はてなキーワード: 弁当とは
ただ母の興味が欲しかった。
私には2つ下の弟がいる。10ヶ月になったばかりの頃、父の不注意で弟は頭を強打し、一時期は生死の境を彷徨った。一命を取り留めたが、重い麻痺と知的障害が残った。一度とて歩くことも話すことも出来ず、今も体だけが20歳に成長した赤ん坊のまま。
弟の件があり両親は離婚した。私たち姉弟は母に引き取られた。母には仕事があり、障害を抱えた弟の世話はとてもじゃないが見れなかった。幸いにも面倒を見てくれる施設が市内にあったので、弟はそこに入所した。母は、平日は仕事をこなし、土日には自宅へ弟を帰省させたりしていた。母はとても頑張っていたように思う。しかし母はとてつもなく不器用だった。仕事と弟の帰省。これ以上に何かをこなす事はキャパシティオーバーしていた。平日は仕事に疲れ帰ってきて、土日は弟の帰省で時間が潰れる。当然家はメチャクチャでゴミも片付かず、ご飯は出来合いは当たり前、次の日着る制服は夜に洗濯を回すから乾かず生乾きだった。アイロンなんてかけてもらった事ない。私は鍵っ子で、8時近くに帰ってくる母を1人待つ生活を高校卒業まで過ごした。夜や休日であっても母との会話はなく、母は私に興味がないようだった。それもそうだ。母は家族を養うため無我夢中だったし、五体満足の私よりいつまでも手のかかる弟の方が心配だ。幼心より、母に迷惑をかけては行けない、弟が辛い目にあってるから私は甘えては行けないと思っていた。私は自分のことは自分で解決する癖がついていた。それに身の回りのことは自分でやりなさい、が母の方針だった。しかし方針だけで、教育には意識が向かなかったようで、箸の使い方や横断歩道の渡り方、人への挨拶、身嗜みは全て学校、叔母や従兄弟から教えられた。そもそも学校とはそういうところだし、母に世のルール全て学ぶなんてことは私も求めてはなかったが、それでも母から何か教わるなんてことは小学生の時はなかったように思う。そもそも会話が少なく、抱きしめられることも、手を繋いで歩くことも、一緒に歌を歌うとか、そんな親子の思い出が少なく、教育として受けるものも無かった。無関心、ではないけど関心が低い。ネグレクトまではいかないけれど、放置気味。よく自分は社会ルールを知って育ったなと自分ながらに思うくらい母からの低関心が酷かった。
話が少し逸れるが、私は少し発達障害の気がある。小さい頃から忘れ物が多く、人とのコミュニケーションが下手くそで、いつも遅刻ギリギリ。でも言い訳をさせて欲しいが、それは親のフォローがあってこそ治るものではないのか。宿題を見てもらったことは一度もないし、忘れ物チェックもない、遅刻は親も常習犯。母と会話しないからそもそも話し方を教わっていない。その気になれば発達障害のテストもできるけど、私はこれを不教育による弊害だとして受診を避けている。いや、まあ、単に診断されたらダメージが大きすぎることもあるけど。
イジメられても、不審者に会っても、テストの点数が悪くても、親に相談できなかった。だが自分で解決できず、限界が近くなった時、もう学校に行きたくないと泣いて親に話したことがある。その時の母の顔と言葉は忘れられない。
今まで母のため弟のため自分を殺して生きて、辛いことを悲しいことも抱えて、でもやっぱり母の愛が少ないことから生じる人格の綻びがイジメにつながったと思う。なのに、助けを求めることすらしてはいけないのか。母にとって私は、何か問題が起こるだけで迷惑な存在なのか。
それから十数年経って、私は成人して医療系の職種につくことができた。母は仕事を続け、弟も変わらず体の大きな赤ん坊。母の関心は相変わらず弟。成人したので私への関心はさらに減った。母をご飯に誘っても疲れているから嫌だ。遊びも同様。ご飯を作れば冷蔵庫にあるお弁当を食べ、私の手料理には手をつけない。
