はてなキーワード: 俳人とは
「増田は増田のポケットからライターを取り出し、取り出したライターに火をつけた」
「増田はポケットから取り出したライターに火をつけた」の差みたいな。
読みにくい文章は余計な部分とか冗長さがあったり、主語述語とか係受けが変だったりする。
○ 引き込まれる文章は作者が言葉の意味を理解してるかどうかと、読む相手がどこまで理解してるかをコントロール出来てるか。
同じ長文増田でも頭良さそうな増田って言葉のチョイスが的確だし与えてる情報を整理してるからわけわからんなってならないから共感できるかどうかは別として理解できるし、理解できないものは共感しようがないから引き込みようが無いと思う。
逆に頭悪そうな増田は誤解しやすかったり間違った言葉を使ってるから相手に伝わらないし、情報が整理出来てないから相手に出してない情報を相手が理解してる前提で話を進めてるから、頭の中が疑問とか不可解さでいっぱいになって話が入ってこない。
追記:指摘があったので訂正します。「唐の頭」とは正確にはヤクの毛の兜飾りのことです。武田信玄や石田三成が描かれるときに、よく兜に付いているカツラみたいなやつのことですね。珍しくて高価なものではあるのですが、三河武士のあいだでやたらと流行っていて、十人いたら七・八人はヤクの毛をつけていたらしいです。というのも、ヤクの毛を大量に積んだ貿易船が難破して三河に漂着したから、棚ぼたで手に入れたんだとか。そら「過ぎたるもの」と言われますわ。
「本多平八」とは徳川四天王のひとり、本多忠勝(1548生)のこと。
三方ヶ原の戦いに先立つ一言坂の戦いで、退却する徳川軍の殿を本多忠勝がつとめた。
治部少は石田三成(1560生)のこと。
「島左近」(1540生)はもともと筒井氏に仕えていた武将で、一説には当時の三成の禄高の半分である二万石で召し抱えられた。
関ヶ原の戦いで討ち死にしたが、敵の足軽が後々まで悪夢に見たというほどの戦いぶりだったという。
「佐和山城」は三成が改修した城で、五層の天守閣を備えた立派なものだったが、中に入ってみると極めて質素な造りだった。
「白隠」とは「臨済宗中興の祖」と言われる高僧・白隠慧鶴(1686生)のこと。
大量の書画を残しており、その作風は荒々しくバランスの崩れたものだが、それが逆に迫力を生んでいるとして現代でも人気が高い。
「津軽屋敷」とは、本所にあった津軽藩の広大な江戸屋敷のこと。
火災のときに版木ではなく太鼓を叩くのが「本所七不思議」として知られている。
「炭屋塩原」とは、炭団を改良して一代で豪商となった炭屋の塩原太助(1743生)のこと。
明治期には「塩原多助一代記」として立身出世物語が語られ大人気となった。
亀山とは、現在の三重県亀山市にあった、東海道の亀山宿のこと。
「伊勢屋蘇鉄」とは、亀山宿の旅籠・伊勢屋の庭にあった蘇鉄の名木のこと。
「京口御門」とは、亀山宿の西端、つまり京へ向かう道に作られた門のこと。
坂の頂上に建てられ、下から見上げると壮観だという。
祖父が江島生島事件の江島の弟だったため甲斐に流罪となり、南柯は甲斐で生まれて岩槻藩士の養子となった。
儒学を学んだ南柯は、藩の要職を歴任し、隠居後は私塾・遷喬館を立ち上げて子弟教育に努めた。
「時の鐘」とは、城下に時を告げるために1671年に設置された鐘のこと。
改鋳されたものが現在まで残っていて市指定有形文化財となっている。
「鳶の薬缶」とは「薬缶平」と呼ばれた幕末の火消し・平五郎のこと。
本職は鳶職人で、頭がハゲていたので「薬缶」と綽名されたらしい。
「原宿の山車」とは、青山熊野神社の祭りで使われる山車のこと。
「延寿太夫」とは、歌舞伎の伴奏音楽として発展した浄瑠璃「清元節」を創始した、初代・清元延寿太夫(1777生)のこと。
「鶴屋南北」とは、「大南北」とも呼ばれる歌舞伎狂言作者、四代目・鶴屋南北(1755生)のこと。
一関藩は、仙台藩から分知されて成立した小藩で、現在の岩手県一関市にあたる。
