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はてなキーワード: アフリカとは

2020-09-02

マイナスプラスにする」みたいなことってこの時代にできるんだろうか

昔の人っていいよな

家族幸せにしたいとか、貧乏を脱却したいとか、病気死ぬ人を減らしたいとか

マイナスがまずあって、それをプラスにするみたいなことができたわけじゃん

今の時代はもうそういうのほとんど残ってない

かに海外に行けばあるかもしれないけど、そういうことしたい奴らが集ってて正直近づきたくない

あるいはアフリカみたいに手がつけられないほどこじれてるかのどっちか

からもう既にゼロプラスの中で無為にやるしかなくて

結果好き勝手やりたいことして生きるとか

ゲーム創作物の中で生きるとか

そういうのしか残らない

エンディングの後みたいな世界

anond:20200902014634

でもジャップどもは黒人奴隷アフリカから船で運ばれていっても助けようともしなかったよね

無視したんだからもう完全に加害者だよね

2020-09-01

つの間にか同性愛ありが当たり前になってる件

10億人を越えるイスラム圏では同性愛は当然なしだし

イスラムと被るけどアフリカほとんど同性愛はなしだぞ

良く同性愛性的志向からあり、ロリコン性的嗜好からなしって言われるけど

悪いけど同性愛世界的に見れば全然なしなんだよ

もし、同性愛ありが正しい、なしとするのが差別だと言うなら

日本にもムスリムはたくさんいるんだから

モスク大使館前に行って反対運動してくれよ

適当スマホポチポチして承認欲求だけ満たしてオナニーじゃないんだから

煽り抜きのガチで聞きたいんだけど、そういう矛盾自分の中でどう処理してるのか聞きたい

教えてクレメンス

2020-08-31

anond:20200831112714

「だったらテメェが何とかしてやれウゼェな」

と言わなければいけないところを、つい口が滑って

「うるせぇアフリカのガキなんて勝手に死んどけ!」

と言ってしまうから、話が拗れるんだよな。

なんというか、

かにつけて「でもアフリカでは子供餓死している!」と突っかかってくる馬鹿いくら鬱陶しいからといって、「うるせぇアフリカのガキなんて勝手に死んどけ!」と言ってはいけないということがわからない人がたくさんいるんだな。

2020-08-30

パヨクってつくづく韓国的だよな

敵の功績を認められない奴がこの世のなかで一番政治に関わっちゃいけないと思う

真珠湾攻撃ですらアメリカ自爆攻撃を仕掛けた日本の隊員の尊重し墓を作った

敵であっても相手の功績は称える

それが出来ない奴らは一生相手を呪うことしか出来ない

そんな奴らに国のトップなんか任せられないんだよな

もし任せても韓国のようにほぼ退任とともに逮捕されるコント国家が出来上がる

本当パヨクには韓国移住して欲しい

何故かパヨクって日本は終わりだと言いながら日本にしがみつくんだけど

アフリカ諸国難民見習って海外目指せよ

この臆病者が

2020-08-28

8月28日googleロゴを見て初めて、三銃士モンテクリスト伯の作者デュマ(大デュマ)がアフリカ系の血を引いている事を知った。

うーーん、あのくらいの時代ヨーロッパって、やっぱり意外とアフリカ系もいるものなのか。

しかもデュマの父は貴族奴隷女性の間に生まれ子供で途中から父親に引き取られたらしいから、

貴族階級にも黒人の血を引く人は結構いたのか。

そうなると、実写版シンデレラ美女と野獣アフリカ系らしき人達が目立っていたのも案外史実に即しているのか。

バヌアツ

バヌアツへのイメージ

名前がかっこいい

 ・抜刀術っぽい(バで始まってツで終わるから?)

・どこにあるか分からない

アフリカな気がするが、もうちょっと東のモルディブ?とからへんな気もする

・気温は高そうというか、熱帯ぽい

比率としては黒人が多そう

リゾートなんかもありそう

・行きにくそ

バヌアツについて調べて知ったこ

名前メラネシア言語由来らしい

オーストラリアちょっと北、オセアニア系のところにある!全然アフリカじゃねえ

火山島がメインの群島国家らしい

熱帯雨林気候なのは正解!

