はてなキーワード: 部落とは
そりゃ国跨げば振る舞いに違いは出るだろうよ。東京の人と大阪の人は違うし。中国人とか韓国人を差別する人は、共感できないにしても、気持ちの想像はできなくはない。
ただ、部落差別の主張は、同じ小学校に通っていても、道一本またいだだけで、子供の結婚等に大反対するほど性格が変わる、という話だから、ちょっと中国のアナロジーは無理があると思う。純粋に理解ができない。直接会って話して人格を確認しても、部落だから、的な理由で結婚反対される(らしい)んだよ?わからん。
部落がどの地域の事を指しているか分からず、部落と言われる地域を通過してみたことがあったが道行く人に特別な気持ちを持つことが出来なかった。
黒人に関していうと、黒人女性は怖くないよ。体の大きさがそんなに変わらないからね。
ただ、黒人男性は大抵の場合頭一つ大きくて怖い警戒対象である。
アパートの隣の部屋に黒人女性が引っ越してくるのは何ともないけど、その女性が黒人男性をしょっちゅう招き入れていたら怖い。
そしてこの怖い・要警戒という思いが差別だといわれるなら私は残念ながら差別主義者なのだろうし、道行く男性は私より体格腕力に優れているので大抵怖い警戒対象ので、私は男性差別主義者なのだろう。
だが、この怖い・要警戒は「自己・責・任!自己・責・任!レイプされたら自己・責・任!」の世論にあっては仕方がないと思う。
差別意識を世の中のせいにすんな?そうだろうね。でも私の身に何かあったとき、世の中は自己・責・任!と言うだけで慰めも補償もしてくれないのだから仕方がない。
「これは僕がいってるんじゃなくて、松井孝典がいってるんだけど、“文明がもたらしたもっとも悪しき有害なものは「ババア」”なんだそうだ。“女性が生殖能力を失っても生きているってのは無駄で罪です”って。男は80、90歳でも生殖能力があるけれど、女は閉経してしまったら子供を生む能力はない。そんな人間が、きんさん・ぎんさんの年まで生きてるってのは、地球にとって非常に悪しき弊害だって…。なるほどとは思うけど、政治家としてはいえないわね(笑い)。まあ、半分は正鵠を射て、半分はブラックユーモアみたいなものだけど、そういう文明ってのは、惑星をあっという間に消滅させてしまうんだよね。」
「この間すごい話をしたんだ、松井さんが。私は膝をたたいてその通りだと。女性がいるから言えないけど…。本質的に余剰なものは、つまり存在の使命を失ったものが、生命体、しかも人間であるということだけでいろんな消費を許され、収奪を許される。特に先進国にありうるわけだ。でね…、やっぱりやめようか(笑)。あれが実は地球の文明なるものの基本的な矛盾を表象している事例だな。」
「そして、他の動物、他の生命体とのかかわりの中で、人間が人間というものの存在を主張し過ぎたために、非常に横暴な存在になった。そして、彼が例を挙げたのは、ほとんどの動物は繁殖、種の保存ということのために生きて、それで死んでいくが、人間の場合にはそういう目的を達せない人でも、つまり、人間という尊厳の中で長生きをするということで、彼はかなり熾烈な言葉でいいまして、私はそのときに、なるほどなといいながら、しかし、それは政治家にはいえないから、あなたみたいな専門家じゃなきゃとてもいえませんなといって、そのときに慨嘆したんだ。(中略)私が思わずひざをたたいた所以の一つは、私の友人でもありました深沢七郎氏が書いたうば捨て山という、あの、要するに「楢山節考」という、年をとったそのおばあさんを、その部落の貧困のゆえに、あえて生きている人間を捨てに行くという、これは年をとった女の人が、他の動物の生存の仕方に比べれば、かなり横暴な存在であるという表現の、実は逆説的な一つの証左でありまして、私はいろんなことを思い合わせながら、その松井さんの話を非常に印象深く聞いたわけです。」
この狂った発言後の選挙で彼はババアの熱い支持を受けて再選した。
私的には不思議だった。
石原曰く爺は生殖能力があるから生きる価値があると枯れたイチモツを自画自賛しとるがめったに爺が生殖なんてせんし、しても甘やかしたり障害児だったりでろくでもない子供が多いし、世間を見たら定年して濡れ落ち葉になった爺よりよほど有用で有意義に暮らしている婆の方が多いし、パートタイマーでは圧倒的に爺より婆が使えるし、家事や孫の世話などでも爺より役立っているが万が一女性政治家が
「文明がもたらした最も悪しきものは爺ですよ、婆は役に立ちますが仕事をやめた爺が生きているのは無駄で罪です(笑)」
みたいな事を何度か言ったら爺の熱い支持を受けて再選するのは無理ではと思うのだ。
婆はずーっと男からの侮辱的な言動を受け入れて、男から嘲笑われるのに慣れすぎているから笑って流したのかなぁよくわからん。
セクハラとかも婆はわりと平気に受け流すしな。
「私は差別するつもりがない」ってのは、近年は皆がそういう感じの意見だろうけど、出身地を言いづらい雰囲気はまだあるんじゃない?
