はてなキーワード: 蓋然性とは
金利ギャップが負(推定)なのに、金利が高止まりと強弁し続けるのは一般的ではないと思いますが続けますか?
結局「蓋然性が高い」という思い込みで今の金利ギャップは不明だけど、2年前の統計しか用意してないけど、「今の金利は高い」というあなたの主張が始まりなのですが。
(2010年の失業率より現在の失業率が低い事から推定すると、自然利子率が上がっていてもおかしくないと思うが、よくわからんな)
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つまり、日本のバブル生成期にインタゲを4%に設定していたら「まだまだ緩和だよね」とバブルを促していたという事です。
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また、インフレが高い方がバブルが破裂した後の景気悪化・デフレ化を抑えるという後始末をするための糊代があり、対処がしやすくなるという考え方が一般的です。
う~ん。それはインフレ率が高い方がデフレを抑えられるだろう。
でも
インフレ率が高い→緩和の余地が少ない
インフレ率が低い→緩和の余地がたくさん
という事では。インタゲを幾つに設定しようが。
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リンク先の
http://www.rieti.go.jp/jp/papers/contribution/yasashii4/04.html
読んでみましたけど、今ひとつ把握できません。
思考実験として、
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自然利子率が1% インフレ率が2% 名目金利が3%とする。金利ギャップは0%。インタゲ2%で何の問題もない。
この状態からインタゲを3%と高めにした場合、名目金利を下げて達成しようとするだろう。名目金利を2%に下げインフレ率3%が達成できました、と。金利ギャップは-2%。
ショックが起こり、自然利子率が-1%に落ち込んだ。インタゲ2%の時は名目金利を3%分下げられる。インタゲ3%の場合は2%ぶんしか下げられない。
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別の言い方をするとインタゲ3%の時は、金利ギャップ-2%と最初から緩和的だったので、ショック後に更なる効果的な緩和措置が取り難い。
今年は2010年ではなく2012年なので、自然利子率が2010年のまま 0%だと仮定しても(↓)
http://f.hatena.ne.jp/perfectspell/20121203201658
均衡実質金利は緩和か緊縮かの閾値であって、十分な緩和をしているか否かの判断のためのものではない、と書いたものを読まれましたか?僅かでも緩和側なら良いというものではないです。
そして、50bpでは緩和には不十分です。日本ではなくなって久しいですが、通常の金利変更によって緩和を目指す時には、一回の緩和局面の底ではもっと大幅な緩和をしています。
金利ギャップのグラフでも概ねそれは読み取れます。ただし平均値は統計上、上にも下にも小さな値になってしまいがちなことはご注意を。
緩和効果をある程度の現実的な期間で得るためには、それくらいの緩和が必要ということです。
なお、確かに今年は2010年ではなく2012年です。そして、均衡実質金利は景気が谷から山へ向かっている時には高まり、山から谷へ向かかっている時には低くなる傾向があります。
そのため、今、そして今後しばらくは2010年の0%と変わらないか若干下がるものと想定しています。正確な推計値はデータが揃う大分先になるまで誰にもわかりません。
過去の均衡実質金利の推移や現在の景気状況から考えて100bpを超える緩和にさえなっていない蓋然性が高い、つまりは緩和不足は続いているという判断ですので、それが思い込みに見えるならおそらく何か別の思い込みをお持ちなのでしょう。
高めのインフレ率を設定することがバブルを醸成しやすくなるという話は聞いたことがありません。普通はむしろ逆で、インフレ期待が低い時にバブルになりやすいと言われています。
また、インフレが高い方がバブルが破裂した後の景気悪化・デフレ化を抑えるという後始末をするための糊代があり、対処がしやすくなるという考え方が一般的です。
http://www.rieti.go.jp/jp/papers/contribution/yasashii4/04.html
http://www.jcer.or.jp/column/fukao/index424.html
