はてなキーワード: ラッキーとは
自分で買い物しなくてよくなって手間が減ってラッキー!って言ってるじゃないですか。
それが、突然夫が「家計の管理は俺がやる!」ってはっちゃけ始めて、
手間が減ってラッキー!と思ったんだけど、
徐々にその縛りが辛くなってきた。
共働きで家に早く帰った方がご飯を作るというルールに我が家はなっていて、
私が転職してからは、夫の方が帰る時間は早いから大体夫が料理する。
でも時々私の方が早く帰ることがあって、
「冷凍庫にチーズとササミの挟み揚げがあるから、それ調理して。あと、野菜はこれこれが明日生協で届くから、被るものから積極的に使って」
と言われるようになった。
それで料理するのが物凄く辛いんだよね。
「買い物してあげてるのに料理もしないって、家事放棄じゃん」とダメ人間みたいな扱いをされる。
料理って買い物からがスタートの創作活動だと思うんだけどね。夫とは感性が違うのかなぁ。
うわ、こんなにトラバがあるとは思わなかった!
「キャベツが余っちゃってるから今からロールキャベツ作るか、それとも洗濯するかどっちかやって。掃除は終わってる」って言われたから、
「ロールキャベツはどういう味付けにしたいか考えある?」「肉は解凍してあるの??」って聞いたら、
「そういう質問をするということは料理したくないってことね。じゃあ、洗濯してよ」と言われたんで、
「いやいや、気持ちを高めるための儀式的な質問だから。料理するのにはこういうことを話して頭の中で調理してる時の景色を思い浮かべないと手がつけられないの」と説明してどうにか納得してもらえた。
買い物禁止になったのは、私の方が帰りが遅くなって料理する機会が減って、
私が買ってきた食材を夫が「使い方が分からない」と言って腐られる事態が頻発したから。
特殊って言っても、せいぜいパプリカとか、ズッキーニとか、舌平目とか、レバーとか一般的な食材だったんだけどね。
私が食材買ってきてた時には、それ縛りで作ってとは言わなかったよ。
「腐っても仕方ないし、その分私が稼いでるんだからいいじゃん」と言ったんだけど、
廃棄するのがどうにも我慢できなかったみたい。
増加する“クックパッド至上主義”な女性達 あなたはどう思う? 〈週刊朝日〉
http://dot.asahi.com/life/hobby/2013082100016.html
舌平目のムニエル
http://cookpad.com/recipe/425916
1つには面接のためには何をして、どんなことを言って、どのように乗り切ればいいのか、
っていうのが完全にノウハウ化してるし、実際企業もそれに乗っかって取ってるからだろ。
受験なんかと同じで、完全に「就職面接」に特化した人間が大量発生してる。
受験よりさらに行けないことに、まだ、受験だとそのテクニックに特化した所で物を覚えたり考えたりするのにある程度役には経つけど、
そのような中で、具体的に実力ある人間を取る手段を考えられない採用者側はもっとバカだってことだろう。
ただ、ラッキーな事に、最近の若いのは少しでも嫌になったら勝手にやめてくれる。
だから、適当に採用しても、勝手に辞めてくれれば良くて、たまにまともなのが入ってくればOK。
で、出来るやつだとすぐ転職するだろう、っての実際にはそれは昔とそれほど変わらないわけで、
就職面接だけ得意なバカがずっと何もせずに会社にこびりついてく事がこの状態を変えることが出来る唯一のことなのかもしれない。
(それによってその時まで得をするのはそういったバカだけだが)
何を言ってるの?だから、別に修士の学生自体をdisってないじゃん?
そういう意味のない学生が来ちゃう制度を変えないといけない、って話で。
ラッキー、っていうか、世の中のためになるだろ?修士に来ること自体、その学生にとってもただ2年ムダにするだけだし、
今の時点でも、ただただ修士の称号により就職に有利になるかもしれないけど、逆に言うと、修士に行かずに就職しようとしてる人の枠を奪ってるわけだ。
だから、社会全体としてはそのムダを無くすのが得でなくてなんなの?
