はてなキーワード: ラッキーとは
今年の四月に父が介護施設で亡くなった。八十七歳だった。
百箇日法要を先日済ませた。あれからもう百日も経過したのだ。だが、まだ実感がわかない。父が死んだという事実を認めたくない。受け入れたくない。受け入れられない。
とても頑固な父親だった。父より頑固な人を僕は知らない。しかも、思いやりが欠如した人間だった。しかも、ひとの言うことを全くきかない。毎日、毎日が苦痛だった。毎日が戦争のような生活だった。どうしてこんな人の息子に生まれてしまったのだろうか・・・。早く死ねばいいのに・・・。一日も早く父のいない世界でのびのびと暮らしたい。毎日、そんなことばかり考えていた。
僕を悩ませていたのは父だけではない。認知症の母親も同居していて面倒を自分ひとりでみていたのだ。認知症のため毎日母は失敗する。その母の失敗に対して執拗に攻撃する父。今にも殴りかからんばかりの勢いで・・・。そんな父から母を守ってやらなければならないし、酷い認知症のためトイレや風呂や着替えや見守りなど気が抜けない毎日だった。
父が風呂場で熱中症のような症状になり、救急車を呼んだ時はもう限界だった。
「ごめん、もう面倒見切れないから施設に入って!」絶対に言わないつもりの台詞が口から出てしまっていた。死ぬまで家で自分が面倒をみるつもりで頑張ってきたから。
数日後、父の方から施設に行くと言い出したので、話が急展開した。直ぐに近くの有料老人ホームに入れるように手配した。母共々。万歳!
しかし、喜んだのもつかの間、二週間後、家に帰ると言って聞かず、一晩中暴れたためレッドカード。その老人ホームにいることはできなくなり、しかたなく自宅に戻すことになった。天国からまた地獄に逆戻り。やれやれ・・・。
念願の自宅に戻れて安堵したかに思えたが、翌朝起きるなり、また暴れだした。
「お母さん(妻)がいない!今直ぐに連れ戻せ!」わめき散らして手が付けられない。もうギブアップ。助けて!
姉の家に逃げ込み事情を説明して対策を考えた。とりあえず精神科受診が結論だった。運悪く土曜の午後だったのでなかなか受け入れてくれる病院が見つからなかったが、なんとか電話で探し出した。遠方だったがしかたがない。
必死で暴れて抵抗する父親を姉夫婦と自分で車に引きずり込んで、一時間以上かかってやっとクリニックに着いた。
「この薬を飲ませてください。」その精神科医は言った。
すんなりと飲んでくれたらいいのだが、頑として飲まないのは分かり切っている。飲まなければ暴れる。今夜は寝れない。もしかしたら包丁で刺されるかもしれない。以前、姉が実際刺されたことがあるから。
このクリニックには入院施設はない。しかし、父とふたりで家に帰る勇気はなかった。
そして、出した結論が精神病院への強制入院だった。強制入院をさせるためには警察を出動させた方が良いということだったので、クリニックから警察へ電話していただき、パトカー先導で精神病院へ強制入院となった。父は命がけで抵抗した。
それから父は大人しくなった。別人みたいに。薬の力は凄いのだ。しばらく安堵の日々が続いた。三日に一度洗濯物を取りに面会に行った。
父の異変に気付いたのはそれから一ヶ月くらいしてからだった。大人しくなったと言うより明らかに弱って来ていた。それに足の甲のあたりが不自然に腫れていた。看護婦さんに聞いても寝たら足の腫れは小さくなるということだったが、そんなことはなかった。面会の度に足をもんでやったが、腫れが小さくなることはなかった。この病院に不信感を抱くようになったので、転院先を探したが空きがなかった。とりあえず予約だけはしておいた。
空きが出たのは三ヶ月くらいしてからだった。30人待ちのはずがどういう訳か空きが出た。その施設は精神科病棟付属の介護施設だったので安心していた。ラッキーだと思った。その時は・・・。
その精神科病棟付属の介護施設に転院する時、父は目も開かないくらいに弱っていた。でも、その施設で療養すれば次第に回復するだろうと思っていた。
安堵するのも束の間、始めは介助すれば歩ける状態だったが、直ぐに車椅子になった。食事もお粥になって、目もつぶっていることが多くなっていた。なんかおかしい。回復するどころか明らかに悪化しているではないか。しかも、食事は当然介助が必要であるにも関わらず放置されていた。そんなこととは知らなかったので、慌てて僕が介助して食べさせた。
その介護施設の介護サービス計画書には、こういうふうにこんな良いことをします的なことを丁寧にすらすら記載されていたが、全くそんなことはしてもらっていなかった。読んで反吐が出た。
医師に説明を求めた。施設の担当の内科医だった。内科的には特に問題はないが、精神科の薬の量が年齢的、身体的に4倍から8倍の量を投与されているので、多すぎるのではないかということだった。初めて知った。前の病院でも、この施設でもなんの説明もなかった。
父が弱った原因はこれだと思った。直ぐに量を減らすよう頼んだ。直ぐに減らすことは出来ないので徐々に減らしていくというのが答えだった。この施設に来てからもう三週間以上経過しているではないか。いつから減らすのか?遅過ぎはしないか?
