はてなキーワード: 実益とは
タイトルの通りだが、スポーツ系の社会人サークルに入って感じたことを率直に記載していく。
・男女問わず楽しめる
・道具代は数あるスポーツの中ではちょっとかかるくらい(ゴルフよりはかからない)
・ チームで取り組むことが多い
といったところ。
色々なところに顔を出すようになって3年ほどが経過した。
もしかしたら自分の記載内容は人によっては不快に思われるかもしれない。
でも人によっては「ほーん、そんな世界もあるのか」と感じて貰えると思うし、自分も新鮮な気分を現在進行形で味わっている。
先に補足しておくが、サークルメンバーに対して上から目線で接したりバカにしたりという態度は表面上一切出さないようにしている。
ただ、自分のこれまで生きてきた世界とのギャップに少なからずショックを受けたため、はてなにだけ、こっそりと投稿させていただきたい。
どこにでもある地方国立大の院卒。理学系の専攻で、現在は日系大手メーカーに勤めるエンジニア。住んでるところは北関東とだけ。
年収は800万円+α。ポイ活、持ち株、NISA、副業等そこそこ嗜んでおり、それらも含めた総収入は900万くらいになる。
31歳既婚で、学生時代から付き合ってる彼女と順当にゴールイン。そのためサークルには出会いを一切求めていなかった。むしろ男友達ができると嬉しいくらい。
件のスポーツは中学、高校と経験しており、地方大会で入賞できるかどうかくらいのレベル。当時はゲームの方が100倍楽しかったのであまり真剣に取り組んではいなかった。
サークル内での序列は平均して中堅の中でも中堅どころで、サークル参加は月3回ほど(+プレーの反省や自主練)。
これでも少しずつ実力が伸びている、らしい。自分ではよくわからない。
とはいえ実業団の方や名門校の高校生、社会人になってもなおそのスポーツを人生の重きに置いてる人間には到底敵わない。
自分は運動不足の解消を一番の目的としてスポーツをしている。スポーツはジムよりも金がかからず、筋トレやランニングより楽しい。趣味と実益を兼ねる楽しいスポーツと言う認識。
理系学生よろしくコミュ障のため、サークルメンバーとサークル活動以外で絡むことはさほど多くない。でも、関わったサークルや仲良くなった人とは細く長く付き合っていければいいな、と思っている。
【サークルについて】
どこも同じようなものだと思うが、実力や人数など、多種多様なサークルが自分の生活圏内に点在している感じ。
自分は3つくらいのサークルをそれぞれ月1くらいのペースで参加している。
大会とか積極的に参加するような自信をお持ちの人がいるところにノコノコ乗り込んでいくことが多い。で、勝ったり負けたり。
大体毎週1回~2回ほど開催しており、参加費は数百円ほど。一回の時間は2時間~5時間くらいだけど、ほどよく全身に筋肉痛を感じる、本当に良いスポーツだと思う。
【感じたことまとめ】
まあわかっていたことなんだけど、世の中って学歴的な意味では俺より低い人が大半なんだな、ということを身を以て実感した。
俺は自分自身をさほど頭の良い人間とは思っていない。そもそも地方国立大だし、研究の世界から早々にドロップアウトして、民間に逃げることが前提の大学生活だったし。
ただ、受験勉強という競技においてそこそこの成績を収めただけ。ついでに言うと就職に関してもやることやって順当に収めた進路であり、血の滲むような努力を日々続けてきたわけではない。
ただまあ、人生の要所要所で大きく道を外さなかった自負はある。
でも。こうして社会人サークルの中に入ると俺よりも頭のいい人、収入を多く稼いでいる人が少ないというかほとんどいない。これには少なからず驚きを覚えた。
高卒でも自営業やフリーランスで高給取り、みたいな人が社会にたくさんいるもんだと思っていたが、今まで見たことがない。サークルに来ないだけなのかもしれないけどね。
大多数は工場の製造現場、介護、飲食、事務、医療系専門職それと公務員。
今後記載していく内容はこの低収入、低学歴の方々の生態をまとめたものと思って貰っておおむね差し支えない。
自分が関わってきた中では、教員の自己&他己評価が意味不明なほど高い。優秀と思われそうな職業の筆頭だからだろうか。
自分に自信があるのは良いことだが、視野が狭いんだなあ、と不思議な気持ちで彼らを見ていた。
つい最近、小学校教師の方に年収を聞かれた。彼は38歳だったため、咄嗟に彼の年収を予測し、それより少し低めの年収を答えた。
この判断は今にしても間違いでなかったと思う。彼はあからさまに安堵していた様子だった。
「そすか、俺と同じくらいなんすね笑」とにこやかに言われた。こいつ…教員採用試験に落ち続けて講師を長くやっていたと聞いていたが、そんくらいしか稼いでなかったのか。
教員は残業も多く、成り手が年々減少していると聞いている。もう少し給与体系を考えてあげてほしい。
そして願わくば、もっと質の高い教員を増やして欲しい。俺はあんなプライドだけのクソバカ共に自分の子供を任せたくは無い。
自分が勤めている会社は別にエンジニア部隊でなくとも既婚者が大半を占める。仕事に人生のリソースをほとんどつぎ込む職人気質な方々を除き、大半が結婚している。これが普通なんだと勝手に思っていた。
だが、スポーツサークルにはスポーツしか能の無い独身共がゾンビのように蠢いている。
俺みたいな既婚男性は歯牙にもかけない。既婚女性、独身オバサン辺りも同様で、若い女性とばかりコミュニケーションを取りたがる。
ねじ曲がったコミュニケーションの仕方が自分の立ち位置を狭めることに独身の彼らは気付いていない。
そうしてサークル内に「勝手な連絡先の交換禁止」や、「女性に声かけすぎたため除籍」など、様々な問題が発生する。
俺自身、陰キャだし、女性との接し方がわからず飢える気持ちはすごくわかる。
だからこそ、昔から付き合ってきた彼女はを大事にしてこれたし、そもそもそれ以前に学生時代にきちんと恋愛経験を積まんと努力した事があった。
