はてなキーワード: フランス料理とは
オタクを叩きたい人に、「オタクを排除すると日本の犯罪率が上がりますよ」とデータ付きで説明しても、絶対に聞いてくれない。
オタクを叩きたい人に、「もっと心を寛容にしましょう」と高尚な説法付きで説明しても、多分聞いてくれない。
オタクを叩きたい人に、「オタク叩きする奴はバカ」と下品で幼稚な言葉を使って罵倒すると、むしろオタク叩きが増える。
オタクを叩きたい人に、「オタクを排除するとフランス料理の値段が上がりますよ」とデータ無しで説明することで、「何言ってんだこいつ」とその場ではスルーはするものの少し頭の中に残り、
テレビのバラエティ番組や週刊誌とかでで「オタクを排除するとフランス料理の値段が上がる!?」と真偽はともかく面白おかしく取り上げることで、
ようやくオタク叩きをやめてくれる、というか「フランス料理の値段が上げてまですることでもないな…」と、オタク叩きは何にもならないと自分に言い聞かせて自分で納得することで、
ようやくオタク叩きをしなくなるだろう。
http://anond.hatelabo.jp/20160614213132
まさか、料理の名前を間違えただけで離婚されるとは思わなかった……
考えてみれば、兆候はあったのかもしれない。
ちょうどよい温度に温めてあって、おまけに外はカリカリで、中はモチモチで、すごくおいしかったので、
といったら、(元)旦那が急に厳しい顔つきになって、
「それ、バゲットだから」
といって一人で黙々と食べて、その日は帰るまでほとんど会話がなかった。
そして先日
オレンジページにのってた常備菜特集で、おいしそうなのがあったから、挑戦して作ってみたわけ
自分としては結構うまくできたので、(元)旦那が帰ってきたときに、
「ラタティーユ作ったよ! おいしいよ!」
ていったわけ
そしたら彼は、文字通り青筋を立てて、
「ラ・タ・トゥイ・ユ!!!」
ていって一人で切れた
翌日の朝、起きてみたら彼はいなくて、テーブルの上に捺印済みの離婚届とメモが置いてあった
「ratatouilleです。フランス料理の基本単語すら知らない人とは一緒にやってゆけません さようなら」
憤慨することもあるけど、もとはといえば、自分の間違いだから、後悔することもある
ほんと、フランス語はちゃんと覚えたほうがいい
今、映画を年間200本見るという人の記事が話題になっている。
「結局は個人の嗜好。嗜好の近い人の紹介するものを見ればよい」
この手の、「価値基準と評価」という事柄について、ずっと考えていることがある。
大学に上がり、できた友人が美味いものが好きで、自分からみて驚くほど色々なところへ行き、楽しんで食べていた。
サークルに同期がいて、彼もあまり食に興味が無いタイプだったのだが、
「確かにミラノ風ドリアは美味い。コスパもいい。しかし、奴はサイゼリヤ以外の場所にあんまり行ったことがない」
と、食べるのが好きな方の友人が言っていた。
食好きの彼は、和洋中問わず、一度食べれば実に細かく味を把握する。
食に関することだけは該博な知識を持っており、外国の料理や文化にも妙に詳しい。
しかしその一方で、コンビニおにぎりの冷たくしっとりしたごはんが好きで、よく喰らっている。
駄菓子も好きで、体型はお察しの通りであるが、いつも幸せそうだ。
なんの話だったか。
「食の部屋」であれば、食に関する、記憶や知識をしまっておく部屋である。
例えば、「行きつけのこじんまりした喫茶店」は、手に届きやすいテーブルの上に置く。
「めったに行けない高級中華の店」は、上のほう、手の届かない棚の上にある。
「高級な中華の店は、誰でも名前を識っているから偉い」とか、そういうことではないのだ。
そういうことではなくて、単純に「自分の中でどう判断して何処にしまうか」なのである。
配置の問題だ。
