はてなキーワード: 知恵熱とは
アニメそのものも面白かったけど、Twitterでのファン同士の交流がお祭り騒ぎで楽しかったなぁ。昔の漫画が原作だけどファン層がやや若めなせいか、皆元気だし発想が奇想天外なので愉快なTLだった。
ともあれアニメ『どろろ』本体の感想などを気がはやいけどつらつら書いとく。
あ、ちなみに私のスペックはというと、原作未履修のまま生き長らえてしまった、最近はあまりアニメに熱烈にハマれなくなっていたオタクを自称するのは気が引けるほどの者。『どろろ』を見始める前に履修したのは『BANANAFISH』で、もう当分こんな悲劇的な作風はいいや、と言った舌の根も乾かないうちにどろろ沼に転落した。なお『どろろ』原作はアニメ前半期が終わるくらいにやっと履修。
では以下感想。
・タイトルは『どろろ』なのだがとかく目を惹かれてしまうのは百鬼丸である。なんせ顔がいい。
・初期の頃の百鬼丸は表情がまるでないのだけど、カメラワークによっては、うるさくまとわりつくどろろにすごく迷惑そうにしているような表情に見えるのがツボだった。単に角度の問題で実際そんなに迷惑してるのかどうか分かんないところが良い。
・百鬼丸が身体のパーツをあちこち奪われた重度の身体障害者であるという設定が、このアニメではリアルに描写されててよかった。身体のパーツを取り戻して当人が感じるのは喜びだけじゃなくて戸惑いや煩わしさもある(むしろ喜びよりそっちの方がフォーカスされがち)という描写がいい。耳を取り戻す瞬間子供みたいに地団駄踏んでたのが印象的。
・特に耳を取り戻したら世界に溢れる音が煩すぎて知恵熱出しちゃうとこがよかった。
・百鬼丸が身体を取り戻す度に、百鬼丸は視聴者が思ってた以上に何も出来ないし何も知らない・分からない赤ちゃんであるというのが発覚していくのが面白い。しかし、発覚するごとに「あっ、なんかごめん……」と一視聴者は百鬼丸に謝罪がしたくなるのであった。
・百鬼丸が16歳の赤ちゃんだと発覚してからは、彼が徐々に成長をしていく様に一々感動してた。つい自分の子供を見守るような目線で見てしまった。
・前半期でいちばん気に入ってるのが『守子唄の巻 上・下』。そのストーリーの悲劇性もさることながら、最初から最後までテンポよくタイトにまとまっていて、とてもよい良い。
・ということにことのほか感動してしまうのは何故かというと、アニメ『どろろ』、全体的に面白いんだけど変にテンポが悪くてかったるい印象があるのが否めないからなのである。90年代後半のロードムービー系アニメの雰囲気がうっすらとあって若干時代遅れな印象も。
・アートと娯楽の境目を綱渡りで進んでいてたまに足を踏み外して落っこちている、そんな感じのアニメ『どろろ』の全体印象である。
・百鬼丸から見れば敵サイドである弟・多宝丸が物凄く良い子に描かれていて好感度高いところが良い。そんな良い子が悲劇に巻き込まれていく鬼畜な脚本とシリーズ構成さいこう。
・今までアニメを観るのに監督には注目したことはあっても脚本家に注目したことはなかったのだけれど、小林靖子という脚本家に期待と信頼を寄せるようになってしまった。
・確かアニメ開始直後くらいは監督が例のあの人なのでどうせ地獄み溢れる展開になるとか、少し経つとどうせミオは梅毒で死ぬんでしょとか噂されていたが、結局、監督が例のあの人だからどうということはなかったような気がする。ま、ミオが梅毒で死ななかった代わりに他のキャラが疫病にかかって大変なことになったのだが。やっぱり監督の持ちネタなの?
・悲劇の全ては小林靖子様のせいに違いないと思ってごめんなさい。そんなことはないよね、常識的に考えて。
・琵琶丸カッコいい。
・どろろがコロコロと丸っこくてとても可愛いのだが、後半期にどろろの身体が実はガリガリに痩せ細っていることが発覚してヒィッてなる。あんまり食えてない設定なので当たり前なのだが、しかし、あの顔の丸さ加減はお肉ではなく頭蓋骨そのものの丸みだったのか……そんな……。
・醍醐夫妻の毒親っぷりに真面目に憤ってしまった。空想上の人物にそんなに真剣にプンスカしても仕方なくない?と思いつつも、つい。あの二人には天誅が下って欲しいと、いまだに思っている。
・やたら母性というものにフォーカスの当たる本作。正直、今時それ?と最初は思ったんだが、登場する母親や母親役のキャラが皆それぞれ人として未熟な部分があり葛藤を抱えているので、OKです。超絶母性愛で全てをミラクル解決するような話ではなくてよかった。
・登場人物がそれぞれ目の前にしている相手に勝手に理想を見出だしているような描写がちょくちょくあるのがグッときた。例えばミオから百鬼丸、おかかちゃんからどろろ、など。相手の虚像に癒されてんだな……。
・どろろが百鬼丸にかなり雑に扱われているのにも関わらず、それでも必死に彼についていく理由が、よくわからなくはある。
・親とはぐれた子犬や子猫が通りすがりの人間に必死についていくのと似たような心理なのだろうか。
・どろろと百鬼丸の絆が深まっていくのを描写するのには、24話では尺が足りないのではないかと思う。
・鈴木拡樹は天才だ!絶叫の演技が特に良い。「地獄変の巻」で背骨を取り戻すシーンなど秀逸だ。
・後半期でいちばん何度も観てしまったのが「地獄変の巻」。演出家の個性なのか単に制作時間と人手の欠乏かなのかわからないが、異彩を放ちまくりの画面に目を奪われてしまった。この話を担当した演出家が総監督する『どろろ』を観てみたい。ただしちゃんと制作費をかけて。そしたら私も微量ながらお金払うし!
