はてなキーワード: アルファベットとは
まとめの状況とは多少違うが小学生のとき親の転勤で海外暮らしをしたことがある。
いつ帰国するかわからない状況で渡航し、現地の学校に入れさせられた。
親は教育熱心で幼少期からアルファベットや簡単な英会話を教えられていた。
そのため現地校の授業における言語のハードルは数ヶ月のうちに無くなった。
しかし初の海外でのカルチャーショックは大きく、他人と壁をつくることが多かった。
自分の本を読み終えると親の本棚から何冊か取って読み漁っていた。
小学生レベルの授業には問題なくついていけても思考はできないと感じていた。
そのような状況で母語を忘れてしまえば自分のアイデンティティを失うんじゃないかと思った。
時間があればひたすら日本語の本を読んだ。しかしそれは次第に英語学習の妨げになっていった。
テストの成績が伸び悩むようになり、親はそれを読書のせいだと考えたようだった。
それでも唯一自分のアイデンティティを日本に繋いでくれるものを切り離せるわけがなかった。
親に隠れて本を読むようになった。夜寝たふりをして布団の中で読み続けた。
自分は日本人として日本語が出来なくてはいけないと暗示をかけ続けた。
数年後、無事日本に帰れることになった。帰国枠で受験に合格した。
完全に帰国子女の雰囲気だった。話をしてみると、自分と同じ程度の英語能力はあったが日本語は下手だった。
彼は日本人のアイデンティティを持っていならがも2つの言語を混ぜなければ自己表現できなかった。
受験で出会った帰国子女は彼のようなケースが多かった。日本語も英語も完全ではない。
日常会話は出来ていても思考を文章化することができない。学校の成績も英語以外は悪い。
もしあのとき自分が読書を諦めていたら同じようになっていたはずだ。
ということで、
そんな時計を探してみました
ただし、アンティークでドルフィン針なデヴィルは見たことがない
http://ki-watch.com/swiss/om64de.html
http://www.seiko-watch.co.jp/gs/collection/detail.php?pid=SBGX095
厚さが8mm程度な上に、直径が40mmと大型だし、日付もある点が違う
http://www.sankei.com/affairs/news/151013/afr1510130014-n1.html
彼らはある組織によって、特殊能力を植え付けられた少年達で、組織の駒として任務をこなしていた。
その中で、少年Aと少女Zがある事件をきっかけに組織に離反しようとする。
もちろん他の少年少女達が組織の命令でそれを阻もうとするが、その時は逃げ切ることができる。
月日が流れて、元少年Aと元少女Zが組織に見つかったところからメインパートがはじまる。
そんなようなラノベか何かを誰かが書いて、大ヒット。
アニメ化・実写化等のメディアミックスもされて、「少年A」「元少年A」と検索しても出てくるのはその作品の話題ばかり。
こうして、少年Aや元少年Aという単語が彼の元から解き放たれる。
内容は拙いけど、そんな感じの事ができたらいいのにな、という妄想。
ネットではもう水伝とか江戸しぐさと同レベルのトンデモ扱いされている「掛け算の順序」について思うこと。
いわく、小学校で習った「みちのり・はやさ・じかん」などのシンプルな公式は
光速に近いようなメッチャ速い速度の中では通用せず、
かわりになにかアルファベットだらけの難しい式を使わなければならないのだと。
たとえば小学校の算数では、時速200kmで走る新幹線の中で進行方向に時速150kmの野球ボールを投げたら、
進行方向の逆に投げれば、外から見れば時速50kmのボール、というように
速度と速度は単純に足したり引いたり出来ると教わったが、
光速の数パーセントというオーダーの世界では、それは正しい答えにならないのだ。
幼い俺は「ん?」と思った。
だけど、新幹線だってボールだって、どんなに遅いと言っても光速の0.00000000...
とにかく「光速の何パーセントかの速度」には違いないではないか?
