はてなキーワード: 不断とは
859 :風と木の名無しさん:2009/09/05(土) 10:04:10 ID:Oivd+CAC0
857
女にも男にも男女同性愛者にも芸能好きにもスポーツ好きにも歴史好きにも
軍事好きにもオタク物好きにも以下略、あらゆる方面で敵作りに尽力してきた
腐女子以外の全人類、と書こうとしたら腐女子は腐女子にも嫌われてるのな
860 :風と木の名無しさん:2009/09/05(土) 17:24:52 ID:UQT3E+HzO
861 :風と木の名無しさん:2009/09/06(日) 01:18:26 ID:qgtIL+OZ0
マッチポンプの、ポンプの水がガソリンになっちゃってるわけだ。
862 :風と木の名無しさん:2009/09/07(月) 03:19:03 ID:WVZvjsDm0
846
863 :風と木の名無しさん:2009/09/07(月) 08:01:05 ID:Tfuqh6bmO
ゲイか腐か知らんが、
チョンマゲとくのいちの現代日本みたいなサイトやってるのと同じだと思うぞ
864 :風と木の名無しさん:2009/09/08(火) 10:15:50 ID:xw4bJj4+0
ナリキリなんかやってる時点で痛いので、どうなっても良し。
て、言うか、ナリキリ厨はむしろ全員消えてほしい。
868 :風と木の名無しさん:2009/09/08(火) 16:59:15 ID:Ueio7naSO
滅べばいいのに
869 :風と木の名無しさん:2009/09/08(火) 17:19:54 ID:US9e+qCs0
もう、ここの住人哀れすぎて笑う。
ネットの匿名掲示板ですら、この嫌われっぷりってある意味すごいかも。
870 :風と木の名無しさん:2009/09/08(火) 17:36:59 ID:4WwecFGV0
本気で嫌がられ迷惑がられてるのに、
ストーカーと同じで他人には意味のわからない奇怪な脳内理屈をつけて
いつまでも居座ろうとするのがどの板の腐女子にも共通してる傾向
それがよりイヤさを増しているw
871 :風と木の名無しさん:2009/09/08(火) 17:55:19 ID:/9n7zZTG0
こんなに嫌われもしないと思うけどね、
どの板でも妙に上目線なのが多いほんとに。
872 :風と木の名無しさん:2009/09/08(火) 19:02:14 ID:bomsWtzBO
同性愛関係の板で同性愛者である風を装って書き込みするのはホントにやめた方がいい。
あの人たち「迷惑かける・かけない」に関係無く腐女子の事をよく思ってないから、敵に回すのは絶対やめた方がいい。
このスレ貼られてるし…
誰だよ「腐女子が大好きなゲイ」なんてゲイの神経逆撫でするスレ立てたの…
873 :風と木の名無しさん:2009/09/08(火) 19:03:10 ID:7JxRTH9+0
872
見てる時点で同じ穴の狢じゃん。
875 :風と木の名無しさん:2009/09/08(火) 19:36:36 ID:US9e+qCs0
873
書き込むのと読むのは全く違うと思う。
何でここまで自分達の行為を無理やり正当化させようとするんだよ。
876 :風と木の名無しさん:2009/09/08(火) 19:42:37 ID:snykNq3eO
腐女子が表に出るのはなんか嫌だお
ショコタン(苦笑)痛々しいお
877 :風と木の名無しさん:2009/09/08(火) 19:45:56 ID:n4gcPhL/O
濡れてきた…
878 :風と木の名無しさん:2009/09/08(火) 19:46:13 ID:Gen7rZMP0
敵に回すのは~ってとっくの昔に敵に回ってるだろ
879 :風と木の名無しさん:2009/09/08(火) 19:52:29 ID:KPGAoWXh0
875
「自分達」とは誰のことで「行為」とは何の行為で「正当化」とは何をどうしてることを指してるの??
880 :風と木の名無しさん:2009/09/08(火) 20:08:14 ID:US9e+qCs0
879
873が同性愛関係の板で同性愛者である風を装って書き込みしてる前提で
「行為」 …同性愛関係の板で同性愛者である風を装って書き込み
881 :風と木の名無しさん:2009/09/08(火) 20:33:56 ID:KPGAoWXh0
880 はあ、説明どうも
873が同性愛関係の板で同性愛者である風を装って書き込みしてる前提で
このブッ飛んだ「前提」にそもそもついてけないので、意味わかんないのは
当然だったと納得した
敵に回すのは~(今さらw)とか腐叩きを無くしたいとかの「打算」づくで、
そもそも来んなと言われてる同性愛系板に張り付いてホモ窃視(デバカメ)して
る奴について、873が言ってる通り以外他に言いようがあんのか
腐女子の思考回路って、やっぱり沸きすぎてて意味わかんない883 :風と木の名無しさん:2009/09/08(火) 21:17:11 ID:onIlUvKhO
他板で腐部分が出る状況が少なくないか?
884 :風と木の名無しさん:2009/09/08(火) 22:15:21 ID:EpDkeLLg0
872
あの人たちって、なんか腐女子を友好的にあつかってる人たちがどっかにいるみたいじゃん?w
敵にまわすのは、って腐女子の味方が腐女子以外にいるみたいじゃん?w
で、どこの板にいる誰のことを想定して言ってんの、それって?それも妄想?ww
885 :風と木の名無しさん:2009/09/08(火) 22:43:25 ID:bomsWtzBO
別にそんな事までは言ってないんだが…
886 :風と木の名無しさん:2009/09/08(火) 22:58:26 ID:57WcnmFoP
同サロ板の住人だけど、無駄だとは思いつつ、失礼して書き込んどくわね。
まず、なりきりで書き込むのはやめてちょうだい。
に入ってくるのが多いようだけど、
まあ、半分は鬼女だろうけどね。
相応の対応をさせてもらってるわよ。
それが、今同サロ板で起こっていること。
少々知性が足りなかったり(失礼)するレスは、
他の板でも、同じようなことをやってるようだしね。
まず、己を磨くのが先なんじゃないの?
887 :風と木の名無しさん:2009/09/08(火) 23:28:10 ID:11gaZdPe0
869
888 :風と木の名無しさん:2009/09/09(水) 06:35:53 ID:7UuFustF0
他所から見ればクソウザくまとわりついてくる萌え乞食以外のなんでもないのに、
なにをどう勘違いすれば自分の位置づけを相手より高いところへおけるのか理解不能。
889 :風と木の名無しさん:2009/09/09(水) 13:34:59 ID:+miBnyvw0
890 :風と木の名無しさん:2009/09/09(水) 17:17:33 ID:vKtbyHaI0
そうそう
891 :風と木の名無しさん:2009/09/09(水) 17:38:09 ID:P8OAtkWnO
同サロ板でバレたって開き直ればいいんだよww
892 :風と木の名無しさん:2009/09/09(水) 18:47:02 ID:o9F4CPBM0
891
そこまでして何で書き込みしたいわけ?
こっちの方が強いとかって何と戦ってるの?
893 :風と木の名無しさん:2009/09/09(水) 19:55:23 ID:P8OAtkWnO
894 :風と木の名無しさん:2009/09/09(水) 20:12:06 ID:P8OAtkWnO
悔し紛れの捨て台詞によれば、
腐女子は男に相手にされないからホモの所に行くと思ってるらしいwww
895 :風と木の名無しさん:2009/09/09(水) 21:09:20 ID:UrMIUMnv0
すごい大きい釣り針だね
896 :風と木の名無しさん:2009/09/09(水) 21:43:56 ID:1pwVuTOd0
それ、向こうに住み着いてるなんとか先生ってキチ○イな荒らしの人じゃない?
一時、鬼女板や喪女板へもホモ叩きスレ立ててまわってゲイ板へ住民を誘導しようとしてた人
特徴あるボキャと言い回し、自分のスタンスの置き方が同じ気が・・・
と、思ったけど汚腐とか言われてた人も基本条件似てるしなぁ・・・?
けっこういい歳の腐女子でメンヘル入ってきてる人って言動が似通ってるとは思う
ここ数年、こういう感じの人を2chでよく見かけるようになったのも確か
何人か単行本買う作家がいるくらいの、自分みたくライトに801やってる層はゲイ板とかまでは
みんなあんまり遠征しないとオモ・・・仕事あるし、ほんとに細々とでそこまでエネルギーないのよ
ここへ転載されてるカキコ見ると、常識的に考えてそうとう酷いとは思うんだけど、かといって
自分が直接行ったこともない板の腐女子までは責任持てないよ・・・
女板なんかで暴れてる荒らしは削除依頼や荒し報告で対処するんだけど、それじゃ駄目なのかな?
腐女子、とか言うより前に、ほとんど荒らしだと思う相手は荒らしで対処したんでいいんじゃ?
なにもしないとどんどん悪化してくよ
えーと、とりあえず悪質な荒し行為やってる人がアク禁とかになるのは別にぜんぜん問題ないです
身内から犯罪者が出たら、お上の裁き受けてちゃんとお勤めしてきてね、って言うのと同じかと
897 :風と木の名無しさん:2009/09/09(水) 21:49:26 ID:MVJdWO470
896
やっぱり身内の意識はあるのか?
