はてなキーワード: スピリチュアルとは
「ありのままの自己受容」で会社組織で生きていけるものなんだろうか。
俗世間を離れた隠遁生活みたいなのをしている人が、よく「本当の人間関係とはこうあるべきでどうこう」という理想論を、ネット上でホームページなんか自力で(こういうタイプに限って出来合いのテンプレートを使わずweb1.0みたいなサイトである。)作って、とくとくと説いたりしているけど。
そういうサイトは、どんどん話がスピリチュアルで崇高な領域に行っちゃって、俗世間で会社組織やママ友だののしがらみの中でもがいてる人をおいてけぼり。
独身で何のしがらみもないところで、会社にも勤めず、一人で生きていくならそれでいいんだろう。
自分自身はスピリチュアルという言葉とは無縁の、理詰め、冷静、というイメージの人間だと思っている。
初対面の人からは、「普段お書きになっている文章からは冷徹なイメージがありましたが違うんですね」と言われる。
少し親しくなると、「癒される」「ほっとする」などのソフトなイメージの言葉をいただく。実際の自分とのギャップが大きいのだが、と思いつつもそれは受け入れるようにしている。文章内での自分のほうが、素に近い。
神父様から昔、「徹底的に個人主義で行動しても、人に尽くそうと行動しても、突き詰めていくと結局似てくる」というような話を聞いて以来、自分は人に尽くす宗教家にはなれないが、徹底的に社会に最適化した行動をとれば良いのではないか、と理解して以後そのようにしている。
自分の場合医者なのだけれど、ある患者を助けるためにリソースを割くと、別の患者が不利を被るというような状況はしばしば生じる。それぞれの選択を理詰めで計算して予後やQOLなどの期待値を算出し、自分の責任の下で選択・実行していくことを繰り返すのだ。その時に恫喝には負けないとか、貴賤で判断しないとか、自分で守るべきルールは設定しており、それが他の医療従事者から見ると、「平等な人だ」とか「やさしい」などという評価につながるのかもしれない。でも自分は「平等にしよう」を判断の基準にはしていない。自分が設定したルールに沿って動いているだけだから。
うまくマネージメントをしないと患者が不利益をこうむるわけだから、医療従事者がミスを起こさぬようにシステムの整備をすることはもちろん、メンタル面やモチベーションの維持に気を遣ったり、ブランディングの真似事をして「自分たちはすごいよね」と誇りを持ってもらうように耳元で囁いてみたりもする。他の医療従事者に対する気遣いも、それが最適解だからに過ぎない。
こうして自分を見てみると、「空気を読む=最適化」を突き詰めていった結果として、「癒し系」と呼ばれる雰囲気を身に着けたように思う。ただし、最適解を得るのに障害となる利己的な行動に対しては「それはできない」「しない」と厳しく接することが多く、不満を感じている方もおられるだろう。この場を借りてお詫び申し上げます。
───アタシの名前は晴子。心に傷を負ったリケジョ。モテカワ巨乳で恋愛体質の愛されガール♪
アタシがつるんでる学者はハーバード大学のバカンティ、山梨大の若山。それから理研の一員のスッポンちゃん。
研究者だとこんなこともあるからストレスが溜まるよね☆そんな時アタシは一人でショッピングモールを歩くことにしている。
ヴィヴィアンの大きなリングはがんばった自分へのご褒美ってやつ?自分らしさの演出とも言うかな!
