はてなキーワード: 結婚式とは
宿泊費が最大半額になると聞き、速攻で一泊ステイの予定を立てた。
これは私だけじゃないと思うけれども、旅行の中でも、
着ていく服とか、持ち物とか、現地の天気や予定を考えながら旅行の仕方と荷物量が変わってきた話
持ち歩くことや預け荷物等の制約の中で、
どうやって過不足なく荷物を詰めるか?
気持ちよく過ごすためのおしゃれができるか?
考えるだけでワクワクする。
楽しい。
パッキングに目覚めたきっかけは、沖縄の友人の結婚式に参加した時のこと。
加え、3日分の服を詰めると、3日用のスーツケースにとても入らなくて
待たせたりすることがなくなったのも大きな収穫。
でも考えてる間がすごく楽しくて好き。
年齢とともに、旅の仕方も変わってきた。
夜行バスにカプセル泊、日中はひたすら観光して歩きまわるスタイルは
そうなると、持ち物も少しずつ変わってきて、泊まるホテルの
すごく身軽。
ステイケーション。
今までは、素泊まり朝食のみで、夕食を外で食べてたんだけど
ここは奮発しようと思う。
逆にまた荷物が増えました。
手ぶらでも旅ができそう!と感激してたんだけど、
となると、小さいバックも必要だし。
泊まるだけの旅だけど、やっぱり荷物は軽くして
移動も楽したい。
これまでとは違った制約が出てきたけど、それに合わせて
また工夫できるのが楽しい。
結婚式でのアルバイト経験と母子家庭で育った経験から家族の温かさをサポートできる結婚式が大好きになってプランナーを志した。
大して勉強もしてなかったけど、目の前のアルバイトにただ夢中になってたら選考への道が開けて入社できることになった。
新郎新婦とゲストへの価値にこだわって、価格以上の商品を提供したいと考えてた。
当たり前だけど現実は全く違ってた。
ビジネスパーソンとして成果にこだわることは当然。そこに反論の余地はないし、
結果、全社でも上位の成績を出すことが増えた。褒められる機会も増えて、仕事もやりやすくなってきて、会社に貢献できている実感も増えてきた。
いつもいつも、罪悪感でいっぱいだった。
そんな言葉を言われることが増えた。
家や車のように、形が残る訳でもない。はっきり言えば「あってもなくてもいい」
でも、だからこそ、そんな「あってもなくてもいい」結婚式をやろうと思った顧客に対して
誠実に向き合うこと、価格以上の価値を提供すること、こんな世の中を生きていかなければいけない現代の夫婦にウソでもいいから夢を見せてあげること、
そんな風に向き合っていくことができないと、「あってもなくてもいい」結婚式は、「なくていいもの」の烙印を押される日がやってくるのではないかと思った。
理由の上位は「費用が高い」「準備がめんどくさい」「内容が画一的」こればっかり。
「結婚式に費用と時間を使う価値はないですよ」と半数のカップルから伝えられている。
ここから目を背けて、結婚式を挙げるカップルから金を絞り取るのが本当に「現実と向き合う」ということなのだろうか。
違和感に目をつぶり、自分を騙しながら、最高の笑顔で、適切な情報を伝えずに、即決を促すことが「現実と向き合う」ということなのだろうか。
結婚式場の集客構造が変われば、真っ当な競争と、正確な情報を届けられるのではないかと思ったから。
「お前ができるなら、みんなとっくにやってる」「夢ばかり言ってないで地に足つけろ」「だからお前はダメなんだ」
全部、正解だと思う。
でも、自分はそんな言葉を吐く連中にひとつだけ言ってやりたい。
確かに一人でできることは少ないだろう。
でも、少しづつやり続ければ、賛同してくれる人が増えるかもしれない。
コロナのような大きな変化の中で、古い仕組みを変えられるきっかけが生まれるかもしれない。
愚直に、地道に、少しずつ。できることからやってみようと思う。できることを少しずつ、増やしてみようと思う。
メロスはとりあえず激怒した。必ず、かの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意しろ、と匿名のファンレターにそう書いてあった。メロスには政治がわからぬ。メロスは、どこかの村のおそらく牧人である。やることが無いので笛を吹き、ぼっちのひっきーなので羊と遊んで暮らしてきた。けれども邪悪に対しては、人一倍に鈍感であった。