898 :風と木の名無しさん:2009/09/09(水) 22:21:54 ID:P8OAtkWnO
ホモさんたちにも再三言うんだけど
899 :風と木の名無しさん:2009/09/09(水) 22:30:56 ID:Q2y3LUBF0
897
それはビミョー・・・
汚腐って人は喪女板経由で断片的にしか知らないんだけど、例えて言えばブラジルあたりに
(ホントに会ったことないブラジルのハトコがいるんだけど、感じで近いのはこれかと)
親類って言われれば親類なんだろうけど・・・いままでもこれからもつきあいないだろうし、
言葉通じないし、別になにしてどうなってても日本の他人より影響ないなー、みたいな
なんかもう、得体の知れないいろんな人種と混血しまくってて、親族と言われてこっちも驚く感じ
って言うか・・・
部分的に801な血は流れてるっぽいけど全体としては既に別種のなにかになってるって言うか・・・
一言で言うと、なにがしたいのか、自分のような腐女子には目的からぜんぜんわからないw
900 :風と木の名無しさん:2009/09/09(水) 22:47:47 ID:P8OAtkWnO
ていうか何でここ腐女子叩きがこんなに湧いてんの?
ホモが紛れ込んでるんじゃない?有り得ない。
901 :風と木の名無しさん:2009/09/09(水) 22:50:02 ID:wAhHAsmG0
325
902 :風と木の名無しさん:2009/09/09(水) 22:57:10 ID:P8OAtkWnO
女なのは中身だけのくせに。
903 :風と木の名無しさん:2009/09/09(水) 23:16:25 ID:Q2y3LUBF0
う~ん・・・たぶん自分だけじゃないと思うけど、「腐女子叩き」って感じはあんまりしないんだよね・・・
あんまり自分に引き寄せようがない属性を多く持ち過ぎてる人が、腐女子と名乗って叩かれてるって
印象しかなくて・・・そんなシンパシーや共通性は、たぶん数字板住民は誰も感じてないんじゃない・・・?
やっぱブラジルのハトコが来日してポルトガル語で喋ってるみたいな感じ
ゴメンネ・・・P8OAtkWnOさんって、あまりに遠すぎるw
801界がアメリカだとすれば、ハワイの人がアラスカのエスキモーの話を聞かされてるようで、
どっちかと言うと、もう別の国になってもらってもこっちはぜんぜん困らないし、そっちのほうが合理的
かな・・・?とかw
そういう方向性でなら数字板のみんなも支援すると思うんですが・・・
共闘とかはたぶんムリポ・・・それは一人でがんばってください・・・ノシ
904 :風と木の名無しさん:2009/09/10(木) 01:21:56 ID:0AwmfdIu0
同性愛板へ入り浸ってるひととかは、
腐女子よりも昔でいうオコゲにずっと近いんでは。
そこまでリアルに接近すると801的腐女子的な萌は成立し辛い。
ここで見るのはそれともまた傾向が違ってるしな。
905 :風と木の名無しさん:2009/09/10(木) 07:56:44 ID:QVpPH9ZNO
かと言ってよそへ廃棄されても困る
801で出したゴミは801で処理してもらわないと
906 :風と木の名無しさん:2009/09/10(木) 10:19:04 ID:uSjZqyK50
お話になんねー
907 :風と木の名無しさん:2009/09/10(木) 10:29:03 ID:1X5YD2hj0
もう排除されてるでしょ
908 :風と木の名無しさん:2009/09/10(木) 11:16:57 ID:foTXyJdd0
三行半というか、全ての住人が仲間だと思ってないし。
902のような人は理解できない。
スルーするのが一番いいと思う。
ローカルルール無視の書き込みを総称して鬼女、婦女子と罵られてるのに
909 :風と木の名無しさん:2009/09/10(木) 11:32:30 ID:Rt1UwR25O
黙っとけばい~んじゃん!
910 :風と木の名無しさん:2009/09/10(木) 12:26:45 ID:nLxD8+hSO
向こうが何を言おうと、結局男に愛されるのは女性の方なんだから。
ホモがいて、女性が居れば世間はどっちの味方か考えるまでもなくわかるよね?
911 :風と木の名無しさん:2009/09/10(木) 12:35:24 ID:foTXyJdd0
どうして向こうの板に書き込みしたいの?
書き込み禁止の板に書き込まなければ何の問題もおきないと思うんだけど…。
912 :風と木の名無しさん:2009/09/10(木) 15:42:16 ID:nLxD8+hSO
禁止ったって、向こうが勝手に言ってることだし。書き込みするのは自由でしょ。
考えてみて。「腐女子書き込み禁止」なんて言われて何とも思わない訳?
余所で「ホモ書き込み禁止」って言われたらどうせ自分達だって黙ってられないくせに。
913 :風と木の名無しさん:2009/09/10(木) 15:49:51 ID:mylMmNZdO
912
914 :風と木の名無しさん:2009/09/10(木) 15:50:50 ID:foTXyJdd0
912
で、何で書き込みしたいの?
っていうか何を書き込みしたいの?
915 :風と木の名無しさん:2009/09/10(木) 15:56:17 ID:VQCJsRro0
6月25日午後には、党中央政治局委員(トップ25)を全員引き連れて、北京西郊の北京大学に乗り込んだ。ここの「紅楼」で開かれている「光輝な偉業、紅色の序章―-北京大学紅楼と中国共産党早期北京革命活動主題展」を参観するためだ。
後述するように、100年前の中国共産党の指導者たち――陳独秀、李大釗は、北京大学を拠点にしていた。中国共産党創建は、1917年のロシア革命と1919年の大規模抗日運動「五四運動」が基点になっているが、「五四運動」は北京大学が「震源地」となっている。私はかつて北京大学留学時、構内の学生寮に一年住んでいたが、5月4日は大学の創立記念日になっていて、特別な日である。
習近平一行は続いて、豊沢園の毛沢東故居を参観した。毛沢東主席が1949年9月21日(建国の10日前)から17年、仕事と生活の場にしたところだ。
毛沢東主席を崇拝してやまない習近平総書記は、そこに飾られた毛沢東の服や読んでいた本などを、感慨深げに見つめていた。そして24人の中央政治局委員を狭い部屋に入れて、またいつものように後ろ手に組んで、腹を突き出して説教を始めた。
さらにまだ言い足りなかったのか、中南海(最高幹部の職住地)の懐仁堂へ戻って、再び長い重要講話を行った。その要旨は以下の通りだ。
「紅色こそが中国共産党であり、中華人民共和国の最も鮮明明瞭な色だ。わが国の960万㎢あまりの広大な大地に、紅色の資源は星の如く流布している。わが党が団結して、100年の努力の偉大な歴史過程の中で、紅色の血脈を代々継承し、中国人民を導いていくのだ。
第18回中国共産党大会(2012年11月開催で習近平総書記を選出した)以来、私は地方視察を重ね、わが党の重大な歴史的意義を持つ革命聖地、紅色旧跡、革命歴史記念場所など、主要な場所をあまねく仰ぎ見てきた。どこへ行っても、栄光の歳月を再確認し、党の苦難の歴史を回顧し、心が震撼し、精神的な洗礼を受けてきた。
中国共産党はなぜ能力があるのか、中国の特色ある社会主義はなぜ素晴らしいのか。それらは根本的なことを言えば、マルクス主義が正しいからだ。われわれは党の100年の努力の歴史から、真理のパワーを悟り、共産党の執政の規律と社会主義建設の規律、人類社会発展の規律への認識を不断に深化させ、マルクス主義を用いた真理の光芒が、われわれの前進していく道を照らすのだ。
全党は終始、理想の信念を堅持するよう教育し、導いていかねばならない。革命の理想は天より高いのだ。100年の党史を振り返れば、千々万々の共産党人は、理想の信念を頭に抱き、鮮血を撒き散らしてきた。共産主義はわが党の遠大な理想であり、この遠大な理想を実現させるため、必ずや中国の特色ある社会主義の信念を固めねばならない。
新時代の中国の特色ある社会主義の新たな勝利を不断に奪取するのだ。全党の同志は党の100年の努力の歴史の中から初心の使命を悟り、人民を中心とした発展思想をうまく貫徹し、中華民族の偉大なる復興の実現のため、初志一貫で奮闘するのだ。
全党が終始、教育的指導で自己革命の推進を堅持するのだ。わが党は100年の風雲を経て、依然として繁茂している。その奥義は具体的な自己浄化、自己改善、自己革新、自己能力の強大化にある。自己革命の精神は党の執政能力の強大な支えだ。
政治性、思想性、芸術性を統一させ、精品を作り出すのだ。史実説話を用い、表現力と伝播力を増強し、生き生きした紅色文化を伝播させるのだ。革命、建設、改革の各歴史の時期の重大な事件、重大な節目に関する教育を強化しなければならない。
確定した重要な標識の地を研究し、党の物語、革命の物語、英雄の物語をうまく語るのだ。それらを青少年の特長が認知された教育活動と合致させ、潤沢な特色ある革命伝統教育、愛国主義教育、青少年思想道徳教育吉を建設し、彼らが小さい頃から心の内に紅色の理想を樹立できるように導いていくのだ」
競走馬のサラブレッドは血統が命みたいでディープインパクトとかいう馬の血を引くやつが今でも強いんだろ?
それが実証されているわけだ。
人間の知的能力は単純に血統だけで保証されるものではないだろうけれど
それでも高い知性同士をかけ合わせていけばより高い知性が生まれるであろうことは充分に予想される。
天才と凡人の比率はどの程度の割合がベストなのかはわからないが、
なんとなくの予想では自然のままに任せていると天才の割合が少なすぎるように感じる。
知のサラブレッドを生み出すことが必要なのではないのだろうか?
本当か嘘かわからないが昔の共産国家では超能力のようなものが真剣に研究された時期があるという。
タイトルやってみたかっただけ。あと他人の話題にかこつけて自分の好きなものの話がしたいだけ。
あとトラバ、演劇関係が自意識過剰? 新感線が30年前? バーカ! 一生そこで半可知識でしたり顔しながらネチネチやってろ!
