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はてなキーワード: メンタリズムとは

2017-04-05

ジョボボボボボボ

あなたが思い浮かべたのは男性立ちション・・・ですね?

これがメンタリズムです

2017-02-06

ペルソナ4ふたなりっぽいキャラを一人思い浮かべてください

里中千枝でしたね。

これがメンタリズムですわ。

古典部シリーズセックス快楽知りたさに行きずりの男と寝そうなキャラを思い浮かべてください

えるたそでしたね。

これがメンタリズムですわ。

ガルパンでペニバンで逆アナルしてくれそうなキャラを一人思い浮かべてください

角谷杏でしたね。

これがメンタリズムですわ。

セーラー戦士で口の周りに誰の元も知れない陰毛ついてそうなキャラを一人思い浮かべてください

月野うさぎでしたね。

これがメンタリズムですわ。

コナンで実はレズで年上のお姉さんに甘えたそうなキャラを一人思い浮かべてください

灰原哀ですね。

これがメンタリズムですわ。

咲-saki-ウォシュレットエッチなことに使いそうなキャラを一人思い浮かべてください

すばら先輩でしたね?

これがメンタリズムですわ。

エヴァスカトロも余裕そうなヒロインを一人思い浮かべてください

伊吹マヤですね?

これがメンタリズムですわ。

このすばで潮吹き癖がついてそうなヒロイン一人思い浮かべてください

アクアでしたね?

これがメンタリズムですわ。

2016-09-25

君の名は。』で、新海誠監督はそれまでの作品性を捨てたの?

君の名は。』に色んな意味で心鷲掴みにされて、もう何度も何度も劇場に足を運んでいるのだけど、

この作品の大ヒットに関して、ブコメも含め様々な場所個人的ちょっと気になることを目にしてる。

しかもそこそこな頻度で。





海監督が、『君の名は。』で、「アーティストとしての作品性作家性を捨てて、万人受けを狙った、そして売れた」って感じの意見ね。





いやいや、『ほしのこえ』当時からハマって追っかけてきたオタとしては、ちょっと待ってって思うのよ。

作品性」や「作家性」って、新海監督は別に捨ててなくね?って。



君の名は。』では新海監督の強いこだわりで魅力でもある画面のライティングや構図であるとか、

大きな力で引き裂かれる思春期(とそれ以後)の2人と恋愛喪失だとかは、

何にも変わってないよね。

ボーカル曲に合わせてMVか!って感じで見せていく手法もそのままだし、

ナルシシズム漂う独り語りも、ロマン主義も、センチメンタリズムも、そういう作品の特色なんかも昔と同じ。



なんか、個人制作の『ほしのこえ』と、感動とトラウマを多くの人に植え付けた『秒速5センチメートル』っていう過去作のインパクトがあまりにも大きくて、

あいものこそが新海作品だ、万人受けしなくても、一部の人に響く強烈な作品やこだわりを志向するのが新海監督なんだ、

ラストで結ばれないものを観客に容赦なく突きつけるのが新海作品本質なんだっていう考えを持ってしまった人が結構いるような気がする。



でも新海監督を昔から追ってる一個人妄想としてはさ、

海監督は「わかる人だけが自分作品をわかってくれればそれでいい」という立場より、

「万人に受け入れられたい」そして「メジャーな規模で売れたい」という立場自己顕示欲や願望のほうが、

からずっとずっと強かった人のように思うんだよ。

大ヒットでインタビュー受けまくってる姿なんて、ほんと昔から目指していたことが叶って嬉しい、って気持が、なんかありありと伝わってくるし、

『秒速』は見た人を励ますつもりで作って、「鬱だ」って反応が予想外だったって新海監自身も言ってたし。

過去だって、『エヴァ』とか、『最終兵器彼女』とか、ジブリとか、村上春樹とか…、とにかくメジャーで大ヒットした有名作品とかにそこまで寄せなくても…って思うくらい寄せてくるし。



ほしのこえ』『秒速』みたいな作品は、ニッチな層にだけ強烈に響くこと意図的志向して制作していたわけでなくてさ、

たぶん、単に個人制作・小規模制作視野が狭かったり、監督個人スキルが低かったり、お話の引き出しがワンパで、

結果的にああいものばっかになってたんじゃないかな?

