はてなキーワード: フランス料理とは
フランス料理を食べにいく人達がプロの料理人が作るようなフレンチを作れなくても、そこそこのフレンチは作れる。というのが世界レベルなわけだが?
そうなのか。。。?ごめん、お前が今までに作った「そこそこ」のフレンチって何?あ、ごめん、もしフランチレストランなんて行ったこと無いなら。。。
原監督って言うなればフレンチレストランのオーナーシェフ的な立場だろ?現場の料理長ってほど現場で自分でやることは無いが、
全体を管理して指示をだせる様な単なるオーナーよりもよりシェフに近い立場の。
監督ってノックとか、まだまだ体動かしますからね。ある意味、フレンチレストランで、実践的に横で調理一緒にしながら教えてる、とかそういう立場だよね?
‐ 2020年12月、トーキョー ‐
より便利により早くより安価に物が動き人が動くことが可能になったものの、
今はすっかり人々の生活に定着したタブレット端末によりAamazonのサイトで
いわば職人道具と化していた)
パートナーとは恵比寿か代官山に食事に行こうかとも提案したが、
お気に入りのイタリアンレストラン「アリエッティア」がなくなったこともあり
家でテレビでも見ながら食事をして過ごそうということになっていた。
24日のクリスマスイブは贔屓にしているコメディアンのバラエティ番組が放送されるので
外に食事をするより家でのんびりするほうが私は気に入っている。
40歳になっても動画サイトで二次元のヒロインとクリスマスを過ごす、
という内容のタグを漁る習慣は抜けないでいる。
クリスマスのシーズンに聴く音楽は大抵iTuneストアで購入する。
ビートルズの【ラスト・クリスマス】、ジョンレノンの【イマジン】
ドリームズカムトゥルーの【WINTER SONG】、山下達郎の【クリスマス・イブ】は
毎年欠かさず聴くようにしている。
今年はそのプレイリストに流行りのアイドルソングか今季で一番お気に入りの
アニメソングを入れようかと思っている。
大学時代からの熱心な趣味(と言って差し支えないだろう)であるアニメ鑑賞は
この歳になっていても続いている。むしろその病的な情熱はより強くなったと言っていい。
1週間地上波の番組を全て録画することができるHDDレコーダ**(ソニー製)には
パートナーが呆れるのも無理はない。
週末はたいてい道場に行くか図書館に行くことを日課にしている。
気が向けば隣町のラーメン屋までドライブに行ったり、都心まで足を伸ばして
外出するのが億劫な場合はネットワークゲーム(すでに7年もやっている)
に興じて一日を過ごすこともある。
本は主に日本文学やミステリー、SF、技術書、ビジネス書、自己啓発書などを中心に
読んでいる。東野圭吾が未だに現役なのには驚きを禁じ得ない。
自分で創作した小説まがいのものをWEBにアップすることもたまにあるが本格的な長編を
完成させたことは一度もない。いつかしっかりとした長編SF小説を買いてみたいがそれは
まだずっと先のことのようだ。その夢が叶うのはあるいは老後かもしれない。
ライブなどもたまにいく。
ロックフェスの数もだいぶ少なくなってきたが
それでもライジングサンフェス、ロックインジャパンフェス、サマーソニック、
フジロック・フェスティバルなどの主要なフェスには根強い音楽ファンが毎年何万人も
参加している。初音ミクなどのVOCALOIDのDJもだいぶ定着してきたようで
アニメ色がより強くなったのは2000年代では考えられないことだ。
相変わらず邦楽ロックが中心にミュージックステーションとかに出演するようなアーティストを
好んで聴いている。ジャズやクラシックにも挑戦したいと思っているが
若いころに比べるとだいぶ腹も出てきたのでなるべく運動はしようと考えている。
年に1度はするようにしている。
なんでも手を出してすぐに飽きる癖はなかなか抜けないようだ。
月に一度は料理をする。
(ちなみにオニオンフライを下品にならない程度に散らすのが美味しさのコツだ)