金利ギャップがずっと-1~1%の間に収まっているならば、金融政策はずっとほとんど何も機能していないということです。
経済が常に独力で望ましい均衡状態を維持できるという、経済学のモデルの上だけのもののようなあまりに非現実的な世界でもない限り、それが望ましいこととはとても考えられません。問題視すべきことです。
フィリップス曲線を出す理由がなく、実質金利と投資活動の関係を見ればよい。
コストである金利負担が大きければ企業にとって設備投資の純利益は低下する、という流れは十分に説得的であろう。すると金利負担が大きければ企業の投資意欲は低下する。
この考え方をもとにデータで確認すると、実質金利が高まれば投資が圧迫される(≠実質金利が高い時期に投資が少ない)ことが確認されている。
あとは
を前提としているのであるから、デフレが続いてデフレ予想が形成されていれば、名目金利-期待インフレ率からなる実質金利はインフレ期待がある場合より高どまりする可能性がある。
少なくとも、名目金利が負になれないので市場による調整に限界が生じる。
つまり、デフレにより投資がインフレの場合より過小になってしまっている可能性があり、それは日本の投資の推移などを見る限り蓋然性が高い。
これがデフレ=悪として、日銀を含めた世界の中央銀行がデフレにならないようにしたいと述べている理由の一つ。
2 フィリップス曲線
に関する諸条件は使っていないので、それらを前提としても上記の説明は成立する。
この他にも、賃金の下方硬直性+デフレによって、既雇用者の実質賃金が低下せずに新規雇用が抑制され失業が増えやすくなるということや、
その雇用の問題や上記の企業活動の低迷、あるいはそれによる資産価格下落を通じて家計の消費が減るという悪影響、
さらには投資が抑えられることによる技術革新の停滞から生産性が伸び悩むことなどといった問題がある。
基本的に上記の問題点は、名目金利が負になれないといったことや名目賃金の下方硬直性といった問題が、デフレの下では現実的な制約として働くという点からの指摘。
上述のようにデフレによって経済が悪化している可能性は高い。ただしそのことは、他の経済の悪化要因が働いていないことは意味しない。
日本以外の国もグローバル化で中国製品を輸入しているがデフレになっていないので安価な輸入品だけが要因でデフレになった可能性は低い。
人口要因だけでは均衡実質金利がゼロ未満にならないため、人口要因だけでデフレになったということはない。
サブプライム危機によってアメリカやイギリスでも大きなバランスシート問題を抱えているがデフレになっていないので、バブル崩壊やバランスシート問題などの経済悪化だけが要因でデフレになった可能性は低い。
「真相は明らかになってない」ってのは「何でも反対」の人の常套句。あんたのいう「真相」って
一体何?っていう。原因なんて「外部電源喪失の上にDG水没」に決まっている。
地震が原因で致命的な破損したなんて風説は政府事故調中間報告などで完膚無きまでに
否定されてる。
あの事故の対策を取ることは簡単で、各電力会社が自主的に実施しているし、だいたい
大飯と福島第一は年代も型式も全然違うわけで「実は危険だったことが暴露された」なんて
訳では全然ない。
保安院なんてのは基本的に単なる役人だから技術のことなんてわかってないよ。
「想定されているリスクすら解消されておらず、非常事態が起きる可能性が高いことを意味している」
なんてことにはならない。
巨大隕石の落下だって「想定」しようと思えばできるリスクだし、そういう「想定」の蓋然性を論じず
「非常事態が起きる可能性が高い」というのは笑止なレトリックでしかない。
それにそもそも、現状は「再稼働すること」よりも「再稼働しないこと」のリスクの方が明らかに
欠陥住宅とか、過労死告発とか、告発系サイト(ブログ)、というのがある。
「単なる被害妄想じゃないの?」とか「言いがかりつけようとしてるんじゃないの?」と、
本来なら、新聞社なりテレビ局なりが、ちゃんと取材に来てニュースにしてくれれば
「大マスコミのお墨付きが付いた」となって、人々も信頼するようになるが、
この手の告発リークに、いちいち付き合っている余裕はない。
(例えば尖閣ユーチューブ事件、あのデータをマスコミに送り付けても、それをまともに
相手する余裕は、マスコミにはない。
この手のリークが、1日に数百件数千件もあるから)
ではどうするか?
ここで提案だが、企業会計に対して監査法人が会計監査して「お墨付き」を出す、
あるいは新築建築に対して第三者機関が施工チェックして「お墨付き」を出す、
「ここに記載されている内容に、相当の蓋然性があります」という「お墨付き」を
有料で出すサービスをしてはどうか?
