はてなキーワード: 意図的とは
同乗することになるのは仕方ないじゃん?
でもこういう時の女めちゃくちゃ嫌そうな顔すんの
俺が意図的に同乗狙ったわけでもないのになんなん?
こういう時って世のおじさんたちはどうしてんの?
上りの時は同乗しないようにずらして行けとか言うけどさ
なんで同じ金出して住んでんのに不利益強いられてんだよ
ナナがハチになるとか知らんかったけど、女性向け漫画って名前被りが多い印象あるよね。
イケてない喪女とイケてる同名のキャラとかけっこーありそうじゃん。
で、やっぱりあだ名を付けられたりする場合も結構あって、大抵イケてない側が付けられる。
そう考えればちはやふるの男サブキャラの扱いも結構納得することもできなくはない。あだ名を付ける意味、あだ名を付けない意味。出てくるんじゃないかな。誰にでもあだ名を付けるキャラがちゃんと名前で呼ぶ人とか意味深~。
ま、それはどうでもよくて。
同名キャラが出てきてあだ名が付けられる場合、大抵片方なわけじゃん。
ひとつを除いて。
それは電脳コイルなんだけど。
主人公…ダブル主人公なんだけど、どっちも読み方が「ユウコ」で、漢字の違いから「ヤサコ」「イサコ」に振り分けられるんだよね。
いやダブル主人公だから同格だし付ける付けないで上下を出さないために~とか特殊事例ではありそうなんだけど
名前被ったから両方本名と違うあだ名な!って作品、そんなに無いんじゃないかなぁ。
あだ名付けじゃあないんだけど二人とも同じ名前でそれぞれ別の偽名名乗ってるのも名前被りにはなってるな。内容にそんなに影響するわけじゃないけどな。
でも創作で名前被りなんて意図的にしてるものだから二人の扱いを「上手くやってる」なんてそうそうなくてあだ名を付ける行為に好意的な印象とか普通は持ち得ないのかもな。「ファンタジーな秘密」が無ければ別々の名前を付ければいいだけだし。結局格差・落差を演出したいのが基本なんだろうな。
୨୧ あみりちゃん ୨୧出稼ぎ民୨୧@amirichaaan
本当に男ってキモい
新幹線の自由席に座っていた若い女性の隣におじさんが座った。若い女性はそれをキモい・加害だと感じ、おじさんを盗撮してXにポストした。このポストは女性から広い共感をもって受け入れられ、万バズ(いいね数が1万を超えること。非常に共感されていることの指標として使われる言葉)を達成している。
一方で、この女性に対する反感も強く、男性からも強い非難が幾らか寄せられている。現状で引用リポストも1万を超えており、その中には女性を非難する内容で万バズを達成しているものもある。
女性の共感ポイントは、多くは3であるように思われる。女性の多くは、「空いている車内でわざわざおじさんに隣に座られる」という経験をしており、そのことに少なからず恐怖心を抱いている。そのため今回の件も、若い女性の隣を意図的に選んだことがキモい・加害であると感じられた。
おじさんは意図的に若い女性の隣に座ったのか?というのが議論ポイントの一つになっている。男性からすれば、「自由席なのでどこに座ろうと自由であり、意図して若い女性の隣の席を選んだわけではないのではないか?」という反論がいくつかある。
おじさんが若い女性の隣を意図的に選んだ可能性は高い。2の通り、女性は隣の席に荷物を置いて占領していた。本当にどの席でもいいと考えているならば、他に空いている席があるなかでわざわざ荷物が置かれている若い女性の隣は選ばないだろうと考えられる。
ただし、おじさんに若い女性の隣に座りたいという下心があったかは定かではない。自由席を独りで2席使おうとする女性の目論見を崩してやりたいという、どちらかというと社会正義的な意図で座った可能性も指摘されている。
少なくとも、おじさんが若い女性に分かりやすい加害行為(足を広げて接触しようとする、声をかけてナンパする、など)をしていたとは書かれていない。しかし、女性には分からないように加害行為に及んでいた可能性はある。(匂いを嗅ぐ、女性の身体をジロジロ見る、など)
まず2のポイントについて、自由席は乗車券さえ買えば誰にと座る権利のあるいわば公共の席であるのに、隣に荷物を置いて占領するのはマナー違反であるという話だ。
