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2024-04-24

真夏の豊穣の豊かさに比べると、冬枯れの無機能の美しかない今にあっては」という表現は、東大文学部卒で昭和50年代一世を風靡した串田孫一エッセイ表現である

   串田孫一   東大文学部卒   詩人  エッセイスト  評論家

   1964年頃から活動していたが、男として頭角がなく、昭和54年以降の女性時代になって、その独特の性狂いのエッセイが大流行し、一世を風靡した。

  「真夏の豊穣の豊かさに比べると、冬枯れの無機能の美しかない今にあっては」というのは、串田孫一の、エッセイの一節である

   ここでいう、冬枯れの無機能の美というのは、現在警視総監である小島博史が書いているようなゴミの事である。これをあえてゴミと強く表現する必要はないにしても、宮崎県警通信指令課

 宮崎県警本部長が最終的に書く行政処分書が上記のものに該当することは明らかである代表

  著作は山岳文学画集小説人生論、哲学書翻訳など多岐にわたる。詩集『羊飼の時計』(1953)、『山のパンセ』などが主著。

  実際に流行ったもの

『山のパンセ実業之日本社 1957 のち集英社文庫岩波文庫・ヤマケイ文庫

串田孫一断想集』大和書房 1964

現代人生全集11 串田孫一集』雪華社 1966(のち私の人生10 串田孫一日本ブックエース)

『光と翳の領域 随想集』講談社文庫 1973

『Eの糸切れたり』時事通信社 1987(のち平凡社ライブラリー)                  

『もう登らない山』恒文社 1991

『星と歌う夢 最新エッセイ集』平凡社 2003

2024-04-20

   興味がない者に対してどうやって好悪の前者の感情が成立するのか理解できないという他がない。 やはりそのかたちをするしかないのだろうか?

                                                                結論構成する理由

        興味がないかそもそも見ていない         好             悪

            斎藤秀司               ×             〇                 意味不明目的のない授業の垂れし。

                                                        幼稚で臭いし何の参考にもならない。

          8000円の黒の自転車          ◎                           もう2年乗り回している。

            笹目橋                              ×

            秋ヶ瀬橋               ◎

            小島博史警視総監                        ◎               新聞に載ってるだけの意味不明な糞

            品田幸男                            ◎             くそまらん決定文の理由

             おぺち               ◎                            Twitterを見る限りでは、というだけ。

             ぺこーら               ◎

            彦田まり恵                            ◎              ゴミ

            健康管理小島            ×             ◎              経過票に相当悪いように記録している。

             乙黒                                        まだ見てないし見る気もない。

             高橋                              ◎

             宮脇               ◎

             中谷               ◎

             立野玄一郎            〇

             木田

https://anond.hatelabo.jp/20240420052911

   その土地定着物は全部不動産であるというところを、立木法は、動産であるとみなしているので、なんでそんなことができるのかと言うことになったときに、

民法内田貴が、教えなかったから終わった。

    次に、警視総監の、小島裕史の専門は、警察行政法なので、 立木法などの民法特別法不動産)についてはないので、 供述調書は、 条例刑訴法適用していない

  という程度の技術はあるが、民法については返答がない。

    高野伸は昭和54年から民事行政検事刑事全部やって来たから格上だが、 吉崎佳弥、任介辰哉は30年間ずっと刑事刑事のことしかからないし頭も腐っている。

  最近はその辺はもう飽きられていて、東京大学では理学部数学科が熱い。

    

2024-04-16

anond:20240416092616

エロゲに限らん話だろ。小島ゲームは大体そんな感じだし。ストーリーシステム関係性は、制作者の哲学が出る部分。

2024-04-14

  令和6年4月12日  記録

    主からスーパーで買っているもの領収証の提出があった。同じような弁当類を買っている様子。  ※ 正確には弁当は買っていないが、出来合いのそば商品名に入っているとき弁当

                                            書いたものだと思う。

    野田省治、須佐医局長、健康管理小島とも一致して、平成24年の偽計業務妨害有罪判決で黒羽刑務所に行ったという点に固執している。

  あれは子供が間違って書いたものである意見福祉事務所でも決して出ない。  荒川河川敷における拡声器使用による騒音迷惑をしている人がいる・・・

   という点をデータに入れており お前警察に使わせようとしとんのやろ。  正確には荒川河川敷は非常に広域一帯にわたっているが、 舟渡2丁目にある、 荒川緑道である・・・

