はてなキーワード: 羞恥心とは
わたしは嫌ですよ
下着で隠れるところはプライベートゾーンと呼ばれ、他人に見せることを強制されてはいけないところだと思います
わたしは学校のプールで水着になることさえ苦痛な人間でしたから、婦人科検診を強制すべきという主張には著しい嫌悪感を覚えます。
わたしが何を苦痛に思うかは自由であるはずです。そして、わたしは何人からも精神的・肉体的に奴隷的拘束を受けない権利を有しています。
たとえわたしが給食の箸のように他人が舐めたものを口に入れるのが耐え難いと感じるというような、一般的でない感じ方、集団生活の和を乱す感じ方をする人間であったとしても、わたしが苦痛を感じることは事実ですから尊重されるべきでしょう。その尊重が、同じように感じる人の多寡に左右されるべきだとする理由はありません。また、苦痛の理由によって区別する理由もありません。イスラム教を信仰する女子生徒が水着で授業を受けることを拒否しても、単に苦痛に思うというだけのわたしが拒否しても、平等に扱われるべきでしょう。水着によって肌を晒したくない理由が、宗教だろうと信条だろうと、平等に扱われるべきです。
性同一性障害の方のスカートを履きたくないという主張が尊重されるべきであるのと同様に、理由がなんであれ(個人的な理由であれ宗教的な理由であれ病気が理由であれ)わたしが何かを苦痛に思い、それを拒絶する権利は、何人にも侵害されてはならないものでしょう。
その上でもう一度述べさせていただきますと
学校という環境は特殊です。社会人であれば、会社で何か嫌なことをされれば、会社を辞めたり、窓口に相談したり、訴えたりすることができます。しかし、学校では生徒の権利は十分に認められておりません。学校を辞めることは子供にとって大変困難ですし、訴えることもできません。学校で何かを決められる時、子供にはそれについて議論する場も、拒否する選択肢も設けられていないことが殆どです。
子供の幸福追求は、しばしば「わがまま」と表現され、制限を受けます。無論、その方が子供にとっても良い場合もあるでしょう。しかし、だからといって子供の人権を一部制限しているという事実から目を背けてはならぬはずです。
子供が何かを苦痛に思うとき、それを拒否する権利は認められるべきです。また、事前に拒否するという選択肢は提示されるべきです。自分の身体のあり方を選択できるのだということを、子供も知るべきです。それがどんなに面倒であるかということは、この理念とは切り分けて考えていただきたいです。
クラスメイトの前で水着になることと、医師に肌を晒すことは異なるとお思いでしょうか?
そうですね。あなたはそう思うのでしょう。
しかし、わたしにとってはどちらも同様に苦痛です。そして、多くの人にとってそうでしょう。個人的な経験談ではありますが、わたしの周りの多くの女性が、はじめて産婦人科にかかるときに抵抗を感じたと述べていました。身体を見せるのが医師であろうとかなろうと、羞恥心を覚えることに違いはないでしょう。
しかし、身体を見せるのが医師かどうかはやはり大きな意味を持ちます。私たちは、ある程度の年齢になれば、自分にとって苦痛に感じることでも、必要性を認識し、自らを納得させ、耐えることができます。医療行為としての必要性を認めることで、赤の他人である医師相手に、赤の他人がすればレイプであるような行為をされることを受容することができるのです。
ですから、わたしは健康診断に婦人科検診を組み込むことに反対です。身体を見せる行為触られる行為には苦痛が伴いますし、そこには自分自身の納得があった方が良いと思うからです。わたしが初めて婦人科にかかったのは14歳の頃です。重い生理痛に悩み、自ら女医が見てくれるという病院を探し、診察を受けました。もちろん、医師が女性だからといってわたしにとって嫌なことに変わりはありませんでしたが、自分の身体に必要なことだと認識して受けることができました。産婦人科医の不足する現在では、学校に医師を呼んで検診を実施するとなれば(現実的には有り得ないでしょつ)男性医師が対応することになるでしょうし、年頃の女の子にそれが受け入れられるとは思えません。
義務教育の年齢は、身体の発育もばらつきが大きいですし、婦人科検診(特に子宮頸がんなどの検診)の必要性は甚だ疑問ですし、現実的に考えてかの増田さんの案が採用されることはないでしょう。
が、声を大にして言いたいのは
そして、学校という特殊な場において何かを実施するということが、どれほど子供の拒否権を蔑ろにしがちなことか認識すべきだと言うことです。