心配だったのでその日に担当の精神科医に会って話を聞きに行ったが、来週しか会えないということだった。
その翌朝、未明に父は死んだ。これから薬を減らしていこうという時に。
あまりにも呆気ない死だった。納得できない死に方だった。
だから、まだ実感がわかない。父が死んだという事実を認めたくない。受け入れたくない。受け入れられない。
そして、自分が選択した強制入院について、それが正しい選択だったのかどうか・・・。
ゴメンな!父ちゃん!
wikipediaのおかげで長年の疑問が解けた気がする。
思いつくままに書いたので、ちょっとひどい文章です。
何か殺人事件のような凶悪な事件があったとき、テレビでコメンテーターなんかが自分勝手だどうだと言い立てるのに、疑問を感じていた。
もちろん、そのような事件に怒りを覚えるが、その犯人の生い立ちや環境に向かい、当然偏光報道の小さな情報しかないから、わからず、ただ怒りを覚えるだけだった。
もし殺人を犯した本人として、同じ遺伝子で、同じ親から生まれ、まったく同じ環境で生まれ育ったら、必ずその凶悪犯罪を犯すことになる。
俺は違うというのは成り立たない。意思で何とかするというのも成り立たない。その人として生まれ、まったく同じ経験をしていけば、同じ精神構造になり、同じ行動を起こす。
正常な人たち、というか、大多数のメジャーグループが少数派の異常なものを殺す。
ラッキーにも普通の家に普通に生まれ、普通に成長し普通に生活しているものの群れが、不幸にも異常な家か異常にか、異常な環境で成長したものが異常な行動を起こした1人の者を殺す。
国・社会というシステムを正常運転するために、見せしめであって、それが死刑か終身刑かというプロセスであって、
これに自分勝手だどうだと感情を入れ出した瞬間、プロセスから殺人に変わるんじゃないかと疑問に思っていた。しかもたちの悪い大義名分を持った正義と言い張る集団殺人。
それとも、見せしめを自認して、見せしめ効果を拡大させるのがコメンテーターの仕事なのだろうか?
昔、殺人などの凶悪犯罪への処罰、特に死刑について考えたとき、そういった人だけの世界を作って別々に生活できれば、それが理想じゃないかと考えた。
普通な人は普通な世界で、普通な人から見た異常な人(少数派な人)は異常な世界で。
(文章が長くなるので、以降あえて異常という言葉を使う)
刑務所はそういう場所のようにも見えるけど、普通な人が管理・支配し罰を与える狭い場所だからちょっと違う。
実際には犯罪の凶悪性、タイプも違うから、というか他にも多々問題ありそうだから、不可能だけれども。
と昔そんなことを考えてたんだけれども、ふとさっき刑罰についてwikipedeaで調べてみた。
冒頭を引用すると
刑罰(けいばつ、英: Penalty,独: Strafe)とは、形式的には、犯罪に対する法的効果として、国家および地方自治体によって犯罪をおかした者に科せられる一定の法益の剥奪をいい、その実質的意義は犯罪に対する国家的応報であるとともに、一般予防と特別予防をも目的とする[1] 。広い意味では犯罪行為に科されるもの[2]。刑ないしは刑事罰ともいう。
と書かれている。
気になったのは以下の意義の部分
システム上の見せしめプロセスという事で、一般予防と特別予防は、やっぱそうだよなと思った。
気になったのは国家的応報の部分。
なるほど。
まったくの個人的な納得ではあるけれど、殺人者には殺人者の世界を、凶悪犯には凶悪犯の世界を普通な人の世界と重なり合った形で仮想的に実現されてるのかなと思った。
凶悪犯罪を犯してからの後追いではあるけれど、犯人に対して相当する罰が与えられるという事は、その犯人の取った行為が通常である世界にいるという事なのかもしれない。
殺人には殺人で答える仮想的な世界が、殺人を犯した者に対して、後追いではあるけれど、用意されている。
適当な刑罰は、少数派の異常と呼ばれる人に対して、自分が自分でいられる、もしかすれば楽園かもしれない仮想的世界を用意しているのかもしれない。
法律ってよくできてんなと思う。
ただ、殺人(罪)に対してに対して国が殺人(罪)を負う事で少数派・多数派両面に理想的な仮想世界を適用しているとしたら、国でもないマスコミなんかが凶悪犯に勝手なコメントを加え、適当な刑罰以上の罰(=罪)を加えている罪は償わなくてもいいのだろうか。
誤報、偏向報道で必要のない罰(=罪)を加える事は大罪じゃないのか?