  そこには確たる名称はついていない。 平成23年9月から供用開始した中央行政スーパーコンピュータに入れたくない事実に関しては執拗に記録しない姿勢が強く、

   極めて醜悪で悪質。

2024-04-13


    延岡に帰っている間にやっていたことと、コンビニ領収書を謄写して書類にまとめて福祉事務所に提出し、小島高橋がつけていた記録を書き換える。

2024-04-12

anond:20240412145619

まあ俺も小島平仮名でこじまって書いたら戻されたことあるから

おじまだったらしい

2024-04-11

https://anond.hatelabo.jp/20240411174239

    東大法卒とかそんなものはない。卒業したときはあったかなかったかという状態だったが、その後に一回終わって、肥後った。肥後っているところを黒羽刑務所

   美しくして今があるという核心事実に話が及ぶと、小島須佐高橋も逃げるといった状況。

2024-03-26

anond:20240326223904

一方自民党議員10女性強姦して金を奪った

https://www.asahi.com/articles/ASP836KH8P83PLZB00K.html

京都府警は3日、自民党滋賀県事務局長小島雄一郎容疑者(43)=滋賀県栗東市=を強制性交等や窃盗の疑いで逮捕し、発表した。「合意の上の出来事だと思っている」と供述しているという。

 伏見署によると、逮捕容疑は2月3日夜、京都市伏見区の飲食店駐車場で当時高校生だった女性(19)を車に連れ込み、滋賀県草津市性的暴行を加えたというもの。車内で女性の財布から現金約2万5千円を奪った疑いもある。

2024-03-22

   From    俺

   To    健康管理士 小島

  フルニトラゼパムアメルとクエチアピンが大量に余っており、帰宅旅行費用父親から中々用意できないので、本日の16時には病院には行かれない。以上 

2024-03-20

anond:20240320093951

海外旅行好きの女性って何か特徴ってあるのかな。

そういえば旅行好きにしばしばみられる行動として、訪問場所の事前チェックがある、とふと思った。

国内海外わずだし、男女問わずだけど。

旅行に行く前の準備行為として、絶対に逃すべきではない場所食べ物を入念にチェックする。

現地でセルフィを撮って、インスタなどSNSで送る、という行動がみられる。

最近では、インバウンド来日する外国人にとてもよくみられる光景だ。

映え写真をとっては、憧れのいかにもNIPPON!な光景に興奮して即座にSNSで送る。

旅行好きの人たちにみられるこれらの行動は、スタンプラリーとほぼ同じ意味を持つ。

日常との差異体験やよその世界ちょっとだけ繋がったりできたことの証明自己顕示が欲しいのだ。

その意味で、他の人のインスタと同じ構図で撮影することが現地に到達したこと証明するうえでとても重要

このような形で消費される、「日常では手に入らない新しい体験」は、要するに、「ごっこ」であり、エコツアーにしてもアグリツーリズムにしても何しても、

現地との関係性を一瞬だけ体感できる、という意味で、旅行者が憧れていた「日常との差異」や「関係性」を消費する行動なんだろうな。

さて、それが近年の傾向なのか?というと恐らくそうではなく、これは、かつての絵葉書を送るというスタイルから変化した形で、

東海道五十三次時代からそうであっただろうし、男女にも差がなく、古今東西それほど大きな違いはなさそうだ。

日常との差異を消費し、疑似的な関係性に癒されるというのは、昔からあったのだろう。

ところで、僕は男性で、わりと旅行好きというか、仕事柄、年がら年中、スーツケースをころがしている。

そんな男性立場からみて、女性のほうが傾向として強く、逆に男性に弱いことでひとつだけ思い当たることがある。

それは、旅先で一時的体験する関係性を、その後も持続させようとする傾向だ。

旅先で知り合った人とその後も連絡を取り合ったりとする傾向は女性のほうが強い気がする。


「おもいでぽろぽろ」というジブリ高畑勲監督映画(1991)がある。

都会育ちのOL女性田舎暮らしに憧れる、というところからスタートするこの物語は、農家体験をしてゆくうちに気持ちが変化し、

最終的に田舎暮らし決断するところで終わる。

この映画場合、旅先の地に女性を迎え入れる男性やその家族という存在があるが、

いろいろふりかえってみると、必ずしも現地にそのような迎え入れるひとや団体がなくとも、旅先で憧れた現地に、そのまま飛び込んでいく女性というのをしばしばきてきた。

アジアアフリカ中南米で。かつて、「なんでこんなところに日本人」という世界の片隅で暮らす日本人を紹介するテレビ番組があったが、その番組で紹介しているのも、若い女性の活動が目立っていたように思う。

