はてなキーワード: 蓋然性とは
Love Piece Club - どぶろっくと痴漢の関係 / 田房永子
どぶろっくの歌も、痴漢の心性も、どちらもあり得ない妄想だという点では一致している。
でも、だからといって
というのは、いくらなんでも論理の飛躍が過ぎるのではないだろうか。「どぶろっく=男の妄想=痴漢=ダメ」くらいな短絡さに見える。
どぶろっくの歌は、どれも女性の行動に対する「解釈」のレベルに留まっている。もしかしてだけど、実際の性犯罪者がその歌のような解釈を経ているかもしれない、という話はわかる。でも、解釈はあくまで解釈である。エロい解釈をするやつが全員性犯罪を犯すわけではない以上、解釈自体は無実なはずである。確かにそこには「犯罪者の9割が犯行前に水を飲んでいる」という以上の蓋然性があるとしても。
女子中学生が痴漢に遭って「マジ痴漢ってなんなの?! ムカつく!」と言いながら、どぶろっくを見て笑っている、という状況は異常だと思う。
と言うが、その事実こそが痴漢とどぶろっくの違いを証明している、とも言えるのではないだろうか。
「男が女をイヤらしい目で見ている」ということに対して、けしからん、と言いたい気持ちはわかる。
でも、「男が女をイヤらしい目で見ている」ことを笑いとして受け入れることが、そのまま「社会が性犯罪を受け入れている」ということにはならないのではないか。少なくとも自分にはその理路がすんなり飲み込めなかった。どなたかわかりやすく教えてくださる方はいないでしょうか。
どぶろっくの歌は「女性が性的に主体的である、と解釈する男の歌」である。その歌に対してノーを言うことは、「女性が性的に主体的であること」に対してノーと言うことにもなりかねないんじゃないか…というのはかなり強引な理屈だが、どぶろっくの歌を「性犯罪の助長」と解釈するのも、同じくらい強引なんじゃないか、と思わないでもない。
あとあんま関係ないが、痴漢が痴漢をするのは「妄想によって自分の都合のいいように現実を解釈しているから」であって、「膜」とかいうわかりづらい例えを使う必要は無いんじゃないだろうか。
あとあと、
親や教師に「どうしてそういうことをされなければいけないのか」「なぜ痴漢は痴漢をするのか」と尋ねても、まるで「言ってはいけないこと」があるような困った顔をして、大人たちはモゴモゴとし、「いるんだから仕方ない」としか言わなかった。
のは、「男は女にエロいことをしたいからであり、中にはその気持ちを抑えられない人もいるからだ」という身も蓋もないことを言うのが憚られたからなんじゃないだろうか。
こいつ俺が告白したら付き合ってくれんじゃね?というような感覚ないし錯覚をいだくことはある。が、つきあいましょうというには到らない。
たんに勇気が無いだけでしょ?と言われればそれまで。が、こっちにも言い分はあるのじゃ。
そもそも告白という行動は周囲の人間関係に強烈なショックを引き起こす爆発物なので扱いには万全の注意が必要である。
まず、相手の女子が自分を好きであるかどうか、今までの全会話履歴を多角的に分析、さらに他の男子との会話とも比較考量し、彼女が私を好きである蓋然性をはからねばならない。
さらに、自分はその女子をほんとうに好きなのか、三日で慣れることはあっても飽きたりしないだろうか、下半身の自由意思に従った結果いちばん近くにいる異性に反応しただけなのではないか、という点について考える。
考えてみると、ほんとうに好きならそもそもこんな問いを自分に投げかけたりしないのではないか、という気がしてくる。
「恋は盲目」ってのはさすがに物語のなかだけだとしても、もうちょっと、視力が落ちるくらいのことはあってもいいんじゃないか。
それでもって、俺はこういうことを考えている自分がけっこう好きなのである。
相手が複数であればその楽しみもひとしお。どの人が自分のこと好きなんだろうか、自分はどの人のこと好きなんだろうか、とやってると無性にワクワクしてくる。
つきあうということはある意味で盲目になるということであって、そうなったらこういう綱の上でふわふわするような高揚感はなくなってしまうのではないかと思う。
そういうわけだから、どっかに「あんた、私とつきあいなさい!」と言って俺の手を引いてくれる強気お姫様がいたらいいと思う。そのときはよろこんで略奪されよう。
そりゃね、この国の検察もひどいと思うよ。冤罪だの証拠のねつ造だの。
表になっているのは氷山の一角だという意見にも激しく同意する。
でも、だからといって片山氏を盲目的に擁護し、無理やり検察批判に繋げていいわけがない。
何でもかんでも陰謀陰謀って決めつけるその行為。まさに容疑者を犯人だと決めつける検察と一緒。同類ですよ。
ということで、ちょっと冷静に考えれば解消するであろう疑問点について、一つ一つ解消していこう。
自宅においてたら、送信してすぐ家宅捜索されると思ったからじゃないかな?
