はてなキーワード: 仕業とは
今年に入ってからずっと体調が悪くて、とにかく性欲がない。どこかに消え去ったかのようだ。
性欲に限らず食欲も娯楽欲もなく、毎日眠っていたい欲望しかない。
こうなると日課だったPornhub他の巡回や、5chの該当スレの巡回をまったくしてない。
はてな匿名ダイアリーが顕著だが、エロネタをまったく読まない。
Twitterの胸を強調ネタなど、賛成も反対もスルーしている。
味気がないと思うべきだが、そう思うことも性欲の仕業ということに気がついた。
クリーンな日々とはいえるが、それに対しての優越感を持つわけでもない。ただ興味のない記事が世の中に多いなということに気がついた。
東出昌大の不倫報道なども性欲が推進力によって動いているんだなと思う。小倉智昭の「こんなニュースどうでもいいけど世の中の性欲にあふれるやつらが興味あるからしょうがなくやってやる」というスタンスがわかった気がした。錯覚の可能性もある。
体調がよくなるとまた性欲が戻ってくるのかよくわからない。このままでもそんな困らないし、困るなとも思う。体調は戻ってほしい。毎日だるすぎる。
あ、唯一、「異種族レビュワーズ」はおもしろかった。ギャグとしておもしろい。
セックスに振り回されている人々は滑稽だ。
2週間ほどあまりにも忙しく、もう数日続きそうだからこの土日は休出せずにみんなガッツリ休もうってことになって帰宅した深夜1時。気まぐれなヤツなんで様子見だなと思って家を出た今朝と同じ姿で、ハリネズミはベタッと四つん這いになっていた。カリカリに口をつけた様子はない。抱えあげてもたいして体を動かそうとせず、ペットシーツにどす黒い下血の跡を見つけた。特段痛がっている様子はないけれど息の仕方が明らかに弱々しく、朝イチで病院に行こうなって話しかけて寝ることにした。起きたら何事もなかったかのようにフガフガ言いながらカリカリを食べていそうで、でももしかしたらといろいろ想像ばかりして寝付けない。
少し酒を飲んでふと目が覚めたら8時。そうだ、アイツの具合はどうか、慌てて覗くと、背中が上下に動いていない。呼吸をしていないのがわかった。抱き上げると足が少しだけ垂れるだけ、何より暖かくなかった。どうにかなるわけでもないがとにかく病院に連れて行こうと思うものの、病院が開くまでまだ1時間あった。どう過ごしたか覚えていないが割と冷静だった。
ヤツを車に置いて動物病院の受付で「鼻炎はその後どうですか?」と言われ、小さな声で「それが亡くなったっぽいんです」と伝えるとすぐに連れてきてほしいと囁かれた。ヤツを預けた数分後初めて呼ばれる別室に通される。「残念ですが」と切り出された途端にこみ上げてきたものを大きく息を吸いこんで止めた。「お亡くなりになりました」という言葉をはっきり聞き取った瞬間にこらえる間もなく涙が溢れ出した。頭ではわかっていても獣医さんに、いや自分以外の誰でもいい、「死んだんだよ」と言ってもらうことで、ありもしない僅かな可能性がやはり全く無いことを納得したかったんだと思った。やっぱり死んだんだ、それ以外の事実がないことを飲み込んで、溢れる涙と引き換えに少し安堵した。
年末にエコー検査までして異常がなかったので、開腹しても死因が分かる可能性は低いという。この歳ですから天寿を全うしたとお考えになるのがいいですよと言われた。もちろんヤツのお腹に刃を入れるなんて考えられなかった。
いい歳した男が、なにかしゃべると言葉のかわりにまた涙が出てきそうになるのを必死にこらえながら、何とかお礼を伝えた。
受付で診察料はかからないと言われた。そういうものなのか。こういう時はどうお弔いするのがいいのかと訊くと、人に寄りますが、と受付台の裏からペット霊園併設のお寺のパンフレットを出してきてくれた。
小さなキャリーケースを助手席に乗せて、土曜日の空いた目黒通りを、やつの名前を大声で叫びながら家路に走らせた。運転席で一人になったときから止めどなく出てくる涙を拭きもせず、嗚咽を漏らしながら泣きじゃくった。TOKYO-FMから流れる曲の初めて聴く歌声が妙に心地よく、その野太いハスキーな声を聴きながら、もうこらえずに泣けるだけ泣こうと思った。