タイミングと方向性が間違っていることを彼らは学ぶべき・・・と俺は思うが、彼らの学習能力を見ているとなんとも言えない。
・金遣い粗すぎ問題
これも彼らを見て率直に思ったこと。単純に俺よりも金をかけたがる人が多いと感じた。
風俗、スマホゲーへの廃課金、スパチャ、ギャンブル、タバコ、飲み代・・・とにかく何でも良いので金を浪費している感じ。やはり自分が生きてきたコミュニティとは何か差のようなものを感じてしまうのだ。
車をローンや残価設定で買う人も多い。なのにNISAやふるさと納税はやってないみたい。何か事情があるのだろうと勝手に思っていたが、そういう訳でも無さそうだ。ただ概念にないだけ。
ここまで読んで見て、 「大学生みたいだ」と思った人、いるのではないか。大学生のほとんどが経験する通過儀礼を経ずに社会に放り出され、年食った大学生みたいな奴のなんと多いことか。
また、スポーツ用品にやたらお金をかける人もいっぱいいる。彼らは道具に対して愛着を持っていたり、こだわりを持っている訳ではない。
道具のせいにしたり、中にはキレて破壊する人間もいるのだから驚きだ。
ちなみに自分はRPGで言うところの初期装備に近く、それを昔から大事に大事に使ってる。
自身の肉体と知識を高める方が長期的に見て人生によって有益だと自分は思っている。それと同時に目先の結果だけに囚われるべきではない、と。
スポーツに限らず、仕事でも勉強でも、何か実力を身に付けたい場合、投下時間は大事な要素だと思う。
そして学び方も非常に大事だと俺は思っている。
これは例のスポーツも同様。うまくなりたいのなら、自分のプレーで悪かったところ、良いところを振り返り、今後どんな練習をするべきか考え、実践する必要がある。
だが、彼らは投下時間のみ重要視している印象を受ける。ただ試合して、負けて、それで終わり。
だから実力が伸びない。負けた理由が腑に落ちず、イライラする。道具を破壊したり、他人に対して当たりがキツくなる。女性はよく泣き出す。で、お●んぽボローンな方々に慰めてもらう。
ぶっちゃけ、俺は彼らよりも仕事が忙しいし、就業時間外でやりたいこともたくさんある。だからサークルに参加したときはできるだけ自主練に励み、できるだけ多く試合に参加する。
でも彼らは「疲れた、休みたい」を連呼し、休憩中はタバコやスマホいじりをしている人が本当に多い。人生を無駄にしていると思わざるを得ない。
そもそも、マネタイズできる訳でもないスポーツにそこまで入れ込んで、イライラしているというのがいまいちよくわからない。
勝ち負けを楽しむギャンブルみたいな気分で取り組んでいるのだろうか。
ついでに言うと、本を読む人、仕事のために一生懸命勉強をするなんて話も聞いたことがない。
「日本人は勉強しない」なんて言う話を時たまネットの世界で見かけるが、そもそも勉強する必要性が無い仕事や境遇を持つ人々で溢れているがゆえの必然なんじゃないかと思う。
感情的になる人は以下に分類されるが、一歩引いたところから傍観してると面白味さえ感じてしまう。
ただ、自分に被害が及ぶと面倒なので、キレてる奴がいたらそっと離れるようにしている。そうすることで自分はサークルを細く長く続けられていると思う。
②実力がプライドに追いついておらず、自分の思うようにプレーができなくてキレるタイプ
③無駄に煽る奴(こいつも大概だが)に対してガチギレするタイプ
うまく表現できないんだけど、何か嫌なことがあったとき、「キレる」があまりにも近くにある人が多い気がする。手前に「我慢」があるでしょ?普通はさ。
アンガーマネジメント、アサーション。社会人になったら自然と学ぶものと思っていたが、意外とそうでもないらしい。
・でも楽しそうな人が多い
オチになるけど、彼らって別に自分自身に絶望している訳じゃないんだよね。
ただ彼らの収入に見合った生活をして、彼らなりの楽しみを日々感じて生きている。
あと残業も俺と比べて少ない人が多い。年齢によらず実家暮らしの人も多い。無駄に使える金と時間を好きに浪費するのもまた人生。勝手ながら、そんな選択肢を学ばせてくれた彼らに小さく感謝をしている。
キレ散らかしてサークルを去ってしまうような人も結構いるけど、サークル以外の場で話してみると結構普通。低学歴だろうと、低収入だろうと。
だから彼らとの差を随所に感じつつも、それなりにフラットに接することができている。「こういう人もいるよね」っていう社会勉強みたいな気持ちで日々サークルに参加しており、それを一種の娯楽に感じることができている。
どっちよ?
いやいや最近は本当にゲームやってるつっても24時には絶対寝る必至必勝方を掲げてから案外体調いいのよね。
まあいくらめちゃたくさん寝ても生理前はものすごく眠たくなるのはどうにかならないのかな?とも思うけど、
なので
ストーリーを進めたいけれど、
進め多分終わりも近づいちゃう悲しみもあり
いや1周クリアしてからの次の新しいニューゲームも1周目にはない要素があってそれも楽しみだけど、
進むには勇気がいるわ。
本当にどんなストーリーなんだろうって。
これ以上ネットでネタバレに晒されながらネタバレの地雷を踏むわけにはいかないのよ。
私は流石にネタバレしたからって同僚はいないけれど殴ったりはしないわ。
それは私に教えないでね!
でもさ、
もう何十年前の作品を今さらネタバレだ!って言うこのネタバレ解禁期間ってあるじゃないなんとなくの期間。
さすがに今ごろシックスセンスのネタバレはどうのこうの言って激怒する人はいないと思うけれど、
まだネタバレで起こる人がいるということはそのコンテンツが新鮮さ保っている目安となるのかも知れないわね。
だから私も『ステラーブレード』のネット記事をいろいろ探して読んでみたいなって検索するけれど、
もうネット見ない!ってならざるを得ないのよね。
で検索エンジンの悪いところで、
そういうの1回見ちゃうと、
この情報いいのあるよ!
