はてなキーワード: ナマモノとは
私の会社には寿司がいる。ネタはマグロで握り型、そう珍しくないタイプだ。シャリは少し温かく、サビ抜き。少々慌て者だが穏やかな人柄で、けして女の子にモテるようなタイプではないけれど、人に信頼されるタイプの人物――いや、寿司だった。
寿司が社会進出しはじめたのは、今から十年ほど前のことだった。当時の私はまだ中学生で、友達とのグループチャットでの対応がこの世でもっとも大きな悩みであるような小娘だったが、この事件についてははっきりと記憶に残っている。
「寿司と仕事をするだって? そんなの腹が減って仕方がないじゃないか」
テレビを見ていた父が忌々しげに叫んだのを今でもよく覚えている。
「いいじゃない、あなた。だってナマモノは苦手でしょう? 寿司がいたってお腹が減ったりしないわ」
「そりゃあそうだが、母さん、あれだぞ。俺はサーモンだけは別だ」
テレビに写っているのは炙りサーモンの女性だった。まだ若いらしく鮮やかなオレンジ色の表面はつやつやと輝き、ところどろころに見事な焦げ目がついているのだった。
ああ、美味しそう。私は思わず舌なめずりをした。父と違って私はナマモノだって食べれるし、寿司をほとんど愛しているといってよかった。
一瞬にして現実に引き戻された私は、はいはい、と生返事をしながら慌てて受話器に手をかけた。内藤さんは本社勤務のカンパチである。早稲田大学卒のエリートでプリプリのカンパチだ。相当モテるらしく高飛車な性格で、いつも隣に鉄火巻だの軍艦巻きだのの女の子をはべらせている。
彼、海苔が好きらしですよ、いやらしい。二つ下のイカ握りの後輩が話していたことを思い出す。海苔が好きである、ということと、男性のいやらしさというのが直結せず、私は曖昧に頷いたものだった。
何処にも書けないのでかかせてくれ
twitterには多分十年くらいいる
だからtwitterにはいろいろな流行り廃りがあることはわかっているつもりだしすべて受け入れられると思ってきた
名称はままあれど、
Twitterユーザー(フォロワー)とtwitterユーザーをカップリングにする、腐女子の遊びだ
ユーザーをキャラクター(概念)のように扱い、カップリングを作る
たとえばフォロワーにイワシとサンマがいたらイワシ×サンマ、イワサン、といった具合だ
この概念CPは腐女子はまりたてのいにしえの時代によく見かけた
たとえばクラスメイトの男子たちをCPにするとかそういうものから始まると思う
解りやすく作品になっているのは、影木栄貴と蔵王大志の、自分たちをモデルにしたBL『color』だ
盛り上がる。内輪では。
最初は仲良しなんだなーと眺めていたが、
それが目に付く回数が増えるにつれなんともいえない拒絶反応が自分の中で出ていることを感じ始めた
見たくないのである
もしかしたらナマモノが好きなら受け入れられるのかもしれないけれど、わたしはナマモノは通ってこなかった
でもワードミュートをしたら、本人の名前そのものをミュートするので他のツイートも見られなくなってしまうし、
共通フォロワーの普通に呼びかけている名前ワードもミュートになってpostが読めなくなる
自衛ができない。
つらい
そのフォロワーカップリングは空リプで投稿されているため、スルーしても問題ない
つらい
多分私ももっと若ければ混ざってたのしくフォロワーカップリングできたんだと思う
だけれどそのノリについていけない
つらい
わたしはどうしたらいいのだろう
作品が好きで繋がったのにブロックミュートしないといけないのだろうか
昔は四六時中張り付いていたのに、である
こう思うのは少数派なのだろうか
だれか対策を教えてくれ
あたし、普段とってもいい人なの。
悪口なんて滅多に言わないわ。
(ここに吐き出すからね)
(ちょっとした誤差の文句はここに書けば、同意してくれる人がいたり、叱られたりするからおもしろい)
(同僚の愚痴は感じたら即投稿!同意が得られたらよりスッキリ!!!!)