病気一つしないヤツだった。それが年末に鼻をプープー鳴らしだし、その鼻ピーがまたかわいくて、その動画を見せては何人もを笑顔にした。結局はただの鼻炎で薬ですぐ治ったのだが、当院でもあまり例がないくらいの長寿ですよと言われたときは、次の冬も迎えられるかな、としか考えなかった。
帰宅してお尻にこびりついた汚物や滲み出した体液をウェットティッシュで恐る恐る拭き取ってあげた。こんなことしたら嫌がって針を立てていたのに、四つん這いの姿勢のまま、もう体は硬くなり始めていた。暖かさのないヤツの体を触るのは少し怖く、でももうすぐ触れなくなるのは寂しく、ごめんなごめんなと言いながらウェットティッシュを何度も撫でつけた。お腹側はモフモフで、でもその奥のふにゃふにゃだった肉に柔らかさはなかった。針の方も毛並みに沿って目一杯撫でてあげた。
呆然としているとすぐに時間が過ぎた。まだやるべきことが残っていると我に返った。何を買ったときのものだろうか、ちょうどよい大きさの青い化粧箱を見つけた。いつものペットシーツを折りたたんで敷き、少し背中の針が当たるけどそっと蓋をかぶせた。小さな紙箱を助手席に乗せ、お寺で線香をあげ、一週間後の火葬を予約した。自宅では冷蔵庫に入れなくてはならないのが忍びなく、お寺の霊安室で預かってもらうことにした。仕切りの隣には大きな犬の背中に手を当てて「もうキリがないからいこうか」と言いながら立ち上がる様子のない老夫婦がいた。
日が暮れてヤツの気配のない家が耐えられなくて、ヤツを思い出す以外の時間が少しでも欲しくて、何かいつも通りのことをしようと映画館に出かけた。楽しみにしていた「ファーストマン」を観たが何も入ってこなかったし、疲れていたのか少し寝た。
心配だからと車を出してくれた友人と、近所の飲み屋で小さな骨壷をテーブルにのせて献杯した。
たまにしかあげなかった、ヤツの大好物だったセブンイレブンのゆで卵をまるごとひとつ火葬の引出しに一緒に入れたのだが、殻を剥き忘れたせいで大爆発して骨と殻がごちゃまぜの骨上げだった。アイツ最後の最後にビックリしただろなーと大笑いした。
そして悲しいけど、悲しいというより「ありがとう」だなと話した。今は寂しくて辛いけど、でも4年半一緒にいてくれた幸せのほうが勝る。ヤツがいなかった人生よりも、いてくれた人生のあれやこれやのほうが確実に良かった。俺の人生に現れてくれて、ありがとうしかないなと。
FMの曲は「T字路s」という二人組だと後で知った。あの日聴いた曲は配信に見当たらず、数年ぶりにCDを買った。
人から聞いてはいたもののペットロスがこんなにも大変なものかという数週間があって、人から聞いていた通り時間がなんとなくそれなりに癒やしてくれた。春になって、それでもヤツの寝床も、ヤツのカリカリのストックも、ヤツのキャリーも、そのままの場所にあった。
夏になってやっぱ二代目を迎えるか、みたいな話になって、秋になってやっぱ猫にするかって話が出てきて、冬になって猫が来た。
いずれまた辛い思いをするのはわかっているけれど、いてくれている時間の幸せのほうがそれに勝るのもまた、知っているから。
そろそろ命日が近い。
ヤツのカリカリは捨てた。
当たり前にそこにあったから気にならなかったヤツのキャリーと寝床も捨てようと思う。
骨壷の紐の先がほどけていた。猫の仕業だ。
猫を振り返ってまた少し笑う。
端的に言えばオタク界隈の抱える問題の大半はオタク界隈の内側にある。
オタク産業の現場がブラックであったりパワハラが横行するのはフェミの仕業か?
やりがい搾取で現場にまで金が回らずに倒産したりするのはフェミのせいか?
オタク界隈の人間がたびたび問題発言して炎上するのもみんなフェミが悪いのか?
権力を手にしたオタクがコンテンツを私物化し場を崩壊させる。これもフェミの暗躍か?
