はてなキーワード: 品質とは
追記じゃなくて、投稿を分けて仕舞えばいいかなと思ったので、こちらで解説します。
letitbomb78 増田のレビューは削除されており、それらしいレビューがあるかを目印にできないとなると、ヒントとして成立するのは「デマ本である」「欧米Amazonでは発禁」のみだと思うが、この2つで辿りつける人がいるのか?
Amazon removes 92 books promoting Holocaust denial - The Jewish Chronicle
アマゾンは、ホロコースト記念日を前にユダヤ人団体から賞賛を浴び、ショア(ホロコースト)否定を助長する92冊の書籍を削除した。
アマゾンは近年、この問題に対する世論の圧力の高まりに直面していた。アマゾンは現在、17カ国にまたがる数多くの書籍と850以上のハイパーリンクを削除している。
いわゆる「ホロコースト否定(Holocaust Denial)」です。
上のブコメの人が、ヒントを出してあっても気付かないほど、日本ではほとんど話題に上らない分野です。
ホロコースト否定が日本で話題になったのは、おそらく今まででたったの2回程度です。
一度目は、西岡昌紀という神経内科医が、1995年1月に、文芸春秋社の若者向け月刊誌だった『マルコポーロ』にホロコースト否定の記事を書いてちょっとした騒ぎになったことがありました。
その記事のせいで、売れ行きのよかったその月刊誌は速攻で廃刊になってしまいました。
二度目は、2015年10月に、高須クリニックの高須院長が「南京もアウシュヴィッツも捏造だと思う」とツイートして炎上して話題になったのを記憶している方もいるかと思います。
高須院長が〈アウシュビッツは捏造〉ツイートに抗議受け酷い反論! ご意見番扱いするメディアはなぜこの問題を報じないのか|LITERA/リテラ
しかし、欧米では1970年代頃からだと思いますが、何度も問題になっていました。細かい話を入れると1950年代からと言ってもいいかもしれません。
欧米ではベストセラーの歴史家として人気のあった、『ヒトラーの戦争』などを著したデヴィッド・アーヴィングが、自身を「ホロコースト否定者」だと、歴史学者のデボラ・リップシュタットにレッテルを貼られて名誉毀損で訴えた事件は、『否定と肯定』なる変な邦題がつけられた映画でも有名です。
欧州では20カ国弱で、ホロコースト否定の主張を公に行うことは法律で規制されています。
米国では憲法修正第1条で言論の自由が厳格に認められているため、規制はされていませんが、米国のAmazonやFacebook、Twitter(現X)、Google(YouTube)等の大手ネット企業は世界的企業のためか、ホロコースト否定を原則的に違反行為として規制しているのです。
フェイスブック、ホロコースト否定の投稿を禁止 - BBCニュース
さて、ここからはいきなり私的な話になりますが、どうして私がホロコースト否定に対して異常に反感を持ち始めたかというと、2019年頃だったかと思いますが、たまたまNetflixやAmazonプライムなどで配信されていたホロコースト関連の映画に少しだけハマったからです。
そこからどういう経緯を経たかは覚えていませんが、日本でもホロコースト否定の主張をネットで行う人がそこそこいることが見えてきたのです。
おそらく一番反感を覚えたのは、YouTubeにある『ホロコースト論争』なる動画チャンネルの動画です。多分、「ホロコースト」関連の動画を見ているうちにおすすめに出てきたからだと思います。
私自身は、その詳細な内容は分からなくとも、いわゆる歴史修正主義者(ホロコースト否定派)たちがネット上で嘘(=誤り)ばっかり言っているのを朧げには知っていたので、「なぜそんなにデマを広めるのか?」と憤ったのです。
しかし、その時にもっと驚いた(というか呆れた)のは、その動画のコメント欄ではその大半が主張の賛同者で占められていたことでした。
それで、Yahoo!知恵袋に「どうしてホロコーストを否定しようと思うのか?」みたいな質問をしたりしていたら、何人ものホロコースト否定論者が当時知恵袋に巣食っていたことも知りました。
