はてなキーワード: お人形さんとは
タイトル | 源氏物語 | うさぎドロップ | これは恋のはなし | 一緒に暮らすための約束をいくつか | 高杉さん家のおべんとう | 星川銀座四丁目 |
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作者 | 紫式部 | 宇仁田ゆみ | チカ | 陸乃家鴨 | 柳原望 | 玄鉄絢 |
巻数 | 54帖 | 10巻 | 11巻 | 2巻 | 10巻 | 3巻 |
年上 | 光源氏 | ダイキチ | 内海真一 | 藤木悟郎 | 高杉温巳 | 那珂川湊 |
年齢 | 18歳 | 30歳 | 31歳 | 35歳 | 31歳 | 25歳 |
職業 | 源氏 | 会社員 | 小説家 | 映像クリエーター | 大学助教 | 教師 |
年下 | 紫の上 | りん | 森本遥 | 三浦沙那 | 久留里 | 松田乙女 |
年齢 | 10歳 | 6歳 | 10歳 | 14歳 | 12歳 | 12歳 |
初期の関係 | 血縁なし | 叔母((本当は血縁なし)) | 近所の子供 | 親友の娘 | いとこ/未成年後見人 | 生徒 |
同居/別居 | 別居 | 同居 | 別居 | 同居 | 同居 | 同居 |
最終的な位置 | 正妻格 | 結婚/大学生 | 結婚/専業主婦? | 助手? | 未定(連載中) | 養子/建築士 |
子供 | × | × | ○ | × | × | × |
性描写 | ○ | × | × | ○ | × | ○ |
テーマ | ? | 育児 | 恋愛 | ? | 地理学 | 同性愛 |
年上側の特殊事情 | 皇族 | - | 一家心中サバイバー | 転勤族 | - | - |
年下側の特殊事情 | - | 死別 | ネグレクト | 死別 | 死別 | ネグレクト |
漫画を読んでいて、これは光源氏ものっぽいと思った漫画が溜まってきたので表にして比較してみた。漫画は5種類と源氏物語で合計6種類で比較。
まず圧倒的に巻数が多いのは源氏物語。まぁこれは時代も形式も大きく異なるので比較するものではないけれど。漫画の中では10巻くらいなのが3種類と、2,3巻なのが2種類。比較的巻数の多い、うさぎドロップと高杉さん家のお弁当は、光源氏もの的な部分は結果的にそうなったというだけであって((高杉さんの方は連載中だからどうなるか分からんけど))、それぞれ漫画のテーマは育児と地理学だからという気がする。そうすると、これは恋のはなしはそういう別のテーマみたいなのは無いけどちょっと長め。
物語が始まった時の、源氏の年齢。源氏は18歳くらい((諸説あるんでしょう))。これはこの中では最年少。星川銀座もちょっと若めだがこれは女性だからでしょうかね。他はみんな30歳過ぎ。このへんは、年下側との年齢差でセンセーショナルな感じにしたいけど年上過ぎないくらいが30歳過ぎくらいなんでしょう。これは恋のはなしと一緒に…いくつかは帯に20歳差!とか強調してた気がする。
年下側の年齢は6歳から14歳。突出して若いうさぎドロップはやっぱり恋愛漫画というより育児漫画が結果的に結婚したという印象を受ける。6歳児に女性としての魅力を感じるのは漫画としてもアウトでしょう。でも10歳に魅力を感じるのは許容範囲に入ってくるらしい。それは、これは恋のはなしに顕著。最終巻で、結局出会った時のあの目に引き込まれて云々みたいな終わり方だったし。高杉さんも、最初出会った時からお人形さんみたい的な女の子としてカワ(・∀・)イイ!!みたいな感想の描写があるし。ティーンに恋をするのは許容されるらしい。
職業。源氏は職業なのかわからないけど貴族とか皇族とかでしょう。さすがに、現代で光源氏物をやるときでも、この設定をそのまま持ってくる人はいないらしい。富豪の息子とかグレード財団の息子とかにすればいいのにね。その職業に付いている人が少なそうな順に並べると、小説家<大学助教<映像クリエーター<教師<会社員、ですかね。うさぎドロップはかなり平凡。家も狭そうな平屋だし。教師系が2種類あるのはどういうことだろう。よく、光源氏ものを無垢な女の子を自分好みに育てる話と言われるけれども、実はこの中で子供を自分好みに育てる描写があるものは少ない。星川銀座は教師だからということもあってか勉強教えるし、針路についても結構誘導するようなところがある。高杉さんも針路についてはいろいろ教育していた。でも、その他についてはあまり自分好みに育てるようなことはしてない。一緒に…いくつかはむしろ恋愛感情がわかるように教育されるというような描写まである始末。
血縁があるのは高杉さんくらいか。他は基本的に他人。大幅に年下でかつ血縁とかだと物語の焦点がぼやけちゃうのでしょう。
同居/別居は同居が多いなぁ。これは恋のはなしは、別居と言っても通い妻状態だし、基本的に同居するね。これは、一緒に生活してる方が物語作りやすいからだろうなぁ。もう現実には存在しないであろう、アパート同居ものの漫画が未だに大量生産されるのはきっとそのせい。めぞん一刻の時代ならともかく、僕らはみんな河合荘の時代になってもまだ似たような舞台設定が多用される。
最終的に結婚して話が終わるのがほとんどだけど、子供ができるのは1つだけ。星川銀座はしょうがないけどね。結婚しましたで終わるのは意外と言えば意外か。なんでだろうね。18歳になって結婚して子供作りましたじゃなんか生む機械みたいな感じがするからか。