課金中毒が社会問題化しているのも実は裏でフェミが手を引いているのか?
品薄商法だったり転売といったオタク界隈の問題も実はフェミが黒幕だったりするのか?
いいことがあったら「オタクの手柄」。悪いことがあったら「オタクの仕業じゃない」。
そんな言い分が通るだろうか?いや、通らない。どうしてこうなったか?
20~30年前のオタクには単に博識な人をもオタクとカウントしてその名声にフリーライドしたい欲があった。
その欲がオタクの定義を内側から崩壊させ、引き込んではならないものまで引き込んでしまった。
オタクサイドはこうした現状を恥じ入るどころか「若年層にはオタクが一般化した」などと表現し悦に入る始末だ。
かつてはオタク、ファン、マニア、エンスー、フリーク、ギーク、ナードなど様々な言葉の棲み分けができていた。
それを、なんでもかんでもオタクとして取り込んだ結果、自壊しただけだろう。
バーチャルYouTuberにアイドル部というグループがある。株式会社アップランドの運営する.LIVEというタレント事務所のユニットだ。
ここに12名のVTuberが所属していて、先日1名が活動休止、2名が契約解除となった。
きっかけは契約解除されたタレントの1人が、運営方針を巡って直談判したことをYouTubeの配信で語ったことだった。
このタレントは配信中に運営に許可を貰ったこと、同僚の11人のタレントには相談せずに配信を行ったことを語った。
これ以降、このタレントは配信もTwitter投稿もないまま、契約解除された。
次に残留タレントのうち2名が、先の配信に対するアンサー配信を実施した(日は別)
ここでタレント間の人間不信、関係の悪化が視聴者へはじめて視覚化された。
元々12人は同じ学園に所属するという形であり、仲良しである前提で設計された仕組みのため、一瞬で破綻した。
続けて昨日深夜、残留タレント9名のうち、6名からnote等の文書投稿サイトでお手紙が発表された。
ほぼ同時刻帯であり、内容をかいつまむと騒動で迷惑をかけていることの謝罪(全員)、運営方針への恭順(1名除く5名)、契約解除タレントへの批判(若干名 編注:ニュアンスが読みきれないため)だった。
(編注:私見が混じって申し訳ないが、内容はまるで異なるが、立ち位置としてはタレントから運営への反省文にように見えた)
ここまでの配信や手紙発表の中で度々出てきた話題として、「情報漏えい」がある。
何が漏れたのか、誰がやったのか、どう影響があったかなどは表に出なかったが、何度か出てきている。
残留組の言い分では、契約解除タレントの仕業であるような匂わせを行っていたが、前述の通り不明である。
ちなみに視聴者の心当たりとしては、5chや鳴神裁(本記事ではバーチャル週間文春のようなものと認識してもらえばよい)にアイドル部員のチャットログが画像形式で晒されていたものがある。
この画像には大多数が懐疑的であり、鳴神裁は発信者を伏せていたこともあり、偽物扱いされていた。
そして最後、アイドル部公式的な発表を出し切った後に、契約解除タレントが「リークは辞めてほしかった」の旨を発表した。
ここで残留組と明確な事実相違が発生した。と同時に両方目線でリークの存在が確定した。
鳴神裁は「(リークが本物って証明されたし)明日は祝勝会だ!」とのんきに沸き上がっている。
明日は決戦の日だ。
残留チームは契約解除タレントに全ての責任を負わせる形で騒動の幕引きを図った。
鳴神裁の握るリーク文書が開示され、内容と誰からのものなのかが明確になれば、契約解除タレントの名誉は回復されるかもしれない。
もしかしたら全てはありのままで、残留チームの正しさが証明されるのかもしれない。
現時点でアイドル部のYouTubeチャンネル登録者数は全盛期より軒並み4%前後低下しており、今も下げ止まりは見えない。
いまアイドル部の命運を握っているのは、あろうことか鳴神裁である。
パンドラの箱を開くか、椅子にして祝勝会をするかは未だわからない。
箱を開けるべきなのか、閉じたままにしておくのが正解か、誰にもわからない。
退職したタレントに義理立てするものが様子を伺うだろうことはわかる。
まあそもそもとして、鳴神裁のフカシの可能性だってある。むしろその方がこの泥のような事件にとっては唯一の清涼剤と笑えるだろう。
(追記)
Twitter不毛すぎんか〜〜〜〜! と思って何か書こうとしたが、調べてみるとこんな良記事(https://blogos.com/article/413806/)があった。これを読め! 解散!