お墨付きを出す機関としては、マスコミ子会社、弁護士などが考えられる。
片瀬久美子氏の付録への疑問(その1)
http://d.hatena.ne.jp/enomoton2011/20111119/1321666596
enomoton2011が書いているこのブログ、その1からその6まであって全部がの片瀬久美子批判。他に記事はない。
それだけで怪しさプンプンなのだけど、筆致はまともで、表面上は感情的でない。これって結構面白いな、と読み進めていったら、最後の6で普段の議論の姿勢に言及しててニヤリしてしまった。
なかなか構成も見事である。冷静に淡々と指摘し、最後に筆者の人間性に問題があることを疑わせる事例をこれでもかとならべて、今まで説明した内容の誤謬はここが源泉なんだよおと、文句をつけさせない説得力で締めくくるのだ。うーんやられた。
僕は何がいいたいのかと申しますと、こんなにあざやかにきめられちゃったけど、そんなに片瀬久美子はおかしな事をいってるのだろうか?そんなぎもんがあるわけ。
たしかにいろんなところで、やらかしちゃってる感じはするんだけど、そこまでいわれるほどじゃないよね、と思うの。
最初からみていこう、本題は2からはじまって、まず米ぬか乳酸菌にO157を指摘する不手際について言及してる。
これは最初から片瀬久美子の不利である。だって、米ぬか乳酸菌の作り方だと食中毒菌は繁殖しそうもないから。腐敗菌ならいっぱいふえそうだ。だから片瀬久美子はレジオネラが問題で、空中噴霧はその危険あるよ、とか、粘膜に酸性の液体そのものを噴霧することが危ないんだよ、としたほうが無難だったと思うよ。
じゃあ、なんで片瀬久美子はぼうけんしちゃったのだろう?勝手な読みなのだけど、一般の人を想定して書いてるからだと思う。あれ怖い、だからなんとなくやめて!じゃあ可能性0じゃないし、怖さも伝わるO157にしたらどうかしら?
これ以上米ぬか発酵にはまるひとを出さないことを考えたら片瀬久美子の選択はわるかったのかね?僕は好感が持てるなぁ。学術書だとして読んでないし。
彼女は信頼性を高める為に自己主張を抑えてね、そんなエールならわかるけどね。
どうしてこんな風に擁護するのかというと、米ぬか液の放射線対策には益は全くないと思ってるからね。益があるものだったら、リスクとのてんびんがけに意味があるけど、無いものだったら反対の天秤にちっちゃなリスクのせてもすとんと落ちちゃうからね。ストン。それだけなのよ。だからいっぱん認知度と怖さを兼ね備えたものをもってきたのもまぁありなの。ベストでは勿論無いけどね。
マウスのはなし。これは片瀬久美子の書き方悪いよね。こんな突っ込みをくらってもしょうがないと思う。
寿命が3ねんくらいしかないマウスでは低線量被曝の影響は調べられない、と書いちゃってるんだけど、工夫次第でなんか役に立つけんきゅうできんじゃね?そんな話におきかえられちゃって泥沼化してる。
もとの話に戻ると面白いかも知れない。ジピコリン酸だから味噌に放射線防護話の元ネタは、食事に10%もの味噌を食べさせてるネズミとそうでないネズミを用意して死ぬほど高線量の放射線を照射しその後の変化をみるものだ。つまり、現状の福島周辺ではあり得ない話でこの実験結果をあてはめるような状況でまったくないわけよ。あーそうですか、というはなし。確かに片瀬久美子の書き方は不適切だけど、こんなにぐだぐだ書いてしてきしないといけないようなものかね?この人冷静じゃないんじゃね?なんて疑問も出てくる。
まぁ正義感の暴走は危険だよ!こんな風に書けば誤解はすくないよ!ですむはなしじゃね?
