はてなキーワード: 年子とは
元増田です。
うちは夫婦揃って共働きでどちらかというと高給取りですので、出産にあたりかかる費用は痛くありません。
夫が居ない平日は病院行くにも毎回タクシー移動してますし、通勤電車は混むと辛いので自腹でグリーン車で通勤してます。
いろんな病院や出産にまつわるシステム、運用周り見てて、非常に無駄が多いことに気がついたからコメントしました。
大学無償化は後回しでいいかもと思ったのは、このままいけばうちは無償でなくても払えると思ったのもありますが、
例えば今年子供を産んだ夫婦は今のシステムのままで例えば1年後に次の子供を産もうと思うだろうか、という疑問に当たりました。色々面倒で時間コストも金銭コストもかかるから、1人目だけでいいや、と思いませんか。
また、乳児や、1、2歳の子を連れて3時間待ちの妊婦健診いけますか?
18年後の不安より、今の面倒ごとや不安を解決に導いて行くことが出生率を上げる早道だと思います。あと、大学を無償にする恩恵より多くの夫婦が利益が得られるのが、出産に関わる費用の無償化だと思います。国のコスト負担も低くて済むでしょうし。
今、妊婦さんで今から18年経ってから、2人目産める人は何人いるでしょうか?だから将来子供が行きたがるかわからない大学を無償にするよりは
私には1歳11ヶ月離れている姉がいる。
頭が良くて友達の多い姉だ。
およそ2歳離れているが、年度の都合で学年は1つ違いだった。
幼い頃からできた姉とよく比べられてきた。
お姉ちゃんは言うことを聞いてくれるのにお前はなぜ聞き分けが悪いんだ。
お姉ちゃんは勉強して成績が良いのにお前は漫画ばかり読んでるんだ。
家では当たり前に比較された。
幼稚園小学校中学校に入学すると、まず先生から姉ちゃんの妹と呼ばれた。
そして姉の友達にも姉ちゃんの妹と呼ばれる。
先生からも先輩からも、顔が似てるだとか、性格は違うとか、姉ちゃんはそんなことはしないとか毎日言われていた。
年賀状の枚数が姉の方が多いとか、姉は友達といろいろなところに遊びに行っているだとか。
通知表の成績が姉の方がいいとか。
最初は私も追いつこうと頑張った。
だけど毎日毎日姉ができるのになんでお前はできないんだと言われて劣等感でいっぱいになった。
このことの最初の変化は、家族でトランプをして私が1番にならないと、トランプをめちゃくちゃにして怒り泣き叫んだ。
家族で出かけるのを嫌がり、外で寿司を食べなきゃ行かないと言っていた。行ったら行ったで、帰りたいつまらないとずっと言ってた。
姉がいなくなればいいのにと毎日祈ったし、姉の宿題プリントをめちゃくちゃしたり隠して意地悪をするようになった。
しかし親は1人で遊んでることが心配だったようで、姉に、あねと姉の友達と私とで遊んでやってくれと頼んだ。
当然よく知らない姉の友達と遊んで楽しくもなく、漫画が読めないからイライラが募り姉の友達と大ゲンカになった。姉はこの喧嘩を黙って見ていた。
そして太った同級生の女の子をいじめた。この頃の私の思考は、太っている=だらしない、で、私よりダメなくせに楽しそうに笑っているのが許せなかった。
それでもたまに親は私のことを褒めることがあった。
姉ばかり褒めてばかりだと平等ではないと感じたそうだ。
このころの私は褒められても嬉しくなかった。
それよりも、親が姉に対して、妹はできるのになんでお前は出来ないんだと言って欲しかった。
皆大嫌いだった。全員敵だった。
親には嫌なら家を出て行けと言われた。
それからは親に話しかけられるまえに急いで部屋に駆け込むようになった。
こどもを比べると家庭が崩壊する。
意外にも1番傷つき被害を被ったのは姉だった。
元来穏やかで繊細な気質の姉は、唯一私の気持ちに気付いていたようだった。
しかし親や周りのすることを止めることもできず、私には無視され散々だったろう。
姉は良い子を止めることは出来ず、マイナスな感情は見せずにいた。
誰もが知る名門校に入り順風満帆に見えたが中退し引きこもり始めた。
親にも怒鳴り散らすようなり、親は困惑し、あんな良い子だったのにどうしてと嘆いた。
姉と比べられるのは苦しかった。
年子だと比べられる期間が長こと、体格が同じ感じだから比べやすいのだろう。
どうしても本が書きたくて、そのために19時半からパソコンにかじりついているはずの私は、勤め先の病院で下痢嘔吐の患者さんを診察していた。当直の医師が重篤な患者さんに付き添い大きな病院に移送しなければならなくなり、代わりに呼び出されたのだ。
何時ごろから具合が悪くなりましたか? 今日の夕食は食べられました? お昼ご飯は何を? ご家族や職場に同じ症状の方はいませんか?
