はてなキーワード: 軽蔑とは
「疑わしきを調べる」
「わざと疑わしいことをしない」
だろ。
無理やり間違えて印象操作しようとするなようす汚い。
そういうことしてなんか得になると思ってんのかね。
見透かされて軽蔑されたりあきれられたりするだけなのに。
http://anond.hatelabo.jp/20110731111713
この記事で。
正常な男なら中1に欲情するはずがないって言われてるけどさー
もしそうなら世の中の男の多数は正常ではないってことになるんじゃないですかねー悲しい話。
美人だったり、ちょっと身体が早熟だった女の子ならみんな分かると思う。
周りの男は自分らの心身発達なんか考えちゃくれない。子供だろうがなんだろうが欲情する生きもんなんだって。欲情してもそれを一切表に出さず、理性で抑えているのが「正常」な男だろう。欲情自体は非難出来ない。でも、私が彼らは欲情していると気付いた時点で、大人としての義務を果たしていない。子供に欲情し、そのような視線で接し、あわよくばと身体を触る。子供だから、大したこと無いだろうと。子供のくせに嫌らしい身体をしているのが悪いんだろうと。二次元幼女に精液搾り取られていなくても、13歳から18歳にかけての条例上の青少年に欲情するのは異常ではない。それを表に出した時点で軽蔑するけれど。
元増田は大人なんだからしっかりしないと。母親の恋人にそこまで無防備ってことは見た目よりも中身は幼い子なんだろうから、無防備すぎることを注意したほうがいいんじゃない。母親にね。
下着確認とかきもすぎるんでネタだと思いたい。
どこにでもある話です。悲しい話。
「教えて、はてサの人」
あの女性と別れてからだいぶ時間が経っているので、ネットにはもう書くことはないと思ってました。ところが、有村悠さん(id:y_arim)の書いたブログを読んで、ふとそのときのことを回顧してしまったんです。
何もおもしろい展開はなかったし、この話にオチはつきませんけど、ブクマしてくださった人が50以上もあったみたいだし、私なりにまとめてあの後の出来事を書きしるしておきます。
「明るいいじめの思い出」
http://lunaticprophet.org/archives/5266
いじめを受けていた女の子の話を持ち出した女子が、どういう文脈だったか、「中国人大嫌い。あいつら全員帰ってくれないかな」と言ったのである。原発事故を受けて帰国者が増えている、という話だったかもしれない。少なくともぼくはその文脈で、近所の中国人が経営している中華料理屋もしばらく臨時休業していたけれどもまた営業を再開した、あの店は美味い、という、反論ともつかない話題を振ってみたが、それがどうしたという顔をされただけだった。 もともと綺麗だったのがますます綺麗になっていた彼女は、「そういう人」に、なるべくしてなったのかもしれない。
もっとも、私とその女性とは、恋人として付き合ったわけじゃなかったです。休日にいつもよく会ったりするぐらいの間柄でした。ひどいネトウヨ癖をのぞけば、性格がダメすぎるってわけでもないし、私はけっして彼女のことを軽蔑しきっていたほどではなかったです。
ただ、そのネトウヨ癖というのがくせ者でした。私はそのために、ずっとイライラさせられてました。初めて会った日からひそかに「絶交したい」と思うようになったし、「孤独感をまぎらわすためにセックスしたいなあ」っていう目的のほかには、彼女と付き合いを続けていく理由が見つからなくなりました。
幸か不幸か、彼女は顔が平均レベルよりわるくてブサイクなほうだったし、セックスのためにわざわざ執着しようっていう気持ちも次第に失せていきました。それで結局、こちら側から別れを言い渡すことにしたんです。
伝達手段はメール。絶交を決めた本当の理由は、いっさい彼女に告げませんでした。それまでにも直接的には、「あなたのネトウヨ癖が気にくわない」という心境を伝えてこなかったんです。彼女とケンカして精神をすり減らすのも馬鹿馬鹿しいし、正しい方向に導いてやろうっていう意欲もありませんでした。
ですから、相手のことをわざわざ非難したりするのはやめて、短い文章に用件だけを書きつづって送りつけました。すると、相手もしつこく粘着はしてこず、ただちょっと数回かぎり、怒ったふうな呆れたふうなメールが来ただけでした。私は関係をこじらせたくなかったから、それらをひたすら無視していました。そのあとは音沙汰ありません。
そういえば、彼女もまた、会話のなかでナチュラルに、「中国が攻めてきたら~」みたいなことを言っていました。有村さんの日記を読んで、ふとそのことを彷彿としてしまったんです。あいにく私の目の前にいた女性は、まったく美人じゃなかったですけどw
有村さんが会ってきたという美人レイシストが、どういう人だったのかとても気になるところですが、こっちはと言うと、もうほんと中国への敵視がすごくて、さすがにウンザリしましたよ。
なにがひどいかって、彼女の場合、リアリティがまったく無いことなんです。
中国は経済・軍事のどちらにも大きな力をもっていて、日本との利害関係が衝突しやすいのは確かなんだし、双方のあいだに不安定な要素が山積みになっている。……っていうふうに、戦争になる危険がどういうものかを見極めているならまだ分かるんですが、彼女はそうじゃないんです。
「中国が攻めてくる!!」っていうのを、さも将来に必ず起こるべき現実であるかのように語るんです。しかもその解決策が、平和的な話し合いという戦争回避ではなくて、そういう努力にはいっさい触れないまま、とにもかくにも武力をもちいて防衛しようっていうことになっているんです。
彼女が話すのは、「武力を持つことで中国が攻めてこれないように抑止できる」とか、そんなマイルドで生易しいものじゃありませんでした。要は、自衛隊の人たちが命を張って、日本を攻めにやってきた中国軍と勇敢に戦い、国土と国民を守るっていうシナリオなんでしょうか。なにやら日本の民間人までが被害にさらされていて、自衛隊はそれを守るために戦闘にかり出されているとかいう、そういうシチュエーションの話ばっかりでした。
いくら最悪の事態を考えておくことが大切であるとはいえ、殺傷行為を伴うであろうそんな血なまぐさい話を、日常会話のなかでサラッと言われても…。('A`)
大体、こういう異様なほどの警戒心のなかには、むしろ逆に、彼女から中国人にむけた差別や偏見があるんじゃないかと疑いました。それゆえ、私はとても不愉快になりましたが、有村さんが会ってきた美人レイシストのようにわかりやすい形で、中国人そのものを蔑視して悪いふうに言うわけじゃありませんでした。彼女はあくまでその軍や政府を攻撃しているだけのようにも見えました。いずれにしてもそのさきは、どうせ知っても仕方ないことなので、私はあえて真意を探ろうとはしませんでした。わざわざ彼女を刺激して、めんどうに巻き込まれるのはゴメンだと感じていたんです。
すでに述べたように、彼女は軍オタっぽいところがあって、兵器とか飛行機とかのことをよく知っているようでした。そしてとりわけ、自衛隊のことは大好きらしくて、すごく憧れているようでした。会話のなかで「お腹すいたなあ」っていうのと同じぐらいナチュラルに、「もし中国が攻めてきても、いまの自分は何の力もないから、自衛隊に入って戦えるようになりたい!」っていうセリフが飛び出してくるほどでした。
これがネットの中だけで威勢良くやっているような、ひきこもりのネトウヨだったらいいんですけどね。自慢そうに話すのを聞くかぎり、実際にイベントがあるときは基地に行ったりとか、それ以外にも普段から交流を持つこともあるらしく、今はなんとかの免許を取るつもりだとか、まじめに取り組んでいる様子に見えました。(※でも、自衛官をめざすっていうような予定があるとは聞いてません)
そうそう。特に、田○神俊雄のことは崇拝しているらしかったです。もしもその理由が、あの顔がかっこいい、とか、あの声が好きなんだ、っていうことなら良かったんですけど、やっぱり案の定そうじゃなくて、「日本のことを真剣に考えているから」とのことらしいです。誇張なのか本気なのか知りませんが、「田○神さんの言っていることは全部正しい」とまで語っていましたね。