ただ、マナー違反なのはその通りではあるが、満員で人が溢れている状態ならまだしも、いくらか空いている車内で隣の席を荷物に使うことは殊更に指弾するほど悪いことではないと考えられる。
加えて、女性には非力であるためにキャリーバッグを持ち上げられないという理由もあった。若い女性が隣に誰にも座らせないという悪意をもって隣の席を占領していたとは言いづらい。
4のポイントについては、おじさんが意図して悪いことをしたわけではないのに盗撮するのは悪だ、という反感が多くあった。
盗撮については確かに迷惑行為であり、おじさんに対する攻撃的態度であることは否定できない。ただし、写真に写っているのはあくまで足の一部であり、それは性的な加害や、個人を特定する目的で撮られたものではなかった。
若い女性にとってはおじさんがわざわざ隣に座ってきたという恐怖心もあり、その恐怖心が盗撮という行為に及ばせた可能性も大いにある。
男向けの漫画には、極めて差別的なものもある。一方で、「そういうの、だせえぜ」と逆を強く主張する作品もあるのが男の世界である
「〜なものもある」でいいならルッキズムを真正面から扱った少女漫画なんていくらでもあると思うが……ちはやふるみたいなある程度大人向けの作品を含めていいなら尚更。
ブスなんて言わないで
https://pocket.shonenmagazine.com/episode/4855956445078658079
デブとラブと過ちと!
https://www.cmoa.jp/title/174614/
https://www.cmoa.jp/title/92621/
僕はメイクしてみることにした
https://i-voce.jp/feed/1149763/
クラスの男子は「この子が彼女では自慢できない」という理由で主人公を振り主人公も悲しみながらも納得する
みたいな展開を読んだりもした(海野つなみ「ロマンスのたまご」)
少女漫画には正義を扱ったものがないというが、少年漫画が魔王と戦い正義とは何かと大上段で語ってきたうらで
日々の生活を掬い上げて描写し続けてきたのが少女漫画の文化だと思うよ
いくら正義について激論交わそうと人は生活し誰かと関わらなくてはならない、その生活を描くに値するものとして来た一翼を少女漫画は担ってきてる
今、漫画文化が広く深いテーマを内包できているのは連綿と続く少女漫画を内包しているからなので
ちはやふるのルッキズムを見つけたからって(アレは意図的にやってると思うが)鼻息荒く拳を振りかぶらず謙虚になるべきかと思う
孤独とinternal dialogueについては興味深い洞察だと思う。
『サイコ』のノーマン・ベイツもヘンリー・ダーガーも確かに自分自身で一人二役して会話していた。
それが孤独という苦痛ヘの慰めのために行ってるというのはあまりに一面的すぎる。
それは『さかしま』、『オブローモフ』が提示するように社交的関係によって発生する苦痛からの逃避としての孤独も存在する。『ツァラトゥストラ…』でも最終的には孤独が称賛されている。これらは文化的批評の領域であり、現実とは無関係だと思うかもしれない。
だけれども、文化とは文化圏の象徴的秩序を内包しているためフィクションと隣合わせに語られることは常に避ける事ができない。現代でも『ジョーカー』とかその元ネタと言われる『タクシードライバー』がこれら議論に対して抱き合わせのように引き合いに出される。
これら文化批評を取り除けば、他者に対しては振る舞い以上のものを我々は知る事ができない。
仮に合意形成の結果から相手の心理状態が類推可能なら囚人のジレンマは発生し得ないことになる。
復讐の意図を弱者男性が持ってるかは動機の主観的決定とその不可知性のため客観的な振る舞いからは推し量ることはできない。
これはデイヴィッド・ベネターが統計を引用して例を挙げてるが人というのは身体障害、知的障害を抱えていても幸福を感じる人々の割合は健常者と変わらない。そして、自己の幸福度の位置づけは相対的に決まる傾向がある。
どの立場であれ心理的抑制や環境によって与えられる不自由さの裏に悪意を見いだせばそれが防衛として他者に対して闘争行動をする動機付けになる。
