2013-05-23

細木数子宗教

最初に末尾の文を書くけれど

その人が「騙された!」と思った時、発狂するかしないかはまた別の話。

宗教からなんだという話である

細木数子

「ありゃ単なる占いだ」

「単なる口うるさいババア

予言外したバカ」

いろいろ言われてました。

はいえ、なんちゃらの泉だったかと一緒に、スピリチュアルという物が世にありふれて売れているという時期があった。

私は当時番組をみていたのだけど、彼女はあまり予言を外すから

番組後期は「占いなんてどうでもいい」とまで言うようになっていた。

じゃあなんでそれでもあのババアさんの本が未だに書店にあるのか。この前ちょこっとテレビにも出てきたのか。

それは彼女自身が、「ある人達」にとって、一家言をもたらしてくれるような宗教性があるからだ。

「ある人達」とは「騙されたい人達」のことである

本人がどう思っているかは別として、引用箇所を反対意見も見ずに、丸ごと信じちゃうんだから

宗教に「騙される人達」とはそういうものだ。

ー念のため言っておくけど、学問の話はしていない。

「万年補欠選手が遂に試合に出れなかった。

でも彼はいつかシュートを決められる。」

そんなCMがあった。

感動した人達は、「騙されたい」から「騙されにいって」涙腺ゆるますのだよね。

あれも「終わり決めない頑張れ宗教」だよ。

じゃあ、何が問題かって言えば

「現世」「社会通念」の枠組みで

逸脱してるか否かなのじゃないか

誰にだって「騙されにいく権利」はある。

その人が「騙された!」と思った時、発狂するかしないかはまた別の話。

宗教からなんだという話である

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