「あームカツク」・・。そんなことをつぶやきながらしつこいマスコミを軽くあしらう。
「小保方さんー、ちょっと女子力の話を聞かせてくれませんか?」どいつもこいつも同じようなセリフしか言わない。
なんか薄っぺらくてキライだ。もっと研究者のアタシを見て欲しい。
「すいません・・。」・・・またか、とリケジョなアタシは思った。シカトするつもりだったけど、
チラっとマスコミの男の顔を見た。
「・・!!」
・・・チガウ・・・今までの男とはなにかが決定的に違う。スピリチュアルな感覚がアタシのカラダを
駆け巡った・・。「・・(カッコイイ・・!!・・これって運命・・?)」
男はNatureだった。捏造を暴かれた。「キャーやめて!」無視をきめた。
風は私に逃げるなと言った。アタシは逃げた。スイーツ(笑)
久しぶりに彼氏ができたので、できるまでに色々試したことと感想を思いつくままに書いてみる。何かひとつでも彼氏が欲しい人の参考になったら嬉しい。
部屋の掃除をする
オタク関連のものは本当に気に入ってて、今でも見返すくらい好きなものだけを残して売る。今の自分に必要なものは意外と少ない。服もこんまりさんを参考にリボンやフリルがついてるものはなるべく処分した。アラサーともなるともういい大人だなと気がついた。着方を間違えるとブリッコに見える。
高級ランジェリーを買う
ワコールのサルートというブランドがオススメ。はっきり言って高い。ブラだけで1万くらいする。でもつけると女度が上がる気がする。今までは高くてもセットで3000円くらいのを買っていた。サルートを買ってからそういうのが子どもっぽく感じられ、高くてもいいもの、セクシーなものを買うようにした。買っておいたおかげで、彼氏が出来た後も有効活用できるw
恋愛系の本を読む
前の恋愛では何がいけなかったのか等反省のためにも恋愛運関係の本やブログを読み漁った。引き寄せの法則に関する本も読んだ。あとちょっとスピリチュアルな店も行った。パワーストーンは好きだけど、つけているだけで、幸せになれるわけでも、突然運命的な出会いが降ってくるわけではないので注意。
私の行動は、かなりこれらの本や著者に影響を受けてる。何度も読み返した。お気に入りのいくつかのタイトルを貼っときます。
『世界一!愛されて幸福(しあわせ)になる魔法のプリンセスレッスン―ときめきの風に運ばれて、ここ大好きなひとに世界一!愛される魔法のプリンセスレッスン 恋愛仕事も恋もがけっぷち! 29歳OLが永遠に続く幸せを手に入れたシンプルな習慣
『ほんのちょっと変わるだけで素敵な男性が手をさしのべてくれる本』
3万する東京のメイクセミナーに行った。高かったけど、本当に行って良かった。メイクを変えたら会社の男性が優しくなったし、褒められた。彼氏がいる人もいない人も27、28歳になったら一度習うのをオススメする。メイクは、20代前半とかもっと前に習得した人が多いと思うけど、やっぱり年齢を重ねるに連れて似合うメイクが変わるらしい。
足を閉じて座る
自分が意識するようになってから、電車で足を閉じていない女性がとてもだらしなく見えた。本当にたくさんいる。年をとってても、足を閉じて座っている女性は品が良く見える。電車でメイクする人は論外。
美容院に行く
2ヶ月以内に絶対1回は行く。カラーするならこまめに染めてプリン状態を避ける。トリートメントでツヤツヤの状態にする。
期限を決める
私は、半年後の自分の誕生日までに彼氏ができなかったら、お見合いすると決めた。決意から2ヶ月でできた。なるべく前向きに気持ちを持ち続けたのと小さなことが多いけど、行動したのが良かったのかも。彼氏とはお互い前から知ってたけど、友人が開いてくれた飲み会でちゃんと話してみたら、意気投合し、あっという間に付き合い出した。
思いつくままに欲張りに理想の彼氏の条件や、憧れのデートをストーリー仕立てで書いた。プリンセスレッスンを参考にした。忘れてたけど、久しぶりに読み返したら、今の彼氏はかなり当てはまっててびっくり。条件は、背が高いとか、束縛しないとかそんな感じ。年収は自分と同じくらいと書いた気がする。400万くらい?