さて、劇団☆新感線のことを初めて聞いた人が「2.5次元みたいなことですか?」というのは、当たらずとも遠からずではないかなと思う。
というか2.5次元舞台の多くは新感線の影響下にあるのではないか(数が多すぎるのですべてを把握してはいないが)。
あと、新感線は2.5ブームが来るはるか前に犬夜叉を舞台化していたりするし、距離としてはそこそこ近いと思う。
共通点としては、宮村氏の言う通り、漫画やアニメの世界観を舞台の上でやろうとしてること。
これは話の筋立てや演出もそうだが、往年の漫画の熱気みたいなものを再現する美学みたいなものが共通していると思う。
新感線の舞台は往々にしてかなり過剰にSEを使うのだが、漫画の描き文字の再現と思うと納得がいく。
漫画やアニメの世界観、いいところ、を舞台でやろうとしていることは共通しているが、
舞台のために漫画の良いところを抽出して作り上げるのではやはり出来上がるものが違う。
あとはまあ2.5次元は企画ありきで役者を集める形式が多いのに対し、
劇団☆新感線は「所属劇団員」がいる。ほとんどの主役級は客演の有名役者がやるが、脇を固める劇団員の安心感というのはある。
大きく分けて以下の3つ。
いのうえひでのり演出で上演される時代物。戦国時代モチーフや神話モチーフが多い。
ストーリーは人間の業的なものを中心に据えたものが多く、人がバンバン死にがち。
「髑髏城の七人」、「アテルイ」、「阿修羅城の瞳」、「蛮幽鬼」、「蒼の乱」、「偽義経冥界歌」など。
「Rシリーズ」が正式名称っぽい、ロックミュージカル色の強いもの。
ストーリー内容は割と多岐にわたる。
「五右衛門ロック」シリーズ、「SIROH」、「メタルマクベス」、「Vamp Bamboo Burn」など。
パロディネタが多い。3系統の中では劇団員の占める割合が多い(他シリーズは客演が多い)。
「轟天」シリーズ、「花の紅天狗」、「レッツゴー!忍法帖」、「月影花之丞大逆転」など。
ただどれもギャグシーンは多いし、歌の多い「いのうえ歌舞伎」もあるし時代物の「音もの」「ネタもの」もある。
演劇は高いだとか都市部でなければ見れないだとかと当たり前のように言う人もトラバに散見されるが、
劇団☆新感線に関して言えばゲキ×シネという全国映画館での上映を2004年から続けている。
実際の舞台の撮影ではあるが、何台も仕掛けたカメラによるカット割りがされており映画として見やすくなっている。
(知ってて当然という話ではないが、彼らの不断の努力を、「演劇」全般へのルサンチマン発露のために勝手に無に帰すのはあまりに勝手だなと思う)
なお、今は動画配信でかなり安価で観られるので下記に一部紹介しておく。
戦国時代の終わりかけ、死んだはずの信長の異名「第六天魔王」を名乗る男が現れたことによるあれこれ。
人情噺もつらい過去も凄惨な戦いも少年漫画的な展開もしょうもね~ギャグも、全部乗っけ盛りの濃厚さ。
脚本は座付き作家の中島かずきで、「グレンラガン」「キルラキル」「プロメア」なんかの脚本の人と思えばなんとなく近い。
1990年の初演以来7年ごとに再演し、役者や演出を大きく変えている。
初期は主人公の「捨之介」と悪役の「天魔王」の一人二役の演じ分けがみどころだったが、2011年の上演版以降はその二人を別人が演じることも増えた。
その代わり、「無界屋蘭兵衛」というキャラクターの注目度が高まっていて、
そのきっかけを作ったのはおそらく11年に蘭兵衛を演じた早乙女太一のあまりにも華麗な剣捌きだと思う。
配信で観れるのは2011年「ワカドクロ」と17~18年に連続上演した「花」「鳥」「風」「月」「極」。
個人的に好きなのは「鳥」で、森山未來と早乙女太一の身体能力オバケ二人による殺陣は鬼気迫るものがあるが、全体の流れから言うとキワモノなので2本目にお勧め。
いのうえ歌舞伎。「モンテ・クリスト伯」を翻案し、架空のアジア風世界を舞台にした復讐譚。
上川隆也演じる主人公が自分を落とし入れ親友を殺した相手に復讐する話で、ずっと怒りに目を見開いており怖い。
堺雅人は「ニコニコ顔の最強の暗殺者」という完全に漫画のキャラ立てなのだが、息をつかせぬストーリーの展開によりいつの間にか受け入れてしまう。
このころの中島かずきはこういうどうしようもない人の業により悲劇が加速するような話をやたらめったら書いているのだが、
その、己の業によりずたぼろになっていく人の描き方に容赦がない。
個人的に新感線にはまるきっかけとなった作品なので思い入れが深い。
あと、この作品により稲森いずみが大好きになった。舞台初出演とのことで慣れてはいなかったのだろうがあの細い体で舞台を圧する瞬間に目を奪われた。
音モノ。「五右衛門ロック」「薔薇とサムライ~五右衛門ロックⅡ」「ZIPANG PUNK~五右衛門ロックⅢ」の三部作。
古田新太演じる石川五右衛門が、どっかの島の危機を救ったり、スペインぽい国の危機を救ったり、帰ってきて宝探しをしたりする。
いのうえ歌舞伎的な陰惨さはある程度影を潜めているが、話は冷静に考えると割とヘビー。
ただ、どんなに悲惨な展開で善玉がひどい目に遭って悪者が高笑いしていても、最後に五右衛門かっこよく登場して何もかも解決するので最後はスカっとして終る。
「新感線の看板役者・古田新太」というイメージの具現化みたいな作品だと思っている。決して二枚目ではなく飄々としていて最後に決める。
『1%の富裕層ではなく、「99%の私たち」のために、性差別・人種主義・環境破壊のない社会を。いまや世界中に拡がる女性たちの運動とも共鳴しながら、研究の第一線でも活躍するジェンダー学者たちが、性の抑圧をもたらす現代資本主義の終焉を呼びかける。分断を正確に認識することで、私たちはまだ連帯できる。
「99%のためのフェミニズムは反資本主義をうたう不断のフェミニズムである――平等を勝ち取らないかぎり同等では満足せず、公正を勝ち取らないかぎり空虚な法的権利には満足せず、個人の自由がすべての人々の自由と共にあることが確証されないかぎり、私たちは決して既存の民主主義には満足しない」(本文より)。』
ほしいなら買えばいい。
俺様も昔、安い電動ベッドとモニターアーム組み合わせて寝ながらPCやっていたし。
ただ、長年の酷使がたたってか、ベッドのリクライニングアームが折れてしまって、買い換える金がもったいないし、引っ越しのときに手間だから布団派になってしまったけど。
電動ベッドのリクライニングは、便利だけど、良い位置を見つけたら変更するのが面倒くさくて、そのままの傾斜で使うことになっていたし、
それは、布団であっても下に詰め物して傾斜を作ることができるから、ぐーたらに必須ではないと思う。
エモく言うなら、電動リクライニングベッドはぐーたらにとって、ベターであってマストではない。
今は、使わなくなった古い布団を使って、布団の傾斜を作っているけど、いらないダンボールとか使っても傾斜は作れると思う。
他にも、寝ながらジュース飲みたいと、バイク乗りや自転車乗りが使う長いチューブ買ってきたり、といろいろな試行錯誤があったな。
池江さんがオリンピック代表に内定してとのことで、おめでとうございます。
大病を患い、一年以上、競技を離れながら、強う意思と不断の努力によって競技に復帰するだけでなく日本にトップに返り咲くなど、多くの人に勇気と感動を与えてくれました。
と、テンプレートの祝辞を述べた後に本音を書きたいのだけど、僕は池江さんを応援できない。池江さんを応援できる人は、池江さんに自分自身を投影している人だけだと思う。
僕は冴えない社畜なので、オリンピック代表になれなかった候補者に自分自身を投影する。
池江さんに負けた選手は何も悪いことをしていない。オリンピック代表候補になれる人は、池江さんと同じくらい努力をしているはずだ。
彼女が病気と戦っている間もオリンピック出場を目指して、素人には想像もできないような辛い練習をしてきたのだと思う。
それが、一年間ブランクのある選手に抜かれてしまった。練習量だけいけば池江さんよりも圧倒的に多いのに。練習効率だって、科学的な練習が広まり、コーチや協会で共有されている現在、それほど違いはないと思う。むしろ「池江さんがいないから出場できた」などの下らない後ろ指を指されないために今まで以上に努力をしてきたのだろう。それなのに負けた。「努力する天才」には勝てなかった。負けた理由は「天賦の才」の違いだ。
オリンピックを開催に関する議論の中で無観客でやった方がよいとう議論がある。
この論陣を張る人は「選手はオリンピックに出るために数年間頑張っており、オリンピックに出て、メダルの色でその後の人生が変わるため」と主張する。
オリンピックが金メダルを目指して頑張っている人のためのものであるというのであれば、池江さんに負けた選手はここで既に人生が暗転してしまった(3年後のパリオリンピックを目指すという選択肢もあるが、年齢的に今年が最後の人もいただろう)
