はてなキーワード: MRIとは
ちょうどその時洗濯物をしていたので、後で見ようと放置していた。
なんてちょっぴりドキドキしながらメールを見た。
差出人:母
本文:左側が痺れてろれつがまわらなくて、軽い脳梗塞です。心臓にペースメーカーを入れているので、MRIは使用できないので詳しい所まで検査が出来ないようです。〇〇病院の8階8H6に入院してます。あんたが来てくれたら元気になるかも(笑)
は?
脳梗塞?
倒れたの?
いつ?
なんで?
心筋梗塞??
疑問で頭がいっぱいになった。
親父からは何の連絡も無い。
いくら仲良くない親子だったとしても。
現在22時。
こういう時に限って間の悪いメールが来る。
よし、面会に行こう、すぐに。
そう思って病院の面会の時間を調べてみると、面会時間は20時迄。
今はもう23時。
今日はどうやら無理だ。
胸がざわつく。
軽く動揺してる?
でもそれほど慌てていない自分を少し冷たいと思った。
明日の朝行くよ。
と、メールして寝ることにした。
布団に入ってからもしばらく色々な思いが走馬灯の様に思い出されて眠れなかった。
まぶたのうらに母の麻痺して歪んだ顔がちらついた。
他に怪我はしてないかな?
親父はとても一人じゃやっていけないんじゃないか。
また手伝わなきゃならないのかな?
早く結婚しておけばよかった。
こんな時に家族がいたらきっと心強かっただろう。
朝になった。
時刻はすでに8時を回っていた。
寒さで布団から出られないが、起きなきゃ。
でも、眠気に負ける。
ごめん、おかん、親不孝な俺を許して。
まどろみの中で問答を繰り返す。
仕事の支度を済ませる。
いつもは慌ただしい朝だけど、今日はずっと落ち着いていた。
道中様々なことを考えた。
思えば、ここのところ立て続けに悪いことばかり起こってる。
その2ヵ月後祖母が突然倒れ他界。
継いでからちょうど1年後、自分は親父と喧嘩して家を飛び出し、今は運送業で働いている。
母の負担は一気に倍増したはずだ、辛労が祟ったのかもしれない。
俺も加害者だな。
すまない。
母方の親戚には結婚の事、仕事の事で色々言われていたので、また言われるかと思うと気分が重くなった。
そのS病院では祖母の姉も亡くなっていた。
医者も足りず、ほとんど助からない…S病院のいい噂は聞かなかった。
きっと母はそこだけは避けたのだろうと思った。
病院の駐車場へ止め、エンジンを切ってドアノブに手をかけた時だった。
昨日よりもずっと強く、悲しみが胸を貫き、涙がこみ上げてきた。
ここに来てようやく実感が湧いてきたらしい。
胸が苦しくなって嗚咽が出た。
しっかりしなきゃ。
母の前ではせめて笑おう。
足取りを確実に、メールに書いてあった8階8H6を目指し院内を奥へ進む。
途中エレベーターに乗り換える。
8階について、一際大きくなる不安と悲しみ。
ここに、変わり果てたおかんの姿が…。
そう思うと足取りがずっと重くなった。
そこから先はE8F8G8H8と4方向に分かれていた。
どこにもH6なんて無い、間違えたのだろうか。
ちょうどそばにいた掃除のおばさんに尋ねてみると、H6は6階だと返答が返ってきた。
メールに書いてあったのは8階。
階は間違ってないだろう…もしかしたら8HとH8を間違えたのかも。
そう思ったら涙が出た。
ナースや掃除の人が忙しそうに働いている間を抜けて、部屋の上の番号を確認して一歩一歩進んでいく。
誰も自分に興味を示さない。
1…2…
途中目に入る病室の中は、
お歳をめしたご老人ばかりが目についた。
3…4…
近づいてきた。
心臓の鼓動がはっきりと響いてきた。
5…
次だ。
6。
ここだ。
部屋の入口に貼られた名札を確認する。
6人べやで上から順に名札を見ていく。
果たしてそこにあったのは
増田…
公造
…それは爺さんの名前だった。
DSM-Ⅳによる自閉性障害の診断基準に、脳機能関連の検査項目は含まれていないのはご存じか。
発達障害が脳機能の器質的な障害であるのは確たる事実であるが、その詳細については現状わからないことのほうが多い。
MRI,MRS,脳波検査などで明らかな異常が認められることもあるが、
判断がつきにくいケースのほうが多いため、脳機能関連の検査だけでは確定診断不可能。
小児の場合は行動観察や知能検査で得られた所見から診断されるのが今のところ一般的。
同じく脳の器質的疾患である統合失調症や大うつ病だって誤診の嵐だからな。
精神外科ってのは廃れた分野だが、遺伝子病理診断や脳神経外科の発展であらゆる精神障害の病因が一目瞭然になる時代がくるといいな。
息子がADHDと診断されてからそろそろ1年が経つ。
息子さん大丈夫ですか?と始めて言われたのは幼稚園の入園あたりからか。
言葉は遅く喃語を話して会話できているように振る舞う、パンツにうんちをしても気に留めない。
障害?ということを考えなかった訳ではないが、個性的なだけかな、と自分に言い聞かせた。
直に言葉も出て来て、オムツも外れ、所作が年相応(周りから見たら1年遅れくらい?幼児なら誤差範囲か)になってきたあたりから
息子の奇行が目立つようになってきた。このころは相当、躾や教育について、周りから善意のアドバイス、指導を多数もらった。子育ての自信喪失以外なんの役にも立たなかったけど。
小学校に上がり、1年たち2年たった。
教室からの飛び出し、級友と話がかみ合わない。すぐに手が出る。話を聞かない。
トラブルが絶えず、何度となく学校へ呼び出され、スクールカウンセラー、養護の先生、担任、副校長、校長とに薦められ、病院へ行くこととなった。
MRI、血液検査、WISC-3他、様々な検査をへて、「おそらくADHDでしょう」と言い渡された。
診断を受けた直後は、軽い絶望と、自分らの子育てが悪かったわけではないという安堵。
投薬が始まった。
でも。
何かが変わっているとは思えない。
息子の奇行は変わらないし、むしろ、周りのこの精神的な成長が順調な分、幼さが際立ってくる。
(続く)
ほんの一ヶ月前にいきなり腰椎椎間板ヘルニアになってしまいました。
つまりは腰の骨と骨の間にある椎間板という組織が飛び出して、神経を圧迫することによりさまざまな症状が出るらしいのだが、
私の場合、腰は発症時も今も特に痛くなく、片足に強烈な痛みと痺れがいきなり出てきた。
今まで腰を痛めてぎっくり腰になったこともなかったし、
腰痛はまったくなかったってわけでもないが中腰とかつづけてその時だけ痛い程度で
特にそれらしい前兆は何もなかった。
で、発症と入院までの経緯なのだが。
いきなり片足のふくらはぎが張り出したと思ってたら、痛みが同じ箇所に出てきて痺れが出るようになった。
そして2時間ぐらいで歩くのがやっとという痛みになった。
その後は悪化する一方で、片足全体に痛みが走り、痺れがひざ下全体に及んでいた。もう片足にはまったく症状なし。健康そのもの。
座ってても何してても痛い。
ストレッチとか、シップとか試してみたけれど、ただただ猛烈に痛い。
昔足の指を3本骨折したことがあったが、それと比較にならないくらい痛い。
バファリンを飲んでみたけれど、まったく効果なし。
なんぞこれ状態。
その日はどうしても仕事場にいないとまずい日だったので、なんとか自分をだまして定時の18時まで居て退社して、
即効で街の何でも屋的な医院にいった。
