はてなキーワード: アピールとは
知りたい。
例えば、お金持ちとか、文化資本とかIQとか都会田舎とか年齢とかステータスとか。
お金持ちである事の自己開示とか、「俺・私、自分と同じように教養ある人求めてるんだよね~」とか話されても、
(そんなセンシティブな話題を開示してくれたんだ)と思って、自分とは違う表出だけど、コミュニケーションが不器用な所が共通しているな、と、親近感が沸く。
相手がアピールしてくるパターンは、こちらに敵意を持ってる事はほぼないと感じているのもあるのかもしれない。
私は夫に嫉妬するんだけども。
夫は、人からいじられても、どう思われても気にせず機嫌が良くて、男女問わず全員からうっすら好意を貰っている。
話を聞いていたり、様子を見ていると、好意故にちょっかいを出されているのが伝わってくる。
夫は容姿が端麗で、抜けている所があって、抜けている所をいじられると美味しい反応をするし、とにかく怒らなくて親切だから、男女、年代問わず気に入られる。
この振る舞いを自然体でやってる。(夫は私に「考えすぎ。適当にすればいい」というし、まわりも「(夫)は適当でマイペースだよな~」といじっている)
一方私は、ASD+ADHD由来の異常特性や(診断済)、自己顕示欲等、人を不快にさせる気質が元来強めだったから、今の振る舞いは苦労して体得した。
(今でも、どう振舞うべきかは分かっていても、感情がついていかず、出来ていない場面も多い)
かつての私は、私と同じように浮いている男性(Bとする)が蔑ろにされている現場に憤り、おかしな正義感を持ち込んでしまったり、
(他の男性集団がBを悪意を持っていじってるのを見掛け、居ても立っても居られず「Bさんはおかしくないと思う」と急に場に割って入り、雰囲気をぶち壊して、男性集団とBに距離をおかれる等)、
同性と仲良くしたいと思いすぎて距離感がおかしい人になってしまったり、失敗し続けてきた。今も失敗したりする。(今も続いている友人は本当に奇特な聖人だ)
何年も悩みながら、たまたま人に恵まれた縁もあり、友人関係や職場関係を細々と築いてきた。
(現在だって課題は山積みだけど、今も私と交流を続けてくれている人達には感謝しかない)
しかし、自分の気質・性格、癖の強さ、全て変えたい、夫のようになりたい、と思う余り、一番大事にすべき家族(夫)に嫉妬してしまっている。
夫に負けず嫌いを発揮しても意味がない(夫も困っている)ので、この問題を親や友人、医療機関に相談しているけども、
自分の感情をコントロールするのは難しいので、一進一退を繰り返している。
私は、「人に良く思われたい」思うプライドの高さがあり、それが出てしまっているから、人を不快にさせてしまっているのかなと、自身を分析している。
プライド、捨てたいんだけど、ふとした瞬間に発揮されてしまう。
私が欲しいものって、「自分本位でなく、相手本位で、臨機応変に動ける、押しつけがましくない優しい、プライドを気にしない」気質なんだろう。
私は心が別人になりたいのかもしれない。(アイデンティティを捨てたい、ということ?)
勿論、自分が自分の気質を変えたい、と思ったプライドの高さで変わろうとし続けたから、変わってこれた(自己認知を変えれた)部分もあるので、今の自分を受け入れもしたい。
だけど。癖が強くて気質に問題のある私と、向き合い続けてくれた人達(友人、医療機関、職場の人、家族など)の為に、どうにか改善させたい。
(私の癖が強すぎたら、周りもかばいきれなくなる。私と向き合ってくれている人の為に、もっと人当たりが良くなりたい。)
皆さんはどうやって自身の嫉妬心やプライドと向き合ってますか?