━━正当防衛、一般に正当防衛が道徳として是認されるならば、いわゆる非道徳的な利己主義のほとんどあらゆる発現もまた是認されなくてはならない、人は、自己を保存するためにまたは自己を守ったり個人的な禍いを予防するために、害を加え、奪い、殺すのである(中略)意図的に害を加えることは、われわれの実在または安全が問題となる場合には道徳として許容される『人間的、あまりに人間的』
そこに合意形成が介入する余地はなく、個々の主観的評価で正当防衛の基準が決定する。法が予防効果を維持する事を放棄した時、法は犯罪を事後的にしか処理できなくなる。
一方で社会システムに着目すれば、反対者あるいは敵対者は結局のところ対象としている前駆的社会構造に寄与している。よって社会的機能を一部担っていると言える。《弱者》や《敵》無くして強者の価値付けの基礎となる社会の進歩・前進はありえない。
社会的弱者はその機能故に巨視的観点では無くならないだろうし、目に見える弱者としての存在は搾取する主体である強者が必要としてるからこそ残り続ける。
つまり、救っても救っても《弱者》は存続しそれを識別する指標であるスティグマも流行を規定するモードが存在する限り形を変えて生産され続ける。これは共同体幻想において神に等しい絶対者である。絶対者の在り方は超時代的ではない。問題は疎外化された周縁に位置する人間たちがサイコパス/ソシオパスのような生得的悪というレッテルを貼られて尚、否、初めて絶対者が剥奪し得ない自由意志による行動決定権が与えられる所にある。(シェリング)
万人は万人を殺す事ができる。野蛮な闘争状態を規制しているのは社会的報酬である。それが除かれた場合、上記の行為が当事者にとって合理的行動である。ただし、万人が合理的決定を行うわけではない。
しかし何も対処しようがない訳ではない。社会上の功利性の総和を考える時殺人が社会的に避けられないものならそれに方向性を与える事は決して無益ではない。これが畜群の智慧である。
Youtubeとしてはあくまでもプレミアムに加入した上でYoutubeMusicの音楽を聞いてもらうというのが当然の方向性であり、
この個人の投稿を保存して後で聴き返すことのできる再生リスト機能はYoutubeMusicの視聴体験を遠ざけるものであるため、
今回の仕様変更で再生リストへのアクセスを遠くすることでYoutubeMusicへの導線を強くするというのが狙いだろう
YoutubeShortsの力の入れ具合や劣悪な検索性能でも分かる通り、すでにYoutubeはユーザーが自分で検索してユーザー好みの動画をユーザー自身が探す従来のやり方は廃止したがっている
テレビのチャンネルを回すようにユーザーの見たい動画はYoutubeが用意して、ユーザーはそのYoutubeから提供された動画を肯定的に受け止め、自動的な収入機関を作り上げたいのだろう
受け入れるか、立ち去るかだ
純粋な正義感持って誇り高く長年仕事をこなしてきたにも関わらず裁判官としての出世が見込めなくなり、自らの理想と現実とのギャップに耐えきれなくなり、意図的にヤバい判決を出してしまうパターンです
今回の大問題は架空の犯罪が作り上げられて逮捕され長期間の身柄拘束されたことだから、批判するにしても「300円の窃盗」があったことを前提にしてはいけない
「300円の窃盗」なんて事実は元から存在していないのに店(万引きGメン)が「犯罪が起きた」と言って私人逮捕したのが今回のケースよ
元増田は意図的に憶測で話を変えて「客が悪い」論に持っていこうとしてるんで引きずられて「300円の万引き程度で3日間拘留なんて~」ってニュアンスの文章はやめよう
ここでいう常識とは比較的能力が高い人間がこのような状況下で一方的に不利になるような行為を意図的にすることはないだろう、という一般的な推察であって暇空氏に常識があるかどうかの話をしてるわけちゃうで。
同じことの反対側をいつも日本がやり続けた結果
この増田を読んで考える内、(元増田とはあまり関係無いかもしれない所まで)色々考えが巡ったので書いてみる。
考える内に良く分からなくなったのがこれだった。何の為に規制するんだっけ?