なにも変わらない。あるといえば、私は彼氏が出来て依存先を変えた。彼氏は優しく、私のことを大好きでいてくれて、いつも私のことを考えてくれている。嬉しい。誰かにこんなに思ってもらったことは初めてだ。聞けば彼はご両親の元、一人っ子としてスクスクと育ったようだ。通りで自信に満ち溢れ、愛は無償なことを知り、人生悩むことはあるけど2人なら幸せになれるよと語れるわけだ。
私はちゃんと彼に愛を返せているか。きっと返せていないんだろうな。彼はよく私の態度を見て不安になるようだ。ごめんね。
フラッと立ち寄ったバーで知らない人から、「貴方は言葉に棘があり、人を信頼せず、自分の本心も隠しているね。そういう子は幸せになれないよ」と言われた。初対面の人にも分かるくらい、私は歪んでしまっているのだ。そのことを突きつけられた気がして、十数年来の気持ちがブワッと湧き出した。蓋を被せてきた感情が夜毎に強くなった。
私をこんな人間にした全てが憎い。
私に興味を持たない母が嫌い。
母が私に興味を持てなくした元凶の弟が嫌い。
両親と仲良く休日を過ごす友人たちが嫌い。
なんの苦労を知らず日々楽しく過ごす同級生たちが嫌い。
私のなにも知らないのに好きだという彼氏が嫌い。
なにより、いつまで経っても親や環境のせいにして、自分を正当化し逃げ続ける自分が殺したいほど憎い。
この感情には行き場がない。誰にも言ったことがない。言い方が分からない。彼氏にも友達にも、家族のことをなにも話していない。私は相当嫌な人間に育ってしまった。笑顔で話してる裏で死ねとすら思ってしまっている。
行き場がない。
私の理性が人のせいにするな、自己責任だろうとストップをかける。感情を飲み込んで、また明日から母に愛される弟を横目に、幸せになれない自分の人生を歩まねばならない。
私はただ、母に愛され、そして幸せになりたいだけだったのに。
■結婚した後輩が憎い
彼氏いる素振りも全然なかった。今思えばいるともいないとも言ってなかったんだけど。
後輩は戸田恵梨香を暗くしたみたいな感じで、まぁまぁ可愛いけど地味だし飲み会でも一切そういう話に乗ってこないからモテないんだろうなって確信してたし、妙齢独身仲間だと勝手に思い込んでた。
「周りがどんどん結婚して焦っちゃうと思うけど、この歳になれば気になんなくなるよ!」とか聞かれてもいないのにアドバイスしてた。
飲み会では調子に乗って自分のワンナイト武勇伝とかマッチングアプリのコツとか熱く語ってた。
別の同僚に聞いたんだけど、後輩の実家は金持ちで、結婚相手も医者らしい。いつもお弁当作ってきてて節約ですとか言ってたからてっきり金ないんだと思ってた。
憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い。
結婚したことが憎いんじゃない、実家が金持ちなことも相手がいることも隠されてて、こっちが勝手に勘違いして先輩気取りで色々言ってたことを止めてくれなかったことが憎い。
彼氏いる素振りも全然なかった。今思えばいるともいないとも言ってなかったんだけど。
後輩は戸田恵梨香を暗くしたみたいな感じで、まぁまぁ可愛いけど地味だし飲み会でも一切そういう話に乗ってこないからモテないんだろうなって確信してたし、妙齢独身仲間だと勝手に思い込んでた。
「周りがどんどん結婚して焦っちゃうと思うけど、この歳になれば気になんなくなるよ!」とか聞かれてもいないのにアドバイスしてた。
飲み会では調子に乗って自分のワンナイト武勇伝とかマッチングアプリのコツとか熱く語ってた。
別の同僚に聞いたんだけど、後輩の実家は金持ちで、結婚相手も医者らしい。いつもお弁当作ってきてて節約ですとか言ってたからてっきり金ないんだと思ってた。
憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い。
結婚したことが憎いんじゃない、実家が金持ちなことも相手がいることも隠されてて、こっちが勝手に勘違いして先輩気取りで色々言ってたことを止めてくれなかったことが憎い。