最後に。。。
文章酷かったり、無駄に長かったりで、なんか申し訳ないです。
ゼミの先生から紹介された、TV局直系子会社の番組制作会社の仕事。
「◯◯くん、まだ仕事きまってないから推薦だすから働いてみない?
先輩もいるし、安心していいよ」
・仕事は5時−26時拘束。
・いつ呼び出しあるかわからないから、連絡とれたら30分以内でこられるとこに住んでね。
・つくってみたい番組ある?まぁ、作りたい番組なんて作れないけどね(冷笑
こんな感じで、即採用でした。
結局今やってる仕事(広告関係・制作)もホント時間拘束が長くって、
どこでもこんなもんなんだなぁっと社会の仕組みがちょっと分かった今日このごろ。
どの選択がよかったなんか死ぬまでわかんないだろうけどね。
就活システムで評価される能力が高くないのは不運だったよね。その種のコミュニケーション能力が高くないことは素直に認めるとして、その他の全てまでダメだって卑下することないよ。
逆に言えば、大学入試って別に生きてくために必要な能力が測られるわけではなく、
"受験用のスキル"だけで受かってしまう人も居るわけだから、あなた方は大学に入れたのが
その他の能力が低いにも関わらず入れたのだから、それさえ上手く使えれば就職にもつながったのに、使えなかった、と。
そりゃそうだ、就活で鍛えられてるもんな。超スーパー優秀でもない限り、平凡なつまらんことでも堂々と話したもん勝ちだよね。
( う〜ん、やっぱり私は無理だわね〜。)
こうやって、現状の就活制度で勝ち残った人をひがんで見下しているが、
そうやってひがんででばかり居ないで、そんな比較してないで、自分で頑張るしか他ないでしょう。
http://anond.hatelabo.jp/touch/20130717100458
入院する前は怖かった。
そしたら、退屈だーと思い始めて先生に行った。
先生は、「いろいろ考えないで、やりたいことをしなさい。できなさそうでも、ちょっとでもやりたいことを、深く考えないでやってみて、ダメだったら入院すればいい」っていった。
おれは、人生終わってるし、雇ってくれる人なんていないし、バイトから始めたら老後が心配だしといった。
おれは、まずユニクロのバイトを受けた。入院患者が準社員なら楽しいよ、と言ったから。
次に接客の求人が出てたので、受けた。
これがビンゴでなんの仕事かはかけないけど、すげー時給よくて、ユニクロのバイトよりおれにあってた。
天職だと思った。
水商売じゃないよ。
勿論非正規だし、営業もあるし、基本給はなくて、完全歩合だから、きついはきつい。
人生の本流は外れたと思うし、人にすごいね、といわれる仕事でもない。
でも生きていけるし、食べていけるし、年金も払ってるし、好きな靴も買える。
なんかさ、同じチーム内で比較して、あいつは優秀とか、俺のほうが優秀とか辞めない?意味なくね?
チームに利益があって、受益出来るんならいんじゃね?優秀な奴がいてラッキーと考えるのが普通だろ。
目に見える奴とだけ比較してどうすんだよ。 ようするに綺麗なお姉ちゃんとセクロスできればいいんだから、
優秀なチームにいたほうが得だろ。
つらつらとゆとりな駄文をさんざん並べたにも拘らず読んでくれたり、色々突っ込んでくれた優しいひとがいたので、追記。以外長いし胸くそ悪くなると思うので、興味ないひとは無視してください。なのに勝手に書いてごめんなさい。
今年初め、就職活動に向けて一時期 東京へ行くことに差し当たって母から、向こうの大学を卒業した兄がいま東京にいると聞いたんです。「兄には話しておくから、しばらくお世話になりなさい」と。この時点では母本人に聞いてこそいないけど、母は兄が家を出てからずっと連絡を取り続けてたってこと?とはよぎりました。でもそこを問わず、お、タダ宿ラッキー、なんて安易に居候を決め込んだ自分がまずどうかなぁと。
父の借金、姉の結婚費用、わたしの学費、母からの手切れ金(という表現は良くないのかも)、兄がこの全て払ったということ、これをなぜ兄カノが知っていたかは確認してないです。兄が話す以外に知る手立てがないはずだから、聞くだけ野暮なのかと。確かに兄カノは兄の仕事のこと、よく知ってます。ただ、兄自身の話をあの時点で兄カノ自身からあえて言うのを避けたんだと勝手に推し量っています。もしくは、これは妄想だけど、わたしと兄が直接話すよう暗に促していたのかも、とも。
でもここで、自分としても気になることが出てきました。先の駄文を読んでくれたあるひとが食い違いを厳しく指摘してくれたことが発端です。