きょうの朝らへん、太陽が登る前?登った後?その変な微妙いラインの時間にメロスは出発し、野とか山とか違いわからないが、とにかく沢山何かを越えて、十里がそもそも距離を表す単位ということも知らなかったが、だから、どれくらいかなんて微塵もわからなかったものの、それだけ離れた此のシラクスの市にやって来た。とてもどうでもよかった。
メロスには多分父も、おそらく母も無い。ぼっちなので女房も無い。十六だったか、そもそも誕生日さえ覚えていない、内気な妹と二人暮らしだ。この妹は、村の或る律儀なぼっちを、近々、花婿っていうものに迎える事になっているらしい。しらんけど。結婚式とやらが間近なのらしい。それは一体何だ。えっちなことなのか。心底どうでもいい。
メロスは、どうでもいいけれど、花嫁の衣裳やら祝宴の御馳走やら、俺にとっての御馳走は日清カップヌードルだってのに、と文句を言いながら、世間一般に御馳走と形容される何かを十里が何センチなのか考えながらこの市にやって来たのだ。勝手に一里を20センチと決めて、20足す10の計算をするのをしようと思ったり面倒くさくなったりしながら、やって来たのだ。結論は出ていない。どうでもいいことだからだ。
先ず、その何かを買い集め、それから都の大路をぶらぶら歩いた。嘘だ。疲れたからそこらへんの道端で胡座かいて座っていた。メロスには竹馬の友があった。メロスは竹馬を「ちくば」と読むのを今知った。この文章が書かれるまではメロスにとって心底どうでもいい言葉だったからだ。そしてその友がセリヌンティウスである。こいつの名前も今知った。今知った友だからである。そういう設定らしい。適当に決めてくれ、面倒くさいから。そもそも、竹馬の友があるなら俺はぼっちではないのではないか?そうメロスは疑問に思った。そしてすぐにその疑問は解消された。適当に設定は決めてくれ、整合性は適当に取ってくれ。矛盾してたら都合の良い解釈をしてくれ。メロスは魔法の言葉を習得した。
セリヌンティウスは、今は此のシクラスの市で、石工をしている。その友を、これから訪ねてみるつもりらしいのだ。面倒くさい。人は一度あぐらかいて地べた座ったら二度とそこから動きたくはねぇ生き物なんだ。出直してこい。メロスはそう思ったが、どうやら話の整合性とやらを取るために動かなければいけないことを脳内に直接話しかけられ、とても気持ち悪い気分になった。心底気持ちが悪いのだが、どうやら俺は楽しみという感情を持ってセリヌンティウスと接しなければいけない立場らしいのだ。面倒くさい。死にてぇ。
歩いているうちにメロスは、まちの様子を怪しく思った。ひっそりしている。もう既に日も落ちて、まちの暗いのは当たり前だが、けれども、なんだか、夜のせいばかりではなく、市全体が、やけに寂しい。そんなこと勿論メロスにはわからなかった。なぜならメロスの村は本当に寂しく貧しく乏しい村で、メロスもぼっちだったから、人の多い街の夜というものを知らなかった。知らないものはそもそも想像しようとさえ思わない。無知、最高。つまり、メロスが違和感を覚えることそれこそが違和感の塊であった。
面倒くさがりなメロスは、話をできるだけ短く終わらせるべく、とりま、そこの人を捕まえて高圧的な態度を取ろうとした。無理だった。極度のコミュ障だったから、ではなく、人としゃべるのが面倒くさかったのである。なぜ、人は自分の脳内で思い描いた感情たり思考たりをわざわざ話し言葉に変化して、喋るという無駄な行動を取らなければならないのだろうか。面倒くさい。メロスはセリヌンティウスのことなど既に忘れ、買い物もとっくに終わっているので、村へ帰ろうとした。
そのメロスの行く手を阻んだのは、他でもない、著者であった。
メロスの元へ若い衆が寄ってきて、自分の首元を掴んでメロスの前に引っ張ってきた。そして、メロスに首元を渡したのだった。こうして、はたから見ればメロスが若い衆を捕まえた形相になった。形だけである。形は重要である。
