2013-07-07

http://anond.hatelabo.jp/20130707000619

言葉が足りていなかったけど、自信も勇気別にスピリチュアルでなものではなく、脳の神経的・生理的な基盤の上に成り立つ基礎体力みたいなものだと思っている。そういう意味ではあなた意見と同じ。ただし、経験で多くことはこなせるようになるといっても、その「なんとかなる」の程度と「多くのこと」には個人差が非常に大きい。さらに厄介なことに、たとえこなせるようになったとしても、感受性の部分はどうにもならないことが多い。

まり、出来るようになったから問題解決なのではなく、不得手なものは出来るようになってもやっぱり不得手なのであって、その苦手という感覚はそれ自体がQOLを大きく左右する重大な問題なのである

また、それ以前の問題として、苦手なことの場合、何度も立ち向かえるか、という部分でまず躓くことになる。元記事に書かれているような後から仲間に入れてもらうことに躊躇がないような人は、天然に失敗を恐れていない。仲間に入れてもらうことに失敗したとしても、ただもう一度さほどのためらいもなく行動するだけである。そして、行動を繰り返していれば確率的にいつか成功にたどり着く。その際、本人は大して苦労したとも思っていないだろう。事情を知らない第三者からは、へこたれない行動力のある努力家、という評価を得ることになる。

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