形を変えやすい植物話。
いいかげんつかれてしまったので、あとは簡単に終わらせることにした。四角内はその4からの引用
私は片瀬氏の記述は非常に一面的で「異常な状態であるように見える植物」に対してどう考えればよいのかということの非常にわずかな助けにしかならないばかりか、誤解を招く記述であると考える。
えーそんなに大仰なことかね?園芸品種の方が手元や身近で見かける事が多いので変化に気がつきやすいじゃない。よく見かける方が変化に気がつくし、いっぱんの人が事例をさぐるときやりやすいじゃない。で、椿の例とかカイズカイブキの例は簡単に調べることが可能だよ。
ていうか、結論が分かっている誤解事例がまずあって、それはどんなものなのか調べてあって、実際はその解説なんだと思うよ。蓋然性もなにも事例の提示だから、確率じゃない。
その延長にあった解説に逸脱があったね、そんな指摘で終わる話じゃ無いかな?たしかに、園芸品種の方が帰先遺伝が起こりやすいかどうかはわかんないし、片瀬久美子も示せてないからね。ただ事例検討については妥当だから、非常にわずかなたすけにしかならないなんて表現はどうかな、とおもってしまう。
まあ、ここまでのられつはしつこい過ぎるけど、神経質ならありなのかもしれないのだが、最後にその6でこのブログの人が片瀬久美子の人間性をこれでもかとあげつらってるんですね。それで萎える。一つ一つは冷静そうでも、ひとの言葉や態度をしつこいくらいに拾い出し、こんな人なんです、こんな人なんですと繰り返すのってちょっと怖いんだよね。インパクトのあるひと言と同じぐらい強烈になってる。まぁ見えにくいけど相当意図的な精神攻撃なんだ。これでもか、これでもかと、この人は信じられないんだよビームを繰り出してるわけ。片瀬久美子もブーメランで、この人もブーメラン。ついでにこれかいてる匿名ブロガーもブーメランだw。
同じく経済学部だけど、そんなおいしいことは聞かれないな。
聞かれたら得々と語りだすと思うけど。。。
まずこれが大前提。
たとえば経済学で「8月11日の日経平均が1万円台を回復する」という予想が立てられたとしよう。
その予想が仮に正しいとする。
投資家はその予想をもとに、株を買いまくる。
結果的には1万円より高くなる。
経済学者の予想は外れる。
現在一番高確率でありそうなのは、少子高齢化が進んで、需要不足がじわじわ進んでいくことである。
マイルドなデフレがこれからも続いて、経済はゆっくり衰退していく。
けどまあ経済のファンデメンタル(経常収支、GDP、物価などなど)が結構強いんで、深刻な状況にはならない。
今のギリシャ・アメリカみたいなソブリンリスクの可能性は十年後、二十年後にあるけど、消費税増税ができればまあ大丈夫?
(できないとやばい)
実際聞かれたら何て答えるかな・・・
とりあえず今考えた答えはこれ。
技術屋の俺が来ましたよ。ちなみに原子力屋ではありません。当然「原子力村」からの「利権」なんて全くもらえません(というか「原子力村」業界って学歴から考えたら決して給与水準高くないんだけどなあ。旧帝大出て日立や東芝や三菱重工に勤めても東京23区内にマンションはなかなか買えないよ。ちなみにキャリア公務員も同レベルの薄給です。「利権」って何なんだろうね?それおいしいの?)。
むしろ、失敗が許されないからこそ、
正しく科学的手法を用いて、
状況を観察し、
理論を立て、
将来を予測し、
次のステップに進む
ことが求められるのではないか?
あなたの言うとおりで、その「科学史家」(余り本気で探してないけど、どの発言か見つけられなかった)はナイーブに過ぎると思う。
「失敗が許されない」ものについては科学的手法は弱い、というのは確かにその通りなのだけれど、別に「失敗が許されない」のは原発に限らない。むしろ今回の福島の事故なんて人は死んでないわ健康被害もおそらく出ないだろうわで、「失敗」の規模は非常に大きいけど「取り返しのつく」失敗でしかないわけで、なんでみなさんそれほど原発に対してだけあんなに厳しいのかなと正直理解に苦しんでます。
人は死ぬわメキシコ湾全体が汚染されかけるわの、福島第一事故よりもっとひどい大惨事だった原油流出事故なんてみんな存在自体忘れかけてるし、あんなことがあったから「脱石油」なんて誰も言わないよね。本当は温暖化のこととか考えたら「脱火力」の方が「脱原発」よりよっぽど優先されるべきだと思うんだけれど。自然エネルギー開発はいいとして、原子力と火力の二正面作戦するなんてそれどこの旧日本軍?とか思うよね。それとも孫正義信者や原発版「ネットde真実」の人たちは「温暖化CO2原因説は原子力村の捏造」って立場なんだっけ。まあそんな仮説が正しいより核燃料サイクルが数十年内に実用化される方がよっぽど蓋然性高いと思うけどね。
失礼、話がちょっと逸れた。
