はてなキーワード: 就職浪人とは
2ch、とくにけんもーや狼あたりは
「オレ工業高卒だけど一流企業社員で高給取り」「オレ4大卒だけど就職浪人orブラックに入っちゃって今はニート・フリーターorz」
「オレ(オレの友達)162㎝だけどイケメンだからモテモテ・美人の奥さんいる」「俺高身長だけど40歳童貞独身orz」
「オレ独身だけど優雅な独身貴族」「オレ妻子持ちだけど嫁が家事しないし散財するし毎日地獄」「私独身女だけど毎日辛くて死にたい」
こんな書き込みばかりで、逆パターンの書き込み(「俺チビで高卒だけどモテないし童貞だし派遣で交代勤で貧乏でつらいよ―」みたいな)はほぼ皆無。
しかし、現実の各種統計は、非正規率もフリーター率も早期退職率も刑務所受刑者率も
FBなどSNSにいる連中や、各メディアで見る有名人を見ても、
ごく普通のことでしたが、
アルバイトしません。親は卒後、ニートになっても家賃を払い続けたり、
あるいはそういう育てられ方をしています。
またシュウカツの長期化、早期化なども学生生活を短くしていますから
しれませんね。
インターネット情報もあり、フリーターは将来がないと判断するため
では、どうすればいいか…。
ですよね。
で全体がほぼ半分になっていますので。。
全体が減っている
+
のダブルパンチですね。
今の子はほんとは、するべきだと思うんですよね。
私は、学生には、忙しくとも少しはしてもいいのでは?
と言っています。
親子共に。
解決策は…。。。
あとはシューカツだけじゃないよ、人生は。
大学生の頃、コンビニでアルバイトをしていた。烏丸通という表通りから、少し離れた裏通りにあるマンションの1階で、客のあまり多くないコンビニだった。「バイト代は安いけど楽だろう」と思って応募した。
実際楽だった。僕は大学生だったから夕方から夜にかけてのシフトに入った。オフィス街の近くだから夜は本当に客が少ない。仕事帰りに寄る人が数名、近くに住んでいる人が数名、上のマンションに住んでいる人が数名というだいたい決まりきった人数だった。仕事といえば品出しと、掃除と、レジぐらいで、ほとんどの時間はシフトに一緒に入っているバイトの人と喋っていた。夕方のシフトは同じ大学生の女の子や就職浪人している人など、年齢の近い人が多かった。
コンビニでバイトしたことがある人なら知っていると思うけど、シフト交代の1時間は次の人と被ることになる。夜間シフトの人は夕方の人と毛色が違った。基本的に年配の人が多く、夜間は一人で物騒だから男性に限られていた。僕はその、限られた交代の時間だけ一緒になる夜間の人と仲良くなった。
その人は28歳で、とても社交的な人だった。高校を卒業してからは吉本のNSCにいたそうだ。その後コンビを解散して何故コンビニで働いているのか聞かなかったけれど、「機会があればまたお笑いをやりたい」と言っていた。
僕がその人と仲良くなったのはただ「社交的でおもしろい人だから」という理由ではなかった。僕は普段人と話すことも少なく、一人でいることが多かったが、その人とは妙に会話が弾んだ。彼は「君は僕に似ているよ」としきりに言った。僕はそう思えなかった。むしろ対極にあると思ったが、そうやって自分に関心を示してくれることについて悪い気はしなかった。
僕らは二人とも映画が好きだったけれど、映画の話をしても見る映画が全く違った。唯一二人とも見ていた映画は「乱」だった。その映画を見る視点も全く違っていた。僕が感じたのは、シェイクスピアの原作を時代劇に当てはめるとどうしても違和感があるとかそういうことだった。その人が大絶賛していたのは隆大介演じる三郎が死ぬシーンだった。「いつ殺されのか全く気付かなかった。あのシーンで急に馬から落ちる演出は度肝を抜かれた」などと熱く語っていたが、僕にはあまり理解できなかった。