だから、枠を減らせばいいんでしょ?東大なんて、実質内部の人間は競争もせずに入れるよ。
別に優遇があるわけじゃなくて、普通に入試の点数に差がありすぎるから。だから、単に枠減らして必要な分だけ入れればいいだけ。そうすれば競争率が上がってレベル上がるんだけど?
何言ってるの?
最初は「ふ~ん」だったけど、テレビで東京オリンピックのことについて話してた番組を見たら、
「東京でオリンピックが開催されることのヤバさ」がなんとなく分かってきたぜ。
「7年後」を強烈に意識させられっちまったよ。
10代のロリ選手も良かったし、謙虚な男子高校生も良かったぜ。すでにしっかりしててヤバイ。
たぶん俺たちは、10代の若者を見て「想像」されられちまうのさ。
10代のロリ選手たちは、7年後にはロリじゃなくなるかもしれないけれど、
「確実に成長してるだろうな~」と思う。
どこに向かってるのか分からない自分は7年後どうなってるのかなぁ?
この「怖さ」ってのは実際にテレビで10代ロリ選手を見て初めて感じる感情なのかもしれん。
ただしどこで何時に生まれたかはホロスコープを読む上でとても重要。
なぜなら西洋占星術は実際に天空にある天体の正確な位置情報を必要とするから。
試しに以下のサイトに自分の誕生日と出生地の緯度経度を入力してみてほしい。
仮にシドニー生まれだとしたら、北緯151度12分、南緯33度52分。日本との時差は-1時間。
2013年9月5日、日本時間の正午に北半球と南半球で生まれた二人の子どもがいるとする。
時差があるので一人の子どもはシドニーで午後1時に、もう一人の子どもは日本で12時に生まれたことになる。
西洋占星術では天体の位置を示すため、春分点を起点に黄道を12に区分けし
30度ごとにそれぞれ星座の名前をつけている。これをサインと呼ぶ。
いわゆる○○座というのは生まれたとき太陽がどのサインにあったかを意味している。
ちなみにサインに○○座という名前がついていても、そこにその星座があるとは限らない。これはあくまで番地名。
太陽は他の天体と違って毎年ほぼ同じ位置にくるので目安にしやすい。
id:mythmは真夏のクリスマスをビーチで祝う家庭で育ったかもしれないけれど
雪の中ふるえながら年賀状を投函しに行く日本の山羊座っ子たちと同じ位置に太陽がある。
先ほどの二人の例だと、9月5日は太陽が乙女座の位置にある。よって
となる。
さて、西洋占星術は主に10個の天体の位置を元に森羅万象を占うんだけれども、
見上げた空に違いはあれど、世界中どこで生まれても生まれた瞬間天体があった黄道の位置は同じだよね。
じゃあ北半球で生まれようが南半球南で生まれようが、地球の真裏で昼夜逆転していようが占いの結果は同じなのか。
結論から言うと、雑誌に掲載されるような万人向けの占いでは紙面の関係で同じ扱い。実際共通点は少なくない。
ただちょっと詳しく見る場合はもちろん違う。そこに前回書いたハウスというのが関係してくる。
さくっとホロスコープ作成でレポート結果を出すと右下に出るのがそれ。
実はホロスコープ(チャート)というのは、地球を中心に天体がどう配置されていたのかを図にしたもの。
チャートの円を上下で二分割している線の左側9時の位置が東の地平線、右側3時の位置が西の地平線になる。
この上下をそれぞれ6分割したものが12ハウス。起点になる東の地平線は1ハウスに、西の地平線は7ハウスになる。
山羊座と土星と10ハウスで書いた、例の10ハウスの起点が天頂。ちなみに4ハウスの起点は天底と言う。
天頂と天底は南半球と北半球ではずれがあるし、昼夜が逆転している東西では星の位置は真逆になるよね。
同時刻のチャートを出しても、起点になる東の地平線の位置が変われば1ハウスの位置が変わる。