……急性胃腸炎のようですね、今は下痢や吐き気は止めないで、悪いものは出してしまう治療が主流です。その代わり体から出ていく水分やミネラルを補う点滴をしますよ。お時間かかりますが大丈夫ですか?
医者という仕事はいつもこうやって人生の大切なものに食い込んでくる。娘が骨折した時も手術室からすぐには出られなかったし、小学校の卒業式の最中にも勤め先で医療事故があり緊急で呼び出された。あげく「本を書きたい」と願えば、オンライン講座の時間に呼び出しである。
医者になりたくてなった人は、こんなことを切なく思わないんだろうか? 思いは空を漂うばかりだ。
40年ほど前、当時住んでいた家の側の高台に、国立の医大が建った。母は小学生の私に、坂の上を指さし「あそこに行ってね」と言った。その瞬間、私に他の進路の選択肢は一切なくなった。
父は思慮深いやさしい人であったが、ヒステリックで我の強い母を制御できなかった。
「このハゲ!」と叫ぶ国会議員や夫の不倫を動画で指弾する女優さんを、私は直視することができない。ワイドショーでうっかり見てしまうと鳥肌が立ってしばらく戻らない。その年頃の母とそっくりだからだ。
長い長い坂道を6年間私は歩いて通った。そこを歩いて通ったのは私ぐらいだと後で知った。
大学に行かせてくれるのは良いのだが年頃になっても身体に合った下着を買ってくれないのはとても困った。体形のまるで違う母のおさがりはぶかぶかだったし痴漢にも遭った。高校はアルバイト禁止で、大学生になって初のお給料を握りしめてワコールのショップに駆け込んだ時の感激は忘れない。
准看護師の母は女医がとりわけ嫌いだった。「子持ちの、時間で帰っちゃう女医なんか、誰も相手にもしない。指示を出しても看護婦が誰も聞こえない振りしてたらさぁ、しまいには保育所のお迎え時間迫ってきて泣き出しちゃって」と言っていた。なぜ娘をその女医にしようと思ったのだろう。せめて専門は内科勤務の長い母と一番縁遠そうな麻酔科にした。
それでも孫可愛さで、女医になった娘の子育てには協力してくれていた。しかし年子の育児で一杯いっぱい、今のように「女性活躍」のご時世ではなくて相当厳しい目に遭いながら働いている私に、「子育てしながら、料理の本を出している女医さんもいるのにぃ~、ねぇ」と言い放った。
中卒で、自分自身は何も成し遂げていない母のその一言は、私の心に深く突き刺さり、傷は長く膿んだ。
毒親と呼ぶ気もない、私は母と関係のない場所で、大切にしてくれる夫とその両親と、子供たちとじゅうぶんに幸せになった。もう自分にとっては終わったことなのだ。母は母で家庭に複雑な事情があって、若いころ相当苦労したことも今ならば理解できる。
本を書こう。私は決めた。どんな本でもいい、何の本でもいい。本を書くことができたら、何かが終わる気がする。
書いて、みよう。
地頭は良くて環境に恵まれればいろいろなことができたであろう母と、本来とことん文系だったのに医学部に進まざるを得なかった娘の、ものがたりの結末はどうなるのであろうか。
だからあれは漫画とかテレビバラエティのネタであって、リアリティを感じられないから気軽に笑える故にネタとして多用されてるだけ、と思ってたけど
(最近は「鬼嫁」も流行ったけど、あれもあんな嫁は現実にはほぼ存在しないからこそ珍獣観察感覚で気軽に笑えるんだろうと)
巷によくある真面目な「夫婦関係を改善するには」系本でもカカア天下である事を前提としたものは沢山あって
一定の支持を得られている事に最近気付いた(男性著者で男性向けのものに多い)。
って事は、「カカア天下」に本当にリアリティを感じている男性は多数いるのか。
女性向けのその手の類の本(に限らずネット記事とかでも何でもいいが)は
「横暴もしくは無神経な夫とそれに耐える自分」ってのがテンプレとされてるのと比べると
双方の認識が違い過ぎて、そりゃ上手く行かんわ、と思う。
しかし熟年離婚の話となると「横暴もしくは無神経な夫とそれに耐える妻」が前提で
「でも長年子供の為に我慢し続けていたけど、子供が独立してやっと離婚を切り出した妻と、妻の長年の不満に全く気付かず青天の霹靂な夫」
結納も済み、式場も決め、式まで3ヶ月切った時に妊娠判明。安定期に入ってたので日程を変えず挙式。
「今だから言うけど、結婚して3年しても子どもができなかったら離婚するつもりだった」…はぁ?なぜ、結婚前じゃなくてこのタイミング?