あるいは、自宅の電波等を傍受監視されていることを想定したのかもしれない。
尾行してたんだから取れるだろ?おかしいだろ?って言うけれども、埋めた場所をもう一度よく考えてみよう。
河川敷だよ?河川敷ってどういうところかわかるよね?見通しの良い場所です。
そんなところでぴったり後ろについて尾行ができるわけがない。すぐに気付かれるわ。100メートルでも200メートルでも離れた場所からしか、尾行出来ないの。
もちろん、大きな望遠レンズがついたカメラ何か持って来れないわけ。目立つわー、それ。僕が片山氏ならむっちゃ疑うね。振り返ったらいつもでっかいカメラ持っている人が(人は変わるだろうけど)こっそりついてきてたら。
そりゃコンデジくらいは持ってただろうけど。離れたところで撮っても鮮明に取れるわけがない。
一体何の罪で逮捕するの?スマホの不法投棄罪?現行犯で捕まえられるの?仮に捕まえられたとしても、別件逮捕だ!ってまた批判の的になるんじゃないの?
また③で述べたように遠くから尾行していた可能性があるので何をしているか良く分からなかったんじゃないかな?
片山氏を泳がせたかもしれないし、掘り返したところを捕まえるつもりだったかもしれないし、もしかしたらメール送信後、片山氏の行動を振り返って再調査して見つけたのかもしれない。
いろんな理由が考えられるけど、どれも不自然な理由には思えないな。
PC遠隔操作事件の時にも明らかになっていたけれども、Torは受信元からは送信元は分からないけど、送信元が判明したら、送信元からTorの接続履歴というのは分かる。
だから片山氏に嫌疑がかかってから、片山氏が利用していたネカフェから
行方不明って警察が発表しているわけではなく、弁護士、マスコミが連絡取れなくなっているだけ。
家で突っ伏して泣いているかもしれないし、外出してても尾行されているとは思う。
とりあえず、警察が行方不明だと発表してから、そのリアクションをしよう。
偶然、犯人と同じ江ノ島の同じ野良猫グレイ(ゆたかくん)に接触
偶然、iesys.exeのプロパティにあったHewlett-Packard Companyと同じ機種のPCをゆうちゃんが使ってた
偶然、開発環境も同じVisual C# Express2010だった
偶然、最後のウィルス2012年9月10日14時16分34秒を作成した直後の2012年9月18日に開発環境を削除していた
偶然、iesys開発フォルダ C:\Users\TKY-DEV-PC07_2 と同じアカウントTKY-DEV-PC07_2をゆうちゃんが使っていた
なおかつ、裁判では職場PCのHDDから「イベントログ」「ファイルスラック領域」「レジストリ」「USN Change Journal」などウイルス作成の多種類の痕跡が、整合性を保ったまま見つかっているし、専門家からそれら痕跡を第三者が遠隔操作で、意図的に残すことは難しいと鑑定されている。
そんな状況で、裁判では弁護士は検察に対して敵意むき出しで、裁判中に怒号や罵倒などを繰り返し、裁判官にかみついたりしてる。でも検察が出された証拠に対してはすべて認める手法?を取っていて、論理的な反論もできていない。
全然無罪遠いですわー。はっきり言って。犯人である蓋然性が高いと言わざるを得ない。裁判官からの心証もむっちゃ悪いと思いますわ。
メールの本文で無罪濃厚って書かれたのは、まさに片山氏が焦ってメールを送ったと思われないようにするために決まっているし、
スマホ、職場PC、自宅PC、ネカフェPC、すべてを遠隔操作・監視して、なおかつその痕跡を残さないなんていう超絶スーパーハカーの存在を信じているの?しかも、感染していたUSBメモリを物理的に消去することができるジェームスボンド的才能ももっている人物。あっ、ごめん、偶然か、偶然捨てちゃったんだよね。
とりあえず、そういうのはそのUSBメモリなり、遠隔操作されていた証拠なりを見つけてから主張しようか。OK?