(そして今作でも周りの大人たちやDQN客みたいなのは、相変わらずびっくりするくらい定型的でチープで、そことのやりとりも上手く描けないから省かれてたり)

決して『秒速』みたいな作品や、あの作品への反応みたいなものこそが新海作品本質だ、作品性だ、ってわけじゃないと思うのね。

君の名は。』はわかりやすエンタメ目標にしたわけだけど、

そもそもが新海監督は、わかりにくいものや非エンタメ作品志向してたわけじゃないんだから

描きたいこだわりを省いた、作品性作家性を捨てた、と言うより、

周りのスタッフとの共同作業を通じてスキルアップしたって言い方のほうが正しい気がする。

川村元気Pから新海誠ベスト盤を作って」って言われて、描きたいものを描いて出来たのが『君の名は。』なわけだし。



ともかくも『君の名は。』で、メジャー映画監督の仲間入りした新海監督だけど、

個人的には次回作も楽観視してる(『君の名は。』を超える興収をあげるかどうかは別にして)。

優秀なスタッフと関わることで成長していく可能性もあるだろうし、

逆にそこまで成長しなくて、また底の浅い引き出しかワンパターン思春期男女の話を作ったとしても、

その時それは「ああ、今度のも新海さんっぽいねー」って言われてると思うの。

ジブリっぽい」って言葉と一緒でさ、オタだけじゃなくて一般に広くそう思われるようになったら、

それはブランドになるし、ある意味もう勝ちなんだよね。

思春期のこの手の話をああいう絵力を交えて魅力的に見せれる作家って、実写含めて今は新海監督が一番だと思うしさ、

次回作が仮にワンパターンものになってたとしてさえも、たぶん、きっと大丈夫



それに新海監督は興収やら評判やらがしょぼくて落ち込むことはあったけれども、

とりあえず興収で一定の結果を残せさえすれば、庵野監督のように大ヒットしたのに深く苦悩する、そういうことに陥るような人とは実は違うタイプだとも思うから

2016-05-10

39度のとろけそうな発熱にやられながら考えたこと

ここ42時間ぐらい39度近い発熱を繰り返している。息苦しく、頭が割れそうになり、思考もままならない。こんな状態を何度もやってきて、決定的に身体が消耗してきたのを感じる。熱が上がってくると男ながら情けなくも泣きたい気持ちになるが、うっすら目がにじむだけで、涙粒にはなりやしない。今、身体は男のセンチメンタリズムにつきあって、涙を製造している暇などないのだ。うぅ合理的。血も涙もないとはこのことか。


病気のおかげで、ひとつ哲学的な問いに対する答えが見つかった気がする。守るものがあるひとと守るものがないひとは、どちらが強いのか。

もともと守るものなんてなんにもないと思っていたクチで、私はひどく働いていた。フリーランスになったばかりで頂いたお仕事ひとつも断りたくなかったのだ。業種や詳細は控えるが、朝起きて仕事して倒れるように寝て、また仕事、そんな生活。これは滅私奉公というやつで、守るものがないからこそ発揮できる強さだ。自分の身体のことなんてチリほどにも大事にも思っていないから、こういう働き方ができる。

結果、身体を壊して入院した。そして、発熱を繰り返すと、否が応でも自分の身体のケアを考えなければならなくなる。ただ元来が、滅私奉公型で働いてきた人間ゆえに、自分のためだけに頑張るという発想ができない。一体誰のためにいつまで続くともしれない発熱や痛みと戦えばいいのか?陳腐オチ申し訳ないが、頭をよぎったのは、入院に際していろいろと世話をしてくれた彼女存在だった。守るべきものがある強さとは、身を粉にして働くこととは正反対で、守るべき誰かのために自分自身をも守れる強さなんじゃないだろうか。だっていつまでもこんなところでへばっていたんじゃ、気を尽くしてくれた彼女に対して申し訳がたたんだろう。