http://alger-roi.fr/Alger/enf/ecoles/pages/10_enf_gym_60_lebaz.htm
https://www.alamyimages.fr/la-gymnastique-dans-les-annees-1950-la-formation-des-jeunes-femmes-de-la-gymnastique-avril-1954-suede-image224244117.html (訂正。スウェーデンらしい)
やや短パンっぽい。
中国、台湾、韓国と、翻訳にかけて体操着を検索したが、ジャージ姿しか見当たらなかった。
意外なことに、英連邦や共産圏以外にもショーツ型ブルマーが存在していた。
調査により提灯ブルマー及びショーツ型ブルマーは日本のみならず、ヨーロッパやオセアニアにも広く分布していた時代があった。驚くべきことに、ショーツ型ブルマーはナチスの時代にまでさかのぼることが分かった。
つまり、規律や集団行動を重んじる文化圏の外にも、ブルマーが存在していた。つまるところ、ブルマーというのは全体主義の産物ではなく、全く別の理由で広まったものと思われる。
女性が身体を自由に見せる権利の広まりとともに、レオタードや水着姿になる自由の一環として、広まったのだろうか。それとも、逆に美しいとされる身体を見せることを強要されたのか。これだけでは判断することはできないし、両者が混在していることだって考えられる。ここまで踏み込むには、私の知識がまったく足りない。
今回、私はショーツ型ブルマーの世界的な広がりを確認することができた。しかし、これはあくまでも定性的な研究であり、まったくと言っていいほど定量的ではない。すなわち、各地域で、何年から何年までブルマーが使用されていたのか、採用された学校は何パーセントに及んだのか、といった情報が完全に欠けている。
それに、ブルマーの採用は全国的に強制されたものであったのか、学校ごとの裁量に任されていたかも明らかにできていない。下手をすれば、上であげた国家についても、私立の数校でブルマーが採用されていたにとどまる可能性がある。また、バレーボールの授業のみブルマー着用、というケースも考えられる。もしそれが正しければ、常にブルマー姿だった日本は特異的な地域になる。
また、ブルマーそのものがどのような素材で作られていたのかについてもわからないし、どこからが提灯ブルマーでどこからがショーツ型ブルマーなのか、明確な基準を以って調査はできなかった。残念ながら、不鮮明な白黒の写真に頼らざるを得なかったためだ。
課題は他にもある。今回、ブルマーが存在していない地域をいくつか挙げたが、何かが存在しない証明は非常に困難だ。
加えて、ブルマーがその国にどのような文化的インパクトを与えたかについても不明だ。女性解放のシンボルであったのか、フェティシズムやノスタルジーの対象であったのか、おそらく多数の記事を読まなければならないだろう。例えば次のチェコの動画からは、何かの余興なのだろうか、ノスタルジーやユーモアというニュアンスが感じ取れる。
https://www.youtube.com/watch?v=HT0k1Jr8uwM
また、共産圏に多く見られたが、レオタードもまた体育で広く用いられている。ブルマーとは分布が相補的なのか、そこが気になった。たとえば、党大会か国民の体育大会かわからないが、多数のレオタード姿の女性が集っている動画が多数あった。
https://www.youtube.com/watch?v=MteXGWpSH9k
長くなってしまったが、今回は以上である。私の研究は、あくまでも大まかな方向性を示したにとどまる。だが、歴史を過度に単純化する考えから少しでも自由になれるのなら、これほどありがたいことはない。
それにしても、どうして下着同然のショーツ型ブルマーが採用されたのか。思い付きでしかないが、ジェネレーションギャップによるものかもしれない。
例えば、「サザエさん」や「となりのトトロ」では、少女がパンツ丸出しで駆け回っているが、当時としては性的な含みはほとんどなかったものと思われる。「サザエさん」は舞台が博多から東京に移ってからは昭和26年以降、「となりのトトロ」は昭和30年代前半が舞台である。おそらく、当時は下着が見えていても、お尻丸出しではないから構わない、という感覚だったのではあるまいか。
そして、もしもショーツ型ブルマーが広がったきっかけが東京オリンピックだったとしたら、それは昭和39年前後のことのはずだ。つまり、この戦後生まれが大人になった頃である。当時の教師たちが、「サザエさん」「となりのトトロ」世代の子どもたちであっただとすれば、ショーツをはいているのだから、ショーツ型ブルマーはまったく恥ずかしいものではない、と思い込んでしまった可能性がある。
