はてなキーワード: 自己主張とは
ふとmeets系ラノベみたいなタイトル思い付いたので書くことにした。(自称)拗らせフェミ(私)が(年下)女装男子と出会ったら(勝手に救われた話)。
**拗らせた
所謂フェミニズム的な考え自体は中学生くらいの頃から持っていて、伝統的な考えを持つ父が「結婚して子供を産まなければ女は幸せになれない」と言うのに違和感を覚えるなどしていた。
中学生のときに社会学に興味があってフェミニズムについても色々と調べた時期があったけど、このときは男女比1:5~6くらいの部活で朝から晩まで音楽のことを考えていたのであまり自分の問題として捉えられず、「そりゃプリキュアも好きだけど仮面ライダーも観たいわな」くらいの気持ちだった。その後進学して男女比が13:1になっても多少不便はあるものの、学校では特に問題なく過ごしてた。
フェミニズムに向き合うきっかけになった出来事はいくつかあって、
①ある機械部品メーカーにインターンに男の子2人と私で行ったら現場/現場/事務の3コースあり、私は勝手に事務にされていた。男の子2人はそれぞれ好きなコースを選んで良くて、私も現場が良かったけれど言い出せなかった。
②自分が着るスーツにアイロンをかけていたら父に「将来は旦那のをやらなあかんからよう練習しとけよ」と声を掛けられた。
③重機メーカーのインターンに行って、後日その内容をポスターセッションで発表していたら「女の子は重機に興味ないでしょ」と繰り返し言われ話を聞いてもらえなかった
④祖母に「大学入ったらいい企業入るいい旦那さん探さなねぇ」と言われた。ややいい大学だったので喜んでくれているのは分かるが、私は私が勉強するために大学に行くのであって稼ぐ夫を見つけるために大学に入ったんじゃない、と思った。
そんなこんなあってTwitterで #metoo だとか#ツイッターでウィメンズマーチ だとかのタグを見るようになった。最近は見てないので分からないけど、当時の日本の#metooはミソジニーが女叩き、フェミ叩きをしているのが目立っていた。
実際、Twitterでフェミニストを名乗る人の中には過剰な女尊男卑を掲げる人もいるし、そういう人と一括りでフェミニストを丸ごと叩いている人は多くて、そういう人のお気持ちを素直に読んでしまったのが拗らせた原因だと思う。
私は元来所謂「女の子らしい」ものが好きな質で、レースやフリルのついた服、小さくて丸くてピンク色をした雑貨、高くて細いヒール、どれも好き。でも同時に「利便性こそ美しさ」という気持ちも持っていて、動きにくいスカート、使い所のない雑貨、機動の下がるヒール、という気もする。
ここにミソジニーが「女が着飾るのは男によく見られたいから」「男尊女卑やめろと言うくせに男に媚びるな」などと言っているのを見て「本来の好みは利便性のほうなのに男に媚びる気持ちから可愛いものを選んでいたのか…?」と思ってしまった。純粋かよ。
多感な時期だったので整ってもいない顔でオシャレをするのはみっともない、みたいな考えにも侵され、複合的に可愛らしい服装に苦手意識を持つようになり、友人にはよく「喪服」と言われてた。
**出会った
件の男の子とは2019年にあるイベントで会ってTwitterで繋がって、何となく仲良くなって数ヵ月後に2人で出掛けることになった。ここだけ聞くとすごい出会い厨っぽいな。
女装することを知ったのは何時だったか覚えてないけど一緒に出掛けたときにはもう知っていて、自然と服を買いに行くことに。
ちょっと都会のショッピングモールを一周して辿り着いたのがaxes femme。女の私ですら入るのを躊躇うというかここの服を着そうな格好してないよ今日、などとといいつつ(いつもの喪女スタイルだった)こそこそと入店。結局店員さんに捕まってしまいめちゃくちゃ良くして貰って2万ちょっとお買い上げしてるのを横で見ていた。
彼はシスジェンダーでヘテロの男の子でただ「可愛いもの」が好き。好きな服を着ていると楽しいし自分が可愛いと嬉しい。好きな服を選んだら女物だったとも言ってた。骨格やサイズ的に着られない服もあるし、1人では買いにいけないし、家族には隠しているし、それでも自分が楽しいから人にも見せないのにお金と時間をかけて家の中だけで着ている。
私は彼が女装していても男装?していても一緒に隣を歩くし、彼が楽しそうに服を選んでいるのを見るのが好き。
それなのに「可愛い服が男に媚びるためのもの」であるわけがあるだろうか、とふと気がついた。その気付きは劇的で、彼は全く意図していなかっただろうけど、私はすっかり救われてしまった。
女らしい格好をすることに対する強迫観念みたいなものがなくなって、好きな服だけを選んでいたらクローゼットは見事にワンピースだらけになった。
可愛らしいものと共に忌避していた女性性を受け入れられるようになり、生理不順を治療した。
「無意識に男性に媚びているかもしれない」という恐怖感がなくなって、自己主張もしやすくなった。父や祖父母とは衝突もするけど、前よりずっと生きやすい。
あんまり感情が大きいので彼にはあまり言わないけれど、本当に感謝してる。何をした訳でもないと思ってるだろうけど、君が君を貫いていてくれたお陰で、今わたしはわたしを貫いていられる。ありがとう。
「課金する」って言葉は元来、文字通り課金する側視点の言葉のはずなんだけど、今や課金される側がカネを払う行為を指して「課金する」って言っちゃうよね!