結局これについても詳しいことは聞いていません。私はべつに政治にも国防にも興味がないっていうのと、詮索しても仕方ないっていう気持ちがあったからです。彼女の機嫌をそこねないように、ひたすら受け流しておきました。
私だって所詮、高校の教科書にのっているぐらいの知識しかないですよ。しかし、彼女の知識は、それより遙かに劣っていると判断せざるを得ませんでした。たとえばちょっと話題をふってみただけなのですが、若槻礼次郎も高橋是清も、そういう名前を聞いたことがないという感じだったんです。「貴様はその程度の知識しかないのに、どうして自虐史観がどうだのと偉そうに語れるんだ?」……っていうイヤミの一つでも言ってやりたくなりました。むろん、私はそのへんも自重しましたが。
あっ、えーと。こういうと知能や精神に障害があるみたいに思われるでしょうが、彼女はいちじるしく知能が低いとは言えないだろうし、ふつうに友達もいるらしく、家族とは仲良く、過去には恋人ができたこともあり、ごくごく真っ当に社会生活をしているように見えました。難関とかじゃなくてむしろ偏差値は低めのところですが、大学は国立だっていうことです。つまり天才や秀才のレベルには及ばないにせよ、いままで勉強を頑張ってきたんだろうし、通常かそれ以上の知能は持ち合わせているんでしょう。実際、専門分野のほうでは、トンデモに走っているような気配はなかったんです。
どうしてこうなった、どうしてこうなった?(AA略) ←理系で進学を目指していたってことで、高校では歴史をとらなかったみたいだし、センター試験は地理でのりきったと言っていましたから、彼女が歴史にうといのは、そのせいだったのかもしれません。
ついでに補足しておくと、「歴史にうとい」というのには、少し語弊があるかもしれません。彼女は自分自身を「歴女じゃない」と言い張ってましたが、それにしては新撰組だとか、ごく一部のミーハーなテーマについては、メチャクチャ詳しかったんです。
それから彼女は、「ヘタリア」というのが好きみたいでした。私はタイトルを知っているぐらいでその作品を見たことがないから、どこをどうやってそれの影響を受けているのか分かりませんけど、日本史の場合とおなじく、世界史における彼女の興味は、完全に偏ったところにばかり集中していました。つまり、高校でやるレベルの基礎知識も持っていないわりに、細部のマニアックなところには豊富な雑学があるみたいだったんです。
そして、今までそういった雑学を組み合わせてきた結果なのか、彼女は国とか民族とかについて、何か決まりきったような、確固たるイメージをもっているようでした。(←ちょっと嫌な予感がしてきたから、私は怖くなってしまって、そこには探りを入れられませんでしたが。)
私は意見を述べたりすることなく、年上である彼女のプライドをおもんばかって、無関心&無知を装いつづけていました。けれど、あるとき魔が差してしまって、戦争をやっていたときの日本について、ちょっと否定的なことを言ってみたんです。するとすぐさま、「あなたは日本を嫌いになる教育を受けてきたんだ、それでそう思ってしまうんだ」と批判されてしまいました。
これにはさすがに腹が立ちましたね。私の頭のなかには、「日本が嫌いでいったい何が悪いっていうのか!?」という感想も浮かんできましたが、しかしそれ以上に、なにか、心にひっかかる不快なものがありました。
まず、私がどういう学校教育を受けてきたか何も知らないくせに、そして自身は歴史について高校生なみの知識ももってないくせに、「日本を嫌いになる教育~」だとかなんとか、そんなことを当てずっぽうで言われても困りますよ。
つぎに、もうひとつ。人さまの考えを勝手に決めつけて、軽々しく批評するのはやめてほしいなあと思いました。いや、私はまあ確かに愛国心が強いわけじゃないし、政治や国防のことなんて興味がない若者だし、日本が大好きで命をかけてでも守りたいって事もないけど、決してそんな反日とか薄情ばっかりってことはないのだよ。大体、あなたよりも日本の歴史については勉強してよく知っているつもりだし、あなたがさっぱり興味のないらしい日本の文学・美術っていう文化をすこしは楽しんできたんだ。それなのになんで「日本が嫌い」と断定されなきゃならんのだ?……という苛立ちがあったんです。
しかしまあ、あれでした。私はあまりうぬぼれたくないし、偉そうにふるまって他人のことを見下したくはないのです(←たとえそれが内心であろうと)。それに大体、彼女とケンカして争ってみても馬鹿馬鹿しいっていう理由で、このときもまた、苛立ちをなんとか抑えてお茶を濁しておいたのでした。
(自殺をした事があると言うと「お前死んでるのかよwww」と揚げ足を取る人がいるが、それは無視するとして)
結局のところ、自虐は両義的なんだろうなと思う
「自分を壊して、破壊して、傷付けて、甚振って、苦しめる」行為であって
「辛いからそれから逃げるために、より大きい苦痛を和らげるために、自分を許すために、忘れるために」する行為でもある
後者を持ち出して「結局は生きたいんじゃん」と言う人がいる
自分は、それを言う人は信用しない、分かってないと思う(別に分かってようが何も偉くないが)
別に、生きたいわけじゃないと思う、もちろん人によるって事は言うまでもないけど
生きる為に、自虐をするわけじゃない
かといって、死ぬために自虐をしている訳でもない
それは生きる為とか死ぬ為とか、そういう事じゃないんだと思う
普通の人(って何だっていうのは置いておいて)が、辛い時にストレス解消をする時と同じだと思う(程度や深刻さは違うけど)
そんな時には、別に生きたいからとか、死にたいからとか、思わないだろうに
だから、「自殺?自傷行為?ああ、分かるぜ俺。生きたい気持ちがあるからやるんでしょ(ドヤァ)」と言う奴の気が知れない
そういう事を1度でも言う奴は、軽蔑する
二度と関わらないし、出来なくても最大の距離を取る
そいつは自分の自尊心や自己満足の為に他人の不幸をネタにするからだ
それも、一番最低な形で
そして、後悔や供養の気持ちが見えない両親とは、今回の事で決定的な心の距離ができた。
「かわいそうだったね」
「あなたは亡くなった人に優しくて、生きている人には冷たい」
耳を疑った。
正直、人としてどうかと思った。
俺はあなたの事も、あなたの家族の事も全く知らない部外者の他人なので、想像で意見を言う事になりますが、
あなたが無くなった叔父さんに対して、供養の気持ちを持ったり懺悔の気持ちを持つのはそれはそれでいい事だと思うけのだけど、それはそういった気持ちを感じたい人だけが感じればいいことだと思います。
だから親が叔父さんへの供養の気持ち、懺悔の気持ちを仮にあまり持たなかったのだとしても、それをあなたが軽蔑するのはなんだか変な気がしました。
文章を読んだ印象だけで言うと、勝手に懺悔して勝手に軽蔑してる、っていう印象を受けました。
懺悔の感情も軽蔑の感情も自分の心の内側から自然に湧いてくる感情なのだから勝手もなにもないのだけど、でもあなたとは違った故人への感情を持った人間がいるからといってその人を本気で軽蔑するのはなんとなく良くないなって思ったので書きました。
あなたは叔父さんに対しては優しい心を持てているのに、懺悔の気持ちを見せない親に対しては人としてどうかと思ったり本気で軽蔑したりしてしまう、そこがなんだか不思議に感じました。
でもこれは俺が文章を読んだだけで感じた印象であって、実際には俺はあなたがそう思うに至った心の経緯についてはなにも知らないので、ああだこうだ言える立場ではないです。
ちょっと待て
あれに対するファン達の批判を
「やってない奴が叩いてるだけで本当は良作」だの
「メーカーに非がないのに叩かれてた」だのにしたがる奴が何度も何度もわいて出るが
きちんとこれまで金も落としてきて2も実際にプレイした人間の声を無視すんじゃねーよ
って言うかこういうインチキ書く奴の話だと
本当にそんな、理由も無く突然叩かれてつぶれたのか?