実家の家族のドロドロも、ぜんぶここに書くの。お父さんが働かない、遺産独り占めのギャンブル狂で、心の病気っぽいみたいで最近は実家がゴミ屋敷、さらに兄弟みんな非正規雇用者で親がもらえる年金もゼロなんて、周りの幸せそうな家庭で育ったであろう人たちの誰に相談すればいいの?
あはは。
もう何ヶ月か前から、今住んでる家がどうしても片付けられなくて、片付けたいのに片付けられなくて、ナマモノのゴミはなくても、ものがぐちゃぐちゃになってることとか、実家のことでストレスがたまったら、恐ろしいほど甘いものを大量摂取してしまうこととか、ここ以外にどう吐き出せばいいの??
もうわかんない。
いつだって、明るくてステキなA子ちゃんとは私のことよ!憧れだった、愚痴も不満も言わない働く女性に、表面上はなれてるけど、ここがなかったら私はどれだけ汚い女なんだろう。
どっちにしても、本質は汚いんだけど。
あはは。
映画とかドラマの舞台挨拶で終わったら本編を見ないで次の同じ作品の舞台挨拶に行くことが悪いのか全くわからない。
とりあえずお客は金を払ってきて、しかも本編を捨ててまでまた新たに金を払いに行っているのである。
なぜ金を払って他のはしごしない(要は金をその人より払わない)人間に非難されるのか。
①運営が悪い
時々ちゃんとはしごしても問題なく間に合うようにしてくれてるところはもっと賞賛されるべき。
人間だもの同じ回など一つもない。
貴方にはなくても彼らにはかけがえのないコンテンツでかけがえのない日なのかもしれません。
1人一公演とかに制限ついてるわけじゃなく、先着ならとれたもの勝ちである。
それで取れなくて転売に手を出すとかは別な話なので置いておく。
逆にはしごが少ないとうまらないところだってあろう。(もし貴方がコンテンツが人気でそんなことないならそれは幸せなことです、よかったね、今回の話とは別の話だ。)
③メインの映画は正直いつでも見れる
溶けそうなアイスがすぐそこのテーブルにあるのにそれを眺めながら手持ちのようかんを食べるだろうか?
まあ態度でかくはしごするやつらに怒りをおぼえるのはわかるけど、一生懸命腰低くして次の会場に向かう人達はがんばってんなーって見つめててあげようぜ。
そういう人達がお金落としたおかげで続いたりしているコンテンツもあるのだから。
>ビックリマンチョコ買ってシールだけとって中身捨てる奴ってどう思った?
よくあるたとえですよね!
ビックリマンチョコの例えは正直間違っていてどっちもナマモノというところが今回のミソです。
賞味期限が切れそうなパンを複数買って耳だけ残したみたいな例えの方がまだしっくりくるかと思います。
残すのは悪くないけど本編の映画は書いてある通りいつでも見られるしその時だけ用事があるって話では。
必死にならなきゃ座席が埋まらない、必死にならなきゃ続かないコンテンツもあるんです。そういう発想に至らないのはうらやましいです。
ジャンルという程の横の繋がりはないのですが。
今年の冬にコミックマーケットという有名な同人誌即売会があるのですが、一応書く事は書きます。
この件はまた詳しく後述しますが、コミケに関する批判は余りにも少ないです。
私は最近、5ちゃんねるの同人板を見る事にハマっています。只、そこの記事はオタク叩き(とも取れる言動)もあり、万人にはとても勧められない書き込みもあります。
『男向けや男オタが嫌い』スレには、ツイッターレディース、まなざし村と思われる、または近い書き込みもあります。
かと言って、私はオタク文化が大好きだった身として、これだけは書きたい。
コミケへの違和感、それを中々言い出せない人に、この記事を贈ります。
https://togetter.com/li/1144990
私がオタク文化に疑問を持ち始めたのは、真木よう子氏に対して、「コミケの掟を分かっていない」という人がいた事です。
連合赤軍、ナマモノ赤軍(確かな根拠なくナマモノジャンルをやめさせようとする人々。ディズニー自警団と酷似している)のそれと、変わらないからです。
更に言うと、真木よう子氏が「コミケを止めるまで」追い込むのは、スマイリーキクチ中傷被害事件の加害者とメンタリティが変わらない。
先のTogetterまとめでもありますが、「コミケは何かあっただけで潰れる」とあります。
果たして本当にそうでしょうか?