そんな中で唯一分かり合えたのが「笑いどころ」だった。彼は小田原ドラゴンが好きだった。人を蔑む笑いというのは、蔑まれた事がある人によって本当の笑いに変わる。人を蔑んだことがない人や、逆に蔑んだことしかない人には、その笑いを真から理解できない。蔑まれたことのある人が唯一笑いに変えることができる。
彼とは、僕が大学を卒業してからも「バンドを組もう」と誘われたり、就職してからも「君は絶対に社会と合わない。今からでもコンビ組もう!」などと誘われていたが、お互い携帯を変えたタイミングで連絡先がわからなくなり、それっきりとなった。
それからもう5年経ち、いまだに彼のことを懐かしく思う。僕は結局会社を辞め、あの時のあなたと同い年になりました。あなたは今何をしているのですか。
高校時代からの友人で、東大に行った奴がいるのだが落ちぶれすぎていて痛い。
思えば入学すぐのゴールデンウィークあたりからもうおかしかった。
大学は自分で勉強する所とか言って講義にもろくに出てないとか、教授や先輩がいかにバカかを熱弁していた。
2年目の夏ぐらいから2ちゃんねるまとめを自動生成するシステムを作るとか言い出していろいろやっていた。
β版発表会とか言って、仲間内を集めてお披露目会をしていたが、ただのPHPを使った動的ウェブページで、
ソースを見たらオブジェクト指向はおろかサブルーチン呼び出しすらろくに理解していないようなウンコードだった。
これじゃスパゲッティになって開発続かないだろと思ったからそう指摘したら、
そんなもの俺には必要ない、お前らとは頭の出来が違うの一点張り。
文系に行った奴らはだまされてたみたいだが、プログラミングが分かる仲間はみんな(^^;)って顔になってた。
結局完成しなかったらしい。
この間久しぶりに会って、就活や勉強の話になったらもうひどいのなんの。
そいつもIT系なのに、流行りの技術はおろか、基本的な知識もない。
関数型言語を勉強していると言ったら時代はアセンブラだと言い返したり、
じゃあアセンブラでどんな開発したのと聞けば、なぜか古文の助動詞や複素平面の話になっていた。
古文は分からないけど、複素関数なら習ったからコーシー・リーマンの関係式の話でもしようとしたら、
遮って東大の過去問の、数学的には低級な話にもっていって、最終的には俺の知識の無さについての話になった。
それを聞いて、あぁ、こいつはダメになってしまったんだな、と思った。
所詮、高校までの勉強が俺よりマシな程度にできるだけだったというのに。
信頼とか友人らしい感情はもはや無い。
姉と兄は、自分と3歳差ぐらい、妹は5歳年下。
で、妹が大学を卒業した。キリもいいので、ここらへんで何故このような状況になったか振り返ってみたい。
まず、僕達の親は、どちらも大卒であり、子どもに対する教育も当然のことながら熱心であった。
姉と兄と妹は大学進学を選択し、僕は就職(とはいっても僕は浪人してからだから既卒就職)の道を選んだ。
そして一人暮らしのために、最初に家から出て行った。姉の顔は、希望に満ちていた
兄も、国立。とても優秀だった。確か、工業系の学部だった気がします。
昔からおもちゃを分解して壊すのが好きなひとだった。だから当然とも言える。
姉と同じように、巣立っていった。笑顔だった。
99%の人は大学に行く、15名ほどが東大に行く、そんな高校。
一度目は落ちてしまった。国立の経営学部だった。経済的な問題で、私立には行く気がなかった。
すると両親は浪人を勧めた。僕も当時はそのとおりだと思った。浪人した。
1浪で、どっかの国公立でも、と思っていた。成績は悪くなかった。
それでも、何故か落ちてしまった。高望みしたわけでもなかった。けど落ちた。
両親は、私立を勧めた。僕は嫌がった。
「大卒者ですら厳しいのに、何で就職なんだ。もう一回浪人しろ」
とは言われても、当時の自分には辛くて仕方なかった。
確かに、そこそこ進学校だし、「大学いけ」というのは間違っていなかったと思う。