「男女差」という視点で、いろいろ参考情報をみていくと、例えば

海外留学の男女比も女性のほうが10ポイントくらい高いのだそうだ。

また、男女管理職別で見ると、男性は自社内のキャリアアップ意向が高いのに対し、女性男性よりも転職でのキャリアアップ意向が高いのだという。

男性女性よりも保守的で、外に関心がない、という傾向はそこから見て取れるのだが、

だが!しかし、、、、

果たして、そんなふうに男女差を単純に断じていいのか?とも思う。

それでも確証はないけれども、これらの数字が出ている以上は、それにむすびつく何かしら男女差のような背景はありそうだ。

まずは、男女共同が叫ばれつつも今をもって日本男性社会であるという事実から出発してちょっと考えてみる。

突飛な発想かもしれないけど、1970年代初めごろの歌謡曲で「瀬戸の花嫁」という歌を思い出した。

瀬戸内海小島へ嫁が嫁ぐ様・心情と、新生活への決意が歌われている。

あなたの島へ お嫁にゆくの 若いと誰もが 心配するけれど 愛があるから 大丈夫なの」

当時、女性が他の家に嫁ぐということは、程度の差こそあれ、この歌が表現しているように、

ホームからアウェイに飛び出してゆくことであり、その後一生アウェイで暮らす覚悟必要だった。

ドラマおしん」(1983年)も思い出す。朝の連ドラとしては異例の一年間の長編ドラマとなった「おしん」。

そこでは、さらもっと幼少のころから嫁ぎ先へとひたすらアウェイ過酷人生が描かれ、しまいには終戦時に夫が自殺し、どん底な半生が半年くらい描かれている。物語の後半では、敗戦後、残された子供を抱えて女手ひとつ小売店を立ちあげ、自立してゆき、やがて息子へ引き継いでゆく姿が描かれ、多くの女性共感を呼んだ作品だった。

孫までいるおばあちゃんとなったおしんだったが、おしんドラマは、事業を引き継いだ息子が無謀な事業拡大を始めたことで経営リスクに直面し、育て方を間違えたと自信を喪失したおしん過去を振り返るために旅に出るというシーンから始まっている。一年近いドラマの終盤300話くらいから、その伏線を回収し始めるという、息の長いドラマで、橋田壽賀子、すげえという感じしかない。

アウェイ世界でたくましく生き抜くおしんとは対照的に、登場する男性はどいつもこいつもダメな男ばかり、というのも印象に残った。

「嫁ぎ」に象徴されるように、簡単に引き返せないような事柄に身を投じるエネルギー、勇敢さ、芯の強さは、男性社会のなかで女性文化的に育まれものなのかもしれない。

昨今では、結婚就職になぞらえる向きもあるけれど、かつての日本社会はいったん他の家、姑の支配下に入ったら最後、そんなに生易しい現実ではなかったはずだ。

男性は芯がないくせに保守的で臆病だからこそ外の世界渡り歩いていて、仮に失敗してもギリギリホームにもどってこれる、みたいに何か安全弁のようなもの男性社会のものがもっていた。ふるさと家業を継ぐなんて選択肢が30代くらいの人生の岐路に用意されているとかね。

一方、女性は嫁ぐにしても出戻るにしても自分の居場所を確保するには厳しい世界

「嫁ぐ」という習慣、因習宿命からまれた、抑圧される女性の生きるエネルギーが、むしろ社会を変える力になってゆく。

これはなかなかパラドックスだと思った。

翻って、旅行好きの女性について思うことは、ホームグラウンドからアウェイ世界に飛び込むという意味

かつての日本によくみられた嫁ぐという宿命と旅は似たところがある。嫁ぐ行為が違うのは、それが片道切符であり、二度と戻れない覚悟必要だということだ。

若い女性にとって、日常空間から飛び出す、という旅行体験は、やがては「嫁ぐ」という運命現実世界で待ち構えていた時代には、疑似的に自分覚悟能力を試す場としてより大きな意味があったかもしれない。

嫁ぎ先である日本社会日本人男性漠然失望している場合

希望がもてなければ、いずれにしてもアウェイ世界で生きる宿命ならば、

いっそのこと、旅先の現地でとどまって残りの人生を過ごすことも選択肢としてはあり、くらいの感覚深層心理にあるのではないか妄想する。

一方で、男性のほうは、ホームグラウンドである故郷というもの概念として存在していた時代都市に何世代も定着した人口が急増したここ四半世紀より前の20世紀)は、旅というのは、違った意味を持っていたと思う。