遅い時間なので専門的な病院や大きい病院はやってないし、整形外科も診療に含まれてたので急場しのぎととりあえずの意味で行ってみた。
診察してもらうととりあえず神経症状なのは間違いないが、原因は今の段階では不明とのこと。
痛み止め(ロキソニン)とビタミン剤出しとくから、1週間後また来てといわれて帰宅。
で、寝違いとかかもしんないし寝たら治るだろうと若干淡い期待を持って就寝。
いつも5秒で爆睡して一度も目が覚めずに朝遅刻ぎりぎりに目が覚める私が
ロキソニン飲んでるはずなのに痛みで眠れない、寝れても浅い眠りで1時間もしないうちにすぐに目が覚めるという悪夢の時間を過ごして不眠状態。
朝いつもの時間よりかなり早く目が覚めて起きるとすごく眠いはずなのだが痛みが圧倒してて不眠とかどうでもいいになってた。
猛烈に痛い。昨日より猛烈に痛い。トイレもつらくなって出が悪くなってました。
でも会社行かないといけないと自分を追い込みながらだましだまし出社の準備をしてたが、
その間も激痛が走り、食欲も出ない。歩くのも困難になりつつあった。
本気で救急車呼ぼうか悩んだけれど痛み止めを飲んで、ほんの少しだけ会社に出社して最低限の引継ぎだけしたら病院にいこうと決めて無理やり駅まで歩いた。
正直いつもはなんてことのない10分程度の道のりに3倍以上の時間をかけて、痛みを無理やり我慢して歩いた。
もうそのときにこれ、会社ってレベルじゃないとやっと決心がついて電話して休んでそのまま電車乗って大きめの総合病院に。
整形外科で診察してもらったのだが、問診と足の反応を調べてもらってたぶんヘルニアでしょうといわれて唖然・・・。
そういえばこのときに気づいたのだが、足にぜんぜん力が入らなくなっていて先生の手に完全負ける状態に。
えっ、腰は痛くなくて足が痛いのになぜヘルニア?状態。軽く話してもらって納得。神経圧迫してるのが足の神経で足に症状が出てるとのこと。
腰が痛くなる場合もあるらしいが個人によって同じように圧迫されているように見えても症状が若干違うらしい・・・。
検査中大丈夫なようにキツい痛み止めの座薬(後に知ったがボルタレンサポの50mg)を入れてもらって、MRIとレントゲンを撮ってもらって腰椎椎間板ヘルニアと確定。
ただ、痛み止めが無意味なぐらい効かない。MRI中も足が震えるぐらい痛い。
で、確定診断後の診察中もずっと痛くて耐えられない中、先生にこれ以上強いのだと麻薬みたいな薬しかないし、外来でできるのはさっきみたいな痛み止め出すだけしかできないけど、会社休めますか?とのこと。
「こんな痛みじゃ会社どころじゃないので休むしかないだろ、常識的に考えて・・・。」
と思いながら会社に事情話して休みますといって無理してもらってベッド確保してもらって即入院決定orz
まさか緊急入院するとは思わなかった・・・。
楽観的に診察してもらってる最中も注射とか点滴とかで帰れるものだと思ってましたorz
その上、まだ決定はしてないけど手術が必要になるかもしれないとのことでした。
とりあえず、かなり症状もでてるので痛み止めがてら神経ブロックを試してみてから決めましょうとのことでした。
ほかにもいろいろ言ってもらってたんですけど、正直痛みで話の7割ぐらいは通り過ぎるだけでしたよ・・・。
そんな感じで入院したんですがその外来で診てくださった主治医の先生がいい人で、
神経根ブロックを無理して本来してない日に早めてしてくれたり(痛みが耐えられないから)、
手術しないといけないと勝手に思い悩んで手術に決めた後も手術か保存療法(手術しないでブロック注射などを使いながら自然治癒で治す方法)で悩む時間をくれたり。
結局手術は回避できて(どちらかというと回避した?みたいな)、神経根ブロック3回コースで退院できるレベルにはなりました。
ただ神経根ブロックが超絶痛い・・・。痛いのを抑えるための治療なんですけど、整形で一番痛い治療法だと先生に言われましたよ。
まぁ、今も若干麻痺が残ってはいるんですが痛みは安静にしてればほぼないのでいいんですが、
5分ぐらい歩くと痛みと痺れがカムバックしてきてしまうんですよね・・・。
これぐらいですんでるのも痛み止め(朝晩ボルタレン37.5mg)のおかげではありますがorz
先生も言ってたんですが、日常生活に戻るのはそれほど難しくないけれど社会復帰が大変な病気だと・・・。
正直会社に迷惑かけてるので早く戻りたいんですが、無理すると麻痺が進行して取り返しつかなくなるといわれてるので
家で安静にしてる日々です・・・。
タイトルに不適切な表現がありますが、あえて使わせてもらいます。不愉快な人はごめんなさい。
3年前の今頃、夫が重度の男性不妊だと分かり、現在まで子供なし。今年中に体外受精をしようと夫婦で決めていたので先週の私の誕生日(土曜で夫の仕事が休み)に不妊専門の病院へ行ってきた。
本当はもう少し早くに不妊外来へ行く予定だったんだけど、婦人検診の乳がん検査にひっかかってしまい、精密検査に時間がかかってしまった。
エコーで腫瘍が左胸に1つと右胸に2つみつかり、そのうち1つは問題なし、残り2つは「異型細胞」で癌ではないが正常でもなく、今後癌化する可能性もあるので半年毎の経過観察ということに。体外受精をする予定だとあらかじめ伝えていたので、主治医は今後はホルモンの影響等も考えて経過観察する予定だと言ってくれた。
エコー、マンモグラフィー、MRI、針生検と、癌の可能性がなければしない検査(針生検)までしたので、結果が出る前に乳がんの覚悟はしていた。30歳になる前1ヶ月間は乳がん検査と結果待ち。まだ20代だし3つの腫瘍が全部癌ならすぐに全身に転移して死ぬのかな・・・と、とても不安だたけど、私を不安がらせないようにか、夫は「絶対癌じゃないよ」と言うだけだった。
3年前、夫の精子検査の日、夫は結果を聞く前に仕事に戻ったので私は一人で結果を聞いた。
先生:「はい、○○さんの奥さんね?えーっと、ご主人とは自然妊娠は無理ね。精子が少なすぎるから。体外受精でも無理だろうね。子供ほしいなら顕微授精以外無理ね。」
私:「え・・・・?」
先生:「顕微授精の説明は看護師から聞いて帰ってください。はい、お疲れ様でした。」
私:「え・・・、先生、無理って絶対に無理なんですか?」
先生:「絶対とは言えないけどこの数字じゃねー、考えても仕方ないよ。」
徐々に自分の体から血の気が引いていくのを感じて、意識がボーっとして、大して何も質問が出来なかった。ただ、先生の言い方が冷たくて冷たくて、平常心を保つのがやっとだった。何で夫は帰ったんだろう、一緒に居てほしかったと強く思った。今考えれば、同情した言い方をすると泣いてしまうかもしれないから、淡々と言ってくれたのかもしれない。
なので、今回は自分の検査だったけど、結果を聞く時は一緒に居てほしかった。癌じゃないと思うけど、もしも癌だと言われた時には、夫に隣に居てほしかったから仕事を休んで一緒にきてとお願いした。有給があまってるので休めたけど、「結果聞くだけなら一人で行けるでしょ?」って言われた。夫は私がお願いしたら嫌でもお願い事を聞いてくれるのでそれはありがたい。だけど、自分の本意じゃないことも口にするので、時々傷つく。