例えば、ある中年女性が「わたしは息子の嫁がどこの出身でもかまわない」と考えていたとする。この人はたぶん、自分では差別をするつもりがないと思っているはず。
でも、彼女が同時に、「うちに来た嫁が非差別部落の出身だと周囲に知られるのはイヤだ」という考え方をしていることもある。
部落差別のせいで結婚を許されないっていうケースはさすがに減っていると思うけどね。一方で、「結婚したらなるべく出身地とは関わるな」とか「出身地がバレるような行動をひかえろ」という圧力はありそう。
元増田は「あえて言わなければ誰にもわからないし差別されないだろうなあ」と書いているけど、差別を逃れるために出身地を隠さないといけないって状態が良いとはいえないだろう。それはやっぱり差別が根強いせいだと思う。
追記
部落差別の深刻さは、日本国内でも地域ごとにかなり違う。ただ、関東の人も「自分がよく知らないだけで実は身近に存在した」ということがあると思う。
一般的にはそういう話題がタブー視されているから認知度が低かったり、それこそ当事者が差別を恐れて自分からは何も言わなかったり、そっちの要因で元増田が知らないだけってこともあるんじゃないかな。
特定は簡単だろうがある関西の皮革産業が盛んな地域、正確に言うとその隣の町(挟まれてるとも言える)の会計事務所に勤めていた。
自分は東海地方で生まれ、進学で関西へ、そのまま関西で就職した。なので部落は単なる集落としての意味しかしらず、不勉強なこともあり同和地区の意味も分からなかった。
入社して3年目だったと思う。ある日その地域に登録している税理士がある依頼の為、一斉に税務署に集められた。
その税務署からの依頼は3年待つので正常な申告をするように皮革業者を指導して欲しいというものだった。その地域に住んでいる者にとっては常識らしかったが、皮革業者はまともに申告はしていない。業者は皮革組合に今年度はなめし皮製造業であれば何枚作ったか、裁断などの加工業者も何枚削ったかによって枚数×単価で消費税を納め、所得税はその枚数×単価で売上を決め、あとはいくら払うかを先に決めて、決算書及び申告書を“作文”していた。そのような特権が認められ、当然ながら納税額は10分の1以下という状態だった。
それが何のきっかけはわからないが3年後には正常にするようにと税務署が通達してきた。これは3年後には税務調査に入りますよ、その際不正があれば税法に則って指摘しますよ、という予告を意味していた。実際に3年後に比較的大規模な業者に見せしめ的に税務調査が立て続けに入っていた。
東海地方で生まれた自分にとってはまるで別世界のような出来事であった。聞くところによれば、つい最近まで部落出身者には小中学校においても放課後に特別な授業があり、教室に残されていたらしい。
どのように正常化していったかは長くなるので割愛するが、脱税のおかげで皮革業者はみな大金持ち。その地域の幹線道路沿いの大型店や全国チェーン店の土地の所有者がほとんどその業者の社長だ。(確定申告で分かった)
今日の朝日新聞に出た記事を見ていろいろ思い出してたの書いてみた。
業者の社長の年代は結婚も同和以外の地区では難しかったらしいが、息子の代では大分薄れてきていたらしい。その会計事務所を5年前に退職したが、今はより薄れてきているではないだろうか。
村には、川向こうの部落と行き来するための沈下橋がかけられていた。
大雨で川が増水すると、水面下に沈んでしまい渡れなくなってしまう。
水が引くまで川向うの部落の子はこちら側にある学校へ来る事もできない…なんて事もあった。
川向うの子達はいいなあ、なんて呟いて母にゲンコを貰った事もあった。
上の方に橋をかけてどうするんだろ?でもあれなら沈まないな。なんて友達と言い合った。
獣道を登って工事現場を見下ろせるところまで行って、重々しく動く重機を日が暮れるまで眺めていた事もあった。
ああ、あすこに橋があるなと思った。湖底の様子なんて見える訳もないのだが、目の前に村の様子が浮かび上がった。