一方、それ以降の子どもたちは、下着は見えては恥ずかしいものだという意識に目覚めていた。正確な年代は、「パンツが見える。――羞恥心の現代史」に当たらなければならないだろうが、羞恥心の世代ごとの差が、ショーツ型ブルマーとその軋轢の遠因なのではないだろうか。
前回は、日本のみならずイギリス、共産圏にもショーツ型ブルマーが存在していたことを実証した。すなわち、日本におけるショーツ型ブルマーの誕生は、女子学生の羞恥心に対する無頓着さのみから生まれたものではない可能性を指摘した。
本記事では、ショーツ型ブルマーの地理的な分布について再考し、ブルマーの分布は日本、イギリス、旧共産圏にとどまらないことを示す。
なお、外部リンクが多いせいか、複数の記事に分けなければ投稿できなかった。
ブルマーは制服の一種である。制服を導入している地域は、どちらかといえば個人の自由よりも全体の規律を重んじる文化圏であると仮定できる。これは、先ほど言及した三つの地域に共通する印象のある点である。よって、この地域の他にショーツ型ブルマーが存在している可能性があるのは、イギリスの影響が深いと思われる英連邦、およびロシア以外の共産圏である。ただし、宗教的・文化的な理由から、アジアやアフリカはそこから除かれる。すなわち、インドや南アフリカ、中国や朝鮮半島には、ショーツ型ブルマーが存在していない、と予測される。また、比較のため、アメリカや西ヨーロッパにおけるブルマーについても検証が必要と判断される。
基本的にはgoogle検索に頼る。たとえば「Soviet Union physical education」「east Germany gym 1970」などのキーワードで検索した。すなわち、国名、体育、年代を主な語句とし、それらを適宜組み合わせた。また、それでも見つからない場合は、google翻訳で現地の言葉に翻訳することを試みた。
https://i.pinimg.com/originals/57/15/4a/57154a0c2571e2ff19060b6389d11f17.jpg
われわれはすでに、イギリスにショーツ型ブルマーが存在していることは知っている。また、この国では比較的写真が多く残っていた。では、他の地域はどうか。
http://www.sgghs.com.au/our-school/our-archives/archival-photos/sporting-photos/1960-1970
https://www.youtube.com/watch?v=8L-w3wiQ_jE
https://www.youtube.com/watch?v=6lRvrpuHCF4
(提灯ブルマー?)
https://www.thecanadianencyclopedia.ca/en/article/edmonton-grads
https://www.bing.com/images/blob?bcid=S.73gWzTdZYBAvcmeCbO.xP7TFmv.....7g
https://www.bu.edu/bridge/archive/2004/02-06/bu-yesterday.html
風呂上がりの夕食はおいしい。その味につられてコバエがやってくるほどだ。
皿の上をちょろちょろと動き回り、辺りを窺うようにして食べかけの飯をつんつん啄む。
もちろんご馳走するつもりなどないので手で払う。数分後、ほとぼりも冷めない内に戻ってくる。
それも中々明けない梅雨の湿気と季節柄仕方ないと、家のどこかで潜んでいるのだと割り切れれば納得できた。
しかし、そいつはなぜかところ構わずやってくる。他人がいても、外食しても、俺の皿を目掛けて飛んでくる。
しんとした雰囲気の中、自分だけが変な振り付けを始めたときのあの羞恥心と屈辱感は忘れられない。他の人はスルーしているのか、お邪魔されていないのかのどちらかなのだろう。
そういえば、引越しする前の家でもそうだった。ホイホイもめんつゆトラップも幾度となく仕掛けたことがあるから、お世辞にも綺麗な家とは言い難い。
だが家族で俺だけが茶碗を持って逃げ回ってきた記憶がある。ぎゃあぎゃあ喚く子供に「放置していればその内去る」と答えた親は正しかったのだろうか。
目の前で食われる米粒を見つめながら、信じて飛び立つ瞬間を待つ。
ある程度満足したのだろうか。突然視界から消えた。その隙を逃がさないと箸を伸ばす。少量の食物を犠牲にして、天敵のいない食事を手に入れた!