今月末、25歳の誕生日を迎える。
まだ婚活には早いんじゃないかと自分でも思うけど、そんなことを言ってられない事情がある。
私は、友達を作ることすら困難なコミュ障で、休日引きこもらーで、セミプロ級のおひとり様なのである。
映画、カラオケ、ファミレス、一人旅(国内)なら余裕で一人で行くし、ハリポタのためならUSJだって一人で行ける。
出会いの「で」の字もない。
黙々と仕事をして、一人で黙々とお弁当を食べて、黙々と仕事をして、
報連相は基本社内メールなので、ふと気が付くと、1日誰とも会話をしないで布団に入ることもある。
休日は、一通りの家事をこなした後はひたすらゲームをしている。
最近のゲームはすごい。一人で黙々と、何時間でもやっていられる。途中で単三電池が切れないって素晴らしい。
※もちろん全員ではない(祖父母は今も仲良し)し、その後再婚して幸せな家庭を築いている方も多い。
私はそんな親戚の様子を見て、いつからか、なんとなく、
「私も、結婚して子どもを産んでも、いつか離婚するんじゃないか」
「だったら、最初から結婚なんてしないで、子どもも産まない方がいいんじゃないか」
って思っていた。
表面的な意味としては、
「一人で住んでるより誰かといてくれた方が安心」
位だと思う。
けど、私には、
「あなたが結婚して子どもを産んでくれたら、離婚によってあなたが負った心の傷が癒えたのだとわかって安心できる」
という意味に聞こえた。
私は、数々の親不孝をしてきた。
大人になって、どうしたら親孝行ができるか、必死に考えていたけど、
っていうメッセージを、全身で示してあげることが、
私にとっては、私と母にとっては、親孝行になるのかもしれない。
今まで、結婚は「できたらいいな」ぐらいにしか思っていなかった。
でも、それが親孝行になるなら、努力してみようと思った。幸せな家庭を築くために。
結婚できるか、子どもを育てていけるか、それぞれ見極めるのに2年ずつくらいはかけたい。
母が私を産んだ30歳までに第一子を産んで、できれば3人産んで少子化対策に貢献したい。
水族館自体が好きなので、そういう意味でも楽しめるといいなと思っています。
・一緒にゲームをしてくれる(実況もしてくれるとなおいい。軌跡好きならもう何でもいい)
・平均以上の身長(私が151cmなので、相手がそこそこ大きくないと子どもがかわいそう)
・共働きに協力してくれて、世帯収入が500万以上になる見込みがある。
・頭がよくて、実益にならないような考察・議論を真剣に行ってくれる
小さい頃、母と母の当時の彼氏(A)と三人で花火大会に行ったことがあった。
当時加護ちゃんが好きだった私は雑誌の付録のミニモニのボディシールを自信満々に腕に貼って行ったが、それを見たAは大声で「だっせえ〜」を連呼。
それまで何も言わなかった母も「それはダサいよ」とAに同調した。
悲しかった。
Aはその後花火が上がるたびにブラボーと叫んでは大きな拍手をした。うるさい人が苦手だったのでその場から立ち去りたくてたまらなかった。
別の日、母にAと焼肉に行くよと言われ「焼肉なら」と付いていったが、なんと店先には「もつ鍋」と大きく書いてある提灯が下がっていた。
もつが食べられなかった私は「聞いてた話と違う、絶対に嫌だ!」と拒否する。
母も「そうだね、せっかく来たのに」
何も食べずに帰ることになった。
その後は(覚えてないだけかもしれないけど)Aとは二度と会わなかった。
知らないうちに別れたらしい。
マジで些細で大したことない話だけど、ふとした時に思い出してもやもやしてしまうのは母がそんな意味のわからない男から娘の私をかばってくれなかったことに対して悲しかったからだろうな。
お母さんは遅くまで働いてたから保育園のお迎えはいつも一番最後だった。小学校に入ると祖母の飲食店に預けられ、深夜に母が仕事を終えてくたくたな時に迎えに来てもらっていた。