兄は大学を6年かけて卒業したと言った母、一方「兄くん、私より1年早く卒業しんだよ」という兄カノ。これについて兄当本人を目の前にしているわたしは、3年という時差は気にもならなかったんです。まー兄カノは一緒の大学だし、兄カノの言うことが本当なんだろね、くらいで。それよりも、上にある、実は母が兄とずっと連絡取ってたんじゃないかのほうがはるかに気になってたし、この時点の就活は面接にすらすすめてない段階だったので、この居候生活が終わり実家に帰ったら、洗いざらい母に聞けば、くらいの感覚で。だから、ひとに指摘されて始めて時間的な矛盾がぼわーって浮き出るように気になり出したというのが正直なところ。
でも、自分なりに時系列でものごと整理したら、少しだけ見えてくるものがあり。ちょっとした記憶をつなぎ合わせると、母がお金のことをぐちぐち言わなくなったのが、兄カノが言う3年で卒業したというタイミングと、母が言う6年で卒業したという、2つの卒業の間にある3年間にある。昔から母は兄が家を出てから、父の残した借金を嘆いていた。愚痴もすごかった。でもそれがある日止まった。正確なタイミングはどうかわからないけど、この時期なのは確かなんだ。わたしが中学校の卒業旅行として初めて海外に行けたのも当然中学の頃になるし。
具体的なとこだと、兄が支払った姉の結婚費用にしてもそう。姉の結婚式はその空白の3年間の2年目にあたる。一応気を遣って私立の高校を避けようとしたわたしに、私立でもいいよと言われたのももちろん中学。それもまたその3年間に不思議と収まる。
ということは、母はその3年間を兄が留学していたということにして、兄が働いて得たお金をもらったことを隠そうとした?いやでもそんなの、わたしが兄と直接話せば嘘だってすぐわかっちゃうでしょ?いやいや待てよ、だから母はずっと兄の話がでると歯切れが悪い感じがしたのかな?いやいやいや、それは後付けでしょ。勝手なこじつけとセルフッコミをはさみつつ、あとから色んなことがつながって、もしくは自分が勝手につなげて、そうに違いないと思い込んでしまうようになっていくのがわかる。本当は兄から色んなことを話したかったけど、こういう状態なので、もう母に聞くしかないな、というところに自分の中で妥結。
どなたかが書いてくれてたけど、不遇の時期に加担しといて今更居候させてもらうってどういう神経してんだこのクズは、みたいなこと。まったくその通りだと思う、自分のクズっぷりを言われてからぐったりしてしまうとことかもう、かなりいたいと思う。
正直なところを言うと、兄が家出する前から、わたしは兄に対して家族という意識がないんです。これもまたクズだろうけど、ここは事実なのでなんともできない。このあたりで血の繋がりってものが影響するのか、しないのかもわからないけど。母が酔って帰ってきて、勢いで「あのこなんか家族じゃない!」とか叫んでたのも聞いた。とはいっても私にとっては母は唯一の親だったし、なにしろ幼かったので親は神様みたいに見えてるし、母が言うことを真に受けていたのかもしれない。ただ、兄が家を出たときは小5だったし、クズなりにもう少し気を回せたかもな…
「虐げに加担」したことももちろんだけど、過去を理解しないまま成金などと蔑視してしまったこと、過去の出来事に対して好奇心という利己的な理由だけで兄の中で区切りが着いたことをほじくり返してしまったこと、そもそも何も知らずにしれっと住みついて兄カノ・兄の二人の時間を奪ってしまったこと、ちゃんと謝りたい。謝ります。自省の念あって始めて謝る意思を持てたこと、突っ込んでくれた誰かに感謝。
でも、この謝りたいということもまた、自分の願望でしかない。謝らせてと言っても兄は「何を?やめてよそういうの?」とか言いそうだよなー… 突然謝っても、それはそれで過去をほじくり返すことにもなるし。もう謝ることすら許される立場ではないんかもしれないんだろうな。できれば、それを受け入れてくれた後に、ありがとうとか、もろもろ言いたいんだけどな… 置手紙は逃げなのかな… はー、どうしてもっとロジカルにものを考えられないんだろうこのクズは。というか自分をクズ呼ばわりして、なに「自分はダメな子です」ごっこしてんの。いたすぎでしょ。はー。
あーもし、もし自由な発言が許されるのであれば、謝った上で、あなたは素敵な人です、と心からの敬愛を込めて伝えたい。どこまで自分勝手だと思いつつも、完全に掻き消すのはできないなこれ。だって多分、そのまま敬愛ってのに分類できない気持ちがある、あるね、まだ兄と呼べないあの人に対し、はい。惰性とはいえここまでやってこれた人との念願であった東京での内定&同棲、すぐそこまで来てたけど、急にトーンダウンしたのはそういうことなんでしょか。そうは言っても、申し訳なさや同情などからくるその人への気持ちってのは、ただの勘違いなのか。はたまた、学生身分がそれなりにキビシー就活を乗り越えたところに、わかりやすーい成功した社会人みたいなのを見て憧れてしまうという、いわゆるスイーツ的羨望からくるものなのか。なんなんのか、これ。