そうだとすれば、その速度同士を足し引きするのも、厳密には間違いということになるのでは?
解説を参考にしながらボールと新幹線を代入して、自分で計算してみた。
結果は……普通に足し引きするのとほぼ変わらない答え。俺は感動した。
同じひとつの方程式が、人間の日常レベルから光速までカバーできるなんてすごい。アインシュタインは天才。
ここから本題。
小学生に速度の計算を教えるとき、光速付近で不正確になってしまう古典物理学のやり方ではなく、
いずれ形而上的な「数」そのものを扱わねばならない学年になったときの足枷になったら困るからと、
「3つの袋それぞれに飴が5つずつ」式の、物理的実体と紐付けた説明は、最初から一切禁じるべきか?
これを使わず数字と数字の間にあるバッテンの意味を教えられる自信ある? 小学生にだよ?
そして、これを使って教える限り、3×5 と 5×3 は、
たとえ計算結果は同じでも「式の”意味”が違う」と言わざるをえなくなる。
はっきり言って掛け算順序否定派は、人間の理解能力には発達段階があること、
子供相手に最初から全部を教えるのは無理だし、そうする必要もないこと、
前はこう教えたが実はちょっと違うんだ、と説明を覆して拡張していくのは
やり方次第であってべつにタブーではないこと、をわかっていないと思う。
実際俺は、くだんの本を読んだあとも「先生は不完全な計算法を教えていた!」なんて思わなかったし、
算数のテストでみんなが足し算している中で一人だけアインシュタイン方程式を使ってたらマルもらえなくてもしょうがないと思う。
終わり。
最近のJ−popの表舞台を賑わせているものって、明るい曲調しかないような。歌詞が仮に暗くても、リズム打かギターがやたら早い。
しっかり調べたら出て来るのかもしれないけど、テレビでは中々お目にかかれない。
しっぽりエンドレスリピートできるやつないかな。
ミスチルの深海 UAの悲しみジョニー とか 中谷美紀の砂の果実とか。 ああいう曲が大好きだったんだけど。
それこそcoccoとか。
後半だと the brilliant green の冷たい花 love psychedelico の last smile とか。
自分がj-popにはまったのが世紀末前後だったのもあるかもしんないけど、
病んでる という単語まではいかない・・・暗鬱とした、でも心地よいやつ。
音楽の技術は全然分からないからイーマイナーが多いとか多くないとかはよくわからん。
ここまで書いて、もしかしてアルファベットのSから始まるあのグループが現在のそれらのポジション?とちょっと思ったけど、
心が全く受け付けないので違うと信じている。
他所で書いたが消されてしまったのでまとめ直してここに書キノコす。
模倣元とされるアレが、ヤン・チヒョルト(Jan Tschichold)氏のイニシャル「J.T.」であるように、初期案の赤丸は「省略を表すピリオド」を模していると考えるのが自然。
Tに様々なキーワードの意味を込めてるとは最初から言ってるし、読点付けるデザイン自体はごくありふれたモノだから(例えば「モー娘。」)、氏の作品を見ずとも「T.」+九分割であのデザインに至る事は十分あり得ると思われる。
ところが。
以上を見るに赤丸がピリオドである可能性は自ら否定してしまっている。
しかもアルファベット一覧に赤丸の無い字もある事から、重要な要素だという説明まで否定されている。
デザイナーの言うように、素人はデザインについては詳しくない、もしくは分からない。
だがパクリが悪いという事ははっきりと分かる。
つまり一部のデザイナーが素人は黙ってろと主張したのは、パクリを最大の争点にするのをアシストしたのかもしれない。
逆に素人とじっくり議論する構えを見せていれば、デザインの良し悪しだけをずっと争っていた可能性も微レ存。
思いつくのは2つ。
元の2つの主張
ステンシルによってアルファベットやら数字やら文字やらを描く手段が使われる場所といったらねぇ。
基本的に「ステンシル書体が使われる場所」ったらこんなところだろ。
「なぜそういう書体になっているのか」「かつてどういったところで使われてきたか、使われている書体なのか」
「どういうイメージを連想させる書体なのか」ということを考えもしないで
前者について「反例を出せ」って言われたからそれらしきものを挙げたまで.