「時の太鼓」とは、城下に時を告げるための太鼓のことだが、これは幕府から特別に許可されたもので、鐘ではなく太鼓が設置されるのは非常に珍しかったらしい。
「建部清庵」(1712生)は蘭学を学んだ名医で、『解体新書』で有名な杉田玄白の盟友であった。
これは加藤家が改易されたあとに熊本藩に入った細川忠興の評らしい。
八代城は、熊本県八代市にあった城で、1622年に完成したもの。地名から「松江城」とも言う。
熊本藩の本城はかの熊本城であり、一国に二城あるのは特例である。
その気兼ねもあったのか、城は未完成で放置されており、天守閣だけは壮麗だったというが、それも1672年に落雷で消失した。
「乞食の松」とは、「浜のお茶屋」とも呼ばれる松浜軒庭園にあった松のことらしいが、詳細は不明。
保土ヶ谷とは、現在の神奈川県横浜市にあった、東海道の程ヶ谷宿のこと。
「苅部清兵衛」とは、その程ヶ谷宿の本陣・名主・問屋を務めた苅部家の当主が名乗る名跡のことで、地元の名士として代々慕われたという。
「花見寿司」は程ヶ谷宿の名物で、現在でもその伝統を引き継ぐ店があるとか。
挙母城は、三河・尾張・美濃・信濃・遠江・伊勢・近江が見えるということで七州城とも呼ばれ、「大手御門」とはその立派な正門を指している。
「海老名三平」とは、挙母藩の剣術師範役に代々指名された海老名家当主の名跡で、落語家のことではない。
「だんじり祭り」は全国でも有名なお祭りで、1703年から始まったという。
「千亀利のお城」とは岸和田城の別名で、五重の天守に総構えの立派なものだったが、天守閣は1827年に焼失している。
松平定信に「昌平坂学問所で朱子学を教えるべき」と訴え、これが「寛政異学の禁」の原因となったという。
京都に出て絵を学び、仙洞御所の屏風を描いている。西山拙斎とは親友同士だった。
川ではなく道に掛かっていて、立体交差となっているのが特徴。
「にっかり」とは、刀剣乱舞でも有名となった名刀「にっかり青江」のこと。
「茶壺」とは、二代目藩主・京極高豊が好んで収集した、陶工・野々村仁清の茶壺のこと。
「多賀越中」とは、京極家の筆頭家老を代々務めた多賀家当主の名跡。
三原とは、広島藩の支城である三原城があったところで、現在の広島県三原市のこと。
その「過ぎたるもの」とは、まず石高のわりに壮麗な「三原城」。
三原城主であり広島藩筆頭家老であった浅野忠真(1618生)に、徳川家光の娘・月渓院が一目惚れし、駄々をこねて彼の側室に入ったために使用を許可された「葵の御紋」。
日光東照宮の工事にあたって、難所をわずか十日で仕上げて称賛を集めた家臣「鈴木方衛」の三つだそうな。
「過ぎたるもの」とは、藩政を改革して名君と謳われた藩主の「板倉勝明(1809生)」。
第六代安中藩主・板倉重形のときに作られたという、城下に時を知らせるための「安中様のお太鼓」(一ノ関だけの特別扱いだったはずでは…!?)。
「火ノ見半鐘」は江戸で最も高いと言われる火の見櫓があったから。
「岡の桜」は、御番医師・岡仁庵の屋敷に植えられていた大きな枝垂れ桜のこと。
「更科の蕎麦」はそのまま更科そばのことで、蕎麦御三家の一つである蕎麦処・更科が永坂にあったことにちなむ。
「表御門」は、三大陣屋と呼ばれる飯野陣屋の門のこと(か?)。
「森要蔵」(1810生)は幕末の著名な剣豪で、保科家に剣術指南役として仕えていた。
森要蔵は藩に召し抱えられたあと、近所の麻布永坂・岡仁庵の屋敷の一部を間借りして道場を構え、
更科そばの初代も、この屋敷に反物商として出入りしていたところ、
蕎麦を打つのが上手いということで藩主から蕎麦屋になることを勧められ、
同じく麻布永坂に店を出した、という縁がある。
奈良生まれの儒学者・森田節斎の言葉であり、高取とは現在の奈良県高取町にあたる高取藩のこと。
「山のお城」は高取城のこと。
日本国内では最大規模の山城で、その白漆喰が輝く様を「巽高取 雪かと見れば 雪ではござらぬ土佐の城」と評した言葉が残る。
「谷の昌平」とは、幕末の儒学者・谷三山(1802生)のこと。
若年の頃に聴力を失うが、勉学に励んで大成し、高取藩に召し抱えられて尊王攘夷を説いた。
