はてなキーワード: 年子とは
だからあれは漫画とかテレビバラエティのネタであって、リアリティを感じられないから気軽に笑える故にネタとして多用されてるだけ、と思ってたけど
(最近は「鬼嫁」も流行ったけど、あれもあんな嫁は現実にはほぼ存在しないからこそ珍獣観察感覚で気軽に笑えるんだろうと)
巷によくある真面目な「夫婦関係を改善するには」系本でもカカア天下である事を前提としたものは沢山あって
一定の支持を得られている事に最近気付いた(男性著者で男性向けのものに多い)。
って事は、「カカア天下」に本当にリアリティを感じている男性は多数いるのか。
女性向けのその手の類の本(に限らずネット記事とかでも何でもいいが)は
「横暴もしくは無神経な夫とそれに耐える自分」ってのがテンプレとされてるのと比べると
双方の認識が違い過ぎて、そりゃ上手く行かんわ、と思う。
しかし熟年離婚の話となると「横暴もしくは無神経な夫とそれに耐える妻」が前提で
「でも長年子供の為に我慢し続けていたけど、子供が独立してやっと離婚を切り出した妻と、妻の長年の不満に全く気付かず青天の霹靂な夫」
結納も済み、式場も決め、式まで3ヶ月切った時に妊娠判明。安定期に入ってたので日程を変えず挙式。
「今だから言うけど、結婚して3年しても子どもができなかったら離婚するつもりだった」…はぁ?なぜ、結婚前じゃなくてこのタイミング?
学生時代に当時の彼女を中絶させた(ラブラブの手紙とか仲間にカンパ頼んだ日記が残ってた…要らなそうなものを片付けといてって言われた妊娠6ヶ月のときに見つけた)くせに、初めてのとき避妊具はあったのに「避妊具使うと遅くなりすぎるしイケないかもだし、そもそもオレは今まで妊娠させたことがない」とかどの口が言うかね。
そんなのわかってたら、こっちだって
結婚しなかったよ。
結婚前にブライダルチェック一緒に受けよう、って、妊娠前に言ってみればよかった。「オレ、大丈夫だから」「どうして調べたことないのにわかるの?」って話になっただろうし。
大学で知り合い、結婚して6年。夫と私は性格は違えど、食べ物や旅行の楽しみ方がとても合う。この人と家族を作りたいと思って結婚した。
結婚してから子作りを頑張った。夫は子供が得意ではなかったが、私が望むなら、と協力してくれてた。お互いフルタイムで働いているので、次の日仕事でも頑張ってタイミングを合わせたりするのは大変だった。私は同時に婦人科に通って色々と検査した。ホルモン値を測る血液検査、卵管造影、排卵誘発剤など一通りやった。私は生理痛が酷かったので私のせいだ…と何度も何度も自分を責めた。
子作りを始めてから2年目くらいで、ある記事を読んだ。男性不妊の記事。記事には、旦那さんの性器のサイズも平均的でEDなどもなく、普通に性行為が行え、旦那さんも全く自覚が無かったという話だった。この記事を読んだとき、これかも!と思った。それから、意を決して夫に一度精液検査を受けてほしい、とお願いしたが、夫は「原因は僕じゃないと思うよw」と半笑いで返してきた。それから私は、私が悪いんだ…とずっと悩んでいた。
それからも3年子作りを頑張った。夫は直接は私を責めた事はなかったけど、なんとなくお前が悪いって言われてる気がしてた。
子供ができないことで夫の前で泣いたことは二回ある。でも、一人で泣いたことは数え切れない。この頃、不妊な私は人間として、生物として価値がない、死んだほうがましと、思ってた。でも、死んだら夫が悲しむだろうなぁと思うと死ねなかった。
子作りを始めてから5年、引っ越した事で、今まで通ってた婦人科をやめて新しい婦人科に移った。そこで前の病院から受け継いだカルテを新しい主治医に見せると、これは旦那さんにも検査してもらう必要がある、と強く言われた。どうしていいかわからず、色々込み上げてしまい主治医の前で号泣した。主治医は困惑しながらも、「これ以上の検査は旦那さんの精液検査の結果がないと出来ないと、旦那さんに言いなさい」と優しくアドバイスしてくれた。その夜、その通りに夫に伝えた。夫はいやいやながらも精液検査を受けることを了承してくれた。おそらく夫は、私の検査に付き合うのは面倒だなぁ思ってたんだろう。