12ハウスにはそれぞれ意味があるので、それがずれるとそのチャートの解釈は色々と違ってくる。
たとえば10ハウスの起点(10ハウスカスプ)はその人の社会的な頂点と考えるんだけど
同じ時間に生まれても生まれた場所によって位置が変わってくる。
増田子 2013年9月5日現地時間13時00分 シドニー生まれ 乙女座 MC天秤座
となる。三人は同じ時間に生まれたけれど、増田子はデザイナーに、増田太は事務職に、増田介くんはプログラマーになるかもしれない。
でも三人には「柔軟性が高く、用心深い。細かいことをちまちま研究するのが好き」という共通点がある。
あくまで一例だけどね。
出生時間が同じでも、特定の目的に対して星の位置は有利、不利があると考えられているので
出生時間から理想的なロケーションを探し、そこへ引っ越したり旅行をしたりすることで人生に変化をもたらせると考えるわけ。
(増田子はプログラマーになりたければブエノスアイレスに、増田介は事務職目指すなら東京に移住したりすればいい。)
「天文学は賢い母。占星術はその愚かな娘。しかし貧しい母には娘の稼ぎが必要だった」
という言葉があるんだけど、近代に入ってオカルトとして切り捨てられるまで占星術はイギリスで省として機能していたこともあった。
そのせいか西洋占星術はとてもシステマティックで、細かい数字と角度にこだわり、再現性を重視する。
パソコンが普及するまで、占星術師には数学の才能と分厚い天文歴片手に星の位置を記録する大変な根気が必要だった。
ただ当時東洋ではいかんせん天体観測の技術が不足していたので、それに変わる物として天体の運行を元に暦を作った。
しかし星は24時間区切りで動くわけじゃないので誤差がおきる。それで調整のため暦には閏日や閏月が入れられていることが多い。
その間にも星は動いているので、暦の上の天体と実際の天体はどんどこずれていく。
しかもそれらの暦は流派によって多少違うので、東洋系の占術は西洋占星術以上に経験と勘に負うところが大きいように思う。
そんなわけで理系は西洋占星術にはまりやすい。自分は数字弱いからパソコンなしでは占えない。
興味が沸いたらAmateruをDLして遊んでみてほしい。
PATTERN48
http://ptn48.shaberizon.jp/ ・・・サインの特徴を鋭く言い当ててる
フリーウェアAmateru
http://tetramorph.to/ ・・・見やすくて使いやすい
http://homepage3.nifty.com/Almanac/ ・・・日本人占星術家はプロアマ問わずこれ使ってる
高学歴増田の話には、山羊座と土星と10ハウスが意味するものがよく表れていると思った。
西洋占星術、いわゆる星占いでは、山羊座は野心と自己否定の星座とされている。
野心が自己否定とどう繋がるのか、山羊座が強くない自分には今一つわからないところがあった。
自己否定が強かったら自信をなくして何にも挑戦する気にならなくなるんじゃないのか。
でも増田の話を読んで納得した。自己否定あっての努力であり、野心あっての自己否定なんだな。
土星は山羊座の支配星とされていて、成長のための試練を与える教育の星と言われており
土星が位置する場所は、自分の生き方を否定せざるをえないような苦しい問題が起きると言われている。
女性誌でおなじみのはてなダイヤラー石井ゆかりさんは、成長させてくれる星として土星を「土星先生」と呼んでいるけれど
人によっては、土星は星一徹やロッテンマイヤーのような影響を持つ星だと思う。
「一事が万事」で「明日のため」に、常に成長のために駆り立てられる高学歴の世界は
という高学歴増田の世界では、時間は「明日まであと何分」という風にただただ消費されていくものみたいだ。