選挙期間の限られた時間的金銭的リソースの中で遠い八丈島まで行くのは現職の余裕があるからできることだと思う。
ここには小池さんの「八丈島まで行けば東京の隅々まで気を配ってますアピールができる上に学歴詐称問題とかの忖度のない質問をする記者との接触も避けられて最高」って意図が見え透いてる。
前川さんはなにかうまいこと言おうとして失敗してる状態だけど、ひとつには、「(鋭い質問をする記者も)八丈島まで行かないと会えない」つまり小池さんが記者から逃げていることを揶揄したかったんやろな、と思った。
今の配偶者以外に性体験がないことの是非を問いたいなら、以下のような主題とは関係ない事柄を書いてM課長の状況の悪さをアピールする必要はありませんよね。しかもこの内容は今回の主題を正確に理解するための背景情報になっているとも思えません。
ではなぜあなたはこのような内容を付け足してしまったのでしょうか。
それは貴方の経験人数が少ないことが貴方自身が心のどこかで引っかかっていて、自分に持ってないものを持っているM課長に対して本質とは関係ないところで比較して、精神の安定を保ちたいのではないでしょうか。そしてここに記載して他の人に肯定してもらうことで自己の心理防衛機能を強化したいのではないでしょうか。
おつかれさまです (どのような事に従事されているか存じ上げませんが、一旦それに割り込む形で私が対話者として主体的に関わってよろしいでしょうか?/”こちらから見て”あなたの大事な用はおおきいことであるのでひとしきり労をねぎらわせていただいて)
┗あんたがどれほど疲れてるかなんて知らんがな 格下の私からみたらすごい大変なんやろなって そんなんしたら疲れてまうわと思うけどこっちも用事があるんですんませんけど割り込んでええかって意味
┗「つかれてへんわ」って自分が自分の基準でなんもしてないアピールされても「すごいですね」としか言えんやろがい 自分を語ってくれるんはありがたいけどそんな事はきいてないというか聞いてほしいことがあるって言ってんの
ごくろうさまです (どんな方の何事も誰かのために大切な用でありその価値が自分の世界観からみて重くあるから労をねぎらって)
┗苦労してるかどうかとか人生についての価値観とかは聞いてない 尊重していますよというスタンスからの関係ない話をするけれども敵対的な目線でお聞きするのではないですよというアピール
┗「くろうなんかしてないわ」ってだれもあなたの人生を聞いたりしてへん いきなりちょっと関係ないっぽい話をするけどあくまで社会的な距離感たもつでって事
挨拶で使う場合は「おはようございます」でも同じで、自分がそこにおる/いなくなるを告知する儀を割り込ませるための発言でゆってみたら変数の宣言みたいなもん
いきなり出てきたら「はい!」で帰る時も「はい!」みたいなvarじゃなくてletとかconst使えって話
なんかするとゆうたらおらんなとおもったら「おるよ」とかそういえばおったっけとおもたらもういないみたいなtempな変数みたいな挨拶もせんやつに名前なんかいらんっちゅう話で個人名を「バイトくん」とかにしたらええって話
この度は って一期一会なのに何度もあるんかとか
炎上とかいう集団リンチはダメだが、夫婦同姓を隠さなかったこと自体は批判されても仕方ないんじゃないかな。
選択的夫婦別姓が制度として認められるだけじゃ十分ではなくて。
都知事選のポスター問題について、実効性があり、なおかつ選挙の自由を脅かさない規制にはどんなものがありうるだろうか。
フェミニストと分ける意味で「自称フェミニスト」とか「フェミニストを自称する人たち」とか言ってる奴らは今すぐそれ言うのやめろ。
お前は「私が叩いてるのは本当のフェミニストではないんですよー」アピールしてるつもりか知らんが、それは表現が間接的だし、外から見たら単にフェミニスト全体を可能な限り貶めたいだけの奴と同じなんよ。
・「西欧」が絶対。西欧の進んだ人権意識についていけない「野蛮人」(日本人、特に九州などの田舎者、アラビア人など)を差別しまくるのが「人権意識」だと堅く信じています。
・「対立と分断」。「フェミニズム」とは男性の人権を否定し、差別されて良い属性を男性の中にのみ求めることで十分達成されることだと信じています。ルッキズムも学歴差別も収入差別も年齢差別も、女性にやってはいけないだけで、男性にやることはむしろ「良い差別」だという固い信念を持っています。
・「選択的反知性」。こういう没論理、言葉のねじ曲げ、無責任な屁理屈を、「正しい目的(表層的なアップデートのアピール)」のために行うことは「良い屁理屈」だと本気で思っています。日本の人文系学会ではそれこそが「学術的に正しい行い」なので、大学人が率先してこの反知性行動に邁進します。