スキューバとかもあるっぽいのでまあリゾートもあると言って良さそう

メラネシア系が98%らしい。黒人ではないな

バンジージャンプ起源はこの国にあるらしい。やるな

・砂絵が無形世界遺産らしい

・行きにくそなのは正解で、オーストラリアとかニュージーランド経由で行くしかないらしい。それはそうだろうな

地球儀を裏返したら裏面が出てきて、普通のザコ敵でもかなり殺しにかかってくる感じでビックリした。お陰で原初人類がまだアフリカを出られないでいる。

2020-08-27

コロナウイルスがもたらす日本人文学危機

コロナ人文学ヤバい

といっても哲学とかそういうのじゃなく、歴史学とかがヤバい

もうちょっと言うと、日本史とか日本文学とかはぜんぜん大丈夫なんだが、西洋史とか東洋史とか、要するに外国のことを調べる学問ヤバい

今はまだ大丈夫だけど、じきに破綻する。

なぜかといえば非常に単純な話で、研究を進める上で必要資料アクセスできないからだ。

歴史学根本は、オリジナル資料(=一次史料)にあたることにある。一次史料には色々な形態があるわけだが、歴史上の出来事の背景とかを実証的に調べようと思ったら、公文書館にある史料を使うことが不可欠だ。

そして公文書館というのは行政機関なので、日本国立公文書館外務省外交史料館東京にあるように、あるいはイギリス国立公文書館キューにありアメリカ国立公文書記録管理局ワシントンDCにあるように、当然ながらそれを管轄している国や地方自治体に設置されている。

そう、公文書館に行けないである

コロナが2~3年で過ぎ去り、その後はすべてが元通りになるなら、その数年を耐え忍べばいい。数年が過ぎればまたヨーロッパなり世界の他の国なりに行けるようになる。当然、歴史学も元通りだ!

でも残念ながら、中東諸国の割安の航空券ヨーロッパ渡航できる日々は、もう戻ってはこないかもしれない。航空券が割高になるだけではなく、全世界的に航空産業が縮小し、これまでであれば容易にアクセスできていた史料アクセスできなくなるかもしれない。

明治維新以降、政府が雇ったお雇い外国人たちによって、ランケに始まる近代歴史学日本に持ち込まれた。だが初期の日本歴史学はあまりにお粗末なものだった――現在の水準からすれば。

オリジナル史料を見ずに、西洋人の書いた歴史書を読んでそれを日本語で紹介して論文を書き、吾は教授でございと偉そうな顔をしている。英語フランス語ドイツ語の文献だけを読んでヨーロッパ史全体を講じるなんていう無謀なことが平気でまかり通っていた。

けれど、そのような稚拙な「論文」も必要だったのだ。日本歴史学が独り立ちするためには。

やがて、それらの先人たちの業績を踏み台にして、きちんと史料集(=オリジナル史料を集めてまとめた本)にあたって論文を書く人や、英仏独だけではない色々なマイナー言語習得して研究する人が増えてくる。そして、交通技術の発展に伴って海外旅行安価になるにつれ、国外文書館アクセスして論文を書く人が増え、英仏独以外の言語を学ぶ人が増え、留学して現地で学位を取る人も増え、日本歴史学レベルはどんどん上がっていった。

2000年代から2010年代にかけての日本歴史学界で生み出された外国研究レベルの高さは誇るに値する。もはや横のものを縦にしただけではまともな論文とは見做され得ない。現地の言語を読めることが最低条件で、その上でどのようにオリジナル面白い研究成果を積み上げるか。多くの研究者たちが競うように優れた論文や著書を生み出してきた。