女子会も楽しくて好きなんで、ずっと行ってたけど、傷の舐め合いや「イイ出会いがないね」と言ってるだけではダメだと思ったので、本やセミナーとかで得た知識を紹介した。みんな喜ぶし、愚痴を云うより絶対有意義。
会社の同僚や先輩にも愛想をよくする。疲れた顔をしてたらお菓子をあげたり、話を聞いたりする。既婚者とか好みじゃない人でも、こういうことをしてると男性の扱いが上手になるのかも。
男性と2人で会う
全く付き合う可能性のない会社の同期の男性と2人で食事をすることで、練習をした。相手の話をちゃんと聞いて適切なリアクションをする。うまくいくと、「また行こう」と言ってくれたり、おごって貰えたりする。
合コンに行く
自分がオタクだったからか正直、あんまり成果はなかった。でも、ここで出会った男性と2人で食事に行くとか、恋人になる人をいきなり探すんじゃなくて、練習相手を探すという目標にした方がいいかも。
これも自分はあんまり成果はなかった。2回行って一度は年下の純粋そうな男の子とカップリングが成立したけど、遠距離だったのもあってメル友で終わった。もう1回は相手を選べなかった。4000円出してカップルになれなかった男性は可哀想だと思う。
こういうパーティーでカップルが成立しても、それが付き合うことにはならないことが多いので、注意。むしろ同性の友人(オタク仲間が増えた方が楽しい)
以上が思いつく限り、自分がやったこと。お金もある程度はかけた。自分への投資だと思えば、声優イベントに行くのをちょっと我慢すれば、捻出できる。声優イベントは本当に楽しいけど、行っても自分自身は何も成長しないんだよね。ほどほどにする。
彼氏は、年下だけど、頼りになるし、非オタだけど、理解はしてくれてる。ありがたい!
せっかくできた相手なので、大切にする!
言葉が足りていなかったけど、自信も勇気も別にスピリチュアルでなものではなく、脳の神経的・生理的な基盤の上に成り立つ基礎体力みたいなものだと思っている。そういう意味ではあなたの意見と同じ。ただし、経験で多くことはこなせるようになるといっても、その「なんとかなる」の程度と「多くのこと」には個人差が非常に大きい。さらに厄介なことに、たとえこなせるようになったとしても、感受性の部分はどうにもならないことが多い。
つまり、出来るようになったから問題解決なのではなく、不得手なものは出来るようになってもやっぱり不得手なのであって、その苦手という感覚はそれ自体がQOLを大きく左右する重大な問題なのである。
また、それ以前の問題として、苦手なことの場合、何度も立ち向かえるか、という部分でまず躓くことになる。元記事に書かれているような後から仲間に入れてもらうことに躊躇がないような人は、天然に失敗を恐れていない。仲間に入れてもらうことに失敗したとしても、ただもう一度さほどのためらいもなく行動するだけである。そして、行動を繰り返していれば確率的にいつか成功にたどり着く。その際、本人は大して苦労したとも思っていないだろう。事情を知らない第三者からは、へこたれない行動力のある努力家、という評価を得ることになる。
2011年3月11日の東日本大震災と津波により、福島第1原子力発電所の原子炉が故障し、
マスコミはこれを騒ぎ立て、すぐにでも健康に危険があるようなことを言いつのりました。
放射線医学専門の医師たちは、あの程度の放射線量ならかえって健康に良いぐらいだと言っています。
私もそれを信じています。
それなのに福島県の産品は売れず、観光に訪れる人も激減し、福島県民は困り果てています。
「みんなの幸せのために私には何ができるだろう?」と考えるアドレリアンとしては、
というわけで、福島県の磐梯熱海温泉でスピリチュアル・ワークを企画しました。
ホルミシス効果できっとみんな健康になって帰れると思います。ラジウム温泉浴のようなものですね。
今回は瞑想よりもスピリチュアリティの考え方を学ぶことと、時間がとれればカウンセリングとをしたいと思っております。
日時:2013年7月13日(土)午後2時から15日(宿)正午まで
〒963-1309 福島県郡山市熱海町熱海5-40 TEL:024-984-3157
Fax:06-7896-4750 Email:adler@cside.com
〒543-0001 大阪市天王寺区上本町 3-5-16-1008
メールまたはファックスにて、必ず前もってお申し込みください。
お申し込みとご入金の確認をもって、正式の受付とさせていただきます
生き方を極め、精神の自由を手に入れたとネットで伝授している人が、会社にも努めず結婚もしておらず、社会と隔絶されたほぼ引きこもりのような生活をしている。