乳がん検査の結果を聞いた帰りの車の中で、「今は癌じゃないけど、来年には癌になってるかもしれないから、早く子供、作らないとね。もし癌になったらしばらく子供作れないもんね。」って私が言ったら、「見つかってないだけで、俺の体のどこかにも癌あるかもしれないし。」って言われた。夫にとってはその程度の事なんだ・・・と思った。
今までは、夫が不妊で子供が出来ないから自分に引け目はなかった。だけど、自分が癌になって夫の子供が産めなくなるのは申し訳ないと思った。だからすぐに体外受精の病院へ行くことにした。
だって、もし妊娠中に発ガンしたら、癌の治療と中絶のどちらかを選択しないといけない。治療をしないで出産する人もいる。それで子供を残して死んでしまう人も居る。考えすぎだろうけど、やっぱり癌化する可能性があるのなら、今後の最悪の状況は頭をよぎる。
誕生日の前日、外食をしてホテルに泊まった。ちなみにホテルは会社の保養所指定先。誕生日、結婚記念日は必ず外食をしてプレゼントとカードを渡すようにお互いしてきたので、今回も夫はそうしてくれた。だけど、その渡し方が悲しかった。渡し方くらいでって男の人は思うだろうけど・・・。
今までは食事の時にバースデーソングが流れてプレゼントを渡されるとか、日付が変わった瞬間に渡されるとか、そういう演出をしてくれる人だった。
今回はホテルについてベッドに転がったら、「はいこれ」ってプレゼントとカードをベッドに置かれた。午後10時くらいで、まだ誕生日じゃなかった。
私:「え?もう?まだ誕生日きてないよw」
夫:「20代のうちに渡したいから」
私:「え?だって誕生日プレゼントでしょ?誕生日にほしかったな」
夫:「30代とかいやでしょ?20代のお前にあげたかった・・・云々・・・」
夫は同級生で、誕生日は11月。いつも私が先に年をとるけど、自分では今年30歳になるのがそんなに嫌じゃなかったから、夫が20代の私に固執した発言をしたのが悲しかった。
次の日、私の誕生日、日本でも有数の体外受精の権威の病院へ行った。夫の結果はやっぱり悪くて顕微授精以外無理だと言われたけど、私は状態がよかったらしい。
男性側が不妊の場合は、女性は正常でも不妊でもあまり関係なくて、排卵誘発剤を使ってできるだけ沢山の卵子を作って、薬で全部を一気に排卵させて、卵巣から直接卵子を採取する。自己注射になったので、誘発剤は自分で注射器で毎日打つことになった。看護士が別室で注射の打ち方を教えてくれたけど、自分のお腹に注射器を90度の角度で針の根元まで刺すなんて、グロいし怖い。いきなり練習でやってみてと言われたけど、緊張してうまく出来なくて、痛かった。針がお腹に刺さっていかなくて、「痛い、これ以上針が入らないんですけど」と私が看護士に言ったら、「大して痛くないくせに」って夫に言われた。人に刺されたら痛くないんだろうけど、自分で自分に刺すのは、うまく出来ないから痛い。どうせなら「頑張れ」とか「大丈夫大丈夫」とか、そういう励ましの言葉がほしかった。
お昼頃に病院についたけど、初診で体外受精の準備が全部整ったので、自分でする薬や注射一式を渡されて、スケジュールも説明されて、あとは自分のタイミングで始めてくださいって言われた。今度病院に行くのは、自分で誘発させた卵子を採取してもらう時。少しづつ治療が始まると思ってたのにいきなりスタートを切らされた感じがあって戸惑った。
たまたま病院が私と夫の母校大学から車で30分くらいの所にあったので、その日は誕生日だし、病院が終わったら、大学まで行って、昔し住んでたマンションを見たりよく一緒に行った居酒屋に行ったり、同級生が働いてるバーによって久しぶりに話がしたいって夫に言っておいた。子供を作る前に、少し昔しを懐かしみたかったから。
病院を出て夫に「大学近辺に行くんだよね?」って言われて「うん」って言った。病院を出た時19時を過ぎていて私は検査が多かったので疲れてたけど、誕生日なので楽しく過ごしたかった。夫は精液検査だけだったので、待ちくたびれてたのかもしれない。何だか二人とも疲れてた。
「あと2回ここくれば、それで終わりだよね?」って夫が言って、私はキレた。
これから家で注射をしたり色々準備して、病院に行くのはあと4回。そのうち2回は私は腹腔鏡手術をしないといけない。夫は1回、オナニーをして精子を出すだけ。
こんなこと思っちゃいけないんだろうけど、夫のせいで私は痛いきつい辛い思いをしてホルモン治療をするのに、夫はアダルトビデオを見てシャーレに射精すればそれで終わり。体外受精は男性と女性の精神的肉体的負担が全然違う。本当は「夫が健康だったらこんなことしなくていいのに」って思ってるけど、精子がなくて辛いのは夫だから、それは言わないようにしてた。だけど、最近の夫の思いやりのない発言に限界だった。
「2回じゃなかったっけ?」って夫がまた言った。かる~く言った。意外と大したことないねって感じで言った。私が口を開いたら醜い言葉しか出ないから、ずっと黙ってた。涙が止まらなかったけど、横を向いて気付かれないようにしてた。これから顕微授精に向けて私がなにをするのか、夫婦で説明を受けたのに、夫は聞いてなかったんだ。だって2回じゃない。
乳がん検査の時、「もしも癌でも、自分のことを第一に考えて、子供は無理して作らなくてもいいよ」って言ってほしかった。
誕生日の日、「30歳おめでと。30代も一緒に楽しく過ごそうね」って言ってほしかった。
注射が痛いって言った時、手を握ってほしかった。
帰りの車で、「体外受精で辛い思いをするかもしれないけど、一緒に頑張ろう」って言ってほしかった。
きっと私がこうしてほしいって言ったら、そうしてくれる。夫は優しい人だ。だけど、自発的に思ってるわけじゃないのがわかって辛い。
「何で心配してくれないの?」って言った後「大丈夫?」なんて言われても嬉しくない。
体外受精までして子供を作っていいのかも不安だし、答えが出ない。もしかしたら子供は作らないほうがいいのかなって時々思う。
ありのままの出来事を人に言うと、単なる夫への愚痴・悪口になるので友達にも言えない。
最近こんなことが続いてたけど、本当は夫は優しい人だし大事にしてくれてると思う。夫のことが大好きだし夫も好きだと言ってくれる。
毎日一緒に夕食を食べてくれるし、週末も一緒にいてくれる。いつもパソコンばかりしてるけど、外でも手をつないでくれるし、夫を知ってる人はみんな「愛妻家だよね」って言ってくれる。
ただ、すごく鈍くて察することをしないだけ。私が普通の声のトーンで怒ったら気付かない鈍い人。
自分たちの事は客観的に見れないけど、客観的には幸せな夫婦です。自分でも幸せだと思ってる。
今回、色々とヘビーなことが短期間に集中したので誰かに愚痴りたくて増田に思いを綴ったけど、こういうことを乗り越えて他人が夫婦になっていくんだと思う。
そう思いたい。だから頑張ろう。
忘れもしない今年の5月18日。
武蔵野赤十字病院、循環器科の医師から次のような宣告を受けた。
妻と二人で聞いた。二人の腕だけでは受け止められないほど、唐突で理不尽な運命だった。
普段から心底思ってはいた。
「いつ死んでも仕方ない」
とはいえあまりに突然だった。
確かに兆候はあったと言えるかもしれない。その2~3ヶ月前から背中の各所、脚の付け根などに強い痛みを感じ、右脚には力が入らなくなり、歩行にも大きく困難を生じ、鍼灸師やカイロプラクティックなどに通っていたのだが、