さて一度、話を戻そう。守るものがあるひとと守るものがないひとは、どちらが強いのか。前者は、自己犠牲型で強力なパワーを発することができる。後者は、他者のために自分をもいたわることができる。どっちがいいのかは置かれた状況次第だか、長生きしそうなのは後者だと思った。

退院したら、きちんと彼女にいつもありがとうと伝えよう。あなたのおかげで今頑張ってます


入院中の病院より高熱にうなされながら

2015-10-07

エロアニメ『君の名を呼べば』下巻

エロアニメ『君の名を呼べば』上巻
http://anond.hatelabo.jp/20151006195303

記号レイプ

序盤一幕目までは記号としての名前レイプが繰り返されます。この辺は前回も少しだけ説明しましたが、全くのビッチだった彼女がふとした「大切なきっかけ」を与えられるようになったおかげで名無しか実名に変わってしまった出来事と言えるでしょう。名無しであった為にいくら身体をレイプされても自分という存在は汚されませんでしたが、上巻三幕目の彼女に起こった出来事により、彼女実体を持たされて実体のままレイプされてしまうのです。ここでこの話のエリート学園内の制度としての売春婦、という設定は遺憾なく発揮され、彼女主人公を追い詰めてゆきます

胡蝶の夢

なんとただのマイナーアニメかと思いきやこの監督、『うる星やつら』、それも押井守作品のファンですね。胡蝶の夢という単語が急に飛び出します。この流れは主人公ヒロインが両方精神的肉体的レイプを受けるに従って主人公妄想を始めてしまう、という流れの中に組み込まれています現実の激しいレイプを受ける彼女を受け止めきれないナイーブナイト気質主人公現実逃避としてもう一人の彼女を創りだしてしまうのです。そしてこの幻想現実が混在する手法は、同じくエロ世界巨匠山本直樹の『僕らはみんな生きている』を彷彿とさせます

セカイ系

急激にセカイ系様相を呈する二幕目です。彼は閉じられた地獄である学園から彼女を救い出そうと決意し始めます。ここで過去回想を再び反芻しますが、同時に階級社会の闇も言及されます自分自身エリートであるのに彼女町工場倒産の憂き目でその身を飛ばした、という知らない世界についての言及です。この心理チェ・ゲバラキューバ革命動機として旅に出た際の感情にも似ており、若さ溢れる普遍的メッセージと言えます。ただまあ、町工場が潰れて借金のカタとして娘が身売り、という設定自体昭和過ぎて今は逆に定番化しにくいような気もしますが。

ミッドポイント

物語の中盤です。彼女と一緒に逃げようとしますが、彼女主人公似非ナイト気質をようやく断罪します。ここがミッドポイントなのも納得できる展開。むしろ甘々な主人公に釘を刺す意味で、かくあるべしといった展開と言えるでしょう。よくよく彼女セリフを聞いていると、『存在の所有』について明確に定義づけていることに気づきますし、前々項で述べた胡蝶の夢伏線が含まれていることも分かります。この辺りで視聴者はこれがヒロインの夢か、主人公妄想かを疑うように仕向けます

ここでの重要ポイントはH中にも挿入されています。それがヒロインの言うところの三つの人格です。ビッチとしての自分レイプされた自分、純血の自分、そしてそれらを統合する二種の夢です。いざ挿入の地点で「そういう設定」とさら伏線回収。ここは引っ掛けではなくそのまま三幕へと移行します。

締め

三幕目には彼女との行為が夢ではなかったことと、彼女との関係が夢であったことと、残った痛みが夢ではなかった、という描ききれないミスチルセカイ系センチメンタリズムで幕を下ろします。何故こうなったかエロアニメだったから、としか言いようがありません。なぜならエロとは実体幻想であったと開示されると急激に価値を失うからです。例えば全て一人の人物の妄想でした、となった時、もう一度そのエロで抜く気になるのかどうかという実用性の問題に直結します。ただしセカイ系の決着点は最後に見えたフェンスの穴で全て説明されているともいえます彼女の膣穴が閉塞した世界における彼の全てで、左遷処置を受けた彼女はセカイの外へと旅立ってゆきました。結局彼女は夢の世界を選ばなかったと解釈できるラストですし、穴からセカイの外を覗く主人公はずっとモラトリアムの中に投げ込まれたまま、次の現実を見据えつつも痛みによるオナニー意識に興じています