だけども、もうあの沈下橋は沈んだままなのだと、少し寂しくなったのを憶えている。
いやいやいやそんな嘘思い出を捏造して浸っている場合ではない。
誰にでも「さん」付けが楽だし無難だと思ってたんだけど、とある事情で地方の田舎で働いたときは普通に下の名前で呼び捨てされていた。
最初は苗字(姓)+「くん」や「さん」付けで呼んでくれる人も、徐々に苗字呼び捨て等を経由したりして最終的に下の名前の「くん」付けか呼び捨てに落ち着いていた。
物凄く気分悪くて不快だったんだけど、文化の違いと考えて諦めてはいた。
しかし不思議というか面白いなと感じた部分もあって、会社以外の知人友人関係において、その地域の人たちは年齢が下手したら10~20も年上の人にも「くん」付けだった。
二十歳そこそこの若者(男女問わず)が30代、下手したら40代くらいの相手を「くん」付け呼びしているのはなんとも変わっているなと思った。
これは都会ではあまり観測できない独特の文化だと思い、いくつか理由は考えてみた。
この情報で地域を特定できる人がいたら面白いと思うので書いてしまうと、星、湯田、室井、渡部(渡辺や渡邊はほぼいない)あたりが多数を占める。
そしてその中の集落(集落のことを差別的な意味なく部落、と呼ぶのが普通だったがこれは別の話)ごとに偏りがあり、
通りがかりに墓地があったので目をやると、ほぼ全部「星家の墓」だったり、とある星さんの家を探して回ると周辺みな星でなかなか見つけられなかったりした。
なのでその地域の会社という会社において、苗字被りが必ず起こるので下の名前で呼ぶようになることは当然の流れといえる。
それだけだと下の名前で呼ぶ理由にはなるが、年齢関係なく知人レベルの年上を「くん」付けする理由にはならない。
これに関する考察は推測の域を出ないのだがおそらくこういうことだと考える。
一つは若者自体が少ないこと。それにより自然と関係性が深くなりやすい。
もう一つはその若者たちはほとんどが産まれてから同じ地域で過ごし同じ高校を出ていること。
後者によって生まれるであろう上下関係が年齢を重ねてもそのまま続いていることを見るに、年上相手には「さん」付けが浸透していきそうに感じるが、
中高生時代に序列が下位だった人間が会社・社会関係においては同等や上位になること自体は十分にありえるであろうから、
その辺の関係で自然と年齢関係なく「くん」付けが常態化していったのではないかと考えるが、上手く文章化できないし頭の中でも若干もやもやしている。
例えると、高校時代とかに赤木剛憲は桜木花道に対し年齢またはクラスや部活の序列が上位の存在であったので、呼び捨てしていたとする。
これが後に社会に出て立場が同等か逆転したとして、その時赤木は桜木に敬意こそ持つも呼び捨てのまま呼び続けたりするが、
桜木は立場が同等以上になったのだから自分も本来であれば赤木を呼び捨てしたいが、そこまではできないので「くん」呼びすることにした。
どうだろう。スラムダンクで例えたのは若干失敗しているかもしれないが、基本の流れはこんな感じなのかな、と思う。
ちなみに女性に対しては、4~50代同士とかの結構な年齢であっても、年下であれば下の名前+「ちゃん」付けが多かったように思う。
また、3~5歳程度上の女性に対しても「ちゃん」付けしている人たちも観測しており、なんだかなぁと思いつつも自分もそれに合わせていたりした。
【追記】
こんなにブクマ集まると思わなかったので嬉しいです。ありがとう。
特に昔の使い方が変化しなかった説と、栗生沢の湯田がユダから来てる話は知らなかったので衝撃。
前者は、単体だと何故この地域ばかりそうなったのかとなるけれど、苗字被りの多さと人間関係の固定化に合わせると説得力を増す気がします。
後者については確かに栗生沢は湯田ばっかりだったので栗生沢に近しい人探して詳しく調べてみたいと思う。