改善されることはなく、MRIやPET-CTなどの精密機器で検査した結果、いきなりの余命宣告となった次第である。
気がつけば死がすぐ背後にいたようなもので、私にはどうにも手の打ちようもなかったのだ。
忘れもしない今年の5月18日。武蔵野赤十字病院、循環器科の医師から次のような宣告を受けた。「膵臓ガン末期、骨の随所に転移あり。余命長くて半年」妻と二人で聞いた。二人の腕だけでは受け止められないほど、唐突で理不尽な運命だった。普段から心底思ってはいた。「いつ死んでも仕方ない」とはいえあまりに突然だった。
確かに兆候はあったと言えるかもしれない。その2~3ヶ月前から背中の各所、脚の付け根などに強い痛みを感じ、右脚には力が入らなくなり、歩行にも大きく困難を生じ、鍼灸師やカイロプラクティックなどに通っていたのだが、改善されることはなく、MRIやPET-CTなどの精密機器で検査した結果、いきなりの余命宣告となった次第である。気がつけば死がすぐ背後にいたようなもので、私にはどうにも手の打ちようもなかったのだ。
宣告の後、生き延びるための方法を妻と模索してきた。それこそ必死だ。頼もしい友人や強力この上ない方の支援も得てきた。抗ガン剤は拒否し、世間一般とは少々異なる世界観を信じて生きようとした。「普通」を拒否するあたりが私らしくていいような気がした。どうせいつだって多数派に身の置き所なんかなかったように思う。医療についてだって同じだ。現代医療の主流派の裏にどんなカラクリがあるのかもあれこれ思い知った。「自分の選んだ世界観で生き延びてやろうじゃないか!」しかし。気力だけではままならないのは作品制作とご同様。病状は確実に進行する日々だった。
一方私だって一社会人として世間一般の世界観も、半分くらいは受け入れて生きている。ちゃんと税金だって払ってるんだから。立派には縁遠いが歴とした日本社会のフルメンバーの1人だ。だから生き延びるための私的世界観の準備とは別に、「ちゃんと死ぬための用意」にも手を回してきたつもりだ。全然ちゃんと出来なかったけど。その一つが、信頼のおける二人の友人に協力してもらい、今 敏の持つ儚いとはいえ著作権などの管理を任せる会社を作ること。もう一つは、たくさんはないが財産を円滑に家内に譲り渡せるように遺言書を作ることだった。無論遺産争いがこじれるようなことはないが、この世に残る妻の不安を一つでも取り除いてやりたいし、それがちょいと向こうに旅立つ私の安心に繋がるというもの。
手続きにまつわる、私や家内の苦手な事務処理や、下調べなどは素晴らしき友人の手によってスピーディに進めてもらった。後日、肺炎による危篤状態の中で、朦朧としつつ遺言書に最後のサインをしたときは、とりあえず、これで死ぬのも仕方ないと思ったくらいだった。「はぁ…やっと死ねる」なにしろ、その二日前に救急で武蔵野赤十字に運ばれ、一日おいてまた救急で同じ病院へ運ばれた。さすがにここで入院して細かい検査となったわけだ。結果は肺炎の併発、胸水も相当溜まっている。医師にはっきり聞いたところ、答えは大変事務的で、ある意味ありがたかった。「持って…一日二日……これを越えても今月いっぱいくらいでしょう」聞きながら「天気予報みたいだな」と思ったが事態は切迫していた。それが7月7日のこと。なかなか過酷な七夕だったことだよ。
ということで早速腹はきまった。私は自宅で死にたい。周囲の人間に対して最後の大迷惑になるかもしれないが、なんとしてでも自宅へ脱出する方法をあたってもらった。妻の頑張りと、病院のあきらめたかのような態度でありつつも実は実に助かる協力、外部医院の甚大な支援、そして多くの天恵としか思えぬ偶然の数々。あんなに上手く偶然や必然が隙間なくはまった様が現実にあるとは信じられないくらいだ。「東京ゴッドファーザーズ」じゃあるまいし。
妻が脱出の段取りに走り回る一方、私はと言えば、医師に対して「半日でも一日でも家にいられればまだ出来ることがあるんです!」と訴えた後は、陰気な病室で一人死を待ち受けていた。寂しくはあったが考えていたのはこんなこと。「死ぬってのも悪くないかもな」理由が特にあるわけもなく、そうとでも思わないといられなかったのかもしれないが、気持ちは自分でもびっくりするほど穏やかだった。ただ、一つだけどうしても気に入らない。「この場所で死ぬのだけは嫌だなぁ…」と、見ると壁のカレンダーから何か動き出して部屋に広がり始めるし。「やれやれ…カレンダーから行列とはな。私の幻覚はちっとも個性的じゃないなぁ」こんな時だって職業意識が働くものだと微笑ましく感じたが、全くこの時が一番死の世界に近寄っていたのかもしれない。本当に死を間近に感じた。死の世界とシーツにくるまれながら、多くの人の尽力のおかげで奇跡的に武蔵野赤十字を脱出して、自宅に辿り付いた。死ぬのもツライよ。断っておくが、別に武蔵野赤十字への批判や嫌悪はないので、誤解なきよう。ただ、私は自分の家に帰りたかっただけなのだ。私が暮らしているあの家へ。
少しばかり驚いたのは、自宅の茶の間に運びこまれるとき、臨死体験でおなじみの「高所から自分が部屋に運ばれる姿を見る」なんていうオマケがついたことだった。自分と自分を含む風景を、地上数メートルくらいからだろうか、ワイド気味のレンズで真俯瞰で見ていた。部屋中央のベッドの四角がやけに大きく印象的で、シーツにくるまれた自分がその四角に下ろされる。あんまり丁寧な感じじゃなかったが、文句は言うまい。
さて、あとは自宅で死を待つばかりのはずだった。ところが。肺炎の山を難なく越えてしまったらしい。ありゃ?ある意味、こう思った。「死にそびれたか(笑)」その後、死のことしか考えられなかった私は一度たしかに死んだように思う。朦朧とした意識の奥の方で「reborn」という言葉が何度か揺れた。不思議なことに、その翌日再び気力が再起動した。妻を始め、見舞いに来て気力を分け与えてくれた方々、応援してくれた友人、医師や看護師、ケアマネージャなど携わってくれている人すべてのおかげだと思う。本当に素直に心の底から。
生きる気力が再起動したからには、ぼんやりしているわけにはいかない。エクストラで与えられたような命だと肝に命じて、大事に使わねばならない。そこで現世に残した不義理を一つでも減らしたいと思った。実はガンのことはごくごく身の回りの人間にしか伝えていなかった。両親にも知らせていなかったくらいだ。特に仕事上においては色々なしがらみがあり、言うに言えなかった。インターネット上でガンの宣言をして、残りの人生を日々報告したい気持ちもあったのだが、今 敏の死が予定されることは、小さいとはいえ諸々影響が懸念されると思えたし、それがゆえに身近な知り合いにも不義理を重ねてしまっていた。まことに申し訳ない。
死ぬ前にせめて一度会って、一言でも挨拶したい人はたくさんいる。家族や親戚、古くは小中学校からの友人や高校の同級生、大学で知り合った仲間、漫画の世界で出会い多くの刺激を交換した人たち、アニメの世界で机を並べ、一緒に酒を飲み、同じ作品で腕前を刺激しあい、楽しみも苦しみも分け合った多くの仲間たち、監督という立場のおかげで知り会えた数知れないほどたくさんの人びと、日本のみならず世界各地でファンだといってくれる人たちにも出会うことが出来た。ウェブを通じて知り合った友人もいる。