http://www.horniman.ac.uk/ に使われているタイポグラフィが
「なぜそういう書体になっているのか」
ステンシルによってアルファベットやら数字やら文字やらを描く手段が使われる場所といったらねぇ。
基本的に「ステンシル書体が使われる場所」ったらこんなところだろ。
https://en.wikipedia.org/wiki/Stencil
間違っても、三大文化施設?とやらに数えられるような場所に縁のある書体ではないわな。
「なぜそういう書体になっているのか」「かつてどういったところで使われてきたか、使われている書体なのか」
「どういうイメージを連想させる書体なのか」ということを考えもしないで
よくわかる、なぜ「五輪とリエージュのロゴは似てない」と考えるデザイナーが多いのか?
http://bylines.news.yahoo.co.jp/takayukifukatsu/20150907-00049112/
なんというか、この記事を読んで「この人って常識も教養もないのか?」って思った。
もしこの見解が「デザイナー界隈の最大公約数」というのなら、デザイナーってのはどれだけ教養も常識もないのだろう。
この説明をみて「その通り!」って思う人って、どれだけ教養も知識もないのだろう。
深津貴之という人は、ベルギー国やそのデザイナーを侮辱しているのだろうか。
今回の類似性を理解するには、前提としてステンシル書体を知っていなければなりません。これは製図やレタリングで使われるステンシルテンプレートをモチーフとした書体の通称です。リエージュや、チヒョルト展の文字デザインは、このステンシル系の書体をベースにしています。
などとあるように、深津氏の論理の大前提に「リエージュロゴ」や「チヒョルト展ロゴ」は、ステンシル書体を基本にして作られている、という主張をおいている。
そんなわけあるか。
ステンシル体というのは、ペンキやスプレーなどで簡単に、木箱や木樽などにアルファベットをペイントする「型紙文字」を模したものだ。
ところどころ文字の線が切れているのは、「型紙を作るときに閉曲線を作らない」為とか、さらに型紙の強度(壊れにくさ)なども加味した、
実用大前提の理由があるんであって、オシャレのためでも独自性のためでもない。
更に、ステンシル書体の由来が「実用」、それも非常に泥臭い場所や用途での実用やその使われる対象や実際の転写品質の関係もあることから、
ステンシル書体は「野性味」、良い意味での「不精さ」「無骨さ」「無頼」「不器用」「泥臭さ」「俗っぽさ」「荒っぽさ」、そういうイメージを連想させるものだ。
ベルギー国王の名前を冠したベルギー王立の劇場のエンブレムを作るときに、そんなものから出発するわけがないだろう。
深津氏の主張は「ベルギー王や王立劇場のイメージは、野生、不精、無骨、不器用、泥臭い、俗っぽい、荒っぽい、である」といっているに等しく、
ステンシル書体から出発してスタイリングを経て現在のロゴになった、と主張するということは
「リエージュ劇場は、ちょっときれいにスタイリングされただけ、そもそもの根本的にはステンシル書体が似合う場所なんだよ」と言っているにすら等しい。
あまりにも無教養すぎるし、ベルギー国や王立劇場、そのデザイナーに対してあまりに侮辱的過ぎる。
「でもステンシル書体と共通する特徴があるんだし、ステンシル書体と同じ」というところから恐らく深津氏の論理は出発しているんだけど、
それこそ深津氏が言うところの「井と♯と#が同じ文字と言っている、無学な藁人形」と深津氏の知能が同じであるということに等しい。
なんというんだろう、これが本当に「デザイナー」の共通認識なのか?