http://tshimano.blog110.fc2.com/
こういった持論は確かに安心したり納得する部分が多いのだが、会社勤めのサラリーマンとか人間関係の中でしがらみにかこまれてる人たちと境遇が違いすぎるし、このようなサイトに書いてあることをそのまま真に受けて実践すると、会社組織などから嫌われて孤立する羽目になると思う。
少し前に、テレビ業界の人に言われた事がある、お笑い芸人が今テレビに出るには「二番目に面白い」がこないと出られないと。
勿論、「面白さ」が一番にきていて、テレビに出ている人は沢山いるが、もうそれは出尽くしており且つ、ネタ番組が無い今日の業界では、それを超える、真新しさとか面白さが無い限り、出てこれないということらしい。
占いだったり、スピリチュアルだったり、頭がよかったり、歌がうまかったり、絵がうまかったりする芸人さんがテレビに出ているのはそういうことらしい。
なんか特技があって、その上で「お笑い芸人」だから面白いですよっていう+αがないと今は出られないと。
恋愛でも一番好きな人とは結ばれない。なんてよく言われるけど、確かにそうだなって思う。
相手を思うあまり、嫌われたくないから優しくしすぎて、重苦しく取られたり、本来の自分が出せずに、そのギャップや良心の呵責に苛まれるたりするからだ。
だから、「二番目に好きな人」と上手くいきやすい。一番目に好きな人がいるから、二番目にはそんなに干渉しないし、嫌われてもいいという余裕があるから、ありのままの自分がでる。
No.1にならなくてもいい、もともと特別な Only oneってそういう意味なのかね
最初に末尾の文を書くけれど
その人が「騙された!」と思った時、発狂するかしないかはまた別の話。
細木数子。
「ありゃ単なる占いだ」
「単なる口うるさいババア」
「予言外したバカ」
いろいろ言われてました。
とはいえ、なんちゃらの泉だったかと一緒に、スピリチュアルという物が世にありふれて売れているという時期があった。
私は当時番組をみていたのだけど、彼女はあまりに予言を外すから
番組後期は「占いなんてどうでもいい」とまで言うようになっていた。
じゃあなんでそれでもあのババアさんの本が未だに書店にあるのか。この前ちょこっとテレビにも出てきたのか。
それは彼女自身が、「ある人達」にとって、一家言をもたらしてくれるような宗教性があるからだ。
本人がどう思っているかは別として、引用箇所を反対意見も見ずに、丸ごと信じちゃうんだから
ー念のため言っておくけど、学問の話はしていない。
そんなCMがあった。
感動した人達は、「騙されたい」から「騙されにいって」涙腺ゆるますのだよね。
あれも「終わり決めない頑張れ宗教」だよ。
じゃあ、何が問題かって言えば
「現世」「社会通念」の枠組みで
逸脱してるか否かなのじゃないか。
住人である28歳会社員の高木智子が帰宅するその隣には、16歳無職の大西聖闘が居た。
「この部屋を使ってね。布団は干しといたから」
智子が指し示したのは畳張りの北向き四畳半。
一間の押入れは襖が外されて壁に立てかけられ、一組の畳まれた布団が中に置かれている。
聖闘の部屋の腰窓からは外廊下が見え、内廊下の向かいには風呂とトイレがある。
廊下を出て左には玄関、右にはダイニングキッチン。そしてその先には日当たりのよい智子の部屋があった。
智子の部屋は六畳のフローリング張りで、シングルベッドが置いてあり、ベランダに繋がっている。
築年数は30年前後だが、水周りだけはリフォームされ、掃除も行き届いた小奇麗な印象の部屋だ。
智子はこれまで築年数15年程度のワンルームマンションに住んでいたが、聖闘との同居が決まって住み替えた。
家賃は管理費込みで7万だ。智子の手取りは月22万。聖闘に出る国の手当てが5万なので、充分な暮らしが出来る。
聖闘は5時間かけて地元から東京に出てきた。諸手続に2時間、智子との顔合わせを済ませて今に至る。
東京に来たのは初めてで、当然小田急線も初めてだった。これからは平日3日、この小田急線と中央線を使って職業訓練校に通うことになる。
智子との暮らしが快適なものになるかそうでないかはわからないが、聖闘に帰る場所が無い事実は変わらない。
中3の頃に、母親が再婚した。聖闘の苗字はそのとき、田淵から大西に変わった。新しい父親には連れ子が居た。
母親は新しい父親の歓心を得るために連れ子だけを可愛がり、聖闘を無視して食事を用意しなくなった。
新しく男が出来ると聖闘を無視し、男と別れると聖闘を猫可愛がりする。