それら否定論者は、どこで知ったのか、とんでもなく細かい論点を事細かに幾つも示して、「証拠も全くない上に、これだけたくさんの疑問があるのだからホロコーストなど嘘である」と主張していました。
直感的に、それらの細かい論点は全部出鱈目なのだろうとは思ったものの、あまりに細かい話ばかりで、当時無知だった私には具体的な反論はほとんど不可能でした。それは、『ホロコースト論争』の動画に対しても同様でした。全然知らない話ばかりなので、どうしようもありません。
しかし、日本語で細かくホロコースト否定へ反論したサイトもほとんど存在せず、ホロコーストの歴史自体をざっくり学ぶのは容易ではあるものの、否定議論のような細部の話には打つ手がなかなか見つかりません。
ただし、日本のネットでのそれらホロコースト否定派が使っている情報自体は、日本語のものがありました。「歴史修正主義研究会」だとか、「ソフィア先生の逆転裁判」(※現在はwebアーカイブ以外には存在しない)だとかいうサイトです。
どうすれば反論できるのかと考えあぐねていたら、知恵袋である人から、外国語のサイトに有名な反修正主義者のサイトがあると教えてもらったのです。
私は英語すら全然ダメで、Google翻訳ではちょっと意味がわかりにくかったところ、2020年の半ばごろにDeepLという翻訳エンジンが日本語化対応したとはてなでも話題になったのです。早速使ってみたところ、とんでもなくわかりやすい日本語を生成することがわかったので、「これなら理解できる!」となったのでした。ただし、当時のDeepLの翻訳品質は、2024年現在よりかなり低品質です。
また、その方は、過去に日本でもホロコースト否定への具体的な反論をしていたサイトが Webアーカイブに残っているとも教えていただきました。
どうにかこうにか、そのようにしてホロコースト否定へ反論するための武器を整えていった結果、約4年経過後の現在、note上には300記事以上もの反ホロコースト否定関係の記事があります。
noteは英文記事の翻訳が中心で、多すぎて何から読めばいいか分からないという諸兄には、現在休止中ですが、自分で起こした記事を中心としたはてなブログもあります。
ちなみに、noteで最もアクセス数の多い記事は、なぜか以下の記事です。なぜこの記事がダントツでずっとアクセスが多いままなのか、理由がさっぱりわかりません。
ナチスの縮んだ頭、人皮のランプシェード、人体から作った石鹸、人毛の織物? 伝説から真実を見極める(1)|蜻蛉
まぁ、最近ではホロコースト否定派に正面から反論しても大して意味はないか、と諦めています。単純にホロコースト否定派は頑迷なまでにホロコースト否定を信じており、新興宗教から脱会させるのが至難の業であるのと同じように、本当に無意味です。
ですが、Amazonレビューでは本当にそこそこ「参考になった」票を貰えていたので、その程度には役に立てたかなと自分なりには満足だったのです。100個以上付いてたものもありましたしね。
たまーに、それらホロコースト否定主張に反論していた私のAmazonレビューをTwitter上で評価してくれる人さえいました。
永久にレビューできなくなったのでその楽しみもなくなってしまいました。
あとは単に細々とこの趣味をnoteやブログで続けるだけですね。もしよろしかったら、noteでサポート(投げ銭)ください 笑
追記:
hazlitt 翻訳と称して他人の記事を転載してる note の記事は元記事の著者・掲載メディアの許諾と訳文の権利者を明記してください。権利関係が不明だと訳文の利用にもリスクがあるのでまともな人は参照しません
とありますが、もちろん著作権上の問題は認識しております。著作物を勝手に翻訳して公開することは著作権法に抵触するのは知ってます。
が、翻訳公開しているものは無料で読めるネット上の不特定多数に向けて公開された情報に限定しており、Google翻訳等の自動で翻訳してくれるサービスとやってることは変わらないと考えています。
もし仮に私の翻訳公開がダメというのであれば、Google翻訳等の自動翻訳サービスもダメなのではないのでしょうか?