出来れば一目会いたい人はたくさんいるが(会いたくないのもいるけれど)、会えば「この人ともう会えなくなるんだな」という思いばかりが溜まっていきそうで、上手く死を迎えられなくなってしまいそうな気がした。回復されたとはいえ私に残る気力はわずかで、会うにはよほどの覚悟がいる。会いたい人ほど会うのがつらい。皮肉な話だ。それに、骨への転移への影響で下半身が麻痺してほぼ寝たきりになり、痩せ細った姿を見られたくもなかった。多くの知り合いの中で元気な頃の今 敏を覚えていて欲しいと思った。病状を知らせなかった親戚、あらゆる友人、すべての知人の皆さん、この場を借りて不義理をお詫びします。でも、今 敏のわがままも理解してやっていただきたい。だって、「そういうやつ」だったでしょ、今 敏って。顔を思い出せば、いい思い出と笑顔が思い起こされます。みんな、本当にいい思い出をたくさんありがとう。自分の生きた世界を愛している。そう思えることそのものが幸せだ。
私の人生で出会った少なからぬ人たちは、肯定的否定的どちらであっても、やっぱり今 敏という人間の形成にはどこか必要だっただろうし、全ての出会いに感謝している。その結果が四十代半ばの早い死であったとしても、これはこれとして他ならぬ私の運命と受け止めている。いい思いだって随分させてもらったのだ。いま死について思うのはこういうこと。「残念としかいいようがないな」本当に。
しかし、多くの不義理は仕方ないと諦めるにせよ、私がどうしても気に病んで仕方なかったことがある。両親とマッドハウス丸山さんだ。今 敏の本当の親と、アニメ監督の親。遅くなったとはいえ、洗いざらい本当のことを告げる以外にない。許しを乞いたいような気持ちだった。
自宅に見舞いに来てくれた丸山さんの顔を見た途端、流れ出る涙と情けない気持ちが止めどなかった。「すいません、こんな姿になってしまいました…」丸山さんは何も言わず、顔を振り両手を握ってくれた。感謝の気持ちでいっぱいになった。怒涛のように、この人と仕事が出来たことへの感謝なんて言葉ではいえないほどの歓喜が押し寄せた。大袈裟な表現に聞こえるかもしれないが、そうとしか言いようがない。勝手かもしれないが一挙に赦された思いがした。
一番の心残りは映画「夢みる機械」のことだ。映画そのものも勿論、参加してくれているスタッフのことも気がかりで仕方ない。だって、下手をすればこれまでに血道をあげて描いて来たカットたちが誰の目にも触れない可能性が十分以上にあるのだ。何せ今 敏が原作、脚本、キャラクターと世界観設定、絵コンテ、音楽イメージ…ありとあらゆるイメージソースを抱え込んでいるのだ。もちろん、作画監督、美術監督はじめ、多くのスタッフと共有していることもたくさんあるが、基本的には今 敏でなければ分からない、作れないことばかりの内容だ。そう仕向けたのは私の責任と言われればそれまでだが、私の方から世界観を共有するために少なからぬ努力はして来たつもりだ。だが、こうとなっては不徳のいたすところだけが骨に響いて軋んだ痛みを上げる。スタッフのみんなにはまことに申し訳ないと思う。けれど少しは理解もしてやって欲しい。だって、今 敏って「そういうやつ」で、だからこそ多少なりとも他とはちょっと違うヘンナモノを凝縮したアニメを作り得てきたとも言えるんだから。かなり傲慢な物言いかもしれないが、ガンに免じて許してやってくれ。
私も漫然と死を待っていたわけでなく、今 敏亡き後も何とか作品が存続するべく、ない頭を捻って来た。しかしそれも浅知恵。丸山さんに「夢みる機械」の懸念を伝えると、「大丈夫。なんとでもするから心配ない」とのこと。泣けた。もう号泣。これまでの映画制作においても予算においても不義理ばかり重ねて来て、でも結局はいつだって丸山さんに何とかしてもらって来た。今回も同じだ。私も進歩がない。丸山さんとはたっぷり話をする時間が持てた。おかげで、今 敏の才能や技術がいまの業界においてかなり貴重なものであることを少しだけ実感させてもらった。才能が惜しい。何とかおいていってもらいたい。何しろザ・マッドハウス丸山さんが仰るのだから多少の自信を土産に冥途に行けるというものだ。確かに他人に言われるまでもなく、変な発想や細かい描写の技術がこのまま失われるのは単純に勿体ないと思うが、いた仕方ない。それらを世間に出す機会を与えてくれた丸山さんには心から感謝している。本当ににありがとうございました。今 敏はアニメーション監督としても幸せ者でした。
両親に告げるのは本当に切なかった。本当なら、まだ身体の自由がきくうちに札幌に住む両親にガンの報告に行くつもりだったが、病気の進行は悔しいほど韋駄天で、結局、死に一番近づいた病室から唐突極まりない電話をすることになってしまった。「オレ、膵臓ガン末期でもうすぐ死ぬから。お父さんとお母さんの子供に生まれて来て本当に良かった。ありがとう」突然聞かされた方は溜まったものではないだろうが、何せその時はもう死ぬという予感に包まれていたのだ。
それが自宅に帰り、肺炎の危篤を何とか越えて来た頃。一大決心をして親に会うことにした。両親だって会いたがっていた。しかし会えば辛いし、会う気力もなかったのだが、どうしても一目親の顔を見たくなった。直接、この世に産んでもらった感謝を伝えたかった。私は本当に幸せだった。ちょっと他の人より生き急いでしまったのは、妻にも両親にも、私が好きな人たちみんなに申し訳ないけれど。私のわがままにすぐ対応してくれて、翌日には札幌から両親が自宅についた。寝たきりとなった私を一目見るなり母が言った言葉が忘れられない。「ごめんねぇ!丈夫に産んでやれなくて!」何も言えなかった。
両親とは短い間しか過ごさなかったが、それで十分だった。顔を見れば、それですべてわかるような気がしたし、実際そうだった。
ありがとう、お父さん、お母さん。二人の間の子供としてこの世に生を受けたことが何よりの幸せでした。数えきれないほどの思い出と感謝で胸がいっぱいになります。幸せそのものも大事だけれど、幸せを感じる力を育ててもらったことに感謝してもしきれません。本当にありがとうございました。
親に先立つのはあまりに親不孝だが、この十数年の間、アニメーション監督として自分の好きに腕を振るい、目標を達成し、評価もそれなりに得た。あまり売れなかったのはちょいと残念だが、分相応だと思っている。特にこの十数年、他人の何倍かの密度で生きていたように思うし、両親も私の胸のうちを分かってくれていたことだろう。
両親と丸山さんに直接話が出来たことで、肩の荷が下りたように思う。
最後に、誰よりも気がかりで、けれど最後まで頼りになってくれた妻へ。あの余命宣告以来何度も二人で涙にくれた。お互い、身体的にも精神的にも過酷な毎日だった。言葉にすることなんて出来ないくらい。でも、そんなしんどくも切ない日々を何とか越えて来られたのは、あの宣告後すぐに言ってくれた力強い言葉のおかげだと私は思っている。「私、最後までちゃんと伴走するからね」その言葉の通り、私の心配など追い越すかのように、怒濤のごとく押し寄せるあちらこちらからの要求や請求を交通整理し、亭主の介護を見よう見まねですぐに覚え、テキパキとこなす姿に私は感動を覚えた。「私の妻はすごいぞ」今さらながら言うな?って。いやいや、今まで思っていた以上なんだと実感した次第だ。私が死んだ後も、きっと上手いこと今 敏を送り出してくれると信じている。思い起こせば、結婚以来「仕事仕事」の毎日で、自宅でゆっくり出来る時間が出来たと思えばガンだった、ではあんまりだ。けれど、仕事に没頭する人であること、そこに才能があることを間近にいてよく理解してくれていたね。私は幸せだったよ、本当に。生きることについても死を迎えるにあたっても、どれほど感謝してもしきれない。ありがとう。