上京して、せっせと働いた。スーパー、コンビニ、パチンコ、衛生設備など色んな所で働いた。
プライドなんてかなぐり捨てて働いた。(※それでも飲食店のバイトはしなかった)
22ぐらいの時に、「経理」というモノに興味を持った。
もちろん、税理士とか公認会計士とかも興味はあったけど無理だと思ったのでやめた。
「経理事務」の正社員は意外と早く見つかった。実務なんて全くなかったのに、運が良かったと今でも思う。
このとき22、3ぐらいだった。
同じ時期、上2人の方は卒業していた。正確には、姉の方は1年留年して、卒業した。
兄の方はもうとっくの昔に内定が決まっていた。しかし姉は少し就職に困っている様子だった。
4年の半ばが来ても就職できてなくて、よく知らんがこれはまずいらしい。
姉は、大学でもう1年職探し。
僕は、相も変わらず「経理事務」の仕事を続けていた。性に合っていた。
姉は、1年我慢しても希望の職に就けなかったらしい。いったん、実家に帰った。
両親は愕然としていた。それでも、励ました。そして、大学院に進むことを決めた。
受動的なコトが嫌いなのは、よく知っていた。兄は、今にも仕事を辞めそうに見えた。
僕は、働きながら転職を考えていた。「企画」の仕事につきたいと考えたからだ。
もちろん「経理事務」も性にあっていたが、チャレンジがしたくなったのと面白そうだと思ったのが理由だ。
多くの面接で落とされ…なんてこともなく、これまたすんなりと転職できた。しかもそこそこ大手。平社員だけど。
妹は、家族の不穏な空気を感じつつも、地元の大学に通い出した。
この辺で、僕は25ぐらいになっていた。
姉は、院に進んでもまた就職に困っていた。
結局、中小企業の正社員になった。(※僕はそれでも十分だと思うんだけれども)
兄は、会社にしがみついているようだった。僕の推測なので、はっきりそうとは断言できないけれど。
それでも、給料はいいし賞与も沢山出るし、兄は満足していたかもしれない。
僕は、「企画」の仕事を楽しんでいた。
とはいっても、営業のようなこともしなくちゃいけないし、大変な部分、嫌な部分もあった。
けど、「経理」の経験も活かせて楽しくできていた。
妹は、3人分を見てきているので、就職に余念がない様子だった。大学3年だった。
現在、僕は27になった。
今は楽しそうだ。
僕は、今も「企画」の仕事を続けている。
「課長」とかではないけど、少し平社員からランクアップした。給料も上がった。
多分兄弟の中で一番堅実だ。
というのも、大学行かずに就職した自分の事件が価値観を変えたそうで。
良かったのか悪かったのか、よく分かりませんが。
甘えの質によるからなんとも言えないけど、ま、悪い甘えは悪いだろ。
ただ、非正規になったのがすべてが甘えのせいか、って言ったらそうでもないし、
就職浪人ってそれなりの大学だったりしないと、しても意味なかったり
仕方なく非正規になっちゃう人も多いし。
そうすると二度とまともなパスに入れない状況が悪いだけで。
そういう意味ではもっと解雇は簡単にさせて(5年以上雇ったら終身雇用に、とか馬鹿な政策辞めて)
流動化させるのが一番。
首になる可能性は増えるけど、全体の労働力は決まってるんだから
それほど悪い自体にはならないと思うんだけど。
(甘いかな、結果的に上の方の人間だけがのうのうとより高い給料せしめて
下の方が単なる使いまわしになるのかな、、、)
数年前に夢をあきらめないということというエントリを読んだ。
サッカーライターになりたい!と明確に意識したのは、大学生の頃だった。
金子達仁の「28年目のハーフタイム」、木村元彦の「悪者見参」などなど。
こうした作品に影響を受けまくって、「いつか、こういう作品を書いたる」と意気込んでいた。
何の根拠もなく、どこかには通ると思っていた。
無理だった。
マイナーな専門分野に特化した雑誌を作っている出版社にすべりこんで、そこで広告営業の仕事をした。