酒は相変わらずビールを中心に飲んでいるが
バーボン、日本酒、焼酎、ウィスキー、ワインなども好んで飲むようになった。
たまに燻製を作ったりすることもある。
行きつけのバーも随分増えてきた。
新宿のゴールデン街や池袋のショットバー、中野の立ち飲み屋などに
行くのが週末のささやかな楽しみだ。
焼き鳥屋や蕎麦屋で晩酌するのが好きだが家庭的なイタリアンレストランだったり
本格的なソーセージを食べさせてくれるドイツ料理、泡盛が飲める沖縄料理、
銀座では映画を見たり、老舗のスイーツを買いにいったりするのが好きだ。
みんなそれなりに年をとり良くも悪くも変化していった。
インターネットの高速通信網は日本中に貼り巡り(それは私に生物の毛細血管を連想させる)、
かつて”スマホ”と呼ばれるものを肉体に移植するのが普通になったが、
脳の情報をデジタル情報に置き換えて肉体を必要としなくなる時代が到来するのはまだ先のようだ。
人類がテクノロジィに踊らされているという状況はいつの時代も変わることはない。
願わくばテクノロジィが戦争の為でなく人類の平和のために使われることを
ひどく薄いインスタントコーヒーとともに。
やや旧聞に属するが、「韓国の茶道では魔法瓶を使う」というのが、はてな・にこにこ動画・2ch等で話題になり、
「茶道なのに魔法瓶wwww」ってな感じの嘲笑のコメントが数多くついていた。
(これね→http://www.nicovideo.jp/watch/sm21555732)
「フイタ」理由として挙がっていたものを最大公約数的にまとめると、
「韓国の茶道には威厳ってものがないのかwwww」ってのになると思う。
しかしこれらは日本の文化を多少知っていれば、どちらもおかしいと分かる話だ。
まず前者のどこがおかしいかであるが、そもそも「お茶を飲む」という習慣はお茶の原産地である中国ではじまり、
そして日本にきた段階で始めてお茶がわび・さびと結びつき、日本の茶道ができあがっている。
(珠光が結びつけ、利休が完成した。)
だから日本以外の国のお茶にわび・さびがないのは当たり前の事に過ぎない。
わび・さびは日本特有の(だからこそ誇るべき)文化なのだから、
イギリスのティーパーティにはわび・さびが感じられないといって嘲笑うのとたいして変わらない。
昔読んだ本によれば、江戸時代、茶人といえば変人の代名詞的な側面があり、
極端な例になると、わび・さびを演出する為に新しい茶碗をわざわざぶち割り、それを修復したり
したそうだ。
利休自身、たった2畳しかない茶室・待庵を作るなど極度のミニマリズムに走っており、
お茶を飲むだけの為にこんな狭い部屋に入らねばならない理由は
日本人ですら理解する人は少なそうだ。(だからこそ江戸時代変人扱いされた。)
私自身は利休の茶道を一切の無駄をそぎ落とした素晴らしいものだと思ってはいるものの、
日本のこんな極端な文化を基準にして他国のお茶の文化を嘲笑うのは
さすがに無茶としか思えない。
次に「韓国の茶道には威厳ってものがないのかwwww」って意見に関して。
韓国をはじめ海外のお茶の習慣はよく知らないから断言はできないのだが、
冷静に考えてみれば分かるようにそもそもただお茶を飲むのに威厳を要求する方がめずらしい文化
なんじゃないか?
日本では茶道、武道、芸道、香道などのように
「道」を求める文化があり、それは禅が関係しているそうなのだが、
禅は仏教の一形態に過ぎないのだから、他の東洋の国が同じような文化を持っているとは限らない。
それに日本の茶道は秀吉をはじめとした権力者と結びついていたが故に威厳を求められた
という事情もあるだろう。
であるなら、歴史や文化が違えば、威厳なしでお茶を飲む茶道だってありえるはずなのだ。
だって、多かれ少なかれ茶道というものは礼儀作法であり、おもてなしなのだから。
丁度フランス料理を食べるときの作法が一通り決まっているように、
であるなら、魔法瓶でお茶を飲むときの「礼儀作法」が「茶道」として
きちっと決まっているならそれはそれでよい事ではないか?