かまやつひろしの歌で「どうにかなるさ」というフォークソングがある。

「見慣れた街の明り 行くなと呼ぶ」

この世界観は、瀬戸の花嫁のようなアウェイ世界で生きる覚悟は感じられない。アウェイでもどうにかなると思っているのだ。

なおかつ、ホームグラウンドを出て行ってもなお、温かい視線旅人である自分に向けてくれていると信じているのであり、「男はつらいよ」のフーテン寅さんとほぼ同じ世界観だ。

そういえば、寅さん映画も、旅先での関係性を持続できないということがひとつの大きなテーマになっていることに気がついた。


民俗学者宮本常一は、故郷を捨てて放浪する旅人考察した文章のなかで、そうした旅人

地元を去って放浪した末に、やがてひょっこりと故郷に戻ってきて、旅先で得た経験や新しい知識を広め、地域活性化寄与する機能果たしていたことを、

世間師という言葉表現した。そんなことも思い出した。

世間師というのは、故郷側の人間が出戻りの人間に対して名付けた呼び名で、一種の敬意が込められている。

嫁ぐということが待ち構えておらず、ゆくゆくは地域社会リーダーシップをとっていかなければならない男性潜在的意識として、旅は武者修行であったり、広く見聞を広め、世の中の解像度を上げるための行為だったのかもしれない。会社組織が全国各地の赴任経験を重視しているのも同じ価値観といえる。

かつて東南アジアへのセックスツアーなどがあったように、赴任先、旅先で恥をかき捨てるのも主に男性だ。

男の旅というのは、ちまちましたもの火遊びのようなもの。家から離れて外の空気を吸いたいというものだ。近所のスナックだったり、家庭が壊れないようにという不安があるからまり大きなことはできないが、脇が甘いから夫が捨てたラブホテルマッチを妻がゴミ箱から発見してしまう。やまだ紫の「しんきらり」という漫画では、そんな情景が描かれていたのを思い出した。

しかし、この四半世紀、女性社会進出や、結婚観は大きく様変わりし、嫁ぐということを前提としない将来像を女性模索する時代になった。

テレビドラマも、90年代以降、女性社会進出を反映して、トレンディドラマ代表されるように、キャリアウーマンがオシャレなレストラン食事する、みたいなシーンが増えた。

東京ラブストリーとか。憧れのロールモデルが描かれるようになったということだ。ドラマ世界にあこがれる、ということが90年代まではあり得た。

しかし、現実女性社会的地位はどうだったかというと、総合職課長以上に登れるのは一握りで、相変わらず賃金格差があり、お茶くみやらと男性社会における旧態依然とした女性役割押し付けられていたのが現実だ。その現実90年代ドラマショムニ」でよく表現されていたように思う。

しかし、時代は変わって、憧れの東京に向かって、急速に人が流入しつづける時代は終わりつつあり、受け入れるキャパもなくなってきた。

中長期的には東京一極集中トレンドは変わらないものの、それは不動産価格トレンドに連動したもので近隣県から流入が中心。一方で、田舎というベースをもち帰省必要な人というのは減っているのではないか首都圏の人は首都圏世代を重ねるし、地方の人は地方価値見出し仕事をみつけ、結婚し、次世代を育てる、という人口流動の安定期になってきたようにも思う。帰省という形でつながっていた地方ふるさとホーム)との関係が途切れてきているといってもいい。

そうなると、都会の人間地方に見出す価値というのものというのは、失われた関係性そのものに重きがおかれるようになるのは自然なことだ。

その結果、その後に続くドラマの傾向としてみても、女性理想像ではなく、もっと実態に即した現実を映し出す、自分探しのようなドラマが増えていったように思う。

一昨年のドラマファーストペンギン」とか「ユニコーンに乗って」なども、スタートアップ企業テーマ女性自画像模索した作品で、近年の傾向を象徴しているように思えた。

ファーストペンギン」のように地方移住テーマにした作品は、アウェイ環境女性ポテンシャルを試そうとするという意味では、「嫁ぎモデル」の延長線上にあるような気もするが、都会との関係性が交錯しながら物語が進むところに、考えるヒントを与えてくれるドラマではあった。


そんなことをおもった。そもそも旅行の話からはかなりズレてしまったけれど、女性が旅に何を見出しているのか、というのは女性人生観ということと絡めて考えてみると、興味深いテーマだとは思う。