それでも、「ここで何年か頑張って営業→編集→スポーツライターだ」と思っていた。
当然、そんなに世の中は甘くなかった。
そうとばっかり思っていたら、なんと自分より後に入った新入社員が編集部に配属されたりした。
モチベーションを保つのが難しくなったが、当時の編集長が喫煙所でタバコを吸いながら
「次の異動でうちの編集部に呼んでやる」と言ってくれたので会社に残った。
でも、そんなタイミングで会社の経営陣が丸ごと入れ替わったので、そんな些末な異動の話は吹っ飛んだ。
さすがに限界だと思って、転職活動をして、なんとか編集の仕事ができる会社にすべりこんだ。
そこは、大企業の子会社で2chで「社畜www」と叩かれるような企業風土のところだった。
そんな雰囲気の会社で、2年半ほど「編集者」として働いた。先輩の編集部員や上司とはまったく“肌”が合わなかった。
逃げるように、今の会社に転職して、細々とWeb編集の仕事をしている。
それが俺の日常だった。今じゃサッカーより野球が好きなぐらいだ。
ある日、会社に見たことのある人間が入ってきた。それは前の会社にいた時、最初に入った会社の先輩が紹介してくれた
何回か一緒に昼飯にいったりして、サッカーの話をした。でも、その時は何も起きなかった。
しばらくして、その人は会社からはいなくなったが、仕事でチョコチョコ付き合いは続いていた。
そして、またある時、その人が「自分が企画したサッカー関連の同人誌にノーギャラだけど寄稿しないか?」と声をかけてくれた。
でも、今更俺に何が書けるというのだろう。
チャンピオンズリーグなんて、ここ数年結果しか知らない。Jのスタジアムにもほとんど足を運んだことがない。
戦術分析のサッカーブログなんて世の中に溢れかえっている。そんな中で何が書けるんだろう。
5,000字に満たない原稿だったが、スポーツライターを目指していたときの気持ちが蘇ってきて楽しかった。
掲載誌が送られてきて、他の寄稿者の原稿と比べてみると、異質すぎて浮きまくっているように思えた。
でも、サッカーについて思ったように書いた原稿が「読者」の目に触れることは純粋に嬉しかった。
6月4日。本田がPKを決めて、日本代表がW杯出場を決めた日。俺は試合を見るでもなく、普通に仕事していた。
大学生の時、2002年は鈴木隆行がゴールを決めた。あれからもう10年。あのときは2006年W杯には取材で行っていると思っていた。
送り主は、原稿を書くように誘ってくれた人だった。
「○○さんの書いた原稿、市販のサッカー雑誌の編集者が転載したい、と言っているんです」。
俺は「サッカーライター」にはなれなかった。でも、今度俺の書いた原稿がサッカー雑誌に載る。
それは「夢が叶った」なんて大層なものではない。
お前らの中では、大学出てないと「まともな企業に就職できない」扱いなんだな。
オレは奨学金問題は、ソレが元凶だと思ってる。
文部科学省が毎年やってる、学校基本調査の平成24年度結果概要からだ。
http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/chousa01/kihon/kekka/k_detail/1329235.htm
世の中の半分の人間は、大学には進学してねえよ。(短大で+5.4%)
お前らの大好きな、「奨学金を背負ってでも、『企業が大学卒をモトメテルカラー』大学に進学するのがアタリマエの社会」ってやつの現実は、世の中の半分だけだよ。
奨学金の問題をやるときにゃ、次の分類が頭に入ってるべきだろ。
別に2番はほっといてイイ。遊ぶにしたって金あるんだから好きにすりゃいい。
この中で、今まで3番で済んでたヤツらが4番になって来てる、大学を卒業したのに就職できない、借金背負って大学から出てくるからドン詰まるのが困る、ってのが奨学金の名前を学資ローンにしろだの、貸与型じゃなくて上げる形式増やせとかって話になってんだろ?