静寂があたりを包む。いや、もとから静かだったが、雰囲気を出すためのそれっぽい言葉だ。
無音がすこし続いた。若い衆のうちの一人が、小さな紙切れを取り出して、メロスの前に見せた。
「メロスさん、ここ、言ってください、台本通りにお願いしますね。」
「めんど。『ナニカアッタノカ』」
以下の記事を読んでそういえば似たようなことあったなーと思ったので書いてみる。
身バレが嫌なので詳細は省く。
批判の文化が日本を技術後進国にしているかもしれないという話 - メソッド屋のブログ
運営したとは言い過ぎで、ただ単純にネットで知り合った人たちと遊んでただけ。
本名も連絡先も知らなけどネットでだけ繋がってて、誰かが暇だと言えば行ける人たちでわーっと集まって遊んで帰るみたいなことを3年くらいやってた。
誰が主役というわけでもなかったけど、私はよくいるメンバーの一人だった。
私が言い出しっぺで何かやることも多く、私がきっかけで付き合ったカップルが把握してるだけで10組はいた。
私も何人かとお付き合いさせてもらった。
そんな感じでネット弁慶なくせにリア充を謳歌してた私が一切の活動をやめたのは「感謝されないから」だった。
何がきっかけでそのコミュニティが始まったのかは覚えてないけど、私がきっかけの一人ではあった。
少なくとも何か見返りを求めて始めたことではなかったけど、最終的には前述のカップルのうちの半分以上が結婚した。
元々似たような趣味の人たちが集まってたからまぁそうなるよねという感じ。
結婚式の招待も来なかった。
今にして思えば出会いはリアルだとしてもきっかけがネットだからそこでの友人は招待しにくいかと思うけど、
当時はそこまで考えれなかったし、それでも声くらいはかけるよなと思うと悲しい。
私が喧嘩の仲裁をしたわけでもないしただのきっかけではあるけど、何人かは式に呼びますと言ってたのになぁ。
何だかんだ見返りを求めてるお前が悪いと言われればそうなんだけど、
お金とか出さなくても感謝すれば救われる人がいるってのは知ってほしい。
この経験があるから私は人のことを簡単に批判しないし無償で頑張る人はマジで凄いなとリスペクトしてます。
あとこれから何かやろうしてる人には続けるために金でも感謝でも何かしらの見返りは貰うようにしろとアドバイスしてます。
たいていが嫌な顔されるけど続けるためには必要なんですよ。
結婚式業界が、NEW NORMAL for HAPPY WEDDING宣言とやらを出したらしいが、
結婚式を挙げる理由を聞くと、親孝行とか人生のけじめとかいうけど、そんなの身内でやって、周囲を巻き込むなって思う。
貴重な休日に、3万(場合によってはもっと)持って、正装して、大して旨くもない婚礼料理出されて、
大して面白くもない素人の余興だの紹介ムービーだの見せられる感謝の伝え方ってなんだよ。
って本当に思うわ。
よく分かるよ。風習であり慣習なわけだけど、みんながそれに乗ることを前提にしているから、気持ちが追いつかない。みんなそれを行うことが普通だと思って、ある種の強制力が働くのが気持ち悪いと感じているんだね。
タモリさんも確か誕生日を祝いたない、祝われたくない、というような趣旨のことを言っていたっけ。そして逆に、歳をとってそれを受け入れることにしたら楽になったとも言っていたような気がする。(結婚式だっけな?とにかく一般的な慣習に対する疑問という方向性。)心の持ちようということだね。
社会を構成する要素のうち「ここまでは常識の範囲」「みんなこうしているからきみもこうしろ」という閾値が存在して、偶然にそこに疑問を持ってしまうと生きづらくなってしまう。でも疑問を持ってしまったものはしょうがない、少しずつ疑義を唱えていくしかないかもしれない。疑問を持つ人、疑問事態に納得をする人が多くなった時、社会的な見直しや風習の消滅が起こるのだろう。
最近はマナー講師への不満が表明されることが多いけど、そういうことだろうね。不要(と大多数の人が感じる)な風習・慣習を減らしたい。心や行動を少しでも開放したいという欲望。