デザイナーというのはここまで無教養で、無礼で、不躾で、まがりなりにも一国の王を侮辱して恥じない人間なのか?
深津氏の説明を聞いて「なるほど」と思った人は、このぐらいのことも頭が回らないのか?
http://anond.hatelabo.jp/20150907223211
佐野氏が後日発表した、レンブレム展開例のアルファベット一覧。
これ、Tだけ余分な要素が付いているから後付けだ、という人が多いけど、その説明がデザイナー側からされていないので書きます。
これを展開させるためにアルファベット一覧を作った。
この順番です。
「T」というものが存在しているから、アルファベットと言われたら「T」にたどり着く人が居るわけだって、
始めのやつの焼き増しみたいですね。
Tに見えるのは何故か?
それはお前がTだと聞いてTだと思ってるから。
あの絵をただ見て「Tだ」と思う奴なんてどれだけ居るか。
アルファベットだ、と言われれば似てるのはTにたどり着く人も居るだろうが、
いきなりTにはどう考えても辿り着かない。
右下はなんだ?結局何なんだ?
なんでもいいんだけど、
取り敢えず、あのエンブレム、「T」に見えないんだけど、
そこを何とかしてくれないかな?
後付だかなんだか知らないアルファベット群を見ると
「T」が一番意味不明なんだが。
深津さんのエントリ(http://bylines.news.yahoo.co.jp/takayukifukatsu/20150907-00049112/)は、基本的には佐野氏と委員会の説明をなぞったもので、デザイナーでなくても彼らの説明で「なるほど劇場ロゴのパクりではないのか」と納得した人は少なくないと思っていたので、この内容に対して「なるほどわかりやすい!」と関心している人が多いことに逆に驚いている。
これを読んでも納得いかない人がいるのは、おそらくデザイナーが「似ていない」という言葉を使って反論しているところに理由があるのではないか。万人に納得してもらう説明としては、「似ているが、パクリではない」が正しい。
あのエントリでも書かれているとおり、デザインは装飾ではなく最適解を求める設計なので、限られたパターンであれば結果が似てくることは珍しくない。
ゆえに、色々やった結果が「似てしまう」ことも「悪」とはされないが、同じ見た目のものが氾濫すると混乱を招く(それこそ社会におけるデザインの目的と反する)ので、商標などのルールによってお互いの利益を損なわない形で解決しましょう、というのが現代社会におけるお約束になっている。
だからこそ、海賊版など意図的にこのルールを侵し、混乱させ、利益を得ようとする「パクリ」行為は「悪」なのだ。
委員会が「法的には問題がない」と判断したのも、上記のルールにのっとってリェージュ劇場のロゴが商標登録されていなかったことから、「似ている」が「違法ではない」という当然の結論である。事実、佐野氏の初期案は「似ている」商標があったので修正を行ったと説明されているので、もしリエージュ劇場のロゴが商標登録されていたら、(撤回はされたが)現在のエンブレムも「似ている」ことを理由に委員会からNGとされていただろう。
当初、デザイナーがこぞって「パクリではない」と佐野氏を擁護した理由は、そういうことだ。エンブレム最終案があのデザインになった課程について、十分納得のいく説明はなされているし、最初から擁護していた人達はそのデザインの良し悪しは別として、コンセプトも含めてなんとなくでも理解していたはずだ。