魔法瓶でお茶をさめないようにするのもおもてなしとして理にかなっている。
一方日本の茶道は魔法瓶のような現代の日用品を使った場合の作法について
何も教えてくれない。
人間、どうしても自分が学んできた事・知っている事に縛られてしまい、
外国の文化を自国の文化を基準にして裁いてしまうという愚行を犯しがちだ。
だが今回の件はそれ以前の問題として、そもそも自国の文化にすら詳しくないが故に
起こってしまった誤解のように思える。
自国の事すら知らない人がなぜ他国の事を裁けるのか。
他国を判断したければまず自国について知らねばならないのではないかと思うのだ。
付記:
こういう記事を書くと「茶道の韓国起源説が~」というレスが沢山つきそうだが、
そういったものとは別次元の指摘だと理解していただけると思う。
フードコートやファミレス、マックをありえないと目の敵にする女vsそんな女と付き合って自らATMになるなんてまっぴらだという男、の争いをよくネットで見かける。
しかし、「高級レストランに行きたい病」になるのは、多くの女性が人生の一時期通る道、社二病の一種ではないだろうか。
私自身、そういう時期があった。
生まれ育った実家は田舎だったので、家の食事は鮭の塩焼き、納豆、お浸し、漬物、など純和食が中心で、洋食の時もハンバーグやトンカツ、カレーなど、オーソドックスなものばかりだ。外食する時もうどん屋、天丼屋などで、たまに寿司屋やうなぎ屋に連れて行ってもらうのが最高の贅沢。フランス料理なんて食べたことがなかった。
大学に進学する時に、地方都市で一人暮らしを始めたけれど、少ない仕送りでやりくりしなきゃいけないわけで、一人で食べる外食はマックか学食だったし、友達と飲みに行く時はチェーン店系居酒屋だった。
テレビドラマで見る、高級レストランでシャンパンで乾杯してるシーンなんて、ファンタジーの世界だった。
最初の新人歓迎会で、いきなり飲んだこともないシャンパンを注がれ、キャビアだのフォアグラだの名前は知ってるけど食べたことのない食事が運ばれてきた。
先輩に誘われてランチに行くと、ジビエ(なにそれ)のラグーだの、何かの魚卵をふりかけたパスタ(あとでカラスミだと知った)だのが出てきた。
テレビで見た「高級レストランでシャンパンで乾杯」はファンタジーではなく現実だったのだ!
そして、食材も調理方法もワインも、まったく分からない無知な自分を恥じた。
なんとかして食の常識を身につけなくては。先輩の知識に追いつかなくては。このままでは私は貧乏舌の田舎者だとみんなに軽蔑されてしまう、と思った。
というわけで、外食する機会があるたびに、なるべく食べたことのないものを食べては、忘れないように感想をブログに記録するようになった。
マックやチェーン店に行きたがる友人をバカにするようになった。というか、本当はその友人をバカにしていたのではなく、「昔の無知な自分自身」をバカにしていたわけだけど。
とにかく、高級レストランで食事するのが世の中の常識、そんな店に行ったことのなかった今までの自分は恥ずかしい存在、と思いこんでいた。
学生時代の彼氏にはフラれた。そりゃ、デートのたびにシャンパンを頼みたがる彼女なんて負担だよね。
でも、私の食への固執は一時期の熱病みたいなもので、2、3年で落ち着いた。
どうしても食べてみたかったものを一通り食べて、知識欲が満たされたからってのもある。
ミシュラン三ツ星に選ばれるようなレストランも和洋中合わせて10軒くらい行ったし(ほとんどランチだけどw)、とりあえず「無知で恥ずかしい」レベルは脱したと思ったので、気が済んだのだ。
というわけで、その後に出来た彼氏とは、普通にマックやラーメン屋でデートしてた。さすがに年に一度の誕生日くらいはフレンチに連れて行ってもらったけど。
今ではその彼氏と結婚して、週末は2歳と4歳の子を連れてフードコートで食事するのが定番になっている。
だから、高級レストランに行きたがる女性=わがままで贅沢で身の程知らず、と断定して否定するのはやめて欲しい。
身の程知らずなのではなく、無知な自分を恥じているからこそ、その無知を克服するために行きたがるのだ。
で、「じゃーなんでもいいよ和食でもフランス料理でもよー」ってちょっと投げやりに言ったら、「そのくらい考えてこいよなー」だってよ。
そこは
「お前の頼みで取りたくもない仲裁の労を取ってやってんのに何だその言い草は、何様のつもりだてめぇ表へ出ろ」
ってキレても止むを得ない場面と思った。
お疲れさん。