・後半期の膝から崩れ落ちるようなあのOPは一体なんなの。曲そのものはいいと思うけど内容と全然合ってないじゃないか。原作漫画をそっくりそのままアニメ化したもののOPというなら納得するんだけど。アジカンにどういうオーダーしたらこうなるんだ。
・そんなOP曲に映像を作ったスタッフもびっくりしたらしいが、いい感じの動画にまとめてくれて一視聴者としては感謝しかない。
・でも『鬼滅の刃』なんか観ると羨ましくなってしまうよなぁ。こんないいOPつけてもらってていいなぁ、と。
・『天邪鬼の巻』は楽しかった。おこわちゃん可愛い。普通ああいうポジションのキャラって性悪に描かれがちだと思うけど、おこわちゃんはしっかり者の良い子で素敵だった。
・『鵺の巻』の上げ落としが酷い(誉め言葉)。中々懲りない百鬼丸ェ。
・身体のパーツを取り戻していき、喋れるようになって感情を表現出来るようになっていった百鬼丸だが、実は優しい顔に反して内面はもしかして結構、うん、性格悪い?将来ものっそいDV男になりそう。そんな危うい奴だったことが判明していくのがつらい。近距離にいるどろろがモロに精神にダメージ喰らってるのがとても可哀想。まだ子供なのに……。
・社会的弱者なKKOに同情出来るか問題の様相を呈してきた。なんて現代的で重いテーマなんだ。
・多宝丸と陸奥・兵庫の絆がグッとくる。なのにあんなことになっちまって……。
・百鬼丸と多宝丸の兄弟対決は、もはや和解の道が全然見えなくてしんどい。が、うまく和解したらしたでそれはぬるすぎる展開なのではないかと思ってしまう。
・百鬼丸が身体のパーツを取り戻すことの是非については、私個人としては、一度きりの人生なんだし他人とかどうでもいいから取り戻せば?と思う。どうせ死んだら人から恨まれようが関係なくなるんだし。
と、こんな感じの感想。
最終回、何とか色々片付いて百鬼丸とどろろには幸せになって欲しい気持ちもあるが、そうなってはぬるいという気もする。
しかし百鬼丸がコロッと死んだり重い業を背負って生きてくというのもなんか違う気がするしな。
ともあれ、今夜の最終回を心して待つことにする。
一度書いて、消したのだけど、
行ってきた。
恐いね、、、
何か指当たってない?と思った頃にはパンツの壁越えてました。
上っ面をなでる程度だったけど、普通にアウトでしょ。
気持ち悪かったら言ってくださいね、っつわれたけど、悪いのか良いのかよく分からなくなって、結果好奇心が勝った。
ただまぁ、当方の力不足で、結構しつこく足はしていただいたけど、耳に息吹かれたりしたけど、あんまよく分からなかった。
マッサージは思いの外上手で、リラックスできるんだけど、その流れでしれっと踏み込んでくるのも上手。
熟練の技。
自分の中に性欲があるのは理解してたけど、そこは大和撫子、表現しないと思ってたのに。
経験値がなさすぎて、どう振る舞ったらいいか分からなかったけど、もっともっと!と、とにかくもどかしかった。
終わった後も、起きあがれない。
物足りない。
「蛇の生殺し」
ちゃんと経験のある女性が、この状態で店を出られるはずがないよな、と思った。
私が、一度書いて、すぐ削除したこのブログを再度書こうと思ったのは、多少私にも責任が生じてるかもしれないと危惧してのこと。
実は、迷ってたこのお店に行くのを後押ししたのは匿名はてなで読んだ出張ホストに最後まで致してもらった処女のブログがあったから。
私が死ぬほど悩んで出した結論で、これがその時の最善だったはず。
だけど、これから行こうと思ってる人が居たら、私は伝える必要があると思った。
これ、ハマります。
下手したら、行き着くとこまで行くかもしれない。
私は初めての感覚にヒューズ飛んで、また行くかも、と最初は思ってた。
恐いと思ったのは、ドハマリして
(未来の彼氏、とか、両親に申し訳ないとかでないのが何ともね(苦笑)
でも実際、交通費だけでも諭吉飛ぶし、60分では正直足りないと初回から思った。
慎ましく生きてるので、そんな余裕はもちろんない。
いつかきっとむなしくなる。
一度なら、体験ですんだかもしれない。
でも二度目からは、たぶんもう戻れない。
施術中は。
でも、いつかその嘘に縋る日が来るかもしれない。
あったの?】
思いあまって相談したカウンセラーにビシッと言われて目が覚めた。
こんな事のために、私は恋愛も色んなことも諦めて夢追いかけてきたわけじゃない!と。
夢を叶えて、やっと他のことにも目を向けられるようになった矢先に、ハマるのが
これじゃああまりにも私がかわいそうだと思った。
それに、やっぱり多少おもった。
「自分、汚れた」
って。
今更という気もあるけど、自己責任だけど、大好きな海を見たらちょっと涙でた。
これは、麻薬。
快楽という泥沼に沈められる。
女の業を餌に、沼は深まるばかり。
恐いです。
私は、ちゃんとダイエット成功させようと思います。あと7キロくらい。
どうしても、向き合えなかった。
でも、どんなデブでも仕事だから彼らは相手してくれるんだよな、と今更気づいた。
30年来のコンプレックスと本気で向き合うきっかけになったことは良かったと思う。
私、体がコンプレックスすぎて、恋愛からずっと逃げてきた。夢を追いかけるという理由で。
こんだけ痛い思いして、得た教訓。
ただの後悔で終わらせるわけには行かない。
ちゃんと自分と向き合って、恋愛から逃げない自分になって、今度こそ、好きな人と体を重ねたい。
その時は、蛇の生殺しでは終わらせないよ(笑)
処女がコンプレックスなのではなく、体が嫌で仕方なくて、お金払ってでも受け止めて欲しかったんだ。
本当のコンプレックスは見えにくい。
処女には違いないけど、そこに私はあまり重きを置いてない。重いのは体重だけ。
ちゃんと自分と向き合うためにも、処女という肩書きを一旦おいていこうと思う。
読んでくださってありがとうございました。
近年、オタクを中心に「性癖」という言葉の誤用が氾濫している。
本来は、生まれつきの(悪い)ならわし・くせという意味だが、専ら性的嗜好の意味で用いられているのが現状だ。
「性癖」には性的嗜好も含まれるという意見もあるが、あまりに狭義で短絡的すぎ、不快に感じている。
「独擅場」「知恵熱」「壁ドン」など、誤用する者が多ければ言葉は変化すると言うけれど、今回ばかりはやめてくれ。
あんな脳みそが股間についているような恥ずかしい意味にすり替わって欲しくない。
受け取る意味が変わってしまったら、まともな用法で書かれた本も、性癖というワードが出てきたシーンは嘲笑ポイントになるだろう。文学が汚される。
***
同人とはいえ、物書き自称してる友人が性癖を堂々と誤用していて青ざめてしまった。ごめん、内輪でも無理だわ。
***
このように性癖の意味に固執して逐一指摘する奴を「性癖警察」と呼ぶのかと思ったが、
世間の呟きを見てみると「性的嗜好に刺さりすぎて辛いため取り締まりに来た」というままごとネタも「性癖警察」と称して流行っているらしい。
もう日本語わかんねえな。
平成期末の12月、さりとてただの西暦2018年末も暮れゆき。Evernoteを整理(という名目の現実逃避)していたら、去年の末に増田に投下しようとして書き上がらないまま放置されていた漫画レビューが転がっていたので、供養として投下してみようと思う。細かい表現ばかりが気になり頭をひねっていたら知恵熱を上げてしまって、結果として放り投げてしまったのだった。けど1年寝かすと、ほんとうどうでもよくなるもんだ。今年こそ、ちゃんと書こう。
以下、そのままコピペ。