ふとおかずの皿を見る。
相手はカツの上に鎮座していた。
負けだった。
夏に入ってから、まだ蚊には刺されていない。夏の予定は真っ白で、今後どうなるかもわからない。
なのにコバエだけはやってくる。
今日も皿を動かしたことを無視するほど集中してトマトソースを味わっていきやがった。
なぜだ。
こんなフェチだけど女です……。
おもらしフェチの話で数日前、盛り上がっていたけれど、私はうんちもらしフェチ。
元々はおしっこがまん(この界隈では「おしがま」という)が背徳感があって軽く好きだったが、その後、おもらしも好きになり、さらにその後、うんちもらしが好きになった。
うんちはそう簡単に漏らせない。
(増田を読んでいるとうんちを漏らした話がたくさんあるが、私はうっかりうんちを漏らしたことは一度もないのが自慢だ)
漏らした時に羞恥心でいっぱいになるように繊維質のものを食べる。(ひじき、コーンなど)
あとは緩やかに効く下剤を飲む。
そうすると翌日に、性的に感じすぎてしまいどうにもならないくらいになると弛緩してうんちを漏らしながら達してしまう。
それってスカトロ?と思われたかもしれませんが、出ちゃったうんちには興味がないのでスカトロではない、と考えています。
ここまで詳細に書いて自分で引いたから、他の人なら尚のことかと……。こんなフェチですみません。生まれてすみません。
マイナーフェチなので、なかなか相手は見つからず、すごく遠距離の方とこの趣味を楽しんでいます。理解者は今のところ世界に1人だけ。
新成人「うっそだろお前」
じゃねーんだわ。いっぺん決めたことはひっくり返すなや。アホなんか。衣装のキャンセルした人とかどうすんねん。ただでさえ人生狂わされてるんだからこれ以上ごちゃごちゃするなや。
そこまで成人式行きたいわけではなかったけどリモートでやるってなったら結構気分落ちたんだよなぁ。やるとしても横アリでやるとしてもわりと人がいるし、どうするんだろうなぁ...区ごとに分けるにしても18もあるわけで、人口も違うから単純に区でセクションを切るわけにはいかなそう...。おそらく行かないだろうから考えても無駄っぽいけど。
当日は居酒屋で一人飲みかな。空いてる居酒屋で潰れるまで飲みたい、単純に友達作っておけばよかった。小中高の同級生と同窓会したいとはミジンコ思わん。ADHD特有のコミュニケーション障害とADHD言動でその頃の人と会うより羞恥心の方が勝って厳しい。どうして普通に生まれなかったのか。一般的な常識ある言動ができなかったのか、それを当たり前のようにこなしてある程度の交友関係を持っている人を見ると羨ましい。同窓会で普通に何気ない会話ができる自信がない。厳しい。
もうこれ以上でも以下でもない内容です。
今朝、出勤途中にすれ違ったうら若き乙女が、かつらを後頭部まで下げていたんです。
それが、きれいな地肌がずり落ちたかつらから不意に顕になったみたいに見えてしまって、そこに妙なエロチシズムを感じてしまったんです。
周りはみんなかつらを被ってハゲを隠しているわけじゃないですか。
視界に入る中で、その一人だけがかつらを被っていないのではなくて、こっそりと後頭部までずらしているという姿に羞恥を感じてしまったわけなんです。
かつらがこんなにもエロいアイテムになるなんて思ってもいなかったので、不意を突かれたときの欲情ったらものすごいんですよ。
ショートパンツ姿の膝裏なんてなんにも感じないのに、ロングスカートがめくり上がって顕になる膝裏のエロチシズムは否定のしようがないなじゃいですか。
それと同じようなメカニズムだと思うんですよ。
かつらを付けてないで地肌が見えているのと、後頭部まで下げたかつらから地肌が覗くような姿とでは、ベースとなる羞恥心の起点が違うってことですよね。
「全部見せます!」=見えて当然。
「本当は隠していたい!」=見たい!うっかり見えてしまったときの背徳感がやばい!