そこをCOVID-19パンデミックが直撃したのだ。

留学の予定も史料収集計画も、すべてが白紙になってしまった。

分野によって違うと思うが、外国史を学ぶ者は多くの場合修士課程博士課程で留学をする。これは現地で史料収集したり、現地で言葉勉強したり、現地の研究者と触れ合ったりするきわめて重要プロセスで、修士卒ならともかく博士号を獲ろうと思うなら避けては通れない。多くの研究者はだいたい1年から3年くらいの留学を経て、外国歴史に興味がある若者から若手の歴史研究者へと成長する。

COVID-19直撃世代は、この留学経験を持てない。彼らは外国研究者として足腰を鍛える機会を奪われることになる。

2~3年でコロナ禍が終熄するなら、この世代が数年間のハンデを背負うだけで済む(たとえば、留学することな博士課程の年限が来てしまったとか、在学を引き伸ばす羽目になり学費が余計にかかったり就職市場に参入するのが遅れたとか、せっかく学振DCを取ったのに海外調査をすることな任期が過ぎてしまったとか、そういう悲劇が量産されることだろう――外国研究者は学振研究費のかなりの割合出張費に充てている)。

けれど、コロナ禍が終熄しなかったら、あるいは終熄後に海外調査ハードルものすごく高くなってしまっていたら、日本外国研究は大きな打撃を受けるだろう。

そりゃ、留学終えてる組は今すぐに困るってことはない。彼らはもう現地語ペラペラだし、これまでの現地滞在史料たっぷり集めてるだろうから、当面はそれを消化しながら外国研究者とオンライン会議すればいい。

でも、これから留学しようとする人たちは、現地に長期滞在して外国能力を鍛える機会を奪われ、史料を集めることもできず、中途半端研究能力しか持てないままに博士課程を終えざるを得ないことになる。

もちろん、先行世代よりマシな点もある。デジタルアーカイブの発展によって、従来は現地の図書館に行かないと見られなかった古書や古新聞が自宅にいながらにして読めるようになった。中には所蔵している史料ウェブで見せてくれる親切な公文書館もある。外国雑誌だってオンラインで入手できるし、何なら研究書をkindleで読んだっていい。そういえば友達ドイツ語学術書kindle版で引用していた。

から研究の水準が明治時代に戻るということには、おそらくならない。

ただし、その方向性限定される。

どのような種類の史料必要かは、結局研究テーマに左右されるのだ。もしも「ドイツにおける日本人のイメージ歴史」を調べたかったら、古書や古新聞を徹底的に調べればそれでいい。けれど、「1960年代における西ドイツ政策決定過程」みたいなテーマを扱おうと思ったら、公文書館史料を見なければお話にならない。

現代日本で考えてみればよくわかる。「安倍首相メディアでどう扱われているか」と「安倍内閣の内側ではどんなふうに物事が決められているか」とでは、立論に使うべき資料全然違う。前者は新聞ネットを見ればそれでいいが、後者情報公開請求必要だし、『朝日新聞』や『週刊文春』だけを見て後者を論じたら手抜きだと謗られるだろう。

そして歴史学とは「昔のことなら何でも扱う学問」であり、内部には表象を論じる研究から外交政策を調べる研究者まで色々いるのだが、後者のような人たち――つまり研究のために文書館史料必要とする人たち――の研究はずいぶんやりにくくなるだろう。外国研究において、思想史文化史古代史の割合が高くなるかもしれない。

(いやでも、ガチ思想史文化史をやろうと思ったら文書館史料を見ないといけない局面も割と出てくるので、思想史なら文書館行かなくてもいいでしょ、という話にはならないんだよな……明治時代知識人留学先の国に出かけてその国の文書館史料使って明治期の思想についての本書いた人とかいからな……逆にある程度昔の外交史だと関係する史料ほとんど翻刻されてたりするし……)

逆に、先行世代よりも悲惨な点は何か。

それは研究レベルが上がってしまたことだ。

ネット上で読める範囲古書や古新聞だけを史料として使って「18世紀におけるドイツ諸邦の外交」みたいな研究をまとめたとして、明治時代ならこんな多くの一次史料を使うなんて素晴らしい研究だと大絶賛され東京帝大の教授になれるかもしれない。でも現代では、研究レベルが上がってしまった現代では、「新聞しか見てないじゃん。文書館史料使ったの? え? 使ってない? レベルいね」と一蹴されてしまう。論文英訳なり独訳なりして海外ジャーナル投稿しても、それなりのレベル雑誌からは軒並み落とされるだろう(というか、国内でも有力学術誌の査読を通過できるとは思えない)

ふんだんに文書館史料を使う質の高い研究に慣らされてしまったら、今更横のものを縦にすれば教授になれていた時代研究水準には戻れないのだ。

ハードルを下げる?