年下側の針路について対照的なのは、これは恋のはなしと星川銀座四丁目が対照的に見える。これは恋のはなしは、旦那が売れっ子小説家とは言え、高校卒業後結婚してすぐ子供出来て、こう遥側になにかやりたいことことなかったの?っていう気がして生身の人間というよりも舞台装置って感じがしなくもない。星川銀座四丁目は最後建築士になって実務経験を経て独立しましたってところで終わるので、乙女側にむしろ主体性を感じる。というか、湊が家事手伝いして待ってる的な人だし単に入れ替わっているだけで一方が仕事する一方は主婦的な関係はどちらも同じかも。
性描写があるのは、成人向け漫画も書いているお二人。やっぱり基本は描きづらいよねという気はする。
逆に、年下側はほぼ親類と死別してるかネグレクトかどっちか。現代ではその状況じゃないと、他人と同居するという状況は不自然でしょうからね。源氏みたいに、気に入ったからとか絶対非難轟々になる。死別、ネグレクト意外に自然に他人の可愛い女の子と同居できるシチュエーションが思いつけばそれはかなりエポックメーキングな漫画になるということですな。えーと、地球に隕石が落ちて自分と10歳の幼女意外が死滅して…私に物語を作る能力は無いらしい…
年の離れた兄がいたからか、もともとひねくれて生まれついたからか、生まれてこのかた「サンタクロースをわくわくして待つ」という体験をしないまま大人になった。
記憶をさかのぼって一番古いクリスマス体験は、ほぼ3歳のクリスマスなのだが、その時すでに親に「リカちゃんが欲しい」と言った。
よくある「おかあさんがサンタさんにお願いしてあげるからね」という面倒なやりとりすら無し。
何が欲しいの?うーん、リカちゃんかな、わかったじゃあ買ってくるわね、的なやりとり
なぜリカちゃん人形に決めたかというと、戦隊もののグッズをすぐに飽きておもちゃ箱で埃かぶらせてしまう兄を見て思ったのだ。
私は一人でおはなしを勝手に作ってお人形さんごっこをするのが好きで、お人形さんごっこなら、ずっと飽きずに遊べるしな、と思ったのであった。
それまでは、お土産やらプレゼントで頂いた色んなぬいぐるみを並べてお話を作っていたのだが、人間がいないと話が膨らみにくいなと感じていたこともある。
そうして我が家に初めてリカちゃん人形が来て、私はまんまとお人形遊びに夢中になった。
サイズもまちまちなネコやら犬やら熊やらのぬいぐるみとリカちゃん人形を融合させてお話をつくるのは、なかなかの想像力が必要な作業だったけど、なぜか兄(当時小学生)を巻き込み共にお人形さんごっこを楽しんだ。
小さな妹とリカちゃん人形で遊ぶ兄、習いたての家庭科を駆使してリカちゃんの洋服を作る兄、というと、今の尺度だとかなり危険度が高い感じもしないでもないけど
彼はその後バリバリの体育会系の道を歩むこととなり、今や子供3人の父親をやっているのでご安心ください。
あと、サンタを信じ続けさせるかどうかをやきもきしてる親御さんを見てると、ちょっと面白い気持ちになる。子供って色々折り合って勝手な着地点を勝手に作ってるからね。
彼は、付き合う前も後も変わらず、すぐ機嫌が悪くなる。そして本音じゃないひどい言葉を吐き捨てる。
私は、前も今も猫を被ってる。機嫌が悪くなったら空気を良くするように振舞う。ゴメンね?って。ひどい言葉は本音じゃないと分かってても傷付くけど、傷付いてないフリをする。
私はもともとこんなお人形さんみたいな可愛い女の子の性格じゃなくて、性格も攻撃的だし、頑固で、プライドが高い。私がこの我慢をやめればすぐ空気が悪くなるんだろうなと、この関係を保っていけないんだなと思うと、つらい。疲れる。
浮気しようか。優しい男は、表面的で体目当てだ。分かっているが、そういう扱いを時々受けないと、正直やってられないですよ、こんなサービス業みたいなこと。
現実的に生息する誠実な男は、あれだ、現実的な田舎みたいなもんで、田舎に暮らそう的な理想の田舎とは違う、不便さがある。真面目で結婚向きではあるけど…物足りない。ちょうどいい男友達が欲しい。このままだと本当に冷めそう。
昨日、6ヶ月前に別れた彼氏が私に見えないように日記を書き、その内容が余りにも私をダメ要素満載な人的に書かれててイライラ。
人間関係で何かありましたか?と聞かれ、彼女と別れました。と言ったらそれが原因なんじゃないか?と言われました。
彼女は重度なメンヘラで、僕に頼りそれが重しになって苦しかった。
僕も頼りたかった」
内容は粗方こんなん。
そりゃさ、私は重度なメンヘラですよ。
でもね、それを日記に書かれて、自分は被害者ぶって、私をそこのグループから外そうとしていた。
見えてないと思ったら大間違いだぞと言いたい。
でもこっちがなにか起こせば本当に加害者になってしまう。だから何もしない。
その日記に対してコメントついててそれも見たけど、ほんと「被害者だったね、辛かったね」とか書かれてて凄い苛立ちました。
でも、なんで別れたかを書けよ。っと思いました。
そうです、別れた理由はその彼がいきなり「ヒモになりたい」と言い出しそこから色々ギクシャクあり、別れたんです。
「私のお給料じゃ無理だよ」ってにこやかに返したら「じゃあメンヘラの子捕まえてヒモになる」とか言い出し正直意味が理解できず、その事を共通で知ってる友達に相談したら「別れたほうがいい」と言われ別れたんです。
ヒモ発言で別れたの覚えてないの?しかも別れてからもう6ヶ月経つんですけど。
もうばっかじゃねーのwwwwwwwwwwwwwっうぇwwwwwwwwって言いたいくらい苛立ってる。