増田書くのはすごく久しぶりだ。多少フェイク混ぜつつだけど吐き出してみる。
昔から性欲は強かった。オナニー1日5回とか普通だったし、セックスへの願望がものすごく強かった。
だが、モテなかった。絶望的にキモいオタクが同世代の女性とセックスを成就できるわけもなく、学生時代も20代も恋愛に縁がないまま魔法使いになってしまった。
30代になってほんの少しだけ女性に優しくされた。免疫のないキモオタは舞い上がり性欲はより一層増幅され、こじれにこじれたセックス願望が暴走しかけた。いや、暴走したな。
無論、その女性とはできるわけもなく、無理やりとか妄想の中だけ。そんなヘタレの悶々とした思考だけはいっちょ前に出したいと、どこぞに本当に気持ち悪い文章を書いては嘲笑の的になったりした。
その文章を見た誰かに本気で気持ち悪いと言われ、インターネットでの死を迎えた。
相変わらず性欲は強いし、セックスへの願望…いや最早神聖化された儀式への熱望は消えなかった。
ある日、みくしーでとある人物と仲良くなった。マイミクくらいで舞い上がることはなく、単に同好の士が増えただけだと思っていた。ただ、普通と違ったのは2つ。やけに好感度が高いことと、女性であることだった。
その人物とチャットでやり取りすることも増えた。悩みも打ち明けたし打ち明けられた。なんだかよくわからない感情が芽生えたのもこのころだった。
それまたある日、二人でオフ会をしないかと言われた。住んでいるのも同じ県だったし、一度会ってみたいと思ったので二つ返事で了承した。
待ち合わせ場所にいた女性は想像以上に美人だった。こんな人が自分への好感度高いなんて逆に恐怖を覚えた。それでも逃げることはなく、普通にオフ会をした。焼き鳥屋でいろいろ喋っているうちにいい雰囲気になり外に出た。
公園のベンチで話をした。なぜか好きですと言われた。唐突だったのでかなり焦ったがこっちも好きですと言った。結果付き合うことになった。
齢30で初めて恋人ができた。程なくして魔法使いじゃなくなった。初めての感想はよくわからないうちに終わったというのと、人の肌は暖かく心地いいだった。
拗れたセックス願望は無事昇華され、そのまま消えてほしかった。実際ある程度消えていた。なにせ求めれば応えてくれるのだからもうそういうものは必要ではなくなった。ハズだった。
その女性とは程なく入籍し、結婚式も挙げた。自己肯定感も上がり、社交的にもなれた。キモイから若干挙動不審なフツメンくらいには変身できた。
夜の生活も上々で子供もできた、ならこんなクソみたいな文章書くこともなかっただろう。
ある日、セックスが苦痛だと妻に言われた。ずっとずっと苦痛だったと言われた。
自分に非があるのかと思い土下座した。しかしよく聞くとかなり根深いものだった。
生育環境から初体験、果てはセクシャルマイノリティの概念まで混じった相当やばいものが根にあり、ずっと言えなかったらしい。さすがにこれはどうしようもなかった。
週1回が月1回になり、最終的には妻から誘われるまでナシになった。
気が付いたらアラフォーになっていた。相変わらず性欲は強いままだった。2次3次なんでも大丈夫だし、なんなら画像すら必要ないくらい想像力豊かだ。
フリンもフーゾクもできず、テンガ様にお世話になってばかりだ。最後にセックスしたのはいつだっただろうか。もう遠い昔のように感じる。
嘘だよ。本当はセックスができなくてすごく苦しい。できなくて死にそうなんだよ。マジつらい。
20代くらいのセックスへの願望みたいなのが出てきている。サルかお前は。
家庭内の不和はない。むしろ滅茶苦茶夫婦仲は良い。信頼や相談もできているし、してくれる。
…セックスのこと以外はな。
フリンは社会的に死ぬし、フーゾクは金がないから無理。パパ活?顔を見てから言え。
さすがに精神科医師に相談したらオナニーで解消しろと言われた。それで解消してねーから来たんだろ。アホか。
完全にデッドロック状態になった。だけど性欲はあふれんばかり。セックスへの渇望は日に日に増大している。それで死にそうな顔しているんだぜ。バカみたいだろ?