一番ひどい妄想がこれ。皮肉で言ってる人も多いけど、ガチで信じてそうな人も多くてびびる。
何?警察は暗殺部隊でも養成しているの。上司の命令があれば、人を殺すこともいとわない人物が、公務員やってるの?すげーうける。
それに、片山氏を殺しても全然口封じにならないよね。だって真犯人が別にいるんでしょ?また真犯人からのメールが届いたらどうするの?幹部たちがぐぬぬっ、そう来るとは思わなかった……、てなるの?(笑)
以上、こんな感じで皆様の疑問はほぼ解決したのではないかと思うのですが、いかがでしょうか?
とりあえず反論があればブコメでどうぞ。
http://anond.hatelabo.jp/20140319082652
学部のレポートや学生実験レベルであれば、東大にもコピペ文化はあった。「コピペされることを前提に手書きでレポートを提出させる」なんていう話があったが、東大でもこれを言っている教員はいた。
もちろん、文字通りコピペというのは単位がもらえないという意識があったし、実際そうした処分を受けた人学生もいた。だから、文章表現を変えて、文の順番を入れ替えるくらいはしたけれど、それすら全員がしていたかは疑問。というのも、そもそも東大には「単位なんて適当で良いよね。きちんと研究してなんぼでしょ」という雰囲気があり、学生も教員もレポートとかあまり重視していなかったところがあったから。全員とは言わないが少なくとも1/3くらいの教員はそうみなされていた。小保方さん並のコピペをして見逃されていた学生もそれなりにいたのではないかと予想している。
ただ、外部に出すような論文や、学位論文レベルになると、話は別で、そこで他人の論文を丸々コピペというのは感覚としてありえない。なので、早稲田大学の学生実験や学部レポートで「コピペが当たり前だったよね」的な話があったからと言って、それをただちに研究のレベルと結びつけるのはちょっと違うのではないかと思う。前者は多少の温度差は別にして、どの大学でもあると思うし、後者は理解不能。
早稲田大学の特定の研究室で、学位論文での剽窃が蔓延していたのなら、
1. それらの研究室に限ったことと考える
2. 早稲田大学に固有の問題だと考える
3 どの大学にもあるのだと考える
3つの可能性があるわけで、1や3の可能性をすっ飛ばして2だけを考えるのはおかしいだろう。
いずれにせよ、大部分の研究者からは理解不能な行為なので、実際にどうかは分からないけれど、今ある情報から、3ではなく2の方がありそうだと考える根拠はなく、そのように思えるのは確証バイアスの一種だと考える方が今のところ蓋然性が高そうに思える。
なんじゃそらw
元の増田では、富の偏在によって、多数が不幸になる状況が問題で、日本の将来を憂いているけど、
それと関係ない議論をしてるってこと?
消費税をいくら増やしても最終的に市場に戻るから問題ないっていっても、一部の人の間でグルグルお金がまわるだけじゃダメじゃん。
不公平で、多数が不幸になって、終わりない労働と、子供も持てないほどの余裕のない社会は改善しないじゃん。
この状況を打開するには、多勢が消費活動を増やさないといけない。特に元気な世代が活発になるようにしなければいけない。
「やりたくない仕事に全ての時間を投入して活動しなければ、生活費が稼げない。子育てなんて無理」
みたいな事になるのはデフレによって大多数の活動が低下してるのが原因でしょ。
デフレだと多勢が「できるだけ貯金した方が得」と感じて、極限まで節約してしまう。
そうすると大資本家が極限まで効率化したシステムで作る商品しか売れない。
その効率化の中には、弱い立場の発注先企業の労働者の賃金を下げることも含まれる。
大資本家のみかろうじて利益を出せるから、そいつらは余った金と時間を使って政治を動かし、自分たちに有利な社会を作る。
弱いものはいつまでたっても弱いまま。階層が固定化する閉塞的な社会。
みたいになるじゃん。
消費税を毎年1%ずつ上げていく事は、システム上難しいんだから、インフレ2%を目指して、金融緩和する方が良いでしょ。
そうすれば無駄に貯金するより使った方が得と感じる人が増えて、誰でも作れそうなアホみたいなものにもお金を出す蓋然性が増えるじゃん。
(今は専門知識と効率的なシステムで作ったものしか売れないから、売れるものを作る為の敷居が高く、それも問題になってる)
自分の投稿がホットエントリに入って怖くなって書き換えたのだと推測するが、まさか魚拓に取られているとは思うまいw
修正前の魚拓 http://megalodon.jp/2013-0912-1736-37/anond.hatelabo.jp/20130912141553
それにひきかえ俺は持病持ちのメタボ禿中年で毛深くて汗臭い。最悪だ。
