いいことがあったら「オタクの手柄」。悪いことがあったら「オタクの仕業じゃない」。
そんな言い分が通るだろうか?いや、通らない。どうしてこうなったか?
20~30年前のオタクには単に博識な人をもオタクとカウントしてその名声にフリーライドしたい欲があった。
その欲がオタクの定義を内側から崩壊させ、引き込んではならないものまで引き込んでしまった。
オタクサイドはこうした現状を恥じ入るどころか「若年層にはオタクが一般化した」などと表現し悦に入る始末だ。
かつてはオタク、ファン、マニア、エンスー、フリーク、ギーク、ナードなど様々な言葉の棲み分けができていた。
それを、なんでもかんでもオタクとして取り込んだ結果、自壊しただけだろう。