(ちなみに栗生沢は「くりゅうざわ」と読む。他にも地名や苗字で針生(はりゅう)、塩生(しおにゅう)、藤生(とうにゅう)、小塩(こしゅう)等あって、
これに関しても面白そうなので調べてみたいと思っている。)
本文に書いた苗字四つをググれば四天王と出てくるので特定は容易いとは思ったけどいろんな人の意見が聞けるのは非常にありがたい。
個人的に軽く調べたり聞いたりして考えていた程度のことだったけれど、興味のある人が結構いそうなので
今後現地の人たちに対して調査して何かわかったことがあれば報告したいと思います。
それと他所の地域ではどうなのか、これだけブクマあって言及がないのでやはりかなり珍しいのかな。
そこも非常に気になるので今後調べていきたいです。
「多分」というのは診断してないからだ
症状としては
至急の案件の割り込みとかで崩れると頭の中がうわああああああああ!!!となって仕事に手を付けられなくなったり
人と会話が全然噛み合わなくて、「え??なんでそんな話になるの??」みたいなこと言われたり顔されたりすることがしょっちゅうある(自分の中では今の話題と関係する発言のつもりなんだけど)
でも診断はしたくない
それに子供だって欲しいけど障害者の親に育てられるのも障害者の因子をもって生まれるのもかわいそうだ
嫁に申し訳もたたない
だから怖くて診断ができない
不思議なのはネット上では自慢げに発達障害をカミングアウトする人が多いことだ
実は診断されるとなんらかの補助が享受できたりするのだろうか
それとも何か症状を抑える劇的な治療法や
要するに自分の発言に一貫性はまったくありません、同じロジックでも文脈によって適用したりしなかったりします、文脈は自分が自由に決めますっていう議論放棄宣言ね
理解した
(しかも「部落」という単語は差別の文脈では特別な意味のある用語であって、フクシマは該当しない。この低能は初歩的な同和教育すら受けて無いのかよ)
人種や国籍によらない国内の地域差別であっても十分差別の文脈になるという例を出しただけで、福島=部落だなんてどこにも書いてないんだが
「韓国人を叩くのは差別」「同和地区民を叩くのも差別」「でも福島人を叩くのは差別じゃない」という矛盾した定義を通そうとするからには相当なこじつけを用意してるんだろうと思ったら、まさか「文脈が違うからOK!」だけで乗り切るとはなあ…
http://anond.hatelabo.jp/20151101150210
あのな、まずメディアは責任なんて取りません。不祥事起こしても、社長が辞めるとかあったかなってくらい。
新聞記事に名前は書いていないし、ニュースでただのタレントがアホなことだらだら喋っていても、それが間違っていても謝罪したの見たことあるか?
謝罪してます!新聞の凄い小さい欄に書いてます!!って人は、誤報がなんにちも一面を飾っているのに、一回謝罪の文書いたらそれでいいのか?
あのな、あと昔のほうが中韓の差別当たり前だったぞ。それだけじゃなくて部落とかもな。
で、お前一回海外いってみたほうがいいぞ。ヨーロッパでもアメリカでもいいけど。アメリカなら南部、ヨーロッパならフランスとかイタリアとか。
かなり差別されるぞ。相手は差別しているとは思ってないでやってたりするけどな。
日本人は優遇されてんなーと思うこともあるけど、日本人でさえ結構差別されるからな。
正直差別がいけないことだろうが、なぜ差別が起こるのかとか、ちゃんと歴史を勉強しな?あと、原発はんたーいみたいな左翼と、安保賛成なんて当たり前だろみたいな右翼と、どっちも意見みたほうがいいぞ。お前どっちの意見も見てないだろ。どっちも見て考えろや。考えていないと危惧してるお前自身も考えを放棄してるぞ。
あとな、なんというか、流される対象がテレビ新聞から、ネットになっただけだぞ?正直大して変わらんぞ?
田原総一郎だの香山リカだのテリー伊藤だの爆笑問題太田だの偏りのあるコメンテーターばっかりだぞ?