このように、日本では「リベラリズム」「人文科学」というものが、単に古臭い脱亜入欧意識を強化し、夏目漱石が「間口だけ立派なものを拵えて中身はガタガタ」と評したまんまのいつもながらの薄っぺらな真似事に終わりました。
欧米に追いついたつもりで馬鹿な侵略戦争に邁進した戦前、バブル景気に浮かれてまともな経済政策を放棄した失われた30年、それと同じことが日本では学術界でも起こってしまうのですね。
「俺の小説は中年男性が女子高生に惚れられるような作品じゃない、道徳的でポリコレ的に正しい作品ですよ。つまり作者の俺も正しい人間だ。チヤホヤしてくれ」って理論で小説書いて応募したらツイッターの連中チヤホヤしてくれないかな
「まあ、なんて道徳的で正しい人なんでしょう!この人こそ売れるべき!」
「こういう人こそ小説界の未来を背負うべきだな!がんばってくれ!」
こういうことを言われたい。
金網越しに指二本で頭撫でてたらもっと撫でてーって金網に頭こすり付けてきたり
ケツを撫でてたらこっち向いてもっと撫でて~ってアピールしてきたりして
部屋が整ったらこの子貰うぞォォォって気合入れて帰ってたんだけど
一昨日居たはずのその子が居なくなってたのよ
金網の中の爪とぎとかも撤去されてたから本格的にどっか行ったんだろうな
どっか里親に貰われたんだといいけど
やたらと(相手が要求してないコストを)支払ってアピールしてくる人って「これだけしたんだから相手は自分のモノになるだろう」とか考えてそうで無理なんだよな
恋愛はコストを支払って対価を得るものではなくお互いに気持ちが通うかで決まるもんだろ、プレゼントしてあげましょうか(笑)とかマジでキッショい
実名に付随する肩書の威力で持論を通そうとする方がよっぽど卑怯者だと思うがな
実名を出すやつってのは、芸能人とか経営者とか個人事業主みたいな名前が売れることで仕事が有利になるやつなんだよ
本来、広告宣伝費をかけて知名度を少しずつ上げる必要があったものに、いまの時代はSNSで物申したりすることでタダで知名度を上げられるようになった
さらに匿名は卑怯だとアピールすることで、実名を出すことがデメリットになる組織人や学生にマウントも取れて一石二鳥だ
暴論や誹謗中傷が適切に目につきにくくなる仕組みさえあればそれでいい
※筆者の感想なので、この人を誹謗中傷する意図は毛頭ありません。
ことの発端は、「間借りでやってるカフェにお客が全然来ないのできてください、大阪の住吉大社の近くです」
そしてそのポストに対して好意的な反応もあったが「来て欲しい割にはポストやプロフィールにも店の名前、住所、営業時間などが一切書かれてない」みたいな指摘が大量になされ、直接本人にリプライで質問した人に対して「インスタに書いてる」と返事をしたり、店主にとって不快な発言をした人に対し引用で「お前は来なくていい」「こんなやつが来ないように事前に弾けて良かった」みたいな挑発を行ったりしたことで、炎上した一件。
その他にも、元の投稿者(以下店主)は以前X上で誹謗中傷を受けたということで裁判を起こした記録をnoteに書いており、そのnoteへのリンクが記載されたポストをセルフリポストするという行為をしていた。
そして炎上したのち、謝罪文を掲載、暴言引用をした相手に謝罪するものの、もはや炎上の勢いは簡単にはおさまらず…といった流れ。
俺は野次馬根性で眺めてただけで、直接関わっては無いんだが、この店主、完全に偏見だけど、多分謝罪文も出してるし口では言ってるけど、本当は何が悪かったのか分かってないというか、「本当に悪いのは俺を追い詰めたネット民」って心の底で思ってるんじゃないかなと思う。相当にプライドが高いか、負けず嫌いを拗らせている気がするんだよ。だからX(SNS)上での対応でことごとく下手を打ってる気がするんだよな。例えば初めの宣伝ポストは仕方ないにしても、聞かれたら店名など答えれば良かった話だし、引用で「店名や住所がわからない」と指摘されれば、元ポストにリプライツリーでぶら下げたり、プロフィールを加筆修正すればすぐに済むことだったはず。ましてや暴言ツイート、過去の裁判ポストのリポストなどする必要は全く無いと思うんですわ。
店名を聞かれ「インスタに書いてる」と言ってかたくなにXでは店名を書かなかったこと、これも店主の中で「質問に答えたらネット民の要求に自分が屈して言いなりになったことになる」って考えてしまう心がわずかでもあったんじゃないかな。そして、負けず嫌いだからネット民の低レベルな煽りにも我慢できず「来なくていい」っていう、自分が優位であるかのような物言いで言ってしまう。で、裁判で勝ったことをリポストでちらつかせてしまったんじゃないかな。