これってすごく気持ち悪いと思いませんか? 思わない? 人による? ですよねー!
・・・というわけで、この今様「課金する」に対する態度で、ズバリあなたの性格診断してみましょう。
下記Aからはじめて指示にしたがって選択肢をたどっていくだけだよ!(どう選択肢を選んでも煽られるのでご注意ください)
A 言葉は時代とともに変わるものだと思う Yes→Bへ / No→Cへ / わからない→Gへ
B 「課金する」の意味も変わっていいと思う Yes→Dへ / No→Eへ / わからない→Fへ
C 「課金する」という言葉を使う Yes→【1. 保守・ハト派】 / No→【2. 保守・タカ派】
D 「課金する」という言葉を使う Yes→【3. 革新・タカ派】 / No→【4. 革新・ハト派】
E 「課金する」という言葉を使う Yes→【5. 中道・ハト派】 / No→【6. 中道・タカ派】
F 「課金する」という言葉を使う Yes→【7. なんとなく流されちゃう系】 / No→【8. なんとなく反抗しちゃう系】
G 「課金する」という言葉を使う Yes→【9. 考えるの面倒くさい系】 / No→【10. ガラケー】
もちぎだの熊だの能町だの、ほんのちょっとtwitterででも探せば
導いてくれそうな公開ゲイやトランスだの同胞っぽいメンヘラっぽい自己主張してるやつらはいるだろ
そもそもAは本気なんか1ミリもないだろうにってのはBの主張のとおりだし
それならそれでせっかく正当に冷たくされてるんだから
は?
いつもここでクソフェミは腐女子だとか攻撃とかされてても全く手をかさないが
映画、フィクションの話となれば話は別!というはてなーの習性なわけか
おきれいなことだ
反吐が出るね
登場人物紹介
元増田A 「anond.hatelabo.jp/20200514150859で腐女子と自己紹介し、ゲイが登場する映像作品といって例示してるのがそのごく一部の腐女子受けする叙情同性愛映画のみ。わりと細かくコメントをつけ追記した。LGBTのブクマカBから指摘がきてもほぼ無視どころか自分もLGBTかもぉといっちゃう27歳だということがわかった」
増田C「ブクマカBよりの立場をとる。真夏の夜の淫夢や淫乱テディベア、まして羊たちの沈黙などというミーム化するほど著名なガチゲイ登場作品をみんな知ってるはずなのにそれを一つも上げずにゲイ映画という名目で実質「実写BL洋画祭り」をおっぱじめるやつらが苦々しい増田。は?ゲイとはいったい何だったのか!?」
増田D「増田Cの文章を読んで元増田Aが映画のみならず映像作品も募集している(漫画は募集していない)と指摘したかっただけの空気よめないバカ」
増田E「元増田Aよりの立場のバイ。性自認に苦しんだからAが未熟な手法ながらLGBTと自己主張したくなる気持ちはわかる。そのあとどういうわけか恋愛話を聞きたいといいだした」
テーマが恋愛にしろ何にしろまともな会話がほいほいくりひろげられるような場所では増田はない。このズタズタなツリーをみればよくわかるはずだ。元増田AとEをあわせて活発なゲイ交流掲示板かツイッターのそのへんのクラスタにでも輸出してさしあげたいところである。
Dはアオラーじゃないのなら圧倒的趣旨理解力の低さを自覚しろ。こだわり行動も薬で抑えろ。必要なホルモンが低すぎる。
Cはここにいる連中のなかではおそらく最も高齢なのでもう恋とか愛とか本当~~~~にどうでもいい。むしろそろそろ孫がほしい。映像作品は楽しむがここは感動トークを大っぴらにやっていい場所でもない(高確率で文意を読み取らない、Dよりひどい当たり屋が出没する)から非常に居心地が悪い。ホルモンに狂った恋愛(作品)マニアにも煽らーにもふりまわされるのはまっぴらだ。
ツイッターで「#反自粛」で検索すると経営者やトンデモ系の人達の声が大きくなってきてるね。
https://twitter.com/hashtag/%E5%8F%8D%E8%87%AA%E7%B2%9B
個人的な意見ではいまの自粛や営業停止はやり過ぎだと思っているし
3密じゃなきゃ出かけても問題ないでしょう、近くに年寄りがいる人は気を付けてねというぐらいの感覚。
GW 以降も緊急事態宣言が延長されるみたいだけど個人店や小規模店は経済的にこれ以上は自粛はできないから勝手に営業再開するでしょう。