とりとめもないメモです。

2024-03-18

   開けていて居住していないのに家賃の56300円が引きとおされているし、小島が3月22日までに絶対に戻ってこいという、武蔵野病院須佐が転院して診断を担当

   しない、同病院採血担当に怖いおばさんがいる、同病院が色々やっている、不審火が多い、などいい加減面倒くさくなったので、延岡に帰ろうかと思う

   東京にいても何もいいことがない。

2024-03-06

    本件の患者父親出所後の病状について、 おわったおさんらを交えながら、会合を開いたのは、令和2年12月以降のことであるが、その際に父親が自室に来て

  、これはオヤジたちが作るものである、とまではネタ晴らししたものの、患者にとって意味不明であり理解するのが困難であったこと、父親は、こっちは糞だぞ?などと言っていたが、

   抽象的な説明ばかりで何のことを言っているのか分からない時代であった。その後も様々な者が患者を混乱させるような言動を繰り返ししたため、患者が、社会対応について

  態度を硬化させ、ますます理解困難な状態になり、問題行動を招いてきたものである

     令和6年2月14日において臨場した女性巡査長も、こっちは最悪だから精神障害者としてデザインしたので、その手帳を誇りにしてやっていけといった説明でもあれば理解できるとしても

  患者理解できなかったものと解されるし、また、バクサイSNSなどにおける煽りあいまってますます理解できない状態になったものと解される。

   結局、患者が、現実東大法学部悪質性が飲み込めたのは、 健康管理士の小島が書いた自立支援医療の記録をバクサイに張り付けた翌日の9時57分に、暗殺される夢を流された

  時点である。むろん、令和5年7月15日、 9月17日には延岡市女性確認していること、9月26日に大分空港から帰った際にも、複数の者が、 その積極性説明しなかったこと。

   令和5年10月10日、10月13日に、自転車パンクさせるという方法により理解させようとした者がいたが、本人に対する理解になっていなかったことに加え、

  佐藤もぐらが、東大法学部としてデザインされると生命危険な爺になるのでやめておけ、精神障害者として雇用していると説明すれば納得されたものの、自転車パンクさせるといったような

 黙示の手段によるもので経過し、 令和6年2月10日に帰られた際も、クソ真面目な行動をしたために、多くの者から攻撃を受けていること。

   結局、正解は、 年金診断書記載されている薬を服薬して大人しく寝ているのが最善であるにもかかわらず、周辺の者がその効用説明しないため、合理的な行動がとれていない状態

  である

    

2024-02-11

anond:20240211230213

ゲームクリエイター作品だとアピールした先駆者から

ある程度規模が大きくなってきたゲームは一人で作るのが難しいからどうしても集団制作になる

集団になると関わり合う一人一人の個性は薄れて一人のクリエイター作品という印象は薄くなる

これは映画アニメでもそうだった

今時は宮崎作品庵野作品という意識大衆作品を見ているが、

平成の初期ごろまではアニメ監督の名前なんて誰も知らなかったし意識していなかった

ゲームでも事情は同じだが、

業界には自己顕示欲が強くてクリエイターとして自分名前を認めさせたいという奴らもいた

小島とか上田とかその類な

飯野賢治はそういう俺が俺がの自己アピール激しい連中の先駆者だったので、そういう奴らからリスペクトされる。それだけの話

2024-02-01

アンチンポです”

アンチンポです”との一致はありません。


アンチンポデス”

もしかして:アンチポデス”

検索条件と十分に一致する結果が見つかりません。

探しているページに表示されている可能性がある言葉検索してみてください。たとえば、「ケーキの作り方」ではなく、「ケーキレシピ」でお試しください。

お困りの場合は、Google での検索に関するその他のヒントをご覧ください。

またヒット件数が出なくなった(二件ヒットした)

Gmailの殿様商売といい

クソ広告乱舞といい

Google終焉は近いな


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%9D%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%82%BA%E8%AB%B8%E5%B3%B6

アンティポディーズ諸島またはアンティポデス諸島(―しょとう、Antipodes Islands[2][notes 1])は、ニュージーランドに属する火山島群。全て無人島である

スチュアート島の東南東約860km、バウンティ諸島の南約215kmにあり、水半球の中心付近位置する。この諸島は最も面積の大きいアンティポデス島(20km2)、その次に北に位置するボロンズ島(2km2)、そして多数の小島岩礁から成る最高峰標高366mのギャロウェイ山である[3]。

ボロンって

うぷぷ

2024-01-28

anond:20240127095345

誰も救ってくれないことと未来がないことに気づく⇨無敵化だと思う

 