母親が聖闘の実父と別れた、聖闘が小学生低学年の頃から繰り返されてきたことだった。
実父はアルコール中毒のパチンコ中毒で、母親をよく殴った。母親が聖闘を連れて家を出てからは一度も会っていない。
どんな仕事をしていたのか知らないし、もう連絡も取れない。
聖闘は中学をさぼり、家に帰らないことを繰り返すようになった。当然、成績も内申も全日制は無理で、定時制高校に進学することになった。
しかし高校にもほとんど行かず、母親の財布から金を抜いては友達の家やコンビニ、ゲーセン、カラオケ等で過ごした。
そして遂にキレた母親にガラス瓶を投げつけられ、後頭部がパックリと割れて7針縫った。
入院していたら、役所から相談員が派遣されてきた。そこで説明を受け、東京の会社員の家で暮らすことを決めた。
智子はニッコマ文系学部卒の、6年付き合った彼氏と破局して2年になる会社員だ。
両親は千葉市内に戸建てを構えており、きょうだいは妹一人だが既に埼玉に嫁いでいる。専業主婦で子供は1人。
聖闘を初めて見たときは驚いた。片方の耳の上を刈り上げ、片方を伸ばしたアシンメトリーな髪型。
しかも金髪でピンク色のメッシュが入っており、根元からは3センチくらい黒髪が伸びていた。
智子がこれまで見たことのなかった人種である。いや、探せば電車で乗り合わせないこともないのだが(特に町田で乗降する人々に)、
自分には関係が無いと思って生きてきたので、ちゃんと認識していなかったのである。
聖闘の両耳にはピアス穴が開いているが、誰かに言われて外したのか、ピアスは付いていない。
そして一つのピアス穴が膿んで、黒ずんだ紫色と黄色が混じったような色になっている。不衛生な開け方をしたのだろう。
智子は肩を少し過ぎるくらいの長さの暗い茶髪だ。会社の服飾規定のため、明るい髪色は禁じられている。
しかし、智子はそもそも明るい髪型にしたいとは思わない。目立つことを好まないからだ。
まめに染め直されてトリートメントされた肩を過ぎるくらいの長さの暗い茶髪というのも、社内で最も目立たないスタイルだからそうしている。
短大時代にイベントコンパニオンをしていたという美人の派遣社員に影響されて一時はネイルアートなどしていたが、
金もかかるし飽きたので現在はパールの入った桜色の単色ネイルに落ち着いている。
親に心配をかけるのが面倒で、無難に・普通にと生きてきたが、結婚はうまくいかなかった。
これといった趣味もなく、仕事も無責任な勤め方はしていないが遣り甲斐に燃えているというわけでもなく。
両親や妹ともケンカをすることは無いが、なんとなく分かり合えないような心の距離を感じていて、
両親は実家から通える大学を希望していたが都内の進学を決め、一人暮らしを始めた。それ以降ずっと一人暮らしだ。
何のために、誰のために生きているのかよくわからない。
バカバカしいとは思いながら、スピリチュアルやら新興宗教やらにハマってしまいそうな自己不安定感。
そこでたまたまやっていたNHKスペシャル、特集されていた新制度。
親にも同僚にも言わず軽い気持ちで応募してみたら、なんと選ばれてしまい…。
そんな二人の生活はどうなるのか。
ただのおねショタエロ創作になってしまわない、リアルな社会階層の話とかの硬派な建前を保った感じで誰か小説にしてください。
あと映画化してください。映画のほうはPG12~R15+指定(暴力描写じゃなくて性的描写が理由)くらいがちょうどいいです。
この人「ファン」じゃないですよ。
大衆に見られる場に文章を置く場合は、もっと作品と向き合って下さい。
作家は命削って書いてるのです。それに対する答えを大衆に向かって発する場合、せめてももっと作家と作品に真摯に向き合うべきだと思います。
以下この方の意見に対する個人的な疑問と意見です。長文ですので気が向いたら読んでみて下さい。
村上春樹、段々、一般的な感覚の人々には理解されないようなことを延々と書いてる作家になってるよねーというのは、私も思うなあ。だから、まあ評価が低くなるのもわかるなー。
結構、「純粋」な方向に、ふってきちゃってるよね。そういう(純粋すぎる)のは、狂気というにはわかりにくいんだけど、なんかなあ、真実というところからはずれてきている気がする。うーん。難しいのだけど、一般にピュアであればあるほど、正常といえる水準を超えちゃう確率は高いから。うーん。多分、あまりにも、抽象的なものってちゃんとすればすごい威力あるけど、間違えちゃう可能性は高いよね、という例と似てると思う。
>文章を読んですぐに理解できるのが良作、分からないから駄作なのでしょうか?