まず未成年の腐女子の人がBLを読んだところで、それが犯罪を誘発するとは思えない。
そして「未成年の健全な育成の為」だけど、これも本当にそんなお題目を信じてる人は居るのだろうか?
私は知り合いに何人か腐女子の方が居て、その人達は間違いなく成年前から過激なものも含めてBLを読んでるけど、その人達の人格がおかしいとか、倫理的じゃないとか思った事は無い、むしろとてもまともな人達だ。
未成年がBLを読んだら健全な人格でなくなるなんて思っている人は本当に居るのだろうか?(まぁ・・・偏見の残る上の世代なら居るかもしれない・・・とも思うが)
未成年がBLを読んで人格がおかしくなるとは思えないし、それは実際に居るそうした人達を侮辱・人格否定する偏見に満ちた差別的言説だとしか思えない。少なくとも実際の知人の為にもそれを肯定は出来ない。
BL以外でも基本的に同じで、そもそも世の中の大半の人は未成年の内に18禁のコンテンツに触れているし、それで人格がおかしくなるなんて事も無いと思う。
仮に「全員でなくても、一部は影響を受ける人が居る」としても、それは一体、全体の中の何%の想定なんだろうか?
また、そこで想定しているコンテンツは本当に今規制されているコンテンツ全体?規制されている中でも特に過激な物を意図的に選んだりしていない?(選んでるとしたら、過激でないものも含む現状の基準には根拠が無い事になる)
・・・・と言う様な事を考える内に規制する理由がそもそも良く分からないな・・・となった。
一方で元増田のように腐女子の人達が規制(元増田に倣ってゾーニングも含むものを想定する)を何故嫌がるのかも、良く考えると分からない部分が有るとも思った。
恐らく規制(ゾーニング)を嫌がる腐女子の人達自身は成年で、仮にもし過激なBLが未成年に見られないようになっても、直接の被害は無いのではないだろうか?ならどうして反対するのだろう?
考えられる理由としては「成年でも18禁等になると買いにくい」「自分の好きなコンテンツが規制されるのが心情的に受け入れられない」「自分以外の未成年の腐女子の事を慮っている」「そもそも規制の理由が無いと思っている」等が考えられる。
書いてみるとそれぞれある程度理解出来るものも有る(成年でも18禁等になると買いにくい、については大人なんだから胸を張りなさいよと思うけど・・・)、特に最後の理由は既に述べた通り私自身も同意する所だ。
または元増田や規制(ゾーニング)を嫌がる腐女子の人自身がそもそも未成年という可能性もある。その場合は確かに直接影響が有るし、死活問題だ。
また、「有害図書指定がゾーニングではなく、実質的な販売停止等に繋がる可能性がある」等の理由もあり得る、確かにそうなるとゾーニングはゾーニング以外の問題も自動的に孕む事になる。
以上の様に色々理由が考えられるので、どのような理由で反対しているのか、それを聞いてみたいし、それぞれ自分の中で分析して明確にした方が良いのではないか、と思った。
ここまで色々な事を考える内、そもそも私達は、未成年の腐女子や、それ以外の女性、または男性がどういうコンテンツで性欲を解消する事を想定しているのだろう?という事も気になった。
我々大人は、理由の無い規制をただ惰性でよく考えもせず存続させているだけで、実際に未成年が性欲をどう解消するのか考えず、見ない振りをしているだけなのでは?と。
確かに見ない振りをすれば楽だ、複雑で難しい事を考えずに済む、無責任で居られる、未成年が性欲もない綺麗な妖精さん達だと思っていられる、どうせ他人事だし。
でもそれで本当に良いのだろうか?