最低でもわたしは、こういう気持ちが勝手に芽生えてしまった以上、特定の誰かと同棲はおろか付き合い続けられるほど器用じゃない。でも、婚約している元形式的家族に、身分さえわきまえずいけしゃーしゃーと気持ちをぶつけるほど、無謀でも、果敢でも、厚顔無恥でもない。とにかく、自分のありかたを変えずに自分丸ごと正当化しようとせずに、勝手な行動は慎まねば。。。 ここから先は自分で落とし所みたいなのを見つけようと思います。失礼しました。
数年ほど演劇に携わっていたが、色々な事情が重なって現在、演劇の2文字をみるのも嫌で嫌でたまらない状態になっている。
特に、金も人も時間も足りない小演劇界隈は、劇団を抜けるのにも相当覚悟がいる。
何でもそうだが、特にこういう表現系の活動は、よっぽど好きじゃなきゃ続かない。本当に。
昼もなく夜もなく、生活のすべてを芝居に捧げ、寝る間も惜しんで舞台に立つのが楽しい――そういう人間でなければ、あの界隈で活動を続けていくことは出来ない。
たとえ金がなくとも、創作さえ出来れば幸せ。そういう人でなければ向いてない。
寝不足の目をギラギラに輝かせ、狭い市民センターで稽古や、あるいはサイゼリヤで一番安いドリアをつつきながら打ち合わせをし、劇団評に花を咲かせ、チキンを1個ずつ分け合う。
そして3時過ぎに布団に入り、翌朝早くからバイトに打ち込む。夜にはまた稽古。そんな人間ばかりだった。
はっきりいって全員病気だ。
だが、本人たちにとってみればそれは、エネルギーに満ちた充実した生活なのだ。
ある日、自分の将来をふと考えた際、とてつもない虚無感に襲われた。
このまま生活していけるのか。一度考え始めると、不安はどんどん膨らんでいった。
結果、どんどんモチベーションは下がっていった。
もともと小演劇に疎かった自分は、仲間内のトークにもついていけていなかったのも辛かった。
やがてフラストレーションが積み重なっていった結果、日常で突然泣き出してしまうほどになり、結局その後、演劇活動から手を引くことにした。
これはきっと、演劇だけの話ではない。
あらゆる創作活動、表現のジャンルでも、貧乏を飲み込んで打ち込む覚悟がなければ、とてもじゃないが、続けていくことは出来ない。
ラッキーなことに、家が金持ちだったり才能があったり、そういう人はその分の補正がかかることもあるかもしれない。
もし、これから何らかの表現に携わろうと考えている人は、そこのところをよく考えてみるべきだと思う。
自分は貧乏でも続けていく覚悟はあるのか。それほどに病気であるか。
中途半端な意志と覚悟で、下手に表現へ深く足を踏み入れると、取り返しのつかない痛手を負う可能性がある。
それでも構わない、という人をあえて止めるつもりもないけど、
そこにいる関係者がどんな人たちなのか、どういう年代層の人がいて、どんな暮らしをしているのか。
話をよく聞いて、よく確認したうえで、飛び込むべきだ。
深く関わるのは、それからでも遅くはない。
表現を志す人にはまだ若い人たちが多いので、時間はたっぷりあると思うかもしれない。
自分の適性をよく考えて、限りある時を有効に使い、有意義と思えるような生活を過ごして欲しい。
俺の場合、下の歯が完全に寝た状態で生えてて、
大学病院だったからそのうち先輩的な人がHelpに来て(そんなのありかよ!と思ったけど)
グラグラやってるうちに麻酔切れ始めて、最初は歯医者で痛いとか言えないだろwwwとか思ってたけど
さすが無理になってきてごめんなさい痛いです!って手で止めて麻酔追加してもらった...
取った歯は原型をとどめてなかったね...
事前に神経傷つけて麻痺が残るかも、とか言われて(親知らずの抜歯は必ず言うだけなんだけど)
それ結構怖かったけど、抜いてる間はもうそれでもいいから早くしろ、って感じでそれどころじゃなかったもんな。
でも切れたら汗だらだら寒気はするは痛いのもどうしようもない切ない痛みだわで。
勿論鎮痛剤はもらって使うけど、切れたらほんとにやってられないから直ぐ飲んでたら足りなくなって
その間ずっと体弱ってる感じだから常に風邪ひいてる様な状態だしまじで3週間くらい何も手につかなかった。
そしてこれはまだ1本目で、後3本同じ様に寝た状態のが残ってるという...