もっと最悪なことに、仕事やめてから簡単に彼女作れるコツを発見したことで、うかれてこれを悪用し、
色んな女をとっかえひっかえ遊んでる中、彼女を見つけて、汚い手段でモノにしたことだ。
修正後
こんな風に修正するって事は、たぶんこいつの彼女は過去こいつが女遊びをしていたり自分を汚い方法で陥れた事を知らない可能性が高い。
それと、こいつの彼女は菅野美穂を幼くした感じで、後ろ姿は中学生ぐらいに見えるとのことだ。
悪い男にひっかかったり引き蘢りだったという事から、たぶんメンヘラ。
引き蘢りで、拒食気味だったので、小柄で色白で見た目は20台前半に見える。後ろ姿なんて中学生ぐらいに見える。
悪い男にひっかかった事があったせいか、ほんの些細な事でもすごく感謝してくれるし、面白くもない俺の話でいつもコロコロ笑ってくれるんだ。
つまり汚い手段で手に入れたくなる程、こういう女が大好きという事は、ロリコンなんだろう。
高齢童貞で、以前は全く女にモテなかったようだから、ロリコンになる蓋然性は高い。
と書いてたので、調子に乗って女と出会う方法を披露するのを待っていたのだが、今の所具体的な方法に言及はない。
「教えて下さい!」とか書けば良かったw
なので推測になってしまうが、おそらく可愛いがゆえにメンヘラになってしまった若い少女を見つけ、仲良くなる方法を編み出したものだと思われる。
そういう方法はなんとなく推測できる。ってかそうやってメンヘラ女を喰い散らかしてるやつを知ってる。
そういう女は若ければ若いほど、コントロールしやすいし、こいつの性癖から推測できるが、遊んでた女の中には高確率で未成年が含まれているだろう。
こういう鬼畜変態ロリコン野郎が可愛い女とセックスしているのは許せないので、俺の投稿がホッテントリに入って彼女にバレる事を祈る。
なにやら数日前から「The StartUp」というブログを書いてジャーナリストを名乗ったり、ベンチャー企業のコンサルタントなどをなさっている梅木雄平(@umekida)氏が世間を賑わせている。世間っていうか、主にインターネッツ界隈で。主にっていうか、インターネッツ界隈だけだけど。詳細や経緯は以下。なにやらまた動きがあるようだけど、本稿とは関係ないと思われる。
http://matome.naver.jp/odai/2137758747868416401
問題になった記事は「ランサーズって会社に圧力かけられたよ!(吉田社長、みてみて!)」とインターネットに告げ口をしているようなものだから、Twitterなどでまったく利害の絡まない第三者に散々叩かれるのも、基本的にはやむをえないかと思うが、一歩引いてみると、なんだか彼が気の毒で仕方ないような気がしてくる。
以下の記事は氏が27歳の頃(2011年)に書かれたものだが、おそろしく幼稚だなという印象を受ける一方で、自分が会社員であるということからくる苦衷のようなものが感じられて切なくなったりする。
Essay #1 サステイナビリティへの近道は自分らしさを追求すること
http://plumtrees.blogspot.jp/2011/09/essay-1.html
僕は3年以上のスパンで長期的に物事に取り組むのが苦手で
そして簡単に代わりが効かないことをすることを好む。
サラリーマン・アーティスト。大切なことなのでもう一度ゆう。サラリーマン・アーティスト(白目)。
そう、安藤ミッフィー氏登場前夜とはいえ、やれ起業だイットだ独立だIPOだフリーランスだノマドだキュレーションだサバイバリキットだという時代である。氏は周囲の優秀な人間が独立して(主に合コンで)成功する姿に大いに刺激を受けたのだろう。でもさぁ、起業して氏のいう持続可能なモデルを構築することができる事業なんて一握りじゃんかー。その辺のことは氏の目には入ってこなかったのだろうか。入ってこなかったんだろーなー。つれーわー。
また、この辺なんか読むと、氏は非常に自己肯定的でもある。
Essay #3 地方出身者の方がライフスタイルセンスが良いという仮説
http://plumtrees.blogspot.jp/2011/12/essay-3.html
現実を直視する力と自己を冷徹に見つめる能力がやや欠けていると考える蓋然性が高い(地方出身者の方がセンスがいいという彼の意見に反対したいわけではなく、別にそんなことわざわざこうして残る形で表明する意味がない)、そういう氏が、組織から独立して個の力((c)本田△)で生計を立てようとなさっておられて、その勇気は評価されてしかるべきだが、端的にいって不向きだったのではないすかねえ。不向きなことをした人が、不向きなことをしたせいでどっかん、炎上ということだと思うわけでして。色んなこという人がいますけど、勤め人だからってクリエイティブじゃなくてゲスで貧乏でブサメンでks人生とは限らないと思うんですが、どうなんでしょう。この話題はイケダハヤト大明神をめぐる議論の例を出すまでもなく、答えの出ない議論になりますけど。まま、そんなわけで、氏は昨今のノマド幻想、起業幻想の犠牲者ってな面もあると思ってさ。