日本にはフェアユースを認める判例はありませんが、とある場所で海外の方(著作者ではありません)に聞いたらフェアユースだからいいのでは?と返されています。
別に私の翻訳文を利用してほしいとも考えておらず、単なる情報の提供に留まります。私の訳文を例えば研究論文などに利用する人がいるなどとは考え難いことでもあります。
元リンクは示しているのですから、引用したいのであればそちらを利用して自分で翻訳するのが当然だと思いますが。
要は。
日本語で情報公開しないと、日本の多くの人が理解しづらいだろうから、単にボランティアでやってるのです。
それでもダメだとなるのであれば、Amazonレビュー同様、私はネットから去ります。そうなったら、もはや絶望しかありません。
本なんてその程度の扱いでいいものだし、本に限らずあらゆる産業の商品・サービスはそのように扱われて然るべき。
それが商業というもので、そうした方がビジネスのパイが広がり、商材も洗練されていくから。
抜きん出たものをさらに目立たせることで、より多くの人に認知され、共有され、その分野の裾野が広がる。言い換えればバズらせることができる。
それくらいのことをしないと、世の中にはあらゆる商業分野や消費的娯楽があふれているわけだから、認知してさえもらえない。
例えば今ゲーム業界では、市場規模を成すセールスの8割はサービス運営型のものから来るようになった。
それはなぜかというと、運営型ゲームの多くは基本無料の形態をとっており、「手に取る」ハードルが限りなく低くなったからだ。
それくらい、みんなが知っている、みんながやっている状況を作ることは大事だ。
ハードルが下がることで、消費者にとっても、常に手軽に「相見積もり」ができるような状況になっており、都合がよい。
だから無料で触れてもらって、良し悪しはその後で判断してもらうという態度こそ、消費者のセンスや知性を信用する誠実な売り方だ。
音楽や映像などの分野もサブスクの隆盛によって、「見てもらう」のにかかる費用がにわかに低廉化している。
そうした音楽・映像コンテンツを導入口にして、イベント等のファン商売へと誘導することで利益をあげている。
翻って、書籍分野の売り方を見てみると、電書という選択肢が増えたくらいで、ビジネスモデルは変化していない。
売れている本をより売るために目立たせるくらいでは、正直言って生ぬるすぎる。
手に取るハードルを低くできない以上、「絶対に外さない」ように一極集中させるのは理にかなっているだろう。
本当に書籍文化の未来を願うなら、考えることは真逆であるべきだ。
「隠れた良書」とされがちな性質を帯びた作品というのは、もともとその分野にどっぷり浸かっている人が、商業的なアシストがなくとも自分で探し出していける。
逆にそういう発掘の楽しみが残っていた方が、商業に食い荒らされない方が、良いとさえ言えるだろう。
ゲーム業界で言い換えるなら、SteamのインディーやPC・PS5などの買い切りの大作タイトルにはもっと優れた作品がある、それは事実だが、それを声高に叫んだとしても、そういう古い「あり方」が主流に返り咲くことはないのだ。
むしろ現実には、基本無料ゲーム開発のために資金と人材が集まり、ビジネス面では主戦場と化しているのがここ十数年の流れだ。
コアで偏狭なゲームファンはそれを直視できずにいて、運営型ゲームのガチャシステムなどを古い認識のまま嫌い続ける。
もちろん中身を重視するなんたらアワードのような世界では、AAAタイトルがマニアに評価され続けるだろう。
だがAAAタイトルを触れるのはゲーム消費者全体を俯瞰してみると、本当にマニアだけになっている。それは悪いことではない。
ゲームという「あり方」が柔軟に広がって裾野を広げた結果、おじいちゃんでもポケGOを楽しんでいたりする世界を一概にダメとは言えないだろう。
それと同じように考えれば、商業主義を嫌い、「隠れた良書」のようなものをアピールすることがいかにズレているか分かるだろう。
伸びているものをさらに伸ばして多くの人を巻き込み、素晴らしい方向へ成長させる圧力を生産者側へかけていくことが、誰も想像できないような膨らみ方をした未来の文化を作るわけだ。
モバイルゲームでは、開発費が高騰して、競争が激しいのに失敗リスクが大きくなっていることから、技術力や繊細な運営センスがない会社は早々に撤退を余儀なくされ、淘汰が激しくなっている。
この中を生き残って成功していく会社は、従来のゲーマーが評価するAAAタイトルを部分的に超えた品質のものを作れる能力を持ちつつある。こうやって想像を超えた進歩をしていく世界、面白いだろう。
本で例えるなら、なろう系ラノベをくだらないと言って一掃しようとするのではなく、なろう系をさらに洗練・発展させて世代を超えたジャンルへと育てていこう、あるいはそういうものが見たい、という考え方をすべきだ。