ってもう地元の居酒屋の大将に「今日いいの入ってる?」って言いたい気分のもう大将の方から今日の仕入れが上等なのが入荷仕入れできたので、
お客さんに言われる前に
検索エンジンはネタバレとか関係なく一応の情報だと思って私たちに薦めてくんじゃん。
あれ余計なお世話よね。
だからシックスセンスのネタバレを私に仕掛けて話しかけようとする人がいたら
でもよ、
『ステラーブレイド』今のステージクリアして次のシーンに移っちゃうと今までのステージや街に戻れなくなるって噂を私はネットのネタバレにかすっちゃったのを知ってしまったので、
早くストーリーは進めたいけれど、
街のみんなの困りごとは助けてあげたいけど
その葛藤があるわ。
そもそもとしてPlayStationの画面にゲームタイトルの横にストーリーの進み具合の進行状況がパーセンテージで出ちゃうのも私あれネタバレ要素になると思う、
あとどのぐらいで物語が終わっちゃうのかしら?って悲しくなっちゃうわ。
でもでもよくよく考えてみたら、
書籍の本の紙のやつだと読み進んでいると、
残りのページが分かっちゃうじゃない。
そう言われてみたらあれはネタバレとは言い難く、
そのぐらいのストーリーの進行状況のパーセンテージ表示は残りページあと何ページですって最後まで行き着いてしまうのは紙の書籍と一緒なのよね。
まあそれはいっかーって。
ネタバレをしない検索エンジンがあったらそっちの方が流行るんじゃないの?って
そのネタバレ要素を加味してくれないのかしら?って思うのよ。
よく検索結果にこれはお役に立ちましたか?って良い悪いをボタン押させるときがあるじゃない、
あれよりもこれはあなたにとってネタバレになってませんでしたか?って
ネタバレセンサー発動するぐらいのそういうボタンを実装した方が実益は高いと思うんだけど。
それによ
もう今の朝ドラの話の内容を今週はこんなでした!ってダイジェストのネット記事を私にいちいち推し進めてくるのやめて欲しいわ。
ただでさえ録画を撮り溜めていて見るのに時差があるってのに。
なので結構マジでネタバレ回避策を練った方がよくない?って思うのよね。
でも逆に検索エンジンをうまく使いこなしましょう!って一時期言っていたシーズンの季節や時代もあったけど、
今は逆にうまくネタバレ回避しましょう!ってリテラシーをつける側の私たちのリテラシーアップセミナーをリテラシーアップ講師が開催すれば結構人気出るんじゃね?って思うけれど、
私たちが如何に賢くお利口さんにネタバレを回避する技術を習得する周富徳さんばりに中華食材を自在に操って美味しい中華料理を作るようなまるでそんな技を得て回避する方が得策なのかもしれないわ。
こんなこと言ってる間に、
悲しいかな進めるとお話の終わりに近づいて終わっちゃう悲しさにも直面しなくては行けない悲しさがあるのよね。
こればっかりはどうしようもないので私次第ってことなのよね。
でも勇気を出してえいや!って進めなくちゃ行けないわ。
でもさ
ネタバレ回避力アップセミナーのネタバレ回避力アップ講師の方が
訝しさが満載して幾分そんな怪しさがあるわよね。
でもネタバレ回避力アップセミナーあったらちょっと行ってみたいわ。
うふふ。
お寝坊しない私はみかんの花咲く丘公園前駅の商店街の喫茶店で和食モーニングをいただくの。
ここはスクランブルエッグももちろんろんのもちで美味しいんだけど、
トースト片手に持ち食べつつキーボードを打つのはお行儀が悪いこと請け合いなので、
和食だとお箸でご飯のお米をつかんで食べるから手が汚れないじゃない。
だいたいは鯖か鮭なんだけどね。
水出しだと総じてエグ味というかそういうのがないような気がして
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
自分の知識不足誤魔化すために厨二病を使うことあんま無いと思う。増田の例は例外じゃないかなぁ
強いて言うなら、実益になりにくい勉強、具体的には英語・中国語・スペイン語・韓流ブームで韓国語以外の勉強を趣味でやっていたり、
どこぞから権威扱いされたり、どこぞからお墨付きが与えられるわけでもない個人研究(例えば地蔵巡りとか、さまざまな商業パッケージ研究とか)をやっていると、
ワイは娯楽で論文読んだりするけど、べつにそこに楽しむ・暇つぶし以外の目的も意味もないが、
マンガ読む・ソシャゲやるのと同じようなものとは捉えて貰えない
俺はジャップランドの価値観とかエスタブリッシュが大嫌いだけど、日本を選ぶよ。
シナとか露助とかコリアとかうるせーし「オマエラの国体は滅べ!クソが!」って思うけど、それだけだもの我慢できる。
核を使う国が2国もあるけど、そんなのはヨーロッパだって変わらんから。
非核三原則(笑)のせいで何の躊躇もなく核を撃ち込まれることは確定しているし、米帝の核の傘(笑)だって穴だらけの上にMAGA(笑)の連中に取り上げられそうだけど。
それでも米帝に生まれるよりはマシだし、露助やシナなんか絶対に嫌だよ。
イタリアとかスペインとか好ましいって思っちゃうけど、そっちにはそっちの地獄がある。
それ以外の欧州は御免被る。俺の趣味と実益のエロを許すわけがないのでね(それを諦められるぐらいイタリアとスペインは良いと感じる。理屈じゃねぇよ。あくまでも外見の話な)。
趣味と実益を兼ねて書いてた親類などには評価されないWEB小説等
悔しい気持ちもあったから、受賞しないまでも、芥川賞系に応募しようとずっと思ってた
その時に、結局自分の人生が一番簡単で題材になるなーって温めてたのがタイトル
不特定。その時にハマってた、アニメのキャラだったりアイドルだったり、嫁以外の女性という存在
後述の自閉症でふらついた嫁につけこんだ人。占い師とか、除霊やさんとかそっち系
実際の手法は疑似科学だったから、そこそこ常識ある(高校の偏差値48ぐらい)嫁もやられた
元々は次女。実際は今でいうと多少の知的障害を伴ったADHDなのだろうか
自分と嫁と第一子家庭の見た目上の安定が崩れていった要因に思えてしまう存在
・(筆者男です)(追記しました)男だけど異常に胸がデカいキャラが苦手
ttps://anond.hatelabo.jp/20240208215941
ttps://note.com/meisounote/n/nbed9573f66a5
先日、これらの記事を発端としてインターネットでは何度目かの「女性オタク界隈特有の文化に男オタクがたまげる」イベントが開催された。
件の記事がどれだけ性格かは定かではないが、女性と思われる一部のアカウントらの反応を見る限りはそう大きく間違ってはいないように思える。