しかし他にいくつか思うことがあるので書く。
一に、この議論に関わらず、何と戦っているのか不明な人が多すぎるので議論の種類について整理してみたい。おおよそSNSやブログで議論/主張を行うときの目的は僕には三つくらい考えられる。1.問題を周知/提起すること・2.相手の意見を変えること・3.相手に社会的制裁を加えること、だ(いま考えただけなので他にあってもおかしくないが)。「献血のポスターが女性を性的に消費しているぞ!」というのは主に1.である。今まで問題とされていなかったことを取り上げて、これはおかしいぞ、みんな見てくれ、というわけだ。それに対して個人的に「いやその論はこれこれの部分が間違っているようだからポスターは置いても構わないんじゃないですか」というのが2.である。考え直してください、ということ。最後に「これこれの部分が間違っているからこいつはバカだ。バーカ」というのが3.で、ポスターを置くことの是非はもはや二の次、相手を排除することを主眼に置く手合い。相手のアカウントが凍結されるとか、相手が恥をかくとかそういうことを願っている。
1.と2.をはっきり区別しておきたいのだが、同じ主張であっても最終的に何らかの問題解決を目標とする場合は1.、議論自体を目的とするものを2.と(ここでは)定める。例えば、フォロワー数の少ない二人がお互いに意見を戦わせて二人なりの結論を得るのは後者。有名人同士が引用ツイートで以ってお互いの主張を戦わせ、結論には至らないまでもそれぞれのフォロワーにアピールするというのが前者だ。もちろんグラデーションは存在する。
また、2.と3.も実は区別が難しい。2.の人も、相手との対話を諦めた時点で3.になりうる。あるいは、罵詈雑言を投げながら、当の本人としては「相手に改心して欲しかった」などと2.のつもりでいる人もあると思う。これもグラデーションで考えるのが良い。1.と3.も同じ。
二に、議論をする際には目的を明確に意識すべきと言いたい。概ね文字というのは対面に比べて趣旨も気遣いも汲み取りにくい。緻密なコミュニケーションは望めないのだから、目的外のところに関しては互いに譲歩すべきである。例えば、「献血のポスターが女性を性的に消費しているぞ!」という主張と「ポスターを規制するのは表現の自由の侵害だ」という主張をお互いに問題提起として戦わせるときには、前者にあっては「宇崎ちゃんのポスターを公の場から取り除くべきである」後者にあっては「宇崎ちゃんのポスターを規制するという事態を避けるべきである」という問題を周知するのが第一義だと考えられるので、それ以外の主張の些事に関しては無視するか、好意的に解釈するか、あるいは互いを気遣いながら齟齬を埋めるのがよい。「論点をずらした」などと言って人格攻撃をするのは最悪手である。論点をずらすのはもとよりよくない。しかしその論点はそれとして別に議論すべき大切なものかもしれないし、相手には同じ論点だと見えているのかもしれない。意見が違うからと言って、そのような点で攻撃するのは礼のないことだ。「論点がずれているかどうか」などと言う最もどうでもいい議論に目的を失することのないようにするためにも、相手が論点をずらしたと思うようなときにこそ丁寧に接するべきである。さらに言えば、相手が無礼であるときに激昂するのもやめるべきだ。誰が得をするだろうか。
三に、あまり論理的に複雑なことを言うのもよくない。主張のぶつかるのは感情的な原因によることが多く、それがゆえに是非を問いにくいことも多い。是非を問いにくいので、論理的な正しさで決着をつけようとする。しかし、多くの主張にはどうとでも理屈をつけることができるのだ。なるべく大元の感情から離れぬ方が、また自分の主張が感情から生まれていることに自覚的な方が良い。例えば道路で立ち小便をする人間は不快である。彼を批判しようというときに、それが軽犯罪法に抵触するなどと言うことができる。法律があるからにはそれが成立する法学理論的基礎があるはずである。また、社会の秩序を守る上で立ち小便の位置を論じた統計的資料があるかもしれない。しかし、それらはどうしてもその論点で戦わざるを得なくなる場合以外武器とするべきでない。立ち小便が不快であるという一事から離れずともこと済むからである。だいたい、ルールと言うものはより多数の人間が良い気持ちで生きることのできるようにと作られることが多いのに、個人的感情を論理に劣ったつまらないことのように扱うのは解せないことだ。