重度のメンヘラなのは自覚済みだし、病院も毎月通ってる私が居ますけど、もうその日記見た瞬間涙が止まらず、こんな人だったんだとなりました。
6ヶ月後にこの辛さを与えて、私の心を壊されて、保護者になられるわ。
もうほんと、別れてからその彼の幸せを祈ってた私が馬鹿でした。
涙は止まらないですが、もう関わることはないだろうと思います。
辛いのもあるけど苛立ちの方が重くて。
てか女の友達を嫁とか呼んでただけで、「その子が男だったら僕浮気されてるんだね」とかいう。
そんな馬鹿なことあるかよ…って思いましたが「浮気なんてしないよ」とにこやかに返しましたけど。
ただ、私は本当に心から好きだった相手に後からそんな風に言われるのがむしゃくしゃしてならない。
自殺は逃げてるようにしかならないのでしないけど、もう死にたい。つらい。
最後に「さよなら、大好きだったよ」と言えばよかったと後悔しました。
もう連絡手段がないので出来ませんが。
過去も、今も変わらず。
喋るだけの人形に好かれてごめんなさい。
もう馬鹿らしくなってきた。
早くヒモにしてくれる相手見つかればいいですねー^p^
…今後また何かあったらこっちも何かする予定です。
もうどうでもよくなっちゃった。
単発、週払いというのに惹かれて始めたバイトだが、
他にバイトした飲食やイベントと比べ学びが大きかったので書いてみる。
「新商品やリニューアル商品このくらい仕入れていただければ、販売員を付けますよ!」と営業をかける。
今度はメーカーは試食販売員派遣会社に「この商品ここのスーパーに何名販売員を派遣して欲しい」と伝えて仕事が発生する。
仕事の流れとして、まずバイトは試食販売員派遣会社の事務所において販売にあたって必要な知識を学ぶ。
販売する商品についてだけでなく、他社の似たような商品との違いや、必要であればメーカーについても教えてもらう。
他に、当日必要なもの(調理器具などは基本的に持ち込む。費用は会社から出る。)の確認などを行う。
これにも給与は発生するが、1回事務所に来て説明聞くといくら、だったので何回かの分をまとめて説明を聞いていた。
時給が欲しいな、と考えたことはあったが、発売前の試供品などももらえるので(自分で売る商品は必ず自分も試す)私はまぁまぁ納得していた。
当日はメーカーの人間として振る舞う。裏の従業員入り口から入り、メーカー名を名乗る。
が、もちろんスーパーの人は派遣のバイトだということは知っている。試食販売員はスーパーで「マネキンさん」と呼ばれていた。
はじめて聞いた時には私はなんつー呼称だ、差別用語じゃないのか!?とびっくりしたがすぐに慣れた。
・・・だけでなく、お客さんの反応や、売り場の観察なども行う。
販売後にはシートを提出するのだがそこには、そのスーパーの客層で多いのはどんな人か
お客さんはどんなことを言っていたか、買った人、試食したけど買わなかった人、試食しなかった人
年齢性別などわけてけっこう細かく記入する欄がある。
他に、他社の商品で何が売れていたのか、なども書いていた。いわゆるマーケティングである。
考えてみれば新商品ひとつとってもメーカーには、企画から開発、デザインや宣伝などを行った多くの人がいる。
私はそういう人たちの思いを(勝手に)背負って、仕事をしていた。
どのような言葉をかけると「売れる」のかについてもよく考察し、
時期も場所もドンピシャでさらにテレビCM投入中の大企業の新商品を売るのだから南極で氷を売るよりも何倍も簡単そうだけれど
これが意外と難しかった。
勉強したら即結果が出るはペーパー試験のみという現実を向き合いながら仕事をした。
売れっ子の試食販売員に教わったり、参考になるかわからなかったが柳原可奈子のコントも見た。
そのかいあってか私の販売成績は、「てんでダメ」なとこから「平均よりちょい、上」ぐらいまで成長した。
お客さんと直に会話を交わすことで営業の訓練にもなり、
マーケティングはもちろん、業界や企業研究まで幅広く行うことができる職業なのであった。
それだけに数々のデメリットとして
丸一日拘束されて日給が7500円なことと、
とにかくスーパーは寒く、真夏でもタイツ着用必須にもかかわらず冷え性が悪化するため女性には辛い
7時間半にもわたり、スーパーの一画で笑顔で大きな声を出し、ヒール(スニーカー不可)で立ちっぱなしがきつい
などの「あっ、これは長く続ける仕事じゃねーな」感が非常に残念でもあった。
まぁ、これだけ考えて勉強しても、売上は売れっ子にかなわず(完全に自分の力不足)
マーケティング分析はとても楽しいけれど自分は営業は向いてないなーということも痛感し、就活の際は営業は除外した。
そのため就活に対しても役に立ったと言えるし、今後の仕事についても、役立てられるアルバイトだったと思う。
【追記】
もともと販売員のことをマネキンと言う、という事実を知りませんでした。
当時は「販売員なんてメーカーから派遣されるお人形さんのようなもの」というニュアンスで「マネキンさん」と呼ばれていると思い、
「人間のことを人形扱いなんて!」と差別的な意味を含む言葉と勘違いしていました。
ご指摘ありがとうございます。
これは派遣会社によりますね。自社で販売員を持ってるスーパーもありますし、
おばちゃんが多いところはおばちゃんにメリットのある会社があると思うので。近場でコンスタントに仕事ができるとか。
私のいたところは本当に自由に仕事したいなーってとき、入れるときだけ仕事ができる代わり派遣先は結構広範囲でしたので若い女の子が多かったです。
今更キムヨナの悪評()広めてる奴って何なの?