未成年でも性欲は有る、それは当たり前の事だと思う(勿論性欲が薄い人や無い人も居るが)
だとしたら、人格の形成に悪影響を与えたり、犯罪の誘発する等の明確な根拠のないコンテンツについては、未成年に対して禁止する理由が無いし、理由なく禁止するのは単純に権利の侵害というものだろうと思う。
それをただ思考停止で存続しつづけているのだとしたらそれはあまりにも酷い。
また、上記の様に言ったとしても「人格の形成に悪影響を与えたり、犯罪の誘発する」を拡大して解釈して、BL等にもそれがあるとする人は出てくると思う。
しかし(だからこそ「明確な根拠」」と書いたのだけど)人の権利を制限し、規制する以上、そこには科学的または統計的な根拠による正当化が不可欠だと思う。
そうした根拠無しに、つまり良く分からないまま、分かろうともしないまま、未成年の権利を制限する態度を子供は見ているし、そのいい加減さにも当然気付く。
相手が未成年だからと言って、いやむしろ未成年の場合こそ、権利を制限する事を甘く考えるべきではないと思う。それは非常に重大な事で、相応の根拠とそれによる正当化が当然求められる事だ。
・・・・・と言う様な事を脈絡もあまりなくつらつら考えるままに考えたのだけど、やはり現状の規制やBLに求められている規制には、正当な理由が無いし、正当でない理由すらそもそも碌に考えられてないように思えた。
言いたいことがいくつかまとまりとしてあるので箇条書きの形式でまとめる。
・たとえば乙女ゲーにどっぷりだったりZEROSUM読んだりしてるような分かりやすいオタクが週刊女性とかワイドショーとか見てると思うだろうか?
むしろ彼女らは世間に疎いと言われるぐらいにはそういう井戸端会議のネタになるような、市井の地に足のついた、言い換えれば「夢が微塵もない現実的な情報」は積極的に拒絶してる感じするが。ピーターパン症候群も持ってそうだし。
(むしろそういう二次元系のオタクってピーターパン症候群的な童心が残ってることがそれになってしまう必要条件で、レディコミの生々しい内容を好める成熟した大人とは対極の存在に思える)
・琥珀の夢で酔いましょうが電子書籍サイトでレディコミに分類されているのがなんだうと思った。
「メシヌマ」よりはよほど男でも楽しめる余地ある青年マンガっぽい中身に感じるのだが、なにをもってレディコミなのか
(rentaやbookliveではレディースコミックや女性漫画に括られていて、シーモアやめちゃコミでは少女漫画に括られているので、全会一致というわけでもないが)
・フィーヤンはレディコミといわないという主張があって気になったんだが文句なしのレディコミってどんな作品だろうね。グランマの憂鬱とか認知症になった魔法使いみたいな、おばあさんが主人公の作品はほぼレディコミで確定かね。傘寿まりこは少女漫画と出版社側が言ってるが。
・レディコミには「男が容姿に対して可愛いと思うようなキャラが出てこない」というのが最低条件としてあるんだろうか?
たとえば乙女ゲーで例はひと昔古くて申し訳ないが薄桜鬼やうたのプリンスさまにはヒロインが可愛いという理由で男がヒロインだけ目当てでそういう乙女ゲープレイしてる事例はあった。
しかしレディコミだとキャラが可愛くて男のファンがつく、みたいな魅力がキャラにある作品は(ほぼ)皆無じゃなかろうか。
性的嗜好を刺激するような不細工さというのでもなく、ほんとうにただだぱっとしない売れ残りの女おばさんという感じ。
それはレディコミの定義に関する必要条件みたいなものだからだろうか?またこれにはは意図的に男性をファンから排除しようとする目的もあるのだろうか?