氏については、以下のような記事のときにもボヤがあって、嗚呼この御仁はいつか華々しく打ち上げ花火を上げてくれるだろうと思っていた。筆者の好きなところだけ引用しておきます。
一定の読者はThe Startupに中立性を期待したのかもしれない。
情報を正しく伝える。それは他の誰かに任せておけばいい。
プライベート・メディアとして開始したThe Startupですが、影響力が上がりすぎて市場はパブリック・メディアとしての運用を求め始めたといえるのかもしれない。The Startupがパブリック・メディアだって?冗談じゃない。
面白記事はほかにもいくらでもあって、ゲスい人なんかは氏のINTERVIEWSなんかも掘ってみるといいと思います(ニッコリ)。件の記事の「言論統制」や、ここでの「編集権の独立」も、氏が力んで使う言葉はことごとく使い方が間違っていて、心の奥の方にある柔らかいところがほっこり温かくなります。神様、今日も恵みをありがとう。
なにやら数日前から「The StarUp」というブログを書いてジャーナリストを名乗ったり、ベンチャー企業のコンサルタントなどをなさっている梅木雄平氏が世間を賑わせている。世間っていうか、主にインターネッツ界隈で。主にっていうか、インターネッツ界隈だけだけど。詳細や経緯は以下。
http://matome.naver.jp/odai/2137758747868416401
基本的に、問題になった記事は「ランサーズって会社に圧力かけられたよ!」とインターネットに告げ口をしているようなものだから、Twitterなどでまったく利害の絡まない第三者に散々叩かれるのもやむをえないかとも思うが、なんだか一歩引いてみると、彼が気の毒で仕方ないような気がしてくるのである。
以下の記事は氏が27歳の頃に書かれたものだが、ひどく幼稚だなという印象も受ける一方で、会社員であるということからくる苦衷のようなものが感じられて切ない。
Essay #1 サステイナビリティへの近道は自分らしさを追求すること
http://plumtrees.blogspot.jp/2011/09/essay-1.html
僕は3年以上のスパンで長期的に物事に取り組むのが苦手で
そして簡単に代わりが効かないことをすることを好む。
そう、時代は安藤ミッフィー氏登場前夜とはいえ、やれ起業だイットだ独立だIPOだフリーランスだノマドだキュレーションだという時代である。氏は周囲の優秀な人間が独立して成功する姿に大いに刺激を受けたのだろう。でもさぁ、起業して、氏のいう持続可能なモデルを構築することができる事業なんて一握りじゃんか。その辺のことは氏の目には入ってこなかったのだろうか。入ってこなかったんだろうな。
また、この辺なんか読むと、氏は非常に自己肯定的でもある。
Essay #3 地方出身者の方がライフスタイルセンスが良いという仮説
http://plumtrees.blogspot.jp/2011/12/essay-3.html
現実を直視する力と自己を冷徹に見つめる能力(地方出身者の方がセンスがないという意味ではない)がやや欠けていると考える蓋然性が高い、そういう氏が、組織から独立して個の力((c)本田△)で生計を立てようとなさっておられて、その勇気は評価されてしかるべきだが、端的にいって不向きだったのではないすかねえ。いろんなこという人がいますけど、勤め人だからってクリエイティブじゃなくてゲスで貧乏とは限らないと思うんですがね。この話題は神学論争みたくなっちゃいますけど。まま、そんなわけで、氏は昨今のノマド幻想、起業幻想の犠牲者のような面もあると思うんですよ。
氏については、以下のような記事のときにもボヤがあって、嗚呼この御仁はいつか盛大な花火を打ち上げるだろうと思った。筆者の好きなところだけ引用しておきます。
http://thestartup.jp/?p=6943
一定の読者はThe Startupに中立性を期待したのかもしれない。
情報を正しく伝える。それは他の誰かに任せておけばいい。
件の記事の「言論統制」もここでの「編集権の独立」も、氏が力んで使う言葉はことごとく使い方が間違っていて、ほんとうに心が温まります。