A(割と良くしってる人)とB(あんまり知らない人)がケンカしたんだって。
で、Bが、君はAと仲良いから仲裁してくれっつうわけ。正直知らねえよと思うよ。でも、あんまり知らない人だけに、無碍にも断れないじゃないですか。話を聞くと、自分はAに良かれと思って色々しているけど、それが裏目にでちゃって、もう自分からのアプローチはダメだと。でも別に関係を切りたい訳じゃないから、仲裁をしろと。いやーまあー、それとなく話してみるわーなんつって帰宅。
で、Aに会ったときに、軽くBの話をするわけ。そうすると、AはAで、Bは取り扱いがめんどくさいんだよねーみたいなことを言うわけ。AはあんまBのこと好きじゃねーのかなー、ちょっと態度わりーなー、でもじゃあBは関係切っちゃった方が楽なんじゃないかなーと思うけど、何しろ頼まれてるから。それで、Cという全員と共通の知人を入れて(Cには軽く事情を話して)ちょっと飯でも食いに行こうやと誘うわけ。Aはちょっと渋るけど、まあCは知っているし、CがBに会いたいつうならしょうがねーな、ということで、飯を食いに行ったわけ。
でね。
俺の期待としては、まあAとBが和解しないまでも、間に人が入った状態で一回飯食ったら、じゃーケンカの続きすっか、とはならないだろうと。
そうだよね?ここが唯一不安といえば不安なんだけど、大人としては、「ちょっとうまい飯を一緒に食いにいく」は、「内心はどうあれ、まあそこそこ今後もお付き合いしましょう」の意味あるよね?美味しんぼだったら心底和解するくらいのアレだよね?
あと仲良くするかそれなりに距離を持つかはしらんけど、これで義務は果たした、と思ってたら、
Bが中華料理とかふざけんなっつうわけ。いやそこ?料理の種類はどうでもよくねえ?
100点の回答はわかんないけど、仲裁してくれっつわれて、ここが小学校でAとBが小学生同士で俺が担任、だったら、まあ違うやり方をするかもしんないけど、まあそこそこの大人同士の関係で、(…仲裁?この年で?)みたいになりながらも、知らない振りでしかも共通の知人を入れてみんなで飯、って60点くらいはいってない?しかも、「その方法はねえよ」っつうなら、「じゃあ方法まで指定して頼んでくれよ」って思うは思うけど、まだわかるんだけど、「中華料理はねえよ」は本当に知らねえよとしか言いようがないんだけど。
で、「じゃーなんでもいいよ和食でもフランス料理でもよー」ってちょっと投げやりに言ったら、「そのくらい考えてこいよなー」だってよ。
AがBをめんどくさがるのもちょっと分かるわー と思ったけど、ここでケンカになると無駄に火種が広がるので、まあなんとかごまかして食事終了。解決?多分してないんじゃない…。
とどめが、後でCに、なんか変な感じになってごめんなーって言ったら、「あれはお前が悪いよ」「こういうときはAかBが決めればいいんだよ」だって。あれえー?「いやいやお前も大変だな」は?
いいかげんにしてほしいわ
調理時間や後片付けにかかる手間、時間は慣れと創意工夫でいくらでもコストダウンが可能。
他人から急に食事に誘われた場合、あなたの家の冷蔵庫もしくは冷凍庫に食品を入れよう。食品はそんなにすぐに腐らない。
普通、一人暮らしの部屋に置き場所に困るぐらい調理器具を買わなくても、料理はできる。あなたが家でフランス料理を作ろうとしているなら話は別だが。
コンロが1つしかないのなら電子レンジやオーブントースターを使えばいい。コンロを使わなくてい料理のレパートリーを増やすのは基本だ。
匂いは換気扇をつけることと部屋の窓を開けることによって解決する。
慣れたらレシピなど見なくても一人分の量を手早く作ることは可能になる。
安く抑えるためには「調理したもの」を冷凍するのではなく、1回分に小分けした状態のご飯や肉、切り身魚など、「原材料」を冷凍するのがいい。
外食はカロリーや脂肪分、塩分の高いものが多い。一方で、野菜が圧倒的に不足しがちだ。
メタボや高血圧、脂質異常症になって医者にかかるようになれば、結局のところ医療費が高く付く。
このように、外食やコンビニ弁当よりも自炊のほうがコスパに優れて便利なのは明らかである。
しかし、何が美味しくて何が不味いのか、金や時間や健康に対する考えは人それぞれなので
http://anond.hatelabo.jp/20130428123244
ははは、わかるよその憤り。
優劣じゃない、差異はある、と。
音楽理論を学べばわかることだけど、音楽における重力はひとつじゃない。
「差異」はどこを底辺とするかじゃないの?