(ほぼ、と書いたのは「アラサー独女シマちゃんのベランダレシピ」)はレディコミならが可愛いヒロインだったから」
・レディコミには今流行りの画風からは外れたひと昔以上前の画風の作品が多い気がする(流行りの絵柄と一致しないのは、逆に画風が流行りにはいままでなかった未来に進んでいるからという場合も想定されるが、そういうわけではなさそう)
とするなら、レディコミを読むのは懐漫を読む感覚を、味わいたい、あるいは懐漫の雰囲気で新作の物語を読みたいからという人も多いのだろうか。
・レディコミや、コアブックスの風刺漫画などが「漫画」という主語で言及される資格を持っている違和感。
たとえばカズオイシグロのようなノーベル賞作家の小説を読む人と、フランス書院のエロラノベ(だけを活字主体の媒体としては)読む人がいたとして、
前者は当然「小説を読むのが好き」というだろうが、後者の人が「小説が好き」とは言わないと思う。
形式的な分類では純文学もエロラノベも確かに「小説」なのだが、あまりにも書き手読み手双方が持つ文化の間では隔たりがある。
そして前者やSFでもミステリーでも大部分はそれを読んでいることに対して、「小説が好き」ということには違和感は感じられないが、エロラノベをもっぱら読んでる人が「小説を好き」といっては、単に媒体だけ共通項の文化圏が他の小説好きの文化圏を侵してるかのような感じになる。
だからこの場合は「小説好き」というのは別に他の「小説らしい小説が好きなわけではない」ことからも自己認識に遭わないから、「エロラノベが好き」というより狭い括りでの言及の仕方になるんじゃないかと思う。
同じことはレディコミ等と他の漫画のあいだの関係にも言えそうで、レディコミはジャンプに比べれば「漫画らしい漫画」というところからかなり遠いところにあるものだと思う。
夢を見せる漫画や不条理をみせるにしてもドラマティックな展開があるのが漫画の多数派ななかで、レディコミは読者投稿に基づいたりするから淡々と現実を描写するだけになる。夢も希望もない。
作者がpixivもやっていてその作品が熱心なファンの萌え語りの対象になるような漫画と、作者がインスタやっててネット記事のおまけコーナーで中年主婦のリアルを描いてるような漫画では、それを取り巻く文化圏は全く相反して交差することもないと思う。
前者は漫画の代表(求心力の中心)たりえるが、後者は漫画のコマ割りや吹き出しや感情の記号化という形式だけを倣っただけの内容面では全然別物を描いてるのにその分類に対して間借りしているだけに見える。
まさに、学習漫画や進研ゼミの販促漫画を読むのが好きだった人が「漫画好き」にあてはまるのかなあ?と同じような感じ。それに対する態度も文化も典型的な漫画好きとは全然異なっていると思う。
あるいは「絵」とは形式を抽象すれば「色の違いによって平面に表現する」ことで、この点で油絵の風景画かラノベイラストレーターも絵描きで、作られたものは絵なのだけども
そこで「絵が見るのが好き」というとき、前者と後者を両方同時に内包し得るのかなあと。両者はその供給も需要もひっくるめて生い立ちの時点で全く異なる文化圏にいるもの同士だろう(もちろん美大出の漫画家レーターもいるっちゃいて前者の文化にもなじんでる人もいるだろうがむしろ例外的)。
そういう意味で、レディコミを読んでる人に向けての「漫画好き」と、少女漫画を読む人に向けての「漫画好き」(あえてレディコミを漫画という総称的用語で言及してよいのならだが)は、言葉が同じというだけで実質別物の意味合いと捉えた方が自然じゃなかろうかと。
・大人にとっては「向け」などないようなものなのに、漫画に対して出版社がいちいち手間かけて性別の年齢で分類するのはなぜか考えたが、まさに子供のためなのだろうと思った。
つまり「少女漫画」は子供の女から読めるが、男の子にはわない。「ヤングレディース」は高校生とか大学生じゃないと楽しめない確率が割とあるし、これまた男の子やその高校生大学生は楽しめない。
そして「レディコミ」は大人になってからじゃないと楽しめないが、逆に大人からみれば少年漫画も青年マンガもルポ漫画も楽しめるという具合。
だからこそ大人の視点でみるとこういう分類ってなんの意味があるんだろうと思えてしまうことがあるが、視点を切り替えればいいのだった。
「子供にとって自分に合うものを探すには便利な目安」なのだと思った。ラノベという分類の定義はほんとうにあってないようなものだが。