あの殺人事件を起こした革マル派や中核派、もっと言えばアルカイダやタリバンですら、潰れてはいません。
もしコミケが潰れたとしても、『コミケ』は無くなるかもしれませんが、アンダーグラウンドでも何でも何らかの形で『同人誌即売会』は残るでしょう。
先の例で言えば、イスラム過激派が無くなっていないように。
都が建物を貸してくれないのなら、資本家に頼み込む、自分達で作るなど手法はいくらでもあります。
何なら「ビルを丸ごと借り切る」、「無人島の仮設テントで同人誌即売会」もアリかもしれません。
そんな表現者が多い様に感じる。
そこに疑問を覚えます。
ある表現者は言いました。
「表現規制の問題と、現行法下で無修正エロをばら撒く事は話が別」と。
つまり、一部のオタクは、コミックマーケットにおける検閲は「検閲ではない」と言い張っている可能性がある、という事です。
考えてみてください。
「オタク」を「中国国民」に変え、「コミックマーケット」を「中国」に変えると、凄くおかしなことになる。
完全に国の意向に従っているも当然ですよね。
コミケは元々日本漫画大会へのカウンターカルチャーとして生まれたのに、今は国家の検閲に加担しており、それを「存続のため」と目を瞑る。
ミドリ十字は、加熱製剤が安全だと知っていても、厚生省の言う通り、非加熱製剤をずっと輸入し、HIVに多くの人が感染した。
私達はこの問題に問題意識を持つべきです。「存続出来なくなる!」と騒ぐだけでは何も解決しません。
そしてこれは、韓国でもアメリカでもフランスでもやっている事です。
私は「元」オタクでした。
正直そう思います。
コミケへの批判が少ない件ですが、個人的にはオタク叩き、差別的言説以外で(私はリバタリアンなので、ヘイトスピーチ含む差別的言説の規制には反対です)、コミケへの批判を少なくとも見た事がありません。
本当に少ないんです。
https://en.m.wikipedia.org/wiki/Criticism_of_Apple_Inc.
上の記事はApple社への批判ですが、かなりしっかりとまとめられています。
只の一企業であるApple社と、コミケを並べる事はおかしいだろう、そう思う向きもあるかもしれません。
然し、大企業ですら批判があるのですから、巨大化していったコミケが批判されるのは時間の問題かもしれません。
私はコミケにはぶっちゃけ参加した事は無いのですが(すみません、参加する予定もありません)、これを機に、内部で変えていく必要があるのではないのでしょうか。
あともひとつ重要なのは、人の記憶にはネガティブなものほど残りやすいってこと。大量廃棄出てもうだめだーっていう記憶は強く残るけど、その一方で、早々に品切れ起こしてチャンスロス大会やらかした記憶ってのは、そのことで客が怒鳴りでもしない限り、あんまり記憶に残らない。「廃棄やばい」の背後には、それ以上の回数の「品切れやばい」が本来は存在してるはずです。
これ本当にそうだ
個人的には売り切れが何よりもダメージおおきいし腹立つんだよね
ちょっと店員の接客がぶっきらぼうとか、何なら釣銭間違ってたとか、おれはそんなことで腹立たない
それが欲しいのに手に入らない、それを買いに出てきたのに空振り、これが一番つらい
釣銭間違いで青くなる店員が売り切れでは平然とする
そこが前から釈然としなかったんだが、やっぱり売り切れのインパクトのでかさってのは実体として存在してて、店も把握してるんだね
やっぱりかー と凄く溜飲が下がった
「ない店」って思われた店では、さらに弁当が売れなくなっていく。発注を減らす。さらに売れなくなる。極端な話、最後には「弁当を買いたい人は行かない店」となる。昔と比較して弁当類売れなくなったっつったって、やっぱコンビニの売上では柱に近いところにあるわけですよ弁当ども。