外国最先端研究成果がワンクリックで手に入るこの時代に?

つい去年まで史料調査のために渡航するのが当たり前で、今アラサー以上の人たちは研究水準が高かった時代を身を持って知っているのに?

コロナ禍の影響が数年で収まるのなら、業績の不足で苦しむのは直撃世代だけで済む。だが、もしもコロナ禍の後遺症が何十年も続くのであれば、外国史を研究する歴史家たちは困難な撤退戦を強いられることになるだろう。

それはより史料入手の容易なテーマへの撤退戦であるかもしれないし(政治史ハードルが高いから、表象歴史とかを研究しよう)、より史料入手の容易な国への撤退戦であるかもしれない(○○国と比べて××国の方がデジタルアーカイブが充実してるから、○○史じゃなくて××史をやろう)。

ともかく、これまで日本歴史学が積み上げてきた多様性は、徐々に失われていくことになるだろう。

日本外国研究にとって、冬の時代が迫っているのかもしれない。

まあそうは言っても史料さえどうにかなれば研究はできるので文化人類学記述言語学よりはまだマシ。これらの学問では現地に長期間滞在して現地人の間に分け入って調査する必要があるので、現在レベル渡航制限が長続きすると文字通り危機に瀕する。これらの分野では伝統的に外国に関する研究が盛んで、オセアニア島国アフリカの奥地で調査してきた日本人が何人もいるのだ。今後、外国舞台にした文化人類学記述言語学は消滅し、国内対象として細々と生き延びるほかなくなるのかもしれない……

(まあ、国内伝統文化方言を保存するために、一度外国文化言語記述するのに使っているエネルギーを全部日本に関する研究に注ぎ込むのもアリかもしれない……でもCOVID-19で次々と伝統的なお祭りやら寄り合いやらが中止になっているし、うかつに都会の大学修行する若手研究者が離島山村に出かけてお年寄りのインフォーマントと接触するのもはばかられるよなぁ……)

ブコメにお返事

日本だけの問題では無さそうなのでよりデジタル化したりオンラインで閲覧する仕組みが出来そうだけど

デジタルアーカイブの発達はうながされるだろうけど、そんなに急速には進展しないだろう。それには2つの理由がある。

第1に、単純にデジタル化はすごい大変なのだマトモな国なら行政の作った公文書は破棄されずに何十年にもわたって保管されているのが普通で、それらすべてをデジタル化するのは労力がかかるというのは納得してもらえると思う(国だけじゃなく地方自治体にもその自治体公文書集める公文書館があったりするからね。連邦制の国だと連邦レベル・州レベル・市レベル文書館が別々に設置されていたり)。優先順位をつけてやっていくほかないけど(「まずは外交関係公文書を先にデジタル化しよう。環境保護関係は後回しだ」)、優先順位の低いテーマ研究しようと思ったらそれでは困る。

第2に、困るのは外国研究者だけで、本国研究者はそんなに困らないのだ。

日本人がイギリスドイツ調査に行けなくなっても、イギリス人やドイツ人の歴史家は何も困らない。彼らは渡航制限など気にせず自国にある公文書館アクセスできる。これは日本のことを研究する日本人の歴史家にとっても同じだ。仮に外務省外交史料館から外国研究者の姿が消えたとして、いったい日本研究者になんの不都合があるのだろう?