負けた選手は、何か悪いことをした訳ではない。同時代に「天才」がいた。
池江さんのオリンピック出場からわかることは「努力する天才」には勝てないということ。
努力すれば報われるとか努力すれば夢が叶う。とかは周りに「努力する天才」がいれば実態を伴わない空虚な言葉に早変わりする。
オリンピックが開催されるかどうかわからないが、開催されるなら池江さんには頑張ってほしい。池江さんが頑張ることで同じ病気の人で苦しんでいる人に頑張ろうと思う気力と勇気を与えることができるから。これは池江さんにしかできない。
以上のお話によって、郷田三郎と、明智小五郎との交渉、又は三郎の犯罪嗜好癖などについて、読者に呑み込んで頂いた上、さて、本題に戻って、東栄館という新築の下宿屋で、郷田三郎がどんな楽しみを発見したかという点に、お話を進めることに致しましょう。
三郎が東栄館の建築が出来上るのを待ち兼ねて、いの一番にそこへ引移ったのは、彼が明智と交際を結んだ時分から、一年以上もたっていました。随したがってあの「犯罪」の真似事にも、もう一向興味がなくなり、といって、外ほかにそれに代る様な事柄もなく、彼は毎日毎日の退屈な長々しい時間を、過し兼ねていました。東栄館に移った当座は、それでも、新しい友達が出来たりして、いくらか気がまぎれていましたけれど、人間というものは何と退屈極きわまる生物なのでしょう。どこへ行って見ても、同じ様な思想を同じ様な表情で、同じ様な言葉で、繰り返し繰り返し、発表し合っているに過ぎないのです。折角せっかく下宿屋を替えて、新しい人達に接して見ても、一週間たつかたたない内に、彼は又しても底知れぬ倦怠けんたいの中に沈み込んで了うのでした。
そうして、東栄館に移って十日ばかりたったある日のことです。退屈の余り、彼はふと妙な事を考えつきました。
彼の部屋には、――それは二階にあったのですが――安っぽい床とこの間まの傍に、一間の押入がついていて、その内部は、鴨居かもいと敷居との丁度中程に、押入れ一杯の巌丈がんじょうな棚があって、上下二段に分れているのです。彼はその下段の方に数個の行李こうりを納め、上段には蒲団をのせることにしていましたが、一々そこから蒲団を取出して、部屋の真中へ敷く代りに、始終棚の上に寝台ベッドの様に蒲団を重ねて置いて、眠くなったらそこへ上って寝ることにしたらどうだろう。彼はそんなことを考えたのです。これが今迄いままでの下宿屋であったら、仮令たとえ押入れの中に同じような棚があっても、壁がひどく汚れていたり、天井に蜘蛛くもの巣が張っていたりして、一寸その中へ寝る気にはならなかったのでしょうが、ここの押入れは、新築早々のことですから、非常に綺麗きれいで、天井も真白なれば、黄色く塗った滑かな壁にも、しみ一つ出来てはいませんし、そして全体の感じが、棚の作り方にもよるのでしょうが、何となく船の中の寝台に似ていて、妙に、一度そこへ寝て見たい様な誘惑を感じさえするのです。
そこで、彼は早速さっそくその晩から押入れの中へ寝ることを始めました。この下宿は、部屋毎に内部から戸締りの出来る様になっていて、女中などが無断で這入はいって来る様なこともなく、彼は安心してこの奇行を続けることが出来るのでした。さてそこへ寝て見ますと、予期以上に感じがいいのです。四枚の蒲団を積み重ね、その上にフワリと寝転んで、目の上二尺ばかりの所に迫っている天井を眺める心持は、一寸異様な味あじわいのあるものです。襖ふすまをピッシャリ締め切って、その隙間から洩れて来る糸の様な電気の光を見ていますと、何だかこう自分が探偵小説の中の人物にでもなった様な気がして、愉快ですし、又それを細目に開けて、そこから、自分自身の部屋を、泥棒が他人の部屋をでも覗く様な気持で、色々の激情的な場面を想像しながら、眺めるのも、興味がありました。時によると、彼は昼間から押入に這入り込んで、一間と三尺の長方形の箱の様な中で、大好物の煙草をプカリプカリとふかしながら、取りとめもない妄想に耽ることもありました。そんな時には、締切った襖の隙間から、押入れの中で火事でも始ったのではないかと思われる程、夥しい白煙が洩れているのでした。
ところが、この奇行を二三日続ける間に、彼は又しても、妙なことに気がついたのです。飽きっぽい彼は、三日目あたりになると、もう押入れの寝台ベッドには興味がなくなって、所在なさに、そこの壁や、寝ながら手の届く天井板に、落書きなどしていましたが、ふと気がつくと、丁度頭の上の一枚の天井板が、釘を打ち忘れたのか、なんだかフカフカと動く様なのです。どうしたのだろうと思って、手で突っぱって持上げて見ますと、なんなく上の方へ外はずれることは外れるのですが、妙なことには、その手を離すと、釘づけにした箇所は一つもないのに、まるでバネ仕掛けの様に、元々通りになって了います。どうやら、何者かが上から圧おさえつけている様な手ごたえなのです。
はてな、ひょっとしたら、丁度この天井板の上に、何か生物が、例えば大きな青大将あおだいしょうか何かがいるのではあるまいかと、三郎は俄にわかに気味が悪くなって来ましたが、そのまま逃げ出すのも残念なものですから、なおも手で押し試みて見ますと、ズッシリと、重い手ごたえを感じるばかりでなく、天井板を動かす度に、その上で何だかゴロゴロと鈍い音がするではありませんか。愈々いよいよ変です。そこで彼は思切って、力まかせにその天井板をはね除のけて見ますと、すると、その途端、ガラガラという音がして、上から何かが落ちて来ました。彼は咄嗟とっさの場合ハッと片傍かたわきへ飛びのいたからよかったものの、若もしそうでなかったら、その物体に打たれて大怪我おおけがをしている所でした。
「ナアンダ、つまらない」
ところが、その落ちて来た品物を見ますと、何か変ったものでもあればよいがと、少からず期待していた彼は、余りのことに呆あきれて了いました。それは、漬物石つけものいしを小さくした様な、ただの石塊いしころに過ぎないのでした。よく考えて見れば、別に不思議でも何でもありません。電燈工夫が天井裏へもぐる通路にと、天井板を一枚丈け態わざと外して、そこから鼠ねずみなどが押入れに這入はいらぬ様に石塊で重しがしてあったのです。
それは如何いかにも飛んだ喜劇でした。でも、その喜劇が機縁となって、郷田三郎は、あるすばらしい楽みを発見することになったのです。
彼は暫しばらくの間、自分の頭の上に開いている、洞穴ほらあなの入口とでも云った感じのする、その天井の穴を眺めていましたが、ふと、持前もちまえの好奇心から、一体天井裏というものはどんな風になっているのだろうと、恐る恐る、その穴に首を入れて、四方あたりを見廻しました。それは丁度朝の事で、屋根の上にはもう陽が照りつけていると見え、方々の隙間から沢山の細い光線が、まるで大小無数の探照燈を照してでもいる様に、屋根裏の空洞へさし込んでいて、そこは存外明るいのです。
先まず目につくのは、縦に、長々と横よこたえられた、太い、曲りくねった、大蛇の様な棟木むなぎです。明るいといっても屋根裏のことで、そう遠くまでは見通しが利かないのと、それに、細長い下宿屋の建物ですから、実際長い棟木でもあったのですが、それが向うの方は霞んで見える程、遠く遠く連つらなっている様に思われます。そして、その棟木と直角に、これは大蛇の肋骨あばらに当る沢山の梁はりが両側へ、屋根の傾斜に沿ってニョキニョキと突き出ています。それ丈けでも随分雄大な景色ですが、その上、天井を支える為に、梁から無数の細い棒が下っていて、それが、まるで鐘乳洞しょうにゅうどうの内部を見る様な感じを起させます。
「これは素敵だ」
一応屋根裏を見廻してから、三郎は思わずそう呟つぶやくのでした。病的な彼は、世間普通の興味にはひきつけられないで、常人には下らなく見える様な、こうした事物に、却かえって、云い知れぬ魅力を覚えるのです。
その日から、彼の「屋根裏の散歩」が始まりました。夜となく昼となく、暇さえあれば、彼は泥坊猫の様に跫音あしおとを盗んで、棟木や梁の上を伝い歩くのです。幸さいわいなことには、建てたばかりの家ですから、屋根裏につき物の蜘蛛の巣もなければ、煤すすや埃ほこりもまだ少しも溜っていず、鼠の汚したあとさえありません。それ故ゆえ着物や手足の汚くなる心配はないのです。彼はシャツ一枚になって、思うがままに屋根裏を跳梁ちょうりょうしました。時候も丁度春のことで、屋根裏だからといって、さして暑くも寒くもないのです。
三
東栄館の建物は、下宿屋などにはよくある、中央まんなかに庭を囲んで、そのまわりに、桝型ますがたに、部屋が並んでいる様な作り方でしたから、随って屋根裏も、ずっとその形に続いていて、行止ゆきどまりというものがありません。彼の部屋の天井裏から出発して、グルッと一廻りしますと、又元の彼の部屋の上まで帰って来る様になっています。