学生時代に当時の彼女を中絶させた(ラブラブの手紙とか仲間にカンパ頼んだ日記が残ってた…要らなそうなものを片付けといてって言われた妊娠6ヶ月のときに見つけた)くせに、初めてのとき避妊具はあったのに「避妊具使うと遅くなりすぎるしイケないかもだし、そもそもオレは今まで妊娠させたことがない」とかどの口が言うかね。
そんなのわかってたら、こっちだって
結婚しなかったよ。
結婚前にブライダルチェック一緒に受けよう、って、妊娠前に言ってみればよかった。「オレ、大丈夫だから」「どうして調べたことないのにわかるの?」って話になっただろうし。
大学で知り合い、結婚して6年。夫と私は性格は違えど、食べ物や旅行の楽しみ方がとても合う。この人と家族を作りたいと思って結婚した。
結婚してから子作りを頑張った。夫は子供が得意ではなかったが、私が望むなら、と協力してくれてた。お互いフルタイムで働いているので、次の日仕事でも頑張ってタイミングを合わせたりするのは大変だった。私は同時に婦人科に通って色々と検査した。ホルモン値を測る血液検査、卵管造影、排卵誘発剤など一通りやった。私は生理痛が酷かったので私のせいだ…と何度も何度も自分を責めた。
子作りを始めてから2年目くらいで、ある記事を読んだ。男性不妊の記事。記事には、旦那さんの性器のサイズも平均的でEDなどもなく、普通に性行為が行え、旦那さんも全く自覚が無かったという話だった。この記事を読んだとき、これかも!と思った。それから、意を決して夫に一度精液検査を受けてほしい、とお願いしたが、夫は「原因は僕じゃないと思うよw」と半笑いで返してきた。それから私は、私が悪いんだ…とずっと悩んでいた。
それからも3年子作りを頑張った。夫は直接は私を責めた事はなかったけど、なんとなくお前が悪いって言われてる気がしてた。
子供ができないことで夫の前で泣いたことは二回ある。でも、一人で泣いたことは数え切れない。この頃、不妊な私は人間として、生物として価値がない、死んだほうがましと、思ってた。でも、死んだら夫が悲しむだろうなぁと思うと死ねなかった。
子作りを始めてから5年、引っ越した事で、今まで通ってた婦人科をやめて新しい婦人科に移った。そこで前の病院から受け継いだカルテを新しい主治医に見せると、これは旦那さんにも検査してもらう必要がある、と強く言われた。どうしていいかわからず、色々込み上げてしまい主治医の前で号泣した。主治医は困惑しながらも、「これ以上の検査は旦那さんの精液検査の結果がないと出来ないと、旦那さんに言いなさい」と優しくアドバイスしてくれた。その夜、その通りに夫に伝えた。夫はいやいやながらも精液検査を受けることを了承してくれた。おそらく夫は、私の検査に付き合うのは面倒だなぁ思ってたんだろう。
主治医から、「夫さんの精液には、一匹も精子がいません。」と言われた。
主治医の顔は見れなかった。下を向いて私は「あー…なるほど。」と口にしてた。
長年不妊の原因が自分であると自分で自分を責めてきた。でも違った。私じゃなかった。3年前にそれを知ってたらこんなに自分を責めなくて済んだのに…。と色々頭を巡った。
その次に夫にこの事をどう伝えるか悩んだ。どう伝えれば傷つかないだろうか。ものすごく悩んだ。病院から家に帰る車の中でものすごく泣いた。そうして腫れぼったい目で夫に伝えた。「検査の結果が良くなかった。夫くん、無精子症みたい…」夫の顔は見れなかった。夫はしばらく固まって「そっか…」と呟いた。