つまりわたしが見たいのは、地肌そのものじゃなくてその人が隠したいと思う気持ちから始まる露呈されてしまったときの羞恥心(もしくは見えてしまったことに気づいていないことに対する神的視点)なのではないかと思うんです。
・前かがみになったときの胸元
・シャツからうっすら浮かび上がるブラの形状や模様(昨今ブラトップなるものによって絶滅危惧にある)
・後ろ姿から浮かび上がる肩紐
もうこれ以上でも以下でもない内容です。
今朝、出勤途中にすれ違ったうら若き乙女が、マスクを顎まで下げていたんです。
それが、きれいなお顔がずり落ちたマスクから不意に顕になったみたいに見えてしまって、そこに妙なエロチシズムを感じてしまったんです。
周りはみんなマスクして顔を隠しているわけじゃないですか。
視界に入る中で、その一人だけがマスクをしていないのではなくて、こっそりと顎までずらしているという姿に羞恥を感じてしまったわけなんです。
マスクがこんなにもエロいアイテムになるなんて思ってもいなかったので、不意を突かれたときの欲情ったらものすごいんですよ。
ショートパンツ姿の膝裏なんてなんにも感じないのに、ロングスカートがめくり上がって顕になる膝裏のエロチシズムは否定のしようがないなじゃいですか。
それと同じようなメカニズムだと思うんですよ。
マスクを付けてないで顔が見えているのと、顎まで下げたマスクから顔が覗くような姿とでは、ベースとなる羞恥心の起点が違うってことですよね。
「全部見せます!」=見えて当然。
「本当は隠していたい!」=見たい!うっかり見えてしまったときの背徳感がやばい!
つまりわたしが見たいのは、顔そのものじゃなくてその人が隠したいと思う気持ちから始まる露呈されてしまったときの羞恥心(もしくは見えてしまったことに気づいていないことに対する神的視点)なのではないかと思うんです。
・前かがみになったときの胸元
・シャツからうっすら浮かび上がるブラの形状や模様(昨今ブラトップなるものによって絶滅危惧にある)
・後ろ姿から浮かび上がる肩紐
https://www.youtube.com/watch?v=yBmePNR3pSE
1995年の台湾のCM。ただし、CM中で日本語が使われていることから、輸入品っぽい雰囲気を作ろうとしていることがわかる。言い換えると、このブルマーも日本っぽい雰囲気を出すための小道具だという可能性があり、台湾でブルマーが使われた証拠にはならない。
なぜ教師達が少女の羞恥心に対してあそこまで冷淡だったのか。仮説だが、下着が見えたら恥ずかしいという意識が生まれたのが、ブルマーを時代の教師と少女との間の時期なのではないか。
「となりのトトロ」でも「サザエさん」でも、パンツが見えることはむしろ活発さのイメージを表現しようとしている印象だ。
マーリア・シュヴァルボヴァーの描く、ソ連時代のブルマー少女。
https://www.mariasvarbova.com/dinningroom
昔の写真を見たが、結局は当時のイギリスはブルマーではなかった。
子ども向けの辞書にブルマーのイラストがあって、その印象が強かったからのようだ。
やれやれ!