味、値段、接客態度、内装、知名度、立地、一緒にいく人や使い方…
「食の部屋」でいえば、食に興味があるほど、詳細な基準があるはずだ。
某ファミレスは親しみやすい。ファミリーに優しいし「柔らか青豆の温サラダ」は最高にコスパが良い。
しかし、同じエスカルゴでも、フランス料理店で食べるものとは若干違う。違ってしかるべきである。
「どちらも同じように美味い」と感じられる者は幸いであるが、高い方が気の毒でもある。
恐らく、多く/深く経験を積んでいる人間のほうが、精緻で充実した部屋を作れるはずだ。
単純な上下でなく、諸々の価値基準を考慮して三次元的に配置された記憶は、きっと役に立つ。
映画の話に戻る。
おそらく、「映画の部屋」も、ほぼ誰の脳内にもあると思われる。
その膨大なデータが、きちんと部屋に配置されしまわれていない(ように見える)からではないだろうか。
なぜ、その映画をここに配置したか。その価値基準が分からない、というように見える。
映画が好きであれば、映画というものの歴史が頭に入っていて、その歴史においてこの映画は
どういう流れを汲む、どんなポジションの作品か、ということが見えているはずだと思う。
例えば、GoogleのPlayストアをたまに見るけれども。
「このアプリはほんとにクソだぜ!」とか「神だぜ!」とかレビューが書いてある。
アプリに限らないが、残念なレビューやコメントだな、と個人的に思うjのは、
こっちは、その製品の長所や短所が知りたくて見ているだけである。
また、ネットで見かける「オススメの本/映画/漫画ない?」系も若干不思議を感じる。
勿論、はじめからそれほど期待はしていないのだろうし、当たれば八卦で面白いのはわかる。
が、オススメするほうもされるほうも、相手の年齢も嗜好も何ひとつ知ろうとすることなく、
「オレが面白いと思った本」を無邪気に薦めていく。
そりゃ、面白い本はごまんとあるだろうけれど、その判断基準を聞かなくていいのだろうか。
「この本のどこがいいの?」「うん、このヒロインが俺の初恋の人に似てるんだよね」
みたいな理由だったらどうするんだ。いや、それはそれで面白い本との出会いかもしれないが。
散漫になってきたけれども。言いたいのは。
物事を上下でなく、色々な価値基準から観て、知識の部屋にマッピングしていくのが大事だと思う。
食べ物や服や住居はだいたい、その価値にみあった値段がついているが、
文化・芸能・娯楽などに関してはその限りではない。だから見えづらいけれど、
なんかいろんな人が入ってきてわけわからなくなっている。建前の意味はよくわからない。
「庶民的なフランス料理」は存在するけど、「庶民的な最高級フレンチ」は論理的に存在し得ないでしょう。庶民的ならば価格が安くなければならないのに、最高級フレンチならば価格が高くなければならないから。そういう意味で、「わび(貧相、不足)にすぐれた、価格が高い茶器」というのは存在し得ないんじゃないの、というのが私の疑問その一。さび、ならわかる。どうでもいいけど、さびと英語のShabbyって似てるよね。同一語源だろうか。
「貧相、不足かつ価格が高い」、というのがありえるとしたとしても、そういう茶器って、わびを素晴らしいものとみなすそもそもの精神のあり方からは、外れているんじゃないの、というのが私の疑問のその2。ものへの執着を捨てて、もてなしの精神を大事にしているはずが、金ピカへの執着がわびへの執着に移っただけ、というか。
古代では煮込み料理や生食も行われていたが、12世紀頃から強火力を用いた料理法が一般的となった。国土が広大なこともあって地方ごとの食文化に特徴があるが、油を多用し、強火力で炒めたり揚げたりすることが共通点とされる。華僑の移民に伴い世界中に広まったことで、現地に合わせたバリエーションが豊富である。