下の部屋部屋には、さも厳重に壁で仕切りが出来ていて、その出入口には締りをする為の金具まで取りつけているのに、一度天井裏に上って見ますと、これは又何という開放的な有様でしょう。誰の部屋の上を歩き廻ろうと、自由自在なのです。若し、その気があれば、三郎の部屋のと同じ様な、石塊の重しのしてある箇所が所々にあるのですから、そこから他人の部屋へ忍込んで、窃盗を働くことも出来ます。廊下を通って、それをするのは、今も云う様に、桝型の建物の各方面に人目があるばかりでなく、いつ何時なんどき他の止宿人ししゅくにんや女中などが通り合わさないとも限りませんから、非常に危険ですけれど、天井裏の通路からでは、絶対にその危険がありません。
それから又、ここでは、他人の秘密を隙見することも、勝手次第なのです。新築と云っても、下宿屋の安普請やすぶしんのことですから、天井には到る所に隙間があります。――部屋の中にいては気が附きませんけれど、暗い屋根裏から見ますと、その隙間が意外に大きいのに一驚いっきょうを喫きっします――稀には、節穴さえもあるのです。
この、屋根裏という屈指の舞台を発見しますと、郷田三郎の頭には、いつのまにか忘れて了っていた、あの犯罪嗜好癖が又ムラムラと湧き上って来るのでした。この舞台でならば、あの当時試みたそれよりも、もっともっと刺戟の強い、「犯罪の真似事」が出来るに相違ない。そう思うと、彼はもう嬉しくて耐たまらないのです。どうしてまあ、こんな手近な所に、こんな面白い興味があるのを、今日まで気附かないでいたのでしょう。魔物の様に暗闇の世界を歩き廻って、二十人に近い東栄館の二階中の止宿人の秘密を、次から次へと隙見して行く、そのこと丈けでも、三郎はもう十分愉快なのです。そして、久方振りで、生き甲斐を感じさえするのです。
彼は又、この「屋根裏の散歩」を、いやが上にも興深くするために、先ず、身支度からして、さも本物の犯罪人らしく装うことを忘れませんでした。ピッタリ身についた、濃い茶色の毛織のシャツ、同じズボン下――なろうことなら、昔活動写真で見た、女賊プロテアの様に、真黒なシャツを着たかったのですけれど、生憎あいにくそんなものは持合せていないので、まあ我慢することにして――足袋たびを穿はき、手袋をはめ――天井裏は、皆荒削あらけずりの木材ばかりで、指紋の残る心配などは殆どないのですが――そして手にはピストルが……欲しくても、それもないので、懐中電燈を持つことにしました。
夜更けなど、昼とは違って、洩れて来る光線の量が極く僅かなので、一寸先も見分けられぬ闇の中を、少しも物音を立てない様に注意しながら、その姿で、ソロリソロリと、棟木の上を伝っていますと、何かこう、自分が蛇にでもなって、太い木の幹を這い廻っている様な気持がして、我ながら妙に凄くなって来ます。でも、その凄さが、何の因果か、彼にはゾクゾクする程嬉しいのです。
こうして、数日、彼は有頂天になって、「屋根裏の散歩」を続けました。その間には、予期にたがわず、色々と彼を喜ばせる様な出来事があって、それを記しるす丈けでも、十分一篇の小説が出来上る程ですが、この物語の本題には直接関係のない事柄ですから、残念ながら、端折はしょって、ごく簡単に二三の例をお話するに止とどめましょう。
天井からの隙見というものが、どれ程異様な興味のあるものだかは、実際やって見た人でなければ、恐らく想像も出来ますまい。仮令、その下に別段事件が起っていなくても、誰も見ているものがないと信じて、その本性をさらけ出した人間というものを観察すること丈けで、十分面白いのです。よく注意して見ますと、ある人々は、その側に他人のいるときと、ひとりきりの時とでは、立居ふるまいは勿論もちろん、その顔の相好そうごうまでが、まるで変るものだということを発見して、彼は少なからず驚きました。それに、平常ふだん、横から同じ水平線で見るのと違って、真上から見下すのですから、この、目の角度の相違によって、あたり前の座敷が、随分異様な景色に感じられます。人間は頭のてっぺんや両肩が、本箱、机、箪笥たんす、火鉢などは、その上方の面丈けが、主として目に映ります。そして、壁というものは、殆ど見えないで、その代りに、凡ての品物のバックには、畳が一杯に拡っているのです。
何事がなくても、こうした興味がある上に、そこには、往々おうおうにして、滑稽こっけいな、悲惨な、或は物凄い光景が、展開されています。平常過激な反資本主義の議論を吐いている会社員が、誰も見ていない所では、貰もらったばかりの昇給の辞令を、折鞄おりかばんから出したり、しまったり、幾度も幾度も、飽かず打眺うちながめて喜んでいる光景、ゾロリとしたお召めしの着物を不断着ふだんぎにして、果敢はかない豪奢振ごうしゃぶりを示している、ある相場師が、いざ床とこにつく時には、その、昼間はさも無雑作むぞうさに着こなしていた着物を、女の様に、丁寧に畳んで、床の下へ敷くばかりか、しみでもついたのと見えて、それを丹念に口で嘗なめて――お召などの小さな汚れは、口で嘗めとるのが一番いいのだといいます――一種のクリーニングをやっている光景、何々大学の野球の選手だというニキビ面の青年が、運動家にも似合わない臆病さを以て、女中への附文つけぶみを、食べて了った夕飯のお膳の上へ、のせて見たり、思い返して、引込めて見たり、又のせて見たり、モジモジと同じことを繰返している光景、中には、大胆にも、淫売婦(?)を引入れて、茲ここに書くことを憚はばかる様な、すさまじい狂態を演じている光景さえも、誰憚らず、見たい丈け見ることが出来るのです。
三郎は又、止宿人と止宿人との、感情の葛藤かっとうを研究することに、興味を持ちました。同じ人間が、相手によって、様々に態度を換えて行く有様、今の先まで、笑顔で話し合っていた相手を、隣の部屋へ来ては、まるで不倶戴天ふぐたいてんの仇あだででもある様に罵ののしっている者もあれば、蝙蝠こうもりの様に、どちらへ行っても、都合のいいお座なりを云って、蔭でペロリと舌を出している者もあります。そして、それが女の止宿人――東栄館の二階には一人の女画学生がいたのです――になると一層興味があります。「恋の三角関係」どころではありません。五角六角と、複雑した関係が、手に取る様に見えるばかりか、競争者達の誰れも知らない、本人の真意が、局外者の「屋根裏の散歩者」に丈け、ハッキリと分るではありませんか。お伽噺とぎばなしに隠かくれ蓑みのというものがありますが、天井裏の三郎は、云わばその隠れ蓑を着ているも同然なのです。
若しその上、他人の部屋の天井板をはがして、そこへ忍び込み、色々ないたずらをやることが出来たら、一層面白かったでしょうが、三郎には、その勇気がありませんでした。そこには、三間に一箇所位の割合で、三郎の部屋のと同様に、石塊いしころで重しをした抜け道があるのですから、忍び込むのは造作もありませんけれど、いつ部屋の主が帰って来るか知れませんし、そうでなくとも、窓は皆、透明なガラス障子しょうじになっていますから、外から見つけられる危険もあり、それに、天井板をめくって押入れの中へ下り、襖をあけて部屋に這入り、又押入れの棚へよじ上って、元の屋根裏へ帰る、その間には、どうかして物音を立てないとは限りません。それを廊下や隣室から気附かれたら、もうおしまいなのです。
さて、ある夜更けのことでした。三郎は、一巡ひとまわり「散歩」を済ませて、自分の部屋へ帰る為に、梁から梁を伝っていましたが、彼の部屋とは、庭を隔てて、丁度向い側になっている棟の、一方の隅の天井に、ふと、これまで気のつかなかった、幽かすかな隙間を発見しました。径二寸ばかりの雲形をして、糸よりも細い光線が洩れているのです。なんだろうと思って、彼はソッと懐中電燈を点ともして、検しらべて見ますと、それは可也かなり大きな木の節で、半分以上まわりの板から離れているのですが、あとの半分で、やっとつながり、危く節穴になるのを免れたものでした。一寸爪の先でこじさえすれば、何なく離れて了い相なのです。そこで、三郎は外ほかの隙間から下を見て、部屋の主が已すでに寝ていることを確めた上、音のしない様に注意しながら、長い間かかって、とうとうそれをはがして了いました。都合のいいことには、はがした後の節穴が、杯さかずき形に下側が狭くなっていますので、その木の節を元々通りつめてさえ置けば、下へ落ちる様なことはなく、そこにこんな大きな覗き穴があるのを、誰にも気附かれずに済むのです。