(私見を述べさせてもらうなら女性オタクにはクレーマー気質の人間が多いというよりは男性オタク界隈でもクレーマー気質の人間は発生しているが無視されるかボコボコにされるかの二つが殆どでその一方で女性オタク界隈ではそのような人物相手でもまともに取り合ってしまう人が現れてしまうため増長されやすいという構造があるのではないかと考えている。)
本題に入ろう。実はこの手のイベントが開催される度にいつもとある考えが自分の頭の中に渦巻いていた。
「自分がいた頃のアイドルマスター界隈にもこういう所があったな」と。
自分は既にアイマス界隈から距離の遠いところに来てしまって久しいため今でもアイマス界隈が当時のままなのかは判りかねるが、当時のアイマス界隈でも所謂「学級会」や「お気持ち表明」と称されるイベントは定期的に起きていた。
ちなみに内容はというと「担当アイドル※の設定が変更されてしまった」「担当アイドルのイベントでの出番が少ないような気がする」「一向に担当アイドルのCVが決定しない」「担当アイドルのSSRが後回しにされている気がする」といった主に担当アイドルの扱いの悪さに対する不満が殆どである。
※厳密には異なるのだが概ね「推し」のようなものだと思ってもらって構わない。。
そうしてこの手の話題になる度にアイドルマスター界隈(と女性オタク界隈)の性質について少しずつ考えていたが、この度ようやく考えがまとまったためここにそれを垂れ流すことにした。
といってもそこまで難しい話をするつもりはなく、言葉にすればシンプルな事である。結論を先に書かせてもらうと要するに重要なのは「その作品に対してどれだけ『真剣(マジ)』になっているオタクがいるか」という事である。「どれだけ深く入れ込んでいるか」と言い換えてもいい。
念の為に予め言っておくがこれに揶揄の意図は一切無い。しっかり線引きはしましょうという留保くらいはつけておくが元アイドルプロデューサーの自分としてはむしろコンテンツに真剣(マジ)な姿勢で挑む事には好意的ですらある。学校の文化祭だって斜に構えた態度でいるよりも真面目に取り組んだ方がなんだかんだ満足感が高い訳だし。
正直に告白すると、男性オタクよりも女性オタクの方が真剣(マジ)なオタクの割合が高そうだという偏見が自分にはある。創作経験があるオタクの多寡。ミームや定型文に頼らない感想の出力。フィクションの展開の影響を受けて実際に体調を崩す。推しと対面して泣く。ライブで気絶する。同担拒否。いずれも(男オタクにもこういう事例が無い訳ではないだろうが)女性オタクによく見られるケースという印象が強い。
アイドルマスター界隈もまた同様に真剣(マジ)なオタクの多い界隈である。(もう一度記しておくがあくまで自分が界隈にいた当時の印象と伝聞を元にした話であり今でもそのままなのかは判らない)
何故かというと、それはアイドルマスターがリアルとフィクションの境目を壊す試みにずっと大真面目に取り組んできたコンテンツであるからだ。ぶっちゃけ異常者の域に片足を突っ込んでいる。
例えばアイマスのライブには演者が自身が演じているキャラクターを舞台上で「再現」するという文化がある(もしかしたら他の二次元アイドルコンテンツにもあるかもしれないが)。あれは自分に言わせれば二次元上のキャラクターを三次元の人間の上に降ろそうとする一種の降霊の儀式だ。声優ネタがキャラクターに逆輸入されるかつての風習もその精神性の延長線上にあったものだと自分は解釈している。
それになんでも最初のアイマスであるゲームセンターのアーケード版の時点からフィクションがリアルに侵食してくるような試みは存在していたそうだ。なんと、しばらく店舗に通っていないとプロデューサー(プレイヤーの事)に見捨てられたのではないかと不安になったアイドル達が実際にEメールを送信して切実に訴えかけてくるというのだ。今やバンダイナムコの常套手段である「女の子」を見捨てられないという男の本能、その脆弱性を突いた卑劣な人質商売がこんな早くから行われていたとは、驚きの極みと言う他ない。
当時が全盛期だったニコニコ動画という動画サイトに、原作ゲームの動画を編集して制作した担当アイドルの自作MVを投稿したり、担当アイドルの二次創作小説・紙芝居(ノベマス)を投稿したりして、それで同志である視聴者とコメントで交流していていたニコマスという文化も、リアルとフィクションの境目を曖昧にし自分はこの子の担当プロデューサーであるという自覚、いや錯覚を強める事にきっと大いに貢献した事だろう。残念ながら自分は世代ではないため当時の空気感を伝聞や当時の動画を視聴する事で推し量る事しかできないが、自分にはこの時代が「プロデューサー」というロールプレイをするにあたって最も恵まれていた時代だったように思えてならない。
そしてそのリアルとフィクションの境目を壊そうとする姿勢は「シンデレラガールズ」(デレマス)にも受け継がれる(デレマスの場合は商売っ気がやや強すぎる気もするが)。
代表的なものはやはり悪名高い「総選挙」システム、そしてそれに端を発する声有り・声無しという概念だろう。初期のデレマス(当時はモバマスと呼ばれていたそうだ)はどのアイドルにもCVが付いておらず、ゲーム内のイベントであるシンデレラガールズ総選挙で上位に入賞するとそのアイドルのCDデビューが決定し、それに伴ってCVも決定するという流れがあったらしい。勿論、ここでいうCDデビューとは現実世界でそのアイドルの歌とトークが収録されたCDが売り出されるという意味であり、故にデレマスPにとって総選挙とは「実益」が絡む完全に「現実」の話となる。
そしてデレマスの総選挙における「有権者」とは、(奇妙な日本語ではあるが)プロデューサー(ユーザー)の事である。そのため同じ現実の人間である同僚プロデューサー達に対して担当アイドルのプレゼンもとい演説を行い、投票を呼び掛けるというまるで現実の選挙のような活動を行うインセンティブが発生する。その「選挙活動」に端を発する文化として、互いに手持ちの票の一部を相手の担当アイドルに投票し票交換を行うグループが現れたり広くプレゼンを募って気に入った担当アイドルに手持ちの票を分けるユーザーが現れたりなどがあるが、最も自分の印象に残っているのはやはりプロデューサー自身のインフルエンサー化であろう。それもプロデューサー活動の末に自然と自分も有名になっていたという結果論ではなく、みんなに担当アイドルの魅力を知ってもらうためにはまずは自分自身が有名になり影響力を持つ存在にならねばという戦略ありきである。自分もプロデューサーの端くれとして彼らがそうした理由は理解できるし感情についても共感はできるつもりなのだが、やはりこの現象を俯瞰で眺めた時にどこか滑稽である事は否めない。(こうした現象は現実にも存在し、例えば作品を宣伝するために自分自身が有名になる事を出版社から求められる作家アカウントなどがある。)