今は去勢を考えている。金玉取れば少しはましになるかなと思っている。でも、この国では性不一致じゃないとそういう手術はしてくれないらしい。
そもそもそれを治療にしている場所はないみたいだ。精々男性ホルモンを減らすくらいしか手立てはなかった。
ちなみに妻との離婚は考えていない。人間として尊敬できるし、好きだもん。死ぬまでそばを歩きたいと思っている。
その前にセックスできなくて憤死しそうだけどな。
人間3大欲求の1柱を完全に押し殺し、生きていこうと思っている。
フリンもフーゾクもせず、にこやかに生き、夫婦仲は良く、仕事もそつなくこなして生きよう。
アラフィフくらいになったら自然と枯れるだろう。そう思おう。それでいい。それでいいんだ。
無理だ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
セックスしてぇぇぇぇぇぇっぇぇぇぇぇぇぇぇっぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇl
30代半ばだけど、友達と呼べるような人はほとんど存在しなかった。学校には行っていたし就職もした。様々な土地に暮らし、今は関東圏のちょっと田舎で生活してる。いたって普通だ。
そんな俺にとって現在友達と呼べる人間はいない。どうやって作るのかもわからない。
とある特殊なゲームを通じて知り合った人はたくさんいるけど、SNS越しだから本名や住所は知らない。そういうのは普通なんだろうけど、いわゆる「ダチ」と呼べる人間がいない。
そういう仲間とは飲みにもいくし、ちょっとした自主企画のイベントも行う。社会人サークルがちょっと大規模になった奴なんだけど、比較的良好な関係ではある。だけど「ダチ」じゃないとは思う。
ダチってなんだろうね。
さしで飲める人同士?付き合いの長さ?肉体関係?まあ男女間に友情なんてないだろうけど。
例えば結婚式を開くとしたら彼らを招待することはできる。いまさら本名を公開して駄目な間柄ではないし。なんだけど、どこか引っかかる。
最近できた彼女なんだけど、ワリカン主義で宝石やブランドや結婚式は別に興味ない、俺より高学歴で高収入で背が高い。何より、なかなかに整った顔をしている。
こう書くと、金かからんし、いい女だって思うじゃん。でも、でもっていうと変だが、彼女はフェミニストで、いわゆるリベラルである。この情報込みでワリカンや男のスペックにこだわらないというのをみると、「面倒くさそう」と思う諸氏は多いだろう。ちなみに宝石がほしくないないのは、ダイヤモンドなどの採掘に反対しているからだそうだ。
ネットでは金のかからん、男のスペックを見ない女が天使みたいに言われてるが、それフェミニストかリベラルやぞ、覚悟はあるのか、と言いたい
ホロライブでやってるのを見て面白そうだなと思ってプレイしてみた。
自分は楽しめなかった。
間違いなく、キャラクターの動きや生活感がよく練られた素晴らしいゲームだと思う。
初回プレイの時は交際して何時結婚に踏み切るか考えてるうちにシニアになって、
いざ結婚式の時にはおじいちゃんだから式中もすぐ寝るって状態になってしまった。
結局、終始会社と家の往復。
暇あらばレベル上げ。
ゲームは以前ソシャゲ有利だよ どう森ってお前そんなたまに出るヒット作だけの話やん
後今作滅茶苦茶不評だからな
アニメはちゃんと見てたら売上が増えたなんて口がさけても言えねえよ
ユーチューバーも全員叩いてるわけじゃねえよ
うーーーーん…
ヒナ姉が目を覚ました時はうるっと
それ関係者みんな読むわけでしょ。
娘ちゃん、グレない?
一途で純な愛情が勝つ、ってこと?
主人公!
どんなに深く愛しても叶わないことも多い。
逆に重いていわれたり、こじらせて
ストーカーになったり。
子育てもして、人としてすごく成長した。
中盤からの男運のなさは同情しきり
だけど、ラストそれでいいの?
事故ったのは気の毒だけど、その原因は
身からでたサビを回収しただけだし。
それが愛っつわれてもな…
んじゃない?
初めっから。
そこ抑えられないの?
まあ、妹ちゃんみたいな強い子には
同じ道を歩む料理長があうよ、きっと。
感じに別な愛も見た。
(まだ未練あったの…?逆に怖い部分もあるが)
どう思うか…
パパ不潔言われても仕方ないかもね。
結婚式の感動もなくなったわ。
前回で最終話でよかったんじゃない?