なにやら数日前から「The StarUp」というブログを書いてジャーナリストを名乗ったり、ベンチャー企業のコンサルタントなどをなさっている梅木雄平氏が世間を賑わせている。世間っていうか、主にインターネッツ界隈で。主にっていうか、インターネッツ界隈だけだけど。詳細や経緯は以下。
http://matome.naver.jp/odai/2137758747868416401
基本的に、問題になった記事は「ランサーズって会社に圧力かけられたよ!」とインターネットに告げ口をしているようなものだから、Twitterなどでまったく利害の絡まない第三者に散々叩かれるのもやむをえないかとも思うが、なんだか一歩引いてみると、彼が気の毒で仕方ないような気がしてくるのである。
以下の記事は氏が27歳の頃に書かれたものだが、ひどく幼稚だなという印象も受ける一方で、会社員であるということからくる苦衷のようなものが感じられて切ない。
Essay #1 サステイナビリティへの近道は自分らしさを追求すること
http://plumtrees.blogspot.jp/2011/09/essay-1.html
僕は3年以上のスパンで長期的に物事に取り組むのが苦手で
そして簡単に代わりが効かないことをすることを好む。
そう、時代は安藤ミッフィー氏登場前夜とはいえ、やれ起業だイットだ独立だIPOだフリーランスだノマドだキュレーションだという時代である。氏は周囲の優秀な人間が独立して成功する姿に大いに刺激を受けたのだろう。でもさぁ、起業して、氏のいう持続可能なモデルを構築することができる事業なんて一握りじゃんか。その辺のことは氏の目には入ってこなかったのだろうか。入ってこなかったんだろうな。
また、この辺なんか読むと、氏は非常に自己肯定的でもある。
Essay #3 地方出身者の方がライフスタイルセンスが良いという仮説
http://plumtrees.blogspot.jp/2011/12/essay-3.html
現実を直視する力と自己を冷徹に見つめる能力(地方出身者の方がセンスがないという意味ではない)がやや欠けていると考える蓋然性が高い、そういう氏が、組織から独立して個の力((c)本田△)で生計を立てようとなさっておられて、その勇気は評価されてしかるべきだが、端的にいって不向きだったのではないすかねえ。いろんなこという人がいますけど、勤め人だからってクリエイティブじゃなくてゲスで貧乏とは限らないと思うんですがね。この話題は神学論争みたくなっちゃいますけど。まま、そんなわけで、氏は昨今のノマド幻想、起業幻想の犠牲者のような面もあると思うんですよ。
氏については、以下のような記事のときにもボヤがあって、嗚呼この御仁はいつか盛大な花火を打ち上げるだろうと思った。筆者の好きなところだけ引用しておきます。
http://thestartup.jp/?p=6943
一定の読者はThe Startupに中立性を期待したのかもしれない。
情報を正しく伝える。それは他の誰かに任せておけばいい。
件の記事の「言論統制」もここでの「編集権の独立」も、氏が力んで使う言葉はことごとく使い方が間違っていて、ほんとうに心が温まります。
という思想がある。
宇宙の物質が有限なら、宇宙の物質は超長期では、同じ物質の位置を同じ物質が占める。 ということが起こるだろう。
そうすると、私たちが、今死んだとして、また超長い年月を経たあと、私たちはまたこの物質構成をやりなおす。 つまり、宇宙は延々繰り返されているのだ。
という思想です。
これ、ニーチェはどのくらいガチで言っていたでしょうか? ガチで言っていました。
ニーチェは物理にまったく造詣が無く、完全に勘違いしていた。 というのは現在示されています。
ニーチェはこの思想に震えたのですが、これを受け入れる方がいいなと感じました。
宇宙が循環するように、また人間の理性も循環すると捕えました。
「生きるために働く」→「働くことでお金を得る」→「お金を得ることで生きられる」→「生きるために働く」→。。。。
というように、ループせざるを得ないわけです。
もちろん、これにもループ脱出の答えがちゃんとあって、それが、「神」です。 神を原点に置けば、人間の理性を循環なしに理由つけられます。
花が美しいのは、神がそうしているから。 人間が働くのは神がそうしているから。
ととらえる発想です。
これを否定したいとニーチェは思いました。
なぜ神を否定できるのか、「宇宙は循環しているから」とニーチェは考えました。
ガチで信じていました。
ただ、本の中では、「う~ん、、、でも本当かなあ」とも書いています。
書いていますが、上記のようにニーチェの思想は完全にこのことをもとにしないと、「神は死んだ」とならないわけです。