本当にニーズのあるものならなんで沖縄で作られなくなってたんだよ?
リバイバル当て込みの思いつきなんかで、店がつぶれるほど仕入れるその八百屋はなんか変じゃねーか?
だいたいそんな、
「10年ぶりにちょっと食ってみっか」「やっぱこれ違うわ」なんかと
たくさんのコアなファンが現役で!イベントにもついて回って、2を心待ちにしてたんだぞ!
「なんとなくリバイバルしてー」「久しぶりに食ったら期待と違うからもういいー」なんてボンヤリしたファンなんか一人もいねーんだよ!
心から2に期待して!2に情熱も信仰も金も捧げつくす準備は出来てただろ!(それもしらねえか)
ファンが嫌がるだろうことをわかっていながら独りよがりの改変をしまくって
ファンの気持ちを重視って言いながら癇に障るようなことをしまくって。
ファンをなめてるかファンを軽蔑してるかファンを嫌悪してただけだろあんなもんは。
製作プロデューサーや一部スタッフがビジネスやサービスと自己実現を混同したんだよ。
果物の例で言うなら
GWに法事で親の実家に10年ぶりくらいに強制連行されました。
よりによってかの陸の孤島と名高き人口が100万切ったか切らないかぐらいの某県に。
もうね、怖いの。
プラスどこそこのなんとか先生(町だか市なんだかの偉い人らしい)の話。
何一つ話題についていけねえ……!アウェーすぎる!!
政党と天皇家に関しては地雷臭がぷんぷん漂ってたので全力でスルーしました。
話題が車になったときだけ、「ええ!すごいですね!」「そうなんですかー」で乗り切ろうとしましたが、
車に詳しくないがためにいまいちうまく乗り切れず、ペーパードライバーという事実を告白せざるを得ませんですた。
祖母「○○ちゃんはでっかい車乗り回してるのに××ちゃんときたら…」
私ばっちゃが何をいってるのかよくわからないの……。
車って仕事で使う人以外でそんなに乗り回すものじゃないよね?遊び以外で使わなくね?
そもそも政党と天皇家と車となんとか先生って親戚一同が集まる法事で話すことでもなくね?
だがしかし発言力ゼロのアウェー星人は話題を変えることもできず
ただひたすら相槌うつしかないんだぜ!この恐怖をどうつたえよう!!
いなかこわいほんとうにこわい
ごめんね、普通の♂ならば、
A)痴漢にあって『嫌な思いをした!』という人に『それは異性として評価されたということ、喜べ』と言う
というレベルと、
B)胸が大きいので、どうしても視線が言ってしまう/親しくなったときに、その話題を振ってしまう
A)のレベルのような事を言った時に、女性が傷つく事をしらない♂は、ケリ入れて良いです。軽蔑してやってください。
ただ、B)のレベルは…カンベンしてやって下さい。♂の本能というか、それを取り除けたら♂ではないです。
その中間に位置する面倒な事が一杯あると思います。が、相手が傷つく事をして喜ぶようなアホは、その悩み以外でも一杯ありますんで。
自分が不快か否かという基準はどうしても付きまといますが、女性が傷つくと判ってやってるかどうか辺りを基準に、考えてみてやって下さいませんか?
注意されて泣く、叱られて泣く。一緒に居る相手が不機嫌になるだけで泣きたくなる。弱虫過ぎて笑える。
3か月ぐらい憂鬱な気分が続く。3.11から余計に憂鬱な時間が増える。好きだった土地が豹変してしまい凹む。
何もできない自分に嫌気がさす。ボランティア登録しても怖くなってしまってめげる。
一人で居たくないけれど、友達はみな多忙。アルバイトもしてない自分を軽蔑しているに違いない。
けれど、怖くてアルバイトを探すこともできない。学生ニートとはこのことか。
泣いてしまうのが怖い。目の奥が熱くなって鼻がツーンとする。自分でも呼吸が荒くなっていくのが分かる。
頭が真っ白になって注意力が下がる。こめかみがズキズキする。そしてまた注意される叱られる。
うーん。どうすればいいんだろう。
そして寝付きの悪さもどうにかしたい。
憲法の理念について考える過程で、中学生のころいじめられていたことを思い出した。
現在俺は大学生でかなり充実した生活を送っていると自分でも自負しているし、他人からも言われている。
そんな今になってやっと気持ちの整理がついたので、その頃に起こったことを綴りたいと思う。稚拙な文章ではあるがお付き合いいただきたい。
俺は中1の頃部活であることをやらかした。その内容については書かないことにする。
誰も話しかけてくれなくなった。じきにその中から罵倒するやつが出てきた。
大半は俺に関心を寄せまいとした。
そいつらの俺に対する見方は分かっていたから、憎むことはなかった。「うわ、汚い。」
しかし、あー人ってこんなもんなんだーとあの時悟った。
俺を遠くから罵倒した人のことを今でもはっきりと思い出す。あの顔。薄ら笑っていた。
関わったらいじめられる、といったことは憶測ではあるが、大半はあまり考えていなかった。
ただ俺は軽蔑の対象であり、関わろうという気にもならない、といったところだろう。
事件直後、俺のことを助けてくれると宣言した人がいたと顧問が言っていたので期待していた。
でもなかった。話しかけられたことは、一度もなかった。
俺が一人でいて、かつ誰にも見つかることがないタイミングなんていくらでもあったのに。
事件があって間もないころ、帰り道であいつを見かけた。
俺はあいつに気にしないほうがいいのかなあ、と明るくいつも通りに言った。
あいつはいつも通りの口調で笑いながら、自分の置かれている状況は気にしろよ、と言って俺を後にして前を歩いていた部活の集団に向かって走っていった。
親友だと思っていたあいつにこんなことを言われた。あいつなら大丈夫だと思っていたのに。こんなものなのか。
一緒に野球していたじゃないか。一緒に何回も遊んだじゃないか。馬鹿なこともしたじゃないか。
人間不信に俺は陥った。
その集団の中で話しかけてくれた同級生は一人だけだった。
中学で知り合ってあまり親しくない子だった。
練習場所の水抜きをしていたとき、明るい声で話しかけてくれた。たぶん挨拶だった。