その上で、なお疑義が残るとすれば、意匠=見た目の問題において「初期案を作るときに“T”の右下に●を置くアイデアはチヒョルト展からいただいちゃったんじゃないの?」という点だろうか。「9分割のモジュールでアルファベットを表現する」というアイデアは、言ってしまえばそれほどオリジナリティが高いものではないが、「鼓動のパワー」を表現するという「●」が「T」の右下にあるのはこのエンブレムのオリジナリティの一つだといえよう。それが佐野氏が過去に見た展覧会のメインビジュアルに由来するのでは? という疑問が生じたわけだ。だからデザイナーの矜持として、原案とチヒョルト展のポスターの類似の話が出たタイミングで、当初は佐野氏擁護だったデザイナーの中から批判に転じる人が出たというのも、おかしな話ではない。「(身内として)擁護しきれなくなった」のではなく「初期案のコンセプトの正統性に疑問を感じた」のだ。だが、これも「疑惑」にすぎず剽窃の「事実」は認められていないので、真実は闇の中である。
個人的には、佐野氏のエンブレム以外の仕事を見ても、面白いものはあるが独創性に欠けるという感想を抱かざるを得ない。日本の広告やエンターテイメントの世界においてよく見かける、海外で売れているが日本にはまだ入ってきていないものを「いただいちゃう」ようなやり方にどっぷり浸かりすぎてるんじゃないの? と思わないでもない。
もちろん、サンプリングや本歌取りという手法がクリエイティブを発展させることは確かだし、オマージュやパロディによって発揮される作家性は存在するので、そういった行為を否定するものではない。だが、それらの手法は「コンテクスト(文脈)」に乗った上で初めて効果があるものである。サントリーのトートバックのイラストの件などはコンテクストも何もなく「いただいちゃった」案件そのもので、悪質である。(パンの写真やメガネの写真を無断で素材使用したのはまた別の問題だ。)佐野氏の事務所のクリエイティブに、こういった姿勢が垣間見えることで、オリンピックという大舞台のデザインワークを担うのにふさわしいデザイナーであるかどうかを問われてしまうのは仕方がないことだろう。
とはいえ、現在の「パクリ批判」のあり方は、その内容や手法において明らかに間違っている。
ここで長々と述べてきたことようなことを理解しているのかいないのか、本質とずれた批判をセンセーショナルに書きたて、多摩美など佐野氏が関わっている所なら話題性があるとばかりに火をつけて回るnetgeekやまとめサイトの在り様と、それに扇動されるネット民のリテラシーのほうが、パクリ疑惑以上に深刻な問題なのではないだろうか。
最初佐野さんの原案デザイン以外を選んだ審査員は、どんな説得で最終的に佐野さんの原案に賛成したんだろう。
佐野さんの原案は静的で、色も高級感や伝統や落ち着きを感じる渋い印象だし、スポーツの祭典ぽくないよなあ。
決め手となったらしい展開力も発表された例ではどこが圧倒的に優れているのか素人の自分にはよく分からない。他のエンブレムになさそうな展開例って読みにくいアルファベットと積み木っぽいのぐらい?むしろメインカラーが黒色なのは展開しにくくないのかな?黒赤金に比べて銀色が見えにくいし。
佐野さんデザインは縮小印刷しても見やすいって意見や、他のデザイナーや素人が作ったエンブレム案に対して否定的な意見も見たけど、もし、佐野さんの原案と扇のデザインがエンブレムのコンペで最終候補に残ってたら、自分だったら扇デザインを選ぶけどなあ。色も形も動きがあって華やかだしお祭りっぽくて、みんなで盛り上げようって気分になる。
コンペ選定後で修正されるのは珍しくないことらしいので、だったら扇デザインだって色や配置を修正すれば良いんだし。
展開案も、素人考えで安易だろうけど扇そのものの曲線で大きくもドットで小さくも使えるし、ドットを使ってグラデーションも作れるし、グッズ展開もドット模様で可愛いのができそうなきがするし、賑やかに大会を盛り上げられそうだけど。