気がかりなことはもちろんまだまだあるが、数え上げればキリがない。物事にも終わりが必要だ。最後に、今どきはなかなか受け入れてもらいにくいであろう、自宅での終末ケアを引き受けてくれた主治医のH先生、そしてその奥様で看護師のKさんに深い感謝の気持ちをお伝えしたい。自宅という医療には不便きわまりない状況のなか、ガンの疼痛をあれやこれやの方法で粘り強く取り除いていただき、死というゴールまでの間を少しでも快適に過ごせるようご尽力いただき、どれほど助けられたことでしょう。しかも、ただでさえ面倒くさく図体と態度の大きな患者に、単なる仕事の枠組みをはるかに越え、何より人間的に接していただいたことにどれほど私たち夫婦が支えられ、救われたか分かりません。先生方御夫婦のお人柄にも励まされることも多々ありました。深く深く感謝いたしております。
そして、いよいよ最後になりますが、5月半ばに余命宣告を受けてすぐの頃から、公私に渡って尋常ではないほどの協力と尽力、精神的な支えにもなってくれた二人の友人。株式会社KON’STONEのメンバーでもある高校時代からの友人Tと、プロデューサーHに心からの感謝を送ります。本当にありがとう。私の貧相なボキャブラリーから、適切な感謝の言葉を探すのも難しいほど、夫婦揃って世話になった。 2人がいなければ死はもっとつらい形で私や、そばで看取る家内を呑み込んでいたことでしょう。何から何まで、本当に世話になった。で。世話になりついでですまんのだが、死んだあとの送り出しまで、家内に協力してやってくれぬか。そうすりゃ、私も安心してフライトに乗れる。心から頼む。
さて、ここまで長々とこの文章におつき合いしてくれた皆さん、どうもありがとう。世界中に存する善きものすべてに感謝したい気持ちと共に、筆をおくことにしよう。
じゃ、お先に。
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http://konstone.s-kon.net/modules/notebook/archives/565
無断転載しました。ごめんなさい。
Magnetic Resonance Imagingだぞ?
あのさ〜。
現代なんだから、そういうつっこみやめようよ。みんながっこーに行ったりしたんだし。今、行っている人だっているよね?
たとえば、ファイバースコープ使って「見たい先を見る」という技術があるのは知っているよね?災害対策とか、胃カメラとか。
そのほか、もっと「すげぇ」な、「見る技術」は、あると思うよ?レントゲンとか受けたことない?MRIとか。
そもそも、もっと、「原始的」な、「ある人の状況を知る方法」というのは昔からあるわけ。
たとえば、逐一、「その場にいる人」が携帯かなにかを使って知らせていたら「知られちゃう」よね。
別に「視覚」を使わなくてもいいわけだーーー「見てきたようなことを言う」っていうじゃんか。
まっ、自分から知らせていたらどうにもなんないとは思うけれどーーー。
追記
うひ〜、二回か三回書き直ししちゃった。酔っぱらったのかも。
pypy速すぎ
あとIronPythonとJRubyの差が気になる
JRubyはyarvより速いのにIronPythonはCPythonや3000より遅いとか
Python PyPy 12.69 12.69 20.31 30.65 41.66 73.69 118.86
Ruby JRuby 14.21 14.21 20.00 37.56 76.59 161.48 295.72
Python 3 2.27 2.27 14.21 53.01 100.11 149.65 149.65
Ruby 1.9 9.39 9.39 19.80 58.50 130.45 296.42 404.99
Python CPython 2.24 2.24 13.14 61.67 80.65 130.62 130.62
Python IronPython 48.19 48.19 50.62 76.98 174.71 223.45 223.45
Perl 2.58 2.58 13.80 81.72 117.79 240.24 240.24
PHP 6.40 6.40 41.85 134.00 179.84 250.72 250.72
ttp://www2u.biglobe.ne.jp/~t-tutiya/cgi-bin/sf2_diary/sf2_diary/
小沢一郎が買った土地は、元秘書の石川代議士の話だと「たんす貯金だった」そうだ。
300万かのたんす貯金なら、聞いたことがあるが、「4億円のたんす貯金」だとなると聞いたことがない。
そもそも、どこに保管していたのか。第一無用心ではないか。
それに、秘書に、「この金で●●の土地を買え」と言ったにせよ、たんす貯金となれば、ちまちま貯めたのだろうから、100万円づつの帯封はついていない。となると、秘書は4万枚の一万円札をどのように数えたのだろう。
更に、それを預り、秘書の自宅に持って帰ったとすると、それこそ家を空ける訳にはいかない。何しろ「現金で4億」だから。
3億円事件はジュラルミンのスーツケース。4億だから、ひとつには入らない。二つのケースに分けておいたにせよ、家のどこに隠しておいたか興味がある。ベットの下。天井。天井は重さで落ちてしまうだろう。
大体、不動産屋も、その金額を「現金」で持参されても、銀行でも呼んでいない限り、数えるにも数十時間を要する。どうやって数えたか。
しかし、普通に考えると、不動産を買うのに4億の「現金」と言うのは変だ。更に、たんす貯金と言っても、その限度を超えている。たんすに4億など貯まりようがないと理解するのか普通の感覚だ。
どう考えてみても「怪しい」
ところが、鳩山総理は、「選挙前からこうした問題は出ていたので、それを含めて国民の支持を得たと考えるので、問題はない」と開き直った。
たんす預金だと言う方もそうだが、冗談ではない、選挙前には「疑惑の一部」が出ていただけで、あとは「政権交代」「生活が一番」としか言っていないではないか。
数億円のお金を「お母さんからもらった」と言う幼稚園のような言い訳、4億も「たんす貯金」していて、秘書に渡したと言うたわごと。
国民を偽装マニフェストで馬鹿にして、それでも済まずに、今度は「疑惑を含めて支持を得た」と言う。
これでよくもまあ、「政治と金」の問題を語れたものだ。「企業献金は廃止にする」と言ったのは小沢だ。裏献金はどうなるのか。
よくもまあ、いけしゃあしゃあとこんなこと・・・私たちは身ぎれいでございます・・・なんてことを言えたものだ。
それでも済まなくて、今度は北京とのパイプを作り、ひとやま儲けようと企む根性は、さすが、「田中派七奉行」だ。