シンデレラガールズとは姉妹のような立ち位置にある「ミリオンライブ」(ミリマス)にもこの選挙というシステムを採用したイベントが存在する。とはいえミリマスの場合は提示された幾つかのテーマにそれぞれ登場する幾つかの役の枠を奪い合うというルールであり、フレーバーとしては選挙というよりはむしろ公開オーディションと表現した方が近い。そして当然これも現実でCDとして発売されるため、やはりミリマスP達もデレマスP達と同様に戦場に赴く事を半ば強いられている状況下にあると言っていいだろう。
そうはいってもデレマスと違って最初から全員にCVが付いているミリマスでは声有り声無しの格差が存在しないぶん比較的平和なのではないかと思う人もいるかもしれない。その見方に一理ある事は認めよう。だが、ここにもまたここだけの地獄があるのだ。
ミリマスの選挙イベント最大の特徴はゲーム内の特設ページにてそれぞれの役の得票状況がリアルタイムで確認できるという点だ。端的に言って心臓に悪い。例えば自分の担当アイドルが他のアイドルと熾烈なデッドヒートを繰り広げていたりなどしたらもう大変だ。そのうえ対抗馬が主人公で自分の担当アイドルがラスボスであるかのような風潮が界隈に浸透し、ジワジワと追い上げられ始めたりなどすればもう終わりだ。いや、終わった。
ちなみにリアルタイム故に成立するミリマス特有の戦略として、特定の時間帯に集中的に投票を呼び掛ける一斉投票という戦略がある。逆転の雰囲気を意図的に生み出す事で同陣営にはこれだけの数の味方がいるのだという安心感を与えて戦意を維持してもらい、逆に対抗馬にはプレッシャーを与えて戦意の低下を狙い、更には浮動票層の関心を惹いて余った票の使い所をアピールする事もできる、気取った表現をさせてもらえば一石三鳥の戦果を狙う事ができる戦略である。まあ、最も効果があるのは手持ちの票が潤沢な最初の一、二回程度でそれ以降は尻すぼみのように効果が小さくなっていくのだが。ただしこれはあくまで当時の話であり、メタゲームが回りきっているであろう今でもこの戦略が有効なのかは既にアイマス全体から離れて久しい自分には最早判りかねる事である。
(誤解の無いように書いておくと自分がアイマス全体から距離を置くようになったのはこのようなプロデューサー活動に嫌気が差したからではない。むしろこういった選挙系イベントはアイドルマスターというコンテンツにおける醍醐味の一つですらあると思っている。確かに当事者にとっては入れ込めば入れ込む程苦しくなっていく地獄の催しかもしれないが適切な距離さえ取れればこれほどエキサイティングなイベントもそう無い。自分がアイドルマスター界隈から離れたのはこの終わりも無ければ変化も無いサザエさんのようなコンテンツに追い続ける意味を見出せなくなったからだ。端的に言うと、ただのマンネリである。商業的には到底採算が採れない企画だろうが個人的な願望を言わせてもらえば、リアルタイムで一年の時が経つ毎に作中でも一年の時が経ち、アイドルも一つ歳を取り、そしていつか終わりを迎える。そういうアイドルマスターを今は体験したいと思っている。Vtuberではダメだ。リスナーではVtuberと一対一の関係を築く事はできず、所詮はただの one of them にしかならないからだ。だからアイドルマスターでなければダメなのだ。)
今もう無くなったがある時期までのアイドルマスター界隈の一部(?)には「『担当アイドル』と『推し』は別物だから一緒にするな」という風潮が確実に存在していた。ここまで読み続けてくれた人であればもう理解してもらえるだろうが、当時のアイドルマスター界隈において「担当する」という言葉は「推す」とは異なり相応の責任を負う覚悟があるという意味を含んだ重みのある言葉だったのだ(とはいえそれは無論ロールプレイの範疇に収まる程度のものでしかないが)。南無阿弥陀仏とさえ唱えれば誰でも担当プロデューサーを名乗ってもよいとされている時代の今時のプロデューサーからしたら到底理解できない馬鹿げた異常な感覚かもしれないが、これもアイドルマスターがかつて有していた一つの側面だったのだ。運営側の人間でもないのに架空の版権キャラクターの世間への売り出し方を真剣に悩む、そんなプロデューサーがかつてはいたのだ。そしてこんなに真剣(マジ)だからこそきっと学級会やお気持ち表明も起こりやすいのだろう。
これを読んで「アイマス怖……近寄らんとこ……」と思った方は安心してほしい。運営ももう時代にそぐわないと判断したのか今のアイマスは比較的カジュアルなスタイルになっており、そこまで気負わなくても気軽に遊べるようになっている(はずだ)。だから興味があるなら軽い気持ちで手を出してくれて構わない。あとはバンナムが二度とは戻れない深い沼の中へと勝手に引き摺り込んでくれるから。
この記事で自分が言いたかった事はひとまずこれで全部だ。ここからはほぼ余談になってしまうがせっかくだからシャニマスについても触れておこう。流石にこの時代になると他のアイマスで見られたようなプレイヤーに責任感を感じさせるような取り組みは無いのだが、リアルとフィクションの境目を壊そうとする点ではシャニマスもしっかりアイドルマスターの一員である。ただシャニマスの場合はシナリオ中の表現・描写・演出等によってアイドル達は現実に生きている人間であるとしてその日常の一コマを写真のように切り出そうとするというストロングスタイルであり、自分の語彙ではこれ以上の説明はなかなか難しい。他の取り組みとしては普段アイドル達が使用している靴箱(靴入り)の再現セットの展示、畳まれていたり畳まれていなかったりするジャージが床に置かれているレッスン室の再現セットの展示、ほとんど環境音しか収録されていない事務所内の定点カメラの映像を六時間ぶっ続けでYoutubeで配信するなどがある。どれも意図は理解できるがどこか変態の所業じみた取り組みばかりになってしまうのは少々困り所だ。
ここまできてアイドルマスター界隈でもあり女性オタク界隈でもあるSideMに触れないのも不義理な気もするが、他のアイマスと比べると中途半端にしか触れられておらず界隈の雰囲気についてもあまり詳しくないので正直語れる事があまりない。何か言える事があるとすればせいぜい「いい加減Mアニ二期を制作しろ」という事くらいだ。偉そうなタイトルにしておいて肝心な部分がこの体たらくなのは申し訳なく思っている。本当にすまない。
仕事と子育てに追われ、10代や20代前半にハマっていた趣味に一切興味や食指が動かなくなっていることに、ついさっき気づいた。
いや、子どもはめちゃくちゃかわいいから、子育てが趣味も兼ねていると言えばそうなのだが...