ならないのですし、彼自身物理に詳しくなかったので、あいまいなまま、ガチで狂信していました。
というのは、ジル・ドゥルーズの論争からはっきりしているのですが。
このあたりのあいまいさと狂信を理解できない人が多くてびっくりする。
不可能だと思います。
特に哲学においては、著者が創造的なほど、学問的に整備がなされるまでは理解できません。
何らかの数学的証明がなされたとして。その近縁の諸事象が証明されて学問的にはっきりとした一分野として成立するまでは、意味が確定できないからです。
その人の言っていることの、だいたいは正しいとわかりますが、細部や例外など、様々な整備がなされないうちは、学問の1つとはとらえられません。
そして、ニーチェの永劫回帰は、物理的な意味は否定されますが、思想は正当だと現在とらえられています。
ニーチェ自身の主著の中での、永劫回帰の蓋然性の取り扱い自体は、ニーチェが書いていたとしても、近縁の研究が否定しています。
これが理解できずに、「ニーチェの主著を読んだから俺はニーチェをわかる」というのはおかしく、「ニーチェの研究まで含めて理解している」という状態で、はじめてニーチェを語れるわけです。
<追記>
自分も間違っていることもあるかもしれません。
遠慮なくたたいてもらっていいです。
ぶこめにコメントいただき、ぶこめで返せる分量でないので、増田借ります。もとのブコメは次の通りで、
id:BUNTEN氏の通りリフレ政策は期待が肝だが、サージェントの通りハイパーインフレも期待が肝。財政マネタイズを否定しない者も多いリフレ派がハイパーインフレは絶対起こらないとはダブスタの極みで嗤うしかない。
いただいたコメントは次の通り。
id:torrysGalley ハイパーインフレを心配しといてインフレ目標の導入に反対するのはまさにダブスタhttp://www31.atwiki.jp/anti_deflation/pages/1.html#Q23
お答えは次の通りです。
ロシアに直径17mの巨大隕石(小惑星に近い)が落下し、多数の負傷者が出た。
落下場所・落下角度や隕石組成如何では、地球規模の大惨事になっていた危険性もあり、
負傷者で済んだのは「不幸中の幸い」だろう。
さて、今の科学技術では、この大きさの隕石の落下を予報するのは困難を極めるが、
仮にこのレベルの隕石の落下の予報が可能で、しかし回避方法がない、というシチュエーションを想定すると、
仮に、2月14日頃に、
「明日、直径15m程度の隕石が地球に落下する確率が60%見込まれます。
人口密集地に落下する確率は極めて低いですが、落下場所が仮に人口密集地だった場合、
甚大な被害が見込まれます」という「予報」を行なった場合、世界規模のパニックが予想される。
人的被害が発生する「確率」は、(ゼロではないが)「高くはない」にもかかわらず、
隕石落下予報がなされた時点で、「この世の終わり」と解釈して、パニックを起こす人が、
世界70億人の中では一定数(数万人単位で)見込まれるからだ。
それこそ、パニック状況を利用して、半狂信団体が、集団自殺に走ったり、
株式市場、資本主義は、「数十年先、数百年先も、文明や資本主義が永続している」ことを大前提としている。
そのため、数百年先時点の経済価値までも現在割引価値にして、株価というのは織り込むのである。
それが、ある程度の蓋然性でもって「文明が終了する」という確率が呈示されてしまったら、
つまり、「明日、隕石が地球に衝突する危険性があります」と予報した時点で、
それこそ、隕石で死者は出なくても、狂信団体のテロで数百人が死亡した、という笑えない事態だって考えられる。
その意味では、今回、何の前触れもなく、隕石が地球にやってきたのは、「幸せ」だったのでは?と思う。
人類は、隕石被害回避(スペースガード)のツールを持つまでは、隕石落下予報に手を出さない方が「得策」なのかもしれない。
因みに、「数年後に、小惑星衝突によるカタストロフィーが発生する」という、スペースガードなき、
しかしあれも、いい年した団塊のオヤジが、女をとっかえひっかえ的に不倫しまくりーな話ではあるんだよね。
かなりドリーム入った話であって、客観的に考えて、ヲタクの妄想と実現蓋然性に大差が無いというか。
なかなか難しい話だなあ。
それはどうかなぁ。
現実からの距離で言うと、たとえば俺が(もしくは任意の増田が)
「仕事で成功して社会的地位や金を手に入れて、色々なタイプの美女達から愛されて、
っていうのと「ひとり暮らしの俺のアパートに女子小学生が転がり込んできて、その娘をいちゃらぶセックスライフ」だったら可能性(=現実からの距離)はほとんど同じじゃないかなあ。
(いまは神待ち掲示板とかあるし、後者の方がまだ蓋然性は高いか?)