もちろん、全く理屈を使わず議論することはできず、そんなことをすれば子供の喧嘩である。ここで言いたいのは、Aという理屈、Bという理屈を戦わせているときに、Aの些細な欠点を発展させて別の論理的戦場を作るようなことをなるべく避けるべきだということだ。立ち小便は法に触れると言った時に法治国家の是非を問う類のもの。
だいたい、論理が複雑になれば間違う箇所も増え、それが本来の主張の欠点のように見えてしまう。益のないことだ。
四に、我々はそろそろ相手のことを思いやるということを覚えるべきである。これは特に、相手の意見を変えようと思って議論する際に必要である。世に問題を提起しようとするときは、なるべくフォロワーの感情に訴えるべく強い言葉を使うことが多い。これは喜ばしくはないがある程度仕方ないことである。一方、個人的議論において強い言葉を使う必要は皆無と言っていい。主張が対立するとき、その双方が「自分は被害者であり、相手は加害者である」と思っていることは多い。宇崎問題でも「女性の権利が侵害されている」と思う人と「表現規制がなされようとしている」という人が対立する図をよく見る。被害者Aは毅然と加害者Bに立ち向かう。これを逆から見るとBは被害者であるにも関わらずAから無闇に攻撃されていると感じる。Bはさらに頑なになる。「あなたは議論のできない人なんですね」「あなたこそ話のわからない人ですね、さようなら」などという風景は見飽きてしまった。
何かを伝えたいがためにわざわざ議論を始めたはずである。努力の無駄ではつまらない。なんとか議論を成立させようというという意志をもう少し堅固に持ちたいものだ。
議論をする上は、いくら自分が被害者のように思われようと、相手に心理的負担を与えている。相手も被害者なのだという認識を持っても良いと思う。相手は怯えた獣なのだ、まずは相手の理屈を受け入れ、主張を聞いてやってもよかろう。主張を聞いて、「聞いてやったがここがおかしいだろう」という態度も問題である。こういう理解をしましたがあっていますか、私はこう考えるのですがあなたはどうですか、という謙虚さを常に持つべきだ。これは、相手がたとえ似非科学や陰謀論や人種差別といった是非もなく間違いであるように思われる主張をしている場合にもそうだ。そんな思想信条を持とうと相手は人間であり、どんな思想信条であろうと批判されるのは不快に決まっている。
なお蛇足ながら、冒頭に挙げたブログはかなり中立的に論点を示していて素晴らしいのだが、やや「フェミ」を攻撃者、「オタク」を被攻撃者と捉えているきらいがある。「フェミ」の攻撃性(のように感じられる部分、すなわち規制しろ! という主張)は根本において女性の権利が侵害されていて守らなければいけないという価値観から出たものである。さらに言えば、「フェミニスト」として一貫性のある活動をしている人々(つまり、具体的に何を規制しどんな社会改革があればいいのかに関して基準がある人)もいる一方で、単に「女性は社会の中で立場が弱くて/損をすることが多いからそれを変えたいな」くらいの感覚でフェミニストに同調している男女も少なくないように思う。前者に比べて後者はさらに攻撃に対して敏感であろうと思う。攻撃の理由に関して無知だからだ。また、立場が曖昧であること自体を批判するのは間違っている。誰でも自分の/自分に近しい人の権利は守りたいからだ。
それを考慮せずに、初めから「あなた達の攻撃は...」というとなかなか議論がかみ合わないだろう。「あなた方はこれを守りたいんですね、我々はこれを守りたいんです、利害が対立している部分を明確にしていきましょう」という立場でなけれななかなか建設的にならないのではないだろうか。
特に、一部の「オタク」は「フェミ」を十把一絡げに罵詈雑言を浴びせるし、それが被害者意識を生む。同様に、一部の「フェミ」は「オタク」(時には「男性」)を十把一絡げにして罵詈雑言を浴びせる。真面目に議論をしようとしているあらゆる立場の人に迷惑なことだ。