そこからは私が男性不妊の場合の子供を授かるための方法を調べて夫に提案した。夫は「そこまでしてやりたくない。二人で、楽しく暮らそうよ」と言う。
私は夫と子供がいる家族を作りたいから結婚した。今、その夢がぽろぽろと崩れてる。子供が居ない選択肢なんて今まで考えたことが無かった(考えようとしなかった)。
これから先、周りにずっと「子どもはまだ?」と言われ続けないといけないのか。
5月の工作で作った鯉のぼりがとっても上手に出来て、不器用な私がこんなに上手に鯉のぼりが作れたんだよって、早くそれをお母さんに見せたくて、幼稚園のバスから駆け足で家の前に降りたった。
ところが家には鍵がかかってて、いるはずのお母さんはいなかった。永遠にも思えるような長い時間、玄関の前で待ってたけどお母さんは帰ってこなかった。
強まる雨足。雨雲が空を塗りつぶして辺りは夜みたいに暗くなった。
これ以上ここで一人で待ってはいられない。恐怖感が強まった私は、小学校にいる年子のお姉ちゃんを頼りに小学校への道を歩み始める。
お母さんが言ってた。
「何かあればお姉ちゃんのいる学校まで行きなさい。ゆみちゃんの足でも歩ける距離だからね」
ポクパクポクパク。
「えみちゃんいますかって言うんだよ」
靴に水が溜まって歩きにくい。
ズルズルズルズル。
涙と雨で前が見えない。周りは夜みたいに暗くて、私はもう誰からも守ってもらえない。
何処かで雷が鳴った。
先日、子供の演技発表会があった
その習い事の演技発表会で100人近い子供たちが次々と発表をしていく
子どもたちの人数が多いのもあって、早いペースでポンポンと進んでいく
それを見た妻は「二人連続すると写真撮影できないから、もし二人の演技順が連続していたら順番を変えてもらおう」
と言い出した。
「なんて図々しいことを言い出すんだこの人は」まずそう思った
自分の子供の写真を撮る事を優先する為に大勢の人が参加しているこの場の運営に口をだそうとしている事に違和感を感じた
「やめなよ。自分達の都合で運営に口をだすのはよくない」そう言ったが、
妻は何故反対されたのかわからないようだった
「なんで?そんな大した事じゃないじゃん」
確かに順番を変える事ぐらい大した事じゃ無いかも知れないし、言えば先生達は快く受け入れてくれるだろうと思う
「あの~、うちの子連続していると写真撮りにくいんで順番変えてもらえます~?」
って言うのかと思うと申し訳ないって気持ちのほうが先にでてくる
色々と段取りもあるだろうし、演技と演技の間も準備に走り回っている。
演技前には名簿をみながら名前を呼び上げてくれるが、その名簿の順番を変える必要が出てくる
先生達も司会の先生が入れ替わるので順番が変わることで情報伝達の手間も増えるだろう
恥ずかしい
それに、仮にここに参加しているみんながみんな、自分の子供の順番を変えてほしいと言い出したら
収集つかなくなるだろう。「うちの子は一番に」「いやいやうちの子を一番に」とか
私が反対したのでこの話は収まったかに見えたが、
結局、妻はトイレに行ったついでに先生を捕まえて順番を変えてもらったらしい
順番を変えた事を私には言わなかったが、順番待ちをしている子供の動きでわかった
わかったけど、これ以上追求して言い争いになるのも嫌だし
この話を妻とすることはなかった
これは、私が過剰に反応しすぎなんだろうか?