しかも、小説ってもともと、正しさ(これも微妙な表現だが)がわかりにくいからさ。その上で、村上春樹は、小説の中でも、あえて正しいかどうか(さらに難しい)がよくわからない方向で、突き詰めようとしているんだと思う。そしてそれが、微妙に少しずつ、本当のところからずれてきてしまっている気がする。なんとなく。
>小説に正しさはあるのでしょうか。あるとしたら、作家が伝えたいことが読者に伝わっていることくらいではないでしょうか。
Aを書いたから正解、Bを書いたから間違い、という問題ではないと思います。
新作について触れると、このタイトル、「色彩をもたない多崎つくると、彼の巡礼の年」というタイトルを見た時、私は、これが、作者自身の慰めのために書かれたことがわかったよ。いや、だって、村上春樹、巡礼、絶対すきだもん。その他もろもろ、このタイトル、考えられないくらいわかりやすいよね。疲れた作者本人の心情と合致していそうだなという意味で。なんかびっくりしました。
曲のタイトルの一部としてですか?それとも純粋に単語としてですか?
でもさー。。。。こっからは、愚痴だけど。この人は、今まで、すっごい孤独なタイプの小説家にもかかわらず、いつも、大衆に向けて、つまりノーベル賞を狙って、書いてきた人なのにね。それで、うまく大衆受けするものがかけないなーってずっと悩んできた人(推定)なのにねえ。。。。
もう少し、わかりやすく説明するために、まず、村上春樹の小説家としての才能について書く。幸いなことに、小説を書くというのは、技能を向上させるための課題の発見が、その他の技能と比べても最も難しい技能だと思う。要するに、どうやって練習すれば、小説が上達するのかわからないという、あの課題ね。でも、実は、この人の才能の出発点はここにある。つまり、ある意味で、ものすごくわかりやすいところに、いつも課題があったこの人は、小説家としての技術を「磨く」才能には、ものすごく恵まれていたともいえるのだ。つまり、一般的にヒットしそうな小説が全く書けないという課題。本当に村上春樹ってなんで、こうなんだろうねえ。
>「賞について関心を持たない」
大衆受けするものがかけない、とどこで悩んでいたのでしょうか。
そのような悩みを打ち明けたインタビューに興味があるので、出典を教えていただけませんか。
しかもさー。その上で、この人、ひたすら(下手でも)、小説を書くことに対して、わけわかんないくらいの努力家なんだよね。(これは本人の日記やエッセイによる。なんでも毎日マラソン練習のようにストイックに小説を書きまくっているそうだ。)
>ランニングは日課として行われているそうですが、
小説を書かない時期があることは「遠い太鼓」などではっきり明記されています。
むしろ小説を書かない時期を蓄積させ、小説を書くことに飢えた状態に持って行くことを大切にしているようです。
はっきりいって、その他の、突如現れる霊的なものに対する本筋から見て不必要で余計な感受性だとか、また作者の孤独に対する鈍感さからくる主人公の孤独の無意味さとかは、小説家の適性からみると、もうどうしようもなくだめだと思うのだけど。とにかく、その課題(大衆受けしない)は誰の目にも明らかなのに、本人は全然それが達成できなくて、その上でなぜかこの人は、小説を書くことに対して非常に努力ができた。または、してきた。これが、村上春樹の成功のポイントじゃないかなあ。他の人には色々な意見もあると思うけど、私は、この主張は非常に的を得ていると思うね。
スピリチュアルブーム、パワースポットブームがありましたし、どの雑誌にも占いのページがありますよね?