いずれにしても、現代文明ってのは結構その辺はあまり綺麗事言ってられないレベルに来てると思うのよね。何せ人口が多すぎる。これだけの人間を食わせるためにはどうしたってエネルギーは必要だし多少危険なことにも手を染めなければいけない、結局そういうことなんですよ。こういうと「数十年前はもっと低い消費エネルギーで生きてきた」と言われるだろうけれど、数十年前は平均寿命も現代より短ければ公害でバタバタ人が死んでた、そういう時代だったりするわけですよ。エネルギーが足りなくなれば、確実に伝染病やら熱中症やらで弱い人からやられていく。そこはもう不可避な問題で、だったらたとえば「弱者にリスクを集中させるよりは交通事故というかたちで社会全体に分散させた上で全体としてのリスクを下げた方がマシ」という判断で車を使おう、ということになったりする。交通事故で人が死んだり傷ついたりすれば既に「取り返しのつかない」失敗を犯していることになるわけだけれど。
まあ、要は世の中って残酷だねってこと。危険な技術に手を出さなければもっと危険な目に遭うかも知れない。そのリスク自体を度外視して綺麗事なんて言ってられないよなって思うんだけどね。
放射性セシウムに汚染された稲わらを与えた牛が全国に流通していることが明らかになった
一連の報道を見ながら何かずうっと心に釈然としない部分があったのだけど、少しずつ見えてきたのでここにまとめる
釈然としなかったのは「農家はなぜ露天に晒された稲わらを牛に餌として与えたのか」ってことだ
もちろん「ずうっと露天にあった稲わらをなぜ畜産農家に売ったのか」でも構わない
「政府(農水省)が自治体通達を出したけどそれが農家まで伝わらなかった」から
ちょっと待って欲しい
震災発生から4ヶ月、事故数日のあの日(3.15)の様相もテレビや報道でだいぶ明らかになっている
その間、首都圏でも下水処理場の汚泥やゴミ処分場の灰やらに放射性物質が検出され大騒ぎになったり、遠く静岡のお茶でも検出されたりしている。
スーパーなどの店頭で見る限り、首都圏では今でも飲用に水道水を控えて水を買って飲んだり料理に使っている家庭は少なくないのではないか?
“現地”福島だって、親御さんが子供の学校給食を残させたり、校庭に出て遊ばせなかったりしている。
で、牛を大事にしている畜産農家の人はなぜ野外にあった稲わらを与えたのか?
もう少し踏み込むと
一般的な畜産農家ってのは基本的に“自営業”であってリスク管理というのは勤め人よりもしっかりしているのではないかと思っている
ましてや天候に直接左右されることの多いのだから蓋然性に関するリスクは工業サービス業その他産業の比ではない。
つまり“事故”からこの方、皆がリスクを意識している中、農家だけそうしたリスクを農協やら自治体やら国に転化している現象がどうしても理解できないというのが「釈然としないもの」の正体だ。
もしかしたら……
農家の人たちってのは今までずうっとそうしてきたのかな?
リスクは「あの人たち」がなんとかしてくれるって。「私たちはだまって作物を育て牛や豚を育てているだけで難しいことは「あの人たち」に聞いてくれ」って。
そんなことはないと信じたいけど、もしそうだとしたらあの事故の評価としてほぼ固まっている“人災”の様相も一変する。
ここで話は変わるけどテレビや新聞などのメディアってのはわかりやすい構図ってのを重視する
ストーリーを作りやすい「キャラづけ」と言っても良い。たとえば
こうした「キャラづけ」がより多くの人に何かを伝える理解してもらうのが都合が良いってことだ
テレビや新聞の中の人に悪意があるとかそういうことではなく楽チンかそうでないかの問題。
今、僕らはこうしたわかりやすいストーリーに乗っかり過ぎているのではないかと思う
「未曾有の災害」とか「想定外の事態」いうものに不安になって却って安定した物語構造を求めちゃうのも人の性(さが)かもしれないけど。
それで本来見えるものが見えなくなっているのではないか?とこういう次第
話を戻すと、この一連の食肉汚染騒ぎの中で「なぜもっと早く気づけなかったのか」というところで畜産農家の人たちも考えて欲しいし
テレビや新聞の人は彼らを過剰に被害者として扱い過ぎないでほしいということ。これを結論にしておく。
いちおう言っておくと、別に畜産農家を糾弾しているわけではないよ。
ただ、もちろんこんなストーリーをつくることもできる
http://anond.hatelabo.jp/20110321214229
おかげさまで最大で10人が使っているらしいIDからブクマされておりますが、いかがお過ごしでしょうか。寒いですね。
返事の順番は、下から上、つまりブクマが着いた順に書いていきます。
hokuto-hei ( ゚Д゚)ポカーン 『あれは東浩紀個人の思想であるかというのはわからないんだよね。』じゃあ、どなたの思想ということなんでしょう? 2011/03/22