この内閣、マニフェストにない革命法案提出で革命政党と判明し、鳩山、小沢の疑惑で政権担当能力がない政党と判明した。
それにしても、「こうした疑惑は選挙前からあり、それを含めて国民の信任を得た」とよくも開き直れるものだ。
鳩山総理は名門の出と言われているが、精神は死刑囚・大久保清以下であることが判明した。死刑執行の間際まで、泣いて騒いで抵抗した大久保は、自ら殺した女子大生の命の重さなど全く考えていなかった。
それと同じで、鳩山総理は、自らが犯した罪や、言い訳、小沢の犯罪を国民が「承知」したと言ったのだ。
もう、進行しているかも知れないが、、、。
何しろ「悪いと思っていない」のだから。
よく人は騙せても自分は騙せないとかなんとかいってるが、どうなのよって思う訳。
自分騙すのってそんなに難しいのだろうか?世間一般的な常識的な社会通念として。
嘘発見機にかからないような嘘つくのも簡単だと聞くぞ?俺は試したことはない。
最近では脳のMRIとか使って嘘を見抜く方法があるらしいじゃないか。だが、それを欺く
のも練習すれば出来るようになるらしいじゃないか。俺は試したことはない。
つまり、練習しだいで、自分の本当の気持ちを覆い隠すなど容易いってことさ。
誰でも自分を守るために多かれ少なかれやってることだ。例えば、本当は嫌いなのに
好きなフリして自分を納得させたりね。彼女の嫌いな部分があるのに、可愛いってことで
自分を納得させて、心を安らかにさせたいのだろうね。パッションを屋良にさせたいのだろうね。
結局、その延長で、自分をより欺く術(すべ)に長ければいいだけの話で。簡単なことさ。俺は試したことはないけどさ。
ていうか、本来の意味での「シンクタンク」の役割を担ってるのは、日本の場合官公庁(官僚)だからね。
テクノクラートと民間人、という構図をずっと続けてるわけだ。いつからかは知らないけど。
アメリカのように民間企業出身者が政府(の重要ポスト)入りするということもほとんど無いし、
政党お抱え(資金の出し手という意味)のシンクタンクというものも無い。
かろうじて本来のシンクタンクっぽい活動やってるのは三菱総研(MRI)だけど、実情は
「これこれこういう主張をしたいから、上手いこと辻褄合わせる調査をでっち上げてよ」
みたいな依頼ばっかりだったりするし。
ましてや最近はシンクタンク業務だけじゃ会社が立ち行かないからっつってシステム事業(SI(笑))に力入れるという本末転倒ぶり。
現実を鑑みれば、諸外国の「シンクタンク」と日本のシンクタンクを並列に比べること自体がナンセンスだと思うね。
人事がシステム部門と共通で、博士号取得者の採用を躊躇する(笑)とかね。挙句東大学部卒とかを採用する始末だ。
他国に比べて遅れてる、とかそういうレベルじゃなくて、パチモン以下なんだよ。シンクタンク(笑)がいいとこ。
まぁ官僚も学部卒ばっかなんだけどさ。それがこの国のレベルなんじゃないかな。
大資本が総合病院やったから儲かるっていう類の商売でもないと思う。
そりゃあ小さな診療所でCTやMRIを入れようとしたら採算はとれないさ。
年に数回しか使わないんじゃ一回撮るだけで数十万請求しないとならなくなる。
かといって、大病院でも採算がとれるかっていったらね。やっぱり無理だろ?
あと、商売の性質上都心は向かない。
田舎でやる場合の倍くらい客を捌かないと損益分岐点に届かない。
スタッフの数が5倍になったら捌ける頭数が5倍になるかっていったら、どうだろうね?
スケールが倍になったら仕事の効率は倍以上になるってのがスケールメリットなんだろうけど、そうはならんと思う。
大資本の総合病院ってのは机上論では素晴らしくても中の人は大変だと思う。
そこそこ稼いでそれなりの人生を送るもよし、稼いだ金で採算度外視で高度なことをやるもよし。
腕さえよければ、多少遠くても通ってくれるよ。
まあ、大都市圏は大資本がペットショップ併設の予防治療専門とかいう動物病院でフィラリアとワクチンとノミダニ避妊去勢と美味しいところをもっていくって構図は続くとは思う。
http://anond.hatelabo.jp/20090209001638
なんか、トラバツリーが、
すげぇことになっちまったな。
いつのまにか宗教の話になってるし、
おっさんにはついていけねぇよ。
で、
自分自身の過ちにも気がついたし、
一方で、
やっぱティピカルネス炸裂してんな
って、思いを強くした。
ちょっと、整理したい。
まず、「オラクル」
この言葉を安易に使ったのがまずかった。
俺にもあるんだけどよ、
って感じのステレオタイプ。
俺自身の説明でも、
多くの人を誤解の渦に巻き込んでしまった。
負っていることは、多いと思うけど、
俺も、たぶんみんなも、
だからオラクルじゃなくて
といった方がよかった。
例えばさ、わかり易すぎる例で行くと、
「君が選ばれし勇者だ」
みたいなことを明示的に言う人な。
その物語における
登場人物たちの役割を
提示する存在だ。
その役割が登場人物たちの行動に
根拠を与えるわけな。
んでもって、俺自身が、
を明示的にわけて考えるべきだった。
俺は、この二つを混同させながら、
愚痴ってたわけだ。
じゃあ、ここから、一部のブコメに返信。
祖母の件だけど、
心配してくれてありがとう。
MRIで脳萎縮も確認。
「大して」って書いたのは、誤解を生んでしまうね。
すまん。
本題は、
ってことよ。
「文体がおもしろい」
といってくれている人が数人いた。
Tokyo FM のラジオ番組 Avanti をオススメしとくよ。
http://www.avanti-web.com/index2.html
おじさんの危惧はそこにあるんだ。
よくあんな誤解を生むヘンテコな文章から、
俺の言いたいことを言い当てるもんだ。
すごい。
まったく、誰だよ
「はてぶのコメントには、バカなものが本当に多すぎる。」
とか、ぬかした愚者は。
同じおっさんとして恥ずかしいね。
あと、 y_arim には反応しとかないといけない。
id:y_arim 「見ていてほしい」「全部分かっててほしい」って言うよね。オリオン座とか亜美とかに。これがoracleの代替なんだと思う。口は出さず見守っていて、と。それが思春期の少年少女の気持ちなんだ
懐かしい気持ちになったよ。
「あなたにとっての“伯楽”とは何か、書きなさい」
という課題があったから、
「私にとっての伯楽は宇宙人だ」
って書いたことを思い出したよ。
俺、ハ○ヒとなら上手くやれたと思う。マジで。
で、そのときはさ、先生に
「実在しないものを伯楽と捉えるのはおかしい」
みたいな講評をもらってさ、
「こいつ、わかってねぇよ」
って、思ったんだよ。
伯楽ってのは、
伯楽は人間以外にありえないって
今なら思うけどさ。
当時は、宇宙人だって、そう思っていた。
あと、 日記も読んだけど、
読解について納得できる部分が多い。
ただ、読解後の解釈、というか考え方の面で、
おっさんとして、
突っ込まざるを得ない部分があったから突っ込んどく。
作中では亜美も、彼女を超えるパーフェクトな存在と思われていた「兄貴」こと生徒会長・狩野すみれも、ただのガキでしかないことが暴かれていくのだけれども。
っていう、二項対立のことなんだけど、
たまたま、こう書いただけ?