多種多様なスパイスを用いるのが特徴。米やナンなどのパンを主食とし、乳製品もよく用いる。インドには「カレー」という言葉はなく、香辛料を使ったインド料理をカレーと呼ぶのは便宜的なものにすぎない。また、左手を使わず右手だけで食事をすることでも有名。
東西交易の中心だったことから、中央アジアの羊肉、地中海の魚介とオリーブオイル、アラビアの小麦、南アジアの米など、各地の食文化を融合したような料理になっている。ヨーグルトを多用するのも特徴。イスラム圏なので豚肉は使われず、もっぱら鶏肉や羊肉が用いられる。
古代ローマ帝国の料理を原型とする。主にパスタやピザが有名。イタリア半島は南北に細長いため、異なる文化や気候に基づいたさまざまな地方料理が存在する。北イタリアではバターやチーズ、ハム、サラミなどを使った濃厚な料理、南イタリアではオリーブ、トマト、魚介などの素材を活かした料理が特徴。
16世紀にカトリーヌ・ド・メディシスによりイタリアの料理と作法がフランスに持ち込まれた。19世紀にアントナン・カレームがフランス料理の基礎を作り上げ、その後にオーギュスト・エスコフィエによって大成された。濃厚なソース、洗練された盛り付け、料理を一品ごとに供することなどが特徴。
ジャガイモを主食としており、フィッシュ・アンド・チップスが有名。その他の代表的な料理としては、ローストビーフやミートパイ、さまざまな種類のプディングなどがある。食材を執拗なまでに加熱すること、テーブルに調味料を並べて客に味付けを任せることなどが特徴。また、植民地であったインドのカレーを世界に広めたのはイギリスである。
イギリス料理をベースに、イタリア料理のピザやパスタをアメリカ風にしたものや、ハンバーガーやフライドチキンなどのファストフード文化、バーベキューやトルティーヤなどのアメリカ先住民の食文化が混じりあっている。ケチャップやチーズを多用するのが特徴。
地方によって差はあるものの、キャッサバやトウモロコシを主食とし、牛肉や豚肉、魚介、様々な豆類を用いる。かつての奴隷が、主人が食べたあとの豚の耳や足を、豆と一緒に塩辛く煮込んだというフェジョアーダが国民食。
彼女とそろそろ結婚しようということで、先日いくつかブライダルフェアを回った。彼女がうまくスケジュール調整してくれて、結果としては良いと思うところが見つかった。
無料でランチを食べさせてくれるところもあって、豪華なところでは実際の婚礼メニューと同じフランス料理を出してくれる。それはほんとうにおいしくてありがたいのだけど、どうにも慣れない。
企業としては客寄せにもなるし、実際のメニューを体験させることは効果的なアピールに違いない。料理のおいしさは重要な要素であるし、合理的な営業活動ということなのだろう。
それでも、まだ契約も交わしていないのに、受ける謂われのない接待を受けたような気がして、なんだか居心地が悪いような感じがした。
二次元やAVの美少女や白人みたいなもう絶対かないようがない相手を引き合いにだして、日本女はブスだといいまくるのは違うだろそれって思っていたけど。
俺も、文学哲学や古典の最高レベルの人間性の女の心象にかぶれて、女の人間性を叩いてる節があったんだけど、それは違うじゃん。
男は中身って女が言うから「俺は中身は分かる奴が分かる分には相当レベル高いやろ」って自分に都合がいいから信奉して、それが裏切られてるから「中身見れるほど勉強してないじゃん女は」って叩いてたんだけど
男の場合は、俺は文学哲学レベルで見ても人間性(社会性とかでなく哲学的な意味で)OKやろって思ってたから、そこに到達してない女はおかしいとか思ってたけど。
でも、この前かなり可愛い女とセックスし終わったあとに女がキレテ、「薄皮一枚の社会性だけで生きてるからこんなに馬鹿なのかあ?」って思ったんだけど、よくよく考えてみると普通なわけだ。「怒鳴ったらなんか理屈が捻じ曲がるわけではないのに、怒鳴る意味が分からない」とか思っても、そんなんは理論を積み上げて丁寧に考察する場面での話しであって、普通の社会生活にそんな理屈は要らないわけだ。