気になったので増田に書いてみた
こんな行動をした妻に嫌気がさした
今日、上の子を幼稚園に送っていった後に下の子を連れていきつけの子育て支援センターへ行った。
そしたらフロアの片隅で赤ちゃんが哺乳瓶を抱えて一人でミルクを飲んでいた。それをちょっと離れたところから職員さんが見守っていた。
赤ちゃんはとてもご機嫌そうに足をバタバタさせていて、見守り役の職員さんや通りすがりの私と私の子供と目が合うとニコニコ笑った。赤ちゃんっていうのは何故かミルクやおっぱいを飲みながら人の顔をよく見るものだ。
そういえば私が子供の頃もこんな風に一人でマグマグを抱えて飲んでいたなぁと思い出した。
普通、3歳位までの記憶は綺麗サッパリ忘れてしまうものらしいけれども、私は、薄暗い部屋、ベビーベーッドに寝転んでマグマグを抱えて熱心にチューチュー飲んでいた時の事を覚えているのだ。しかしその映像を覚えているものの、当時何を思いながらそうしていたのかは覚えていない。しかし不幸せというよりどちらかといえば幸せだった様な気はする。
赤ちゃんのお母さんは、上のお子さんの遊びに付き合っていた。上のお子さんはまだ2歳になるかならないか位。まだまだお母さんに甘えたい盛り。たぶん年子の兄弟なのだろう。
どこんちもそうだろうけど、下の子が生まれた時は上の子が赤ちゃん返りをして大変だった。
当時の事は疲れ過ぎてたせいかあまり覚えていないのだけど、一日の大半を上の子に振り回されていた。
下の子は常に腕に抱きかかえておっぱいにぶら下げてはいたものの、あまりかまってあげる事は出来なかった。
慌ただしい日々のなかで強烈に覚えている事がある。それは夜、寝る前になると上の子が決まってママが良いと大泣きをしたので、下の子は夫に任せて私は上の子の寝かし付けにかかりきりになっていたときの事だ。
上の子は、下の子が泣き止んで静かになるまで眠らなかった。一方下の子は、私がだっこしておっぱいを与えるまでずっと二時間でも三時間でも、声が枯れるまで泣き続けた。
上の子がまだ赤ちゃんだったときは泣いたらすぐおっぱいをあげていたし、オムツでもなんでも待たせた事がなく、常にご機嫌でいさせる事が出来たから、下の子の、枯れ枯れの弱々しい泣き声を聞くと、罪悪感に胸を締め付けられる様だった。
下の子とも一応ずっと一緒にいたのはいたけれど、私は下の子がおっぱいを飲んでニコニコしているところを見た回数は案外少ないのかもしれない。
かといって上の子だって私は可愛いのであり、下の子が生まれた事で辛く寂しい思いはさせたくなかったのだ。
二人目を生んだ後、私の周りの人達の多くは「上の子を優先にするように」と言った。
上の子優先。
育児の常識はたった数年でコロコロ変わるので今はどうか知らないけれど、私が下の子を生んだ当時はなんだかやたらと言われていた様な気がする。
あまりにも言われているから、下の子を生む前は、それは多大な努力をしないと出来ない大層難しい事なのかと思ったが、いざ生まれてみたらさにあらず。
実際は、いやがおうにも上の子優先で全てが回った。
あまりにも上の子ばかりで下の子は放置しまくりだったのがずっと心に引っ掛かっていた。
上の子も可愛いけど、下の子にも上の子が赤ちゃんだった時の様にしてあげたいとずっと思っていた。
でも、子育てを助けてくれる人達は皆、私の意に反した手助けを申し出て来たのだった。
「赤ちゃんは見ててあげるから、たまには上の子ちゃんと思いきり遊んでおいで」
と家族に言われて、まだ帝王切開の傷が痛いのに、元気をもて余した上の子を連れて運動公園へ行き、滑り台やボール投げで遊んだり。
寝不足でフラフラしながら子育て支援センターへ行くと、口を開く前に下の子を連れていかれ上の子に「良かったね。久しぶりにママと二人きりの時間を楽しんでね!」と言われる。
違う、違うんだって!