この3,4番。カネがないのに大学に行くうちの、およそ半分は、高卒であるべきだった。
「大学に行けば、企業が大学卒を求めてるから、その就職割合に入れる」ってのは、キレイ事だよ。
調査結果の概要(初等中等教育機関、専修学校・各種学校) http://www.mext.go.jp/component/b_menu/other/__icsFiles/afieldfile/2012/12/21/1329238_2_1.pdf
(ちなみに、p9 図4を見て判るように、平成元年をピークに高校生の数自体は着々と減ってる)
その後、大学等進学率がうなぎのぼりに上がるのに反比例して、就職率が下がってきた。
ただし、過去から一貫して、高卒で就職しようとする奴の就職率は、学卒で就職しようとする奴の就職率よりも、高い。高専の就職率がほぼ100%なのは有名な話だが、それ以外の高校でも高い。
(大学の就職率みたいな形で進学も就職も希望していないものを除けば、93%が仕事に就けてる)
「高卒で大卒並みの安定した職と高い給与を得る」のは絵空事だよ。誰もそんなことは言ってねえ。
「大卒よりも安い給与と不安定な職で満足するべき人間が、わざわざ奨学金で大学に行ってる」って言ってんだよ。
20年前、そんなに奨学金が問題になってないのは、単純にみんな普通に高卒で就職してたからだよ。
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んでな、色々いるが、はてブでコメント付けるような奴にバカは少ねえよ。
噛み砕いて言えば、まともなデータがあって、まともな選択肢があったら、素っ頓狂な判断する奴は少ねえと思ってる。
だから、煽り気味に書き捨てた増田のにも、当然まっとうな反論があるだろうとは思ってた。
バブルが弾けて高卒の職がなくなったから、専門学校を始め、就職以外の逃げにみんな行き始めた、それが短大や専門よりも大学という志向がより強くなってきた。
大卒の就職率の悪化っていうのは、結局のところ、高卒の就職浪人がずっと繰延されてきたのを精算しなきゃいけなくなってきているだけだ、って言うな。
だから、奨学金の問題ってのは、結局のところ金を借りて返せる環境下ではさほどの問題じゃないっていう反論は、当然あると思ってた。
ガキの数が減り続けてんのに就職状況が悪化し続けてるのは、景気のせいだ、「大人」の経済政策の失敗を高校生に押し付けるなっていうコメントは想定してた。
(あとは、女にとっては、高卒で安定職につける割合が極端に低いから、大学に進むってのは悪くない賭けだ、とかな。)
絶望したのは、はてブのスターを集めちゃうようなコメントを残しがちな村民が、「世の中の企業は大卒を求めてるし、高校生はほとんど大学に進んでる」ってのを、無意識にせよ暗に前提においてたことだ。
情強()が多いはてな村民でそれってことは、高校生はもっと素朴にそれを信じてるだろう。
大学全入時代ってのは、青少年が全員大学に行ってる事を指すんじゃなくて、入学定員総数よりも希望者が下回ってる状況のことだってのは、流石に知ってる連中も多かろう。
でも、はてブでの反応を見てると、四大卒以外を求める企業が多いってことは、あんまり知られてないんじゃないかと思ったよ。
(5年毎だからちょっとデータが古いが)全国591万1千事務所のうち90%以上が20人未満の事業所だし、世の中の「従業員」と呼ばれている人達のウチ、4割は20人未満の事務所で働いてるんだよ。
オレは奨学金問題は、「一般的な企業ってのは、株式会社の事で、大卒しか求めてないだろ?ソレが普通だろ?高卒で就職とか無謀だし勧めるのは無責任」と言う考え方を、陰に陽に児童や生徒や学生にメッセージを発信し続けた結果の就職意識の偏りが、問題のかなりの部分を占めてると思ってる。
大学を卒業し、1年の就職浪人の後、地元の県庁に採用されて5年になる。
同い年の人(俺は大学に入る時にも一浪しているので、職場では2年先輩だったり、同期でも修士卒だったりする)は、部長やら局長やらに同行して泊まりで東京の会議に出席してるような奴もいる。
しかし俺は相変わらずバイトでも出来るような雑用とルーチンばかりである。
