はてなキーワード: なるたけとは
http://anond.hatelabo.jp/20151221194116
前提の認識が違う!
そもそもdmmやdlsiteでは二次創作の売り上げが顕著に低い。
おたくからしたら二次創作の方が楽に抜けるんだろうが、一般のおっさんからしたら予備知識のいらないオリジナルの方が抜きやすいんだよ。
そして売れ筋の同人はフルカラーのCG集。(本当はゲームなんだけどややこしくなるから除外)
元増田がコスパがいいという商業誌はモノクロのマンガがほとんどで、デジタル同人界隈ではこれらの売り上げも低い。(カラーマンガは売れる)
上記の通り、おたくより一般人の多いこの世界ではエロはモノクロじゃなくカラーが前提。デジタル同人だとPCやスマホで見るんだからまあ当然だ。
それに加えて、一作である程度のボリュームも求められる。商業マンガだと16Pが基本だろうが、それより一枚の基本絵+差分の方が価値が高い世界なんだよ。
また、売れる作品はシチュエーションこそが鍵なんだが(透明人間になって全校生徒犯すとかスマホアプリで女の子を操るとか)、そういう特異なシチュエーションを展開するには16Pや24Pでは足りないの。
そしてそういう無茶なシチュエーションを、基本CG15枚+差分とかの内容でたっぷり楽しむのがオリジナル同人の醍醐味。
元増田はモノクロマンガで満足できるようだが、利用者はそうじゃない。要は、予備知識がいらないエロいシチュエーションで、フルカラーのボリュームのあるものを求めてて、今の状態でコスパが悪いなんて思ってない。数をこなすことが目的だとコスパ悪く感じるだろうが求めてるものが全然違う。
そして元増田も書いてるとおり、オリジナル同人の面白さは売れ筋とはまた別のニッチなジャンルにある。
■追記
俺はその増田じゃない!
ニッチジャンルを買って欲しい意味合いもあったけど、なるたけ元増田に返信する目的で書いたつもりです。
あと、これ以降で厚かましく宣伝させてもらうと、ニッチサークルはそもそもヒットは期待できないし、労力と値段を考えると採算釣り合わない作品作りをしてる人も多いのよ。だから本来の意味での同人に近い。かも。全ては自分と仲間のために!
そういうニッチジャンルが好きな人は応援する意味を含めて購入なりコメントしてくれるととてもとても助かる!!!!!自分の好きなジャンルを買えばまた熱のこもった新しい作品も出るし、ジャンルも栄えてWピース!
なので、特殊なジャンルに興味のある方は、オリジナル同人を掘り下げていただければ幸いです。
現在dmmとdlsiteでは50%OFFのキャンペーン中だ!(全作品ではない)
http://anond.hatelabo.jp/20151114203911
http://anond.hatelabo.jp/20151115051501
何かを批判していないとプライドを保てない人々というのは、もう脳がそのように出来てしまっている。
だから、本人は改めた気になっていても、その性分はなかなか直らない。元増田も、私も含め。
自分の発言が、非建設的で悪意的見方にすぎる事を自覚できていたとしてもだ。
すばらしい物の見方をしていて魅力を何倍にもして伝えてくる人を目の当たりにすれば、彼らも一度はそれを賞賛する。
でも、次には文句を言い出すのだ。一度欠点だと認識したものは、どう繕っても欠点としか見れないのだろう。
私は2chのアニメスレに、何度か優れた考察をするブログのURLを貼った事がある。すると毎回そういう流れになる。
「でも○○のパクリだから台無しだ」「こんなガバガバ脚本なのが悔やまれる」と。
もはや、ネットはネガティブな思考回路を増幅・拡散するための装置になっている。
とはいえ彼らも最初からアンチなわけじゃなく、むしろファンで熱心に見続けている者が多いとは思う。