水曜日が母の休みの日だったので毎週楽しみで仕方なくて、その日は友達遊ぶ約束をしないようにしていた。
わたしがずっと欲しいって言っていたぬいぐるみをサプライズでくれたり、ぬいぐるみで一緒に踊ったりもした。
そして毎日お弁当作ってくれて、私の予備校も受験も受け入れて応援してくれたお母さん。
仕事と子育てで忙しい中出来た彼氏で、言えなかったんだろうな。てか私もダサかったし、駄々こねて鬱陶しかったよね。ごめんなさい。
ただAが今でも嫌いってだけです。
卑屈な人が事あるごとに自嘲的にネガティブなことを言う。
安い店に外食に行けば「我が家にはお似合いのレベルだよねw」。
安い服を買ってきたら「お金があればいい服の一つも買ってあげれるのにねw」。
本人は、不本意な現状に傷付かないように、大慌てで自己防衛的に冗談めかして口に出しているんだと思うが、聞いているこっちはそのたびに傷付く。
洗い物がなくて楽だねと言えば気楽な選択肢になったのに。
その色似合うねくらい適当に褒めておけば本人も満足なのに。
でも、卑屈な人にそんな風に言えば、ますます卑屈になるのは目に見えてる。
「ごめんね。やっぱり私はそういう人間だね。傷付けたくないのに、何か言えば傷付けるからもう何も言いません」くらい言う。
絶対に言う。
卑屈な人の卑屈さで足を引っ掛けて転ばされても、その卑屈さを共用スペースからどけてくださいとは言えない。
はてなは引きこもりに対してやたら甘いけどさ、結局引きこもりで成り立つだけの環境がないと引きこもれないわけじゃん。練馬の件なんて最たるもんだけど、実家に恵まれてるからできることだよね。いじめを受けた傷だなんだで被害者ぶってるけど、甘えもいいとこだと思う。
自分は貧困家庭に生まれ育って、中学から新聞配達して家に金を入れてた。
高校の授業料も自分で払いながら、大学進学を目指した。両親のようにはなりたくなかったから。
夜はバイト、早朝に起きて勉強・弁当の作成、通学の繰り替えし。
高校生らしい遊びはせずにいたら、友達とは疎遠になり、あるグループからは私物を隠されたり壊されたり、嫌がらせを受けたりしながら、3年間で120万円を貯めた。
大学に入ってから出会ったのは、親の金で遊んでいる奴、親の金で留学だのなんだのを繰り返し英語が堪能な奴ら。自分が授業料を稼ぐのに3つのバイトを掛け持ちして働いている一方で、奴らは金の心配をせずに遊びなら勉学に励み、見事な成績を挙げていた。
自分が求めても、決して届かない環境にいて、結果を出している。
その事実だけが重くのしかかり、ストレスで円形脱毛症にかかった。同じタイミングで実家が更に傾き、大学にいることすら困難になった。休学を勧められたものの、休学にかかる費用を負担できず、大学中退となった。
しかし休んではいられない。すぐに仕事を始めて家に金をいれなければならない。アパレル系の会社で働き口が見つかった。働いているうちにアルバイトから契約社員に雇用形態が変わった。
そして東日本大震災が起きた。母方の実家が福島だった。避難区域に住んでいた祖母と祖父が住むことになった。金銭的な支援付きで。金銭的にはなんとかやっていけるようになったが、狭い部屋で5人が暮らすのは無理だった。これ以上実家に搾取されたくなかったので、これ幸いと着の身着のまま上京した。こうして逃げ込んだのは家賃4万円のボロアパート。布団はなかったので洋服を床にしいて寝ていた。洗髪は2日に1回、2Lのペットボトルにお湯をためて洗った。実家が貧乏だったので苦ではなかった。
手に職を、と、未経験で雇ってくれる映像制作会社の求人に応募した。すぐに社員は無理だけどインターンなら、ということでアパレルのシフトが入ってない日は映像制作会社で働くことになった。無休で1日20時間近く働かせられていたが楽しかった。やがて社長がインターン1日3000円くれることになって嬉しかった。半年続けていたところで、社員として入社しないかとオファーされ、迷いなく承諾した。