新城は、現在の愛知県新城市にあたるが、「新城藩」は藩主が安中藩に移封されたため1645年に消滅、代わって旗本の菅沼氏が入った。
「前の小川」とは、新城陣屋の堀へ水を引き入れるために作られた運河のことらしいが、現在は存在しない。
「太田白雪」(1661生)は、地元の名家の生まれで、松尾芭蕉門下の俳人となった。
「刻の太鼓」は、例によって城下に時を知らせるための太鼓のこと。
「関の鉄砲」とは、関之信が開いた「関流砲術」のことで、その宗家は土浦藩の鉄砲指南を代々務めていた。
下総は下総国のことで、現在の千葉県北部と茨城県西部のあたりを指す。
「久保木蟠龍」とは、儒学者の久保木清淵(1762生)のこと。
伊能忠敬と親交が深く、忠敬亡き後は大日本沿海輿地全図の完成を手伝った。
「正次」と「興里」はどちらも鍛冶師で、刀を打たせれば正次が、兜を拵えれば興里が優れていると言われていた。
そこで正次の刀で興里の兜を斬ったところ、兜は両断できなかったが欠け、刀には刃こぼれがなかったため、引き分けということになった。
しかし実のところ、興里は兜が割られないよう小細工をしており、それがなければ正次に負けていただろうと分かっていた。
悔しがった興里は刀を打つようになり、後に「長曽祢虎徹」として知られる名工となった、という伝承があり、歌舞伎の演目になっている。
「正次」は志摩兵衛正次という名らしいが、こちらはよく分からない。
「佐野の桜」とは、旗本・佐野政言の屋敷にあった見事な枝垂れ桜のこと。
「塙検校」は塙保己一(1746生)のことで、盲人として検校にまでなりながら、著名な国学者でもあった。
秋元とは、現在の埼玉県川越市にあたる川越藩主の秋元喬知のこと。
「無の字の槍」とは、藩祖・泰朝が家康から賜った十文字槍のことで、鞘に「無」の金文字があった。
「岩田彦助」(1658生)は、川越藩の家老を務めた儒学者のこと。
「河原布衣徒」は河原にいる乞食のことと思われるが、芸が上手かったことを言っているのか、よくわからない。
「千秋の寺」はそのまま千秋寺のことで、昔は二十余棟からなる大伽藍があったが、戦火で失われたらしい。
「不動並木」とは、谷田部藩主・細川興昌(1604生)が植えたもので、沿道に二百本ほどの松が並んでいたというが、現在はない。
「広瀬周度」(1782生)は、杉田玄白門下の蘭学医でありつつ、画家としても活躍したという人物。
「飯塚伊賀七」(1762生)は発明家で、自宅の向かいにある酒屋まで往復するからくり人形や、人力飛行機などを作っていたという。広瀬周度から蘭学の知識を得ていたとも。
徳山は、長州藩の支藩で、現在の山口県周南市のあたりにあった徳山藩のこと。
「藩主墓所」は、徳山藩毛利家の菩提寺である聚福山大成寺にある歴代当主の墓所のこと。
生ゴミに
いのちやどりし
コバエかな
これは2018年の6月初旬に俳人(廃人)の橋本一茶が詠んだとされる俳句である。普段はあまり料理をしないため、珍しく料理をすると生ゴミの処理が疎かになり瞬く間にコバエが湧いてしまう様を描いている。また、冬の間はどんなに雑に処理をしてもコバエなど湧かなかったものの、今では驚くほど簡単にコバエという生命を創造することができ、季節の変わり目を感じている、という風に捉えることもできる。この俳句の注目すべき点はコバエが発生したにもかかわらず、おおらかな心持ちでそれを良くも悪くも大観している様子がうかがえることである。本来であればコバエというのは非常に醜い存在であり、一刻も早く殲滅していまいたいもの。しかし、橋本一茶はその広い心とあまりに雑な生活感でもってしてそれすら"生命の創造"という非常に高い次元で捉えているのである。彼は人々にコバエを通して広い心を持つよう訴えかけているのではなかろうか。
めんつゆで
一匹残らず
駆逐せよ
こちらも同年の6月に橋本一茶が詠んだ俳句である。この俳句は一見すると先ほどの主張とは異なり、めんつゆトラップで自ら創造したコバエを殲滅すべき、という風に捉えることができるが、彼が生前記していた日記(古金玉集)には趣き深い記述が残されていた。