(ここでは「外国人」と書いたが、厳密には、外国拠点を置く研究者と言った方がいいだろう。日本大学で教鞭を執っている中国人日本史研究者はなんにも困らない。逆にうっかり日本学の専門家として英米大学就職しちゃった日本研究者は大変だ。また、日本研究する歴史家がなにも困らないというわけではない。日米関係歴史研究しようと思ったら当然アメリカに行かなければいけないし、国内政治だけを研究する場合であっても、日本政府公文書管理がザルすぎるせいで重要史料日本じゃなくアメリカにあるみたいな状況もありえるので……)

まり世界的に、自国研究する研究者にとってはあんまり困らないが、外国研究する研究者はめちゃくちゃ困る、という状況が訪れると思われる。外国研究者への配慮が、果たして自国公的施設デジタル化への強い圧力となるだろうか? 正直疑問だ。

資料を集めたり読んだりするのはその国の研究者に依頼する、というのはダメなの?現地に行く必要性がよくわからなかっった。

第1に、それ本国研究者に何のメリットがあるの? お金を払ってやってもらうとして、その人件費渡航費よりも安上がりだとはとても思えないんだけど…

第2に、史料の山に埋もれて色々探していく中でお目当ての史料を見つけるコツとか時代ごとの史料の特徴を見分ける目とか崩し字の読み方とかそういった歴史家としての技倆が養われるので、単純に他人に任せればよいという話ではない(「時代ごとの公文書形式の違い」みたいなのも当然論文テーマになるけど、これ書くためにどのくらいの史料読む必要があると思う?)。

ていうか、なんか勘違いされてるフシがあるけど、読んだ史料が全部研究に使えるわけじゃないからね。目録面白そうな史料があったか地方文書館に足を運んで閲覧してみたけど期待ハズレで全然使えませんでした、とか、膨大な史料の山を探しまわってようやく使えそうな史料の一群を見つけました、とか、何気なくパラパラめくってた史料の片隅にさり気なく重大なことが書いてありました、とか、そういうのあるあるなので。お目当ての史料だけ外人コピーしてもらえばいいじゃん! なんて夢物語しかない。

第3に、そもそも論としてなんで自分研究オリジナリティの源泉たる史料の入手を現地人任せにするのか。現地の文書館に通って現地人がちっとも注目してないけど重要史料を発掘したなんてこともあるわけだけど、そんな史料を現地の研究者にコピーさせられるわけないだろ、常識的に考えて……論文で発表するまで史料存在をひた隠しにするわ……(現地人が自力でたどり着く分には止められないけど、わざわざここにこんな重要史料がありますと教えてさしあげる必要はどこにもない)

日本史であっても一次史料海外にある日本キリシタン史では、史料アクセスハードルが以前から言及されていたのを思い出した。

なおアジアアフリカの旧植民地ではそういう状況がデフォルトの模様。日本史研究する日本人の歴史家は日本国内研究を完結させられる余地があるけど、インドネシア史を研究するインドネシア人の歴史家がオランダに行けませんとか、インド史を研究するインド人の歴史家がイギリス(ryとか、台湾史を研究する台湾人の歴史家が日本(ryとか、そういうのはマジで研究に支障が出るよなあ……

そもそも論だが、「日本人が」イギリス政治史とかドイツ経済史とかを研究する意義が不明。「現地の研究者に任せる」だと何故駄目なのか?

それな! ぜひ同じことをドナルド・キーンロナルド・ドーアケネス・ポメランツイアン・ニッシュJ・ヴィクター・コシュマンブレット・ウォーカーにも言ってきて!

anond:20200827213415

黒人自分らがバカなのはよく分かってんだよ。

から独立国」なんか作ってもアフリカ小国みたいになるのが目に見えてるの。

から白人様の指導者の下、非黒人にぶら下がっておこぼれを貰うのが一番得って戦略取ってるわけよ。

2020-08-26

anond:20200826203348

アフリカでは今も飢餓で苦しむ人がいるように、救えない増田もいるってこと

無視するしかない

anond:20200826192443

どうせ日本語も読めないバカなのに強がっちゃって

ろくに記事なんか読んでないでしょ

まともな思考力してたらアフリカアジア人がーなんか言い出さないもんな

黒人リスペクトからつり目メイクしたとして

全く問題ないと思うのは俺だけ?