もともと子供欲しいと思わないし、産んで欲しいとも、双方両親からも旦那からも言われない。
デキ婚には反対だったし、結婚したけど計画外の出産をする気はないので必ず避妊してる。
がまぁ一応産む可能性はゼロではないよな、とは思っている。
産まないと固く決意してる訳でもなし、女に生まれた以上想定から外す必要性も感じない。
どっちでもいいよりは産まない方にちょっと振れてる、という感じ。
が、ネットでいろいろ見てると、「やっぱ産まないでおこう」と思う。
幸せそうに感じられない。
彼女たちに言わせれば「社会のせいだ」ということなんだろうけど。
あんなに事あるごとに
「私は悪くない!被害者だ!」
「社会が悪いんだ!」
と噛みついたり叫んだりしないといけないほど鬱憤溜めるのが母親なのなら、
別になりたくないなぁ、と思う。
そういう精神状態になりたくもないし、
そういう人たちのコミュニティに入りたくもない。めんどくさそうすぎて。
みんな、色々ある中でも日々楽しみと幸せ見つけて、子供可愛がって、
社会や他者には譲るべきところはきちんと譲って、
満たされてるようで「良かったなぁ」と思うのになぁ。
彼女たちは「産んでないあんたなんかに私の苦労は分からない!」とか
突然叫びだしたりしないしな。
自分の生活が完全に悪くないというために、いきなり社会情勢や国政を根拠にしたりしないし。
あー、ほんとに、周囲に恵まれてよかった。しみじみ、つくづく感謝。
そうやって、
彼岸と此岸を住み分けた上で仲良く気持ちよくやれてる今を放り出して
わざわざ彼岸に飛び込みたいと思わないんだよな。
あっちに行くと、ネットで大声上げてる人たちと同類の人たちも沢山いるんだろし、
なんか同調圧力も凄そうだし。
何が彼女たちをそうさせるのか、には最早興味がないなと最近思う。
人は言いたいことを言うし、それが常に真とは限らない。
社会のせいなのかもしれないし、本人にも問題があるのかもしれないし、
そういうとこ、別に精査したくない。
私にはどうでもいい。
結果的にこんなに荒れない未来が来るのかもしれないけど、
それを待つ気もない。
ただただ、あちらとはなるべく距離の遠いところで、
穏やかに今の幸せを大切にしてるのが一番良いなと思う。
もし行政が、子供産んだ人にものすごく手厚く、そうでない人にはものすごく手薄く、
という方向に変わったとしても、
デメリットがあっても産む方が嫌なら産まないだけ。
あちらの方々が満足して下さるなら、
とかって責められたりするのかしらね?
だからいくらでも社会保障受けてくれていいって言ってるやん、て感じ。
わざわざ直接言ってくるのがうざい。
あー、想像したらげっそりした。
やっぱり母親ソサイエティには入りたくないし、深入りしたくもない。
めんどくさそすぎる。
ますだで絡む人の方がまだ可愛気がある。あの地獄は「〇〇発見器」と言われているけど
実の所「ネットストーカーホイホイ」が実状
一度気に入らない人を見つけるやいなや過去の書き込み漁って粗をしつこく探してまでして一日中粘着したがる猛獣がウロウロしているサバンナ
まだ絡まれていないのはラッキー 一人粘着質の人がこびりついてきたと思ったらその裏にはクラスタつながりでみっちり十五人くらいへばりついていて
「ギャー!!」みたいな
2、3週間で見た目には現れてないけど
数字には現れてきており、
2.5kgくらい体重が増えて手応えが出てる。
通い始めたら結果出てきた。
そこで考えたこと、気づいたこと
【その1】
気づかせてくれる先生がいたほうがいいということ
成長とはプラスの方向の変化で、
変化するにはしばしば今までの
自分を否定することがカギになる
通い始めて自分の今までのやり方が
間違っていることに気づいたが
本を読んで気づくこともあるけど
自分より先に行っている人と接していると
もちろん前提として
そういうことに気づける自分
求められる
読んだりして気づくしかない
【その2】
モチベーションが湧いた時がやるべき時だということ
もう32歳だが、モチベーションが湧いた時がやるべき時で
やるべきだと判断したなら大抵の場合、
遅すぎることはない
やっておけば良かった、あの時勉強しておけば良かった
は負け組の発言で
だったら今からやればいい
いつやるのかと言われれば、今やればいい(笑)
そしてちょっと無理をしてでも
結果を出して次のモチベーションを手に入れる
モチベーションは必ず枯渇する
ことを念頭に置きながら
モチベーションが湧いた時に結果を作って
次のモチベーションを手に入れるようにする
これによって何事も発展すると思う
鉄は熱い内に打て
初心は必ず忘れる
モチベーションの補給が鍵
【その3】
飽食の時代に生きる我々は