八百長の出来レースだったとしたら、せめて修正案のデザインでコンペ応募するくらいの工作すればいいのに。他のロゴと被りやすそうな文字のデザインは避けるとか、あらかじめ似た図案がないか事前に調べるとか、騙すんならもっと丁寧にしっかり準備してうまくやってほしい。
統括するにはまだ早いと思うのだけど覚書。
【1】一連の騒動について
【2】デザイン的に見てどう思うか
【3】佐野氏に同情できるか
【1】一連の騒動について
サノケンのエンブレム取り下げまでの一連の事件を振り返ってグーグル会長が書いたエリック・シュミット『第五の権力』を思い出したので書いておく。
まず第五の権力とは何か。
行政、司法、立法の3つの権力に対して今まで報道を第四の権力となぞらえていた。それを本書でエリックは第五の権力のことを、全世界の人がオンラインでつながったことで手にする力と言っていて、つまりインターネットをもった我々のことで、有体にいえば『炎上』のことである。
で、サノケンの炎上だけど、これまでの炎上と明確に一つ違う点があることを留意しておきたいと思う。
海外のデザイナーやフォトグラファーらとニュースを通じてオンライン上で繋がり、情報が次々と提供され、外堀を着々と埋められてしまって国はもう言い逃れできなくなってしまった。
恥の文化がある日本人にとって、海外のリアクションはすごく耳が痛かっただろうなと思う。
で第五の権力、つまり『炎上』についてまだまだ日本で過小評価されているような気がする。
佐々木俊尚氏に限っては、いまだにネット民の自制が必要みたいなナイーブな話をしているし、茂木健一郎氏は、権威者層に対する下位層による妬み、対立みたいな話になっている。
いやいや、デザイナー・広告業界からのタレコミが多かったと思うけどな。政府関係者の中にもサノケンのエンブレムが気に入らなかった人は大勢いたんじゃないかなと思うし。
ていうか、妬みの力だけで国は動かないし、動かせるわけがない。もし妬みで国を変えられるのなら、Gakut何人必要なんだよって話だよね。
トートバックの事案、過去のデザインの掘り出し、原案の意匠の発表と、無視できない事案が重なってエンブレムが取り下げになった。
もしかしたらデザイン業界ではコピペ(盗用)・改変(剽窃)は、慣例的に、普通に行われていたのかもしれない。
でも、もうそれは許されることではなくなった。
どうでもいいけど、茂木氏がクオリア(死語)的にデザインが受け付けないと語った時にはこれはギャグなのかなと思った。
【2】デザイン的に見て
素人目に佐野エンブレムのデザイン的に悪いところを個人的に挙げておく。
1:デザインが堅苦しい。
スポーツの躍動感がない。
祭典のイメージがない等
2:パラリンピックの白黒反転ロゴが、『T』に見えず、『U』に見えること
佐野的にはパラリンピックは『=』(イコール、平等)をイメージしたらしいがパラリンピック関係者は、それを
聞いてどう思っただろうね?
まだ『U』でUNITE(結合)とした方が良かったのではないか。せっかく26文字作ったんだからさ。
3アルファベットイニシャルが、日本人にはそもそも受け付けないものであること。
なんでTOKYOのTなんだろうね?
たぶんあれは原案を元に作成されたもので、意匠変更を経て発表できなくなったものなんだろうなと推測。
素人目には、ここまで悪いところを挙げられる。
あとプロと素人の境界は職務に対して『批判的』になれるかである。
批判的になれないのは『商売人』であって、『プロフェッショナル』ではない。
【3】佐野氏に同情できるか
はっきり言って、どうでもいい。
同情は彼の仲間が(同情)するべきことで、無関係の我々がすることではない、よね?