西洋占星術ではチャート(いわゆるホロスコープ)を作る際、人生の様々な分野を12に分けて考える。※分け方については割愛。
10ハウスはキャリアとステイタスのハウスで、山羊座が担当する。10ハウスは土星を支配星とするハウス。
まさに医者や弁護士、大企業の重役など、社会的に認められ、成功する立場にある人たちの縦社会のハウス。
ひとつ前の射手座が担当する9ハウスは高等教育と哲学のハウスだけど
10ハウスは学んだことをキャリアに活かさなければ意味がない。
世界的に価値ある大発見だろうが、社会的ステイタスの向上にまったく貢献しない分野では意味がない。
(そういう縦社会から飛び出した新人類的な活動は、お隣の水瓶座11ハウスが担当する。)
そんなわけで高学歴増田の世界は、山羊座の国の土星人が住む10ハウスの話に見えたんだけど
こうして考えてみると山羊座土星的高学歴の国はちっとも優雅じゃない。
優雅さがあるとすれば、それは優雅であることがステイタスを得る上で必須だったからだろう。
遊びも仕事も家庭も結婚も友人も、すべてはステイタスを獲得、維持するため。
山羊さんもたいへんだ。山羊座の国の土星人でなければ耐えられないと思う。
一般的に山羊座と10ハウスが強い人は社会的に成功している人が多いので
いいなあ、うらやましいと思っていたけれど
これから山羊座や土星や10ハウスが強く影響している人のチャートをみたら
その心情をもっと思いやろうと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20130903002317
こうなるよ。天文学は賢い母。占星術はその愚かな娘
個人の心理が物事を動かし、それが星に現れていると考える心理占星術という占術がある。
「善良」とか言ったってそれは直接命を奪われる被害者が加害者自身だというただその一点のみでの話であって、完全に目くそ鼻くそ。
被害者の周囲の人間、ことに被害者本人と大変に親しくしていた人間に回復不可能かもしれないレベルの深刻な傷を負わせるという点では全く同等レベルの「罪」だよ。
他人に迷惑かけるのを「知ったこっちゃない」と言えるくせに「生活が立ち行かない→とりあえず生活保護」って選択肢がないあたりとか、
「人から物を奪う以外生きていく術がない、それはイヤだから死ぬ」ってマインドなんかのものすごい自己中さも通じるものがある。
要するに、「悪者でない、加害者でない、無力でそこそこ善良でやれること全部やったのに報われないアンラッキーで可哀想なオレ」像を守るために死ぬってことでしょ。
テロとか通り魔はそこをちょっぴり踏み込んで、「可哀想なオレ、だから最後に復讐しちゃる」ってなってる、それだけ。
自殺者がテロリストとか通り魔殺人犯より優しい思いやりのあるヤツってことは絶対にない。おんなじ凶悪犯だよ。
自分に本当に必要なものに関しては目を閉じて耳ふさいでるくせに、自分がやりたいことをやったら他人にどんな影響が及ぶかについては一向に考えない自己中心主義者。
例えばテロリストだったら、仕掛けた爆弾で大勢殺傷したけどテロリスト自身が死ななかった場合、取っ捕まえて死刑にしてちゃんと殺してやることは筋が通るけど、自殺しようとしてるヤツは失敗して死ねなかったときどう取り扱えばいいか誰にもわからない。
自殺しようとして死ねなかったら、それはラッキー?アンラッキー?
後遺症が残っちゃったら、困る?それともどうせドン底なのは変わらないんだから困らない?あるいはまた「再チャレンジ」するからどうってことない?
それを支えようとする家族としてはどう?アナタの目の前にいるヤツはまぎれもなくアナタの家族にして可哀想な社会の被害者であると同時にアナタの大切な家族をブチ殺そうとして失敗した殺人未遂犯って状況ですよ?