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年の瀬ということで、あっちらこっちらで総括的なものが始められている模様。そういうところにブコメをして推しを布教していくのもいいが何せ100文字で多くを語ることができない、ので徒然に増田に投下してみるわ。あー、明後日の納会行きたくねー(社内ぼっちなので)
お題は表題の通り。コミックスとして発刊されてるものが対象。発表時期は昨年以前のものでも、今年私が買ったものなら対象(流行に疎いものでね)というどこまでもジャイアニズム全開のまとめだ。誰かのこころに刺さるものであれば幸い。
【1席】
https://www.amazon.co.jp/dp/B077GQL19W/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1
ヤマシタトモコはモノローグのうまさが前からそれなりに好きではあったのだけど、話や画づらがガチャガチャしていてあまりハマり切れてなかったところがあって(「BUTTER!!!」とかね)。
だが今作は主人公(の片割れ)が小説家ということもあって純粋に持ち味である「語り」が活きてきたな、という感じ。(ベタなフィーヤン的おセンチメンタリズム…ではあるのだが)
気が付いたらハマっていて、「2巻ないの?」となった。
両親を亡くした思春期の子を叔母(母の妹)が引き取る…なんて話だったら往々にして、「世の中を斜に見ているひねくれもの」という設定が「思春期の子」役にあてがわれることが多いんだけど、本作の「田汲朝」ちゃんはとても素直な性格なうえ、人見知りしない(齢34を超えて未だに他人とまともに話が出来ないおばさんにちょっとコミュ力分けてくれよ)。この人物造詣がなにより良かった。
それと、読まないと絶対わからないような細かいポイントで恐縮だが、「乾いた寿司は殺す」。この一言でもう、やられてしまった。
【2席】
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B071J6PGN6/ref=series_rw_dp_sw
4月ごろに部屋探しをしていたので、結構感情移入しながら読んでた。
(割と長いシリーズなので、ご存知の人も多いだろう。ということで概要ははしょりまーす)
主人公・沼ちゃんはようやく「ここだ」という部屋に出会い、マンションの売買契約を結びました…ここまでが3巻のあらすじ。
で、それを受けた4巻だけど、平常運転です。相変わらず、沼ちゃんと周辺の人々のパートと、市井の人とその人の暮らす部屋にまつわるお話のパートとを行き来しながらお話は続いていきます。
いつもどおり続くけど。
例えば、娘に命かけたものは何か、と問われた母親が「出産」と答えるエピソード、それを受けた娘は「じゃあ、私、一生懸命生きなきゃだね」と応える。
「いつもどおり」は日々のなか暗渠のようにずっと流れ続けていて、ある時まれにそれが顔をだす。その輝きのなんと素晴らしいことか。
8年暮らした部屋を出る沼ちゃんのエピソードに、5月、10年暮らした部屋と街を出た自分自身を重ねて、少し泣いてしまった。
【3席】
https://www.amazon.co.jp/dp/B0721MBYT7/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1
ようやく「森・青木」以外の物語を書いてくれる気になったか…というところで、デビュー作「水と銀」以来ファン歴18年の私としては感無量です。
お話としては、相変わらずぶっ飛んでて良かった(吉田先生的には平常運転)。
ヘタレむっつりストーカー気質おじさん×ツンデレ狐目女子、萌え(何やら言語中枢がやられてしまってるようだ)
「淫らな青ちゃんは勉強ができない」①・②・③・④・⑤ カワハラ恋/講談社
「男はケダモノ」という世界観で生きている女子高生が、ピュアな男子高生に好きになられて…。
一人妄想を膨らまして、勝手に怒ってみたり悶えてみたり童貞にマウンティングしたりする主人公・青ちゃんを「一番ケダモノなのはお前やないかーい」と愛でるのが本作の趣旨です。
とはいえタイトルでわかる通り、「出オチ」系のマンガなので、そろそろマンネリがきつい。最新刊では青ちゃんに想いを寄せる女子高生も現れ、百合展開もあり…次の一手に期待。
「お前はまだグンマを知らない」①・②・③・④・⑤・⑥・⑦・⑧ 井田ヒロト/新潮社
これも出オチ系。マンネリが気になるかな。でも、グンマのこと、好きになれたよ。
ラブ焼きまんじゅう。
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(追記)
「違国日記」は3巻まで出たね。いいボルテージを維持しているので、引き続き期待しているけど、ヤマシタ先生の描こうとしているものの全容を想像するに、きちんと終わるまで何年かかるだろう、と思う。
巻末の「○○のそれぞれ」で脱線してる暇はないっすよ。
対照的に「官能先生」は2巻でもう物語の核心に触れつつある。次巻、起承転結の“転”となるエピソードがくるかな。「恋風」も「夏の前日」も5巻だしな、物語を転がすのが本当にうまいって思う。
ビジネス的にはどうなのかと思うが、「作品の質が全て」という信条なのでそれは無視。
(「おまグン」はWeb版くらげバンチで読んでるけど、単行本を買うには至らない)
日々は、進んでないようで、過ぎていく。たまに過去の自分が書き散らかしたものに出くわすたびにその少なくない変化を驚かされるばかりだ。
他の人達は、営業とか電機とか化学とか土木とか、まぁいろいろな職業で斜陽産業で未来がない未来がない、というが
ぶっちゃけこれから右肩上がりで需要があるなどと、アホの経済紙やしたり顔のIT系とか経済ブログがほざくIT業界だって、ぶっちゃけその道で働いてたら
意識高い系の馬鹿以外の98%のエンジニアが、それ以上に終わってる斜陽産業という認識がある件
web系だのなんたら言うが、実情を言えば、裁量労働制で最先端の技術を今時東大生でもそこまでしたら知恵熱だして倒れるくらいのペースで勉強しないとついて行けず
プライベートは勉強会だの集まりだのに顔を出し、ブルーライトで視力が0.01になりそうなくらい毎日パソコンとにらめっこして、俺たちは上流と下流なんて考えない、全部やるんだぜ
とスタバで他の客の迷惑も考えず何時間も居座って、Macbookもってドヤ顔キメちゃってることして、あれでたった300万~せいぜい命削るくらいサビ残どころか休日もリモートで自宅作業やって500万がせいぜいだからなw
需要が増えてるweb系でこれだぜ?ちなみに今は参入が多すぎて蟲毒状態の競争で、レッドオーシャンどころか、血の池地獄になってるから、もっと下がるからねw
さて、悪名高きSIerは、00年年台の頃は、どんなウンコブラックでも残業代はついてたから、ブラック労働とはいえ新卒でも月収60万とかザラでいってたからねw
web系の意識高い馬鹿ども大好き年棒制で考えても、単純に年収700万オーバーwわかる?手取りに直せば1年で約550万近く稼げてたわけw
需要が多かった時代の話だけど、今未来がある!とか言われてるweb系はどうですかね?すでに供給過多で需要が不足し始めててるわけですよ、わずか10年足らずで
あ、あと言っとくけどweb系のBtoCでの上流経験やPM経験なんて、付加価値0とまではいかんが0.5くらいしかないからね、アジャイル開発で仕切る人数なんてギリ2桁とかでしょ?