というか、今でもKPOPアーティストの真似でつり目っぽくする男が欧米にいるだろ

まあ、そもそも

海外行ってつり目ポーズされるというのはまんま差別だけどな

仕事柄色んな国行くけど呼び止められてつり目ポーズされて挙げ句石投げられるなんてこと一度や二度じゃない

特にアフリカなんてマジでいからな

頼むから黒人どうこうの前にアフリカ黒人から差別受けてるアジア人の為に声あげて欲しい

anond:20200826092356

こういう村社会的発想、本当キモいアフリカ部族より思考が狭そう。こんなんだから、IQ20の精霊水素水安倍政権を信じてるカルトが多いんだな。

そのスパ茶にまわす10マンがあればいくらでも本でもファッションでも仕事道具でも買えただろうし

大切な人にプレゼントを用意したり食事に行ったり遊びにいったりもできたろう

なんなら高級な風俗にいけば極上の女性が数時間あなた一人と付き合ってくれるだろう

それを数十秒のリアクションで終わるスパ茶ねえ

ひとの趣味から云々ってアフリカ女子割礼を文化から云々ってのと同じよな

まあがんばってくれ

2020-08-25

現代でも政治が人を殺すことがあると知らなかった

日本国憲法施行されるまで、一般の民の人権なんてなく理不尽財産生命を奪われる人が多かった。だけどそれは過去の話。現代でも北朝鮮とかアフリカの貧しい国とかではそうなのかもしれない、だけど、それは外国の話。

現代日本では政治に無関心でちょっと変な人が政治家になっちゃって偉くなっても、せいぜいその変な人が税金ちょっと私的に使ったりお仲間にバラまいたりするくらいだと思ってた。

だけど全然違ってた。自粛要請、なんて根拠のよく分からないもので一生をかけて守ってきた店が閉店を余儀なくされる、人生がめちゃくちゃになる。GOTOとか明らかに今はダメでしょってキャンペーンが何故か強行されて、こんなキャンペーンさえなければコロナなんて無関係だったはずの田舎の老人にまで広がる。70歳以上の死亡率はめっちゃ高いらしい。これで死んだら政治に殺されたってことだよね。

政治家の裁量簡単に店が営業できなくなる、簡単感染は広がって人は死ぬ

当たり前なんだけど気付かなかった。すごくこわい。

イタリア南米中国ブルマー修正版)、その3

今後の調査の展開

引き続きブラジル以外の南米におけるショーツブルマー証拠を探すこと、北欧ポルトガルには本当にブルマーはなかったのかの確認、および、学校におけるショーツブルマー空白地帯である日本以外のアジア、およびアフリカ大陸におけるブルマー分布について調べたい。現在アフリカにおける旧イギリス領ブルマーについて調査中だが、状況は芳しくない。ヨーロッパと比べて写真資料が少ないためだ。

おそらくイスラームヒンドゥー教仏教圏ではショーツブルマーほとんど見られないだろうと思う。しかし、そうしたアジアの国々が植民地化されていた時代、現地のヨーロッパ人向けの学校体操服がどのようなものであったのかはわからない。もしかしたら、ひっそりと提灯ブルマーが用いられていたのかもしれない。しかし、写真が残っていることはあまり期待できないだろう。

検索手段の向上

元々ポルトガル事情について調べようとして、ブラジルブルマーについてはわかったが、肝心のポルトガルの状況はまだわからない。また、ブラジルを除いた南米の状況も確認できていない。これは、スペイン語画像検索すると南米ではなく、スペインのページしかヒットしないためだ。同様のことは、以前オーストリア事情を探すときに起きた。ドイツのものばかり見つかるのだ。

今後は、国別のドメイン検索をしなければならないかもしれない。

それから、その1

できることなら脚の露出に対する羞恥心の変化についても一考したい。脚が猥褻だとまでされたヴィクトリア朝からショーツ同然のブルマー女子学生が活発に運動するようになった六十年代までの、イギリスという国の感覚の変遷は面白そうだ。かなり時間のかかるテーマになりそうではあるけれども。