一人旅が好きだった。
旅行、いけてないなあ。
キャンプ、準備にも家帰った後の片付けも億劫で、あんなに買い集めたキャンプギアは埃かぶってる。
そもそも、土日に自分だけの時間を確保しようとすると家庭崩壊待ったなしだ。
アニメも最近は見ていられない。
ひどく退屈だし、半端な知識があるものだから、どこかで何かの作品の焼き増しに感じてしまう。
漫画も同様だ。
そもオタ趣味に関しては、実際に体験した上で、周辺知識をかき集め考察し、オタク仲間とああでもないこうでもないと妄想を語り合う楽しみの側面もあった。
あの頃のオタ友はいまはもう全然会ってない。
みんな結婚して忙しいか、近場に住んでいない。
身体がどうしようもなく、なまってきたので、仕事帰りにジムに行っているのだが、それもモチベーションがわかない。
筋肉つけたところで、それが活躍するシーンはどこにあるのか、とか無粋な言い訳が湧いてくる。
スポーツをやっていた時は、筋トレも好きだったのだが...
学生時代からやっていた野球は、大学の部活引退とともにまともにプレーしていない。
働き出した1、2年目に社会人サークルで草野球をやったのだが、土日にぶっつけ本番の試合だけだと、自分が思ったように動けないことにイライラして、つまらなくなって行かなくなった。
毎日の練習でズレを微修正していくことって、やはり大事だったんだな。
かろうじて、仕事のためにやっている資格試験の勉強に楽しみを見出してる。
知らないことを知れるというのはとても楽しいものなんだな。
実益性があるからモチベーションも湧くし。
ただ、なんだかなあ...
俺の本当にやりたいことって、もっと他にあったはずなんだがなぁ...
おもしろい。自分は寄付をする人間で、存分に選り好みして寄付しているのでその観点から書こうと思う。また自分は犬には寄付しない。ほとんどは被災者である。
自分は寄付には差別的要素があると思う。そして、そもそも寄付は究極の善でもないと考えている。
それから自分がやっている寄付は全く善と考えていない。もっと利己的なもので自己満足感を満たすためにやっており、投資や物品購入に近い考え方をしている。
どちらかといえば自分がやっているのは贖宥状購入のような悪徳に基づく行為である。
ただしここで「差別的要素があるならすなわち善ではない」と考えると危険であると思う。それは完璧主義的な意見だろうと思う。
これは自分は、世間の欺瞞に対する挑発だとも考えている。普段は比較的「悪」なくせに、そういうときだけ調子のよいことを言う人間がいる。あたかも「自分は善側の人間ですよ」と振る舞っていること・自分が選んだものを助けたことに満足していてその他には一切憐憫の情を向けない「ほかを悪と断罪するための正義」を感じているのもあるのではないか。「やらない善よりやる偽善!」と言って、やらない者を「悪」側に落とす文句もある。
もし多くの人間に対する不信感がある場合、選ばれなかった方に目を向けたくなる。彼彼女らが助からないのなら、それは善といえるのかという話のようにも見える。
自分には、増田は「嫌われている方を助けたい」という考え方があるようにも見えている。ちょうど増田が考えていることはロールズの「無知のヴェール」の話にも通じるのではないか。これは個々の立場を忘れるヴェールを被ってから正義を考えようという概念である。この概念はそこそこ有名だが、それほど一般的ではない。ほとんどの人々は伝統的な倫理観にしたがって寄付などを行っているはずだ(※ べつに揶揄しているわけではない)
ただし差別うんぬんよりも、もし「すべてを救えないのなら救うべきでない」とすればこの世のほとんどは何も救えないことになる。われわれは有限の資源の中で生きているので、絶えず不足にさらされている。不足している中では選別が必要となる。
このあたりはトリアージ等の動画を見ると非常によくわかる。属性のせいで助けてもらえないというのは悲しいものである。何もないまま助からなかったよりも、助けられそうな資源が目の前にあるのに助けてもらえなかったという絶望はたしかなものだ。それが現実である。現実は理不尽であり不公平である。しかしポメラニアンを助けている人も、何も黒い大型犬に思いを全く馳せていないわけではないかもしれない。助けたいが、資源が足りていないために助けられないのだ。
どのように「公平に選別するか」も重要な問題である。こうした点がトロッコ問題などで考慮されていた。選別しなければならないのだ。ポメラニアンと黒い大型犬はその「愛らしさ」に焦点をおいているので、その独善的な部分に嫌悪感を感じるのではないか。善という正義の皮をかぶって差別を正当化しているように見えるのかもしれない。通常、笑って朗らかな態度で選別してはいない。血涙を流しながら、選べないという自分の無力さ無能さ愚鈍さとどこかで折り合いをつけて、否応なく選別している。
そして誰も救わない場合、「どうにも俺と同意見の人間が増えたとして世界が良くなるとは思えない」と言っているとおりのようになるだろう。もしそれが現実となったとき、考え方はどうであれ実際に起こるのは「誰も寄付しない世の中」である。つまりどれだけ困窮しようが誰も何も手を差し伸べはしない。それはポメラニアンや黒い大型犬のみならずすべての生き物が平等に絶望しなければいけない事態であると思う。
人々から金銭を徴収して再分配することはODAなどで一応おこなわれている。
一方で寄付は、自発的に自分の所有財産から抜いておこなっているものだ。これは財産権という強固な概念で守られている。
われわれは「自分の持っているものを自分の使いたいように使っていい権利」を持っている。これらをとりあげて自由に使用することは、自由権や民主主義を否定するものである。
またこれは単純に「世界中で増税する」ということに他ならない。国はそれほど信頼できるだろうか。国同士は同意できるだろうか。現在の世の中ではかなり厳しいものとなる。