Windows+Androidエミュレータの組み合わせは、エミュレーターのバージョンやエミュレーターに搭載されているAndroidのOSのバージョン、アプリごとに安定不安定がころころ変わる非常に不安定なものとなっている。
例えば、Windows10+Bluestacks+ブルアカはアプリもエミュレーターも落ちたことがないド安定環境だったのだが、Windows11にアプデしたら、10分に一回はブルースクリーンが発生する程不安定になり、立ち上げたところでブルアカは戦闘画面に行くと確実にフリーズするようになった。
逆にNIKKEなんかはWindows10ではLDPlayerでなんとかごまかしごまかし遊んでいたぐらいなのだが、Windows11ではBluestacksでとても安定している。
これはひとえにWindowsとAndroidと言うクソとクソがかけ合わさった結果、ゲロ以下の汚物となっているからであり、製品として最低限の品質も備えていないことの証拠と言えるであろう。
一方、MacOSはBluestacks一本でほとんどのアプリが快適に遊べており、MacOSの完成度の高さがWindowsとは次元が違うことは明らかだ。
クソに金を払いたくないと言う常識的な感性を持った人は多少の無理をしてでもApple製品を使うべきなのだ。
Windows等のような劣等プロダクトとそんなクソを垂れ流すマイクロソフトはそうそうに滅んで中華資本の中華OSにでも入れ替わればいい。
特に単純な製品に関しては中国製も近年は品質があがって、日本産のものと遜色ないとは言うけど、Amazonで買ったノーブランドの3000円位のMade in Chinaのテフロン加工フライパンはみんな半年くらいで焦げ付き始めた。
日本のブランド名がついた1万円くらいのものは、製造こそMade in Chinaだったけど、品質管理がしっかりされているのか2年経っても焦げ付きは全く発生しないので単純な工業製品でもまだまだ中国製は中国品質だなと言う感想を持っている
スマホとかは残念ながら日本製は高い値段に品質がついて行ってないうんこオブうんこちゃんだけど。シャオミとかの方がよっぽど使いやすい・。
反生成AI派は静岡の川勝知事みたいにただ単に文句を言いたいだけなんだよ
「無断学習される! 著作権無視した画像が作られる!」と言ってるが「では二次創作も禁止にします? フォトショもクリスタも禁止にします?」というとだんまり
フォトショもクリスタも人力でも著作権無視した絵を書こうと思えば書けますし
アニメだってセル画の作画だったのがデジタル作画に移行してるし産業革命以降の宿命なんだよな
要は「特殊技能だったのを誰でもできるようになると優位性が失われる!困る!」ってだけの話
工場だって職人芸だったのが産業用機械でボタンを押したりプログラミングすれば誰でも同じ品質で作れるようになった
電話交換手だって自動化によって職を失ったし 複雑な計算もExcel使えば簡単にできるようになった
ただそんだけのことよ
世の中にはそれほど多くの人には読まれずに放置されている論文が山ほどあるのではないかと思う今日この頃です。
研究者の論文ですら読まれないのですから、私がブログやホームページを作ってみたところで、誰も気にしないでしょう。
もしブログを書くなら「見られることを前提としない備忘録」ぐらいの気持ちでないとやってられません。
しかし数学的に吟味したり、プログラムを書いたりするのでない限りは、おそらく黒歴史を積み上げるだけになるでしょう。
この廃人日記も例外ではありません。廃人日記の著者が誰なのか、それがストーカーによって知れ渡ったりしたら、恥を晒すだけです。
「悪名は無名にまさる」と言うのは愚者だけでしょう。聖書の箴言には、何度も舌の罪について書かれていますし、愚か者も何も言わなければまともだとさえ言っているのです。
なぜ私がブログについて気にしているのか。例の「趣味探し」の件です。
簡素なサイトで経済学の講義資料を公開する教授が数人いて「こういう良質なコンテンツであれば、ネットにどんどん載せるべきだけどなぁ」と思ったのです。
そこで私も真似して、数理経済学のブログを書こうと思いましたが、そこで出たのが「誰が見るの?」という話なのです。
単に「誰が見るの」というだけではなく、「その情報に付加価値はあるの?」という点も難しい点です。
私はこういう場合、「自分にはインプットが足りていないのではないか」といって、基本知識を身につけるために書籍を購入したり論文を読みます。
しかしその調子でやっていたら、ブログはもはや趣味ではなく労働になってしまいます。
もちろん「アクセス数を増やして稼ぐ」といった目的の場合は、愚者の戯言こそが注目を浴びます。
この点で、高品質の数理科学に基づいたブログを書こうなどとするのは、誰にも読まれない論文を世に出すのと同じようなものになっていることに気が付きます。