しかし、作品を受け入れて楽しんで見ようという姿勢になれないから、監督や脚本を責め立て、自分の理想を延々と垂れ流す。
ひとつは、神経質すぎる、理想主義すぎる者の声が目立つ仕組みだからだろう。
そういう人格になる理由は様々だが、ことアニメに関しては「キャラクター性至上主義」を煽る文化に一因があると思える。
魅力的なキャラが何より大事だから、特定キャラをsageるような役回りが許せない。シリアスな展開を容認できない。
また、「キャラが脚本に踊らされてる」みたいなトンチンカンな発想になってしまって、ストーリーを受け入れることができない。
もちろん、アニメ化以前からキャラクターが確立している作品もあって、一理ある場合もある。
だがアニメ化にあたって、物語性の薄い日常系にするならともかく、ドラマを描くなら多少のキャラ改変はポジティブに捉えるべきだ。
なぜなら、既存のキャラに囚われてキャラに自走させていたら、一本のドラマになるようイベントを発生させていくのは難しいからだ。
なので、「常識的にこんな事になるはずないだろ」とキャラの浅慮や落ち度を批判するのも的外れになる。
常識的に起きないようなイベントが重なった世界線がドラマになるのだ。
限られた時間枠のなか、絵で表現するアニメというのは、作るにも観るにも高度にクリエイティブな行為だ。
大事なことほど明確に描かれず、テーマ上不要なシーンは大胆にカットし、必要なシーンは大げさに描くケレン味が評価される芸術だ。
だから、観る側にも、脳内補完をしてやるための想像力と頭の回転が求められる。
だが最近は、漫画ですらうまく読めない若者が出てきたという話も聞く。
そういう状況では、このアニメ的な作法を飲み込めず、説明不足・置いてけぼり・駆け足すぎと感じ憤る人も出るだろう。
そういう人にとっては、アニメを違和感なく観れている人というのは好意的に見すぎの「信者」であり、愚か者にすら見える。
だが前述のように、アニメというのは構造的に、ある程度は好意的に汲み取ってやることが求められるものだ。
アラを探すような鑑定姿勢で見ていると、好意的に見ていればケレン味として消化できる些細なハッタリにも躓いてしまう。
すると「破綻している」という印象に囚われ、世界観にも没入できず、もう「楽しむために観る」という本来の姿勢には戻れなくなる。
その状態に陥ると、感動的な場面も素直に感動できなくなるばかりか、ちりばめられた演出も見落としがちになるだろう。
作品を楽しめている人とそうでない人の差は、感動できるような美点を「見出している数」の差だ。
アニメというのも芸術の一つであり、芸術というのは、言語化できないような抽象的なところから意味を見出すからすばらしいのだ。
また、ネットでは、批判できる人間が「通」であり賢いかのように見えてしまう。
その上、「好きだからこそ許せない」と批判されると共感を呼びやすい。
それが実際はトンデモな批判でも、通っぽさが伝わるとROMのにわか層には説得力をもって伝わるのだ。
ネット世代はとくに、こうしたネガティブ思考に誘う罠にハマりやすい環境に生きている。
この手の重箱の隅批判が公益を生むこともある政治や行政への批判あたりならまだマシだ。
が、アニメ漫画なんていうのは、趣味で自分が楽しむためのもの。
こりゃダメだと思ったら「自分には合わなかった」と去ればいいだけの分野のはずだ。
それなのにネガティブ発言をする人が繋がりあい、存在感を発揮する状況は、いかにも不健全だ。
こういうネガ・dis思考はtwitterやLINEやまとめサイトのような所からどんどん伝播していく。
軽いキャラdis風だったり、「また○○(脚本家の蔑称)か」みたいな受け入れやすい形で。
もっと作品やクリエーターへの敬意があって然るはずだが、そういう感覚を持てるのは「古き良きオタク」気質の人。