また話しかけてくれてたのは事情を知らないクラスの人たちだった。
いや、噂で知っていたのかもしれない。でもそいつらは気にしていなかった。
よくそいつらと中学の中庭で鬼ごっこをした。楽しかった。その中で一瞬だけ自分の状況を忘れることができた。
しかし俺はある意識を常に持っていた。その意識に縛られていた。「俺は屑だ。」
中1なのにもう先のことを考えていた。
中学校でのことはもう諦めていた。罵倒され続けよう。耐えよう。俺が悪いんだから。
俺は自分のことを価値のない人間だと思い、死ぬことをいつも考えていた。偶然の事故とかで死にたかった。
ただ死にたいと思うことに理不尽さを感じることはなかった。生きている価値はないと思っていたから。
家が俺のただひとつの居場所だった。事情の知らない家族との他愛のないおしゃべり。十分だった。
部活が終わった皆がいない帰り道でやっと安心できた。そして明日のことを思いすぐに憂鬱になった。
俺はベッドの中で人知れず涙を流した。部屋の空間に背を向け壁に向かって。
意図的に自分の状況を考えて悲しい感情に浸り、流したこともあった。
なんで不登校にならなかったのかは分からない。部活も休まず行っていた。
自分は強い、と思っていたわけでもない。なぜいっていたのだろう。今でも分からない。何かに突き動かされていた。
申し訳なさそうな顔をするために。
実際申し訳なかった。こんな屑が存在していてごめんなさいって。
ある日顧問から一年生は理科室にくるように、と招集がかかった。
俺は一番後ろに座った。そして顧問はどんな話をするのだろうとぼーっと考えていた。
顧問は俺へのいじめをやめよう、とみんなに静かに言い聞かせて会合は終わった。そんなに長くはなかった。
もう俺には触れないでくれ。こんなので改善されるわけないだろう。
なぜ反対側に行かなかったのだろう。そうすればまだ安心できる学校での居場所である自分のクラスに戻れたのに。
淡い期待があったのかもしれない。
練習場所の脇に皆が円になって立っていた。
皆からごめんって次々に言われた。
謝罪の言葉を聞いた俺はそばの壁に腕を当て顔をうずめて泣いた。声を上げて泣いた。
居場所が元に戻るかもしれない。
今だけなんじゃないだろうか。いや、きっとそうだろう。今までそうだったのだから。
その招集後初めての部活。
帰りに部活の皆と一緒に帰ることになった。
今はそうした理由が分かる。俺が笑う顔を見せることなんておこがましいと思っていたからそうしたんだ。
それから俺へのいじめはなくなり、皆とぎこちないながらも仲良くやることができた。
時間は進んで中3のころ、いじめられていたやつが腕で顔を隠して笑うのを見た。
心に何かが刺さった。
しかし俺もそいつのことをみんなと一緒に影でいじめ、関わらないようにしていた。
こいつを庇ったらまたいじめられる。もうそんなことは絶対に嫌だ。
こういった経験をしてよかったと今は思う。
ただこんな思いは誰にもさせたくない。
俺が日本を変えよう。俺が行動しよう。
追記1: 感情が高ぶっていたために文章の論理関係がめちゃくちゃな部分がありましたので訂正しました。ツイートしてくれた方などありがとうございます。
追記2: >migurinさん やらかした内容について書かなかったところについて言及されていると思うのですが、全体の文章から伝わるようにしたつもりです。それ以外のところでしたらお答えします。
はてサじゃなくてもいいや。保守派でも、中道でも、ノンポリでもいい。だれか相談にのってください。
この間、チャットを通して知り合った異性と、はじめてリアルで顔合わせしました。言っておくけど、最初から恋愛やセックスをお目当てに会ったわけじゃないですよ。まずは友達として仲良くなるのが前提でした。
ただ、私が隠しもってるハレンチな本音をあかすと、友達じゃなくてイチャつける恋人がほしいし、せめてセックスのお相手だけでもしてもらいたいと思ってます。まあ、それはこっちが望んでも強要できることじゃないから、今後の進展と、相手の気持ちにゆだねてますけど、それゆえ当面は友人ってことでいいから、関係を続けていきたいと考えているんです。
以上が前置き。
しかし、私にはもう自信がなくなったんです。今ではメールがちょっと滞りそうになってます。
こちらが非コミュだの非モテだのっていうのは問題ではありません。その人のことを、政治的にまったく受けつけないのです。
趣味が軍事マニアっていうか、いわゆる軍オタだったりするのは、本人がどんどん楽しく好き勝手にやればいいことだし、私もそれだけで嫌うっていうのはないでしょう。ただひとつ困ったことに、平然として言ってる主張が、まさしくネトウヨっぽいのです。
愛国心がどうだとか、自虐史観がどうだとか、核武装するべきだとか、ウヨク界隈では人気のある(?)某氏を崇拝していたりとか、今のところまだ一回会っただけなのに、ご高説を聞かされてお腹いっぱいになりました。
その人の話を聞いていて、いくらか苦痛はあったし、歯がゆくなったんです。おかしいことを言っていると分かっても、私は政治に詳しくないから、つっこんで反論したりはせず、「あー、そうなんだねー。なるほどねー」みたいに答えて、ひたすらうなずいてお茶を濁してました。
幸か不幸か、差別発言まではしていなかったから、不快感が頂点に達することはなかったです。(←中国に対してはすごい不信を向けていて、現実性があるかどうか疑わしい脅威論をナチュラルに織りまぜて話していたのは、さすがに聞いていてキツかったですけど…)
これだけ書くと最悪な人に見えますが、政治の話ばっかりしていたわけじゃありませんし、ほかの部分では気が合わないわけじゃなく、根っこは情にあついし、悪い人じゃないと思います。そしてみっともないことですが、文頭に書いたとおり、「私がさびしいから関係を切りたくない」っていう打算もあるんです。
私はとりあえず、相手のことを生暖かく見守れる、おとなの余裕がほしいです。換言すれば、プライドをどぶに捨ててしまいたい!