3年間がむしゃらに働いた。その間、丸一日休日だった日は1ヶ月分もないだろう。それでも手がけた実績や技能が身につき、映像系でフリーランスとして独立した。
今は、人並みの仕事量で人並みに稼いでいる。途中で何回電車に飛び込もうと思ったか。引きこもりのニュースを見ては、実家に金があって羨ましいと思っていた。自分は家に戻った所で居場所もないし、働くことからは逃げられない。だから、実家に戻らないで自分が生きる方法を掴み取ってきた。
よく、インスタとかで主婦の投稿を見てると、冷蔵庫いっぱいに作り置きしてるのを見かける
二人暮しだけど、作り置きした方が凄くいいのかって思ってた
実際1ヶ月作り置きしてみて感じたけど、作り置きせずに毎日作る方が楽だった
いつも、その日の夕飯と次の日の朝ごはんと弁当のおかずを夜に作ってる
大体1時間掛けて、6品ぐらい作って、足りないところは、冷蔵庫にストックしてる漬物とか竹輪とかの練り物で誤魔化してる
沢山暇な時におかずを作り、冷蔵庫にストックして、弁当とか忙しい日のおかずにしよと思ってるのに、毎回毎回旦那に食べられる
本当に辞めて欲しい
量が少ないのかと思いきやそうじゃない
だから、おかずの量を多く出してもあるだけ食べる
どうにかならないかな
健康の為に食べすぎは良くないって言ってるんだけど
脳のアレで衝動性ってやつが強い。何かを思いついたら、そいつが全ての思考レイヤーの最上に来て消えない。そいつを遂行したくて、他にやるべきことがあっても遂行してしまう傾向が強い。その対象は食いもんだったり、スマホだったり、セックスだったり、子への虐待だったり。人によっていろいろ。そういう脳のタイプ。
社会的要因を否定してるわけじゃないし軽視してるわけでもない。でも、こういう脳のタイプによって引き起こされてる部分も無視できないと思うんよな。
宅間守を事件に駆り立てたものを社会的要因に見るホッテントリを見た。確かに男性性の要因はあると思う。しかし中学時代=子供時代から、人の弁当に精液かけたり、女捕まえてレイプしたり、衝動性強いんやろなあと思わされるエピソードがチラホラある。こっちについて言及されにくいのは、やっぱ差別につながるからかあ。脳が原因でしかもそういう脳のタイプを持った人間が、毎年ウン万人生まれとるぞってなると、怖いからかな。
蒸し暑くて汗出る
14時から診察だから少し早めに・・・と思ったけどそれでもすでに開いてて人いっぱいいて焦った
でも2番めくらいに呼ばれたから早めにいった時間はだいたい合ってたみたい
14時半前に終わって次は心療内科へ
とおもいきや、なぜか先に待合室におばーちゃんがいた
だから2番めだった
まあ早く終わったからいいけど
マクドナルド・・とも少し思ったけどやめた
いちおうアシベよるけど何もなかった
ジョイントも何もなかった
今日限定でキャベツメンチカツ弁当が税込み321だったけどこれ前食べて微妙だったんだよなと思って我慢
相貌失認とは違うと思うのですが、多分みんな一度は経験したことがあると思うが。
同じマンションの敷地内で会うと、「あ、6階のひとだ。」と、わかるが近所のスーパーでで会うと誰だか認識出来なくてすぐに挨拶できない。
何処か悪いんでしょうか。
さっき昼休みに弁当買いに行っての帰り道向こうからニコニコした人が来るな、と思ったら「私も買いに行って来ます。」と言われてやっと会社の人と認識できました。
因みに私とその人は20年くらい同じ会社で働いていてうちの会社は会社というより事務所で社員数も10人以下です。
言い訳をするなら今日はその人の顔が私が思ってるのと違ったんです。
あれ、あれ、と思って、ああ、あの人だとわかりました。
もちろん会社の中では全くそんなことを思ったことがないのです。
この人はこんな大きさだったっけ?
