った。
それに対して、背を背けるばっかりでいいのか。と話す。
生きていく中で、どうしても「理不尽」に見舞われたり、目の当たりにすることがある。
それに対して、その人がどう思うか、どう対処するか、どう事前処置をしておくか、
そういうのは、その人の人間性をみる上で、重要なタームだと思える。
・例えば、自分が起こしたこと、やりかたによっては防げたことに「理不尽」って免罪符を貼りつけ、悲観したり、自暴自棄になること。
・真の意味でどうにもできない理不尽にただもやもやする。いい意味の諦観がもてないこと。
・なんとかできる理不尽を、放置して、世の中に悪態ばかり付く人。
・理不尽が、自分で解決できる類かできない類か他人の協力を得ればできる類か判断しようとしない人とか。
アクシデントが起きたときにその人の本質が見える。と聞いたことがあるが、
今就職難で、氷河期以上とか言ってるけどさ、正直働いている側としては今すぐにでも辞めたくてしょうがない。贅沢な悩みだとか、勝手に辞めて採用枠広げろとか思うかもしれんが、そんなこと言われなくてもうちの会社では若い人が毎年5人以上辞めている。100人規模しかない会社で。そして2年ほど前から新卒の採用はストップしたままだ。
俺が就職したのはちょうど4年前で、新卒の雇用状況が改善されつつあると言われていた時だった。会社は50社ぐらい受けて実際に面接行ったのが30社ぐらい。そのうち内定は3社。大学はDランクぐらいかな。俺はいわゆる普通の学生だったから希望も大志も無く、内定した3社のうち今の会社を選んだ理由は休日が一番多かったから。年間125日だったかな。実際取れてるかわからないけど、土日祝日は基本休みで、GW、盆、正月も普通に暦通り休み。まあ取れているだろう。3社とも当時はそんなに内定を取るのが難しくない(今でもそうかもしれない)業界だった。メーカー直販の車の販社と、資格学校の会社、あと不動産系の会社だった。自分はどれも興味が無かったが、かといって興味があることなど無いので、いちばんマシそうなのを選んだ。労働条件という意味で。
辞めたところで仕方が無いし、お金ないし、底辺の生活が確実に待っていることはわかっているんだけど、それでも今の会社に勤め続けるのは吐きそうなぐらい嫌だ。何が息詰まるかというと、この会社機構というか、組織形態というか、システムというか、毎日通うのが嫌でしょうがない。毎年辞めて行ってる5人が俺と同じような理由で辞めたのかはわからないし、そこらがその後どういう仕事をしているのかわからないけれど、今の仕事は介護でもしているかのようだ。イエスマン、ご機嫌取り、ヨイショ、それが仕事。特に、社内に対して。社外にはまだ真っ当に仕事を進めているが、それでも社内から、「こういう仕事の仕方をしろ」と、ご機嫌取り、ヨイショを勧められる。アホらしくて反吐が出る。それをやる方も、それをやられて喜んでいる方も、それで成り立つ関係も、社会も。
嫌なことも我慢するべきだとか、仕事なんてそんなもんだとか、サラリーマンの宿命とか、そうやって成長するんだとか、上の世代にはそういう意見が多いだろうけど、実際のところ嫌なことを毎日続けるのは人としてどうかと思うし、限界が来る。外人から見たら頭おかしいって言われるらしいじゃない?日本のサラリーマンって。そして、実際にそういう嫌なことをずっと続けてきたジジイたちが犯罪に手を染めたり過労死したりリストラされたり、今となってはジジイたちの意見がとても正論じゃない、むしろキチガイじみた妄信だという現実を我々は目の当たりにしているよね。
でも、よく言われるように、「続けるも地獄、辞めるも地獄」でしかない。転職という形で辞めた人が実際は多くて、彼らが新しい職場で悠々自適でいるかは不明だが、そのうち2人は公務員になっていたり、いわゆる社員からみた優良企業に転職していたりする。実情、内心はどうだか検討はつかない。彼らは辞めてからも新たな地獄が始まっただろうか。どちらにしても、俺が辞めるとしたらどうせ地獄だ。俺は夢や希望があってやめるわけではないから。そんなものは元々存在しないし。じゃあどうすればいいだろうか?まず、続けることが出来るだろうか?続けるべきだろうか?やめたとして、生きていけるだろうか?その生活は、今より苦痛の少ないものだろうか。ジジイたちは続ける地獄を選んだ。俺にとっては、どちらの地獄がマシだろうか。
個人的には、外国に移住してみたいという気持ちがある。言葉もわからなし、専門的な技能があるわけでもない、外国人は差別されるだろうし、仕事なんかないかもしれない。住むところもままならないかもしれない、その日暮らしもままならないかもしれない。だとしても、この日本の閉塞感は耐え難い。
既存漫画にユーザ参加で格付けする大手レビューサイトはない。おそらくあっても個人の感性によるところが大きすぎるために、信者やアンチの争いを招く結果になるんじゃないかなと思う。
また漫画家視点で見ると、もちろん読んで欲しいという願いはあるからこそ公開しているのだと思うけど、過剰な人気を得たくないといった漫画家もいると思う。アンチが付くほど大人数に読まれたいわけじゃない、自分の周りの一定人数にだけ読んでもらえればいいという層。もう一つ重要なこととして読者が増えるほどサーバ負荷も増加するというweb漫画の宿命がある。
ついでにもう一つweb漫画の弱点を上げておくと、面白いweb漫画でもサイトのクローズとともに失われてしまうということ。高い評価のweb漫画を読もうとしたら、或いは数年ぶりに続きを読もうとしたら、サイトごと閉鎖されていたという経験はweb漫画読みなら遭遇したことがあるんじゃないかな?この辺りのフォローも課題になると思う。単に作品を永続させればいいという問題でもなく難しい。未熟な作品が残り続けるのを嫌がる作者や、商業化に伴ってweb版は削除したいという考えも一定あるだろうし。