大量のアニメを消化していくイナゴのようなアニメファンは、下手に知識を得ても、斜に構えたような感じになりがちだ。
結局なにが言いたいかというと、そういう通ぶって批判する人をなじりたい訳ではない。
むしろ、そういう人が目立つのは時代の必然と考えたいという話。
目の前に広がる不快な現状をみて、
その中心にいる「人」を責めて鬱憤を晴らすダサいおっさんが元増田なら、
「ネット社会」という環境を憂えて俯瞰した気になっているダサいおっさんが私だ。
どんな形であれアニメ批判に関わると、こういう泥沼にハマって闇に堕ちていく。
そこだけ見ても、「良さだけを語れる」オトナの神々しさが感じられると思う。
ネットでは、増田でくらいは、そういうドロドロした感情を出してもいいと思って今書いているが、
でもリアルやSNSみたいなところでは、なるたけ「良さだけを語れる」「馬鹿に構わない」人間でありたい。
つい、「ここは良いけどここはダメだよな」みたいな両論併記的・中立的・評論的な物言いをしたくなる時も、
それは大体抑えたほうがいいと肝に銘じよう。趣味についての話なら。
しかし、完全にそういう人間になるには、そもそもネット上の素行についても
「わざわざ下卑た場所を覗きに行かない」「そしてそこでマウントしない」を身に着けている必要があるのだろう。
一度泥沼の味を覚えた身としては、それは難しいように思える。
なにしろ、そんな場所を見に行くことを忘れるような社交的なリアルの付き合いがないのだから。
ああオトナになるのは本当に難しい。
切り落とす系の小さい怪我をしがちなんです。5*2ミリくらいがせいぜいなんですけど。
あれ、切り口の肉が空気に触れるともう嫌になるくらい痛いのでなるたけ落っこちたところ拾って貼っとけということをかれこれ15年くらい前にお医者さんに教えてもらって、たまにやっちまったときもなんとか対処してきたわけなんですが。
先日落っことした爪がどうにも見つからなくてやむなくワセリン塗って絆創膏を貼ってみたもののいたいいたいいたいいたいむりむりむりな感じでしたのでキズパワーパッド先生にご登場願いました。高い。
ズッキズッキヒリヒリしてた傷口は貼って2分くらいで痛くなくなったし、3日で赤くジクジクしてた箇所(今回せいぜい1ミリ平方くらいだけど)がサラッとピンクになった。なによりつやつやの新しい皮膚見てにやにやできるから怪我した自己嫌悪による憂鬱が軽減された。
今後も常備してこうと思います。
つらいことがあったんですわ。
そんで人によっていろいろなんでしょーが、私はキホン、吐き出して整理して楽になるタイプ。つーか、吐き出さんと心の中で歪んでふくらんでダメになるタイプなんですわ。
でも社会人になって結婚してつーと、話し相手って減るんよね。おまけに今の自分、ちょっと前に出産したばっか。仕事してないし、出歩けないし、話し相手なんて赤子しかいねー。
夫はいるので、いつもなら夫と話すんだが、今回の困りごとつーのは夫が連日の激務で心病んだくさい、赤子生まれたばっかなのにこのままじゃサイアク電車にダイブもありえなくはないっつー、そーゆーやつなんですわ。
目の前に赤子がいるのに暗くなりたくないので、なるたけライトな風合い出そうとしてますけど、まあきついですわマジで。
午前二時頃、夫が頭をごりごり壁にこすりながら部屋の隅で「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」と呟いてて、私は赤子に夜中の授乳しながらそれ見つけて。それが昨夜の話ね。
乳を求める赤子とあからさまにおかしい夫、どういう順番でどう対処したらええんじゃ、つかくせえぞオムツ交換もいるやんけ! みたいになって、なんつーか、あんときの私くらいパニックに陥る権利を有してる人間もそうはいないんじゃん、と思う。