彼の生きていた時代から察するに未来の見えない年金制度やとどまることをしらない増税、そして人民の社畜化など様々な問題が彼を、当時の人々を悩ませていたに違いない。その中で彼はどれも全て過去に人間が創ったもの、であればそれを殲滅させる必要もまた人間にあるのではないかと考えたようだ。その手始めとして自ら創造したコバエを自らとめんつゆの手によって殲滅すべしと捉えたのである。また、コバエに対してもこの閉ざされた閉鎖空間で生きることの一体何が幸せであるのか、自問自答を繰り返し、最終的には死を与えたようだ。残酷なようで慈悲深い決断である。その後の彼はテクノブレイクによってその一生を終えたと伝えられている。死の発見が遅れたため、彼の死体にはコバエが集まっていたようだ。死してなお創造する、彼のアイデンティティーがそこには満ちていた。
「純文学」の世界に、もはや「文学」のかけらなんて残っていないのだから。
よく知られるように、日本でもっとも権威ある文学賞(と思われている)芥川賞は「純文学」の賞であるが、世界的な文学賞で「純文学に贈る賞」なんて無い。ただ日本だけで、「純文学」とそれ以外の間に垣根を作り100年近く特権化し保護してきた結果が、この体たらくだ。もういいだろう。もうやめよう。
幸いなことに、「純文学」の垣根に守られず、「読者」という名の狼たちと、荒野で100年戦いつづけたたくましい文学者たちが、日本にはたくさんいる。風俗小説家、歴史小説家、ノンフィクションライター、SF作家、伝記作家、エログロ、哲学者、詩人・歌人や俳人ももちろん文学者なのだからコピーライターもまたしかり、だ。「文壇の著名人」から「増田の名もない書き手」まで…彼らの豊富な仕事に目を向け、再評価すべき時が来たということだろう。そして文学「研究」もまた、野に放たれるべき時が近づいているのだろう。
地元の俳句サークルか何かの推薦句一句が載らなかった、掲載を拒否されたと報じられた。
俳句を知らない人が見ても、たぶん良い句とはお世辞にも言えないだろう。
そんな句を一句だけの枠に掲載したら、嫌でも公民館の月報に党派色が出てしまう。
なぜそんな凡作を、一句のみ掲載の枠へその自称サークルが推薦したのか。
「梅雨空に『九条変えよ』の女性デモ」だったら、果たして同サークルの人々は推薦したのか。
俳句を巡る界隈に存在していることはどうやら間違いないらしい。
東京新聞:終戦記念日対談 金子兜太×いとうせいこう:特集・連載(TOKYO Web)
金子兜太先生はサークルがオルグ用の団体である可能性を考えもなさらずに
週刊俳句も、過去記事をちょくちょく読ませてもらっているが、その記事の中から。
週刊俳句 Haiku Weekly: 金原まさ子さん103歳お誕生会
別に金原氏は左派でも何でもない。問題は、聞き手の週刊俳句の中の人々の一部。
「原発、動かさせない、戦争に向かわせないためには、すこしでも、勝てそうなほうへ入れる、となりますか。」
「戦争を起こすぞ、どこそこへ攻め入るぞ」という事を、誰か言っているだろうか。誰も言ってやしない。
原発をどうするという話はこちら日本の政権が行う話だから、それを考えて投票するのはまだ解る。
だが、戦争に向かわせないというのは話が違う。今現在の日本周辺の事情を見て、
日本の側が他国に戦争を起こすか、また日本が中国などの他国から戦争を仕掛けられるか、
まともな知識と判断力を持つ人間なら、どちらがあり得ると思うだろうか。
日本だけでどうにかなる話と、日本だけではどうにもならぬ話を並列で書くことが理解できない。
俳句に関して知見あるはずの人々の中に、国際関係のニュースすらまともに判断できず
日本悪玉論に固執し続けてる人がまだいるのは嘆かわしい限り。
だが何より痛々しいのは、右派的な事柄を発言する俳人が見当たらないということ。
これが短歌なら「正論」に連載を持つ福島泰樹氏がいらっしゃるのだが、
自分が知らんだけで実はちゃんといるのだろうか?