これ、ゴミみたいな中小企業の社内SEのベンダーコントロール以下だからね、プログラミングすら書けないウンコ社内SEですら、100人月とかザラでBCやってますから、何歳までその業界で働くか知らんが、ハッキリいって君らの技能って所詮オナニーにすぎないからねw
当然、俺は今のSIなんて滅べばいいと思ってるくらいには、評価もしてないし、無能のPMやSEが餌で釣って大量に下流工程の人材使いつぶしてるのは、イスラム国やIRAといったテロ組織よりもタチの悪い極悪反社会組織だと断言できるけどさ、イメージで釣ったweb系も所詮SIから逃げたやつらがSI業界と全く同じ構造を持ち込んでるだけにすぎなくなってるわけじゃん?
あとね、君らのweb系プログラミング言語、世界に通用するとか言ってるけど、実務やってる分は3週遅れくらいだからね、ギークやハッカーを自称しているのなら、Rubyが流行ってる時点で終わってると自覚しなさい、俺がPGだったら恥ずかしくてMacbook売り払って引退するけどね、そんな恥ずかしいこと公言してはばからなかったらさ。
そんで、ここが確信、SIもそうだが、そんなSIの亜種にすぎないweb系もかなりあるよね「35歳定年説」w
そんなに習熟した歴史がない、などと自己暗示はやめなさい、君らの回りでweb系バリバリの最前線で働いてる30後半から以降の人間なんているのかね?いねえだろ?
悔しがることはない、IT業界そのものがそーなのです、君らが悪いわけじゃないんだよね、所詮マネジメントの機会すらベンダー側であったとしても身体が持たんし、社内SEであれば評価されない(超最上流なのにね…)
つまるところ、俺らのやってる技能すべてが、全く持って付加価値というのが存在しないわけ、最後は何かって?金とコネじゃね?
俺があと〇歳若かったら新卒の頃必至こいてITの勉強なんてやらないで、Faceb〇okで架空の身分で垢登録して、金持ちエリートのなりきりやって、上級国民のお嬢様あたり口説くけどね、それやった馬鹿どもの末路が三鷹ス〇ーカー事件だけど
プライドへし折ってコボラーおじさんやる?良心捨てて人売りIT屋のピンハネヤクザでも始める?Excel職人で日銭を稼ぐ?お好きなのをどうぞ
結論、非IT系の皆さん、IT系もこんな惨状なので安心してください、みんな逃げ道なんてない、国が衰退するってこうこうことなんですよ。
もういっそ好きなように生きましょう、真面目に生きようが悪の限りを尽くそうが、この日本社会を包む絶望感や閉塞感をぬぐうことなんてできませんw
あ、上級国民は別だろうけどね
昨年、父が定年退職した。
父は40年以上ずっと運送会社で働いていた。趣味も車で、休みの日は必ずドライヴ。テレビも見ない、本も読まない、ネットもやらない。昔はよく料理をしてたけど、今はぜんぜんしてない。
学生時代は映画監督になりたかったらしい。だからだろうか、私が小さいころはよくカメラを持ち歩いていろんなものを撮影しまくっていた。8ミリ? ハンディカム? くわしいことはわからない。とにかくビデオカメラで何でも撮ってた。旅行、運動会、七五三etc
でもいつしかそれもやめてしまった。それからは車一筋。ドライヴだけが人生って感じだった。
私は父が心配だった。そんなんじゃボケちゃうよ。それにいくら車が好きだからって、もうなるべく運転は控えて欲しい。年なんだから。
父はひとりで暮らしている。母は私が2才の時に癌で亡くなった。それからずっと父娘で暮らしてきたが、私は3年前に26で結婚して家を出た。
私は父にノートパソコンをプレゼントした。父が車以外のことで時間を潰せるようになればいいなと思って。オンラインの将棋なんかを勧めてみた。それが半年前。
で、驚くべきことが起きた。父がパソコンで動画編集にはまってしまったのだ。
元映画青年の血が騒いだのだろうか。父は短期間に相当な知識と技術を身に付けていた。
『スポーツカー ベスト10』なんていう2分ぐらいの動画を作ったりしてる。ランキング形式で車の映像が流れるのだ。
その車の映像、どうやって手に入れた!? BGMもついてるし、解説のテロップも入ってる。文字がボヨーンと飛び出したりして。すげー。
いやー、よかった。これで老後の趣味ができたねー。
なんて、安心してたのも束の間。
なんと父は私の小さい頃の映像も編集し始めたのだ! ねえ、その古いテープ達、どうやってパソコンに取り込んだの?変換とかできちゃうもんなの?とんでもない機材とか買ってない?大丈夫?散財してない?
その手の知識が全くない私はとにかく心配で心配で。こんなことは簡単に出来ると父は言うのだけれど。本当だろうか?
そんな父から、先日、DVDを渡された。なんとそれ、私の思い出ムービーだっつうじゃないですか。いやあ、さすがに身構えた。
で、観たんですが、これがかなりぶっとんでまして。。よく言えば前衛的。はっきりいうと、めちゃくちゃ。
映像はいきなりビデオレター風に始まる。どこかの山の登山口にひとりで立つ父。カメラの前でぎこちなく笑いながら手を振ってる。テロップが出る。
なぜ高尾山!? どういう意図があるの?しかもこれ、三脚立てて一人で撮ったの!? 松居一代スタイル!?
父が私に呼びかける。
そうだっけ!? ごめん、覚えてない。。あ、でもなんか、すごく小さい頃、山の中でゴンドラに揺られたような記憶が、あるような無いような、、あれが高尾山?
そこでなぜかBGM。
永ちゃん!?なぜそのチョイス!?明るい山並みとぜんぜん合ってないよ。。完全に夜景向きの曲じゃん、、、
映像が変わり、実際に私が緑の中を歩いてる場面が流れる。すごくちっちゃい。たぶん幼稚園のころだ。何だかぐずっている。カメラの奥から父の腕がにゅっとのびて、私を抱き上げたところでフェードアウト。
これは良かった。なんと幼稚園から小学校5年までの私の徒競走の映像がちょっとずつ繋いであるのだ。(ちなみに6年の時は休んだ)
走りながら成長してゆく私。たまにスローになったりして。かっこいいじゃん!BGMが爆風スランプじゃ無ければさらに良かった。次から音楽担当は私にやらせて。
そっかー、父は毎年、私が走るところを必ず撮ってくれてたんだね。
そのあとも、七五三、海水浴、さくらんぼ狩り、学芸会、お誕生日会と、まあ懐かしい映像が次々と。知恵熱が出そう。
さて、問題はここからですよ。再びカメラの前に現在の父が登場。
なんと私が小2の時に書いた手紙をカメラの前で読み上げやがった!
完全に松居一代じゃん! 暴露ノート的なやつじゃん!もしかしてオマージュ!?影響受けたの!?
しかも手紙の文章をテロップに起こして、ピアノのBGMなんかつけちゃって、映画のエンドロールみたいにして晒すという、、、まさに鬼畜の所業。。
おたんじょうびおめでとう
パパのオムライスが好きです
たくさんケーキをたべてね
食べ物の話だけかい! しかもこれ、テロップにする意味ある!?