とにかく夫に必死に声かけして、やっぱり赤子と私の存在が重荷となってるだろーなと一抹の罪悪感を覚えつつ、毎日いつもありがとう、仕事は無理ならせんでもええ、生活はなんとかなる、私も働くし、とにかく夫が大事で心配だと繰り返し、その間も乳は出しっぱなしで赤子抱えててナニコレ。
やっと夫をなだめて寝かしつけて、赤子も寝かして今朝。
夫は午前半休をとると言う。とりなさいとりなさい、昨夜のあんたはフツーではなかった、なんならメンタルクリニックいこうじゃないかと言ってみるが夫はうつろな目付きでこっちをみるだけ。
やがて夫の独り言が始まり、なんかすごく仕事に行きたくねーんだなーてのがよくわかる内容で、またしても乳出しっぱなしのまま夫に、無理すんなと声をかける。
寝不足のせいか母乳の出が悪いようで、赤子もいつもよりぐずる。ミルク追加。
どうしても赤子の世話でばたばたして、夫の話を二人きりの時代ほど集中してきけない。この状況でそれはまずい。
そうこうするうちにむなしく時は過ぎ、午後からならもう出ないとならん時間になって、夫はゾンビのような顔で着替えてヒゲ剃って、家を出ていった。出るとき、「もっとたくさん貯金してあなたに渡したかったな」と呟く。
なんかスゲーいやなほのめかしを感じつつ、「渡さないで自分で持ってて、これからも貯めなさいよ」と返すのが精一杯。
正直、こんな状態で家を出てほしくないが、どうしようもなかった。玄関のドアをあけて、遠ざかっていく夫の背中を見ていた。
病院につれていきたかったが、行きたくないと言い続ける大の男をどうすれば無理に連れていけるのか、わからんかった。乳飲み子からも目が離せないのに。救急車を呼ぶわけにもいかんだろうし、
つーわけで今日は一日、嫌な気持ちで過ごしてる。人身事故のニュースとか、どれほど遠い路線の話でも聞きたくないので、テレビはつけない。
赤子の世話するときは、にこにこしながらいっぱい話しかける。自分が二人いるみたいだ。
もう定時を過ぎたが、夫からはまだ連絡がない。いつもだって残業が終わらなきゃ連絡はないから、フツーといえばフツー。午前休とったぶん残業増えそうだし、そもそも最近連日遅いし。
でも不安だ。
吐き出したい。
吐き出す先はない。この話を、この段階で話せる相手はいない。いずれ義両親に話すとしても、今日のこの段階では話してもどうしようもない。
王様の耳はロバの耳、話せないってほんとに辛い。誰か助けてくれい。
一人で過ごす時間を、人より多く確保しないとすぐ疲弊してしまうのを自分で分かっているので、
二次会など翌日まで疲労が響きそうなものはなるたけ避けるようにしている。
だけど断って一人帰路につくと、決まって落ち込んでしまうのだ。
他の人と同じように、なんでもない世間話を楽しめない自分のコミュ力のなさとか、
付き合いの悪いやつだなと思われてそうなこととかに。
そしてネットで自分と同じように飲み会が苦手な人の言い分を検索して眺めたりして、
その場しのぎの慰めを得たりする。
他人にどう思われたって気にしない、その域にまでは至れない中途半端なマイペース。
二次会を断る理由も、素直に「ちょっと疲れたので」とかは言えず、
自分の休息のためならこんなに平気に嘘をつけるんだ、とたまに自分で驚く。
一人で過ごす時間は好きだ。何より楽である、他人に合わせる必要もない。
そう思って、好きなアーティストのライブにも、映画にも、雰囲気のいいカフェを見つけても、大体一人で行く。
そしてふと思う、なんかこのまま一人で死んでいきそうだなと。
苦労したくない。努力したくない。その結果、すごく楽な生活を手に入れた。
だけど満たされない。どこかで誰かと繋がりたいと思っている。
友人はいるけど少数だ。社会人になってからは一人も出来ていない。