むしろさ、小、中、高校の先生の雑用を増やしすぎた結果に思えるんだが。
やんちゃな子供の面倒ばかりで、真面目で自己主張できないが勉強もできないような子供が勉強においていかれてる。
真面目な時点で一つ一つ何に躓いているか紐どいていけば勉強できるようになるんだが、親も忙しくて貧乏、よって塾にも行かせられない。
躓いたら躓いたままどうしようもなく、わからない授業を聞いているだけ。
やんちゃな子供やらの面倒だとか部活とかは全部よそに預けて、わからない子供のわからないことを紐どいていかないとならない。
結局はきちんと金と時間をかけることが必要なんだが、新自由主義のもと、先に法人税や所得税を下げるのに使われるし、バックマージンや票を集められるものじゃないから、政治家も動かない。
切手買うの楽しくてたまっちゃう。買わなければ減っていくだけだから、買うのをやめたらいいのに自分の好みの特殊切手が発売されたら買っちゃう
でも、いざというときはゆうパックの送料に使うからいいのです。
あんまり使わないかなと思ったけど買った白い紙で縦の線が入った便箋。改まった真面目な手紙を書くときの便箋もなんだかんだで出番があっていざというときのために持っててよかった。普段は華やかでキレイなデザインやかわいいデザインの便箋使ってます。
私が手紙を書くときは身内あてか、ファンレターです。文通はやらない主義
文通やればお手紙たくさん出せるんだけどそれだと手紙を出すのが半強制義務になっちゃうから。私は相手からの返信を期待せずに私から一方的に送りつける手紙が好きです。自分のペースで時分が好きなときに手紙を書けるからね。でも、たまにお返事がくるととっても嬉しい。
今日もお手紙投函した。相手は私の文章をどう思うかなってドキドキしている。ちなみに夫の祖父母と義両親あてです。
ファンレターも書きたい。書きたい欲がムクムク沸いてきている。
手紙は落ち着いて、自分の気持ちを相手に伝えることができる素敵なツール
SNSのコメントやメールと違って、封筒や便箋、切手を自分の好きなデザインで選べる!私の好きがつまった私の気持ちの分身です。
自分の好きな人達に好きを伝えるお手紙を愛してます。今持ってる手紙のための道具たち。使いきるのに何年かかるんだろう。せっかく私の手元にあるんだからガンガン使ってあげたいな。特殊切手もたくさん使って、その役目を果たさせてあげたい。送られてきた封筒の消印が押された切手が好きだ。役目を終えた切手の姿に美を感じる。やっぱり切手は郵送料として使ってこそ意味があると思っているよ。
仲が良かった友人の、身内鍵アカウントから断絶されていたのに今日気づいた。
初めて会ったのは2019年の1月だった。Twitterで仲良くなり始めたのは…いつだったっけ。ずいぶん前だったからもう覚えてないけど、1回会ったら何回も遊ぶようになって、お互いがお互いといる時間が楽しいなと思うようになって、6月には相手の家に泊まりに行って、私は初めてお酒を飲んだり深夜にコンビニに行ったり、友人はベースを買って一緒にスタジオで演奏もした。
まず私は人からの好意を素直に受け取るのが苦手な上に自己主張をしないたちで、向こうも伝えるのが苦手だったし、あんまり自分の内側の話を面と向かって話さないけど一緒にいる空間をここちいと思っていた。私だけだったのかもしれないけど。
共通の友人も増えた。それこそ一緒にスタジオ練だとか、カラオケだとか、大学が終わったその足で家に行ったり、何人かでご飯に行ったり。言って仕舞えば当たり障りのない関係というか、仲良いよね〜私たちいい友達だね!と言い聞かせてるみたいで、でもその形に当てはめられているのは不快ではなかったし、私としては好都合だった。
三ヶ月くらいしてから、妙によそよそしくなった。私がいたら喋ってくれなくなった。露骨に裂けてるなー、と判る態度を取られて、それってつまり悪者にしたいわけだね?と悲しくなった私は、本人は見えないけど共通の友人がいるアカウントに@tosという便利な機能で愚痴を書いた。無視はひどくなった。内通者の存在がわかりやすいなー、と思いながら、個人のラインに直接「なんでそういう態度をとるのか」聞いて、向こうの認識と私の振る舞いの相違があるなあ〜なんて考えた。一度壊れかけたものは頑張って戻しても不和がちらつくようになるから、もう無理だと思った私は話を着地させてそれ以来話すのをやめた。友人は私より人気者であり、話題に上りやすかったので、私も仲良くしたかったのにな〜〜〜〜〜とか考えたくないので名前やら渾名やらをぜんぶミュートワードに入れた。