これはうまい工合ぐあいだと思いながら、その節穴から下を覗いて見ますと、外の隙間の様に、縦には長くても、幅はせいぜい一分ぶ内外の不自由なのと違って、下側の狭い方でも直径一寸以上はあるのですから、部屋の全景が、楽々と見渡せます。そこで三郎は思わず道草を食って、その部屋を眺めたことですが、それは偶然にも、東栄館の止宿人の内で、三郎の一番虫の好かぬ、遠藤えんどうという歯科医学校卒業生で、目下はどっかの歯医者の助手を勤めている男の部屋でした。その遠藤が、いやにのっぺりした虫唾むしずの走る様な顔を、一層のっぺりさせて、すぐ目の下に寝ているのでした。馬鹿に几帳面きちょうめんな男と見えて、部屋の中は、他のどの止宿人のそれにもまして、キチンと整頓せいとんしています。机の上の文房具の位置、本箱の中の書物の並べ方、蒲団の敷き方、枕許まくらもとに置き並べた、舶来物でもあるのか、見なれぬ形の目醒めざまし時計、漆器しっきの巻煙草まきたばこ入れ、色硝子いろがらすの灰皿、何いずれを見ても、それらの品物の主人公が、世にも綺麗きれい好きな、重箱の隅を楊子ようじでほじくる様な神経家であることを証拠立てています。又遠藤自身の寝姿も、実に行儀がいいのです。ただ、それらの光景にそぐわぬのは、彼が大きな口を開あいて、雷の様に鼾いびきをかいていることでした。
三郎は、何か汚いものでも見る様に、眉をしかめて、遠藤の寝顔を眺めました。彼の顔は、綺麗といえば綺麗です。成程彼自身で吹聴ふいちょうする通り、女などには好かれる顔かも知れません。併し、何という間延びな、長々とした顔の造作でしょう。濃い頭髪、顔全体が長い割には、変に狭い富士額ふじびたい、短い眉、細い目、始終笑っている様な目尻の皺しわ、長い鼻、そして異様に大ぶりな口。三郎はこの口がどうにも気に入らないのでした。鼻の下の所から段を為なして、上顎うわあごと下顎とが、オンモリと前方へせり出し、その部分一杯に、青白い顔と妙な対照を示して、大きな紫色の唇が開いています。そして、肥厚性鼻炎ひこうせいびえんででもあるのか、始終鼻を詰つまらせ、その大きな口をポカンと開けて呼吸をしているのです。寝ていて、鼾をかくのも、やっぱり鼻の病気のせいなのでしょう。
三郎は、いつでもこの遠藤の顔を見さえすれば、何だかこう背中がムズムズして来て、彼ののっぺりした頬っぺたを、いきなり殴なぐりつけてやり度たい様な気持になるのでした。
四
そうして、遠藤の寝顔を見ている内に、三郎はふと妙なことを考えました。それは、その節穴から唾つばをはけば、丁度遠藤の大きく開いた口の中へ、うまく這入りはしないかということでした。なぜなら、彼の口は、まるで誂あつらえでもした様に、節穴の真下の所にあったからです。三郎は物好きにも、股引ももひきの下に穿いていた、猿股さるまたの紐を抜出して、それを節穴の上に垂直に垂らし、片目を紐にくっつけて、丁度銃の照準でも定める様に、試して見ますと、不思議な偶然です。紐と節穴と、遠藤の口とが、全く一点に見えるのです。つまり節穴から唾を吐けば、必ず彼の口へ落ちるに相違ないことが分ったのです。
併し、まさかほんとうに唾を吐きかける訳にも行きませんので、三郎は、節穴を元の通りに埋うずめて置いて、立去ろうとしましたが、其時そのとき、不意に、チラリとある恐しい考えが、彼の頭に閃きました。彼は思わず、屋根裏の暗闇の中で、真青になって、ブルブルと震えました。それは実に、何の恨うらみもない遠藤を殺害するという考えだったのです。
彼は遠藤に対して何の恨みもないばかりか、まだ知り合いになってから、半月もたってはいないのでした。それも、偶然二人の引越しが同じ日だったものですから、それを縁に、二三度部屋を訪ね合ったばかりで別に深い交渉がある訳ではないのです。では、何故なにゆえその遠藤を、殺そうなどと考えたかといいますと、今も云う様に、彼の容貌や言動が、殴りつけたい程虫が好かぬということも、多少は手伝っていましたけれど、三郎のこの考かんがえの主たる動機は、相手の人物にあるのではなくて、ただ殺人行為そのものの興味にあったのです。先からお話して来た通り、三郎の精神状態は非常に変態的で、犯罪嗜好癖ともいうべき病気を持ってい、その犯罪の中でも彼が最も魅力を感じたのは殺人罪なのですから、こうした考えの起るのも決して偶然ではないのです。ただ今までは、仮令屡々しばしば殺意を生ずることがあっても、罪の発覚を恐れて、一度も実行しようなどと思ったことがないばかりなのです。
ところが、今遠藤の場合は、全然疑うたがいを受けないで、発覚の憂うれいなしに、殺人が行われ相そうに思われます。我身に危険さえなければ、仮令相手が見ず知らずの人間であろうと、三郎はそんなことを顧慮こりょするのではありません。寧むしろ、その殺人行為が、残虐であればある程、彼の異常な慾望は、一層満足させられるのでした。それでは、何故遠藤に限って、殺人罪が発覚しない――少くとも三郎がそう信じていたか――といいますと、それには、次の様な事情があったのです。
東栄館へ引越して四五日たった時分でした。三郎は懇意こんいになったばかりの、ある同宿者と、近所のカフェへ出掛けたことがあります。その時同じカフェに遠藤も来ていて、三人が一つテーブルへ寄って酒を――尤もっとも酒の嫌いな三郎はコーヒーでしたけれど――飲んだりして、三人とも大分いい心持になって、連立つれだって下宿へ帰ったのですが、少しの酒に酔っぱらった遠藤は、「まあ僕の部屋へ来て下さい」と無理に二人を、彼の部屋へ引ぱり込みました。遠藤は独ひとりではしゃいで、夜が更けているのも構わず、女中を呼んでお茶を入れさせたりして、カフェから持越しの惚気話のろけばなしを繰返すのでした。――三郎が彼を嫌い出したのは、その晩からです――その時、遠藤は、真赤に充血した脣くちびるをペロペロと嘗め廻しながら
やしおさんの言いたいことが全く読めていないブコメが多くついていて、やしおさんも大変そうだな、とは思う。
https://yashio.hatenablog.com/entry/20210220/1613748333
これはきっと誰かが不愉快になるだろうから、増田のお作法とはちょっと離れて、IDも書き込むので良しなにしてほしい。
(IDが入ってるとどうできるかは詳しい人ならわかるだろう)
oktnzm 無理筋では?自分が経営者だったら、当該店舗がわかればそこを休業させるし、特定できなかったら全店休業せざるを得ないわ。これを実害でなくてなんと言うの?
dobonkai 3月の時点で既に世の中では「俺コロナ」で実害なんてなくても次々逮捕されてたのにその中でやったわけでしょ?要はそれらを真似た愉快犯じゃん。結局店も被害届を取り下げてないんだから当然こういう結果になるわな
実害が発生し得る状態が作られて、現にまだ実害が発生していないのなら、「風や地震で落ちて人に当たったら危ないからやめるべきだ」と忠告してやめさせて「今後は注意します」で終わるくらいが妥当なのではないか。
ここでのポイントは「実害の発生」が、ブコメとやしおとでズレている点だ。
店側が「俺コロナな人が店舗に来た」と知ったことが実害にあたるという点で両者にズレはない。
面白くないから有罪みたいなのはブラックジョークとして読み飛ばせるとしても、匿名の通報がなければこうはならなかった、というのは事実としてあるだろう。
(「店側が普通にエゴサしてたら気が付いてたんじゃね」という反論には、相当期間たってから警察の捜査が開始されてる、という反論を考えてあるかもしれない)
露出狂にも色々いる。
直接的に実害を発生させる露出狂は目立つ。逮捕されるのはコートから直接裸を見せつける露出狂だろう。
わかりやすいところで言えば、自宅のカーテンを開け放って性交に耽るという快感の得かた、と言えば良いだろうか。
俺は公園で一人静かに裸になっていただけで、確かにそれを目撃されれば実害は発生しただろう。
しかし、通報さえされなければ、俺はただ一人静かに裸になれていただけだったのだ。
それに対して「それは家でおやんなさい、もしくはもっと山奥でおやんなさい」と優しく注意すべきだろうか。
外で脱ぐな、という話である。逮捕起訴に伴う社会生活の破壊というスリルを伴う快感なのである。
30万円の罰金の求刑というのは、反省してもらうにはちょっと痛いくらいのお金を出さないとね、という額である。
ハッキリ言えば、社会システム的に30万円という金額は、赤字だ。
トントンになるくらいに調整しないとバカバカしいではなく、ちゃんと反省して二度とやるなよ、という金額設定だ。
個人的な感想で言えば、妥当だと思う。(店からしたらちゃんと実害分ぐらいは民事で取り返したいと、気持ちの上では思っているだろう)
ブコメは脊髄反射で書き込むもんだからまあ良いとして、せっかく露出狂の話題になったから、やしおさんには是非考えていただきたい。
(1)実害を受けた人 間違いなく被害者
(2)実害が起こり得る状態を作った人 「3ヶ月後に事情を聞かれて対応していたらその1ヶ月後に逮捕・報道される」
https://yashio.hatenablog.com/entry/20210220/1613748333 から引用者一部修正
(3)の店に知らせた人が「実害を引き起こした」という認識は、果たして正しいのでしょうか?