また、マクロな問題を持ち出して、ミクロの問題のやらないことの根拠に含めてしまうのはズルであろう。個人的な寄付をすることと、国家群が寄付を集めて再分配することとは次元が違う問題である。
結局増田が言っているのは理想論なのではないか。「あるべき理想の姿」があまりに現実と違いすぎる。今この瞬間にはどうしようもないことを前提としすぎている。遠い将来にそれが普通になることはあるかもしれない。しかし周りから見ればそれは「ただやっていない」「ただ誰も助けていない」のである。
そして実際にその浮いた100円は何に使っているかといえば、個人的な実益に対してなのではないか。これはどう言い繕っても「誰かを助けるよりかは、自らの幸福を高めたい」という行動である。この言はずいぶん切れ味の鋭いものだが、それが事実である。われわれは見ず知らずの黒い大型犬の命よりも、見ず知らずのポメラニアンの命よりも、コンビニのお菓子の方を選ぶことがある。そちらの方が自分にとって幸福だからだ。
増田はもしかすると「誰からも助けてもらえなかった」と感じているかもしれない。だから自分も手を差し伸べはしないのだと。しかし本当は助けられたかったのではないだろうか。助けてもらえない者たちから見れば、この世は邪悪な方が都合がいい。この世が邪悪だから助けてもらえないのだと考えられる。それほど邪悪でないのに助けてもらえないなんて諦めがつかない。
寄付だろうがなんだろうが人の行動は利己的なものであり、己のためにするものだと思う。どちらかといえば、寄付することによって自分が救われているのだ。
べつにこれは自分個人の意見だが、「全員を助けられないのなら寄付しない」と考えるのならば、あまりにもったいないと思う。
誰かを救いたいのなら救えばいいのではないか。
この汚職のデパート政党が出した補正予算に賛成しちゃった間抜けな野党が2つあって
維新は大阪万博で自民党が金を出してくれたからまだ理由があるけど
国民民主は実益を得たわけでもないのにトリガー条項凍結解除の口約束だけで補正予算に賛成しちゃった
しかもこれが2度目
前も同じ理由で補正予算に賛成したんだけど約束を破られたから2度目
そして今回の自民党の裏金問題でそれに尻尾を振った国民民主は確実にやらかした形になっちゃってる
野党でありながら自民党の金魚のフンを続けた結果前原は数人連れて出ていっちゃうし
(事実関係)
○最高裁判事の枠や各団体(裁判所・弁護士・検察官)からの一名を推薦し、内閣はそれに従うという慣例が成立したのはここ50年ほどで、法的根拠はない。
○慣例ができるまでは内閣も最高裁も各団体も枠にとらわれず、内閣の任命権は実質的なものであった。
○現行の慣行については賛否がある。(利権ではないか/バランスが取れている)
(所感)
○そもそも最高裁判事の任命権は三権分立の趣旨からすると内閣から最高裁への牽制機能であり、それが形骸化していることは制度の趣旨に反するのではないか。
以下の記事のブコメにおいて、「最高裁判事の任命を慣例に従って日弁連の推薦の通りとしなかったのは間違っている」という前提のブコメが大半を占める。
安倍内閣が崩した最高裁判事選びの「慣例」 6年経て「元通り」に:朝日新聞デジタル
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASRC65HZXRC2UTIL03S.html
○このレベルのことが6年かかる。公文書改ざん、不誠実な答弁などのモラル崩壊や倫理欠如が「彼」以前のレベルに戻るまでどのくらいかかるのか
○本当に本当に酷い政権だった。「無能による社会の衰退」より更にタチの悪い「卑劣さによる社会の破壊」が続いた。まだ与党内にその残滓は残っている。
○法学的な顕著な実績もない加計学園学園関係の弁護士が最高裁の裁判官になったり、安部政権はめちゃくちゃだったよね。亡くなって本当によかった https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E6%BE%A4%E5%85%8B%E4%B9%8B 典型的お友達人事
○今でもできないはずなのだが、ペナルティがないのが問題。政治が司法に干渉できる余地が絶対ないように、干渉が犯罪化できるように法律を整備しなおすべき。
○幼稚で未熟な政権がおよそ10年続いた事を考えれば司法の失われた10年はあまりにも長かった訳だ。
○どこが元通りなんだ。何の反省も改善もない。つぎはぎを当てただけ。また別の悪が現れたらすぐ崩される。
○「人事によって政権の意に沿う方向に物事を動かすのは安倍・菅義偉政権の特徴だった」司法だけでなく、教育機関や公共放送・日銀・内閣法制局など、独立性が重視される機関で尽くやった。
だが、それは果たして正しいのだろうか。条文を見ていこう。
(日本国憲法)
第六条(略)
2 天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。
第七十九条 最高裁判所は、その長たる裁判官及び法律の定める員数のその他の裁判官でこれを構成し、その長たる裁判官以外の裁判官は、内閣でこれを任命する。
(略)
なるほど、6条2項からは、最高裁の長官の指名は内閣に権限があり、天皇の任命権は形式的なものと理解できる。
そして、79条1項から最高裁裁判官の任命権は内閣にあることが一目瞭然だが、この任命権が6条2項の天皇による任命権のように形式的なものなのか、それとも指名権まで含む実質的なものなのかは実はどこにも規定されていない。
最高裁裁判官は、現在概ね裁判官出身者6名、弁護士出身者4名、学識経験者(学者や行政官など。検察官もここに入る。)5名で構成されている。
そして、退任者が出た場合、退任者と同じ出身母体(裁判官/日弁連/検察庁)が自分の枠に誰を当てはめるかを内閣に推薦する。
内閣は最高裁長官の意見を聴取した上で決定するとされているが、出身母体からの推薦は一名であり、最高裁はその推薦を尊重し、内閣はその通りに任命している。