【追記】
タイトルに「はてサ」って書いたのは、まず一番最初、そのことが頭をよぎったからです。
私はぜんぜん勉強してないから、ネトウヨが言っているようなことに、反論・対処をする方法が分かりません。
おかしい、ヘンだっていうのには気づけたとしても、自分の低レベルな知能では、はてサの人がやっているような主張は組み立てられないです。リアルで臨機応変に話すとなれば、それは尚更です。
「はてサの人だったら、この場でうまく説諭する術があるのかな? うらやましいぃぃぃぃ!!」←単純にそう考えました。
あと、私みたいなヤツだって、インターネット上で書き込むんだったら、「愛国心とかキモい」「差別はやめるべきだ」ってぐらいのことは言いますよ。しかし、現実ではちゃんと語れるだけの知識がないってことに加え、生身の相手がいるから怖じ気づいてしまうことが多くて、結局は黙っていることしかできないんです。
「こういう問題にぶつかったとき、はてサの人はどうやって折り合いをつけるかな?」と思いました。なぜかっていうと、彼らは特に、ネトウヨ的なものに苛立っているはずだろうから。
愛想笑いを浮かべながら、ふとそんなことを考えました。それでそのままタイトルに採用したのです。
ほんと重度のコミュ障なので、誰からも相手にされないし、このチャンスを逃すと、これから先いつまでか続くか分からないぐらい、一人ぼっちでいるしかないんです。コメントでは「あきらめろ」「もっといい人を探せ」って言われてますが、たやすくそんな決断ができるなら、とっくにそうしてます。
【さらに追記】
誤解があるようなので言っておくと、私の性別は男で、相手のほうが女です。
彼女は、おそらく、にわか作りのネット右翼ってわけじゃありません。リアルでも自衛隊と関わったりしているらしく、べつに自衛隊員とかではないんだけれども、真剣にのめりこんでいる印象を受けました。
しかし、それほど躍起になって行動しているわりに、軍オタとしてぬるすぎるっていう感想です。政治の話題に深入りしていないので、今のところは断言しにくいんですが、言っていることからネトウヨ臭がぷんぷんして、軍オタの好きそうな《リアリズム》ってやつが皆無でした。それならまだ救いようがあったのに…。
いや、とにもかくにも付き合いが浅いし、私も頭がいいわけじゃないから、何も言えないけどさー。彼女がおかしいことには気づいたんですよ…。チャットやメールではそんな素振りもなかったのに、なぜリアルでこういう話を始めたのかは謎なんですが。「こいつなら無知で騙しやすそう」って侮られたせいかしら? うーん、誰か教えてください。\(^o^)/
くりかえしになりますが、私はその人の全部をバカにして軽蔑しているのではなく、ちゃんと会話を続けていきたいって好意も残ってます。結構親切にしてくれてるし、良いところもあるのです。
また、自分にはハレンチな下心もあるので、もし彼女をことごとく軽蔑しきったとしても、それですぐ関係を切るのはもったいないと思うのです。←あっ、こういうのって低劣な考えだし、もちろん罪悪感はあります。ごめんなさい(恥)
朝一番の斎場はとても静かだった。
到着してすぐに、お父さんから状況を聞いた。
部屋に入ると、引っ越したばかりで物も少ない小さな部屋で
叔父さんは布団をかけたまま息を引き取っていた。
部屋はエアコンがつけっぱなしで
部屋には500mlビールの空き缶が百本以上もあった。
叔父さんは黒ずんで、ミイラ化が進んでいた。
俗に言う、孤独死、無縁死。
叔父さんを見かけなくて心配してくれたのは
同じ建屋に住む、管理会社のおばさん。
たまに声をかけてくれていたそうで
本当にありがたい。そして本当に申し訳ないとおもった。
叔父さんの部屋は最近の部屋で、
部屋中の空き缶。
叔父さんは3日に一度は酒屋に連絡して
部屋の中で飲んでいたらしい。
想像してみた。
66歳で仕事も定年になり、家族もいないから、独りでお酒をひたすら飲み続ける。
そんな姿を想像すると、どんな気持ちでいたんだろうとか
携帯の発信履歴から、息を引き取った時期がなんとなくわかった。
検死の結果、叔父さんの体には生体反応があったそう。
それはつまり、瞬間的に命が絶たれたわけではなくて
一定時間苦しんだ後に引き取ったという事だそうだ。
その時に、誰かに、お父さんに連絡することも恐らくできたはず。
でもそれをしなかったということは推測だけど、そういうことなのかもしれない。
できなかったのか、したくなかったのか、しないと決めたのか。
それはわからない。
ポストに残されていた、叔父さんの携帯電話の請求額は生きている間も、一カ月に1000円に満たない。
パソコンを持たない叔父は、仕事以外に外との繋がりはほとんどなかったという事が読み取れた。
私も独り暮らしをしているから、叔父さんの過ごしてきた日常が生々しく想像できて、頭から離れない。
寂しかったんじゃないだろうか、一人で辛かったんじゃないだろうか。
だから、助けの連絡も入れなかったんじゃないだろうか。
死んでもかまわない、なんて思ってたんじゃないだろうか。
その辛さを想像して、そんな叔父さんに何もしようとしなかった事への後悔、申し訳なさ。
考えるだけで涙が止まらない。
同時に、そんな状態にしてしまったと後悔してるあろうお父さんの気持ちを想像するだけで、涙が止まらない。
叔父さんには何をしてもらったわけでもないし、付き合いもなかったから、
でも、それがそもそも間違っていて、もっと、歩み寄るべきだった。
死んでしまった事が悲しくないほどの距離感を、ずっと気にせずにいた事だ。
お父さんがお兄さんと疎遠なのも知っていた。
我が家ではそれが当たり前になっていた。もちろん、叔父さんも然り。
新年のあいさつはおろか、全く交流がないまま約30年が過ぎている。
私が生まれてすぐに父の父、つまりおじいちゃんに当たる人は亡くなっている。
私の生まれた次の月に。
おばあちゃんに当たる人は生きてはいたけど
覚えてる限り初めて、会ったのが亡骸だった。
その時の叔父さんの写真が残っていて、結構鮮明に覚えている。
ただ、覚えているだけだ。
叔父さんは独身だったから、痴呆のおばあちゃんの面倒もずっと見てくれていた。
おばあちゃんが亡くなったのが15年前。
叔父さんは50歳を過ぎて、はじめて独り暮らしになった。
で、去年。
借金もなくなり、住み慣れた実家の側に家賃4万円ほどでアパートを借りて住んでいた。
そして、それから1年たらずで叔父さんは、一人で亡くなった。
誰にも連絡せずに。
おそらく、まるで自殺行為のように飲み続けたアルコールが原因。
彼が拒否をしたのかもしれないけど
私たちはもっと、叔父さんに歩み寄る、とか
気にかけてあげるべきだった。
もっと小さい時から、叔父さんの事を気にかけていてあげれば、
父も叔父さんにもっと連絡していたかもしれない。
自分の手の届く範囲の人をあんな逝き方をさせてしまったという事にひどく後悔している。
最低だ。
後悔なんてしたって、罪悪感なんて持ったってもうどうなにもできないのに。
可能性があったのに、こんなことになるまで誰ひとり、何もしなかった。
本当に、本当にごめんなさい。
そして、後悔や供養の気持ちが見えない両親とは、今回の事で決定的な心の距離ができた。
「かわいそうだったね」
耳を疑った。
正直、人としてどうかと思った。
そうやって、私は家族と距離を置き
叔父さんと同じ道を歩んでいる気がしてならない。