また需要の無いものに対して努力をしたことが、どうして成功につながるのでしょうか。
さて、その上で、今回の小説に話を戻すと。この作品が珍しく作者自身の慰めのために書かれたことと、村上春樹の小説家としての持ち味をちょっと考えてみると、即座にこの作品が駄作であることがわかる。だって、この人は今まで努力してきたことを捨てたわけだから。なんとか、人に受け入れられるようなものを書きたいという課題を捨ててしまった訳だから。
>どの点で「努力をしてきたことを捨てた」のかが分かりません。
多分、去年ノーベル賞とれなくて悲しかったのと、もっというと、ノーベル賞を目前にして色々な欲がでて、自分の持ち味とバランスを崩しているのだろうね。なんでも本屋の誇大広告によると、この小説は、ほとんど筆をとめずに書かれたそうだ。そんな、当人が趣味でだらだら書いた作品が、これだけバカ売れするんだから、商業小説家としては大成功だね。
>こだい‐こうこく【誇大広告】 商品やサービスの内容・価格などが、実際のものより優良または有利であると消費者に誤認させるように表示した広告。
ですが、どうしてタイトルと作家名と発売日のみ明記した出版社からの広告が、誇大広告に当たるのでしょうか。それとも書店員の手描きポップを指しているですか?
また、「筆をとめずに書かれた」=「趣味ででだらだら書いた」とはならないのではないでしょうか。
画家のスケッチも、ミュージシャンの即興演奏も、俳優のエチュードも、即興的な表現はすべて否定されるのですか?その瞬間にしかない力や勢いに、魅力はないのですか?
まあー。村上春樹にとって、例え自分がとんでもなく寂しいことに気づいたからって、それで純粋な方向に振り切っちゃうのは、はっきりいってよくない戦略じゃないかなあ。というか、それ、青豆と天吾のストーリー、ひきづってるだけだよねー。いや、1Q84は恋愛がテーマじゃないから、奇跡的に、ああいうのが物語になったけど。もし恋愛をテーマにするんだったら、青豆と天吾のような主人公では小説がかけないでしょー。。。。というかですね。
はっきりいって、もういい加減、孤独をつきつめた作品ではなくて、大恋愛について書くべきなんですよ、村上春樹は。だって、この人が孤独でも、全く悲しくないんだよね。もともとが孤独に鈍感な人なんで。なんとか、もうちょっと、大衆とコミュニュケーションとるために努力して下さい。それができないなら、今後は、本当に人に認められたいなんて思うのはやめて、出家してくださいなー。
(終)
>村上春樹の作品は「アンダーグラウンド」以降どんどん社会性を帯びていると思います。
インタビュー集や読者との交流を何冊もの書籍にまとめていることからそれは明らかです。
私見を述べるならば、今回の「色彩を持たない〜」は、「孤独をつきつめた作品」ではないと思います。
今回の作品の主人公は具体的な地名と風景の描写を付け加えられた最後のシーンの描写からも、内面はどうであれ、外面としてはしっかりと社会性を持った人物ではないかと考えられます。
その意味で「ノルウェイの森」の主人公が最後に感じた、「僕はどこにいるんだ」という感覚と、対比される作品と考えられます。
そのため、「色彩を持たない〜」は、「孤独をつきつめた作品」には少なくとも作家の作品群から位置づけする分に該当しないと考えられます。
とありますが、
「村上さんに聞いてみよう」シリーズで読者からの何百もの雑多な質問に答えたり、
「少年カフカ」で特定の作品に向けられた読者からのフィードバックや質問に真摯に向き合ったり、
「アンダーグラウンド」「約束された場所で」の中で地下鉄サリン事件の被害者加害者の内面をインタビューした作品を出したり、
その他に京都での講演を企画したり、海外では朗読会を行ったり、
十分に大衆とコミュニケーションを図ろうとする姿勢があると思うのです。
ここまで大衆とコミュニケーションを図ろうとしている長編小説家が私には挙げられません。
その成果も、以前は若い独身男性の視点で一人称で描かれていた作品が、三人称になったり、また1Q84の牛河のように、全く違う立場の人物の内面を描いたりと、
どんどん小説の中で反映されていると思うのです。