著作権を軽視してトレパクすることは、他人の住所を勝手にネットに書き込みすることに等しい犯罪であることを認識してほしい。
とりあえずインターネットウィルスによる情報漏えいと同クラスの対策を取らないと自社、取引先の企業価値を大きく毀損する結果になるとだけ忠告しておく。
TPPによって著作権侵害の非親告による摘発が可能になればさらにこの流れは加速するはずだ。
むしろ、このことによってオリジナルのクリエイターの権利が守られることを望みたい。
そういえばトートバックの件でで剽窃したと思われる猫のデザインはいつになったら取り下げてくれるのだろうと思っている。
佐野デザインと名前を付けている以上、名前に大きく責任を持つべきだと思う。
盗用されて被害を受けているデザイナー、フォトグラファー、クリエイターが実際にいることを忘れちゃいけないと思う。
クリエイトすることによって飯を食っている人たちであることを忘れちゃいけない。
佐野氏より、五輪提携企業より先に、こちらに対して、まずどう補償していくのかが今後のこのサノケン事件の焦点になるのかなと思っている。
才能があるのに無名で売れないクリエイターってたくさんいるんだからさ、これを機に還元される流れになってほしいな。
以上です。
ノヴァブラスターで復活短縮ギアつけて、ガチヤグラでステージがアロワナ、油田の時だけプレーしてればいい。
以下どうでもいい駄文
ヤグラだけしかアップしていない人
それどころか、マップも偏ってる
おすすめはノヴァブラスター使ってアロワナ、油田ステージの時にガチヤグラ
ヤグラ戦のノヴァブラスターはエイム必要なくただヤグラに向けて撃ってるだけでいい。
ヤグラにも基本乗らなくていい、復活短縮とカムバックギアをつけてヤグラの前にでて前方を適当に撃ってるだけで
敵は死ぬし、死んでもすぐ復帰できる。ヤグラを奪われてもヤグラに向けて撃ってるだけでどんなバカでも
15キル10デスぐらいに落ち着く
ダイナモガチエリアは遮蔽物からエリアに向けて雨乞いしてるだけでいい
それだけで安定する。
ガチホコは味方依存度が非常に高く、馬鹿なS勢を率いて全部自分でやらないと安定して勝てないので避ける。
武器は96ガロンデコ、スプラシューターコラボ、ノヴァ、ホッカス、ローラーコラボ、カーボンローラーあたりを使う。
チャージャー、スピナーはどのルールでも、どれだけ敵を倒しても、味方シューターが相手シューターにタイマンで撃ち負けると
ガチエリアタチウオですら何もできなくなるぐらい味方依存度が高いので野良では使うべきではない。
ローラーもシューターが撃ち負けると前に出れない味方依存度が高いブキだが
ヤグラとガチホコは敵が必ず自陣に着てくれるのでまだ自活の余地はある。
と言うかサポート系ブキは野良では避ける、サポートの意味を理解してくれる仲間に出会える事がほとんどないどころか
味方アタッカー2人を1人で処理できる敵に出会うだけで何もできなくなる。
野良ガチマッチS帯は実力差が本当に激しいので、自力で活路を見出すことが難しいブキは避ける。
バカはリザルトのキルデスしか見てないので、シューターの足場塗ってたりしてもフレンド登録と一緒にファンメッセが着たり
15k12dみたいな必要ないキル、必要ないデスを繰り返す馬鹿にTwitterで「これだけ倒してるのに負ける」などと晒されるので
http://anond.hatelabo.jp/20150901191914
はじめの怪しさ満点の記者会見で騙された奴は、自分がデザイナーに向いてるのかを見つめ直すべきやろ。
二流以上のデザイナーなら、シンプルな図形のデザインは何度も何度も微妙な色違いや位置違いを作るからな。
少なくとも100回は調整するんじゃないかな。そして後で見直すためバージョン違いはある程度保存しておく。
だので仕事ができるデザイナーは会見時にバージョン違いを見せない事で、多少は疑っていたと思うよ。
あと会見で突如出した全アルファベットのフォント。「フォントなんてすぐにできひん」とか擁護する奴もいたが、
「版権フリー素材を使ってれば問題ナシ」とかいうアホな三流クリエイターが湧いていたが、
法律上はともかく仕事人としてダメだろ。「雑な仕事」ってレベルじゃなく、「デザイナー廃業しろ」ってレヴェル。
今回は本当に三流デザイナーがうるさかった。