アクセス数稼げるからかアフィブログが挙って取り上げてるけどさ
見てないけど知らなかった韓国最低キムヨナ氏ねって言ってる奴は1回演技動画見てきなよ
内容にはいちいち突っ込むの面倒だけど少なくともフィギュアスケートは静止画と数字だけで見るスポーツじゃない
まぁ騒いでる奴が誰のファンを名乗ってるかを見ればどういう層の仕業か一目瞭然だけどね
奴らの言動確かめてみなよ
キムヨナに限らず色んな選手に対して八百長だインチキだって噛み付いてるからさ
奴らは贔屓選手が勝つこと以外は認めないからそれ以外は全部不正だと思ってる
いつもいじめられてる可哀想な○○ちゃんが悪いライバルを蹴散らすって筋書じゃなきゃ気が済まないんだよね
だから贔屓選手は必要以上に不幸だと喧伝するしその他の選手は絶対悪か引き立て役扱いしかしない
キムヨナその他を叩く連中に持て囃されてる選手が嫌いってわけでもない
皆(何より選手本人が)満足できる演技ができればそれでいいと思ってる
お友だちに誘われて、前日まで行く予定にしていなかったのに急遽行くことになった。
こちらオリコンチャートにのるような音楽には全く詳しくない宝塚オタク。音楽番組は紅白を家族が観ていたら観る程度。Perfumeはもちろん知っている。好きな曲もある。だから、物は試しにと行ってみた。
ちなみにコンサートなるものに行くのは高校生の時親に連れられて以来という、まぁ、なんていうか、私の人生から縁遠いものだ。
「どんな服でいったらいい?」「動きやすい服でいいよ」
そうか、コンサートとは動くのか。普段は宝塚しかみない私はその時点で新鮮だった。私たちはお芝居の間中背もたれから背を浮かすことすら禁止されている。後ろの人もちゃんと楽しく観劇するための当然のマナーである。
何を持っていけばよく分からないからとりあえず、普段宝塚を観劇するために持っている倍率10倍のオペラグラスを持っていく。
京セラドームでたった倍率10倍がどこまでの効果を発揮するとか、私は知らない。そもそも京セラドームの広さを私は知らない。
貰ったチケットには@塁と書かれていてそれに驚く。塁!そうだ!!ここは野球場だったのだ!!!という新鮮な驚き。
上手下手ではないらしい。一つ賢くなった。
そして席に着く。なんとか手持ちの10倍オペラが有効に使えそうな距離だった。近い。と思った。ちなみに宝塚なら劇場からはみ出てる程度の距離感ではある。それでも、なんだか近かった。
コンサートの前にチョコラBBのCMが画面に流れそれに手拍子で応える観客。私はこんなに熱いCM鑑賞を初めて見た。私も手拍子しておく。
コンサートの内容についてはどこまで話していいか全くわからないし、曲名も知らないままのものが多かったので割愛。
3人しかいないのにお衣装チェンジとかどうするんだろう、宝塚みたいに着替えている間に違う人が場を埋めてくれるとかできないよな、とか真剣に悩んでいたけど、すごくうまいことなってた。凄い!!っていうかなんでも宝塚基準で考えるのやめよう自分。それ、狭い世界の話だから。
良く知らないけれど、それでもその場の空気に適当に乗ることにためらいがない私はずっと手拍子したり手を振ったりキャーって言ってみたりして、凄く楽しかった。同じアホなら踊らにゃ損損。
楽しかった!!かしゆかもあーちゃんものっちもみんな可愛かった!!本当にお人形さんが動いている。
この会場の大きさに対しあーちゃんもかしゆかものっちもとにかく小さいなと思った。別に本人が無力とかそういうことじゃない。本当なら一人5メートルくらい必要だと思う。それでも足りないかもしれない。
3人だけの力じゃなくて、映像や音響の力もあっただろうけど、たった3人でこのおっきな会場を埋めて、満たしていたPerfumeは本当に凄い。
大きなスクリーンでは踊る3人の表情が観れる。それでも、表情も確認できない、オペラをつかってなおバービー人形のようにしか見えない3人を観ている時間が長かった。必死に踊っている3人はとても近くて、遠かった。
凄いなって思った。
そして、何よりこの3人はとてもファンのことを思ってくれてるなと凄く感じた。
宝塚の舞台でもジェンヌさんはよく「ファンが大事」と言ってくれる。でも、ファンとして信じきれない時がある。
だけど、3人のコンサートは、私が本当のファンではないちょっと離れた距離から観てたからかもしれないけれど「こんな大きなドームをたった3人で埋めてしまえるほど凄い子たちにとっても、ファン一人一人は大事な存在なんだな」と本当に随所から伝わってきた。
もうちょっと、自分の大好きな宝塚のジェンヌさんたちの「ファンが大事」という言葉を「はいはい、社交辞令ですね」とか思わずに受け止めようってちょっと反省した。
ライブ、凄く楽しかったのです。言いたいことはいっぱいあって、連れて行ってくれた友人にもありがとうって凄く言いたいし、他にも書きたいことはたくさんあるけれどどこまで書いていいのか分からないからこんな適当な感想になってしまった。でも、面白かったことを誰かに伝えたいからここに書いておきます。
こんなにも反響があると思っていなくて少し驚いています。読んでくださってありがとう。そしてPerfume愛されてるなぁ!!!