五に、もちろん相手が議論するに足るかどうかは別の問題である。議論すべきでないと感じた場合は直ちに議論をやめ、可能ならブロックするのが良い。ブロックするのが負けのように感じるのは愚かな感覚だ。また、ブロックした後に相手の発言を覗きにいっていちいちスクリーンショットで揚げ足をとるような行為も君子の仕業ではない。そのような卑劣な行為をするくらいならきちんと自分の心理的安全性を犠牲にしてでも相手と対等な議論を行うべきである。相手に社会的制裁を加えようとする行為は言うまでもない。
六に、この文書はSNSなどでの議論に特殊の意見であった。ディベートや日常での議論についても適用されるとは必ずしも考えない。むしろ、ディベートや日常での議論の延長線上でSNSでの議論があるような感覚の人が多いのでこのような惨状があるように思う。短い文面での主張は言い足りないことが多く、普段耳にする意見に比べて拙く見えることがある。しかしそれはコミュニケーションの不備であり、相手の不備ではない。自分の意見を相手が理解できないように感じるのも同じ。普段の十倍、百倍に相手への思いやりと好意的な解釈を必要とする。
まずいらじについての説明
いらじとは (イラジとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
要約すると実力不足のわりに自己評価だけは異常に高く、無知故の的外れだったり不謹慎な発言でヘイトを稼いでしまうトレパクおじさん。
ちなみに名前の由来は「地雷」のアナグラム。触るだけ怪我するってこと。
そのいらじがかつてtwitterで使っていたアカウント名「桜あかり」と同じ名前を使って暴れているAlice Sakura(桜ありす)@ePhonix899E
桜ありすが自分のツイートをセルフまとめしたtogetterの一部。棘では削除済みなのではてブで。
なぜ献血ポスターが批判されてるかわからないオタクへ。 (こんな見え見えの釣り針でも200ブクマ付けばそりゃ調子に乗るわ)
1000万人の女性を救済するには、オタク100万が消えなければいけないという話。
環境型セクハラがなぜ世間から支持されてるのかわからないオタクへ
オタクに対する暴言は「差別」には当たらないという話。 - Togetter
オタクに対する暴言は「差別」には当たらないという話。(増田なので本人かどうか分からないが名乗っているので)
現在は削除されているが京アニ放火事件の時は「放火されて当然」「オタクへの天罰」といった被害者を侮辱する発言をしている。まあ、いらじ本人も似たようなことを言っているんだけど…。
また過去にはいらじの本名を騙ってはてなブログを開設した時期もあった。DMCAを悪用したアカ凍結の方法を紹介した所、自分が凍結されるという醜態を見せてくれる。
これが原因かどうか知らないが、はてなが仕事をしてブログはBANされる。
BAN後場所を変えて懲りずにブログを作る。フォートナイト、スプラトゥーン、PUBG、若者を洗脳する戦争ゲームという記事は217のブクマが付き大漁だった。ゲームニュース系サイトから反論が出たり、まとめブログにも炎上という形で伝わりほくほくだろう。
他にnoteやtwitterに「笛木ひろふみ」「笛木浩史」名義のアカウントを見つけた。笛木ひろふみはいらじの本名。内容自体は他と被るし見る価値もないので省略。
これがいらじの名前を騙って本人へのヘイトを加速させたい粘着アンチの仕業なのか、ただ単にオタク嫌いなのか、注目を集めて承認欲求を満たしたい自分を釣り名人だと思っている異常者なのか、そもそも彼らは同一人物なのか、実はいらじ本人なのかは分かりませんが、
構うと喜ばせるだけなので見かけてもスルーし黙って通報してください。
例え「釣りだと分かったうえでの反論」も「釣りを指摘するコメント」も喜ばせるだけです。
はてな→明らかなスパムや複垢によるセルクマは規約違反でBAN対象。ただかつての低能先生やバカボットを見れば分かるように捨て垢でやりたい放題なので地道に通報するしかない。
togetter→桜ありすのセルフまとめは削除済み。恣意的なまとめやコメントデザインを続けると段階的に強制非公開→強制削除→まとめ制限→ログイン禁止→BANとされるらしい。
twitter→過去のアカウントは凍結されたらしいがすぐ復活できるからあまり意味が無い。それでも黙って通報するしかない。