……とは、あまり主張出来なかった。
たまに言えば、新しい赤ちゃんが可愛すぎて上の子のことが疎ましくなって締まったのか?と極端に取られてしまい、要らぬ心配をされたり非難されたりした。
どちらが可愛いかとかいう問題ではなく、私はフェアじゃない事を気にしていただけなのに。
一人目と二人目以降を同じくらい手をかけて育てるのは無理なのは分かっているけれど、あまりにも上の子優先に偏り過ぎており、私にはもはや「上の子優先」というのが宗教か何かの様に感じられていた。
皆、盲信しすぎ。
そんな、上の子無双だったあの頃の事を、床に寝転がって一人でミルクを飲んでいる赤ちゃんを見て思い出した。
その赤ちゃんのお母さんは久しぶりに上のお子さんとの二人きりの時間を楽しんでいたのか、それともかつての私の様に後ろ髪を引かれる思いなのかどうかは知らないけれど、ともあれ幸せな育児生活を送れますように。
大きめなプロジェクトが終わり、3週間ほどの長期休暇をもらえたので、
最近家に居るんだが、嫁が洗濯ぐらいしかしていないことがよーくわかった。
起床
オレ:8:30
朝イチの行動
オレ:二人分のコーヒーを入れる
朝飯
オレ:嫁が動き出さなければパンを焼き二人分の朝飯を作り始める
嫁:たまに朝飯を作るか、オレが動き出したら作る
午前中
嫁:洗濯1回まわして、頭が痛いだのダルいだの言って寝室で就寝
昼飯
オレ:13時過ぎても動き出さなければ、オレが外食するか、嫁が作ってくれるのかを聞く
嫁:しぶしぶ作る(週に3度は外食)
午後
嫁:録りためたテレビ番組を一緒に見つつスマホゲーム。「スーパー買い物いかなくちゃぁ」と連呼。頭が痛いだのダルいだの言って寝室で就寝その2
日々の買い物(スーパー等)
オレ:仕方がないのでスーパーに一緒に行こうと行って連れ出す。
嫁:手伝わせるの悪いからいいよぉと言いつつ、ひとりで行ったのは3週間で1度だけ
夕方〜夜
嫁:基本スマホでゲーム「夕飯何にしよう...」を連呼。しぶしぶ晩飯を作る
でも、あまりに暇そうな毎日なので、パートなり趣味なりしないのか聞いてみた。
彼女の言い分は、子供が出来る事を見越してパートをするのを控えていたとのこと。
しまいには、私を責めるのかと泣き始めた。
とにかく、「偏頭痛だぁ、風引いたかもぉ」を毎日のように繰り返し、
やがて生理がやってきて「2週間はしんどい」という。彼女は別に鬱でもなんでもない。
ただの愚痴日記にお付き合いいただきありがとうございます。
病気だ病気だと騒がしい感じ、また勝手に無関心とか不仲と決めつけておられるかたも多いので「落ち着いてくださいよw」というのが率直な感想です。
また、「増田が叩かれている、フルボッコにされている」とありますが、全くそういう感覚はありませんのでご自由にどうぞ。
>最後の行で自分でも書いてるじゃないか。人間、がんばって働いても感謝されてないなと感じると努力するのもアホらしくなってくるのだ。彼女の努力をスルーしていた時代があったんだろう。
不妊治療していたころは、逐一状況と情報の共有、どのレベルまでやるかなど相談もしていましたし、
>男女逆なら穀潰しのヒモで燃えるんだけど、はてな村では専業だろうが共働きだろうが主婦を批判的に言うことは許されない。不倫などごく一部の例外を除いてな/妻の体調生活態度が悪いのは夫の無関心が原因が模範解答
主婦を批判しているのではなく、生産性のある行動を起こさない妻への不満を書いているつもりです。
また、無関心だとしたら、パートや趣味を持つことの提案をするでしょうか
このようなコメントはいくつかみかけましたが、今年旅行には何度か行っています。
また休暇前・休暇中に妻にも提案していますが「特に行きたいところがない」という回答がありました。
>具合がわるいのはほんとに具合が悪い可能性があるので医者に行ってみたほうがいいかも
>寝過ぎだし頭痛いって言ってるし、だるいのも鬱の症状の可能性ある。本当に詰む前に、一度病院行った方がいい。それに働くことに自信がないのなら発達障害あるかも。
頭痛については頻発しているので、そろそろ医者に行こうかと話していました。
>なんで休暇を取るまで実態を知らなかったんだろ。土日も似たような生活してそうだけど。お互いに無関心過ぎない?