自分に割り当てられた仕事はどれも期限までにきちんとこなしているつもりだ。大きなミスをしたことはない。
ただ、おそらく評価されるためには、言われたことをやるだけじゃダメなのだろう。自分から仕事を見つけて率先して提案して取り組まなくては。
そう思って自分なりに考えていろいろ提案してみた時期もあったが、全て却下された。
受け持った分野の基本的な知識を身につけ、興味とやる気をアピールするために、ちょっとした資格をとってみたりもした。(環境課にいるとしたら、環境検定みたいなのを2つほど取った)が、これも無意味だと言われた。
すごく社交的な性格というではないが、コミュ障ではない。普通に遊ぶ友達は何人もいるし、彼女も最近まではいた。酒は弱いが、職場の飲み会は断ったことはない。
一体俺には何が足りないんだろう。
評価されている同期を見ると、内部事情やら庁内の暗黙のお約束みたいなのに異様に詳しい。どこで学んでいるのだろう。当然だけど、そんなことが書いてある本などないし。管理職同士の折衝の場とかに同席していれば徐々に覚えるだろうけど、そもそも同席させてなんてもらえない。
あと、部屋の反対側で部長と課長がボソボソ話していた内容とかをなぜかみんな知っている。そんなの四六時中聞き耳立てていたら本来業務に支障が出ると思うのだが……。
できる営業職だった父の背中を見て育った。
学校の成績は良かったが、我ながらおとなしい性格だったので、父のような会社員にはなれないだろう、と小学校高学年の頃に悟った。その頃の将来の夢は考古学者。シュリーマンになりたかった。
それから数年。私が中学生のとき。父、癌を患う。一命は取り留めたものの、落ちた体力では、かつてのように仕事はできなくなる。会社はクビになった(病状の割には長く引き止め、部署を移すなど色々と対策もしてくれたが)。大学時代の友人の伝手で、小さな会社で働き出し、そこでも成果を出すものの、癌の転移が発覚。私が高校の時分に早逝した。
その後、母が生命保険や退職金を切り崩して捻出してくれた金で、出来が悪かったにもかかわらず、私は大学に入学した。小学校時代の神童も、今となっては人並以下。考古学者の夢はとうの昔に捨てていた。折からの不況。まったく学問として興味はないが、手に職のつく資格が欲しい、という甘い考えで入った法学部の勉強は、軟弱で夢想癖のある文学少年には想像以上の苦痛だった。そして、情けないことに、胃に穴を空け、単位を大幅に落とし、留年してしまう。
なんとか四年次まで進級するものの、就職活動でまた胃潰瘍になる。入院。今度は留年こそしなかったものの、就職浪人になる。ただでさえ社交性がなく、新卒の下駄でぎりぎり内定が出るか出ないかの身。カウンセリングや話し方講座なども受けてみるものの、大した影響はなく、どうにも上手く行かない日々。ようやく出た内定は、小さな会社の営業職だった。
それから半年が経つ。やはり父は偉大だった。時代のせいもあるのかもしれないが、この過酷な職業に良く耐えられたものだ。先日、あまりの不調にかかった医者に、軽度の鬱病と診断された。
そんな私の現時点での考え。
不器用で、内向的な人間が、幸せに生きられる場所なんて、この世に、ない。
母が無事に逝ったら、私も穏やかに逝けたらよい。そんなことばかり考えている。
新卒ってのは企業からするとお金をかける価値のあるもので、人数をまとめて教育できるためうれしい存在。
第二新卒や転職者は、多少でも仕事に対して何かがわかっていると言う前提であり、また知識を備えている場合もあるのでうれしい存在。
就職浪人や未就労者は、新卒同様のビジネスマナー教育等が必要な上に、仕事のノウハウがないため即日から使えない。うれしくない存在。
何が言いたいのかと言うと、底辺企業でも一度は就職した方が良いかもしれないよって言うことだな。
特技が無い上に、バイトしたこと無いとかはかなり使えない。
まぁ、バイトしかしてなくてもバイト内でのリーダーとかしてましたとか暦が長いですとかはそれなりに優遇されるかもしれない。
まぁ、会社に居ると俺を含めて使えない奴多いよ。
昔聴いた話だと1割が売り上げを上げて、7割が並で、2割が足をひっぱっているとか言っていたな~