通り魔が自分の家族殺そうとして、運良く家族は死ななかったけれども重傷(と後遺症)負って、でもその通り魔も社会で苦しめられて犯行に及んだんだから今後は精一杯のびのび健康的に生きられるような環境を用意してあげましょうね刑罰とかもってのほかよ、ってならないだろ?
しねばいい。しねばいいよ。
しかし死なせるとまさにその「通り魔」の思うつぼというこのジレンマ。
被害者っていうのはさ、楽なんだよ。社会的にね。「被害を受けたものなんです!」だからさ。
そこを「加害をしていたものなんです!」なんて言ったらさあ、ヤバい奴じゃん。加害者であるだけでヤバいのに行いを公言しちゃうなんて更にヤバいじゃん。お前は加害を肯定しているの?みたいな。加害者であれば、だいたいのことがパーになる。すげえ小説書いたり論理的な人であっても、加害者であればパーだ。「加害者が何言ってんの?」
加害者である自分がこれを書いてるんだから、よっぽど加害に対して思い入れがあるようだ。わたしは加害の報い、罰を受けなくてはならない。しかし私はなんと、私の予想以上に罰を避けきってしまった。罰はなにひとつ与えられることはなく、私は新天地で別人として始まることとなった。新天地への移動は私の思い通りであり、超絶ラッキーだと思っていたが、どういうことか新天地では奴隷のような生活を送ることとなった。
上手な飼い主は、逃げ遅れた馬鹿をゆるやかに奴隷にしていく。彼女ほど見事な奴隷使いを、私は他にしらない。彼女は上からの介入で、奴隷がいなくなり、私も彼女から離れた一人なので彼女のその後は知らない。
いまさら当時の罰を受けようがない。「なんとなく」で始まり強制終了された加害は、誰も真実をみつけないままになった。
「その程度の加害」なのかもしれない。これは私が言ってはダメな言葉上位であるが。
収容所、というのは全てをリセットさせる場所であり、出所するということは「本当に申し訳ありませんでした」という心に生まれ変わることだ。
私はいまだに生まれ変わっていない。「生まれ変わったとおもったけど、まだまだ駄目ですねえ」こんなところだ。だいたい、とっても楽しく加害を行ってきたので、「やっちゃダメなことだよ」と理解していても反省しきれない。
小学一年生のときの加害をここまで引きずることになろうとは思ってなかった。
ありきたりな言葉だけど、「やめときな」って伝えたい。お前はなまじ考える人間なんだから、耐えられることだけすればいいのに。
一番嫌なところ:「要領よく加害した自分って希少なのでは?」という恍惚
希少だとしても価値はない。ダサい。くだらない。でも、この恍惚を持ち続けてきた。ここが一番、重荷になっている。くだらない。捨てたい。生まれ変わらせてください。
そういえば、親の金を盗んでいたのに、双方ともに何も触れないまま月日が流れてしまった。これで「いままで反抗期がなかった人間なんですよ」紹介を親がするものだから、私はいつも腑に落ちない。あんたどうなってんだ。
atwikiの2006年の不祥事について書くと速攻で弁護士から文句が来るので
http://ukdata.blog38.fc2.com/blog-entry-2543.html
を見て思い出した話。
わたし某投稿サイトというか掲示板みたいなサイトというかまあユーザーがテキストを投稿できるサイトの中の人だったんですが。
まあ削除依頼というのはそういうサイトやってるとぼちぼちとあるんですわ。
まあだいたいはどーでもいい理由なのでスルーするんですがね。
ごく稀にあるのが、未成年が事件起こしてネットで実名バレ、実名付きでその話が書き込まれている、っていう話。
その人が捕まって裁判受けて判決出されてそれなりに時間が経つとその人は世に出てくるわけで。
普通ならニュースで報道された事実だから消せません、なんだけど、未成年だと未成年保護の観点からマスコミも報道を控えているわけで、そうなるともし裁判されたら負ける可能性があるわけです。
犯罪者ともいえども未成年の場合、実名を出していると将来削除依頼が来て面倒くさくなる可能性がございますので皆様ご注意を。