需要があり、誰にでもわかる内容で、知識としても価値がある。そういうブログを書こうとしてしまえば、イ○ハヤのような方向にまっしぐらです。
そういえば、私自身は「インフルエンサー」のような人々が本当に嫌いであることを思い出しました。
知名度・アクセス数・視聴率などを追従してそれを目指せば、愚者ロードを行くことになるでしょう。
アクセス数を目指さない「備忘録」さえ、問題があります。私は備忘録の自然言語処理ブログを書いていたとき「低品質の情報をネットに放流するな」というツイートを目撃して、撃沈しました。
人はいずれ死にます。それまでの間にアウトプットが評価されたとして、なんの意味もないのです。
日本政府(GOJ)が策定した食料安全保障政策により、国民は高品質の食料をより安価でリーズナブルな価格で手に入れることができるようになります。この国は、大豆、小麦、干し草、飼料穀物、肥料などの輸入食料品に依存しています。日本政府は2022年に適切な資金を投入して強化し、2023年には修正予算も投入する予定です。
2022年に策定された食料安全保障には、良好な食料安全保障を確保するためのロードマップがあり、日本は毎食のカロリー摂取量の少なくとも60%を食料輸入に依存しなければならないとされていた。食料輸入への過度の依存から転換し、水産物と農産物の生産を増やす必要がありました。
日本の農業従事者の最高年齢は67歳であり、農業人口は急速に減少していることが観察されています。一部の企業は、AI ベースの肥料システムと灌漑などの解決策を考案しました。土壌の状態、肥料、最適な水分含有量を確認するための地下管理施設が設置されます。
しかし、日本では水不足があり、いくつかのリスクシナリオがあります。輸入に頼っていたため、輸入先の国では水不足と干ばつが発生していました。以前は、商品を輸入している国から高品質の材料が不足していました。気候変動の影響で生産不足が発生しました。
以下のリンクからすべての情報を見るには、ここをクリックしてください:https://www.sdki.jp/japan-news/food-security-in-japan/1
ちなみにイギリスではJAPというのは自動車や二輪車の黎明期に高品質な高級エンジンを製造販売していた由緒あるブランド名であり、イギリスで日本人を呼ぶ蔑称はNiP(Nipponの略)である。
作家本人の絵柄のみを学習させる「ピュアモデルAI」作品が初披露…日本漫画家協会理事長の里中満智子、「味いちもんめ」の倉田よしみが参加
https://www.anime-recorder.com/ai/291151/
この記事読んで、ようやくイラストレーターと漫画家の違いのひとつを見つけた。
イラストレーターと違って、漫画家さんって一人で仕事仕上げてないんだよね。
アシスタント入るの基本だし、大多数はどう頑張っても一人で仕上げれない作業量。
(それが嫌な作家さんは一人でやってるが、本当に限られた人だけで、その分発行ペースがかなり遅い)
そもそも自分の作品に他人の手が入ることに嫌悪を持ってたらやってられない仕事。
カラーの仕事を外注してる作家さんが居るの知ってる。背景は全部アシスタントさんの人も昔から居るよね。
AIの介入に嫌悪しにくいタイプのクリエイターだなと改めて思った。
導入して時間が浮いた分ブラッシュアップするとか、特色を盛り込む余地を試行錯誤するのかもしれないけど。
納期が決まってる上に、質と品質を求められる仕事な以上、3D背景や素材を積極的に導入してきた人には、AIは幅が広がるし時短の期待が持てる。
体壊してる作家さんが多い業界なので、出版社が権利のしっかりしてる自社のデータを使って、システム開発をして欲しいと痛切に思う。
透けないし首元の開きも控えめ
これなら仕事の時に着ても良さそう
けど、なんかこう…なんかしっくりこない
なんか肩幅がゴツく見える
それが、なんか強そうな感じの肩幅に見えるのだ
Tシャツの肩幅が自分の肩幅よりほんの少し広めなんだけど、このせいでそう見えるのか
あと、妙に体の幅、脇の下あたりの布があまり気味で、これも本来の体型よりも太く見える気がする
まあ、オススメサイズのワンサイズ上を買ったせいではあるかもしれない
でも通販でジャストサイズ買ってキツくて着れないのが面倒で、ついジャストよりちょっと大きい方を選んでしまう
あと、なんだか顔映りが悪い
グレージュだしイエベのオバサン世代でも無難に着れると思ったのに、顔色悪く一層疲れて見えてしまう
ベージュもグレーもグレージュも物により色味は少しずつ違うので、このグレージュは自分には合わないものだったんだろうと思うが残念
自分の顔色に合えば他にも買っておきたいと思ってた、ベージュ系のTシャツ・カットソーバリエーションとして
けどまあ、合わないので無し
仕事にプライベートに着回すための実用としてのTシャツとして買ったけど