揉めたくは無いけど、何気なく久しぶりに会って会話するとこれ
何気ない会話の中から自分が気に入らないと思った欠点をしつこく見つけてきて永遠に話される
今日は弁当の塩分の話から、冷蔵庫の中身チェックになり入ってるものが全部食べられないと言われた
もうどうしたらいいんだ
それまでは外食残味だったし、元々昼以外は自炊してたから、作るのは割と好きだったから
経済的な面もそうだけど、外食するより作った方が少しは健康にいいかなって
毎日お弁当作ってる事を報告して褒めてもらいたくて写真を見せた
そしたら、「こんなに頑張って作ったって肉とか入ってるし、太るだけねwww作った時間とか無駄じゃないwwwこんなの持ってくぐらいなら、茹でた野菜だけの方がマシよ」と
ある日の弁当↓↓↓
・青椒肉絲
・卵焼き
・チーちく
・サラダ
・白米
これを無駄だと言われた
母親は、マトモな料理を作ったことが無い人で、茹でた野菜を料理だという人だった
おかげか骨が見えるくらい痩せている
それすらも許されないのか
1〜2年ごとに全国転勤を繰り返す人と結婚して2年が経つ。
結婚する直前、夫に転勤辞令がおりた。私は当時好きな仕事を正社員でしていて、すぐには辞めたくないなーと言ったら「じゃあ別居で」ってことで、一応2人が住める程度の家だけ構えて夫は単身赴任という体にし、別居婚で2年間すごすことになった。
でも、同棲0の別居婚、覚悟はしていたが結婚の実感はなかなか湧いてこなかった。夫もそれは同じだったらしい。
過ごす空間も時間もバラバラ。夫婦っていうより、貯蓄口座に毎月入金するATM2台になってた。なんで結婚したのか訳わからんなって感じ。
私のキャリアとか世帯年収とか天秤にかけて考えたけど、やっぱ一緒に住むかって結論に至って、夫の次の転勤に合わせて先月から一緒に暮らしてる。まぁ今いる土地は、私が住んでた所から飛行機じゃないと行けないくらい離れてしまったので、ちょうど良い機会だったと思う。
仕事を辞めたから当然今は専業主婦。パートは前職からの紹介でなんとかありつけた。専門性が高く、なり手も少ない仕事なので時給が高い。扶養枠を越えない為に週2日しか働けないのがもどかしい。正社員は夫の転勤があるし絶対無理。フルタイム5日働いたら働き損になるんだなぁ…。
夫は朝活人間なので朝4時半に出て行って、19時に帰ってくる。
朝ご飯は早すぎてお腹空いてないし会社近くで食べるからいらない、お弁当は好きなものを食べたいからいらないらしい。その分晩御飯はちゃんと作ってる。
掃除洗濯くらいは2時間もあれば終わってしまう。あとは本当に、やることがない。
夫が帰ってくるまでにそれなりに家が整っていればいいので、今私は12時に起きダラダラ14時までYouTubeを見ながらご飯を食べ、掃除洗濯と買い出し、ご飯を作って、ぼーっとまたYouTubeを見る生活を繰り返している。こんなんだから夜もちゃんと眠れない。いつものそのそベッドから出て、3時までゲームをして、またベッドに戻って無理やり寝てる。
夫は何も気づいてないっぽい。もし気づいたとしても何も言わないと思う。彼は良くも悪くも人に無関心だから。
専業主婦だからそんなに自由にお金は使えないし、週末に夫とやってる共通の趣味でかなりお金が飛んでいくので、こづかいも節約しなければならない。
週2日のパートもフルタイムじゃないし、家から10分のところで1人黙々と作業して帰ってくるだけだから、環境的には殆ど家と変わらない。
こんな感じでずーっと生きていくのかと思うと辛い。
時間は腐るほどある。生活費もそこまで困ってないし、貯金もある。義実家も今は近く、仲良しだし何も困ることはない。こっちに住んでる友達もいる。
夫は家事好きで週末はせっせと掃除をしてくれる。これだけ恵まれてるのに、何もすることがなくて、ただなんか最近虚しい。
子無しの専業主婦は皆んなどうやってこの虚しさを埋めてるんだろう。