田舎度合いにもよるけど、日本の秘境100選にノミネートするような自分の田舎だと、逆に「非正規」という選択は親たちの頭にはない。
いや、なかった。
息子娘の世代が都会で就職するのは当たり前のことだったし、空白期間が最悪ということは言ってたよ。
高校を出てすぐ、大学を出てすぐ、就職できて当たり前だとは思っているけど、それと同じように卒業したのに就職しない人は遊びほうけていたというふうに解釈する。
なんにせよ、空白期間は嫌うね。
浪人、留年、そういうのに対しても都会の親に比べたら冷たい視線を送ってるね。
まして就職浪人なんて、恥もいいとこって思ってるよ。
実家を離れるなら、北海道だろうと沖縄だろうと四国だろうと、とにかく正社員。
実家から出ない、出られないというのなら、それでもやっぱり中小企業で正社員。
その代わりに激増してるのが、かつては農閑期のバイトだった、田舎に工場を移転した大企業で非正規という働き方。
結局は田舎も非正規だらけだけどね。
http://anond.hatelabo.jp/20110928023459
結局、東京電力はつぶれない
ボーナスも3年後に出るとのこと
本当にいい会社だ
日本人は熱しやすく冷めやすい
すぐに忘れるし
3年後なんて、もうすっかり震災のことも忘れちまっているさ
もうすっかり忘れてしまったんじゃねーか
そんなもんだ
オリンピックやったり、ワールドカップやったり、そんなこんなしていると震災のことなんてすっかり忘れっちまう
そんなときに東京電力が、また世界最大の利益を上げてウホウホする
そんなかまっちゃいないけどさ
とにかく、今、就職活動しているやつは、東京電力はねらい目だってことよ
えっ、新卒採用しないって?
http://d.hatena.ne.jp/nagaimichiko/20110214/1297616210
でも何とかしなくちゃいけなくて。
全世界から「あなたなんて要りません」って言われているような気がして、
じゃあここにいる自分は何なのって、
アホくせぇ。
自分は何も考えなかったのに、その何も考えなかった自分が世界から必要とされるべきってなんだそれ。
中二ならともかく、大学生にもなってそれか。
こういう事言うと「バブルの頃は誰でも就職できた、私たちは社会の犠牲者」みたいなことを言い始めやがる。
俺の親父は満州帰りだ。
兄弟を3人、帰りの船で喪ってる。
生きて帰れたのが不思議なほどだったそうだ。
その後の人生は質実剛健に公務員を選び、赤貧に塗れて暮らしてた。
小学生の頃、おれは継ぎ接ぎのシャツやズボンを着てたし、長屋に住んでた。
個室やゲームに憧れたし、ビフテキはよっぽどのお祝いがないと食べれなかった。
バブルの頃の浮かれっぷりと自分は比較するのに、そういう事と自分は比較しねぇんだろ?
時代が違うとか言い出しちゃうんだろ?
甘え丸出しじゃねぇかよ。
・・・ほっとしたのもつかの間、自分が一生SEとしてパソコンの前でかりかりプログラミングする姿を想像したら、
なんだかそれだけで肩が凝って苦しいような感じがして、
何様だよ。
必要とされてるじゃねぇかよ。
お前が世間に甘えてるだけだろがよ。
別にさ、ブラックだの社畜だのの言葉があるから、このご時世仕事を選ぶなとは言わんよ。
一生の物だからな、ちゃんと考えた方が良いだろう。
ごめんレス遅くなった。
例えばの話を持ち出して、「そうなることは確実」で締めくくるのはフェアじゃない理論展開だと思います。
入試や就活で1年棒に振ったぐらいで「下降曲線」が「確実」なんてのもちょっと乱暴だと思います。
浪人生や就職浪人が、俗にいう幸せな家庭や人生を描けるケースはそれほどマイノリティじゃないと思います。
高卒や無職のサクセスストーリーなんて今や茶の間も盛り上がらないベタな話かと。
僕は別に元増田頑張れ!なんて言う気はさらさらないので別に元増田が死にたいというのなら止めはしませんけども。
そんなことで勝ち組だの負け組だの結論出ちゃったみたいなわかった顔してバカじゃない?
http://anond.hatelabo.jp/20110401141231
ここに書いたことが全部です。