ソ連の1つ目はブルマーと言うよりはレオタードなんじゃないか。(セパレートタイプだとほぼ同じものだけど)
日本のブルマーの歴史をまとめた増田があったような。文科省はブルマーを廃止しようとしたのに(羞恥心のない服装にするべきとかなんとか)、現場や業界の反対で残ったんだっけか。日本の教育界には不合理を強制することが教育だみたいな歪んだ教育感が定着していて、児童生徒が喜ぶ施策をしない方がいいみたいなことになってるの、いい加減なんとかしてほしい。
これだった。増田じゃなかった。
https://honeshabri.hatenablog.com/entry/history_of__bloomers
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4686701992946324418/comment/murishinai ”闇”
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4686701992946324418/comment/shimarisugi ”己の心の醜さに向き合え”
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4686701992946324418/comment/kazukan ”すももは早く消えろ”
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4686701992946324418/comment/shiju_kago ”狂人”
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4686701992946324418/comment/misogy_NEET ”DV”
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4686701992946324418/comment/t-oblate ”不思議な人”
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4686701992946324418/comment/fourddoor ”他罰人間”
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4686701992946324418/comment/pon_pom ”本当気持ち悪い”
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4686701992946324418/comment/cha9 ”こじらせ厨年童貞”
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4686701992946324418/comment/RCHeLEyl ”相手の苦労も想像できないような人”
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4686701992946324418/comment/suikax ”淘汰されて消えろ”
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4686701992946324418/comment/Cunliffe ”バカ。羞恥心ない”
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4686701992946324418/comment/pandaporn ”完全にキチガイ”
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4686701992946324418/comment/algot ”お前らは可哀想な人間を救ってんのか”
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4686701992946324418/comment/RIP-1202 ”今の自分と正反対の振る舞いをすればいい”
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4686701992946324418/comment/cinefuk ”いじけた支配欲” ”愛・思いやりすら存在しない”
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4686701992946324418/comment/konekochang ”そんな人間性”
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4686701992946324418/comment/world24 ”要約すると「俺の思い通りになれ」”
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4686701992946324418/comment/jminmin ”アイコンが気持ち悪い”
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4686701992946324418/comment/legnum ”お前が不誠実でリスク高い”
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4686701992946324418/comment/ichiki18 ”虐げられるのが目に見える”
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4686701992946324418/comment/xevra ”やるべき事をやらない人”
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4686701992946324418/comment/stktky ”黙ろう”
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4686701992946324418/comment/skgctom ”男同士で恋愛したら”
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4686701992946324418/comment/whoge ”好意を恵んでくれって感じ”
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4686701992946324418/comment/life_love ”図々しい” ”鏡見ろ”
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4686701992946324418/comment/pandacopanda27 ”自意識過剰”