手紙、ずっと持ってたんだね。
大人になっても初対面の相手としゃべって緊張した後、毎回40度近い知恵熱出して寝込んで医者に呆れられるような体質だから多分かなり弱いクソザコナメクジ型だと思う。
平熱が低いせいか38度どころか37度前後でも手足が痺れてふらつく、というか力が入らなくて、立ってるつもりなのに崩れたりすることがある。
いつ崩れ落ちるかわからない状況で外を歩くのはシンプルに危険すぎて怖いのと、
社会人なりたての頃には、体調悪い日も無理して会社にいこうとして、駅でうずくまってしまって医務室送りになったり救急車呼ばれそうになったりとか、
会社で意識失って椅子から転げ落ちて救急車呼ばれたりとかがあったので、
なんかもう仕事に穴開ける以上の大事になる確率がバカにならないのと、どうせ辿りついても何の役にも立たないので無理せず休むことにしてる。
あとキツめの偏頭痛持ちなので、コイツが来ると一歩も歩けないっていうか外に出られなくなる。
光、音、匂い、振動、体を動かす、全部ガツンガツン頭痛がひどくなるので我慢して外に出るなんて俺にはできないし、
とにかく枕元に常備してる頓服飲んで、薬が効くのを期待して電気消して頭から布団かぶって寝るしかない。
スマホの画面見るのも正直つらいし、呻いてばかりで電話もロクにできなくなるから、
本当は電話連絡なんだけど上司に事情を伝えてあるので頭痛の日は定型文メールで勘弁してもらっている。
大体1~2か月に1回くらい起こる、MRIとかとったけど体質とか自律神経が弱いとかモニタ見ない仕事に変えろとかミもフタもないこと言われて終わった。
他には、飲んだ水の温度がその日の体調に合わなかった程度のことで2時間ぐらいトイレから出られなくなるとかも年に数回起こる。
飲み込んだ瞬間「あ、やべっ」って感じがして、5分後ぐらいから断続的にケツから汁が出続けるの。
かといって水分取らないわけにもいかないから、毎朝くじ引きしてる気分。なんとなく常温がいい日、お湯がいい日、冷水がいい日がある。
数時間でおさまるので遅刻で済むこともあるけど、こもってる間に出しすぎて脱水っぽくなって発熱してるとその日はダウン。
身体弱いというか、痛みとかに敏感かつ、ちょっとした変化が身体症状としてあらわれやすくて行動不能になりやすいって感じかなあ?
それを体が弱いっていうのかもしれないけど。病名はつかないんだよね。発達障害があるからその影響はもしかしたらあるのかもしれない。
手をつねられたりしても、こんなに弱いのに?ってくらいの力でもイタタタタ!って言ってしまうし、
かといって俺にとってその痛みは我慢や無視はどうがんばってもできないし、馴れることもないっていう。キャパシティが低い。
世の中の我慢強い人たちはすごいなーと思うけど、同じ水準を求められると、ごめんなさい無理ですとしか言いようがない。
なのでサボろうとか、楽をしようと思って意図的に休んだことはない。というか本当にダメな日だけでも毎年有給がギリギリになる。
いつも通りの時間に寝たのに単純に寝坊して、今日は気持ちよく寝たなーと思って起きたら夕方だったこととかはあるけど、素直に「すみません今起きました」って電話して怒られた。
というか普段がそんなんなので死んでるんじゃないかとめっちゃ心配されてた。
印象が悪くなるのは正直あるし、できれば避けたいんだけど、会社で何度も倒れて目立つと余計立場が危うくなるよなーとかもある。
ちょっと調子悪くていつもの半分以下の能率でしか仕事できないけど頑張って会社には行く、みたいな日も割とあるので、サボりグセとかいうわけでもないと思う。
なるべく普段から健康に注意したりスポーツで適度に体を動かしてみたりして、自分にできる範囲で精一杯やってぎりぎり「よく病欠する人」っていう扱いを維持してる感じ。
こういう話が盛り上がる様は知性の堕落だ。きのこたけのこ論争や犬派猫派なんかと同じだ。一見ファイティングポーズを取っているようでいて、その内実は当たり障りのないどうでもいい事だ。みな「そんなの勝手でしょ」で消化できることが暗に分かっているから、空気を読んで安易にノってしまう。そんなぬるま湯に浸かる姿勢は、はてな匿名ダイアリーを愚弄している。もっと人間の心の闇、ネットの闇に切り込む鮮烈な一閃のようなエントリを書くべく、みなが知恵熱を出すべきだ。角が立つような物言いもするだろう。そのための匿名なのだ。その思想を茶化してスカしてみせるような、日和ったネタ、短文のイチャモン、それらは存在してもいいがメインになるべき器ではない。
増田は遊びではない。仕事につかれた人間が息抜きにやるしょうもない作業ゲーの如きものに成り果ててはならない。試行錯誤を繰り返し最適パターンを見いだし、体に刻みこむような、そんな本格的ゲームのように、どっしり腰を据えて、マジになって、世の中や人間に対して、怒りや憎しみや不満を大いにぶちまけてほしい。別に議論にしなくていい。建設的でなくてもいい。狭窄で偏屈な主張でいいから、ただただ本気の筆致を感じる文章を読みたいし、書きたい。少なくとも自分にとって、心に残った増田はすべて本気の熱を感じるものだった。
この論にべつに共感してくれなくてもいい。どうせこのエントリはブクマもトラバも0だ。あってせいぜい「キモっ」だ。そもそも長文で、しかもトラバである時点でまともに読まない人間が多いだろう。暇を持て余したニートが何かほざいてる、とでも察されて、「触れちゃいけない人」感を全員が感じ取り、協調するように何事も起きないままネットの海に埋もれていくのだ。そういう孤立的な状態や無反応を極度に恐れる空気があるから、くだらなくても何か盛り上がるネタや、他人をひっかけるレス乞食のような物言いをする人ばかりになっていく。そして自分の尖った体系的な意見を表に出せる人が極端に少なくなる。言えてせいぜい、感情的な短文の罵倒だ。twitterを想像してもらうといい。これが現代のコミュニケーションの病理であり、他愛無い話がぐんぐん伸びて幅を利かせる理由だ。たまに飛び出る長文ブログがやたらと炎上する理由でもある。だからあえて今ここで、孤独に醜態を晒す。「空気を読まない」を実践する。そんな訓練ができる場が、ここなのだ。