ある程度は分かっていました。洗濯が好きで、掃除はそこそこ好き、炊事が嫌いなんでしょう。
平日に関しては、朝食を自分が作ること、夕食を私が買って帰ったり外食することが度々ありました。
土日は夫婦で買い物に出かけたりしています。平日にここまで生産的なことをしていない姿を見て驚いたのです。
うちの母は専業主婦だけど、梅干しから味噌、豆腐、蒟蒻、果実酒まで手作りしてて、暇な時は畑を耕している。主婦業を本気でやろうと思ったら一日じゃ全然足りない
「人生かわっちゃう」どういう意味でしょうか?あなたのお母様のような主婦像を求めてはいません。主婦業を完璧にして欲しいわけではなく、行動してほしいのです。
>こんな愚痴記事ひとつ読んで「鬱」なり「代謝系の病気」なり診断できる名医たち、WELQのライターとか向いてるんじゃない?
同感です。話が飛躍しすぎています。
>嫁も専業だけど子ども産まれるまでは人生の夏休みだったって言ってたなw それにしても家事しない男はボコボコにされるのにろくに貢献しない専業女が援護されるはてな最高だなw
感覚として自分が叩かれているとも、妻が擁護されているとも感じません。女性が過剰に反応している感じは受けます。
>もっと早く気が付いて、奥さんの気晴らしやライフサイクルを心配してあげればよかったのに…。
たらればです。まるで私が、妻の心配をしていないような言い回しですが、決めつけです。
英語学習についての批判をされている方に少しカチンときましたが、おそらく英語(学習をしている人)が嫌いか、英語を学習されたことがない方なんでしょう。
英語は仕事で使っており、3週間も触れなければ、メールや会話のレスポンスが遅れるなど支障をきたします。
<追記 その2 12/26>
よくもまぁみなさん評論家ヅラでいろんな事を言うもんですねー。正直何も響いてきません。
こういう傾向があるから、こういう病気かもとか、お互い話し合えとか、奥さんを理解しろとか…
人にそんなアドバイスができるほど、ご自身はパートナーを思いやれているのでしょうか?
話し合えているんでしょうか、信頼できているんでしょうか。
トラバやコメントは、ただの雑音でしかなく、結果何の役にも立ちませんでした。
そもそも、この休暇期間の1週間ほどを切り取って書いただけの事。
夫はその県で一番大きい銀行(第一地銀と言うらしい)に勤めてる
ちなみに私は在宅の仕事でパートしてる人よりはもらってるかなー程度にほそぼそと仕事してる
で、まあ去年子供が産まれて夫の地元の人とも付き合いがあるようになったんだけど
夫の仕事の話になると「増田さんのとこの旦那さんは○○銀行ですものねー(だから将来安泰ですよねー)」みたいなことを直接的なり間接的なり言われる
ぶっちゃけほんの少しだけ他の家庭よりお金はあるかもしれないけど
それは家賃タダみたいな社宅に住んでるのと夫が結構な倹約家だからというだけ
ブランド物なんかは他の人たちのほうが持ってるし
車だってうちの中古車よりいいの乗ってる人ばかりだ(ちなみに車は贅沢品じゃなくて必需品の地域だ)
私自身は父が自営業をしていたから銀行員はよく家に来てたけど、いつも疲れた顔をしてた記憶があるし
しいていうなら銀行員は真面目な人なんだろうなーってくらい
夫は夫で
「俺は所詮こんなクソ田舎の地方銀行でしか雇ってもらえないダメ人間だ」
なんて自虐的に言ったりすることがよくある
まあとにかく
私の感覚としては我が家は「ふつーのサラリーマン家庭」って感じなんだけど
周囲の反応や
http://anond.hatelabo.jp/20160507191001
と思った