それに、外見と中身を求めるのはちょっとおかしいっていうか。両方兼ね備えるのって時間的に不可能じゃん。前提として年齢というリミットが外見にはあるし、それに対して中身ってのは熟成させるのに非常に時間がかかる。何の制限もない男がやっても死ぬほど時間かかる。それなのに両方兼ね備えるのは無理。
見た目を作ってるってことは、それに比例して中身を期待してしまうけど、そりゃ不可能だわ。将棋でプロになりながらバスケで全国優勝しろみたいな無理ゲー。
男も女も、たいていは薄皮一枚の意味も無く身に着けた社会性を人間性っていうことにしてるだけだし、見た目だってイケメンや美女の『コスプレ』をしてるだけ。それをコスプレを叩いたり、人間性なんて無いじゃないかと叩くこと自体がおかしい。人間性もコスプレに付随して「おぬし!」とか「~~~にゃん!」とか「ご主人様~」くらいまではできるけど、身のフリ心の機微まではすぐ限界が露呈する、心のコスプレも叩くのはおかしい。
人間として社会にいられるだけでそれなりに大変だし、そこだけ抑えるだけでも最低限生きていけるわけで。そこを不必要なほど求めるのはおかしい。スーパーのレジうちに微分積分を求めて教養の無さを叩くのはちょっと異常だろ。コスプレに必要な程度の素地があればあとは、いかにコスプレ技術を磨くかであって、ナマの素材の不備のほうを叩くのはおかしい。
というか、フランス料理を日常で食うわけではないから、吉野家程度の完成度と値段が大事。
見た目も味もそこそこ程度でいいわけで。あとは調味料(コスプレ)でなんとかごまかす。ちょっと内情を見て「牛肉がクソじゃねえか!」とか「紅しょうがが体に悪いじゃねえか!」とか叩くのは頭がおかしい。それだけの値段払ってから言うならまだしもさ。
普通にクッソまずくて食えないレベルじゃなければ、そこそこでいいし。中身重視(健康志向)で健康食品ばかり食いたいならそれでもいい。
ただ、日常の生活でフランス料理が出てこなかった!と怒るのは違う。フランス料理が食いたいなら、高級風俗なり行けと。あるいはフランス料理が普通に食えるくらいの年収をモテと(金持ちになれ)。
結局、人間性なり中身なりで女に不満を漏らしていたけど、それって金を払わずにっていうのと似たようなもんだな。俺が悪かったわ。
「『ただしイケメンに限る』は心理学的にウソ。」
という記事を見た。
ニコニコ大百科の『ただしイケメンに限る』という記事から飛んだので見てみたが、データも解釈もすんげー怪しいと思った。
それは後述するとして、しかし、言われてみればというのが1つあった。
『表情豊かな顔面ブサ>無表情な美形』
これは確かにある。
表情豊かで面白い女のほうが100倍いい。顔面偏差値は並でも十分後者。
(その女がこちらになびくのは考えにくいけど)
(つまらないブスはもうどうしようもないくらいゴミにしか感じないというのはある)
さらに、中学のころだったか、すんげーコミュ力高いニキビ面の太り目のややブサメンがいた。
がしかし、そいつは学年中の美女といちゃいちゃして、キスさせたりおっぱいさわったりホストみたいな奴だった。
そいつとは塾が同じですんげー仲がよかった。
そいつの話はそこそこなんだが、声が独特だった。若干しわがれたような声。
その声聞いてると気持ちいいんだな。赤ちゃんの声がしわがれたような声な。
あのリズムで乗ってしまう、さらに表情の作り方も確かにうまかった。
対して、いわゆるイケメンはどうだろうか。
たとえばジャニーズ。ああいう顔に女がきゃー!っとなるのは分かるが、
じゃあ、ジャニーズみたいな男が付き合おうってのと、表情豊かな声が良い奴が付き合おうといったとき、女はどちらになびくか?