主治医から、「夫さんの精液には、一匹も精子がいません。」と言われた。
主治医の顔は見れなかった。下を向いて私は「あー…なるほど。」と口にしてた。
長年不妊の原因が自分であると自分で自分を責めてきた。でも違った。私じゃなかった。3年前にそれを知ってたらこんなに自分を責めなくて済んだのに…。と色々頭を巡った。
その次に夫にこの事をどう伝えるか悩んだ。どう伝えれば傷つかないだろうか。ものすごく悩んだ。病院から家に帰る車の中でものすごく泣いた。そうして腫れぼったい目で夫に伝えた。「検査の結果が良くなかった。夫くん、無精子症みたい…」夫の顔は見れなかった。夫はしばらく固まって「そっか…」と呟いた。
そこからは私が男性不妊の場合の子供を授かるための方法を調べて夫に提案した。夫は「そこまでしてやりたくない。二人で、楽しく暮らそうよ」と言う。
私は夫と子供がいる家族を作りたいから結婚した。今、その夢がぽろぽろと崩れてる。子供が居ない選択肢なんて今まで考えたことが無かった(考えようとしなかった)。
これから先、周りにずっと「子どもはまだ?」と言われ続けないといけないのか。
5月の工作で作った鯉のぼりがとっても上手に出来て、不器用な私がこんなに上手に鯉のぼりが作れたんだよって、早くそれをお母さんに見せたくて、幼稚園のバスから駆け足で家の前に降りたった。
ところが家には鍵がかかってて、いるはずのお母さんはいなかった。永遠にも思えるような長い時間、玄関の前で待ってたけどお母さんは帰ってこなかった。
強まる雨足。雨雲が空を塗りつぶして辺りは夜みたいに暗くなった。
これ以上ここで一人で待ってはいられない。恐怖感が強まった私は、小学校にいる年子のお姉ちゃんを頼りに小学校への道を歩み始める。
お母さんが言ってた。
「何かあればお姉ちゃんのいる学校まで行きなさい。ゆみちゃんの足でも歩ける距離だからね」
ポクパクポクパク。
「えみちゃんいますかって言うんだよ」
靴に水が溜まって歩きにくい。
ズルズルズルズル。
涙と雨で前が見えない。周りは夜みたいに暗くて、私はもう誰からも守ってもらえない。
何処かで雷が鳴った。
先日、子供の演技発表会があった
その習い事の演技発表会で100人近い子供たちが次々と発表をしていく
子どもたちの人数が多いのもあって、早いペースでポンポンと進んでいく
それを見た妻は「二人連続すると写真撮影できないから、もし二人の演技順が連続していたら順番を変えてもらおう」
と言い出した。
「なんて図々しいことを言い出すんだこの人は」まずそう思った
自分の子供の写真を撮る事を優先する為に大勢の人が参加しているこの場の運営に口をだそうとしている事に違和感を感じた
「やめなよ。自分達の都合で運営に口をだすのはよくない」そう言ったが、
妻は何故反対されたのかわからないようだった
「なんで?そんな大した事じゃないじゃん」
確かに順番を変える事ぐらい大した事じゃ無いかも知れないし、言えば先生達は快く受け入れてくれるだろうと思う
「あの~、うちの子連続していると写真撮りにくいんで順番変えてもらえます~?」
って言うのかと思うと申し訳ないって気持ちのほうが先にでてくる
色々と段取りもあるだろうし、演技と演技の間も準備に走り回っている。
演技前には名簿をみながら名前を呼び上げてくれるが、その名簿の順番を変える必要が出てくる
先生達も司会の先生が入れ替わるので順番が変わることで情報伝達の手間も増えるだろう
恥ずかしい
それに、仮にここに参加しているみんながみんな、自分の子供の順番を変えてほしいと言い出したら
収集つかなくなるだろう。「うちの子は一番に」「いやいやうちの子を一番に」とか
私が反対したのでこの話は収まったかに見えたが、
結局、妻はトイレに行ったついでに先生を捕まえて順番を変えてもらったらしい
順番を変えた事を私には言わなかったが、順番待ちをしている子供の動きでわかった
わかったけど、これ以上追求して言い争いになるのも嫌だし
この話を妻とすることはなかった
これは、私が過剰に反応しすぎなんだろうか?