フランス料理を底辺としたらポテチが最高!とかありうる。みたいなね。
難しいよね。
嫌いなものが出されたとき、例えばフランス料理のコースとか、そこまで行かなくてもちょっとしゃれた雰囲気の食事会ならメニューを吟味する際に出来るだけ避けるようにし、それでも出た分は仕方が無いので出来るだけ食べる。味付けが上手いので大体は普通に食える。
飲み会なら食べない。そもそも手を出さないようにするが、出てきたら除けて残す。除ける量が多すぎなら仕方がない、半分くらい咀嚼せずに飲み込む。
自宅ではむろん食べない。調理自体を避ける。
「好き嫌いはしつけの問題」と言っている奴らは大体勘違いしてる。
そこにしつけの要素が入り込めるのは「それを嫌いと大げさに騒ぎ立てる事で場の空気を悪くするのがマナー違反だから」だ。
あくまでそういった周囲への気遣いとしてしつけは許容される。
黙って皿に残しておくのも気に入らないという奴は勘違いに加えて「出されたものは残さず食べる」という調理者への気遣い故のしつけとも混同している。
「しつけ」を盾に味覚の好みにまで介入すべきではない。それならメシマズスレ案件のうち栄養成分として健康に影響のないものは全て黙って食うべきだという話になる。
もしも幼少期に「好き嫌いするなとしつけられた」人間がいたとしたら、そしてそのしつけを根拠に周囲に同様のふるまいを強いたとしたら、そいつは可哀想なやつだ。他人から押し付けられた行動原理を他人に押し付け返すことしかできない、不快で頭の悪い可哀想な連中だ。
俺は幼少期、アジサバを焼いたもの以外の魚と緑色の物とニンジンは基本的に食わない、加えて唐辛子のような辛いものとネギ類は食物とみなさないというかなりの偏食だった。だが俺の親は(特に母親は)好き嫌いするなとは「しつけ」なかった。
その代わり彼女はあらゆる手を試した。食べなければ大きくなれない、病気になると俺を論理的に説得し、手を変え品を変え調理法を変えして(主に野菜類を)食卓に出し、むろん頻繁に「○○も食べなさい」と食事中に俺に口出しした。
が、断固拒否した俺に対して、無理矢理口をこじあけてねじ込むとか、俺の嫌いなものばかりで食卓を埋めて食べざるを得ないように追い込むとか、食べ終わるまで食卓から離れるなと命じるといったことは一切しなかった。
それは別に俺の意志を尊重したとかいうことではなくて単にそんな気力が無かっただけだろうが(嫌な顔もしたし不機嫌にもヒステリックにもなったし何より食事時が近づくとため息を死ぬほどついていた)、結果的に俺の成長にはプラスに働いた。
俺は嫌な事は嫌だと言って抵抗する権利が自分にあることを身を以て確信できたからだ。
当然摩擦があることは覚悟していた。母親自身が警告していた。「大人になってお食事の席で食べ物を残すと皆に嫌われるよ」と。
だが彼女はそれ以上はしなかった、つまり残すか食べるかの選択自体はあくまで俺自身に委ねたのだ。
教育だったかと言われれば疑問かもしれないが、少なくとも俺は大いに学んだ。「悪」の定義、マナーの意味、何より意志とそれに伴う責任について。
食事においてはサラダは大きなボウルに盛り付けて各時取り分ける形式になり、食後の果物に並んで水で飲み下すサプリメントが出るようになった。
肝心の偏食癖自体は高校時代まで続いたがその後和らぎはじめ、大学入学と同時に一人暮らしをする段階には大部分が消えたと言っていい。
結局「別枠」だった辛いものとネギ類は今でも食べないが、食事に野菜は欠かさない程度に回復したし、晩にはサラダしか食べない日もある。「何でも食べる」がやや行き過ぎて、においの強い羊肉や香草を好んで食べたり馬刺しのために遠くへ遠征したりするので母親からときどき引かれている。
父親は俺に軽度の自閉スペクトラム障害あるいは注意欠陥障害に伴う知覚過敏があったと疑っている。
考えなしの大人が「本を読め」と言ったりするが、幼稚園の頃や小学生低学年までに
本の読み聞かせなどして、物語を言葉だけで浮けとる訓練をされていない子が読書の
習慣など持つ訳がない。
本を読む子が賢いのではない。賢い子が本を読むのだ。