実際この論がかなり偏屈で、他人に無茶を求めていることは自覚している。けれど、世の中にあふれる偏屈を見て見ぬふりして、なあなあにしていると、気づくと自分も何らかの偏屈な思想を一部取り込んでいるものだ。そしてそれに無自覚でいる人が多くなると、ついにはヒトラーやトランプ氏のようなポピュリストの主張が支配的になるような事態に結びつく。だから自分の中の偏屈の種をさらけ出し、また他人がひり出した偏屈の種に向き合って、大真面目に思いを馳せ、「我がふりなおす」時間が大切なのだ。実は、そんな意識は誰しも持っている。誰もが日常のなかで他人の偏った主義主張に触れ、無意識のうちにメタな視点を持っている。だから、他人の考え方につっかかって、自分の中で醸成されたバランス感覚を披露したくなる欲求は常にあるのだ。
元増田も、そういう欲求から生まれたものだ。けれど、下手だ。欲求の発散のさせ方が下手。いや、逆に上手すぎる、適応しすぎているのか。当たり障りなく、適当に手短に欲求を発散させ、かつ反応を引き出しやすいやり方を心得ている。それでもやはり、欲求を満たす機会と時間を、こんなチャチなテーマで消費してしまうのは実にもったいない。「いいや、どんなテーマでも大真面目に普遍化して思考訓練の材料にすることは可能だ」という向きもあろう。でもエビ嫌いdisとカキ嫌いageというテーマで本気になれる人がどれだけいるだろう。それを配慮すると、やはり最初からハードコアな話題を振ったほうが良い。でも大仰なことを書こうとするほど、言い出しっぺにかかる期待と責任は増していく。ここが難しいところだ。本気の増田が求められるほどに束縛感が増して、萎縮を招く。でもある程度そういう風でいいと思うのだ。緊張感が大事だ。
不愉快な正論やご大層な暴論の刃をぶつけあう、殺伐とした場になれるポテンシャルがある。2chよりも。それが増田だ。増田には半匿名のtwitterに馴染めなかった人の受け皿としての側面があるのも分かるが、せっかくダイアリーという形で長文が書けるのだから、たまにはあなたにもこういうクソみたいな長文を書いてほしい。この文章のように、推敲もされておらず、同じことを言い続けた挙句言い逃げする時間泥棒のような文章で構わない。私は読んであげないけどね。
やはりというか最後の2センテンスが理解されなかったようなので、ロックじゃないけど言っておく。文章の中段で書いたように、他人に反応してもらうためではなく、まず自分のために書いてほしいんだ。だから、読者への配慮すらも気にせず、拙い文章でもがむしゃらに書いてほしい。私は読んであげないというのはツンデレのようなもので、誰かに読まれることを期待するような媚びた精神を振り払うための呪文だ。内なる情動から湧いてくる言葉をガーッと綴るときに、自分がどう思われるか、誰に読んでもらえるか、なんて視点は一旦置いておかねばならん。エクスキューズやポリティカル・コレクトネスを脇における機動性が匿名の良さなんだから。それこそ、真意を伝えるためには自分が憎まれるような言い方だってできる。それが、最後の皮肉の意味だ。
「改行くらいしないか」と言われているので前々から思っていたことを書く。増田における改行はpタグの挿入を意味する。つまりパラグラフを区切りたい時に改行するのが正しい。二言三言の簡潔な文章のエントリなら1センテンスごとに改行…という名の段落分けしたほうが見やすいだろうが、このくらいの長文になるとパラグラフごとに改行すべきだ。個別ページでみれば、ちゃんとパラグラフごとに字下げと適切なマージンが取られているのが分かる。これなら一般の書籍と似たスタイルで、読みにくいとは思わないはずだ。ただ、トラバの吊り下げリストを展開した表示だと字下げもマージンも取られずに見づらくなる。それは承知しているが、それははてな側の問題であって、HTML上妥当な書き方をしておいたほうがベターだし保守性もいいだろうという判断でこうしている。だから現状、トラバが長文だと思ったら個別ページを開いて読んでもらうのがいい。
「最後はうんこ漏らした話で締めるのが美学」? それは、このエントリで表現を変えながら主張してきた内容に反する。本当に読まれたのだろうか。まあそれに憤る気はない。私の技量の問題でもあり、読み手にとって巡りあう時ではない文章だったという事もあろう。いずれにしろ主張は変わらない。そうやって読者受けを狙って媚びたおちゃらけで締める事こそ、惰弱な精神の象徴。そういう内輪ノリみたいな軟派なコミュニケーション欲求を排して、最初から最後まで舌鋒鋭く自分の言葉で斬りつける。それが私の思う美学だ。ブコメに応えている時点でそれも揺らいでいるが、コミュニケーションを第一目的とするわけではないからあえてidコールもしていない。書くことで自分を研ぎ澄ませるのが目的だから、本来は「伝わらなかった」ことに苦慮する必要もないのだ。ならローカルのメモ帳でいいという批判もあるだろう。だが、あえて直接的に反応を見ない等と決めていても、自分の残したミームの一部がどこかに化学反応を起こしたら、と考えるとワクワクするだろう。それを物書きの動機付けにする程度なら、良いことだと思う。
なぜそこまでコミュニケーションを、他人の反応を忌避するのかと思うかもしれない。その理由は、効率が悪いからだ。ネット上の他人は年齢も育ちも見識も人格もあまりにも多様すぎて、その差異をカバーすることに労力を使っているとアウトプットの量も質も落ちるからだ。とかく我々は、相手も自分と同じような能力や規範を持っていると勘違いしやすい。だからいちいち説教して回りたくなるものだが、その欲求のために個別に相手をしていたらすぐに人生を使いきってしまう。だから、言いたいことがあったら、このエントリで述べてきたように、増田を利用した放言スタイルで重量級のをカマしてみてはどうか、という話だ。
私の住む街には伝書少女がいる。
そうした勘違いは微笑ましいものとして街の人間は許してしまう。
その家の人間は「あの子はあの子なりに一生懸命なんだから」と思い、
それは伝言板であり、あるいは詫び状であったり
スープが冷めていないか実際にスプーンを渡して確かめてもらったり、
煮物を味見してもらったり DVD と一緒に千円札を手に渡したりする。
それで彼女は生計を立てている。
道路標識の意味や料理のさしすせそとは何かなどを教えていた時に、
一行の詩を説明してあげたことが全ての始まりだった。
「蝶」に対する説明に心を奪われてしまったのだ。
「二つ折りの恋文が、花の番地を捜している」
彼女は花の番地を探している恋文に、早くどこに行けばいいのか
それを三日三晩知恵熱が出るまで考えるようになった。
それが長じて伝書少女となった。
唐突な当り前の孤独を見てすぐに想像できた人はそのアニメを正当に評価出来る人だ。
逆に全然想像できなくて透子の母親が発した自分も若い時なった事がある発言もすぐ理解出来ない人は、無理解なだけ。