気になったので増田に書いてみた
こんな行動をした妻に嫌気がさした
今日、上の子を幼稚園に送っていった後に下の子を連れていきつけの子育て支援センターへ行った。
そしたらフロアの片隅で赤ちゃんが哺乳瓶を抱えて一人でミルクを飲んでいた。それをちょっと離れたところから職員さんが見守っていた。
赤ちゃんはとてもご機嫌そうに足をバタバタさせていて、見守り役の職員さんや通りすがりの私と私の子供と目が合うとニコニコ笑った。赤ちゃんっていうのは何故かミルクやおっぱいを飲みながら人の顔をよく見るものだ。
そういえば私が子供の頃もこんな風に一人でマグマグを抱えて飲んでいたなぁと思い出した。
普通、3歳位までの記憶は綺麗サッパリ忘れてしまうものらしいけれども、私は、薄暗い部屋、ベビーベーッドに寝転んでマグマグを抱えて熱心にチューチュー飲んでいた時の事を覚えているのだ。しかしその映像を覚えているものの、当時何を思いながらそうしていたのかは覚えていない。しかし不幸せというよりどちらかといえば幸せだった様な気はする。
赤ちゃんのお母さんは、上のお子さんの遊びに付き合っていた。上のお子さんはまだ2歳になるかならないか位。まだまだお母さんに甘えたい盛り。たぶん年子の兄弟なのだろう。
どこんちもそうだろうけど、下の子が生まれた時は上の子が赤ちゃん返りをして大変だった。
当時の事は疲れ過ぎてたせいかあまり覚えていないのだけど、一日の大半を上の子に振り回されていた。
下の子は常に腕に抱きかかえておっぱいにぶら下げてはいたものの、あまりかまってあげる事は出来なかった。
慌ただしい日々のなかで強烈に覚えている事がある。それは夜、寝る前になると上の子が決まってママが良いと大泣きをしたので、下の子は夫に任せて私は上の子の寝かし付けにかかりきりになっていたときの事だ。
上の子は、下の子が泣き止んで静かになるまで眠らなかった。一方下の子は、私がだっこしておっぱいを与えるまでずっと二時間でも三時間でも、声が枯れるまで泣き続けた。
上の子がまだ赤ちゃんだったときは泣いたらすぐおっぱいをあげていたし、オムツでもなんでも待たせた事がなく、常にご機嫌でいさせる事が出来たから、下の子の、枯れ枯れの弱々しい泣き声を聞くと、罪悪感に胸を締め付けられる様だった。
下の子とも一応ずっと一緒にいたのはいたけれど、私は下の子がおっぱいを飲んでニコニコしているところを見た回数は案外少ないのかもしれない。
かといって上の子だって私は可愛いのであり、下の子が生まれた事で辛く寂しい思いはさせたくなかったのだ。
二人目を生んだ後、私の周りの人達の多くは「上の子を優先にするように」と言った。
上の子優先。
育児の常識はたった数年でコロコロ変わるので今はどうか知らないけれど、私が下の子を生んだ当時はなんだかやたらと言われていた様な気がする。
あまりにも言われているから、下の子を生む前は、それは多大な努力をしないと出来ない大層難しい事なのかと思ったが、いざ生まれてみたらさにあらず。
実際は、いやがおうにも上の子優先で全てが回った。
あまりにも上の子ばかりで下の子は放置しまくりだったのがずっと心に引っ掛かっていた。
上の子も可愛いけど、下の子にも上の子が赤ちゃんだった時の様にしてあげたいとずっと思っていた。
でも、子育てを助けてくれる人達は皆、私の意に反した手助けを申し出て来たのだった。
「赤ちゃんは見ててあげるから、たまには上の子ちゃんと思いきり遊んでおいで」
と家族に言われて、まだ帝王切開の傷が痛いのに、元気をもて余した上の子を連れて運動公園へ行き、滑り台やボール投げで遊んだり。
寝不足でフラフラしながら子育て支援センターへ行くと、口を開く前に下の子を連れていかれ上の子に「良かったね。久しぶりにママと二人きりの時間を楽しんでね!」と言われる。
違う、違うんだって!