ブサメンというから不快感がありそうに感じるかもしれないが、そいつはマジで話しや声が飽きない。表情もあきない。
対して、イケメンは、飽きると思う。だって、おもしろさには顔はかてねーよ。人間的なつきあいがまったくできそうにないように感じる。
実際、男同士でもイケメンはつまらない奴が大半。面白いイケメンなんて見たことほとんど無い。
イケメンは所詮目の保養かなあ。というのは確かに言われてみて納得がいく。論理うんぬんより遙かに腑に落ちた。
で、思うのだけど。
ジャニーズみたいなイケメンは不快感の無い声を確かにしているが、あれはつまらない。
コンビニ弁当やたこ焼き、あるいはフランス料理が好きと言っても、やっぱ普通の地味なご飯が普通にいいんだよ。
とは言ったが、じゃあ、女はどうだろう。
AV女優並みの美女が居たとして、確かにセックスしたいと思う、AVみたいに甘えた感じの人格でセックスし続けられたら最高だろう。
だが、どー考えても、性処理以外の楽しみを見いだせない。なにを置いてもセックスしか結びつけられないように感じる。
対して、そこそこ程度の見た目の女が表情豊かで面白かったらどうだろう。これはいくらでも行けると思う。
二次元でも、美女がアンアン言ってるだけの漫画は抜けない。ある程度の親しみとか性格やシチュエーションとかがナイト厳しい。
二次元ですら性格やシチュエーションが要求される。逆に汚い絵でもシチュエーションがよければ普通に抜き続けることはできる。
ずーっとアンチ女だったが、確かにこれはある。
いきなりふにおちたわ。
いままで、女に対しては、「女って外見を大切にするタイプだから、ブサメンの男を連れ歩いてると恥ずかしいんだろ?」って思ってたが、
心から面白いと思える表情豊かなブサメンが、そこそこ身ぎれいにしてれば、恥ずかしいなんて気持ちより優先されるに決まってるじゃん。と感じた。
がしかし、一方で、やっぱりイケメンに群がってる女も普通にいる。
やっぱりただしイケメンに限るってのは学校で体験した通りなんじゃないの?と感じる。
あれ?やっぱりリアルでもイケメン相手だと女どもは態度変えてるじゃん???
あ、やっぱ※は正しいは、女の態度が証明してる。
ネットで何を女が取り繕うとしても、※は正しい。
例外的に、声がよくて赤ちゃんみたいな男ならブサメンでもつきあえるってだけだな。
やっぱ女はクソ。
イケメンの話をしているはずなのに 『表情豊かな顔面ブサ>無表情な美形』の時は女から見た男のデータやん。
しかも元データもそんな堂々と見た目を重視してますなんて女おらんやろ。
あと、かわいいって言われますみたいな女のほうがイケメンですという男より受けがいいってのは、自分からイケメンっていう奴に女が引いただけかもだろ
女があたたかさを求めるってデータも女はそう装うからかもしれんだろ。
データの部分は全く信用できなかった。
あと、とある道民のコメントを借りると「牛肉って、なんか乳臭くてんまくないね」だそうだ。奇しくも、明治のはじめ頃、まだ牛肉食べ慣れない時期の日本人一般のコメントに似ていて興味深い。
それ、単に乳牛食ってるからだろ。びんぼくせえな。
その辺の貧乏人が行くチェーンの焼肉やで流通してるのは、乳牛、な。
また、牛肉有り難がる日本人だけど、世界で食われてる牛肉は、日本とは違って「草っぽくて赤身でおいしくない」系の肉だからね。
食にこだわりがないからな。フランス料理だって加工しまくりで、食材を活かす、なんてことしないだろ。だから牛肉が発展してないんだよ。
東京人は、世界から見れば特殊な牛肉を妙に有り難がってる田舎者だと思われてるかも、ということをときどき自覚した方がいいと思う。
それと、日本の牛肉は世界一だから。それは特殊かもしれないけど、その牛肉を食べるために海外から金持ちがやってくるくらい。
日本の牛肉食べたらもう自分の国の牛肉は食えないってのが多いんだけど、そういうこと知ってる?