生きるために食うという、「食」への謙虚さと切実さが
薄れているということ
筋肉をつけるために
意図的に肉とか卵とかを多めに食べて
ちょっと苦しくても口の中に突っ込んでいる感じだが
そこでちょっと気づいたことがあった
食うために生きているのではなく
生きるために食っているということ
そして食べることは快楽だが、
快楽は方便であって生きるためには
無理やり食べる、無理やり食べないことも必要
割と体格がしっかりしている
俺らはやはり飽食の時代に生まれてきて
食べるといえば味、楽しみ、快楽
そのような考えになりがちな
この飽食の時代には
生きるために食うという
忘れてはいけない
いろいろな地方を見て回ればわかるけど、実はそういう場所あるよ。
私学は全くなく、塾って言っても有名ドコロが1個2個ある程度でそれほど大したものじゃなくてって所。
青森とか長野とか徳島とかかな(自分の地域以外は大学で聞いた話に過ぎないけど)
勿論、最終的に大都市の塾攻勢の人達と争うわけだからそれらの地域の全体の学力は低い。
でも、その中ではお金なんてなくても十分上に行ける。上に行けば塾攻勢にも勝てたりする。
大学すらまともにないから大学生も殆居ないし、家庭教師ったってたかが知れてるし。
そんな地域で塾なんて一切行かず、公立高校から東京の大学行ったけど、
東京の人や大都市の人が多いのは事実で、皆中学受験が当たり前で、とかの人達で割と余裕のある家庭だったけど、、
一方地方から来てる人は、勿論中学受験なんてものすら存在しないし、普通の家庭と言うより経済的には大変な人のが多かった。
地方で勉強する気になれたのは、自分が不利だ、とかそういった事を全く知らなかったのもラッキーだったと思う。
中学や高校でも最初から周りがすごい、って訳でもないし(中学に関しては単なる地域の人全員が行く場所だし)
それで勉強する気にもなれたし、最後には塾攻勢の人達並かそれ以上にやってたんだと思う。
東京にいたら、私立中学に行けない時点で受験なんてまともにやる気にならなかっただろうから、ラッキーだったね、ある意味。
カネに物を言わせて仕入れた夥しい講義と教材をこなして情報を処理しても、地頭やセンスが優れていることにはならない。
インプットしたことがない類型の問題には対応できないということだから。
これに関しては、金にものを言わせて、っていうのは、やっぱり不公平には感じるけど、
いろいろこなしたり詰め込みだとしてもそれをしたこと自体はしないよりは人間として成長していると思う。
皆が皆出来るならむしろした方が良いだろう。
学歴が無いのに出来る、とか、学歴があるのに出来る、とか、それは小数を探せばある、ってだけで、
絶対的な数として学歴ある方が出来るし。
女の浮気ってね、どれだけ正当化して、どんだけ上手く立ちまわって
自分で自由を勝ち取って、自分の意志で浮気したつもりで、悪女を気取ってみても、上から目線で遊びが上手い女ぶってみても
結局は、浮気相手の男に「使用される」側なの
利用じゃないよ、文字通り性欲処理に「使用」されてるわけ
「彼氏が気に入らないから、他の男と一晩だけ遊んじゃったwwww」
でも、その浮気相手の男はもっとゲスい感情で「タダで後ぐされなくセックスできてラッキー」って思ってるからね
AVみてオナニーですまそう、風俗でも行って済まそうってところを、生身の女で処理できてラッキーってね
嘘くせー。主語でか過ぎ。おまけにこっちのこともろくに知らずに語りすぎ。
だから敢えてろくに知らないまま言い返すけど、つうかそれってむしろラッキーじゃん。後々の苦しみが圧倒的に軽いでしょ。
浮気する方も基本意志が弱いんだから、あなたの決心の強さを見たら関係は切れるはず。
あなたが本当にそれを望むなら。
というか住めば都というし、適当に付き合ってみたら案外他の人ともうまくいくと思うんだけど。
>誰か他に良い人が見つからない限り、厳しいと思う。
>そのために合コンとかにも行くけど、ぜんぜんその人以上に良い人に会えない。。
自分の周りもそうなんだけど、何で皆選り好みが激しいんだろう。
それなりに意思疎通ができたら、別に誰でもいいじゃん。
性の相性が合ったらラッキーぐらいに思えばいいじゃん。
>本当はもうそんな悠長に先のない恋をしていていいような年齢でもない。
嫁バレしない限り離婚しなさそう。
本当に離婚したいんだったらとっくの昔にしてるよ。
三股とか浮気の利点は複数の人から良いところを楽しめるところ。
嫁とは現状維持で、嫁に足りないところを他の人で補うって感じ。
といって保険って訳でもない。
もともと腹が強い方でなく、朝トイレに行っていても何かの拍子で便意が来る。「あ、来たな」と思ったらもうダメだ。5分持たない。