一応言い訳なんだけど、ジェンヌさんたちの「ファンが大事」という言葉が本心でないとは思ってないよ。みなさん、心底言ってくれていることは本当は知っていて。
ただ、中にいすぎて外からその姿がどう見えてるかわからなくて、(すでにのめりこんでいるというのに)のめりこむのも怖くて「はいはい、社交辞令ですね」と受け流してしまうのだと思う。もちろん、Perfumeの3人とタカラジェンヌではファンとの距離とか思いの返し方は全く違うので比べるだけ無駄なのかもしれないけど。
タカラジェンヌだっていろんな人がいて、いろんな返し方をしてくれているし。
でも、そういう物事をベタに受け止められなくなっている自分に気付かされたライブでもあったのです。もうちょっと、ベタに受け取った方がいいなという反省。
宝塚も独特だけどとても面白い世界なので興味を持ったらお近くのヅカヲタまで声をかけてみて下さい。すごい勢いで宝塚の世界に案内してくれると思います(笑)
わたしは感情を表に出すのが不得意なことがあって、何かと面倒を見てもらうことが多かった。生まれてからの十数年で、周囲の顔ぶれはがらりと変わっている。それでもいつも、少しうつむくことがあると「おなかへったの。お菓子でも食べましょうか」とビスケットだのをいただけたり、おでかけのときに何の気なしに見ていたお品物を買っていただけたりしていた。その様なことに感謝はすれど、特になにの疑問も抱くことはなく、微笑んだり、「ありがとう」と言ってみたりして、楽しい毎日をすごしていた。
すこし前から、とある青年とお付き合いをさせていただくことになった。彼もわたしも同性ばかりの学校に身を置いているため異性になれておらず、お互いにあいさつを忘れ、ほとんど言葉も交わさず、仲人である共通のお友だちの質問に首を振るばかりだった。そんな出会いであったため、わたしの周囲は心配したがとても運が良かったらしく、共通の趣味を有していることもあり、仲はすこぶる良好だ。現在は手をつなぐのもためらうほどの清い交際を続けつつ、いつ互いの両親に相手の顔を見せるかというタイミングをはかっているところである。
年のちかいことが信じられないようなビルのように高い背や、聞き覚えのない張りのある低い声に戸惑った。だがもっとも戸惑ったのは、彼がデートの予定を決めるときに「○○ちゃんはどこに行きたい?」と、わたしの意見をあおいだことだ。その問いを投げかけられたときに気づいたが、今まで自分でなにかを選んだことがほんとうに一度もなかった。ぼんやり振り返ってみると、お出かけのお誘いはいつも母かお友だちからで、わたしから声をかけたことなんてなかった。「美術館に行きましょうよ」と言われれば頷き、「百貨店に行かなきゃね」と言われれば頷き、「新しい水族館ができたの」と言われれば頷いた。「どこに行きたい?」は初めて聞く言葉で、心底「このひとは一体なにを言っているんだろう」と不思議だった。ほぼ反射的に「わたしはあなたと行くならどこでもいい」と答えたが、彼も「ぼくも一緒ならどこでもいいよ」と答えたため、わたしの言葉はあまり巧い返しにはならず、甘酸っぱい思いをしただけだった。結局そのときは決められずにまちをぶらぶらと散歩して、喫茶店や書店、雑貨店をのぞいたりした。
小さいころから、褒め言葉の定番の「まるでお人形さんみたいね」をいただくことに至高の喜びを感じていたが、外見だけでなく中身までもお人形さんだったわけである(余計なはなしだが、ただ「かわいいね!」といわれるよりは「お人形さんみたい!」と具体的に言われるほうが、女の子はうれしいことが多い)。「感情を表に出すのが不得意」なのではなく、なにかを選択することができなかったのだ。たまごが先かにわとりが先かは分からないが、選ぶことができないのと、周囲が甲斐甲斐しく世話を焼いてくれのを繰り返したことで、結局そうなってしまったのだろう。ただ、この年まで疑問も嫌悪感もなくそうして生きてこられたことは、ほんとうに幸せなことだと思っている。
しかし、せっかく気づいたのに、このまま今までどおりたゆたって生きていくのも惜しい気がする。最近は積極的により幅広いジャンルの雑誌や本、様々なブログ読んだりして、自分の好みや考え方の確立をはかっている。徐々に自分の世界観ができあがってくると意思表示もできるようになって、以前よりは周囲に感情をさしはからせたり、同行の方に何かを買わせてしまったりということは少なくなった、とわたしは感じている。ごくたまに「前の生活のほうが楽だったかもしれない」と思うこともあるが、今のところはとても楽しくくらしている。
開発の人って、萌えるらしいです。デザイナー職の20代前半女性Tさんが言ってました。
Tさんは目がパッチリしてて愛想が良くて可愛い子です。顔が小さくて、細くて、お人形さんみたいな子です。入社した日は可愛いと話題になりました。
開発の人は、ビクビクした感じがあるけど、好意的に優しく接してくれるから可愛いそうです。少し変わり者で、女慣れしてないところが萌えなんだそうです。
でも付き合うのは「普通の人」がいいから、「普通の人」と付き合っているそうです。大学の頃に出来たスポーツマンで爽やかな彼氏と、今も続いているそうです。
入社したとき、男性社員に聞かれて、彼氏は居ないってはっきり答えてたのに…。
私の隣の席のS君は、Tさんのことがかなり好きなようです。女慣れしておらず、変わっていて、「普通の人」じゃない開発者のS君は、
見ているのが辛いほど不器用な好意を垂れ流しにしています。彼に「萌えて」いる彼女は、彼に素敵な笑顔を向けます。
Tさんに彼氏が居ることを知らず、脈ありと見て幸せそうにしているS君。でも彼はブスな私と可愛い彼女とで露骨に態度を変えるので、同情の気持ちは起こりません。
そもそも、ブスに同情されても彼のプライドは余計に傷つくだけでしょう。私は全くの無関係。S君はTさんの恋愛対象ではない、ただそれだけのこと。
どうせ釣るならそういうステータス的なことじゃなくて「学問やったりとかってめんどくさいこともあるけどチョー楽しいぜ」とか「今の時代、勉強してお金稼げる人になれないといろいろとしんどいんだよ…」って真っ向から釣りに来るべき。散々ブコメで言われてるけど。
何故なら子どもは所詮親の庇護下(と束縛下)にあるのでその手のステータスとかマジで単純に無意味な見栄でしかないしその子自身の生き抜く能力と関係ないからだ。
つまり完全に親のオモチャ、「ぼくのかんがえたさいきょうのぼくの子」になってほしいという欲望を注ぎ込まれるお人形さん扱いしているだけなのだ。
何が怖いって、「『ぼくのかんがえたさいきょうのぼくの子』とは違うけど本人も満足してるみたいだしまあまあいい人生だな」と親の価値観で判断するに値しない子どもに育っちゃったとき、この手の親はどれだけその子を傷つけることになるだろうというのが想像するだに恐ろしい。
自分、20代後半。♀。小学校時代からの親友、A。同い年。♀。
小、中、高、大と同じ学校に進み、ずっと仲良くしてきたつもりだった。
とキャピキャピしていたのだが
薄給だし顔が気に食わないし結婚しても専業主婦になれそうにない~
誰とも付き合ったことなかったけれど恋はしてた。
励まされたし、励ましていた、と思う。
それから。
縁か引き合わせか、めぐりにめぐって
私がずっと片思いしていた人と付き合うことになり
その時はすごく、喜んでくれた。
よかったね、よかったね!