小島一朗が無敵化したのは毒親から逃れる場所としての公園

安全を守ってくれるはずの警察から強引に退去させられたことがきっかけだったし

青葉真司が無敵化した頃は訪問医療につきまとうなと言っている

就労支援精神医療原作募集も彼を救うかのように錯覚させるが単なる養分吸収システムだったわけだ

困窮してる人でも救済を信じてる人は無敵化しないよね

2024-01-24

anond:20240123214345

首都の立地、考えだすと楽しいよね……

昔そこは国土の中心だった:コペンハーゲンデンマーク

デンマークといえば、みんな大好き「(植民地とかではない)メインの領土大陸にあるのに首都が島にある」2か国のうちの1つだけど(もう1つは赤道ギニア)、確かに現在の」地図を見れば、首都コペンハーゲンはずいぶんと端っこにあるように見える。だが、コペンハーゲンはもともと国土の中心にあった。現在スウェーデン南部スコーネ地方はもともとデンマーク領だったが、17世紀戦争スウェーデンに奪われたのだ。つまりコペンハーゲンは、ユラン半島スカンジナビア半島南端部というメインの2つの領土をつなぐ、ちょうど真ん中の位置にあったことになる。仮に東北地方ソ連に奪われていたら、東京はずいぶん国土の端っこにあるように見えるのではないだろうか。

昔そこは国土の中心だった:ソウル韓国

言うまでもないだろう。仮に将来南北統一が実現したら、ソウル統一コリアのど真ん中に位置することになる。

昔そこは国土の中心だった:ワシントンDCアメリカ合衆国

これも言うまでもない。独立当時のアメリカ東部の13州しかなかった。13州のうちの北部南部あいだの妥協案として南部に新しい首都が作られたが、地図を見ると、まあ、「真ん中よりちょっと南」の立地と評価できるのではなかろうか。

そこが国土の中心になるはずだった:ソフィアブルガリア

ソフィアはずいぶんと国土西側に偏っているが、本来はそこが国土の中心になるはずだった。20世紀の初頭、オスマン帝国バルカンに残されたマケドニア地方を周辺の3カ国が虎視眈々と狙っていた。セルビア語ブルガリア語の中間のような言葉を話すその地の住民を、セルビアセルビア人と呼び、ブルガリアブルガリア人と見做し、ギリシャスラブ化したギリシャ人の裔であると主張した。二度のバルカン戦争を経て、その地方は主にセルビアギリシャの間で分割される(このオスマンマケドニアのうち、セルビア領になった部分が現在北マケドニア共和国)。……そう、ブルガリアマケドニアという果実を得られなかったのだ。仮に幻の「大ブルガリア」が実現していれば、ソフィアは「大ブルガリア」の中心部位置することになっていただろう。

中間を取った……ただし、二大都市の:キャンベラオーストラリア

オーストラリアはもともと1つの国だったわけではなく、オーストラリア大陸に作られたいくつもの植民地が寄り集まって独立した国だ。独立するときに二大都市シドニーメルボルンのどっちを首都にするかでモメたので、その2都市の間に新しい首都建設することにした。つまり国土の中心ではないが、二大都市中間首都があるということだ。まあ、オーストラリア文字通りの中心、人住めなさそうだもんね……

首都が中心になるように国土を切り取った:パナマシティパナマ

交通に便利なパナマ地峡に街(パナマシティ)が作られる→交通に便利すぎて街のそば運河が作られる→アメ公大西洋太平洋をつなぐ運河支配権を欲しがる→運河地帯住民による独立運動を煽ってコロンビアから独立させる、という経緯で作られたのがパナマ共和国。つまり首都のまわりが国土になるように切り取られた国なので、国土の真ん中に首都があるのは当たり前なのだ