1970年代はじめ頃までは推薦された者について内閣と最高裁で議論が交わされ、内閣が最高裁に従わないこともあった。
更に、検察庁と日弁連両方から別の者が推薦され、内閣で判断することすらあった(例えば日弁連から4名、検察庁から2名の推薦があり、内閣で1名を決定するなど)。
それ以降は、各団体は枠を意識して推薦するようになり、内閣は各団体からの推薦のとおりに任命するようになっていった。
実はこれは一切根拠がない。元々戦後5:5:5でスタートし、その後5:4:6となったり4:5:6となったり5:3:7となったり様々だ(前述の通り複数の枠からそれぞれ推薦されることもあったので、内閣の判断で枠が動くこともあった)。
しかし、概ね1970年代はじめから、ある枠の後任者は当然にその出身母体から推薦するという慣例が取られるようになった。また、推薦される者が一名に限定されたのもこのころで、内閣の任命権が形骸化されたと言って良いだろう。
そして、この枠については二通りの評価がある。なお、これらの意見は安倍内閣による任命への評価を避けるために00年代以前のものとしている。
「最高裁長官の意見を聞くかは内閣の自由だが、この習慣は是非続けて欲しい」(最高裁長官 裁判官出身 矢口洪一)
「既得権益。秘密裡に行われ、少数の人のみによって進められる。」(朝日新聞記者 野村二郎)
以下は私見だが、宮川判事の「特殊日本的な状況」という意見が非常に興味深い。宮川判事は肯定的な意見としてこれを述べているが、「出身母体間や推薦者間に軋轢を生じさせないために事前に調整している」という意味合い(実に日本的だ!)だろうから、今となっては肯定的に受けとるのは難しいのではないかと思う。
別の論点として、三権分立の制度趣旨としてこの任命権がどういうものか見ておきたい。
三権分立の説明において、最高裁から内閣への牽制機能として違法性の審査があり、内閣から最高裁への牽制機能として最高裁長官の指名と最高裁判事の任命がある。
ここからは再度私見となるが、最高裁判事の任命権が形式的なものであるならば牽制機能としては意味がない(小学校のときに習った三権分立の図が誤り!)ため、制度上は(天皇による各種任命権と違って)実質的なものととらえるべきだと考える。
また、上述の矢口長官も「最高裁長官の意見を聞くかは内閣の自由」と述べているように、少なくとも当時の関係者は既得権益などではなく単なる慣例であり、実質的な任命権は内閣にあると考えていたようだ。
従って、最高裁判事の任命権は実質的にも内閣にあり、安倍内閣の行った慣例破りが正しいかどうかはその人選が適切であったかどうかで判断されるべきではないだろうか。
弁護士枠の判事は、まず日弁連が候補者の推薦リストをまとめ、最高裁がその中から数人を選んだ上で、最終決定権を持つ内閣が決めるのが近年の慣例だった。
男児誕生から3年半ほぼ専業主夫1人で育てた 92%ぐらいワンオペ
覚書代わりにだらだら書く
そうなってしまった理由としては男児出産後すぐに嫁さんが事故で大怪我して入院>リハビリ生活に突入してしまったから
そんな状態で育児なんぞできるはずもなく退院してからも嫁さんは実家に戻ってリハビリすることになって俺が育児続行
関係ないけどほぼほぼ3年休職して普通に復帰できた嫁さんの職場とんでも福利厚生やねって思っちゃった
思っていたより楽だった所
夜泣き>まあまあキツかったけど我慢できないほどではない、仮眠取れないってことはないし世の中のお母さん騒ぎすぎじゃね?って印象は正直否めなかった
食事>割と好き嫌い多くて食べない時期もあったけど別に食わなきゃ食わないでいいや餓死しそうになったら食うだろってスタンスで適当に食わせてた 4日間毎食サラダせんべいとかぼちゃだけしか食わなかったこともあった
多分2歳半からの1年間は食事の1/3はサラダせんべいと薄皮チョコパンとかぼちゃ食わせてた でも健康診断でも問題ないのでOK
お医者さんに聞いたら「食わないより全然いいからそれでいい」とも言われたことで気が楽になったのもある
イヤイヤ期>生まれる前から2人でかなり警戒してて実際結構ひどかったんだけど、義母から「適当にほっとけ」って言われて適当に相手してたらいつの間にかなくなってた
体感6割ぐらいへーふーんって感じで無視してたけど特になんもなかった ほっときゃ疲れて寝るし
行った方策としては外で人様の迷惑になるのもあれだからこの時期ちょっとだけ外出量減らしたぐらい
検査してないけど諸々の所作から間違いなく定型発達だってのもあったんだろうけど、他の人こんなのに苦労してんの?って点はかなりあって拍子抜けした部分はあった。
子供のうちから映像に慣れされるとゲーム画面見せるのがあやしの一貫になるんで抱っこ紐でお腹側に赤ちゃん固定してゲームするだけで子供は画面見て喜ぶし自分はゲームできるしで趣味と実益兼ねた状態だった
子供がFF15をものすごく気に入って半年ぐらいそれずっとやってた時期もあった
ただMMOとかネットゲームは流石に触れなかったね、最近FF14復帰して浦島太郎状態です
思っていたより大変だったりつらかった所
洗濯>これは大変だった 子供の汚れもの生産スピードが想定の2倍を超えててあわててドラム式洗濯機を導入
家の汚れ>子供の思い切りのよさにちょっとビビっちゃったね 壁にクレヨンで落書きされた時は流石にキレそうになったけどなんとか抑えた
男親に対する周囲の無理解>差別されるとかではなく男親が子供連れてどっかでなんかをするというシチュエーションが想定されてない施設が沢山あった
保育園からの呼び出し>3歳半ぐらいからやっと幼稚園入れたんだけど結構多かった 赤ちゃんの発熱多いとは聞いてたけど入園当初の頻度はすごかった 保育園入れたら身軽になって働けるなって浅く考えてたけどここはかなりの想定外で反省すべきところ
総じてまあ、ワンオペでも育児そんな辛くないなという印象を抱きました
赤ちゃん自身よりもそれによって引き起こされる外的要因というか外的事件に手間取った感じが多かったね