恋人も長い間いない。欲しいと思う。出会いがないなんて嘆いている、家から全然出ないくせに。
楽だけど、それなりに幸せだけど、常に薄い不満で覆われた生活。
自己嫌悪に陥ったり他人を羨んだり、そんな気持ちを抱かず生活していくには
変わりたい。だけど結局楽なほうに落ち着いてしまう。
こうやってここに吐き出すのも、ただ肯定してもらいたいだけなんだろうな。
きっと本気で変わる気なんてない。
俺も大体似たようなことをたまに思うんだけど
なるたけ加担しないように気をつけて生きられるならそれでもう非凡だと思う。
彼(女)らは自分の力で状況を打破していくよ。
少々マニアックな言語が解せて、その言葉が母国語のサイトで買い物をする。
しかしどうにもこうにも、ニントモカントモ、買っちゃう時がある。にんげんだもの(みつを)
ポチった時は興奮状態。けど、熱しやすく冷めやすい物欲は時間の経過とともに沈静化していく。
やがて後悔の念が頭をもたげてき、必死に「あの買い物は正しかった」と自己肯定を図る。でも、玄関先で商品を受け取る時には氏にたい気分になっている。
ここが米国なら、ハート・ブルーのキアヌ・リーブスみたいにマグナムを空にぶっ放している。日本に生まれて良かった。
「ぜ、全部ECサイトが悪いんや!」
なまじインターネット普及以前を知っている世代なので、クリックちょんちょんで地球の裏から買い物ができてしまうシステムが恨めしい。
届いた段ボール箱と体育座りで向き合っていると、身辺整理という言葉が脳裏をよぎる。探さないでください。違う。
売ろう。自分を、じゃなくて届いた商品をネットオークションで売ろう。
引きこもり少年のオカルト趣味を満たす、クーリングオフみたいな便利な仕組みなんて海外にはない。もうオークションしかないっしょ(白目)
損切りは嫌だ。足が出ない程度の値段で売りたい。
商品代金・送料・関税・消費税・通関手数料・オク出品費用諸々のコストを勘定して出品価格を決める。
買ってもらえないだろうなと思いつつも出品。
売れた。
出品した当日の晩に売れた。
衝動買いした、家に眠っている他の商品も出品した。
今度は多少マージンを乗っけてみた。
売れた。飛ぶように売れた。
何で割高なのに買ってくれるんだろう?
グーグル先生と一緒に考え、以下の2点が原因なのではないかという結論に至った。
1. 英語圏の商品じゃない
2. 並行輸入品が売られていても、すんごい高い
倍値以上することも珍しくない。
ここまで考えて気付いたのは、語学の習得が少なくないカネを生むこと。
今日朝起きると身体が妙に軽かった。あんな寝起きをしたのは小学生以来だったと思う。
寝ることで普通は1日がある程度リセットされるものだけど、仕事をしていた時は寝ても寝たという感じが一切しなかった。毎日が地続きって感じ。うつ病にかかってたんだよね。結局それで退職、療養。
薬物治療も初めは苦しかったけど、徐々にそれもなくなってきてた。今日は重かった薬の副作用も感じなくて、薬の中にある良い部分だけが脳に優しく作用してくれている感覚がした。体が風呂上がりのようにほんわかしていて心地よかった。ああ、俺今治ってきているんだって思ってた。でも、親が「今日良い表情しているね。本当に仕事辞めてよかったね。毎日遅くまで働かされてあんな職場あり得ないね」って言った瞬間、身体が鉛を流し込まれたように重くなった。仕事の事がフラッシュバックして、閃光のように脳をずたずたしていった。
寝起きに感じた爽快感なんかはもうどこにも残ってなくて、どんなに調子がよくてもそれは見せかけで、もう一生治らないんだっていう絶望感だけが残ってた。
安定剤飲んで今は落ち着いて、日記を書けるけどね。逆に言えば飲んでいる時だけが動ける時間なんだけど。