また、彼女との最後のシュチュエーション追加によりレイプモノ、ビッチモノ、一穴主義全てを網羅した意欲作とも言えるでしょう。作り方の裏側を見ると案外と貪欲です。

因みにミッドポイントにおける存在の所有は承前として、存在する三種の人格を承けているといえます。三種の人格権力に所有される彼女の内的な所有人格であるというマトリョーシカ構造垣間見ます

2014-06-09

スタチャさん、フタコイ オルタナティブBD-BOXまだですか?

リアルタイムで見てた時からずっと大好きだったんだけど、

自分がどんどんオッサンになっていくに連れてどんどん沁みるようになってきた。

太郎の年齢をはるかに追い越してしまった。

センチメンタリズムをがんがん刺激してくる、たまらん。

2014-04-23

不可思議/wonderboyと小沢健二

かの @pamyurin さんが突如ツイッター投稿した効果(あとセカオワ効果)で、不可思議/wonderboyの路上ライブPV

単位再生数が跳ね上がっている模様。。200万人フォロワーの力は恐ろしい…

その不可思議/wonderboyの代表曲とも言える『Pellicule』に、前から思っていた事があったので、この機会に少しまとめてみた。

神門狐火、泉まくら、daokoなどの楽曲提供で知られるトラックメイカー・観音クリエイションさんによる儚げで美しいピアノメロディが特徴の、

1stアルバムラブリーラビリンス』のリードトラックで、個人的にもポエトリー・リーディングで一、二を争うくらいの、フェイバリットだ。

この曲をあの屈託の無い声で語られるといつも何故か涙腺が。。。

リリックの内容は、正直言ってベタだわ青臭いわだで苦手な人は全く受け付けないのかもしれない。自分も一周回って好きになった口。

大雑把にあらすじを書いてしまうと、サッカープロ選手になれなかった高校の友人が、夢を諦めきれずにタイの二部リーグ留学し、

久しぶりに日本へ一時帰国。そして大人になった主人公がその友人を迎え入れる所から始まる。

主人公は久しぶりに会った友人の変貌に驚きながらも、再会を喜び、周りの皆も心配してたんだと伝える。

だが、そこには昔つるんでいたいつもの面子は居なかった。

主人公は他の友人が居ない理由を「忙しくて来れない」と取り繕い、2人だけで呑もうぜと誘いに出る。

そこで2人は他愛も無い思い出を語り合いながら、「来はしない友人達」を待ち続けた---という話。

この曲のバース(っていうの?)「待ってた 俺たちはいつまでも待ってた 来はしないと分かっていながら いつまでも待ってた」というフレーズは、

これだけだと一見普通に聞こえるが、その文脈を辿ると、「校庭で流星群を待ち続けたあげく、結局星が見れなかった俺たち」と

「未だに漠然とした夢を信じてうだつの上がらない俺たち」、そして「来はしない旧友を待ち続ける現在の俺たち」の

つのシーンにかかっており、非常に強く訴えかけてくる。

そして話は飛ぶが、「そもそも何かを待ち続けるという行為は何の意味があるのか?」という問いが浮かんでくる。

小沢健二が言うには、スペイン語で「待つ」という言葉は「エスペラール」と言い、その派生が「エスペランサ」、

希望」という意味だという。元来、人にとって「待つ」と「希望」は一緒の意味だったのではないかという説。

(※ちなみにカイジに出てくる船エスポワールはフランス語

まり、「何かを待っている状態」は、「希望を信じている状態」に他ならなく、「待つ」という行為を急かしたり、

すぐ結果を求めたり、ムダなものとする行為は、そのまま希望(のようなもの)を捨てる事、らしい。

ここから話が様々な思想へと繋がっていくが、それは割愛

話を戻すと、自分はこの考え方は、不可思議/wonderboyのセンチメンタリズム、そしてこの『Pellicule』という曲のテーマにそっくり当てはまる気がしている。