中心にある都市首都になれなかった:ブラチスラバスロバキア

ブラチスラバ国土の端っこにあり、立地的にはほぼウィーンであるスロバキアというのは、元々「ハンガリー王国北部スラブ言語を話す人たちが集住しているところ」に過ぎず、伝統的な行政区画を持っていなかった(これは「オーストリア側でスラブ話者がいっぱい住んでるところ」に過ぎなかったスロベニアと同じ。この2つの国名が似ているのは偶然ではなく、両方とも「クロアチア」みたいに伝統的な地域名を持っていなかったので、それぞれが「スラブ人の土地」と名乗った結果なのだ)。それが第一次世界大戦のドサマギハンガリーから分離したわけだが、当然「どっからどこまでがスロバキアか」という合意があるわけではなかったので、チェコスロバキアハンガリーによる実力での分捕り合戦になった。その中で、「大都市当社比)だし交通要衝からスラブ人率は低いけど占領しとこうぜ!」となって占領されたのがポジョニ、のちのブラチスラバであるブラチスラバはあまりに「国際色」が強すぎたので(20世紀初頭の時点で人口の4割がドイツ語話者、4割がハンガリー話者)、国土の中心にあってスロバキア民族運動拠点でもあったマルティンスロバキア首都を遷そうぜ! という議論戦間期に行われたのだけれど、結局ブラチスラバ首都として維持された(ところで日本語版ウィキペディアマルティン記事名が「マルチン」になってるな。確かにスロバキア語ではtiと綴ると「チ」と読むけど、Martinみたいな外来語場合は「ティ」の音が維持されるんだよ!)。

島国首都ってどうなってるんだろうね

首都国土中央に来る国は『大陸の端の方で2方向以上で海に面している』か『大きすぎない島国』に多いかも?

島国といっても、メインの島が1つなのか、複数なのかでだいぶ違ってくる。というのは、小さな島がたくさんある国だと、まずもって「国土の中心かどうか」というよりも「島のデカさ」で首都が決まることがありえるからだ。そりゃ、真ん中にある小島よりも、端っこにある大きな島に首都置きたいよね……典型的にはトンガとかがそうで、南端にあるトンガタプ島のヌクアロファ首都が置かれている。あるいは、「大きな島+小さな島」の組み合わせでできている国は、たいてい大きな島の方に首都がある。バレッタマルタ)とか、バセテールセントクリストファー・ネイビス)とか、セントジョンズ(アンティグア・バーブーダ)とか、ポートオブスペイントリニダード・トバゴ)とか……(元増田が挙げてるニュージーランド例外

では、メインの島が1つしかない国はどうだろう? これなら「国土の中心」も定義やすい……あれ、意外と首都位置偏ってんな。元増田が挙げてるアンタナナリブマダガスカル。ちなみにマダガスカル語ではoと綴ってuと読むので「アンタナナリボ」は間違い)は確かに真ん中ら辺にあるし、ダブリンアイルランド)やダグラスマン島)やディリ東ティモール)やアロフィ(ニウエ)やポートルイス(モーリシャス)やスリジャヤワルダナプラコッテスリランカ)もギリギリ真ん中辺りと言えるかもしれないけど、台北台湾)もハバナキューバ)もキングストンジャマイカ)もレイキャビーク(アイスランド)もマナーマバーレーン)もヌーク(グリーンランド)もヤレンナウル)も島の端っこの方にあるな……首里沖縄本島の中心都市として見ると南すぎるけど、奄美~先島までの琉球王国首都として考えると割と中心に近くて草。

やっぱり自分なりのファンタジー世界を作るときって

首都の立地はよくよく考えますよね。ここは盆地で長らく中央集権国家だったから真ん中に首都があるやろとか、端っこの部族が全土を統一たか首都は端っこにあるんだよとか、東部は原生林が多いか人口の多い都市西部に偏ってるんだよとか、港町を中心に発展したんだよとか、そういうことを地図描きながら妄想するだけですごい楽しい……だから元の「首都国土中央部にないのはおかしい」っていうツッコミ全然理解できないっていうか、変な形の国作って変な場所首都置くのが楽しいんやんけ、となってしまうよね……

2024-01-14

anond:20240114081619

ショッピングモール行かないとか働いてる意味ある?小島かに住んでる漁師さんなの?何のために生きてる?何をして喜ぶ?

2024-01-11

また「マインクラフト」がやりたいな

初めてプレイしたマイクラマルチ鯖だった。

バージョンは1.5くらいだったかな?

立方体構成されたレトログラフィックの、しかしどこまでも広がる広大なフィールドログインすると他のプレイヤーたちが作り上げた街があって、道は石で舗装され、各自土地に自宅が、中心地にはでかい城が建っていた。

から出ると広大な小麦畑知識のなかった自分ダッシュジャンプで畑を荒らしながらひたすら走り、湧き潰し用の松明を勝手拝借して人の手の入っていない土地を目指した。森を抜け、砂漠を抜け、誰かが乗り捨てたボートで海を渡った。

一際高い山があったので登ると、カルデラ湖のような地形が形成されていた。しかし雨が降り出して、もう真夜中で、空腹だしゾンビに追われてどうにもならない。地面に穴を掘ってシェルターにして夜を明かした。