それから、その2

それと、ブルマー調査が一段落したら、チアリーダーの変遷についても知りたい。高校のかわいらしいチアが、例えば大リーグ筋肉質の女性によるビキニ姿同然の派手な、しばしば危険を伴うパフォーマンスへとどう変わっていったのか。あるいは技巧がどのように向上していったのか。事故は起きなかったのか。スカート丈の長さはどう変わったかスカートの中が見えても構わないと思うようになったのはいからか。気になることばかりだ。

https://www.youtube.com/watch?v=qrzlTUuMhRg

1970年チア

https://www.youtube.com/watch?v=YrY08FTaMwA

1980年チア

これだけでもだいぶ違うではないか

どこからどこまでが女性自発性が含まれているのか。あるいは、男性チアが本格的に知られるようになったのはいつか、そうしたことについても学んでいきたい。

始めの内はこの調査興味本位であったが、だんだん時代地域ごとに、人の体がどのようにプロパガンダに利用されてきたかや、美の基準がどう変わってきたかについて、知りたくなってきた。

おまけ、その1

https://www.youtube.com/watch?time_continue=18&v=5hr17Dn-Ikk&feature=emb_title

https://www.youtube.com/watch?time_continue=18&v=5hr17Dn-Ikk&feature=emb_title

女性フィットネスファッションの変遷。かわいい、きれい、は簡単に変わっていく。

おまけ、その2

http://avalokiteshvari.blogspot.com/2010/01/blog-post_60.html

提灯ブルマーでの軍事教練。忘れてはいけない歴史である

文化の盗用でふと思ったんだが

アメリカ黒人アフリカ民族衣装着るのはOKなの?

本人たちが納得してるならそれでいいんだろうけど

2020-08-23

女性性の解放を謳っていた女性が金の力で貧乏女に子供産ませようと搾取再生産してるの、アメリカ解放奴隷アフリカ黒人だけの国つくったら奴隷制を再生産したのに似てるな

暴力に囚われていない」という幻想

 僕らの人生はどこから始まったのかと言えば、当然二十年前であり三十年前であり四十年前なんだけど、僕らの祖先はどこからやって来たのか、という話をした時に、辿ることのできる歴史には果てがない。僕らは遺伝子ボートに乗って何千万年も旅をしてきた、あるいは、何億年と旅をしてきた。

 僕らの中にある遺伝子の声を聴く時に、そこには声にならない声がある。僕らはその声に耳を澄ませ、そしてある程度言語化された呻きを聴くことができる。僕らは、その微かな声を頼りに、歴史を辿ることができる。


 人のルーツを辿る時、その歴史上最も古い霊長は(今のところ)七百万年前のサヘラトロプス・チャデンシスである。我々ホモ・サピエンス分化したのは今から二~三十万年前とされており、我々はアフリカから世界の各地へと足を伸ばし、集落を作り、文明を伝えてきた。

 当然ながらその歴史暴力と共にあった。共通利益としての安全を求める性質が、かつての我々にあったことは否定しないが、恐らくそこには絶えざる暴力連鎖があった。

 ここで言うところの「暴力」とは戦争軍事力媒介にした暴力行使を指しているわけではない。

 暴力は我々の身近に存在している。

 ごく身近に、あるいは、我々の中に存在している。

 繰り返すように我々がホモサピエンスとして遺伝子を繋いできたのは今から三十万年程前からのこととなるのだけれど、当然そこに至るまでにシームレス旧人類種のグラデーション存在している。我々の遺伝子レースきっかり三十万前に始まったわけではない。あるいはそれは五百万年前かもしれないし、一千万年前かもしれないし、一億年前かもしれない。あるいはもっと前かもしれない。