ちなみにそれ以外の場合で正当な理由を挙げられなかった件で削除したことはございませんが、訴えられたことは今まで一度もなかったです。ラッキーだ。
ほんじゃーねー
自分みたいな人間が作ったサービスを顔も知らない人が沢山使ってくれる、あの快感。
直接話せない事とか話せない人とも、話せる唯一の世界がネットだった。
大学生になった。
何もせずに、過ごしていたら、すぐ就職活動だ。
着慣れないスーツを来て、話慣れない言葉を話し、思ってもいない言葉を話す。
阿呆らしくて嫌になった。
仕事をするのが怖くなった。
幸い、自分でサービスを作った事もある。上手く話せなくても実績があったから、なんとかなった。
自分みたいなタイプの人間は、好きな事以外できないというのは分かっていたし、その唯一好きな事は恐らくインターネットだった。
だから、それを仕事に出来る事は、本当にラッキーだったし、自分の天職になるのではないかと思っていた。
大学に行く時、毎日見ていたサラリーマンのように、疲れきった顔をして会社に行き、土日を待ちわびるのではなく、毎日仕事が楽しくて楽しくてしょうがない生活がおくれると思い込んでいた。
今まで好きなようにサービスを作っていたんだから、それを仕事に出来れば、もっと楽しいに決まっている。そう信じていた。
でも、違った。
会社には、根拠が必要だ。そのサービスが当たる根拠。売り上げが出る根拠。
何となく楽しそうとか、面白そうみたいな抽象的なものは通じない。そんなものは駄目だと言われて終わりなんだ。
売上げと、サービスの満足度は基本的にトレードオフだと思っていた。
学生の頃作ったサービスは、何となく面白そうだから作り、自分が嫌だから広告などは基本的につけなかった。
でも、会社においては、基本的には売り上げの方が、サービスの満足度より重要なんだ。
どこかのfacebookみたいに、とにかくユーザーを伸ばしてからサービスへの依存度をあげてから、広告で儲けましょう、そんな話、新卒が提案しても一切根拠がない。
そして、作りたくもないけど、売り上げは出るサービスを作るのだ。
気付いた時には、楽しかったインターネットはそこにはもういなかった。
学生の頃から、クソだと思っていた広告だらけのサービス、ミスタップを誘発するようなサービス、課金を異常に促すサービス。
そんなサービスをインターネットの中で生み出す一端に、自分自身が担っている事に絶望をしてしまう。
頭悪い文章を書き殴ることにする。
同列に語るのはおかしい話だが、
なぜそうなのかなど考えない。
「悪いこと」はしない。
では、それ以外はどうなのだろう?
「彼ら」も「ルール」というのは分かっている。
これは「悪いこと」とは違う。
見つかっても「なにやってるんだよ」と笑って済むような話だ。
こういう「ずるい」は、程度にもよるが慣れ合いの範囲内として扱われる。
それを糾弾されると「なんで?」となる。
(これ以上だらだら書くのめんどくさい)
アクションをかけられた、という事実に対して「彼ら」はさほど警戒しない。
仲間内で遊んでバカをやったりするのが「彼ら」にとってのリアリティであり、
それ以外の「本の中の世界」や「ニュースで伝えられる出来事」は
作り話のデマでも「彼ら」にとっては本当のこととなる。
あとは実際以上に「権利」を持っていると勘違いをするというのもあるんだろう。
このあたりが一連の事件と反応を眺めていて浮かんだ雑感。
>ちなみにそれはケンブリッジで研究されたペーパー等はどこにもなく、誰かがおもしろ半分に初めて広まったものみたいですが、
そりゃこの方法で2通り以上に読める文は英語にもたくさんあるから、内容は嘘に決まってますよ。
>ボラリティと間違えてたのは全く違う話です。「ボラリティ」という単語で覚えていただけなので(実際その様に書いてるサイトが沢山あるのでそちらを先に見て覚えてその後正しいのを見ても頭に入らなかったのだと思います)
でも、ボラリティって書いてあるサイトって具体的にどこですか?