自分で考えて、本を読んだりする層は今も昔もいるんだよ。少ないだけ。まあ、がんばれ。
http://anond.hatelabo.jp/20150801010917
の増田だけど。
残ってた7つのうち、1つがトントン拍子に選考が進んで内定出たっぽい。
もともとかなり志望度高かったとこは全部落ちて、専門外だけどそれなりに行きたいとこ受けてたら内定出たっぽい。
ESも面接もボロボロだったのに、カラオケで気分転換してる時に電話きて採用です、また来週きてくださいって言われた。
電話一本だと全く実感ないんだけど、どうしよう。
笑っていいのか泣いていいのかもわからないから仏頂面してるんだけど。
これからはマイナビで説明会とか面接の予約して、死にそうな顔しながらかっちりジャケット着て重いバッグ持って街中を徘徊しなくていいのって本当なのかな。
俺なんかで務まるのかしら。
http://documentary.nicovideo.jp/
http://blogos.com/article/122730/
TVでは放送出来ないタブーをネットで放送しようという試みだ。
田原総一朗さんがまだ元気だった頃は朝生でタブーを知れたが今は朝ナマも機能せず。
田原さん亡き後次世代は池上彰さんに頼るしか無いかと思っていたが
ニコ生がこういう試みを始めたのでありがたい。
ついこの間までは言われていたが
「タイズ・ザット・バインド ~ジャパン・アンド・コリア~エピソード1」
http://live.nicovideo.jp/watch/lv227557733
「著作:ドワンゴ / 制作:Blakeway Productions / 配給:BBCワールドワイド」
って発注してBBCがBlakeway Productionsに作らせてドワンゴに映像を渡したってこと?
で、その中身ですが、
朝鮮と日本の関係を豊臣秀吉の朝鮮出兵から語った視点は面白かった。
耳や鼻を戦利品で持って帰ってくるというISISばりの頭のおかしい日本人達の話は初めて知って驚いた。
隠されているわけでもないのにこの史実を自分が知らないということはどういうことなんだろう?
と考えさせられた。
相変わらず簡単に洗脳され情報操作に踊らされてしまうんだなと思い知らされた。
ほとんど私の知った情報でしかなかったので特に驚きはなかった。
なんかやたら川上さんは韓国寄りに見えるかもしれないがこれが現実だ!的に言っていたが
個人的にはどっちに偏っているとも思わなかった。
個人的には凄く胡散臭く思っている。
ぶっちゃけ私はそんなことに興味が無い。
理由①戦後に生まれた私には史実が正しいかどうかなどもう確認するすべがないのでどうしようもないから。
理由②韓国人だろうが日本人だろうがアメリカ人だろうが黒人だろうが全部同じ人間。
環境や生まれで誰しもが加害者になり被害者になる可能性があるというだけ。
理由③私が韓国人に何かしたわけでもないし祖先の責任を感じろと言われても実感的に無理だから。
私は今日本が一番仲良くなり近い存在にならなければならない相手こそ韓国だと思っている。
何かあって困れば一番最初に助けに来てもらえるし
交通・流通・時間の面でも一番効率よくなんでもできる相手が隣国である。
逆に仲悪くなれば一番めんどくさくて大変なことになる相手である。
お隣さんと仲良くならないでまともな生活などできるわけがない。
でも近すぎる相手だからこそ掌握したくて日本は上から目線で力で相手を制圧しようとした。
愚かである。
流石耳や鼻を持ち帰って自慢したがる頭のおかしい種族の末裔だけのことはある。
なんでこんなにいがみ合って自分の足引っ張ってんだろう?って感じである。
当時を実際に経験して苦い思い出がある高齢の方達にとっては
私とは違い実感のある重い問題だとは思う。
でも私には関係ない。
多分多くの戦後生まれの人達はこんな感情なんじゃないだろうか?
しかしそれに反して世間ではやたら大きな問題として取り扱われる。
凄く違和感。
余計なことを荒立てて炎上商法で金儲けしようとしているという穿った見たかもできなくはない。
ぶっちゃけもう当時を知らない人間が戦後責任だなんだかんだ言っても
誰があー言ってたこー言ってた、
とかそんなお粗末な話にかならないのは目に見えている。
そんなくだらないことに時間と労力をかけている暇があったら、
いがみ合いは年寄り連中だけでやっててくれ。
正に老害。
東アジアここにあり!と隣国と手を取り合って世界に発信したい。
私利私欲のためではなく欧米の侵略からアジアを守ろうとしたという論説をよく聞くが
今度は力で相手を制するのではなく
文化と知恵で共に手を取りみんなでアジアを繁栄させて行きたい。
そのためには、
何かの利害関係で政治的・商業的に日韓問題を利用しようとしている人達は無視し
それに踊らされずに
そんなことにこだわりを持たない層で