速やかにトイレに駆け込めれば良いが、それが出来ない状況に限って起こるのだから始末が悪い。
冷房の風が直撃する夏が特にヤバイがそれ以外の季節だろうが来る時は来る。
もちろん限界まで粘る、だがそれを超えたら少しずつ括約筋を緩めて被害を最小限に留めつつ放出していくしかない。
この段階で頭にあるのは諦念と開放感だ。周りの人間にバレてるかも、などと心配するのはもうとっくにやめている。どうせ顔など覚えていない。
幸い下痢性では無いのでパンツからコロンと下まで落ちることは滅多に無い。
あまり混まないトイレは把握しているので、落とさないよう気を使いながら最大限の速度で向かう。
個室に入ったら被害状況の確認だ。思ってたほど出てない時もあれば、予想より被害甚大の時もある。
例え量が多くてもパンツにくっつくタイプのものとくっつかないタイプの便があり、後者の場合は臭いも少ないので大変ラッキーだ。
状況に応じてパンツの破棄等の対応を決定する。換えのパンツは常にカバンに入っている。
ちょっと染みてるくらいなら問題ない、拭き取った後でしばらくティッシュを2~3枚尻に敷いて置けば匂いの元は大概取れる。
それでもその日一日はなんとなく体臭がうんこ臭い気がして落ち着かない。
気になってズボンを脱いで尻の部分を嗅いで見るが別に臭うわけではない。まあ気分の問題なのだろう。
元増田のようにスプレーでも吹きかければ多少は落ち着くかもしれない。今度試してみようと思う。
努力してるかどうかとその人の状況は同じじゃないよ
地位の高い人の何倍も苦労して努力していても地位が低い人もいるし虐げられるだけの人もいる
努力して地位があって、余裕まである人はラッキーだっただけだよ
底辺の人の方がずっと苦労が耐えない
ラッキーな人は競争の途中で底辺の人が蹴落とされたから今の地位にいるんだよ
蹴落とされた人も同じように努力して苦労してきた人だよ
ラッキーな人は地位を手に入れたらそこからもっと努力する事はないと思いますけど
でも蹴落とされた人は常に努力し続けなきゃいけない
それでも上には上げれないんだから
その努力したと思ってる上の立場にいる人ももし、パチンコの人と同じ立場に立ったらパチンコをしないでただひたすら努力を続けると思いますか?
上は果てしない、上るのに支払う犠牲と得られるもの、残った時間
全て見て
人が手に入りそうな位置にあるもののために努力をするのはとても自然な行動だよ
もしも、いい学校に入れそうな位置にいる人がそこに入る為に努力しようとするのは自然だよ
それが出来るのはいい環境にいる人だよ、そこに到達する為の道筋をもっていたり、もともと向いている力があったり、努力できる環境が整っていたりする人
人間全部通してみればしてる努力の量なんてみんなそう違いは無いから
同じ努力をしているの底辺の人は怠け者だと見られる
馬鹿正直に生きたらどんどん脱落して正直で真面目な人はこういう底辺になる
そもそも自立できてる正直者だったら人を自力で生きられない人を助けたがるでしょ?
疑問に感じるのは、ラッキーにもいい立場に立てた人が、いい立場に立てなかった人より苦労していると思っている事
普通は当事者のラッキーな側から見ても「ああよかった、自分は合格できたんだ」って思うでしょ
合格できなかった人は可哀想って思うでしょ?
まさか、合格したのが分かった瞬間落ちた人に向けて努力不足だとか思ったりはしないでしょう
自分が努力するからには負かさなきゃいけない相手も同じだけ努力してる
でも受かった側と落ちた側とは差が出る
生きるって事はそれだけで大変な事
楽してる人なんていない
苦労なんて同じなんだよ
それだけの違い
なのに自分はその人と違うと信じ込んでいる
環境も大きいよ
身の回りの人が自分を受け入れて歓迎して陰から応援してもらえるような人は
周囲の人から歓迎されないで突っつかれてばかりの人よりずっと成功しやすいから
下にいる人も自分もそんなに変らない
自分が下にいても不思議でないし今下だと思ってる人が上にいても不思議じゃない
簡単な話もしも生い立ちも環境も含めて全てその人と立場が入れ替っていたら
今の同じ立場にいられただろうか
私はつぶされて底辺の人と同じようになってると思うけど
運が全て
この世は弱肉強食だ
勝てばいいんだよ
っていうなら、その話も通るけれど
でも人間は成功した人は気のいい人に譲ってもらったから今の立場があるんだと思う
譲った人は重荷を一つ背負い込んで脱落にそれだけ近づいて
正直者が馬鹿を見ると言うのはこういう事だよ
勝った人はたまたま何だよ
ある時は運がよかったから
ある時は譲ってもらったから
たまたま今の地位に来ただけ
でもそれも含めて、立場が逆だったら相手が支払ってその立場についてしまうだけ
人間にそんな違いは無いよ
差があっても微々たる物