(2)の実害が起こりえる状況を作った人が居なければ、(3)の人も(1)の人も発生しなかったのは同意してもらえるでしょう。
全く独立に、(2)の実害が起こりえる状況を作った人は、罪を犯しているのです。発見されていないだけで。
(※偽計業務妨害は、危険犯ではなく、侵害犯ではないかとする場合、議論の余地はあるでしょう)
この世は窮屈なのではなく、「それは許されないと当然に知っていながらやる」ことがスリルに繋がるのです。
こう考えてみてください。
ヌーディストの街で、誰にも見られずに公園で裸になることが、露出狂たりえるでしょうか。
「俺コロナで店に来た」と自由にTwitterで呟ける世界で、(2)の実害が起こりえる状況を作った人は、Twitterでわざわざ投稿したでしょうか。
そしてそのスリルに見合うリスクが大きすぎると、やしおさん、あなたがもし自身を振り返って思うならば、あなたも是非公園で裸になる人の自由を叫びましょう。
戦闘性、あるいは戦闘という行動を説明するのは案外難しいのだけれど、簡単に言えば「格付けチェック」だ。他者と自分の「格付け」を再定義する行為のことをここでは戦闘と呼ばせてもらう。そのような戦闘においては、二人以上の人間が実力を競い合い、お互いの「格付け」を行う。勝利した者は、本来そうであると見られていた格付けより上方修正され、また、負けた者は本来の格付けよりも下方修正される。そんな具合に行われる連綿たる「格付けチェック」に男性は巻き込まれている。あるいは自分自身を「格付けチェック」の中に巻き込んでいる。それが、男が「戦闘的」であると言われる所以なのである。
このように書くと、男性が知性において欠陥を抱えた存在であるという印象を抱かせるかもしれないが、そうではない。この男性が巻き込まれ、かつ自身を巻き込んでいる「戦闘性」というものは、人間を問わず生命全般にセットされた、合理的でポジティブな側面を備えたシステムと言っても良い。
例えば、この「格付け」は適材適所の発見のプロセスという一面を持っている。ある分野において能力的に劣ると「格付け」された人はそのレースから外れ、また、別の分野において能力的に優れていると「格付け」された場合はその分野に参入し、実力を振るう。そのような適材適所の発見は「格付け」が行われることによって初めて可能になる。これは明らかに「格付け」の良い点である。このようなプロセスにおいては、上手くいけば実力を発揮できる分野の発見が可能になる。
また、この戦闘性――「格付けチェック」に積極的に自身を巻き込んでいく性質――によって男性はお互いの「実力」に敏感になる。つまり、相手がある分野において自分より優れているか、それとも劣っているか、といった点に敏感になるのであり、これは男性がある種の観察力に優れていることを意味している。これもまた戦闘性のポジティブな一側面と言って良いだろう。本当の意味で相手が実力を持っているのか? 一定の実現力を備えた存在なのか? ある種の判断能力が鋭敏なのか? その判断に従うことは有益なのか? そのような損得を含んだ様々な要素について男性は本能的に、あるいは理性的に推し量ることができる。そして、それはあくまで「格付けチェック」、つまり戦闘性に基づく適材適所や能力の発見といったプロセスにおいて導かれるものなのだ。そのような意味で、やはり、この「格付けチェック」は複数のポジティブな側面を含んでいるだろう。
とは言え、このシステムには良い点ばかりが含まれているわけではなく、男性は弱者を排斥し、その排斥するという行為に基づいて「格付け」を行う場合がある。いわゆるイジメ行為がこれに当たる。そのような意味での実力の誇示や、あるいは弱者の排斥という営みは決して健全な代物ではない。あるいは、「格付けチェック」においては必ずしも実力のある人間がコミュニティの中でイニシアチブを握るということを意味しておらず、メタに「『格付けチェック』において生き残れる能力」というナンセンスな特性を持った人間のみが、権勢を振るうこともある。そういう意味で、この「戦闘性」、あるいは「格付けチェック」は優れた点のみを備えたシステムではないし、決して万能というわけでもない。それも確かなことではある。
とは言え、我々においてこの「格付けチェック」が必要なのは、先に述べたポジティブな側面を鑑みても明らかである。また、そのような「格付けチェック」に比較的傾倒しやすい性質、つまりは「戦闘性」というものも、同様の理由で、この社会からオミットされては不都合なものですらある。
戦闘は殆どの男性において人生の終局近くまで続いていく。その連綿たる流れから逃れることはまずできないし、仮にできたところでその時には「敗残者」のレッテルを男女双方から貼られることになる。だから男は努力するのである。連綿たる格付けチェックの中で、男性は自らの戦闘性を磨き上げ、また、戦闘におけるある種の「持続可能性」を養っていく。すなわち「戦い続けること」、さらには「よりよく戦い続けること」を男は選択するのである。そこに憐れみを覚え、理性の欠如を覚える人も多くいるだろうが、繰り返すようにそこにはポジティブな側面もまた存在している。
戦い続けることは基本的に難しいことである。頑張り過ぎてもいけないし、頑張らなさ過ぎても脱落する。その八方塞がりを打開する為に男性は多かれ少なかれ自己研鑽を行う。力を出しすぎないこと、最小限の力で期待以上の成果を上げること。それを持続的に可能にしていくこと。それらを男性は目指し、自己研鑽を続ける。そのような自己研鑽においては、自己を疲弊させ過ぎないことが目指され、あるいは、逆説的に戦闘の回避が目指される。つまり、男性は優しくなりうるのである。
男性は女性と比べて明らかに戦闘的ではあるものの、それは、自分以外の弱者を尽く打倒し、排斥することを意味しない。そんなことをすれば先に自分が疲れ果ててしまうからである。単純に戦い過ぎれば、人は疲れるからである。だから、時に男は戦闘を回避するという選択肢を取り、より持続的に戦い続け、利益を得るための最適化を不断に行い続ける。そのような営みにおいては、男性は時に自分以外の他者を支援する。時に敵さえも生かし、味方を利するように働きかけもする。全ては持続的に、よりよく戦い続けるためである。
男性は基本的に女性よりも戦闘的である。そこにはネガティブな側面が多く存在するものの、決してそればかりに終始するわけではない。
ご贔屓、いわゆる推しもいる。
私は地方民なので、観劇の際は兵庫県の大劇場か、若しくは東京日比谷の東京宝塚劇場のいずれか、若しくは別箱、と言われる梅田芸術劇場や東京フォーラムといったホールに「遠征」する。遠征、つまり、宿泊を伴う移動だ。いずれにせよ、新幹線や飛行機を使わずに行ける距離に私の現場はない。
2020年、世界を未曾有の脅威が襲い、私は一切の観劇遠征を諦めざるを得なくなった。もちろんそれは私だけではない、遠征民と呼ばれる地方在住のヅカファンの多く(全部とは言わない)がそれを余儀なくされた。(中止となった公演もあり、それについてはチケットを持っていた者全員が涙を飲んだ。もちろん、それは劇団側もそうだろう)
春ごろには、夏くらい、遅くとも秋くらいには落ち着いてくれるかな?と、コロナのせいで中止になった公演が、劇団の不断の努力で次々とリスケされていく中で、この公演には行けるだろうか、この公演には絶対行きたい…などと、頭の中で叶わぬ予定を立てたりしていた。
状況は決して好転してはいなかったが、なんとか、ぎりぎり、行けるか…?という兆しがあった2020年11月末。私は、年内は我慢しよう、ここまで我慢したのだから、とにかく今年は我慢だ、そうすれば、2月くらいなら、状況ももっと落ち着いて、ご贔屓様の舞台も見られるはず!そう考え、チケットと宿、交通機関の手配に勤しんだ。ワクワクしていた。1年半ぶりの観劇遠征だ。1月ならGOTOとやらいう恩恵(結局私は使えなかったが)があるが、そんなもん関係ない、2月の観劇遠征に向けて、心は既に関西へ飛んでいた。
私は、いわゆるエッセンシャルワーカーの一端であるため、長距離の移動を伴う遠征は避けねばならないと自重していた。私が感染するわけにはいかなし、無症状の感染でウイルスを媒介することなど絶対にあってはならない。もしそうなったら、私の職場は完全アウトだ。だから遠征をあきらめ、日々感染のリスクに怯えながらも出来る限りの予防策をこうじて仕事を続けていた。
友人とも会えない、外食もカラオケも映画も行けない(鬼滅のムビチケは公開前から買っていたけどもう使うことはできないまま公開終了しそうだ)、帰省もできない、ただただ職場とアパートを往復し、休みの日もスーパー以外は一歩も外に出ず、タカラヅカスカイステージという有料のタカラヅカ専門チャンネルを同居人に遠慮しながらも視聴し、オンラインで購入したブルーレイが届いて喜んだのもつかの間、同居人に「それ宝塚からの荷物でしょ、消毒して」と言われ自分でも驚くほどの心の痛手を負ったりしながらも、黙って、ただただ我慢の日々を過ごした。
夏、秋、と徐々に再開されてきた公演を、配信で視聴しながら、それを観劇してそのレポを嬉しそうにテンション高くあげているツイッターのタイムラインを妬ましく思いながら眺めつつ、もう少し、もう少し我慢だ、年内我慢すれば、きっと、と唇を噛んで耐えていた。
のに。
なんでこんなことに。
私、ものすごく我慢した。お医者さんも頑張ってる。看護師さんも保健師さんも、ものすごい数の人たちが、疲弊しながら頑張っている。
なのになんで。
なんでこんなことに。
ものすごい数の人たちが頑張って、私も含めてものすごい数の人たちが我慢を続けている。
のに。ねえなんで?