……とは、あまり主張出来なかった。
たまに言えば、新しい赤ちゃんが可愛すぎて上の子のことが疎ましくなって締まったのか?と極端に取られてしまい、要らぬ心配をされたり非難されたりした。
どちらが可愛いかとかいう問題ではなく、私はフェアじゃない事を気にしていただけなのに。
一人目と二人目以降を同じくらい手をかけて育てるのは無理なのは分かっているけれど、あまりにも上の子優先に偏り過ぎており、私にはもはや「上の子優先」というのが宗教か何かの様に感じられていた。
皆、盲信しすぎ。
そんな、上の子無双だったあの頃の事を、床に寝転がって一人でミルクを飲んでいる赤ちゃんを見て思い出した。
その赤ちゃんのお母さんは久しぶりに上のお子さんとの二人きりの時間を楽しんでいたのか、それともかつての私の様に後ろ髪を引かれる思いなのかどうかは知らないけれど、ともあれ幸せな育児生活を送れますように。
大きめなプロジェクトが終わり、3週間ほどの長期休暇をもらえたので、
最近家に居るんだが、嫁が洗濯ぐらいしかしていないことがよーくわかった。
起床
オレ:8:30
朝イチの行動
オレ:二人分のコーヒーを入れる
朝飯
オレ:嫁が動き出さなければパンを焼き二人分の朝飯を作り始める
嫁:たまに朝飯を作るか、オレが動き出したら作る
午前中
嫁:洗濯1回まわして、頭が痛いだのダルいだの言って寝室で就寝
昼飯
オレ:13時過ぎても動き出さなければ、オレが外食するか、嫁が作ってくれるのかを聞く
嫁:しぶしぶ作る(週に3度は外食)
午後
嫁:録りためたテレビ番組を一緒に見つつスマホゲーム。「スーパー買い物いかなくちゃぁ」と連呼。頭が痛いだのダルいだの言って寝室で就寝その2
日々の買い物(スーパー等)
オレ:仕方がないのでスーパーに一緒に行こうと行って連れ出す。
嫁:手伝わせるの悪いからいいよぉと言いつつ、ひとりで行ったのは3週間で1度だけ
夕方〜夜
嫁:基本スマホでゲーム「夕飯何にしよう...」を連呼。しぶしぶ晩飯を作る
でも、あまりに暇そうな毎日なので、パートなり趣味なりしないのか聞いてみた。
彼女の言い分は、子供が出来る事を見越してパートをするのを控えていたとのこと。
しまいには、私を責めるのかと泣き始めた。
とにかく、「偏頭痛だぁ、風引いたかもぉ」を毎日のように繰り返し、
やがて生理がやってきて「2週間はしんどい」という。彼女は別に鬱でもなんでもない。
ただの愚痴日記にお付き合いいただきありがとうございます。
病気だ病気だと騒がしい感じ、また勝手に無関心とか不仲と決めつけておられるかたも多いので「落ち着いてくださいよw」というのが率直な感想です。
また、「増田が叩かれている、フルボッコにされている」とありますが、全くそういう感覚はありませんのでご自由にどうぞ。
>最後の行で自分でも書いてるじゃないか。人間、がんばって働いても感謝されてないなと感じると努力するのもアホらしくなってくるのだ。彼女の努力をスルーしていた時代があったんだろう。
不妊治療していたころは、逐一状況と情報の共有、どのレベルまでやるかなど相談もしていましたし、
>男女逆なら穀潰しのヒモで燃えるんだけど、はてな村では専業だろうが共働きだろうが主婦を批判的に言うことは許されない。不倫などごく一部の例外を除いてな/妻の体調生活態度が悪いのは夫の無関心が原因が模範解答
主婦を批判しているのではなく、生産性のある行動を起こさない妻への不満を書いているつもりです。
また、無関心だとしたら、パートや趣味を持つことの提案をするでしょうか
このようなコメントはいくつかみかけましたが、今年旅行には何度か行っています。
また休暇前・休暇中に妻にも提案していますが「特に行きたいところがない」という回答がありました。
>具合がわるいのはほんとに具合が悪い可能性があるので医者に行ってみたほうがいいかも
>寝過ぎだし頭痛いって言ってるし、だるいのも鬱の症状の可能性ある。本当に詰む前に、一度病院行った方がいい。それに働くことに自信がないのなら発達障害あるかも。
頭痛については頻発しているので、そろそろ医者に行こうかと話していました。
>なんで休暇を取るまで実態を知らなかったんだろ。土日も似たような生活してそうだけど。お互いに無関心過ぎない?