結局「蓋然性が高い」という思い込みで今の金利ギャップは不明だけど、2年前の統計しか用意してないけど、「今の金利は高い」というあなたの主張が始まりなのですが。
前回も少し引っかかったのですが『「今の金利は高い」というあなたの主張』というようなことを一体どこで私はしたのでしょうか?
日本のようにデフレ期待がある時には実質金利が高どまる、ということしか言っていないと思うのですが。
何もたった今だけの金利がどうといった話ではありません。(今が緩和不足ということには賛成ですが、それについては下を見て下さい。)
均衡実質金利は経済状況に応じて変動します。そして現在の日本では低下した時には-2%といった値を取り得るようになった。となると、デフレ期待があったり期待インフレ率が非常に低い場合には、
緩和すべき局面での引き締めが不可避になる。そうすると実質金利は高どまりします。それを回避するには2~3%のインフレ期待を作り出す必要がある、そういう主張です。
いえ、強弁ではなく一般的なことです。あなたの引用した記事でさえ、まさに『適正な金利水準はマイナス2%前後まで上昇していたと分析。実際の金利は依然、適正値より高い』という言葉があった点を思い出して下さい。
これは名目金利、そして実質金利が高どまりしているということそのものです。あるいは『09年の経済環境における金利は、マイナス5%が適正だった』とも。
2012年の米国の均衡実質金利はまだわからないので文句をつけられる余地はありますが(均衡実質金利が-2%まで落ちているとはとても考えにくいですが)2009年ならチェックできます。
緩和ではあるけれども、本来するべき緩和には足りておらず金利が高どまりしているという状況です。
米国の場合は緩和ではあるけれども、本来するべき緩和には足りていないというだけであるので時間がかかればいずれ適正な状態に向かいますが、
日本のようにデフレ期待があったり期待インフレ率が低い場合には緩和すべき局面で引き締めしかできないことになります。こちらは時間をかけても適正な状態に向かう保証すらありません。
期待インフレ率を3%に出来ていれば、均衡実質金利が-2%~1%にまで振幅していてもゼロ金利を続けることによってずっと緩和を維持できますが、
デフレが継続してデフレ期待がある場合には不可能です。本来ずっと緩和をすべき環境であっても、デフレでは引き締めをせざるを得ない局面が出てきて金利は高どまりします。
金融政策は『今だけ』『この四半期だけ』緩和であればそれでいいというものではなく、しかも金利ギャップが負ならそれで十分というものでもありません。
これが上で書いた、日本ではいま仮に金利ギャップが多少の負値であっても、緩和不足であると考える理由です。
(2010年の失業率より現在の失業率が低い事から推定すると、自然利子率が上がっていてもおかしくないと思うが、よくわからんな)
それまでの(暗黙の)インフレ目標が2%であったのに、バブル生成のさなかに4%に設定を変更していればその可能性もあるでしょう。
しかし、もっと以前から4%に設定したままであれば少なくともバブルを促していた可能性はなく、過去のインフレと株価から推測される関係からはバブル抑制的に働いた可能性が指摘されています。
そして今は「まだまだ緩和だよね」という余地を作るためにも高めのインフレ目標を取るに相応しい時期です。過去のインフレと株価から推測される関係が継続するなら、それは将来のバブルを抑制します。
インフレ率が低い→緩和の余地がたくさん
という事では。インタゲを幾つに設定しようが。
それは緩和の糊代に関する間違った考えであると http://www.rieti.go.jp/jp/papers/contribution/yasashii4/04.html に書いてあるのですが、
私には渡辺氏以上に分かりやすく説明する力はありませんので、あのような分かりやすい書き方で理解できないとなると私の領分を超えます。