大人の事情で来れない友人を待ち続けるという行為が、如何にバカバカしく子どもじみた行為かを分かった上で、

それでも信じて待ってみる事は一体人生においてどういう意味があるのか。あるいはやはり無いのか。

まぁあまり話はまとまらないが、オザケン大好きな自分不可思議/wonderboyにハマったのはある意味必然だったのかな、という事で。。

2013-01-21

「局所最適は全体最悪」という大ウソ

世の中では、何故か局所最適が目のカタキにされておる。なぜじゃ?

いわく、部分にとらわれるな。いわく、局所最適は全体最適とは限らぬ。

あげくのハテには、「局所最適は全体最悪」という噴飯レベル言葉である

はあ?何もわかっとらんな貴様らは。本当にそれで結果が出たのか?全体を最適化なんて簡単に言うがそれが出来たら苦労せんわいッ!

まず、

我々が、すべきことは、

「全体という幻想」、からの、脱却である脱獄である

「全体」「全体」と言うがそれは本当に全体なのか?全部見えている人間なんているのか?偏ってるんじゃないのか?我々は軽々しく全体という言葉を使いすぎたのだ、そうなのだ

考えてもみてよ。お前はホントに全体が見えているのか?ホントホントにか?ホントホントホントにか?自問してよ。

それは全体ではないのだ。全体がわかった気になってるだけ。

い・い・か・ね。

その「わかった気の全体」を最適化しようとするからおかしなことになるんだよキミ!!わかってるのかね!

偏っていて曖昧模糊としていて漠然とした思い込みにまみれた「全体像」を最適化しようとするから、だからおかしなことになる。

現実をみなさい。気にも留めていなかった細部をみなさい。現場をみなさい。

2chが生んだ格言「こまけぇこたぁいいんだよ!」は細部にとらわれるなという意味であって。細部を見るなという意味ではない。細部は見ないと駄目なのだゴミ箱行きにしちゃ駄目。

細部も見ずに全体を語るなど、笑止千万抱腹絶倒、へそで茶がわいては泣く子も黙る。

それはわかったが細部を見てどうすんだYO、って思うじゃん? 細部を見て、細部の最適化を考えるんだYO。細部の最適化。貴方は細部の最適化を考えたことがありますか?貴方の人生、細部の最適化、考えてますか?

細部って言われてピンと来るまい。なぜなら、我々は細部に気を止めて生活して「いない」。気に留めてないから細部の最適化と言われてハトが豆鉄砲を食ってるような顔する人が多い。

具体的に言おうか。細部とは一挙手一投足、一つ一つの思念のことだよ。キミ。はい今キミが一秒間にとった動作。それ。それだよ。(^^)

1秒、1分、1時間

1日、1月、1年。

何事も階層的に(hierarchically)、かんがえねばならぬ。

それをすっ飛ばしていきなり人生全体ガー、俺の人生ガー、今年の計画ガー、なーんて語るから、だからうまくいかねえんだよ!

まず、「今」に集中しなさい。

過去はどう、未来はどう、そんなことは一切考えなくていい。鬼の形相でそう断言したい。過去と比べてなんになる。未来心配してなんになる。

であれば、「今を最適化すること」に集中しなさい。

今この瞬間に、今できること、今すべきことは何なのか?考えうる限りの最善手は何なのか?それをやりなさい。

努力

何の話をしているんだい?もちろん努力はして当たり前だが。しかし我々の言う「努力」とはうんk我慢大会の域をでない。苦しいだけで何も得られない。我慢することでエクスタシーは得られるがその不毛さには誰も気づかない。

そんなものを「努力」と勝手に呼んでおいて、それで「働きたくないでござる」と勝手なこと言っているのがわれわれ日本人の生態なのである。そう、努力とは無色透明の「パワー」にすぎない。