 例えば、我々の遺伝子レースが百万年前に始まったと仮定して、そして、我々の世代継承が十五年毎に行われていたと仮定する時、我々にはこれまで六万から七万の世代存在したということになる。仮に、たった百万年から我々にとっての遺伝子レースが始まったと仮定してさえ、そこには膨大な数の関係者存在することとなる。

 とにかく我々は遺伝子キャリアとして長い時間を旅してきた。


 そしてそこには必然的に、暴力行使がまとわり付くこととなった。

 それは自明のことと言って差し支えなかろう。暴力が無ければ人間は生きて来れなかったかである

 例えば、鋭い牙と爪、そして圧倒的な膂力を持つ獣に襲われた時に、我々に最も必要ものとは暴力である

 例えば、そんな事態においては武器必要になり、そして、獣を殺す為の殺意もまた必要になる。そこには、暴力を振るうための道具と、暴力を振るうための膂力と、暴力を振るうための意志必要になる。

 これは余りにも自明である

 無論、我々に暴力を振るう可能性があったのは獣だけに限らない。例えば、同族である人類暴力を振るうことも大いにあったであろう。そのような人類に対して、暴力を振るわなければならない場面もあったであろう。

 更には、そのような暴力防衛自衛のみを目的としていたと仮定することは恐らく不可能であろう。そこに積極的暴力行使可能性があったことを、認めなければならないであろう。

 そんな時、我々の振るってきたであろう暴力は――あるいは、我々が振るわれてきたであろう暴力は――どんな種類の暴力であろうか。

 まず挙げられるのは、殺人

 強盗

 強姦

 傷害

 恐喝

 その他に何があるだろう? すぐには思いつけない。

 何らかの種類の搾取があったかもしれない。詐取が存在していたかもしれない。

 我々の祖先はそれを不断に行ってきただろう。恐らくそれを止めることはできなかったであろう。

 それを止めることによって、周囲の遺伝子キャリアに対する対抗手段を失ってはいけなかったかである。我々はそれを止めるわけにはいかなかったのである。それを止めた途端に、我々の遺伝子キャリア頓挫し、今日という日に辿り着くこともできなくなるからである

 恐らく、ありとあらゆる種類の暴力行使は、我々の遺伝子レースにおいて切り離すことのできない要素だったであろう。

 つまり、この文を通じて僕は何を言わんとするのか。


 それはつまり、恐らくだけれど、貴方のかつての父親は、あるいは貴方のかつての母親は、誰かを殺したことがあるということである

 何かを盗んだことがあるということである

 誰かを傷つけたことがあるということである

 誰かを犯したことがあるということである

 誰かを騙したことがあるということである


 誰かにまれたことがあるということである

 誰かに傷つけられたことがあるということである

 誰かに犯されたことがあるということである

 誰かに騙されたことがあるということである


 その他の、無数の暴力を与え、そして、与えられてきたということである

 我々のかつての父は殺し、盗み、傷つけ、犯し、騙してきただろう。

 我々のかつての母は殺し、盗み、傷つけ、犯し、騙してきただろう。

 我々のかつての父は盗まれ、傷つけられ、犯され、騙されてきただろう。

 我々のかつての母は盗まれ、傷つけられ、犯され、騙されてきただろう。


 例えば、百万年前までの歴史を辿れば、我々一人につき六万から七万の世代存在することになる。そして、当然そのような世代は必ず一人の人間継承し続けてきたわけではなく、無数の兄弟姉妹存在していたことであろう。そのことも勘案すれば、我々にはおよそ無数の関係者が――無数の肉親が存在していたということになる。

 我々には関係者があまりにも多すぎる。そう考えた時に、我々の関係者の内に、一人たりとも、百万年歴史において暴力を振ったものなどいない、と言い切ることのできる可能性は、どれほどあるだろうか。恐らくはその可能性は限りなくゼロに近い。我々は無数の暴力をはたらいてきたし、恐らくは無数の暴力に晒されてきただろう。

 我々は暴力と共にある。我々は(そして私は)、これから暴力を振るい、そして暴力を振るわれるだろう。

 これまでもそうだったし、これからもそうだろう。我々は生きなければならないからだ。

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