本当に、Aちゃんの、おかげだよ!ありがとう!
顔をぐしゅぐしゅにしながら泣いたのを覚えてる。
仕事が忙しくなったり会う機会が減っていき
暫くAと会う機会がなくなった。
でも、結婚が近づいてそろそろ報告しようと思い
ふたりで会って遊んだ。久しぶりのこともあって、
なぜか最初からぎこちなかったけれど、だんだんいつも通りに話せてきた。
そして私は「結婚することになったよ」といった。
指輪を見せて。
自分はこのときAが「おめでとう」といってくれたかは覚えていない。
おめでとう、よかったね~という言葉は聞けないだろうと
薄々もう気付いていたから。
元気がなくなっていくAの様子を見ながら、帰ろうと声をかけて
全部消えていた。
なんでだろう? と思う一方で ああやっぱりなと感じてしまう。
たくさんの理由を考えるのだけれど、
早く結婚できるのか理解ができないとか、そんなところなのかなと。
もし、私が結婚しなかったら、ずっと友達でいれただろうか。
今になっては、それですらも危ういと思う。
ショック過ぎて本当は泣きたいけど、
ようするに、今までそう思われていた ということだろうし
でもすごく、いい友達だったんだよ。
連絡先も、諦めるために全部消そうと思う。
今まで本当に、ありがとう。そして、さようなら。
知人に天海祐希のファンがいたのだが、驚いたことに彼は宝塚時代のエピソードはほとんど知らなかった。
天海は、宝塚ではかなりの伝説を作り上げてしまった人なので、これを知らないファンがいるのはもったいないなぁ、と思った。
なので、ざっくり彼女のジェンヌ時代の伝説を書いてみようと思う。
これは男役としては異例の速さだ。
新人公演というのは、本公演と同じ内容の演目を、入団1年目から7年目までの新人達だけで演じる公演のこと。
トップ路線に進む男役の子は普通、この新人公演で良い役をもらいながら、7年目までに一度は(新人公演で)主役をやる。
その後本公演でも、徐々に良い役をもらうようになってゆき、所属する組の三番手、二番手を経て、トップになる。
(ただしこれは天海在団当時のルールで、新専科が出来た今は、多少異なる)
とは言え、いくらなんでも1年目で新人公演主演は早すぎだ。
さらに新人公演が7年目まで出演可能なことを見ても分かるように、入団7年目では普通まだ新人から卒業する程度の段階。
この段階でトップになった者は、現在のスターシステムが出来たあとの男役では、他に存在しない。普通は十数年かかる。
(娘役の場合は、いきなりトップをもらうことがあるので、この限りではないが)
ちなみに彼女がトップをやっていた時の二番手であった久世星佳、三番手の真琴つばさは、天海の上級生である。
これは、他にも早い人はいるので、異例とは言えないのだが、トップ就任2年そこそこで辞めてしまうのは、やはり早い方だ。普通は5年くらいはやる。
トップになるのも早ければ、辞めるのも早かった、まさに彗星のように表れ、去っていったトップスターさんなのである。
宝塚を余り知らない人でも、でっかい羽根を背負って、大階段から降りてくるタカラジェンヌの姿は、ご存じの方が多いだろう。
あれは公演の最後のフィナーレでの姿なのだが、あそこではトップに近い人ほど大きな羽根を背負うのが通例。
ところが、トップになった天海は普段の公演から、かなり小さい羽根ばかりを背負っていた(当然周りはもっと小さい羽根になる)
どうも彼女が、仰々しい羽根を背負うのは嫌だと、劇団側に通させてしまったらしい。
基本的に劇団とジェンヌさんの力関係は 劇団>>>>|越えられない壁|>>>>ジェンヌさん ってくらいのものなので、例えトップでも普通はこんな要望は通らない。
のだが、彼女は通してしまった。天海だから許されたのだ、と言われている。
圧巻は退団前の最後の公演で、完全に羽根をなくしてしまったということだ。こんな公演、羽根が通例となった以降には、そうそうない。
ジェンヌさん達の行動基準は普通「劇団の通例>ファン>仲間達との絆>その他」みたいな感じなのだが、天海の場合は「仲間達>ファン>通例>その他」みたいな順番だった。
分かりやすいのが公演のフィナーレで、幕が下りるまでの間、普通は客席に向かって手を振るのだが、天海はどちらかというと、一緒に練習してきた仲間達をよく見る傾向にあった。
お茶会というのは、ファンの融資でジェンヌさんを呼んで開かれる、アンオフィシャルな会。
普通はまぁ、ジェンヌさんはお人形さんじゃないが、ファンのみんなに囲まれて、色々お喋りの中でいじられる感じなのだが、天海はガチのトークに入ることが多かったらしい。
退団時もファンクラブからの融資で色々やる。普通は良い車を借りて、スターさんを乗せてパレードしたりするのに多くの金を使うのだが、天海はファンクラブの人全員にワイングラスを贈ったようだ。
実は女社会の常というか、ファンクラブでも(ファンが自主的に作った)序列みたいなものがあり、幹部さんと、ファンクラブ入り立ての人では、受けられるサービスの度合いが違ってくるのが普通なのだが、天海は全員に全く同じワイングラスを贈ったらしい。
色んな意味で、序列社会の習慣を無視しまくった、またそれを可能にする実力があった人だったのでした。