タイトルはちょっと釣りだけど、やっぱり鬱病患者には声をなるたけかけない方がいいのかもね。声かけによって鬱病の人間が立ち直る可能性は非常に低い。逆に元気づけようとした言葉が負担になる可能性の方が高い。本当に触らぬ神に祟りなしだな。自分が祟る方になってこの言葉を言うことになるとは今まで考えてもなかったけど。本当はそういう言葉をかけてもらった時にありがとうって一言でも言えたら良いんだろうけどね。
回答になるかわかりませんし、そばで見ていて経験的に得た対策なので、
ひとつの考え方だと思ってください。
何より自分の都合・感情ばっかり言ってて自分の主観に偏執してるというか
確かに発達障害の人は「周囲の人から見た自分」というような俯瞰な見方ができないことが
多いので、“なにやってんだ”って思うような勝手な行動をとる印象があるかと思います。
できなかったことを、自分で反復してグズグズ言ったりもします。(全然発信しないで溜めこむ人も多いですが)
そうならないように、親や専門家の先生が、人間関係を円滑にする見本をいろいろと教えたり、
まずい行動リストを作って、なるたけ、やらないように教えて行くぐらいしか対策はないと思います。
しかし、思いこみは強いですが、頭は堅いわけではなく、大抵の不平はたいした意味がありません。
外見は大人だし、知性や学力は大人並み、なのに、感情や思考が子ども並みで追いついていない。
実年齢から5歳から10歳下ぐらいの人として扱うと、腹が立たないかと思います。
20歳だったら、15歳以下、中坊として扱う。
15歳だったら、10歳以下、小3として扱う。
面と向かって、「君は小学生並みだね」と言わない限りは、そう扱っても気が付かないと思います。
そばにいるとイヤな目に遭いますよね。
あなた自身がどうにもできないことだったら、スルーするのが良いと思います。
まじめに受け止めて、アドバイスしても、効果はほとんどありません。
話をしているのではなく、愚痴や不平は、大抵、警告音だと思って、接しています。
「疲れているなら、早めに寝たら?」
って言うぐらいです。
愚痴ばかりで、同じようなことを延々いう場合は、言っている本人としては、
どうにかしたい問題が生じて、ストレスが高まっているんだが、
それを自分では解決できない。
というような、警告と思って、私は受け止めています。
周囲にはわからないようなことがストレスになり、彼らは苦しんでいることが多いです。
または、どうにもできないことだったりすることが多いです。
例えば、先生が今日配ると言っていたテストの回答を渡さないで、授業をはじめてしまった。
普通の人には、なにが問題なのかわからないことが、彼らにとっては大問題で。
環境の変化や予想していた事実の変更に対応するのが難しいので、ちょっとしたことでも、
一旦、それが気になると、そのことばかりでワーキングメモリがいっぱいになってしまう。
なので、他のことが考えられなくなって、やるべき作業もとどこおり、
そして、彼ら自身がそのドツボから抜け出すことは難しい。
しかし、あなたがどうにかすれば、どうにかなるような問題であれば、
解決を手伝ってやってください。
具体的に解決でき、「ほら、解決したよ」と示して見せれば、止まります。
例えば、暖房で部屋が暑いぐらいなのに、コートを脱がずに座っている。
顔は赤くなっているし、機嫌が悪そうだ。そんな時は、
「この部屋は熱いな。コートを脱いだら」
と声をかけて、あなたも脱いでみせたり、脱いだコートを置いて見せる。
そうすると、彼らは脱ぐことに気が付きます。
脱いで、生理的な“暑い”というストレスが減ると、ストレスがたまるコップが
“変なことしているな”と思ったら、その状況を伝えてやると、気付いて止まることも多いです。
笑ったり、バカにした言い方をしなければ、ハッと気付いて、直すことも多いです。
こんな簡単なことが、どうして、できないのか? どうして気付かないのか?