ある程度は分かっていました。洗濯が好きで、掃除はそこそこ好き、炊事が嫌いなんでしょう。
平日に関しては、朝食を自分が作ること、夕食を私が買って帰ったり外食することが度々ありました。
土日は夫婦で買い物に出かけたりしています。平日にここまで生産的なことをしていない姿を見て驚いたのです。
うちの母は専業主婦だけど、梅干しから味噌、豆腐、蒟蒻、果実酒まで手作りしてて、暇な時は畑を耕している。主婦業を本気でやろうと思ったら一日じゃ全然足りない
「人生かわっちゃう」どういう意味でしょうか?あなたのお母様のような主婦像を求めてはいません。主婦業を完璧にして欲しいわけではなく、行動してほしいのです。
>こんな愚痴記事ひとつ読んで「鬱」なり「代謝系の病気」なり診断できる名医たち、WELQのライターとか向いてるんじゃない?
同感です。話が飛躍しすぎています。
>嫁も専業だけど子ども産まれるまでは人生の夏休みだったって言ってたなw それにしても家事しない男はボコボコにされるのにろくに貢献しない専業女が援護されるはてな最高だなw
感覚として自分が叩かれているとも、妻が擁護されているとも感じません。女性が過剰に反応している感じは受けます。
>もっと早く気が付いて、奥さんの気晴らしやライフサイクルを心配してあげればよかったのに…。
たらればです。まるで私が、妻の心配をしていないような言い回しですが、決めつけです。
英語学習についての批判をされている方に少しカチンときましたが、おそらく英語(学習をしている人)が嫌いか、英語を学習されたことがない方なんでしょう。
英語は仕事で使っており、3週間も触れなければ、メールや会話のレスポンスが遅れるなど支障をきたします。
<追記 その2 12/26>
よくもまぁみなさん評論家ヅラでいろんな事を言うもんですねー。正直何も響いてきません。
こういう傾向があるから、こういう病気かもとか、お互い話し合えとか、奥さんを理解しろとか…
人にそんなアドバイスができるほど、ご自身はパートナーを思いやれているのでしょうか?