歌って踊れて芝居できて、何より華があるという、本当にパーフェクトなジェンヌさんでしたからね。
(8/9 追記)
最近処女の話題がブームなので、時流に乗ってなんで自分が処女を守るに至ったか経緯を書くか。
色々ばれるとやばいので大分ウソも混ぜてるからネタ半分で読めばいいよ。
私が処女に対して考えるようになったのは、祖母の存在が大きい。祖母は三人兄弟の長女で、大学に通っていたようなお嬢様だった。けど、祖母の妹が結構奔放な(当時としては)人間で、彼女は海外に留学してみたり、人の男を寝取ってみたり、なんか散々だったらしくって(祖母自身はこの話を断じて口にしなかった。聞いたのは祖母の弟からちょこっと)いつも祖母が尻拭いをさせられていたみたいだった。
それで、まあ妹にコンプを感じていたらしき祖母は時代の流れで祖父と結婚、そのまま一人息子の父を生み、育てて、父を母と結婚させた。
多分ここから始まった。母が私を産んだ時、祖母が言ったのは「○○さん(母の名前)、この子の世話は私がやるから」。母は勿論大反対したし、私を抱きしめて「何考えてるんですか、私の子供よ!」っていったらしいけど、祖母は頑なに聞かなかった。祖母と母は一緒に暮らしていたし、祖母は本当に私の世話をするようになった。母が私を抱いていたら怒り出す始末。
それで祖母が私を育てることになった。なんていうか、もう時代錯誤も甚だしいようなお嬢様教育の嵐。お茶とかお花とか着付け、踊りとか、浴衣縫えるように教えられたりとかさ。
乗馬はやってたけど、一つ上の女の子が落馬して肋骨折ったって話を聞いたら速攻やめさせられた。まあそれは自分の教養になったし、まあ経験して悪くは無いなって思ったけど、祖母が念仏のように呟いていたのは「処女でいなさい」だった。こんな直接じゃなかったな。なんか「清くいなさい」みたいな。あのババア。
なんというか、祖母は私を三島の「女神」の女みたいにしたてあげたいようだった。残念ながら、中身を持つ人間はそこまでお人形さんにないんだけど。
ほんでもって話は戻る。私が高校に上がる前に祖母は死んだけど、小学校中学校(私が通っていたのは小中高一環の女子校だった)までの六年間、まるで意味のわかっていなかったころから、ようやく意味がわかるようになるころまで、ずーっと「処女でいなさい」って言われた。まるでそれだけが私の価値みたいに言われた。
まあそれで私も処女であることはスペックであると考え出した。というか、トレードできる価値、財産みたいなものって考え出した。でもどこかでねじまがっちゃった気がする。
祖母が死んで、高校に入ってから結構私はモテた。学校は清楚とお嬢様と上の下偏差値でまかり通ってる女子校だったんだけど、中身はガリ勉かキモオタか派手か普通の子って感じの区分だった。それで私は普通の子と派手な子の中間層だったから、派手グループによく合コンにつれていかされた(医者とか、弁護士とか)し、普通に人気があった。道ばたでもナンパもよくされたし、まあ自分の顔立ちは悪くは無いなと思っている。まあ派手だしな。ていうか外見には自信があんだよ(毛深いのがコンプだったけど)。
そんなこんなで高校に入って速攻彼氏も出来た。高校一年のとき。ワセケイのお坊ちゃん。イケメン。そこそこチャラい。キスもしたし、まあ車もってたからデートは楽しかった。湘南行ったり。そんなこんなで、家に誘われた。家はでかい。ていうか、山の手の内側でここだけの土地かよ、と思った。家には普通にお坊ちゃんの両親がいたけど、部屋に通されて、あー、セックスするのか、と思ったとき、はたと気付いた。
「こんな男に私の処女、やっちゃっていいの?」
はっきり言っておくけど、私みたいな美女の処女は安くない。ぶっちゃけ5億円ぐらいの価値があるって思った。非処女はタダってわけじゃない。こんなチャラ男にタダマンさせるほど安くはねぇよ。って思った。
その後即効その男を振って、大学に入って、また何人か彼氏が出来た。でもいっぺんもやらせなかった。なぜなら私は価値がある女だから。処女=絶対無比の価値。なんか変な価値観が凝り固まっていた。その価値に見合う男が出るまでやらせねぇよ、と思った。サークルも飲みサーみたいな感じで、一時期穴なし女みたいにうわさされたけどニヤニヤしてた。
男は私にとって見せびらかすアクセサリーでしか感じられなくなった。本当に好きな男ができない。セックスして愛を確かめる行為も出来ない。男はすぐにセックスを求めてくる。
それに答えられないから嫌がる。分かれて新しいアクセサリーを探す。
セックスを求めてくる男がいる限り、女に処女であれって言うのはなんてナンセンスなことなんだろうね。だってあんたら付き合った女とセックスしたいって言い出すじゃん。結婚するまで我慢しろって女に言う前になんで男が我慢できないの。
大学を卒業した私は商社に勤め始めた。そんで、親友の紹介で来週結婚する医者と会った。
医者、イケメンだった。しかも、ものすごくいいやつ。誠実。親友の紹介だけあって、信頼できる。話も合う。なんでこんな奴に彼女がいないのか、と考えて回りに聞いたら、彼女は事故で死んでた。漫画だろ、セカチューかよ、と思ったけど、まあ、付き合った。楽しい。