先日、共通の友人のうちの一人と腰を据えて話す機会があった。お酒をゆっくり体に回しながら、自分の人間性の話や、聞きたくもない自己分析を聞いて、その流れで仲違いした友人の話になった。
「相談乗ってたんだよ」と彼は言って、「もともと君もあの人もスタート地点が違っていて、仲がいいと思い込んでいた。けど、そうじゃないって気づいて、踏み外したところから直ろうとした(からこうなった。)」と続けられた。友人はその意見に納得したらしく、正しいものであると繰り返し主張する彼に腹が立った。
結局ここまで打ってもわたしはまだ彼女とまた仲良くしたいだけで、かなわないことが悲しくって考えていることがまとまらないにちがいないのだ。新しい環境に入っていく彼女はきっと素晴らしい人間に囲まれて、持ち前のカリスマ性でのしあがっていったり、彼女なりの幸せを過ごしていくのだろう。私のことは忘れていくのだろう、 ああ〜でもやっぱさびしいなあ 仲良くしていたかったな〜〜どこで間違えたんだろうなあ 許さなくていいからあと1回だけでも遊んで欲しかったよ 次の夏は私も混ぜていっしょに花火しよって言ったじゃん 8月から9月の間になにがあったんだよ さびしいよー
kiyo_hiko 仕事で顧客や上司に合わせてく努力して、まれに自己主張するようにしたら心理的に楽になって仕事も速く終わって評価もあがって時間余らすようになったけどな…性愛は経験無いからわからん
まれに自己主張する、仕事の場面で上司とかに合わせる努力するのは健全な範囲ではないのかな。合わせない合わせられないとかなり干される危険と隣り合わせというか契約が切れる時期に来たら切られる可能性限りなく高いでしょ。中小はね。
自己主張するととたんに敵対視とか仕事で合わせるくらいならともかく、プライベートな時間もプライベートな身体の事情や身体そのものも犯される危険と隣り合わせで薄氷踏んでいかなきゃならんのが女性の場合都市伝説とか希な状況ではなかった、現在ですら場所により当たり前の現状なわけでね。仕事やコミュニティにより若い男性でもそういうのはあるんじゃないの?
僕は何がしたいのか。
ずっと学生だった頃から悩み続けて今に至る。今年で30になる。ってかなった。
きっと親父工業系だったのもそうだし自分も工業系の学校に行きたかったに違いないと思って、入った。
入って授業をするとやっぱり授業が頭に入ってこない。つまらない。
この辺から自分が出来たらかっこいいから入ってるだけ、っていうのに薄々気付き始めた。
でも戻れない。
とりあえず卒業しないと。
自分にはほんとに良い人しか周りに来ないから、教えてくれたり、
助けてくれたりして、無事に卒業したんだ。
でもなんか抜けた感あって、みんなに助けてもらって卒業したから。ほんっとにありがたかったんだけど、抜けた感あって。。
もう少し勉強すればやっぱり自分が工業系の学校行って正解だったと証明したくて、
また今度は専門学校に行った。
自分には技術が皆無だったからなんとなくいろいろやって完成したんだけど。
やっぱりまた周りの人間が優しくて優秀で、自分では何も出来ないのに楽しく過ごしてしまった。
そんなマイナス思考人間なので、就職も20カ所受けて全滅。やっぱり世間は甘くない。
ここでもまた先生に斡旋してもらってなんとか先生の会社に入る事が出来た。
会社には若干の不満はあったけど、給料の遅延もないし楽しくやってた。
けど、これじゃまずいと思って。
やり始めて、全てが中途半端な僕ではやっぱり難しくって。
とりあえずアルバイトを始めるわけです。
何一つやり遂げられない僕は何すればいいんだろう。。
何が出来るんだろう。この何でも出来そうなインターネットの世界で。
楽しく過ごせればいいかもしれない。けどこれはたぶん努力しないと続けられない事だと思う。
苦手な事をやらず、好きな事をやる。これは試してみたけど好きな事が嫌いになった。
わからない。
生きるのって難しい。