話し合えているんでしょうか、信頼できているんでしょうか。
トラバやコメントは、ただの雑音でしかなく、結果何の役にも立ちませんでした。
そもそも、この休暇期間の1週間ほどを切り取って書いただけの事。
夫はその県で一番大きい銀行(第一地銀と言うらしい)に勤めてる
ちなみに私は在宅の仕事でパートしてる人よりはもらってるかなー程度にほそぼそと仕事してる
で、まあ去年子供が産まれて夫の地元の人とも付き合いがあるようになったんだけど
夫の仕事の話になると「増田さんのとこの旦那さんは○○銀行ですものねー(だから将来安泰ですよねー)」みたいなことを直接的なり間接的なり言われる
ぶっちゃけほんの少しだけ他の家庭よりお金はあるかもしれないけど
それは家賃タダみたいな社宅に住んでるのと夫が結構な倹約家だからというだけ
ブランド物なんかは他の人たちのほうが持ってるし
車だってうちの中古車よりいいの乗ってる人ばかりだ(ちなみに車は贅沢品じゃなくて必需品の地域だ)
私自身は父が自営業をしていたから銀行員はよく家に来てたけど、いつも疲れた顔をしてた記憶があるし
しいていうなら銀行員は真面目な人なんだろうなーってくらい
夫は夫で
「俺は所詮こんなクソ田舎の地方銀行でしか雇ってもらえないダメ人間だ」
なんて自虐的に言ったりすることがよくある
まあとにかく
私の感覚としては我が家は「ふつーのサラリーマン家庭」って感じなんだけど
周囲の反応や
http://anond.hatelabo.jp/20160507191001
と思った
今年子供は三歳になる。
とても可愛いけれども、ここまで来るのはとても大変だった。
朝子供の保育園の準備をする、朝ごはんを作る、送って行く、迎えに行く、夜ご飯を仕込む、風呂に入れる、寝かせる。
うちは子供にアレルギーがあるので、しょっちゅう布団掃除機をかけ、床を水拭きしている。
これだけで、毎日ヘトヘトだ。
子供のために、家事をして、ご飯を食べさせて、物を買い揃えて・・・
これさえやってれば、ある程度は親の役目は果たせられていると言えるんじゃないか、と最近思っている。
と言うか、それだけで正直手一杯だ。夫婦いっぱいいっぱいだ。
当たり前の事がこれだけ大変なんて、思ってもみなかった。
親はヒステリックなことも多かったし、勉強に過度の期待をしてくることもあったし、色々揉めることもあった。
でも、自分が親になったいま、親は自分のためにこれだけ大変なことを毎日していたんだと気づいて、
なんだか自分が親のことを少し否定的に見ていた事は、あまり正しくなかった気がする。
プラスアルファを求めすぎていたんだと思う。
そして、自分がいかに愛されていたのか、自覚出来るようになった。
うちの母親は、真の意味で「子育てが趣味」という人間だ。徹頭徹尾子供のことのみを考えて生きていて、非実用的な私物は一切買わず娯楽の類にも興味がない。最近少しパソコンを始めたようだが、それも「PTAの書記になったから」というだけの理由だった。さすがに友人は少数いて月に一度くらい食事に出かけている。それがほぼ唯一の散財だ。専業主婦になる前一年ほど就いていた仕事も小学校の家庭科教師というのだから、筋金入りとしか言いようがない。二十四で初めての子供を産み(僕のことだ)、その後さらに追加で三人を産んだ。最後に生まれた娘が重度の知能障害だったのでより深く面倒を見なければならず、五人目は断念したようだが、後々になって「欲しくなかったの?」と訊いたら即答で「欲しかったよ」と言われて少々唖然とした。
それなりに広い二階建ての家を毎日隅々まで掃除し、大量の衣服を洗濯してアイロンがけし、夕飯も惣菜で済まさずに手作りする。これは明確に仕事の一環として行っていて、特に料理は全く好きでないらしい。前日の肉じゃがを再利用してコロッケを作るような工夫を見せながら(抜群に美味い)、自分は白米と沢庵で済ませていたりする。自分のことに関心がなく、そして外の世界にもほぼ関心がない。生粋の箱入り娘として育てられていて、男性経験も父以外には一人もない。よく昼ドラで描かれるような「専業主婦」とは対極に位置する存在だと思われる。
そんな彼女の一番の教育方針は「兄弟間で差を付けない」というものだ。僕は長男であり次男は三歳下、三男は四歳下なのだが「面倒を見ろ」と言われた記憶はない。「お兄ちゃんなんだから」と何かを我慢させられたこともない。小遣いは学年に応じて決められていて、同じ学年になれば同じ額が支払われた。僕が小四になって希望して塾に行ったので、弟達が四年生になった時も同じように(希望を訊いた上で)塾通いを許可した。子供が増えるほど家計は切迫していたに違いなく、これは想像以上にきつかったはずだ。