それで医者と三ヶ月ほど付き合って(会ったのはそのうち6回ぐらい)くるまのなかで、今からホテル行ってセックスしようかみたいな雰囲気になったとき、私はいつも通りいやだ、って言った。「なんで?」って聞かれたから「結婚するまでセックスしない」って返した。そしたらしばらく考えて、「今日はしないから、結婚しましょう」みたいに言われた。ああ、うん、って答えて、それでなんかとんとん拍子で結婚が決まった。
でもここで一つ怖い話がある。はっきり言ってセックスを結婚してもしたくない自分がいる。私の価値が結婚した瞬間に損なわれてしまう気がする。こんなにいい男でさえ、処女を惜しいと思っている自分が馬鹿だとは思うけど、できれば一生セックスするのが怖いんだ。
処女が好きな男は処女を頑なに守る処女を、まるでユニコーンかなんかみたいに思ってるみたいだけど、ぶっちゃけ、処女は5億円の価値があると見込んだ男にしか処女はやらないと思ったほうがいいよ。だから、美しい処女がほしいと思う男はそれに見合う男でいるの? って思う。私は来週ダンナになる男にさえ、処女をあげるのを惜しんでいる。
私が一番今恐れているのは、自分に娘が出来たらということ。
「処女でいなさい」って発狂しそうなほどいやな祖母の言葉を私も言うかもしれない。
なんか結婚特有の雑務から帰還したらブクマ数が凄くてびっくりした。ある種マリッジブルー的な吐き出し文だからすぐ流れるかと思ってた。
言いたいことを吐き出してレスポンスがいっぱい返ってきて、矮小な自己顕示欲がちょっとだけ満たされて嬉しかったです。コメント? をちらって見て、おっさん扱いされていてなんか不思議な気分になったり、ネタだろ、という言葉に、私自信読み返したらこの文章がネタにしか見えなかったので、ああ、ごめんね、ってなりました。まあここで真実です!なんていったところで何の価値にもならん。だいたい内面の価値などどうでもいい(と教えられてきたしね)。
ただタイトルだけは真実です。まあ信じる信じないにしてもさ。私は処女で、まあ美人で(自分で書いていて結構笑える)、お嬢様だと思います。お嬢様っていう定義が、いわゆる、金持ちテンプレート的な習い事を受けていた経験があり、実家が裕福で、お嬢様学校に通っていたっていう条件ならね。
でも、この三つを満たしていても、私は醜いです。歪んでます。肉体的や経験的には処女で、きっと男性の幻想的な理想であるでしょうよ。私は経験からも「男の理想まんまだなあ」と感じています。正直、チヤホヤされなかったことなんてない。オッサンは特に優しかったし、誰に対しても私はしっとりしたお嬢様を完璧に演じることが出来ます。自慢だけどね。
「清く・正しく・美しく」こんな旧態然とした教育の中(それが悪いとは言わないし言えない)、私は「清くあること」を多大に押し付けられたせいで、内面がその抑圧で歪みきってしまった。
全くもって「みにくいおんな」になってしまったんじゃねーの、と思っています。古い思想は美しい。日本の心は好きだよ。大事だし、守るべきもの。でもさあ、それを現代に無理やり当てはめようとすると、絶対上手くやってけない。それを教育っていって子供に押し付けると、心がどっか変なふうになっちゃうよ。上手く適用するように柔らかくしなきゃ。
たかが処女膜。穴にあるもの。よくわかんない。それをここまで守ってこれても、私は祖母が理想とした幻想の処女でいられなかった。お人形さんになれなかった。
私は処女性を持つことと処女であることは、似て非なることすぎるんじゃないかと思う。マンコをいくら使わせても心の清い女がいる一方(罪と罰すぎて笑える)、こんなに醜くなってしまった私がいる。
「あなたはもう幻想の女しか抱けない 」じゃないけどさ、もう処女を幻想視されて押し付けられて、それを価値観で心の中でガチガチに塗り固めて、それで「私は清らかなんです」なんて外面さげてヘラヘラするのにいい加減疲れてしまった。大事にしていたものが今では重過ぎる。
本当の最後に私が大好きな本の一部を引用する
生きる時間がずっと長くなったおかげで古い価値観がもう使えなくなった。セックスの事を15歳で知り35歳で死んでいたときは明らかに問題は少なかったはずだよね。今は8歳とかそれぐらいで知り、たいがい80歳まで生きる。その間を1つの考えでやっていくのはちょっと長すぎるよ。
しかも同じ退屈な考えで。
「ぼくの哲学」アンディ・ウォーホル
しかしそのサイトには女のおっぱいが満載な二次元であったり三次元であったりする広告があるとは笑えてしょうがない。
結局のところ自分の思うようなお人形さんがよいのですと大声でいえばいいのに全部わかってくれない女のせいにするというその懐の狭さ!年収も低い!
ゴミ箱みたいな人がもてるわけもない。
どうもメディアが婚活!とあおりつつも「おまえらが狙っている男どもなんてこれっぽっちもいねーよ!」の反撃でじゃあ何をしたいのかわからない。
実際問題自分よりもお金を稼ぐ相手であれば家事もやらざるをえないだろうしっていう普通の年収の大小で決まるもんじゃないの?
年収も自分より低くて頭も悪くてなんてそんな相手にご飯をつくるなんてありえない。
まあいろいろ女に文句いうんならおっぱいなんて金輪際触らない覚悟で言うことだ。
覚悟もねーくせに言うな。好きなくせに。