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4686701992946324418/comment/snobbishinsomniac ”女性は俺たちの方に合わせるべきとしか言ってない”
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4686701992946324418/comment/lightly ”そもそも誠実じゃない”
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4686701992946324418/comment/piconano ”主観的で勘違い野郎っぽい”
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4686701992946324418/comment/sanam ”地雷”
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4686701992946324418/comment/tobalno1 ”こういう男”
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4686701992946324418/comment/IkaMaru ”全女性を奴隷にするまで止まらない危険人物”
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4686701992946324418/comment/shields-pikes ”ミソジニーをこじらせて女嫌いの女体好き”
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4686701992946324418/comment/piripenko ”地雷”
30社以上エントリーして、やたらめったら面接して、ようやく就活を終えた。
就活を経て、自分の頭で考えたり自分の言葉で話すことが(少しだけ・ようやく)できるようになった気がする。他の人が普通に100できているとしたら、自分は2が5になった感じ。
やたらたくさん面接を受ける=人と一対一で話す時間がたくさん降ってきたことで、単純に日本語のスピーキングに少し慣れた。
どんなに拙い意見でも言い切ることを強制されて、色々な物事について自分ごととして考えることを余儀なくされたし、自分の意見がそこまでボロカスにも言われない(むしろ表面だけでも受け入れてくれる)ことでなにやら安心感を得た。
今まではおそらく自分の知識の薄さを露呈させたくなかったり、否定されるのが怖かったり、「尊大な羞恥心」的なものに囚われて何も発することのできない人間になっていたが、やっと自分の力で考えるためのスタート地点に立てたような気がする。
自分はとにかく受け身であり、自分の頭に汗かいて考える労力を厭い、人任せで生きてきた。
受験勉強はすでに明確になっている課題に対応する作業であったし、授業や講演でも質問することが強制されないため批判的な姿勢は身についていなかった。
人に寄りかかって、人の間に身を隠して生きてきたところ、面接でやっと1人という単位の自分が引きずり出された。
もちろん日頃から自分ごととして考えることができている人はたくさんいて、そんな人々にとっては就活での受け答えなどなんでもないものだっただろうが、あまりに思考が怠惰な自分としては結構革命的だったしありがたかった。
職を得るためのプロセスであったことは間違いないが、同時に自分の脚によって立つための荒療治やカウンセリングのようなものでもあった。
でもこのような効果?が就活以外の手段で得られた方が効率的だったのではないかというのは拭い去れない。とにかく不器用なのでわからない。
平安貴族の男性は人前で冠を取って髪の毛を晒すのが裸を晒すのと同じくらい恥ずかしかった。
何故こんな訳のわからん羞恥心が芽生えたのか、おそらく大元はハゲ隠しではなかろうか。
多分帝か何かがハゲ隠しの為に部屋でも冠をかぶり続けた結果があのマナーなのでは。
実際清少納言の父親はお祭りで落馬して冠を落とし禿頭を晒してしまった逸話がある。
おっさんのハゲ隠しを自然に行うために若者達も頭を隠したと考えるのが自然だろう。
戦国武将はさらにハゲへの優しさが過激化し、若者までハゲのように頭髪を剃るようになった。
兜で頭が蒸れないためとか言うが、平民までくまなく流行したのはそれだけでは説明がつかない。
若い頃から頭を剃りあげる事でハゲを隠し、いよいよ無理になった時は出家してツルッパゲになる文化はハゲへの優しさが溢れている。
中学生の時、一時期「空腹時に自分の腹が鳴る音」を異常なまでに忌避していた
正確に言うならば「自分のお腹の音をクラスメイトに聞かれること」だ
育ち盛りの時期だったからという要因もあるかもしれないが、朝しっかり朝食を食べてから学校に行っても、3時間目の途中からだいたい空腹になった
それを隣の席の人、周辺のクラスメイトに聞かれるのをとにかく恐れていた
理由は多分「恥ずかしいから」「内心で笑われるから」だろう 当時私のクラスでのカーストは激低だった
陽キャだったらお腹の音が鳴っても笑って誤魔化せたんだろうが、ド陰キャの私にはどうしてもできなかった
3、4時間目の授業はいつもほぼ上の空の状態で聞いていた 自分の胃袋と格闘していたから
一度、四時間目の小テストの時間にめちゃくちゃ大きな腹の音が響き渡った 隣の席の人は気を遣ってか(そもそも興味無いのか)ノーリアクションでいてくれたが、
授業が終わった後にクラスのカースト上位でソフトテニス部の美人な女の子が「さっきテスト中に誰かめっちゃお腹鳴ってたよね~」と笑っているのを聞いてから更に拍車がかかった
お腹が鳴りそうだったらとにかく腹を引っ込ます 休み時間の間にとにかく蛇口から水道水を飲む
校内の飲食物の持ち込みは禁止されていたが、当時発売されていた「ぐーぴたっ」というお菓子をわざわざお小遣いで買ってはこっそり制服のポケットに仕込んで、トイレの個室でこそこそと食べたりもした
中間テストの時の4時間目、どうしても耐え切れなくなった時のことをよく覚えている
とにかく大急ぎで適当に理科のテストを解いては答案を裏返しにして、「具合が悪いので保健室に行ってきます」と教室から逃げ出した
テストが終わってから教室に戻ると、試験監督をしていた先生に「体調大丈夫だった?」と心配されてしまい、とにかく申し訳なかった
学校が終わると一旦家に帰宅して、「カップ焼きそば」と白ご飯をかき込んでから塾に行った(塾が終わって帰宅してから晩御飯もしっかり食べた)
そんな生活を続けていたせいで中学3年生の春に身体検査で体重を図ると、体重が10キロ以上も増えていて目を剥いた
とにかくあの時の自分は「腹の音を聞かれる」というのを異常に恐れていた
腹の音を聞かれるくらいだったら裸を見せた方がマシぐらいに思っていたかもしれない
その内中学を卒業して高校生になり、大学生になり、静かな教室で講義を受けていてもあれほど恐れていた腹の音が鳴らなくなった
育ち盛りが終わったからだろうか、というかもう気にしなくなったのかもしれない
友達と談笑している時にお腹の音が鳴っても、「お腹空いちゃったわ~」とへらへらと笑うことができるようになった
今思い返してみると不思議だ