叔父さんの死によって叔父さんの気持ちが、わかった
ほんとうに辛かったよね。ごめんなさい。
そうやって約一時間で、叔父さんはようやく荼毘に付された。
骨は大きく頑丈だった。
膝に抱いた骨壷は、ずっと温かかった。
見送ってほしい人は他にいたと思う。
なのに、私たちが最後でごめんなさい。
最後にいけしゃあしゃあと出てきて勝手に後悔してごめんなさい。
ただただ、懺悔と叔父さんの冥福、安らかな眠り、幸せな来世を祈るしか私にはできません。
本当にごめんなさい。
朝一番の斎場はとても静かだった。
到着してすぐに、お父さんから状況を聞いた。
部屋に入ると、引っ越したばかりで物も少ない小さな部屋で
叔父さんは布団をかけたまま息を引き取っていた。
部屋はエアコンがつけっぱなしで
部屋には500mlビールの空き缶が百本以上もあった。
叔父さんは黒ずんで、ミイラ化が進んでいた。
俗に言う、孤独死、無縁死。
叔父さんを見かけなくて心配してくれたのは
同じ建屋に住む、管理会社のおばさん。
たまに声をかけてくれていたそうで
本当にありがたい。そして本当に申し訳ないとおもった。
叔父さんの部屋は最近の部屋で、
部屋中の空き缶。
叔父さんは3日に一度は酒屋に連絡して
部屋の中で飲んでいたらしい。
想像してみた。
独りでお酒をひたすら飲み続ける。
テレビとか見ていたのかな・
そんな姿を想像すると
どんな気持ちでいたんだろうとか
携帯の発信履歴から、息を引き取った時期がなんとなくわかった。
検死の結果、叔父さんの体には生体反応があったそう。
それはつまり、瞬間的に命が絶たれたわけではなくて
一定時間苦しんだ後に引き取ったという事だそうだ。
その時に、誰かに、お父さんに連絡することも恐らくできたはず。
でもそれをしなかったということは
推測だけど、そういうことなのかもしれない。
できなかったのか、したくなかったのか、しないと決めたのか。
それはわからない。
生きている間も、一カ月に1000円に満たない。
ほとんどなかったという事が読み取れた。
叔父さんの過ごしてきた日常が生々しく想像できて、頭から離れない。
寂しかったんじゃないだろうか、一人で辛かったんじゃないだろうか。
だから、助けの連絡も入れなかったんじゃないだろうか。
死んでもかまわない、なんて思ってたんじゃないだろうか。
その辛さを想像して、そんな叔父さんに何もしようとしなかった事への後悔、申し訳なさ。
考えるだけで涙が止まらない。
同時に、そんな状態にしてしまったと後悔してるあろう
叔父さんには何をしてもらったわけでもないし
付き合いもなかったから、
でも、それがそもそも間違っていて、もっと、歩み寄るべきだった。
死んでしまった事が悲しくないほどの距離感を、ずっと気にせずにいた事だ。
お父さんがお兄さんと疎遠なのも知っていた。
我が家ではそれが当たり前になっていた。
もちろん、叔父さんも然り。
私が生まれてすぐに父の父、
つまりおじいちゃんに当たる人は亡くなっている。
私の生まれた次の月に。
おばあちゃんに当たる人は生きてはいたけど
中3のゴールデンウィークに、亡くなった。
初めて、顔を見たのが亡骸だった。
その時の叔父さんの写真が残っていて
結構鮮明に覚えている。
ただ、
覚えているだけだ。
痴呆のおばあちゃんの面倒もずっと見てくれていた。
おばあちゃんが亡くなったのが15年前。
叔父さんは50歳を過ぎて、
はじめて独り暮らしになった。
で、去年。
そして、それから1年たらずで
叔父さんは、一人で亡くなった。
誰にも連絡せずに。
おそらく、飲み続けたアルコールが原因。
彼が拒否をしたのかもしれないけど
私たちはもっと、叔父さんに歩み寄る、とか
気にかけてあげるべきだった。
もっと小さい時から、叔父さんの事を
気にかけていてあげれば、
父も叔父さんにもっと連絡していたかもしれない。
自分の手の届く範囲の人を
ひどく後悔している。罪悪感がある。
最低だ。
後悔なんてしたって、罪悪感なんて持ったって
もうどうなにもできないのに。
可能性があったのに、
こんなことになるまで誰ひとり、何もしなかった。
本当に、本当にごめんなさい。
そして、後悔や供養の気持ちが見えない
両親とは、心の距離ができた。
「かわいそうだったね」
亡くなった人に優しくて
正直、人としてどうかと思った。
そうやって、私は家族と距離を置き
叔父さんと同じ道を歩んでいる気がしてならない。
叔父さんの死によって
叔父さんの気持ちが、わかった
ほんとうに辛かったよね。
ごめんなさい。
そうやって
約一時間で、叔父さんは
ようやく荼毘に付された。
骨は大きく頑丈で、とび職の名残なのかななんて感じた。
膝に抱いた骨壷は、
ずっと温かかった。
私たちじゃなと思う。
見送ってほしい人は他にいたと思う。
なのに、私たちが最後でごめんなさい。
最後にいけしゃあしゃあと出てきて
勝手に後悔してごめんなさい。
ただただ、
安らかな眠り、
私にはできません。
本当にごめんなさい。
朝一番の斎場はとても静かだった。
到着してすぐに、お父さんから状況を聞いた。
部屋に入ると、引っ越したばかりで物も少ない小さな部屋で
叔父さんは布団をかけたまま息を引き取っていた。
部屋はエアコンがつけっぱなしで
部屋には500mlビールの空き缶が百本以上もあった。
叔父さんは黒ずんで、ミイラ化が進んでいた。
俗に言う、孤独死、無縁死。
叔父さんを見かけなくて心配してくれたのは
同じ建屋に住む、管理会社のおばさん。
たまに声をかけてくれていたそうで
本当にありがたい。そして本当に申し訳ないとおもった。
叔父さんの部屋は最近の部屋で、
部屋中の空き缶。
叔父さんは3日に一度は酒屋に連絡して
部屋の中で飲んでいたらしい。
想像してみた。
独りでお酒をひたすら飲み続ける。
テレビとか見ていたのかな・
そんな姿を想像すると
どんな気持ちでいたんだろうとか
携帯の発信履歴から、息を引き取った時期がなんとなくわかった。
検死の結果、叔父さんの体には生体反応があったそう。
それはつまり、瞬間的に命が絶たれたわけではなくて
一定時間苦しんだ後に引き取ったという事だそうだ。
その時に、誰かに、お父さんに連絡することも恐らくできたはず。
でもそれをしなかったということは
推測だけど、そういうことなのかもしれない。
できなかったのか、したくなかったのか、しないと決めたのか。
それはわからない。
生きている間も、一カ月に1000円に満たない。
ほとんどなかったという事が読み取れた。
叔父さんの過ごしてきた日常が生々しく想像できて、頭から離れない。
寂しかったんじゃないだろうか、一人で辛かったんじゃないだろうか。
だから、助けの連絡も入れなかったんじゃないだろうか。
死んでもかまわない、なんて思ってたんじゃないだろうか。
その辛さを想像して、そんな叔父さんに何もしようとしなかった事への後悔、申し訳なさ。
考えるだけで涙が止まらない。
同時に、そんな状態にしてしまったと後悔してるあろう
叔父さんには何をしてもらったわけでもないし
付き合いもなかったから、
でも、それがそもそも間違っていて、もっと、歩み寄るべきだった。
死んでしまった事が悲しくないほどの距離感を、ずっと気にせずにいた事だ。
お父さんがお兄さんと疎遠なのも知っていた。
我が家ではそれが当たり前になっていた。
もちろん、叔父さんも然り。
私が生まれてすぐに父の父、