まあサンドイッチとかがピーク過ぎの時間で売り切れてるのは俺も理解するけど
そんなきりきりのナマモノでもないものが売り切れてるような店は不快感が募って信頼感が下がっていかなくなるね
いや、間違いなくあるよそれは
ていうか俺だけじゃなくてみんなもそういう行動は無意識にしてるんだねやっぱり
とても納得できた
いやナマモノは隠れてやれよ
真木よう子氏の問題もそうなんだけど「コミケという特殊な環境」を理解していない人がコミケに参加する(一般でもサークルでもね)ことって怖いなあ…と個人的には思うよ
時折コミケに不慣れな方から「世間一般では常識として正しいけど、コミケという環境下においては著しく非常識な対応」をされることがあるんだよね。
例えばだけど、
夏のコミケはお盆時期の暑さが厳しい時期の開催だからサークルへの差し入れ品には
・すぐその場で食べる必要が出てしまうもの(アイスとか。サークル参加だと本当に忙しいので食ってる暇なんてない。ドロドロに溶けると本当に処分に困るので迷惑)
なんかはみんな持っていかないようにするのがマナーなんだけど、
一般常識として夏の手土産としてはゼリーやちょっとしたケーキなんかを持っていくのは常識だし、普通は喜ばれる品物なんだよな。
でもそんなルールはコミケという特殊環境下では一切通じないし、迷惑極まりないわけで……
趣味人としてコミケに参加し続けているうちにそういうルールって学んでいけるし、
初参加だとしても周囲に精通している”先輩”がいればそういう情報って伝授されていくものなんだけど、
最近はなかなかそうはいかないみたいで、自分の周囲でも「コミケを理解していない人のヤラカシ」の話題はよく聞くんだよなあ。
指摘して素直に聞いてくれる人もまあいるけど、なまじ世間一般ルールには反してないがゆえに「これは世間一般のマナーとして合ってるのに!」「オタクだから世間一般のマナーを知らないのか!?これは普通」だとか言って逆ギレしてくる輩もいるのが辛いところ……(確かにオタクには世間一般からしたら常識はずれな人もいるかもしれないけど、オタクにはオタクのマナーってもんがあるんだよ…)
話題になってる女優の方も、そういうコミケ独特のルール・マナーって理解してるor周囲にちゃんと導いてくれるセンパイはいるんだろうか…いないんだろうなあ…
僕は売れてない俳優業をしている。
一応、年齢的には若手俳優の部類だが毎回来てくれるようなファンは片手で足りる程しかいない。大きい舞台にも出ていないし、有名人と共演したこともない。
変なことを言えば、どちらかと言うと今まで僕は、若手俳優のファン側の立場にいた。というのも、僕は数年間を養成所で過ごしていて、暫くはずっと観る側に過ぎなかったのだ。そして、知人に若手俳優の所謂オタクがいることもあり、話はよく聞いていた。
だから、所謂オタクがいる俳優というのがどういう存在なのかはわかっているし、ある程度の言葉の意味もわかっている。
その知人は、所謂ガッツであり、茶の間ではない。ただし、茶の間を否定はしていない。それは知人の応援している俳優が、そこまで大きく売れているわけではないからだ。それでも僕よりは何十倍も大きな舞台に立っているし、ファンも多い。それでも、動員数に苦労している話を耳にする。
今までは茶の間でもファンがいるだけいいじゃないか、と思っていた。でも、そうではないのだ。結局、来てもらわなければ何の利益にもならない。
まあ、正直なところ舞台俳優にとっては、呼べる人数が全てなのだ。プロデューサーから直々に枚数ランキングを出される舞台なんてゴロゴロある。