それをなんでもかんでも勝手に「苦しくてマゾもの」と色づけして逃げてる時点で、十分にその人も彼らが嫌うマッチョ主義の一員だというオチであるお笑い草なのである

からそういう人は努力という言葉は捨てたほうがいいよ。さよならガンバリズムこんにちはダイゴメンタリズム

決定、そう「決定」って言葉を使うことをお勧めする。そう、我々は実際には決定しか行っていない。何も「努力」はしてない。なのに努力できると思い込むから不幸になる。そう、私は社長。私がしているのは決定だけ。あとは身体が勝手にやってくれる。

そう捉えてみてはいかが?心の中での決定だけが仕事から楽ちん。そう、これがメンタリズムの神髄。

なんでこんな話したかというと、

努力するとかしないとかそういうことはどうだっていい。そういうこと気にしてる時点では何も局所最適化できてないのであって。そういう人が勝手に局所最適化とはその程度のものだと見切りつけて局所最適化を悪く言ってんだよ。

考えてもみるがいい。最適化とは臨機応変なものなのだ。休むべき時は大胆に休み、働くべき時はストイックに働く。そんな柔軟な対応がだね、

努力について歪んだ信念もったままでそんな柔軟な対応ができると思う?思わないだろう。

もう一つ大切な論点に触れよう。

それは、我々は時系列モデルを扱っているのだ!ということ。人生時系列である。各点が先行する点に依存する。いわゆる、因果関係

ダッカーラ、だから、ある時間帯での局所最適は後続する時間軸においても良い影響を残すということ。わかるね?

きちんと毎瞬毎瞬をいきてる人は、メキメキ力をつけていくんだ。

さらに追い打ちをかける論点がここに。

かいはいいことだ。小刻みにカイゼンしていけば成長がはやい。PDCAサイクルの鬼。

くっだらねえ全体の幻想をふわふわ抱きながら「努力」してる人なんかよりも、今を生きている人のほうが輝いているし、モテモテで、プールのあるような豪華な家に住んでるだろ?浴室もホテルみたいにオシャレ。あれは何?

あれは小刻みなカイゼンのたまものだよ。

時系列システムに生きる我々にとって、小刻みマンがもっとも手強いのだ。逆に言えば、我々が小刻みマンになればいいんだよ。

まりグリーンだよ。

ダッカーラ14世、だから、「局所最適は全体最悪」は最悪の言葉なの。

局所最適をこき下ろす時点で、彼は時系列システムの特性を理解していない。

っていうか、人生という時系列システムのサブシステムだけを見ている。例えば、仕事をうまくやる。リーダーから全体を見なきゃとか。それは人生全体ではなく断片をみてるだろ?

人生80年のうちの1年といった短いスパン成功させることを考えてる。しかも、人生の無数の要素のうち「自分仕事」という狭い部分だけをみてる。

狭いと言っても、別に今を見てるわけじゃないんだよな。今に集中するのでもなく、本当の全体を見るでもなく、フワフワフワフワやっとるわい。

ここまで読んできた読者にはおわかりのように、そういったフワフワした部分を全体と思って最適化しようとするから、だから駄目なんだよな。皮肉なことに全体最適標榜するくせに断片ばかりみている。

じゃあ、なんで今を生きる人は局所最適なのに全体的なのか?ここ、試験にでるよ。

それは「常に」局所最適だからだよ。何してる時もどんな時もどんな状況でも何に向かってる時も何が起きている時も、常に、常に、常に、ベストを尽くしているから。

から最初一年間で全ての部分がまず局所最適化する。ちょっとした金持ちになる。イケメンになる。頭が良くなる。タフになる。別人になる。別人になるんだけど、まだまだ未熟かなという感じ。

しかしだよ。時系列システムの特性により、最適化された各部が良い影響を与えあうのだよ。時間差で相乗効果がくる。

から仕事しか頭にない人間は駄目なんだよ。相乗効果が得られない。昔から文武両道と言うだろう。デキる男は遊びもデキる。そういうことなんだよ。

 
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