つまりおじいちゃんに当たる人は亡くなっている。
私の生まれた次の月に。
おばあちゃんに当たる人は生きてはいたけど
中3のゴールデンウィークに、亡くなった。
初めて、顔を見たのが亡骸だった。
その時の叔父さんの写真が残っていて
結構鮮明に覚えている。
ただ、
覚えているだけだ。
痴呆のおばあちゃんの面倒もずっと見てくれていた。
おばあちゃんが亡くなったのが15年前。
叔父さんは50歳を過ぎて、
はじめて独り暮らしになった。
で、去年。
そして、それから1年たらずで
叔父さんは、一人で亡くなった。
誰にも連絡せずに。
おそらく、飲み続けたアルコールが原因。
彼が拒否をしたのかもしれないけど
私たちはもっと、叔父さんに歩み寄る、とか
気にかけてあげるべきだった。
もっと小さい時から、叔父さんの事を
気にかけていてあげれば、
父も叔父さんにもっと連絡していたかもしれない。
自分の手の届く範囲の人を
ひどく後悔している。罪悪感がある。
最低だ。
後悔なんてしたって、罪悪感なんて持ったって
もうどうなにもできないのに。
可能性があったのに、
こんなことになるまで誰ひとり、何もしなかった。
本当に、本当にごめんなさい。
そして、後悔や供養の気持ちが見えない
両親とは、心の距離ができた。
「かわいそうだったね」
亡くなった人に優しくて
正直、人としてどうかと思った。
そうやって、私は家族と距離を置き
叔父さんと同じ道を歩んでいる気がしてならない。
叔父さんの死によって
叔父さんの気持ちが、わかった
ほんとうに辛かったよね。
ごめんなさい。
そうやって
約一時間で、叔父さんは
ようやく荼毘に付された。
骨は大きく頑丈で、とび職の名残なのかななんて感じた。
膝に抱いた骨壷は、
ずっと温かかった。
私たちじゃなと思う。
見送ってほしい人は他にいたと思う。
なのに、私たちが最後でごめんなさい。
最後にいけしゃあしゃあと出てきて
勝手に後悔してごめんなさい。
ただただ、
安らかな眠り、
私にはできません。
本当にごめんなさい。
まず、今回の東日本大震災でお亡くなりになった方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々のお見舞いを心から申し上げます。
次に、僕のスペックです。都内の大学に通う学生(新二年生—ちなみに一浪—)です。所属学部のカリキュラムによって、ほとんどの授業を英語で行って、レポートも英語でたくさん書きました。といっても、僕の英語の能力はだいたいTOEIC700点前後だと思います(TOEICはうけたことがありませんが、学校で受けさせられたテストなどで換算するとこのくらいです)。700点前後なので、あまり大したことは言えた身ではないのですが、英語については昨年度かなり自分でも悩み、考えたし、また、TOEICなどのスコアだけで英語の実力のすべてが測れるとも思っていないので、僭越ながらも英語についての意見を述べさせてもらいます。(ちなみに未だ日本から出たこと無いです)
最後に、書こうと思った動機について。主に二つ。ひとつは、日本人の英語熱が、去年のユニクロ、楽天の英語公用語方針表明から、加熱の一途を辿っていることを受けて、自分—英語が公用語の学部で学んでいる自分—が何か良い意見を述べることができればいいなと思ったから。あとひとつは、自分の英語に関する考えを今の時点で言語化して整理しておきたいという考えがあるからです。
英語学習者の多くは「英語ができるようになりたい」や「英語上達!」などと言います。が、少し待って下さい。その宣言って少し漠然としすぎではないでしょうか。ここで、試しにあなたが今思っているその「英語」に修飾語を二つ付けてみて下さい。例えば、ある会社員の場合は、practicalと businessを足して、”Practical business English” (実践的ビジネス英語) となります。こうすることで、あなたが必要な英語がもっと鮮明になるでしょう。さらに対策だって立てやすくなると思います。子供が語学を身に着けながら成長するときの様に、日常の様々な場面での遍く英語表現を身に着けることは大人には困難です。しかし、範囲をうまく絞れば、そこに特化して勉強することで仕事で困ることが少なくなると思います。
僕は昨年度、英語を話す日本人を数十人ですが見てきましたが、およそ二つのグループに分けることができます。それは、日本語を話すときと同じ感覚で英語を話している人と、英語を話すときは全く別の口の開け方や筋肉の動かし方、さらには呼吸法までする人たちです(帰国子女の方々は幼いころの海外経験の中でこれを自然に身に着けているように思われます)。タピオカドリンクを飲むときは、コーラを飲む時に使うストローじゃ飲めないように、英語を話すときも日本語用の発声方法を脇に置いて、英語用の発声フォーマットで話さなくてはならないのです。先に示した前者の人々はだいたい、声が小さいぼそぼそとしたしゃべり方をします(もちろん発音は滅茶苦茶チョッピーです)。これは、はっきりいって意識の問題だと思います。発音やアクセントの前に態度(attitude)の問題だと思います。
これは上とだいぶ関連があるのですが、英語を真剣に話そうとすると多かれ少なかれ「欧米人っぽさ」や、悪く言えば「ネイティブかぶれ」が現れてしまいます。だが、これらに対して嘲笑したり、からかったりしてはいけないと思うのです。日本人の間で「かぶれ」に見えてしまうことも、英語話者同士では普通の事なのです。だから、間違っても日本人によるつまらない価値観から、その人の外国語に向かおうとする態度を軽蔑してはならないと思います。お互いにとってマイナスにしかなりません。
英語がわからないから話が理解できない、と思ったことがある方。それは本当に英語が問題でしょうか?例えば、去年流行った「ハーバード白熱教室」。この番組はiTunesやYouTubeで無料で見ることができます。僕も、視聴していて三周目も終わろうとしている頃ですが、まだよく理解できているとは思えないです。『これからの「正義」の話をしよう』も、その原著である”Justice-what’s the right thing to do-”も持っていて一通り読みましたが、未だ理解できたという確信がありません。なるほど、「テメエがアホなんだよm9(^Д^)プギャ―」という意見もあるでしょう。しかし、サンデルの授業内容がそれなりに高度なことも事実ではないでしょうか。日本語で聞いたとしてもそれなりに高度なことには変わりません。それをさらに外国語でとなると余計に理解が難しくなってしまいます。自分の英語読解/聴解能力を疑う前に、言語に拘わらずそれを理解できる知的基盤が備わっているか。それをただ「英語が分からない」と悲観する前に、確認する必要があると思います。
某経済評論家などを「達人」と見做している英語学習者は、いつまでたっても英語ができるようにならないと思います、失礼ながら(インタビューもそんなにあてにしちゃいけない)。そもそも、本当に英語できる人間は、日常のほぼ全てのタスクを英語でこなしているような人たちではないでしょうか。論文であれ、企画書であれ、会議であれ、学術発表会であれ。そういう本当の「達人」らは、われわれ一般人に指南するような立場を超越していらっしゃいます。さらに、そういう人たちはあまり表に出ない人たちです。なぜなら、一流のビジネスパーソンは週刊誌の英語特集に顔だすくらい給料安くないし、言語学など学問分野の一流たちもそんなところに出て自分の株をさげるようなことをしないでしょうから。