政治がどうの、ウイルスの性質がどうの、わかる。そこから目を逸らすつもりはない。正常性バイアスに陥らないように、注意深く、今も、感染予防に努めながら歯を食いしばり続けているよ、私は。そしてものすごい数の人が。
なのに。
ツイッターのタイムラインを眺めると、今日も楽しそうに観劇のレポツイしている人たちがたくさんいる。あのシーンのここがよかった、とか、ここのダンスが最高だった、とか、私のご贔屓様のことも、きれいだった、かっこよかった、etc…
私と同じ地方民であり感染拡大地域に住んでいるにも関わらず、「悩んだけどもう無理!行く!気をつけるし大丈夫だと思う」と観劇遠征している友人からも、「観るべき!贔屓ちゃん最高だよ、なんで行かないの?私あと二回観るわ」というメッセージが来る。
それが悪いとは思っていない。なぜなら、エンタメの世界は瀕死の状態だからだ。公演中止が続けば、利益が出ずに「劇団」などすぐに潰れる。現に潰れた劇団は既に枚挙にいとまがない。宝塚歌劇は、バックが大企業だからまだ持ちこたえているというだけで、106年の歴史が終了することも、この状況ではもしかしたらあるやも知れない。そうならないためには、劇団が存続し続けるためには、今、観劇してくれる人たちが必要なのだ。今観劇できない私のような者が、いつか観劇できる日まで、劇団を存続させてくれるのは、今観劇しているファンたちなのだ。
それは、そのことは、痛いほどに、分かりすぎるほどに、理解してる。
でも。
それでも、どうしても、思わないではいられない。
こんなに何回も何回も観劇できている人が、現にここに(SNSの中に)存在しているのに、どうして私はただの1回も観劇できないんだろう…、と。
確保した、1年半ぶりの、たった一枚だけのチケットを、手放した。
私は、泣いていいだろうか。
一切の民主的プロセスを経ていない利益団体の代表が政府機関の決定へ多大な影響力を行使しようとするのはどうなのかしら。せめて厚労省が言うならまだしも医師会はちょっと。前科を多めに見るにしても、そもそも民主主義や法の前提がない訳ですし。
これってテクノクラート独裁とかエリート独裁そのものなんだよなぁ。そもそも哲人政治ってプラトン以降延々と再発見され続けるけれど成功した試しがあるのかしら。医師会は哲人ですらないし。いいのかなぁ。歴史的には危ない方向に行きがちなんだけどなぁ。医師会への感情は抜きにしても少なくともこの方向を私は好きになれないかな。
医師会とか研究者とかが不意打ち的に意見を打ち上げていることが多いけれど、その行為自体はやはり常に批判にさらされるべきだと思う。結果が良いから良いんだ、では我々の民主主義は崩壊し続ける。とにかく批判はされ続けなければならないし、批判し続けなければならない。民主主義の大き過ぎるバグそのものなのだから、その行為は決して称賛されてはならないはず。
我々の信じている民主主義とはなんなんだろうと最近。いや民主主義を否定しているのではなくて、むしろ逆なんです。民主主義という前提への信仰は確固たるものなんです。
民主主義の遅さも民主主義の煩雑さもすべてひっくるめて受け入れているし、信仰している。他に良いフェアな方法が思い付かないから尚のこと。
でもアメリカでは選挙そのものへ根拠のない否定が繰り返されたり、日本では利益団体や実務者がマスコミを通じて代議士へ迫ったりしていて、民主主義ってバグだらけだしその手続きを遵守する気のない人がいると機能しないんだなって。
民主主義とは状態ではなく行動なんだなと痛感している。民主主義は決して保証なんてされていない。民主主義とは闘いながら犠牲を払いながら、勝ち得るための不断の行動があってはじめて成立する。むしろその不断の行動の名前こそが民主主義なんだって。
そしてこの国のエリート共は民主主義が大嫌いなことも痛感している。私はなぜかエリートになっちまったので、エリート共がどれだけ市民をバカにしているかは知っています。知っているから医師会や学会とか官僚機構は基本的にあんまり好きではないです。というか割と嫌いです。民主主義的なプロセスで選ばれたわけではないのに、ちょっと青年期までの家庭環境が良かっただけで日本を背負おうとしているところが気持ち悪いです。思い上がってんじゃねえって話です。国家のことは民主的なプロセスを経て選ばれた奴らが決めるんだ。我々は粛々と事実を積み上げるだけのことをすべきなんだ。それで何が起きても仕方ないじゃないか。それが民主主義だ。
https://anond.hatelabo.jp/20201211083327
なんというか、この増田に対しても「差別する自分を自覚しろ」というブコメが星を集めるあたり、まるで連合赤軍の「総括」のようだなと思ってしまった。
差別に関する話は、突き詰めれば確かに諸個人の不断の内省によって超克されるものなのかも知れないが、実際嘆かわしいほどの差別が存在しているのに、むしろそう認識している筈の者ほど、それが現実問題として解決に貢献しそうにない方法を他人に強要しているように見える。
要は、差別を十把一絡げに話してしまえば、それがかえって差別を温存することに貢献する、ということにならないかと思うのである。
反差別批判なるものをする人は、おそらく差別についてひとしきり考えて一つの考察を得たのだろう。しかしその人が語るのは、解決すべき社会問題としての差別ではなく、決してなくならない差別が存在するこの浮世において清く生きるための方法であるように思える。
ちなみに、出羽守と言われるかも知れないが、英語では差別をもっとわかりやすく捉えようとしている。
差別を表すdiscriminationは、行動を伴うもの。prejudice(偏見)は考えや感情、価値判断を伴うもの。stereotypeは単純化された認識である。
例えば「黒人は腕力が強い」というのはstereotype。「黒人は腕力が強いから怖い・嫌い」というのはprejudice。「黒人の隣には座らない」というのはdiscriminationだ。
もちろん人間の認識に基づく話だからどれも混ざり合っているし、理想を言えばstereotypeをなくせたら最高かも知れないが、まあそれは無理な話だ。でも、その理想が追求できないからといって「しょうがないよね」ってのも違くね?という認識がここにはある。つまり、最低限discriminationをなくしましょうねというコンセンサスを得るために言葉を使い分ける。
最近の増田の例で言うと、「公立中学は荒れている」というのはstereotype。「公立中学は荒れているから動物園みたいなひどい場所だ」と思うのはprejudice。「公立中学校は動物園」とブコメするのはヘイトスピーチに当たると考えればdiscriminationになるだろうか。しかしこの差別の具体的な被害者は誰なのか。
どちらかというと、これを批判する者は、他人のprejudiceに足を突っ込んで叩こうとしているように見える。
今回のように見える形でprejudiceを表明するのはよくないが、表明しなければprejudiceもまた思想信条の自由に守られていたりもする。もちろんprejudiceなんて無い方がいい。しかし、クソ味噌一緒に全部差別で全部悪いとすることも、却ってよくないと思う。
まあ別に英語が優れているという話ではないんですが、いずれにせよ、自分が差別について理解を深め太郎になったところで世の中の差別はなくならないわけで、そういうことについてはどう思うんだろうなとか思っちゃうよね。
こういうときに必ず出てくるのが「お前が避ければいいだけ」「ぶつかっているということはお前も避けていない」
というしょうもない混ぜっ返しだ。
「お前が避ければいい」論者は「ぶつかった・ぶつからなかった」という結果論の話にしか興味がないが、まるで幼児である。
人混みを避けて歩くことは「コミュニケーション」の一種である。
人混みは「お互いに」避ける、ぶつからないというコミュニケーションでできている。
自分から避けない奴には理解できないのだろうが、「お互いに避ける」不断の努力なしには平和な人混みは生まれないのだ。
考えればわかることだが、誰も避けなければ皆ぶつかるのだ。
コミュニケーションの反対はコミュニケーションの拒否、つまりは「暴力」なのである。
人混みで「避けない」人間は積極的に「暴力をふるっている」のだ。
世の中には高齢だったり障害だったりベビーカーを押していたりで「避けられない」人はがいる。
それを察してこちらが全面的に「避ける」こともコミュニケーションである。
数々の証言が示すように、「避けない人間」は相手が高齢者だろうが障害者だろうが、構わず避けないのだ。
避けないで、ぶつかるのだ。
「暴力をふるっている」ということの意味を多少なりとも理解していただけただろうか。
暴力に対し反対を表明するなんて、当然すぎる事だろう。
「人混みにおける暴力」なんて、これはもう現代社会人なら反対して当然の低俗な行為である。
それをどうすべきかという話なのだ。
「お前が避ければいいだけ」論が無意味なのはここに理由がある。
俺が反駁したいのは、「民主主義の価値を毀損している人が自民党」っていうお前の能天気な認識だよ、民主党になったらなったでこの潮流は続いていくってこと。
民主主義に意味を持たせる不断の努力っていうのは、自陣営を勝たせるための活動のことじゃない。
マスコミが一方の陣営に協力しないように扇動したりしないことだったり。
選挙民が両陣営の良いところと悪いところを完全に理解していることだったりだよ。
例えばお前は、俺が民主党の良いところのアピールを逃していると思うなら、それを逐一説明しないといけないわけ。
だからあの一党独裁やら軍拡やら人権の抑圧やらマイノリティの弾圧やらはいったいいつ断罪されるの?
じゃあ中国共産党の一党独裁は何ら悪いことしてないってことになりますかねw
民主主義が意味を持つようにするには不断の努力が必要なのは第一次大戦後のドイツを見るまでもなく明らかなこと
民主主義の価値を毀損している人々(日本で言うならば自民党)を放置して「民主主義終わったー覇権主義バンザイー」ってまんまアホの言い草ですわ
トランプですらお題目は「法と秩序」なんだから、憲法や法律で定まったことを否定するなら正しく悪ですよ
そんな邪悪なアホが「良いこと言った」とか言っても何の意味もないんですわ、だって何も理解してないんだもん
大臣の話にしたってそもそも責められるようなことをしなけりゃいい話でしかないので意味のない詭弁だし、大臣は国会に対しては公僕であり部下的な立場にあるとしても、同時に省庁のトップであり全ての責任を負うのは当然の話、さらに内閣総理大臣は大臣全ての任命責任があるのもまた当然の話
そういう責任を負わず末端の役人のせいにして自殺者すら出したってのが自民党政権さんなので
偽証罪という最も国会での答弁と罪が直結した要素をスルーして検察ガーとかどっちがアホなんだか
そんなの嘘ついてますけど責められたくない(責められるのを見たくない)ための詭弁でしかないですね
ワイドショー云々言い出すのもアホの極みだし
正義ショーではなく証言義務が伴って証言拒否や虚偽答弁に対して訴追できるという公正な場が証人喚問であり地方で言えば百条委員会でしょうが
しかもアピールなら支持者でなく与野党関係なく議員自身がいくらでもしていて、国会の録画を公開してるような人はいくらでもいるんですがお前の前にある機械の箱はおもちゃですか?w