要するにリア充だとか、中二病・高二病の類を青春時代に発症した事がない人、つまり中学高校に行ったことがないひきこもりやニートには難しいのだろう。
単なる統合失調症なだけだ。
それをさも自分の眼は可笑しくない、グラスリの監督は頭がおかしいと論じるのは自らアホである事を証明しているに過ぎない。
それこそ、この手の高尚なアニメは見ない方が、無い頭を捻って知恵熱起こしたりアホさ加減を思い知って不快な気分にならない分、君のためにもなる。
とにかく見るのが辛くなったらゲームしたりゲーム動画見たりして
当り前だけど、アニメでイライラする時は作画崩壊とか脚本の役不足的な要素も多分にあるんだけど
一番は集中力の欠如が原因だろう。
例えば、1話から一気に見続けられるアニメって日常系の作品(ex.みなみけとか男子高校生の日常とかご注文はうさぎですか?とか)が該当すると思う。
何故なら余計な頭使わなくて済むのが最も集中力を連続的に持続する事が出来るためだ。
逆に宇宙SFモノとか推理モノならネタが満載だし大人数が登場するし、何より単語量が多くて知恵熱出したりするから耐えられない。
特に推理・ミステリー・オカルト系は先が気になる反面、いちいち考察しながら感想しなくては行けなくなる。
普通アニメブログを何年かやってる人は容量を掴んでる人が多い割にその実、めんどくさがりも多いから、一度でもこの回を見忘れたり
見切ると感想も当然切られていくし、それが多くなり易い弊害もある。
最悪そのクールは何も感想してなくて野ざらし状態のブログサイトもちらほら見える。はてなダイアリーでアニメブログをやってる人は特にこの傾向が強い。
そして日常的に記事は出すけど中々感想に踏み切れないまま、記事タイトルだけが寂しく放置されたまま何か月経つと言う事もままある。
アニメ初心者ほど色んな作品に手を出しては文章量も短いから続くけど、長年やってるアニメブロガーは多くが自分の見たい作品を趣味ごとにチョイスして分けて見るもので、
整理整頓が好きではないけど長年の経験からカテゴリ分けを丹念に、今までやってきたからと惰性で編集して毎日過ごす人も多い。
このアニメが面白い、今日このアニメ神回だったと他のブログで見るや突然更新し出すのも惰性アニメブロガーの特徴だといえる。
話を戻すが、アニメは視聴だけでも段々飽きが出てくる。
稀に超大作でガンダムとか、進撃の巨人とかまどかマギカとかラブライブやうたプリみたいな人目を引くアイドルアニメがブログ界隈どころかメディアでも話題になったりすると
視聴してやるかという尊大な気持ちで見て興奮して感動する人も少なからずいる。
そういう連中の中にはアニメブロガーがいて、アニメで倦怠感を覚えて一時的にブログから離れてた人だっているはずだ。
そいつらがまたキーボードを叩こうというのならば、それはそれでいいと思う。
そう言う人間は一度でもアニメを見始めたら途端過去のアニメの感想はどうだったかなと気になり始めて最後にはやっぱりもう一度視聴して感想しようという気持ちになる人が殆どだろう。
要するに倦怠感を覚え出したらとりあえず一呼吸するとかこまめに休憩を取ったり全く別の事をしたりするのが一番だ。
最も簡単な事のようで実は誰かに言われないと理解出来ないのがこれで、もう何年もブログ更新してないアニメブロガーが最も陥ってるのがこれなのだ。
誰かがまたやって下さい、もう感想しないんですかとコメントをしてくれたら、もしかしたら何年か経ってきっかけが出来たらそれを励みにアニメブログをやり出すかもしれない。
気長に待ってるユーザーもいるわけだから、せめて記事に「しばらく休みます。探さないで下さい」みたいな気の利いたあとがきを残してくれた方が本人も後腐れがなくてすっきりする、という事もある。
なんかそんな感じ.
ぐりんぐりん動いて,ビームもにゅんにゅん撃ってという感じなのかなぁと思ってたら違った.
編隊組んでの集合美を魅せてる感じやった.素敵.
宇宙っていう世界一広い場所でガンガンに動くまくって戦うアニメばっか見てたから,新鮮でした.
そしてちっとも曲がらない/とっても静かなビーム!!
いや,きっと宇宙で戦ったらそれが一番正しいのだろうけどね!!
どれだけ鮮烈に人を殺せるか,なんて現実に考えたらロクな評価軸ではないけどさ.
あの「敵を殺したぜ!」「え?人殺しちゃったの?」って構図は,31歳のおっさんにも
けっこう良い角度で刺さった次第です.
銃で形見を加工しとったけど,1話からの視覚的な伏線にやられました.
それに対する音と光の演出もとても計算されてて,楽しかったです.
2月のワンフェスのトークイベントも見に行ってたりするのだけど,
そんときに「鳴子ハナハルさんの描く女性はとても肉感的な女性なので~」
みたいなことを言ってて,それになんか違和感があったんです.
「そうでもないだろう」と.
改めて見直すと,確かに他のおっぱい描いてご飯食べている人達の
美味しく頂く俺的には平均から随分上だと思うけれども.
せいぜい籐ます先生や三巷文先生やゆきみ先生より若干太ましい程度だろ,と.
見る人の目によって違うし,そこからさらに動画に変わって更にずれは
増えるしで,トークショー当日は面白くも心にモヤモヤが残ったわけです.
最初は「これでぶじゃん!でぶにゃんじゃん!」と思ってたもん.
でもでもでも,
実際動いてるのを見ると,横に間延びした(ように俺には見えた)
デザインが,キャラが動くために必要な肉づきだったのだと思い直したり,
「骨格まで見える!」とまで勝手に思い始めたり.
つくづくいい加減な自分です.
でぶにゃんもきっと空とか飛んだりからなんでしょう.
「よい乳は良い尻と太ももから!」という標語も飛び出す始末(俺から).
なんすかね.実際元絵と重ねたとしたら,ほんのちょっとの違いだと思うんですよ.
ただそのほんのちょっとの違いが良い違和感となって,俺に無駄な知恵熱を発生
させた次第です.
まどマギとかもそうだったのだけど.キャラデザがそもそも好きで,
そうなったのかとか考えるのは好きなのです.
今回はそれが作り手側と良い感じに違ってて,そこもとても面白かった次第です.
まだどんな終わりになるかもわかんないですし,
キャラの動きやお話が素敵な中で,音響がところどころ気になりますどね.
三人娘がアップになったときに,画面とセリフとの距離感が崩れてて
凄く嫌な感じになっちゃった.
「俺がそう思ったからそうなの!」って感じになるので恐縮なのだけどさ.
純粋に一話一話の構成の妙味や,もっさんのちょっとあざとい開拗音を
楽しみにして生きていこうと思います.