では誰をロールモデルにするのか。はっきりいってツールである英語にロールモデルが必要であるとは思わないのですが。強いて言うなら、『英語達人列伝』の中から探すといいと思います。これを読めば、「日本人は英語ができない」といった言説が神話であると思え、すこし勇気が湧いてくると思います。
英語学習において、発音を磨くことは何かと批判の対象になります。恐らく、それは英語学習における贅沢品と受け取られるからでしょう。目玉焼きも焼けない人間が高級イタリア料理「カルパッチョソースのデミグラス和え 地中海の新鮮な貝の奏でるムースとともに」(※こんな料理はありません)を作ろうとするように捉えられてしまうのかもしれません。
しかし、僕は発音も大切だと思います。磨けるなら磨いた方がいい。じゃあ、どのくらいまで磨くか。もちろんネイティブレベルとは言いません(発音向上批判がネイティブ信仰批判と結びつけられることも多い)。が、強いて言うなら「自分の発音に自分で酔えるくらいまで」としておきます。英語を話している時の自分がいつもと少し雰囲気違うな、とか仕事できそうだな、くらいに思えるくらいです。語学学習は基本的に孤独な作業であると思います。周囲に誰も人がいない部屋で黙々と音読…そんな状況で心を支えるものが、わずかながらのナルシシズムだと思うのです。ここで注意しておきたいのは、自分の発言を瞬時に考えて話す「スピーキング」と音読教材を見ながら話す「スプリクト読み」の際の発音能力は個人の中でも違いがあるということです(ここでは詳述しません)。
昔NHKで「英語会話」の講師をしていた東後勝明氏はこう言っています。
「発音が大切だ」と言えば、すぐに、「本国人のような発音の必要はない。日本人なのだから日本人の発音で十分」と反論が返ってくる。「単語を覚えたほうがいい」と言えば、「単語だけを覚えても何もならない。その使い方を覚えなければ駄目」と言われてしまう。うっかり「会話ができなければ」などと言おうものならたちどころに「ただペラペラしゃべれるようになるだけではかえって人間が軽薄に見えて困る」と一蹴され、「それより、内容のあるものが読めることだ」とか「話す内容が大切」ということで会話の重要性は影をひそめてしまう。
「文法をしっかりやりなさい」と言えば、「文法に頼る英語力には限界がある」とか「文法を教えすぎるから、英語が使えなくなっている」と、これにもまた反論が出る。それでは「実際にありそうな自然な対話をそのまま暗記してみれば」と言えば、「会話はそんなに準備されたせりふ通りにはいかない。そんなものをいくら暗記しても役には立たない」と誰かが言う。… ( 東後勝明 「聞き、覚え、使う」 現代新書編集部 『外国語をどう学んだか』 講談社 1992)
要するに、唯一絶対の方法なんてありませんよ、ということであり、たとえ少し間違った勉強法をしてしまっても、それほど差はないですよ、ということ。やりかたで戸惑って学習不安なんて愚かだと思いませんか。ネットで情報収集だけに一生懸命になっている方、とりあえずブクマして満足している方。
世界に飛び出ていく為のツールである英語を、日本の企業や学校の基準に合わせてどうするのでしょうか。会社や学校の要求に応えることが重要であることは言うまでもないですが、これから英語を勉強して身に着けるということは必要不可欠であるということ。すなわち、グローバル化によってかつては「あった方が有利」だった英語から「ないとダメ」というように変化してしまったのです。だから、これから英語学習する人――特にビジネス面の方々――は、外国、とくに韓国、中国にライバル意識を持って外国語を学ばなければならないのではないでしょうか。
英語に関することで今問題だな、(というか、もったいないな)と思うのが巷の「英語学習」と、学問としての「英語教育」との乖離です。この春休みに入ったころに、集中して現在刊行中の「英語教育学大系」シリーズ(大修館)を読んだのだが、個人的に得るところが結構あった。そういった学問分野での研究成果をうまく巷の「英語学習」に反映させればいいと思うのだけれど、実際「英語学習」者たちの間でウケてしまうのはTOEIC900点をとった人たちのアドバイス記事。もったいない。
これ500B!超えたらblog再開させようかな…なんてw
訂正
帰国子女の方々は生まれつき後者の姿勢が備わっているきがします→帰国子女の方々は幼いころの海外経験の中でこれを自然に身に着けているように思われます
私は両親が離婚している。
小さい頃は、それはやや特殊ではあるけれど、不幸な事では別にないと思っていた。
あるいは、思おうとしていた。
いずれにせよ日々の暮らしの中で、親の離婚を嫌だと思う事はほとんどなかった。
高校生くらいになって親を色々鬱陶しく感じるようになると、少し事情が変わった。
私は、離婚について親を内心で責めるようになった。
自分の精神的な欠点のいくつかは、離婚のせいで出来たのだと思い込んだ。
ヘタレなので表立ってはそんな事は言えず、胸の内に恨みつらみを溜め込んでいた。
そして、その恨みがましい気持はいつの間にか私の一部になってしまった。
大学卒業後、しばらく一人暮らしをした後で、何人かの家族と同居した。
だが同居を始めると、その相手にこの理不尽な恨みをぶつけてしまう。
その前までは特に恨めしいと思わなかった相手なのに。
今は父と同居中だが、先日もまた無意味に父の言動を上げつらい、不快にさせてしまった。
実際の所、自分の欠点が親の離婚のせいかどうかなんて分からない。
ただ何でも適当なターゲットのせいにして、思考停止しているだけなんじゃないかと思う。
仮に離婚が私に何らかの影響を与えていたとしても、両親を責めるのは酷だ。
彼らも私をいじめるために別れたのじゃなく、それなりに事情があったのだから。
冷静に考えればそれは頭では理解できるが、自分の一部となったこの恨みは消えない。
こんな理不尽な恨みをぶつけられる同居相手には申し訳ないと思う。
結婚相手はその気になれば私と離婚できるのでまだいいだろうが、子供は本当に駄目だ。
子供にこの理不尽な感情をぶつけてしまったら、と思うと恐ろしい。
「親が離婚してる人とは結婚しない方が良い」なんて言う人間を昔は軽蔑していた。
けれど、今の自分を見ると、それは当たっているのかもしれないと思う。
他の両親離婚組には本当に申し訳ない。
私が歪んでいるのは私の問題であって、離婚とは関係ないと言い切りたい。
でもそれができない。
世間体の為にイケてる風を装うのってすげぇくだらねぇなぁ~と思う。
そう思っていて、そういう人たちを軽蔑してるんだけど、でもどこかでイケてる人たちを羨ましく思う。
ダーツバーとか、英会話教室とか、スノーボードとか、好きな映画は「時計じかけのオレンジ」とか、BURBERRYとか、フットサルとか、ナンパとか、昔はやんちゃしましたとか、大前研一とか、ドラッカーとか、MBAとか、青山のカフェとか。
イケてる風なものとは全く無縁の生活をしているから、本当は羨ましいんだと思う。でもこれってイケてる風を装ってやっていることだとしたらとても痛々しい感じだよね。地獄のミサワだよね。いわゆるリア充というのは、こういうのを好きでやっているのかイケてると思うからやるのかどちらなんだろうか。