来てくれる“かもしれない”層を増やすことは大切だ。TwitterへのコメントやSHOWROOM配信に来てくれることは、とても有り難い。でも、どうか、僕が好きだとか気になるとか応援したいと思うのであれば、劇場に足を運んで欲しい。一回でいいから。
舞台に来ないで『応援してます。』と言われることがどれだけ辛いことか。
だって、その応援は頑張りを見てくれない人たちからの無責任な言葉でしかないから。Twitterに写真は上げる。でもそれは、少しでも僕に興味を持って“次は来て欲しい”と思っているからだ。そうじゃなくては、僕の給料はどこからも出ない。
映像と違って舞台はナマモノ、いうなればLIVEだ。毎回、客席も違えば空気も温度も違う。
来てもらえないのは、まだまだ僕が未熟な証拠だとよくわかってる。これからもひたすら頑張る。来てもらえるように、努力する。だからどうか、無責任に『応援してます。』とは言わないで欲しい。それならまだ『頑張ってください。』の方がずっといい。
応援=お金、だとは思わない。それでも、応援=舞台に来てもらう、なのは確かなのだ。そこにお金はどうしても生じてくる。
映画に比べたら高い。テレビに比べたらもっと高い。それでも舞台は、舞台にしか魅せられない熱がある。目の前で同じ空間で生きている人が見せるものだから。
無責任な『応援してます。』じゃなくて、目の前でその言葉を伝えてもらうために。その意味で、本当のファンが欲しい。
あと、早く次の仕事を決めたい。
増田はピクシブ使ったことがないからわからないけど、件の「論文」のパーマリンクはまだ別のモノになってるわけではないでしょ?
で、投稿作品の書き換えができないわけもないじゃない(できないんだったらゴメン)。
だったらさ、作品隠すついでに、内容を全部書き換えてO江くんとM西君とN原女史のナマモノで、リョナなりスカなりグロなりの読むだけで少なくともご本尊が気分悪くなる小説に置き換とくわけ。
そうすれば、論文の引用はめちゃめちゃで検証できなくなるうえに、てめぇらがメタメタされてる描写が晒上げになることで「違法じゃないけど、気分が悪い」ってのの、いい再現になると思うんだよね。
まあ、びっくりして引いちゃった作者さんが、そんなもん書く気になるか、ってのはあるけどさ。
昔のナマモノ界隈(今どうなってるのかは知らん)はそういう世界だったんだけどねえ。
そうでなくても一昔前は検索避けが出来る所にしか置かないのが常識で、pixivも初期の頃は「あんな誰でも見れる所にBL二次載せるのは非常識」って空気があった。
なので最初の頃は「腐女子は隠れろとかバカバカしい何でそんなコソコソしなければならないのか堂々と全世界に公開して何が悪い」と言う所謂オープン腐女子が多かったんだけど、
それがいつの間にか誰もが当たり前のように使う場になってしまった、と。
そうなった時点でもう腐女子の隠れたがり文化は無くなったんだなーと思ってたけれど、
実はしっかり残っていて、でもあれでバレないと思ってたのか。
日に日に尾鰭がついてここに匿名で書いたところでどうにもならないのかもしれないけれど。
まず、何故スケオタが自分たちが釣られたと思ってしまったかのこと。
一番の理由はキービジュアルや声優情報が出る前からアイスショー等に公式がスペースを出して宣伝に力を入れていたことだろう。
私自身アニメもよく見るがかなり珍しい展開順だったのではないかと思う。
ファンなら誰もが知ってる振付師と衣装ブランドの名前も挙げられていたため結構盛り上がった記憶もある。
今でこそタブーになり消えたがキャラのモデルになった選手たちも公言されていた。
スケオタ向けのメルマガでアニメ円盤の特典映像についてのアンケートが実施されたこともある。
ここまでするからには、実際の大会とコラボし推奨作品になったりするようなスポ根もののアニメが見られると思ってしまったのだ。