去年平成24年春期プロジェクトマネージャー試験を一発合格したので私と同じ非リア充社会人向けに方法を書く。エリート野郎、社会的マッチョ、イケメン、リア充の方はこの先お断りする。
①平日の朝を制する
朝起きるのはどうってことない。前の日に1時くらいまでに寝れば5時間くらい寝れる。余裕。
淡々と会社のプリンタで過去問10年分の過去問をコピーし、ファイリングして、朝の限られた時間で
解ける問題を解く。あんまり堂々とやらない。こそこそ仕事しているフリをしてやる。
幸い飲みに行って夜更かししちゃったーみたいなことが皆無なので規則正しく生活できている。
よく言えば効率化する。悪く言えば手の抜き方を覚える。
結果はこれまでと変わらず出す。(これ大事)
残業も変わらずやる。
私は昼休み、時には仕事中に隙を見て試験勉強やってた。文章書くフリして論文のモジュールを淡々と書いていた。
仕事の息抜きにタバコを吸いに行くひと同様、私は息抜きにちょろっと勉強した。
上司に見つかったら言い訳しろ、キリッ。覚悟を決めてぬかりなくやってほしい。
土曜の朝の喫茶店は異常なほど快適だ。世間は土曜日の朝くらい一息つきたがるからな。空いているぜー。窓際の端っこの最高の席がとれるぜ。広々ゆったり勉強ができるぜ。
休日の朝起きるのがつらいって?休日を無為に過ごしたときの情けない気持ちを味わうよりか
ちょっと平日と同じように起きるくらいどうってことない。
朝起きることくらいどうってことない。余裕。
自分は基本的に5時間寝れば十分という感覚を持っているので1時に寝ても6時間は確保できる。
十分。十分。
で、喫茶店で13時くらいまで粘る。集中の波はあるが4〜5時間はそこにいるってことを目標にがんばる。
たまに音楽聞いたり、違うことやったりしてもよい。とにかく時間で目安を作る。
土曜日の勉強は昼いっぱいまでやって以上終わり。あとは好きなことして過ごす。
日曜の夜の喫茶店は異常なほど快適だ。世間は日曜日の夜に一息つきたがるからな。空いてるぜー。またしてもいい席ゲットできるぜー。
日曜日の夜をエンジョイしたいって?大丈夫、君はおそらく友達がほぼいないだろう(私もだ)。何も心配することはない、無為に一人で過ごす日曜日が充実の日曜日になるだけだ。
で、喫茶店には23時の閉店を目指してがんばる。
明日の仕事のことが気になったりするだろうが、気になれば休憩がわりにTODOリストでも作って
1週間のやるべきことを整理すればよい。
以上が黄金の鉄則だ。
みよちゃん(みよしやすゆき)という先生を信じる。以上。ステマでもなんでもない、この人の作る参考書は魂というか怨念がこもっている。自分の頭で咀嚼して教材を作っている。私はみよちゃんみたいな人間がもっともっと成功して名声を手に入れてほしいと思う。
以下に私が使った教材を挙げる。
・みよちゃんのH24年度向け参考書1冊(神の書)
・論文対策用の論文サンプルがいっぱい入っている少し大きめの白いカバーの本1冊
・過去問全部(IPAから無料で落とせる。全部印刷してファイリングする)
・ポケットスタディPM(午前対策用、直前に流し見ただけだが)
まずはじめにみよちゃん本を中心にPMBOKの9つの領域で分けて
例えば品質管理ではSLAの確認、品質計画、品質管理で・・・・というように
進捗遅れた場合はこれとこれとこれ、品質悪いときの対策はこれとこれとこれ、みたいなことを
虎の巻は常に持ち歩き常に更新して常にプリントアウトして、過去問といて行く中で覚えときたいものが
最終的には虎の巻はワードで20ページくらいになった。過去問は10年分くらいを一通り答え見ながら
といた。過去問はまともにやると時間がかかりすぎるので答え見ながらその問題のパターンを覚えて即時虎の巻に
フィードバックするのがよい。答え見てよいから数をこなしパターンを覚えよう。
論文対策は実は虎の巻編集以外にやっていない。一回も論文書かずに試験受けた。受かった。
これは虎の巻に論文を意識した「対策モジュール」を何パターンも書いていたから試験当日でも
そのモジュールの組み合わせだけで解けた。論文の構成とかの具体的指南はみよちゃんの言ってることを参考にした。
あとは実務で経験している「プロジェクトあるある」を臨場感を演出しながら散りばめて書けばよい。
まとめると私の勉強は「みよちゃんと過去問を参考に自分用のPM虎の巻を作った」である。これ以外やってない。
論文書いたことなかったが試験のときはわき上がるように書けた。書き尽くせた。家に帰ると全身が筋肉痛になり知恵熱みたいなもんが出た。
自分用の虎の巻を書くことで自分の頭の中にPMBOK体系が再構築される。
人のやつを流し見ても意味がない。自分の脳にフィットした自分のものを作らなければきっと覚えられないだろう。
(もし参考になるのなら私の虎の巻を公開しますが、需要あるかな。)
自分の頭でプロジェクト知識体系を咀嚼する。これがポイント。下手に暗記しようとしたらダメ。
以上です。よかったら参考にしてください。
仕事中に勉強すんなとか、仕事に集中しろとか喫茶店で勉強すんなボケとか言われるかもしれないが
これは自分の人生を自分で選ぶというか、自分は経歴がクズなもんでもっともっと上に上がりたいという
意識が強く、いつもこのままじゃだめだとマイナーリーグでやるよりいつかメジャーに上がりたいという
こんな人生他人から見たらつまらないのかもしれないが(いや、私から見ても確かにつまらん)、とにかく上に上に行きたいという思いで
いつも家路に着く途中の高層マンションを見上げながらいつかここに住みたいと強く思いながら
忸怩たる思いを抱えながら勉強するしか道はないという思いで土日祝日勉強に費やして平日仕事して生きている。
仕事もがんばる、勉強もがんばる、家族も大切にする、そして上に行く。
でもこんな私でもたまには今日は勉強したくないなとか1週間モチベーションが下がりっぱなしで何もしなかったとかざらにあるのだけど
そんな時はいつも自分の「なぜ勉強しようと思ったのか」に立ち返るといいと思う。強く思いを噛み締める。
そしてまた明日から本気だす、キリッ、で十分リカバリーできる。
勉強道具持って喫茶店の席に座れば必ずリカバリーできる。勉強のモチベーションはいつだって必ず復活する。
そしてそして最終的に試験の結果なんて水物なので結果は必ずしもいい方向に出ないかもしれない、だけど忙しい中で一生懸命勉強したならば一生懸命やったこと自体には満足してほしい。ダメだったらまた立ち上がってまた挑戦すればいい。立ち上がるのはしんどいんだけどもう一度立ち上がるしか道はない。
私も引き続き頑張る。皆さんも頑張ってください。
んなもんは教えてもらう物じゃなく、自分で答えを見つけるもの。
んなもん考えなくても十分生きていける。
考えないで生きてる人間の方が、よっぽど普通の生活を送れてる。
人間とは、自分とは、を考えるのは20歳前後によくある傾向らしいが、
そこに変に執着して、宗教や怪しい慈善団体にはまった一例がオウム信者。
種から植物を育てるが如く、色々な生え方をする種もあるんだが、
あくまで水をやり時には肥料をやる程度の助力をするだけ、
それ程度の関わり方でも、卒業後の同窓会に呼ばれていたそうだ。
人間とは、なんて事より、「こんな道を選択すると、こんな人生待ってます」
みたいな方が、全ての生徒に対して断然に有用だと思う。