俺は幼い頃から自己主張が下手くそで、他人に歯向かうことができない内向的な性格だった。
まあ、そういう性格だったからか、案の定イジメの標的にされて、同級生からよく馬鹿にされていた。
俺が何も言い返さんから、コイツにだったら何を言っても大丈夫と思われていたんだろうな。
小学生の高学年の頃だったか、なぜか知らんけど、同級生からイタズラをされた拍子に面白いリアクションを取ってみようと思い立った。
どうしてだろうなー。イジメの標的にされているという構図を変えたかったのかもしれない。
その間に消しカス(というかほとんど消しゴムだなw)を鼻にいっぱい詰め込んで後ろを振り返ってみたら、まーそれが大層ウケた。
それから「面白い奴」と認識されるようになって、クラスの人気者グループの輪の中にも入れてもらえるようになった。
そのときの俺は、面白いことをやると、クラスのDQNたちが腹を抱えて笑ってくれたり、時には俺の言うことにも素直に従ってくれるようになったのが嬉しくてたまらなかった。
関西地方だったから、「面白い奴が偉い」という風潮もどこかにあって、俺は「面白い奴」をどんどん演じるようになっていった。
俺は私立の中高一貫の学校に進学したんだけど、そこでも面白い奴を演じていると「調子に乗ってる奴」「変な奴」と認識されるようになって、ここでもイジメられるようになった。
別に面白い奴でも何でもなくて、中身はただの陰キャだからね。そういうところも透けて見えたんだろうな。
「リアクションが面白いからちょっと弄ってやろう」とかじゃない。「こいつムカつくからイジメてやろう」だった。
年頃の中坊がやることだからイジメも結構激しくて、あいつら、通学カバンや制服をビリビリに破いたり、首を思い切り締めて落としてきたりしやがる。
財布から金を抜き取られることなんて日常茶飯事だったし、心臓を抉るような暴言や罵倒なんて毎日のように浴びた。
それでも、何か面白いリアクションを取らなきゃと思っていたんだからもう病気だよね。演技性パーソナリティ障害とかいうやつかな。
この頃、唯一仲良くしていた友人も決して対等関係なんかじゃなくて、俺がピエロを演じていたからこそ維持できていたような関係性の奴だった。
そんなことをずーっと続けているうちに、俺の精神状態はズタボロになっていたらしく、大学1回生の頃にうつ病と診断された。
そのとき、俺を担当してくださっていたお医者さんがかなり勘の鋭い人で、「ピエロを演じるのはやめなさい」と初めて言ってくれた。
情けない話だけど、そのときやっと俺は自分が無理をしていたということに気が付くことができた。
それから約10年間、俺はうつ病の治療をしながら、ありのままの自分を認めようと努力を続けた。
ピエロを演じなくても済むように。自分に嘘をつかなくても済むように。自分を傷つけなくても済むように。
その甲斐もあってか、今となってはピエロを演じることはなくなったし、うつ病もほぼ克服した。
今から振り返ると、他人のご機嫌を取るために自分を犠牲にするなんて、本当に馬鹿なことをやっていたなと思う。
やっと人間らしさを取り戻すことができたというべきか。
ただ、その一方で、人間関係に途方もない虚しさを感じるようになった。
あの頃の友人の中には、30を過ぎても未だに子どものような精神年齢の奴もいて、
久しぶりに会ったときに、そいつから度を超えた悪ふざけをされたので、
自分でも驚くほど感情的な態度で対応したことが、ここ最近2回ほどあった。
友人間でも最低限の礼儀は必要だという当たり前のことを態度で示しただけだ。
だけど、そいつから突き付けられた答えは「友人関係を切る」だった。
そいつからしたら、俺が反抗的な態度をとったことが心底気に入らなかったんだろう。
そんなこと知ったこっちゃないし、それで友人関係が終わるんだったら仕方ない。
俺もそいつとの関係性を修復したいとも思わんし、何の後腐れもない。
ただ、その一方で、「人間なんて、多かれ少なかれ、こいつとそれほど大差ない」という虚しさを覚えるようになった。
思えば、俺に近づいてきた奴は、「こいつだったらイジメられる」と思ってたような奴ばっかりで、
俺がピエロを演じていたから付き合っていただけで、素の自分を出した途端に離れていくようなクソ野郎だろ?という目でしか見れない。