と思われるでしょうが、それができないのが、発達障害なんだと、私は理解しています。
大抵のストレスの原因は、こんな簡単なことばかりではないのですが……。
先にあげた、ストレスの例。
「教室の冷房の振動音」や「テストの回答を渡さない」など、変えがたいことについては、
親や先生などが、
“こういうのが苦手なんだな”
毎回、毎回、ストレスがたまりはじめたら、本人の話を聞いて、原因を探し、
そうやって慣れているうちに、次第に経験を積んで、成長していくようです。
それとも彼独自のパーソナリティなの?
どっちでもありえるということですね。
あなたが思い浮かべている方が、私が知っている子たちと同じようなタイプとは限らないので。
障害の程度も、症状の現れ方も、さまざまですから。
ただ、「発達障害がある」と看做されている人と付き合う時は、
●中身は子どもだから、ちょっとしたことで驚いたり、疲れたりするから、要注意。
●ストレスがたまっていないか、気遣って、ストレスの原因から遠ざける。
●愚痴や不満が多くなったら、その子にとってリラックスできることをさせる。
というようなことは、常に意識していると、それほど腹が立たない気がします。
参考になれば幸いです。
んだな。
「ゴミクズやニセモノが沢山あって豊か」な社会なんて期待してないな。
しかし金ホシイ人はゴミでもバッタモンでも、はたまた毒でも、いかにもよさげに見せつけ吹聴して売り込むわけだろ。
>お互いに努力し...
の方向性が、必ずしも互いを益する方向に向くとは限らない。
ゼロサムゲームも沢山ある。
安く仕入れて高く売るのは商売の基本。
原価をなるたけ抑えようとする行為そのものが、まず生産者側に益しない。
本来人間は必要(適量)以上、腹いっぱいになったらそれ以上食おうとは思わないわけで、
「それはそれで子供にはありがたいだろうが、個別指導を掲げた塾じゃあるまいし、教師の給料安いよねって話さ。」
「普通は下に合わせるよね、だから金持ちは自分の子供をなるたけ上にあげようとするのさ。」
「(教育に割ける)少ないリソースをどうやって効率的に運用していくか」みたいな違う問題持ってきてごますなよな。
問題になってたのは、かけ算に順序があって当然、とか、問題文から式を導き出すまでの思考方法が一つしかないとか、そういう「考え方」でしょ。
センセイは自分の授業方針にそった段階確認とかは一先ず置いて
子供一人一人と向き合い、その理解度を正確に把握し
ってんだろ?
それはそれで子供にはありがたいだろうが、個別指導を掲げた塾じゃあるまいし、教師の給料安いよねって話さ。
1皿3個のりんごが5皿分あったら3*5で15個
5皿あって1皿3個ずつりんごを乗せたら5*3で15個
5皿あって1皿3個ずつりんごを乗せたら「5*3」で15個
3皿あって1皿5個ずつりんごを乗せたら「5*3」で15個
この辺りの事も、全部含んで「理解」を確認してくんだろ?
個別に。
システムってのは、すべからく全部、ミスをどうカバーするかって代物なんだ。
一番ミスするパーツは人間なんだから、システム化って話になれば、なるたけ人間を機構から外すように作る。
当然、バックアップやらチェックやら、人間がミスをしても、カバーできるように作る。
そして、システム設計するとき、ミスによる被害を想定して、許容範囲に収まるようにする。
昨日までのバックアップがあれば業務継続・復帰可能なら、一日単位でバックアップするし、
もっと短い周期で必要なら、時間単位でバックアップしたりもする。
さて、原発のミスによる被害ってのは、システム的に(行政や技術で)カバー可能なものなの?
ここで、「そんな被害、如何様にも技術でフォローできる」と言えて、初めて人がコントロール可能なリソースと言えるんだよ。
火は消せる、壊れた建物は直せる。