夜が明けた。雨も止んだ。ゾンビ燃えた。

暗い土の中から這い出すと、目の前にはカルデラ湖とその中心に浮かぶ小島。空がオレンジからスカイブルーにじんわりと変わっていく。やけに感傷的なBGMが鳴り出す。

心底、美しいと思った。

美麗グラフィックでもなんでもないカクカクの風景がなぜこんなにも心を打つの不思議だった。俺はその場所に居を構えることにした。岩の壁を掘り、丸石で崖に埋まった豆腐ハウスを作った。

wikiを参考にしながらインフラを整え、ブランチマイニングを覚えてダイヤモンドを探し、他のプレイヤーが作ったゲートでネザーに迷い込んで全ロスした。

生きてるって感じがした。

俺にとっての「マイクラ」はこれなんだよな。

これをもう一回やりたい。

その後バージョンが上がるに従って馬が出てきたり木材の種類が増えたり、RS回路も複雑になっていろいろ自動化もできるようになって、モブも増えてマイクラ世界はどんどんにぎやかになっている。

最初は発表の度ワクワクしていたアップデートだったが、そのうちについていけなくなってマイクラ自体をあまり起動しなくなってしまった。加齢のせいか、飽きてしまったのか。

記憶を消してもう一度プレイしたら、同じ感動が得られるのだろうか。

anond:20240111084115

和田は今年2月に43歳を迎えるが、先発ローテーション投手として十分に戦力になる。昨季は8勝を挙げ、7年ぶりに100投球回に到達。衰えを感じさせない投球で、小久保監督就任直後に、有原とともに今季の開幕ローテーション入りを明言していた。和田自身パ・リーグ左腕初の40代投手による「2桁勝利」と「規定投球回到達」を目標に掲げ、「しっかり2月1日に準備ができるように」と意気込んでいた。現在阪神大竹ロッテ小島らを引き連れ、総勢16人の大所帯で長崎合同自主トレを行っている。

2023-12-08

こじかんの新しいゲーム なんかすごそうで何一つすごくないのがすげぇ

UE標準のメタヒューマンいじったら初心者でも30分で作れる映像だぞあれ…

素人にはやってる感出せても関係者メタヒューマンみんな知ってるから評価落ちるだけだろ

小島なにやってんだよお前

2023-12-03

貧乏の子沢山というが、五反百姓に十八人も子供がいるような日本

天然資源的に見れば取り代えるオシメにも事欠く程度の素寒貧だし、

持てる五反の畑も人里はなれて山のテッペンに近いような、

もしくは湖水の中の小島のような不便なところに孤立して細々と貧乏ぐらしを立てている。

気のきいた泥棒も、気のきかない泥棒も、そんなところへ物を盗みに行くはずがないじゃないか

しかるにそこの貧乏オヤジ泥棒きたるべしとダンビラを買いこみ朝な夕なネタバをあわせ、

そのために十八人の子供のオマンマは益々半減し、豊富なのは天井クモの巣だけ、

そのクモの巣をすかして屋根の諸方の孔から東西南北の空が見えるという小屋の中でダンビラだけ光ってやがる。

ここのウチへ間抜け泥棒が忍びこむよりも、このオヤジ殺人強盗に転ずる率が多いのは分りきった話じゃないか

もう軍備はいらない 坂口安吾

https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/45748_24336.html

しか泥棒は入ってこないかもしれないが、

道を作るから家を空けろと迫る地上げ屋はやってくるかもしれない。

2023-11-27

ヨーロッパにおける最後の龍の墜落について

ヨーロッパ最後に龍が堕ちたのは1856年のことである

バルト海とある湾に龍が住んでいた。湾口は2マイルあり、湾の入り口を守るように2つの小島が浮かんでいた。その間を怪力の龍なれば、羽ばたくこと僅か2回で飛び越えられたという。

しかしこの年、湾口の片側の島に灯台が建立され、夜にも煌々と灯油ランプが灯されるに及んだ。これは龍にとってはどうも具合が悪いものであったらしく、目が眩んだ龍は灯台にある島に墜落してしまったのだった。

それが何より証拠には、この灯台のすぐ下にある岩に、彼(乃至彼女)が最後に残した爪痕が今でもくっきりと残っている。行ってみてみるがいい、未だにくっきりとしたものだ。

なお、このドラゴン落とし灯台1906年に高さ15メートルの塔に改築され、その時に新調されたフレネルレンズは未だに周辺を照らして止まない。

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