スケオタだからこそ、普段見られないプログラム製作や衣装作りの過程が見られるであろうことに勝手に期待してしまった。
実際私もスケ連も監修していると勘違いしていた。
勿論その後は個々人がどんな物語どんなジャンルを好むかの問題だし、今のままでも楽しんでいる人も悲観してる人も、追っている人も切った人もいるだろう。
ただ、本格スケートという部分にモヤモヤしている人がいるのは、スケオタについてはこういう事情があったことを分かって欲しいのです。
次に、本当にこのアニメは(当初から)デリケートな性についての問題を描くつもりだったのかということ。このことについては私は否と言いたい。
だって、だったら男性キャラのモデルに実在の女性スケーターを据え、彼女が男性だったなら〜などと言えるはずがない。
(当初とつけたのはことが大きくなるにつれてこの設定が消えたからだ。)
他にも性についてやけに過激な言動が目立つが、それらの言動が周囲から許容されること=寛容な社会なのではない。
異性間だろうと男同士女同士、それ以外だろうと常識やマナーは一律であり、それはアニメ内だけでなくメタなところにも言えることで、
アニメだけを見て理解したつもりになるのは勘違いも甚だしいし、それを絡めて競技ルールや登場国の政治方針にまで言及するのはあまりにも危険なことだ。
少し矛盾するが最初、私は女性スケーターがモデルである件は好意的に受け入れていた。
創作における性の操作は繰り返されてきた表現手段であり現実世界の問題とごちゃごちゃにして狭められるべきものではないと考えていたからだ。
しかし、このアニメがファンが言うように本当にこのテーマを扱う作品なら話は別だ。
マナーの厳しいナマモノジャンルにアニメ公式そのものがなり得てしまうようなキャラ作りは避けるべきだったし、他記事にあった、LGBTを盾にしていると言われてしまうようなぼんやりとした作り込みで済ませられるようなものではダメなのだ。
(ただし、この件は某原案者が盛り上がってるだけでアニメ公式の方はなにも言及していないのでなんとも言えない部分ではある。)
恐らく、話数が若い段階で物語の方向性が変わったことは確かだ。オリジナルアニメではよくあることだし、製作スケジュールとの兼ね合いもあるかもしれない。
最初の項で書いたアンケートの、スケオタ自身の反応が芳しくなかった結果かもしれない(実際アンケートの取り方について少し炎上したのだ。)
ただ、その方向転換が大体的に打ち出したキャッチコピーを変えてしまうもので良かったのか、変えた時点の残り話数で、実在するモデルがいると公言してしまった過去がある状態で描き切ることができる題材として正しい選択だったのか違和感を覚えてしまう。
長々と書いてしまったが、どちらのファンが悪いのかが言いたいのではない。スケオタの中にもどんどんヒートアップしてしまっている人もいる。ただ、苦言を呈している人が差別者呼ばわりされ、実在選手を盾に揶揄されることが悲しくてならないのだ。
(非公式)二次創作について検索避けを部外者から強要されて従ういわれはない。ナマモノについては、わたし(筆者)のメインジャンルではないうえ、少々ややこしくなるので、保留とする。
「配慮」という言葉が、「検索避け」の強要の理由として使われているように思う。アダルトなエログロや、原作にない性愛の関係などを描いた二次創作物を見たくない「だれか」への配慮だ。
なるほど確かに、見たくない人もいるだろうな。ウンウン。そうかそうか、不快な思いをさせてしまうのか。
いや、待て待て。つまりそれはアレか? 「だれかが不快な思いをするから検索避けをしてくれ」と言うのか? 「だれかに不快な思いをさせたくないから検索避けをしてくれ」?