最近立て続けに「毎日○○ばかり喰ってるとたまには別のものも喰いたくなるだろ」という比喩を用いて浮気の正当化を図る人間に対する秀逸な反論を見つけたのでご紹介します。
994 名前:恋人は名無しさん :2014/04/10(木) 09:00:09.22 ID:VVCbRf4c0
たまには違う料理を食べたくなるのは人として当たり前。
995 名前:恋人は名無しさん :2014/04/10(木) 09:51:32.92 ID:BH7aKQh00
>>994
という指摘がおかしいとでも言うの?
996 名前:恋人は名無しさん :2014/04/10(木) 09:58:43.64 ID:p7YKDUvG0
>>995
998 名前:恋人は名無しさん :2014/04/10(木) 10:11:08.77 ID:BH7aKQh00
>>996
今居る店から出なければ、他の店には入れないよ
999 名前:恋人は名無しさん :2014/04/10(木) 10:25:24.21 ID:yNF2nHmA0
すごい名言を見たw
確かにその通りだね。フランス料理の店で中華が食べたくなったとき
そこに出前頼んで持って来させたら出てけって言われるし
まともな中華屋なら持っていけませんって断られるわw
けれど中には「いいですよウチで食べてください」と言って
自分の店内で他店のレバニラ炒めを喰うことを許す奇特な店もあるだろう。
5 :恋人は名無しさん [↓] :2014/04/10(木) 14:34:52.64 ID:ade/htbL0
結局、店を出ずに他の料理を食べたい人ってのは
ケジメやルールを無視して自分勝手に振舞いたいってだけなんだな
普通なら、店をたたき出されても文句は言えないし
7 名前:名無しさん@家庭ちゃんねる:2014/04/09(水) 21:42:56
私も一番大切なのは奥さん、愛してるのも奥さん
夜もちゃんとしてる
でもたまには外食したい
夫婦じゃできない事もいろいろしたい
女房にはできないような
8 名前:名無しさん@家庭ちゃんねる:2014/04/09(水) 21:51:54
>>7
どうでもいいけど、牛や豚と同じなのに!屠殺はかわいそくないんか!っていうやついるけど。
家畜を肉として利用するまでに、超おおざっぱにいうと
2. 殺して肉にする
っていう二つの段階があるとする。
フォアグラの場合、第1段階、肝臓を肥大化させるための飼育方法、強制給餌が残虐であるから、少なくない数の活動家や一般市民、あるいは動物愛護団体から非難されているんであって、2の殺すことは問題にそもそも含まれてない。
なので、どうせ殺すなら一緒じゃん派は、そもそも問題になってないことを取り上げて見当違いなこと言っていることに気づいた上で議論に参加してください。
あと、強制給餌のビデオとか劣悪なブロイラー飼育のビデオを見てないやつは、とりあえず見ろ。
俺は別にあのカモに同情するとかじゃなくて、あんな作り方して無理やり作ったもんなんか、絶対に美味しかないし、ましてやファミレスとかコンビニで積極的に流通させるようなもんじゃねーだろと素直に思う。
いや、それ、供給できる範囲でやるんじゃないのかね?
日本でフォアグラが弁当になったとしても、それが鮭弁感覚で食べられるようなら別として、
そこまで影響はないと思うのは当たり前なんだけどな。
それとも、コンビニで売り出したら日本はフォアグラ消費大国になるのかね?
訴えてる基地外団体も、その量とか自体、別に問題じゃないだろ。ただただ、フランス料理店とかは既にあるから訴えても難しいけど、
新しいものなら潰せる、自分たちが目立てる、ってことで訴えただけで。