大体、どう言う本を読めといえない時点で親も読書の習慣ないとしか思えない。
スプーンでしか食事できないより箸が使えた方が良いよね。程度には本が読めた方が良い。
フランス料理のフォーク、ナイフが使えるそんなレベルで読書など出来なくて良い。
本はお酒と同じで、多少嗜める程度で問題無いのだ。
読書は、知識と経験が無いと楽しめない。知識と経験を総動員して堪能するのだ。
だがこれは一種のスキルなのかもしれないと思ったはてブがあった。
推理小説の有名どころを挙げられても、読んでもちっとも面白くないと言う人物
が居たのだ。本読みは同じように堪能出来る物と思っていたが本が読めるのと、
だから本を楽しむ能力の無い人に本を読めと言うのは苦行を与える様な物だろう。
必要な読解力が備わっていれば無理に本を読む必要は無いのだ。
大体、人は自分の望む物しか読まない。それは人を偏らせ害と為す。
勝手に脳内補完する癖がついていて対人コミュニケーションが壊滅的だった。
だから本は人の糧にもなるが、溺らして人の成長を阻害することにもなる。
中学時代に勝目梓、菊池正行、菊地秀行、志茂田景樹なども良く読んでいた。
読んではいないが、都知事の障子ちんぽな本も中学生の子供に読ませたい物で
はないだろう。
架空戦記なども、超兵器があれば一発逆転的な作品が多く、宇宙戦艦ヤマトや
ガンダム等の一機の超兵器が戦況変えるなんてファンタジーが強調されてたり
する。
現役の自衛隊幹部が少数精鋭で航空機を揃えるな宣うバカが居たり、自分達の
造ったファンタジーに酔いしれてたりする。10億人の国に対峙するのにだ。
軍事は質と量なのに!!
話がそれてしまったが、結局本は本人の能力程度にしか読めないのだ。
そこら辺は周囲の人間が子の能力を伸ばしてあげないとどうし様もない。
漫画でも本でも読んでいたら、どう面白かったか聞いてあげたりするべきだ。
そうすることで読む力はついていく。
今よく知られている契約を振り返っておこう。
・割引クーポンを、客は買取る。(使ったときに払う、ではない)
・クーポンの売上をGrouponと店で折半する。(50%, 50%)
・クーポンは、50%引きあたりが限界値。(75%~90%もざら)
さて「体の良い広告だから儲けが出なくて当然」というのは「広告費としてはまあまあフツー」な時にしか主張できない。
実例を見ると50%はそこそこ、70%だと結構な数購入される。
すると、店としては「どうせ損失だし、注目度の高い70%にするか」となってしまうかもしれない。
だがちょっとまって欲しい。
今まさに実例として『75%OFF、1980円のフランス料理のクーポン』が出ている。
元値7920円の、5940円割引だ。
あと2日の時点で、1177枚購入されている。利用は3ヶ月に限定されているが枚数の限定はない。
最終的に1300枚売れた、としよう。
・お客が払ったお金→1980円x1300人=257万4千円
・Grouponの取り分→257万4千円の50%=128万7千円
・店の取り分→257万4千円の50%=128万7千円
・店の損失→5940円x1300人=772万2千円
結果として『店は643万5千円で広告を出した』という事になる。
そんなに広告費を出しているという自覚はあるだろうか。
しかし、良く考えて欲しい。
クーポンを出さなければ7920円のディナーだったのだ。
643万5千円の広告で客を呼ぶ理由があったのだろうか。
例えば7920円のディナーというのが、普段ほとんど注文のない、カモ向けメニューだった場合だ。
これで通常想定している客単価が2000円だとすると、そう悪くない。
・通常は2000円の4割原価で800円(光熱費込)
→差分の1200円が店の取り分
→クーポンとの差分が1188円、さらに半値の594円が店の取り分
・総損失(広告費)は、(1200-594)x1300人=78万7800円
これなら、80万円の広告費で店にお客をワンサカ呼べる事になる。
ほぼ間違い無く客が来る広告としては、妥当なところだろう。