そしてこの方針を徹底している最も象徴的なことが、僕の呼び名だ。僕は家族全員から下の名前で呼ばれている。弟からも妹からも呼び捨てだ。「兄さん」などと呼ばれるのは想像しただけで寒気がする。これは間違いなく親が「兄」という呼び名を使わなかったことが理由で、つまるところ僕は家族の中で「兄」として扱われたことが一度もないのだ。だからよく、他人に「長男だ」と言うと「そうは見えない」と驚かれる。
この育て方の結果として、うちは兄弟仲が異常に良い。あたりまえのように一緒に食事やカラオケに行くし、仕事や好きな漫画について何時間でも話し続ける。弟二人は特に年子だから僕以上に関係が深く、対戦ゲームを一晩中遊んでいる様子を度々見かけていた。世間一般のイメージする「兄弟」というよりはどちらかというと「幼馴染」に近いようにも思うが、しかし僕にとってこれこそが兄弟関係以外の何者でもなく、それはすなわち母の教育の成功を意味しているのだと思う。
そもそも複数の兄弟を分け隔てなく育てるというのは、土台無理な話なのだ。あまりに手間がかかりすぎる。自分の好きなことは一切できないような生活にならざるを得ないだろう。だからこれは、うちの母に限定された教育法だ。彼女は「私欲を滅して子育てに魂を捧げるのだ」といった大層な決意を持って臨んだわけではない。単に自然に子育てをしたらそうなっただけのことなのだ。そう、彼女はある意味では自分の欲望に忠実に生きている。
現在、四人の子供は全員成人し、男三人はみな就職してそれぞれの仕事に励んでいる。すべからく子供は大人になり、親から離れてどこかへ行く。あたりまえのことだ。だがそれは母親にとっては唯一の趣味がなくなることを意味する。
だから四人目の娘が重度の知的障害者だったのは、(いろいろなものに目をつぶって言うと)僕たち家族にはとても良いことだった。今でも二歳児程度の知能発育である妹は、これ以上成長しない。彼女は永遠に子供のままであり、それはそのまま永遠に子育てが続くことを意味する。母親にとって、それはきっと幸福なことなのだと思う。
たぶんこれが現代の日本社会で最も周囲にアレコレ無神経なおせっかいを言われず、こじらせ系にならずに済むルート。
しかし一見平凡な女の幸せに見せて、ものすごく難しいルート。1回目の人生では入り口すら見つけられない人多数。
とにかくハードモード。人生3周目じゃないとクリアできそうもない。
高校生くらいの年齢の時からこのルートを目指して計画的に行動しているか、ものすごい強運が要る。実際はここに書ききれないほど多くの条件、つまり人格や個人的理由、感情やタイミングなどが加わってくる。そういう個々人の事情をすべてをまるっと無視して「これが女の幸せでしょ」とひとくくりに言われてしまうのは、さらっと受けながすにはなかなかに重たいのだ。心が弱っている時には特に堪える。
補足:
上記は私が直接言われたこと、私の女友達から聞いた愚痴、結婚出産育児系の掲示板で散見された情報を元に独断と偏見を持って書いた内容です。
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ブコメを受けての追記です:
夜中に書きなぐった文章が起きたらホッテントリ入りしていたのでギャー!となりました。色々な角度から多くのコメントを頂き、ありがとうございます。
ちなみにお察しの通り、ほぼ何一つ、私自身はこのルートを攻略できていません。
「世間体ばかり気にして大丈夫か?」「幸せとは」というコメントも頂きましたが、あくまでこれは「世間の言う通りにしたらこうなる」というシミュレーションです。理想通りに結婚しても、離婚分岐ルートも往々にしてあるので、ライフプラン、本当に難しいですよね。
「恋愛至上主義♪ワタシの結婚」「バリキャリ!高学歴女性のための結婚」「人生1回きりだもン!好きなことやって楽しむぞ結婚★」「困難を乗り越え運命の国際結婚」などひとりひとりの人生と価値観で、数えきれないルートがありますし、幸せとは自分の尺度でしか測れないと思っています。が、世間の言葉を受け流すにしても、さらっとかわせるコミュ力とメンタルの強さは一朝一夕には身につかないものです。傷つきながら僕らは大人になるのです。
それにしても、ブコメ欄でいろいろな方のご意見や人生を垣間見れました。ありがとうございました。
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ちなみに、あまりに無理ゲーなので、こじらせまくって1年ほど前にひとり結婚式をやったのでした。
ごめんなさい。