今はポストは削除済み(正直これも信じられないが)の謝罪文には「責任を取って閉店する」という事を書いていたんだけど、謝罪文の載ったポストはいつの間にか削除されていて、カフェも何事もなかったかのように復活してるんですよね。もちろんしょうもないネット民に屈する必要はないと思うけど、店主はそこまでの間に、自殺を仄めかすようなポストもしている。自殺を考えてしまうほどの大炎上に遭っておきながら、自ら出した謝罪文で閉店するって書いたものを、ポストごと抹消して店を再開するって、相当図太い性格してるんだなぁ…と思った。少なくとも、自殺寸前まで追い込まれた人間の取れる行動じゃ無いとおもうんですよ。
店を再開は全然いいと思うんですよね。ただ、謝罪文(閉店の知らせ)を消すのって、店主の中でその事実を消し去りたいからそうしたんじゃないの?って思ってしまう。
そして数日前に「無題」というnote記事を店主は執筆し、固定ポストにしている。内容は「健常者エミュレータ」のフォーマットをなぞって自身で炎上の件について振り返っているのだが、これもまあすごい内容。
最初の5W1Hについてはまあ普通の内容かな…と思って見ていたら、その後に続く尋常じゃない量のスクショ。「皆様から頂いたご意見」ってあるけど、ざっと見た感じ大多数が暴言や中傷のスクショ
まず気になるのは、これだけの量のスクショをわざわざ保存していたのか、このnoteのためにスクショ撮ったのか。前者なら何のために?って思うんですよね。そうなると店主のこれまでの行動的に、裁判を起こすための材料として集めてたのでは無いか?と思うのは自然なんですよ。後者の場合でも、ここまでやる必要無いと思うんですよね。10や20のスクショならわかるけど、(もちろん店主が受けた引用リプライからすれば一部だろうけど)記事の9割を埋め尽くすという生半可な量じゃ無いし、一時期自分を自殺寸前まで追い詰めたツイートをわざわざスクショしにいくってまともな精神じゃできないと思う。
「どうすればよかったのか」欄も、言葉の端々に異様な卑屈さが垣間見られて、「週一営業だから身の程を弁えるべきだった」「正当な批判も誹謗中傷も平身低頭で受け入れたらよかった」とか、「誰もそんなこと言ってなくね?」ってことをわざわざ書いてるんですよね。
「これからどうするのか?」欄にも「被害を受けても自分の有害性を自覚することを優先する」とか「自殺する場合は誰にも言わず黙って実行する」とか書いてるんですよ。
極め付けが最後の「備考」で「自殺未遂で人生2回目の措置入院を経験した」って書いてるんですよね。これ、本当に入れる理由が謎ですよね。備考って「参考のために書き添えること」って辞書に書いてたけど、誰が何を参考にするんだろうか。自戒の意味でこのnoteを書いているなら、措置入院したなんて自分で分かりきっていることなんで書く必要無いと思うんですよ。
となると、多分これらって、スクショ撮った目的とかは別かもしれないけど「健常者エミュレータをなぞって自戒している」という体にして晒しというか「自分はこんなに被害を受けたんだ、酷い目にあったんだ」って主張したいんじゃ無いかと思う。だからわざわざ平身低頭とか自分の有害性とか卑屈な言い方をして、最後に措置入院のことをわざわざ書き添えてるんじゃ無いかな。多分店主的に、店も再開したけど、何か一発ネットに対して報復しないと我慢できなかったんじゃ無いだろうか。本当に真摯に意見を受け止めていたら、措置入院とか書かないと思うし、そもそもわざわざ「健常者エミュレータ」のフォーマットなんて使わないと思うんですよね。健常者エミュレータってある意味自虐ネタというか、自分のヤバさをネタに昇華するような性質があると思うけど、今回のこの店主の使い方は、「自分の受けた中傷をオープンにして、卑屈になって自分を悪し様に記述して、措置入院したこともついでに自己開示することで、自分の受けた被害をアピールし、さらに謝罪と自戒という体で記述してこれ以上の攻撃を予防する」目的で書かれたんじゃ無いかな。
なぜわざわざこんな長々と分析してるかというと、この店主の性格、行動が昔の自分にめちゃくちゃ似てるんですよね。されたことを根に持って、何かしらの形で反撃しないといられない。多分昔の自分が店主の立場だったとしても、同じことをしてただろうなと思うんですよ。
だから一連の流れは見てるだけだったけど、まるで昔の自分を見ているようだったし、店主には本当に気づいて欲しいと思ってる。もうちょっと素直になって、例えば初めから店名を教えるとか、プロフィールに書くとかすればこんなことは起こってなかったよってことを。
大阪公立大学出てるなら、感情の読み取りとかはともかくとして、文意を読み取るとかの知力はあると思うんですよ。だから、本当にもっと素直になって、誹謗中傷じゃなくてアドバイスや意見の部分に耳を傾けて、平身低頭じゃなくてもいいけど謙虚に受け止められたら色々変わってくるんじゃ無いかな…と思う