冗談じゃない。キリがない。万人に受け入れられるものはない(そんなものがあるなら教えてほしい)。これがまかり通るとき、検索しうるあらゆるものが検索避けをさせられているわけだ。
「刀剣乱舞」知ってる? 略してとうらぶ。伝説の刀剣やらが付喪神になって(擬人化して)男性の姿をとって、刀剣男士となったんだ。わたし「実在したものを題材にしている作品の二次創作だから云々」と検索避けを押しつけるのを山ほど目にしてきたけれど、それなら、そもそも「刀剣乱舞」自体に検索避けをさせるべきじゃない? 「加l州l清l光」って。もちろん、DMMのブラウザゲームのページにはアクセス制限もさせてさ。だって、刀剣を勝手に擬人化して、あんなことやこんなことを言わせて、あまつさえ戦わせている! 不快な思いをするひと、いると思うんだけどな。
「家庭教師ヒットマンREBORN!」は? ごく普通の中学生だった沢田綱吉ことツナの前に殺し屋リボーンが現われて「おまえはマフィアの十代目だ」なんていう。かれに家光という父親がいることからわかるように、名前の元ネタは徳川家なんだ。どう? 徳川綱吉のことを調べようとしたのに、沢田綱吉ばかりが出てくる! なんていうことを不快に思うひとは、絶対にいないの? 名前を変えさせるべきじゃない? あの主人公。
いやいやいや。キリがないよね。田中、鈴木、佐藤。(申しわけないが)このありきたりな姓の持ち主はありふれていて、創作物に登場することも、ままある。一郎、太郎、幸子。いるぞ。
言っとくけど、違わないからな。これは「アダルトなエログロや、原作にない性愛の関係などを描いた二次創作物を見たくない」のと違わないんだぞ。根底には「不快感」があるんだ。この配慮の点で検索避けを求めるということは、「嫌な思いをするだれかのために検索避けをしろ」ということと、違わないからな。
この「配慮」の面から検索避けを強要するひとたちは、世界のあらゆる人の不快感を解消するため、あらゆるところへ検索避けを呼びかけてくれ。ぜひに。
トランプを探しているの。カードゲームよ。でも、あら、なんということかしら。わたしの大嫌いなドナルド・トランプばっかり出てくるわ! 嫌だわ。不快だわ。
「二次創作は実質違法行為なので、公式に見咎められないよう隠れて活動しなければならない」というアレ。
著作権。二次創作とのことで、TPPとともに話題になった。TPPに参加すると、著作権の親告罪がどうのこうのというあれそれ。まあ今のところ、公式が突きつけるまで、それは罪ではないということになっている(はずである)。
はい終了。
公式に見咎められないように……そうだね。公式の利益を損なうのはよくない。
でも、判断するのは公式だ。「見咎められないよう隠れて」など、まるでやましいところがあるようではないか。
公式の指示に速やかに従う。これだけでよいだろう。
ところで、アダルトとの境目にはのれんがある。物理的なフィルタだ。わたしたちは、物理フィルタのないところに、フィルタを見ることはできない。
まだ、その技術は普及していない。ARを目にし続ける将来は訪れるかもしれない。そうしたら、見たくないものを見なくてよくなるかもしれない。たとえば、露出度の高い女性の水着の広告だとかなんだとか。
でも、今はない。だから店側が物理的なフィルタとしてのれんを設け、年齢と覚悟を問うわけだ。おそらく。
で、検索避けを強要する舞台がどこかというと、インターネットだ。あなたのコンピュータだ。フィルタがかけられる。お互いに。けれど、あえて「不快に思うかもしれないだれか」のために、作者がのれんを用意する必要はない。どうしても見たくないものなら、それは見たくないひとが、見ないために努力をするはずだから。コンピュータは、見たくないものを見ないことができない舞台ではない。
法的に年齢制限をかけるべきあれそれに検索避けを求めるのは、わかる。だが、それについては、検索避けより直接的な手段をとるべきだと思う。ここではおいておく。
そして、それ以外の「見たくない」ものについても(コンピュータでは)、検索避けより直接的な手段をとるべきだ。検索の仕方を工夫する(not検索とか)とか 、NGワードを設定するとか。やり方は、ぜひ自分で検索してほしい。「ウェブブラウザ ngワード」とか。で、そうする手段がまだ用意されていないと思うなら、自ら開発するか、おとなしく待つといい。それすら我慢できないなら、もうやめたほうがいいと思う。インターネットが向いていないかもしれない。
全世界の、なにかを不快に思うだれかのために、調べたやり方を共有すれば、より具体的に不快感を減らせるだろう。
(そのために、わざわざ嫌なものを一度は見なくてはならないのかとか文句を言うひとは、「食わず嫌い」の意味を調べてくれ)
もちろん、公式からなんらかの対処を求められたときは、それに速やかに従いますよ。でも、それまでは、なんら疚しいところのないわたしは、堂々と二次創作をする。公式(原作)への感謝も忘れずに。いつもいつも原作を、たのしませてくださって、ありがとうございます。