かな~
女読者にゃ白けるだけだわ
万が一身バレした時のために断っておくが、この話に出てくる全員のことが私は好きだ。
日本文化の一部分に対する不満を書いてみる。
簡潔に書くと、30代未婚の私が、弟の結婚式に色留袖を着たいと言ったら身内の反対にあって諦めたという話だ。
私は、「新婦の年齢が高くて場を華やかにしたいなら喜んで振袖を着るけれど、新郎新婦は十分若いし、私はシンプルな色留袖を着たい」
と話したが、理解されず。
やんわりと反対され続けた上に、遠戚からの「振袖は未婚女性の正装です」というLINEを見せられたり、70代のおばが色留袖を着ると聞いたりして(おばの横に並ぶのが憚られて)、断念した。
ここからは妄想だが、「振袖を着ないなんて祝う気持ちが欠けている」「なんだかんだ振袖を着れて良かったでしょ(後日)」という空気があるように感じてしまったのも辛かった。
私にとって振袖を着ることは、「披露宴でブーケトスをするので独身の女性は必ず前に出てください」と言われるのと同様のことだった。
むしろ、ブーケトスは一瞬だけれども、振袖は挙式からずっと着ているわけで、苦痛は大きかった。
「独女限定のブーケトスに参加したくない」と言うことと、結婚を祝いたくないということは同義だろうか。違うだろう。私は、単純にハラスメントに遭ったと思っている。
けれども当時は、「これはブーケトスと同じだ!ハラスメントだ!」と主張することは敢えてしなかった。なぜなら、心情を理解してもらえるというよりは、「あぁ‥だから独り身なんだ」と憐まれるだけで、余計に傷つくと思ったからだ。
しかし結局、私の心はずっと傷ついている。だから、ここでひっそり供養しようと思う。
決して誰かを責めているわけではない。言うなれば、日本文化にハラスメントされた気持ちでいる。
私が望むのは、着物で女性の未婚/既婚をラベリングする文化が無くなる未来だ。
私が今までに参加したブーケトスは、もれなく全員参加で男女も未婚既婚も関係なかった。もし「正式なブーケトスの参加は独身女性のみ!」と硬直化していたら、ブーケトスはとっくに廃れていただろう。
振袖も色留袖も、着たい人が着れるようになれば良い。もしそうなったら80歳の誕生日に振袖で街中を徘徊したいwww
でも今のところは、しばらく着物を着たくない。
ジョブズや佐藤オオキじゃないけど、数年前から洋服は1種類しか着ていない。元々洋服に全くこだわりがなくて、高校生ぐらいまでは母親の買った洋服を気にせず着ていたんだけど、流石にマズいと言われて大学くらいの時は、彼女や友達と買っていた。
正直、暑く寒くなくて肌触り良ければ何でもいいんだけど、合わせ方が変だとか、色の合わせが変だとか、ズボンがダメになってきてるとか、TPOに合ってないとか色々言われるのが苦痛でしかたなかった。社会人になっても、ネクタイの柄がどうとか、靴がどうとか、上司にまで注意される始末。
30すぎた時にフリーランスになったので、それまでの洋服全部捨てて同じ柄のシャツを20着と同じジーンズを5本。それを年がら年中着回している。あとは冠婚葬祭用に喪服が1着。結婚式だろうが、法事だろうが全部それ。毎日がすごい楽。
一方で食べることは、めちゃくちゃ拘っている。ミシュラン東京に乗ってるようなレストランは大体行ったし(もちろん同じシャツで行くけど、ドレスコードで追い出されたことは今んところない)自分でも良い食材とか買ってきて料理も楽しんでる。食べることが面白くて仕方ないので、毎日毎日夜ご飯を考えるのが楽しくて仕方ない。
かたや、食事を考えることが苦痛でソイレントで生活できることを待ち望んでる人がいるらしい。彼らは栄養摂取に嗜好性を入れるなんて無駄の局地と思っているようだ。正直自分には信じらられないんだけど、洋服選びで言えば同じようなことしているわけで、バカにもできないなあと思ったりしてる。
生活スタイルやこだわりって、人それぞれだから自分の理解を押し付けたり、人のこだわりをバカにするのは良くないよなあと思う。みんな好き勝手にこだわって、同じようなこだわりの仲間とだけつるめば良いと思う。