【匠接頭辞表】【匠接尾語表】
111:1/25の 11*:【小要素表】の 1**:【小要素表】と【小要素表】の 22*:【空間要素表】の 23*:【住要素表】の 244:【小要素表】の心の 245:コントラストの 246:アップテンポの 255:断面構造の 256:バリアフリーの 266:吹き抜ける風の 333:京町家の 334:体感面積の 335:間仕切りの 336:多機能の 344:寛ぎの 345:機能美の 346:境界線の 355:潤いの 356:自然素材の 366:温もりの 444:廃材の/健康庭園の/花と木の 445:夢の館の 446:森の木の 455:【好きな形容詞】機能の 456:迷宮の 466:節約【初期獲得スキル】の 555:【1d6-1】次元の 556:【王国名の通称】建築に魅せられた 566:【王国の特産品(無ければ【相場表】)】使いの 666:【今現在現地時刻で午前0時台の好きな都市名/地域名】の
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1:視覚 2:聴覚 3:触覚 4:味覚 5:嗅覚 6:五覚
111:親子/層造者 112:ストーリーテラー/語部 113:アルピニスト/フリークライマー 114:主治医/救命士/セラピスト 115:栄養士/整備士/療養士 116:若き志士/風雲児/野心家 122:未来予報士 123:アーティスト/芸術家 124:パティシエ/ソムリエ 125:奇才/天才 126:開拓者/開拓師 133:継承者 134:伝導師/説法師 135:時代考証人 136:造形師 144:融合者 145:仕事人 146:リベラリスト/自由主義者 155:保証人 156:伝承者 166:細工師 222:ヘルストレーナー 223:スペシャリスト 224:操縦士 225:発明家 226:旅人 233:詩人/俳人 234:魔術師/錬金術師 235:探求者/探検家/探訪者 236:印象派 244:ライフプランナー 245:エンターティナー/演出家 246:アテンダント/アナリスト/ナビゲーター 255:調律師/ハーモニスト 256:請負人/代弁者 266:調光師/調合師 333:赤ひげ先生 334:エコガイド/エコロジスト 335:アスリート 336:マエストロ 344:改革者/革命家 345:交渉人 346:仕掛け人 355:智将/戦略家 356:【(何も付けない)/動線/生活】【仕立屋/仕立人】 366:奏者 444:熱血講談師 445:粋人 446:解放者 455:渡し人 456:迷宮【匠接尾語表】 466:【好きなカタカナ語】アーティスト 555:スタイリスト/療法士/ソムリエ 556:空間【匠接尾語表】 566:カリスマ【クラス名】【ジョブ名/ジョブ名の英語表記をカタカナ化】 666:ランドメイカー
<向いている性格>
<リアル編>
※これががはてなーの最低条件です。
<鍛練編>
<日々の行動(リアル編)>
<日々の行動(ウェブ編)>
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【参照URL】
はてなーになる方法を教えてください。 具体的には、ブクマ数を稼ぐエントリをたまに書いたりしてちょっとだけはてなの有名人になり、その他の有名人の方々と交流し親睦を.. - 人力検索はてな
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名前も所属もはじめっからオープンにしておくと、あとからダメージをくらう可能性を低めることができるというすばらしい戦略。
池田信夫はあの歳になっても知識欲も旺盛だし、精力的なほうだろう。実際NHKの職を辞めるぐらいだから、単なる口だけの男なのかもしれない。だけど、知識の吸収の仕方と使い方がなんか微妙にずれている。豆腐をのこぎりで切っているような、なにか知識だけをぶんぶん振り回しているだけで、体がついていっていないかんじ。たぶん体も動かしたところでは、ちゃんとした体裁になっているので、やはりそこは人としての限界なのだろうという気はする。けど全体から見れば、まあ稀有な部類に入るよ。というのか、ネットイナゴにかまってやろうとする若さがいいね(笑)福田首相みたいに綺麗な枯れ方をしていないところがまた俳人としていい。