思想、という言葉は誤解を招いたかもしれません。それはお詫びします
要は、何か主張をするにあたり、それが本人の意志に沿うものかどうかというのは別である、ということです。
つまり、「する」と「なる」、蓋然性まで踏まえれば「するかもしれない」と「なるかもしれない」ということです。
該当のツイートを再掲すれば
東京人は東京に留まる。水食糧からは放射性物質が検出それ続けるが、それにも慣れていく。数年後微妙に小児の癌発生率があがったという報道が出るが、それも誤差の範囲でなんとなく曖昧に。そうやって日常は回復されるが、西日本や海外から見たらそれそのものが異常。そんな感じになるのではないか。
ということであり、これは予測の範疇でしかありません。上の分類によれば「なるかもしれない」ということです。
何らかの考えを述べることそれ自体は糾弾されるものでもありませんし、無論嘲笑されるべきでもないというだけの話ですね。
ncc1701 ごめん、ちょっと何言ってるのかわからない。
それは申し訳ない。書き方が不味かった、と言えばそれまでですが、具体的にはどこがわからなかったか余った文字数で書いていただければよかったのですが。
Pz-4 馬鹿ガキ こんだけ文字数使っておいてオンリー仄めかしかい。せめて対象ぐらいはっきりさせろや。 /カッコつけるのはいいんだが、あさましくもそのためにすぐ誰かを踏むんだよ。 2011/03/22
カッコ付けた覚えはないのですがね。客観的、俯瞰的、あるいは逆張りをすることがカッコいいというわけではないでしょう。あなたのいうカッコつけの対象もよくわからないので、書き捨てなのかな、とさえ思えてしまいます。ああ、馬鹿ガキというのは正解ですね。きっとあなたのほうが賢いのでしょう。
馬鹿ガキまで包摂する多様性を望みでないなら、バカを排除なり淘汰なりする方向に動けばいいのではないでしょうか。バカだというのは必然的にこちらの落ち度ですから、それを理由に排除されるというのであれば何も言うことはありません。
Bifuteki 素直に「怖くて逃げた」って言えば誰もそれ以上追求しないのに、屁理屈こねて戦略的撤退の体をとろうとしたり、「臆病上等」とかかっこつけながらヘタレの矜持みたいなのをみせつけようとしてるのがカッコ悪いのよ 2011/03/22
焦点といいますか、ひとつの前提のズレがここにあるのではないかと考えています。つまり、「思想家、批評家としての東浩紀<仕事人>」と「一個人としての東浩紀<私人>」は重なるのだろうか、ということです。
これは彼自身の考えですから、馬鹿ガキな私が察するに余りあるのですけれども、ああいうTwitterのようなツールは、仕事上のつぶやきと私人としてのつぶやきの違いは無視されますね。つまり、何を言っても本職としての意見に捉えることもできるし、何を言ってもただのプライベートなつぶやきと見なすことができるわけです。
東京人は東京に留まる。水食糧からは放射性物質が検出それ続けるが、それにも慣れていく。数年後微妙に小児の癌発生率があがったという報道が出るが、それも誤差の範囲でなんとなく曖昧に。そうやって日常は回復されるが、西日本や海外から見たらそれそのものが異常。そんな感じになるのではないか。
これだけではどちらかはわかりません。震災を機に株価が急落した人として何人か取り上げられていますが、彼らは共通してTwitterを使っています。Twitterのつぶやきが可視化させたといえば聞こえはいいですが、それは受け手にとってもその都度解釈を要求されるということです。言ってしまえば、論理学者が日常非論理的なことを言っていることが許されるかどうかといえば許されますが、それは見る人にとっては「なんだこいつ、これで論理学者かよpgr」と見えてしまうわけですね。
繰り返しますが、これは東浩紀自身のスタンスによるものですから私がどうこう言えません。ですが、そこを踏まえずバカにするのは揚げ足を取る程度のものにしかなりえないということです。(それがいい、それでいいというなら、まあそれもいいんじゃないでしょうか。そうは見えなかったからこれ書いてるんですけどね)
ましてやカッコイイか悪いか、臆病かそうでないかなんてのは、言わずもがなですね。
これはBifuteki さんへの回答そのままです。彼のつぶやきすべてが言論人としての彼としてのつぶやきかどうかはわからないのですから。しかしながら、何かしたことに対して、それを説明する、これが日本ではたいてい言い訳として解釈されてしまうのは、あまりいいことではないと思います。
これ以降の方は気になったのだけ返事することにします。もっとも、馬鹿ガキの言うことなんか聞きたくねーよという人も多いでしょうが。