ググって見つかるのだと、明らかにそれ以外の点もどうしようもないようなサイトばっかりだと思うんですが。
>???では何の話なのでしょう?やはり、単に目の前にあるチャート見て、これ上がるわー、下がるわーという単なる裁量取引ですか?
統計学の基本的な部分です。統計的予測とかの準備段階で、単に数学的な議論だけですむ範囲の話です。
裁量トレードでも、システムトレードでも、工場とかの品質管理とかでもどうぞ。
>ただ、理屈としてはこういうことだ。昔のデータだと実証もされてたはず。
>とおっしゃっていたのですが。。。
いまより踏み込んだ話のことですね。つまり、ボラティリティが必ず小さくなるというのは理屈だけでわかるんですが、実際にどのくらい小さくなるのかというのは、なんらかの仮定をおくか、過去のデータから推測するしかないんです。
上の文は、確率的に独立またはそれに近い状態という仮定をおくと、ボラティリティがずいぶん小さくなることが理屈でわかり、実際にボラティリティがずいぶん小さくなるということは、昔のデータだと実証もされてたはずという主旨です。”こういうこと”の中身として、直前に書いてあるはずですよ。
>あなたは何らかのツールをブラックボックスで使っているのだと思いますが、そうでなければその"X"はどの様に求めるのでしょう?やはり、あなたの心眼によるものでしょうか?
もちろん、ご存知の通り私は市場のボラティリティを見抜く超能力を・・・
なわけないでしょ。X自体は求めなくていいんです。分散投資のリスクが単独でどのくらいかっていうことではありません。同じ条件の場合、分散しないよりは、分散した方が必ず小さくなることが重要なんです。
>過去の動きから計算でも求めれない、あなた自身が決めることでもない、
>そうするとドリフト項を誰が決めるのでしょう?
過去の動きから求めたければ求めることもできます。この場合これからも正しいかはわかりません。
ただ、ドリフト項がマイナスのときって、どうせ損するので、リスクをどういう概念として考えればいいか難しいうえ、どうせ損するから、そんなことを想定する必要がある状況では投資しない方がいいです。そもそも、「ひょっとしたらいまはすべての株が下がる時期なのかもしれない」みたいなのはドリフト項のマイナスじゃなくてウィーナー過程のほうなんで、リスクとして想定するのは全部ウィーナー過程なんだと考えればわかりやすいかもしれません(厳密には違いますが)。ドリフト項がマイナスのとき、ボラティリティを下げると、大損する可能性はすくなくなりますが、わずかでも損する可能性はぐっとあがります。言い方をかえると、もともと損な賭けのなかで、たまたまラッキーで得できる可能性が減ります。
この場合、リスクはあがっていると思いますか?下がっていると思いますか?
>同じ資産無いで、同じリスクがあるものに分散した所でリスクは同じです。
これは全く間違いです。なんども言っていますが、同じ投資額で、同じ程度のリスクがある投資先では、分散するとリスクだけが下がります。これは理論的にそうです。
というか、これが本当なら、個別株のオプションと指標連動のオプションで裁定取引やると大もうけできますよ。
>この様に、何も分かっていない人間が、さも分かったふうなふりをして
だれのことでしょうねー。そういう人っていますよね。
>必要以上に資金を導入して結果意味の無い投資資金のせいで他でその資金を使えなくなることが多いのでは?
前にも言いましたが、ほかに資金を使いたい先があるなら、分散投資云々のまえにそっちに使うべきです。そもそも投資にまわすべきではありません。