あと、脚注で
と書いてあるね。
「全能感 or 無力感」
の二項対立かな。
id:y_nob 6巻を読んでいて実乃梨が竜児に「亜美には全部わかっていて欲しい」いう心情を吐露するシーン。人にすがる実乃梨に微かに嫌悪感?を感じた。
その感覚。若い子に共通かな?
と一緒だけど、他人に厳しすぎじゃねぇか?
「俺は他人に期待せず頼らず生きていく」
っていうのは、
パラドキシカルな他人への過剰期待のバイスバーサだろ?
「他人が自分に期待しないこと」を期待するという、
期待の脱期待化の失敗だろ?
(ここ、笑うところな)
今の若い子達はさ、
場面場面で、異なった役割を演じなければならない、
っていうのはわかる。
キャラ立ちだろ?
若い子だけじゃねぇ。
おっさんも不安定だ。
だから、
必要ないって俺も思うよ。
っていうか、
多くのブコメであるように、
そもそもそんな存在は
もういないよな。
でも、みんなそれで困ってるんじゃねぇの?
おまけ
id:inumash ロック好きにはこの感覚は良くわかんないなー。「オラクル」は『否定する(される)ための存在』としてしか認知されないから。
B'zのさ、「敵がいなけりゃ」って曲があるね。
否定すべき存在がなくなったとき、
ロックは何を否定するのよ?
誰か 敵がいなけりゃやってられない
それが俺の道しるべだ
何も持ってないのはつらいこと
だからお願い 俺のカタキになってよ
http://anond.hatelabo.jp/20081214010628
どう考えてもって、どう考えたんです? 何か根拠を元にしてるわけですか? 素朴な疑問。
いや俺も正直、大気汚染問題について真面目に調べたことはないんだけど(宿題かな)、どうなんだろう?
都内の汚染物質の濃度は改善傾向みたいですね。ベンゼンこの10年で半減とか、これ賞賛されるべきいいニュースじゃなかったりしないかしら。
都道府県別の死因の傾向。大都市圏で大気汚染の影響が出ているかといろいろ眺めてみたが、よくわからない。もちろんこんなことで何か素人判断するのは十中八九間違ってると思うが……。
世界規模での調査の結果、間違った思いこみを修正するためのがん予防キャンペーンが必要であること示した
多くの人々ががんの原因について、比較的影響の小さい環境要因を大げさに怖がり、がんのリスク要因として明確にわかっている行動要因の影響を小さく見積もるという間違った思いこみを持っている。
・ 豊かな国では、飲酒よりストレス(57%)や大気汚染(78%)のほうが大きなリスクと見なされている。しかしながらストレスががんの原因になるとは認識されていないし大気汚染は飲酒に比べれば僅かな寄与しかない。
・ 一般論として、全ての国の人々は、過体重などのようなよく知られたがんのリスク要因でも自分でコントロールできるものより、大気汚染のような自分がコントロールできないものをがんの原因と認めたがる。
このあたりを見て、どうも大気汚染のリスクは誇張されているようだぞと判断しているのですが。いや、大気汚染問題に詳しい人には怒られると思うんだけどね、たぶん。がん以外のこともあるし。
一方の受動喫煙。壷からのコピペでアレだけど、こんな感じらしいんだけど。
・フランスで2007年にレストランやホテルやカジノでの喫煙を禁止して以降心筋梗塞による救急患者が15%減
イタリアでも同様の結果
http://d.hatena.ne.jp/uneyama/20080227#p3
・アイルランドの禁煙法施行で、非喫煙者の従業員の健康状態が劇的に改善
http://www.kin-en.info/release_070514.html
http://web.archive.org/web/20070814075657/http://www.metamedica.com/news2000/2000121701.html
・スコットランド 禁煙法により心臓発作の入院が1年間で17%減
http://www.drakahige.com/NEWS/DAILY/2007/2007121001.shtml
http://www.nosmoke55.jp/data/0706who_shs_matuzaki.html
・屋内禁煙法施行1年後の自己申告調査で、アイルランドのバー従業員の呼吸器症状が16.7%減っていた。
・カリフォルニア州における調査では、バー禁煙法の施行前と比べて、施行後8週間で
バーの従業員の呼吸器症状が59%、粘膜刺激症状が78%減った。
・ニュージーランドの2002年の調査では、禁煙のオフィスで働く労働者の呼吸器症状と粘膜刺激症状は、
・スコットランドで2006年に屋内の全面禁煙法が執行されて以後、バーの従業員は、呼吸器症状が減り、
呼吸機能が改善し、全身の炎症所見が正常化した。気管支喘息を患っている従業員では気管支の炎症が減り、
生活の質が向上した。
・米国のモンタナ州へレナとコロラド州プエブロでは、職場と公衆の集まる施設を全面禁煙にするという強力な
法令が施行されてから、イタリアのピードモントと同様に、心臓発作(心筋梗塞)の発生率が平均20%[g]減った。
あと、「リスキー・ビジネス」p.322あたりを読むと、米有名タバコ会社が、「大気汚染の問題を強調して、環境タバコ煙(ETS)問題など取るに足りないと思わせる」工作をやっていたとか。「説得力をもたせるため、ある程度バランスをとってETS問題も論じないといけないが、全体的に望ましい方向にもっていく……コンサルタントには重要な科学会議にはかならず出席するよう求めている。科学界や世論を動かすのに利用できそうな会議すべてに」云々。すごく……きなくさいです。
あとは、カリフォルニア州がタバコの煙を大気汚染物質に認定したりしてますね。
日本で路上から喫煙規制がかかってるのは、人口密度、鉄道社会(駅周辺の混雑)、通勤時に多い男性の喫煙率の高さなどで説明がつくと思いますよ。
それと、女性の喫煙増えてますよね。なんか最近露骨に若い女性をターゲットにした新商品が出てるじゃないですか。あれ見て勝手に青筋立ててるんだけど。男性喫煙率が他国並みに下がる頃には他国と同じ傾向になってしまってそうだ。
つーか感覚的な話をすると、ほぼ透明無臭の排ガスより、目に見えて悪臭のするタバコの煙のほうが普通にヤですけどね、俺。タバコ片手のバイクが通り過ぎていったりすると、タバコの匂いのほうが圧倒的に鼻につきますもん。最近は昔のように黒煙を吐くクルマもあまり見かけなくなったし、そうなるとなおのこと昔と同じ煙と臭いを出してるタバコが突出するというか。