はてなキーワード: おせっかいとは
ネットでは度々話題に上がる唐揚げに勝手にレモンかけるやつ問題。ありがた迷惑や空気を読まないやつの代名詞のようになってるやつだ。
私は唐揚げにレモンはかけてもかけなくても良いのでこの問題にあまり共感できなかったが、同じような話で飲み会の最後に人数分の水頼むやつは鬱陶しく感じる。
みんな最後は水飲むでしょ〜とさほど必要のない水を身内へのおせっかいのために頼むやつだ。何が嫌かといえば店員さんを無駄に働かせてる気がするところだ。必要な人は頼めばいいと思うが人数分はいらないだろう。
あと私は唐揚げにはレモンよりもマヨネーズをかけた方が美味しいと思うのでレモンだけでなくマヨネーズを一緒に出してくれるお店が増えて欲しいと思う。
友人の所へと訪れた。
お互い生まれて間もない赤子がいるのだが、どうも友人の子は予防接種を何もやっていないとの事だった。
こうなる前に少しでもステロイドで緩和させてあげればこんなことにはならなかっただろうに。
ステロイドなんかは使わずに自然に任せるつもりなのが彼ら家族の方針らしい。
自然に任すという点でも、無暗に予防接種を受けないという行動も、自然派志向が故の判断のようだった。
己の手で顔を掻き毟り、放っておけばいよいよ悪化する。
悪化する前に僅かなステロイドで皮膚炎を予防し、そうなることを第一子で乗り切った経験のある身にとっては、何の処置も施さずそのままにしているような姿に不思議な違和感を感じたのだった。
手で己の顔を掻き毟らないようにテープで手と体を固定しているという「処置」にわだかまりのような疑問を持ったのもあるのかもしれない。
自然派志向は結構なのだが、予防接種やステロイドなどを危険なものとみなして取り入れないのは、あくまでも「その家庭の方針である」という点で終わらしていい物かどうか結局モヤモヤしたままその場を立ち去った。
彼らの第一子がそうやって乗り切っているので一種の成功体験となっているのもあるだろう。
彼らはそれが最も適切な方法と思っているので、何を言っても意見の相違にしかなりそうにないし、ただのおせっかいだろう。
同じ月に生まれた我が子とその子を比べてみた時に一回り小さく、痒みに疲れたのかどこか呆けている表情が、いま思い出すと予防接種やステロイドによる処置を害悪とみなすような方向性に僅かながら不安を感じさせたのである。
この増田への反発が多いので、つらつら書いた。
婚活市場はジェンダー規範強そうだし、アプリはよく知らないけどしんどそうなので、恋愛結婚もしくは紹介からの半お見合い的な方面での話をします。
9割方語り尽くされたことしか書いてないので、増田でこの手のトピックを読み慣れた人はブラウザバック推奨です。
■洗濯物の生乾き臭に気を付ける
■無地のシンプルな服
清潔感というのは抽象的でよく分からないけど「付き合いの浅い相手をびっくりさせない格好」であればいいんだと思う。
これは服にこだわりがない人向けの話で、お洒落が好きな人は好きな服着ればいいと思う。
たぶん元増田はデートのとき、ばっちりメイクしてスカートとピンヒールの可愛いデート服で着てくれる。
ユニクロ・GUでスニーカーでノーメイクでも甘んじて受け入れる。
■料理好きになる
凝った料理でなく、30分くらいで作れる日常の家庭料理のバリエーションを増やすことを目指す。
その他の家事も大事だけど、食事は毎日のことなので、それを楽しくできる男性は強い。
表題のタイプの男性なら「料理は女性にして欲しい」という思考は問題外。
スポーツでもDIYでも料理でも、音楽でも芸術でもプログラミングでも。
これは加点要素で、男女問わず、成長しようとしている人はかっこいいもの。
■聞き上手になる
多いけど、全員じゃない。体感3割ぐらいは「寡黙・穏やかな男性が好き」女性もいる。
傾向として、自分が場を盛り上げに行くタイプの女性(ひょうきん、ピエロ役)は役割が被る面白い男性よりも、穏やかな聞き上手タイプに惹かれる率が高いんじゃないかと思う。
落ち着いた感じの女性の方が、面白い男性を求めていることが多い印象。
女性との交流、多ければ多いほど可能性は高くなるけど、未婚女性が所属するコミュニティとの交流を2本ぐらい持っておければ良いかと。
出会い的な意味はもちろん、日常的に視界に入る女性が芸能人だけだとそのレベルの外見に目が慣れてしまいそうなので。
一般人女性の笑顔とか、ちょっとした仕草に可愛さを見いだせる感覚を忘れないで欲しい。
どのくらいを「接点」と呼ぶか : グループの飲み会で隣の席になったとき、聞き役でも良いので30分楽しくお話しできるぐらい
紹介に期待するなら姉妹・親戚との交流を生かすのも良いのでは。
恋愛対象の女性でなくても、仲良くなれば紹介してくれたり相談に乗ってくれたりする。
これは「ルッキズム反対」的な話ではなく「恋愛対象となりうる相手かの判断」においての話。
女性は、外見がっつりお洒落だけど内面はオタク、という人も多い。
反対に、眼鏡とやる気のない1つ結びの髪だからといって、腐女子とは限らない。
それと、第一印象では大人しくても、人見知り(or 猫をかぶって様子を見ている)なだけで、打ち解けると明るく親しみやすい子もいる。
男性も同じだと思うけど、色んな性格・趣味嗜好の女性がいて、付き合いが浅いうちから色々さらけ出してくれる人は少ない。
どんなところで相性が合うかは分からないので、相手の女性をじっくり知って、好きになって欲しい。
話は変わるけど、芸能人や町ですれ違った女性について「かわいくない」等のネガティブ批評をする男性は問題外。
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求める人には今年、良いご縁がありますように。
ずいぶん昔、大阪の西成でボランティアをしていた時に、めずらしく女性のホームレスがいた。
少ない女性だし、まだ60歳ということだったので、ホームレスとしても若い。
ただ、更けて60歳にはみえなかった(70歳ぐらいに見える、真実は不明)。
これはいけないということで、ボランティアの間でもなんとかしてあげないと
といったおせっかいな意見が多くでていたが、わたしはどないしたらええねんと割と冷ややかにみていた。
(性格による)
先輩ボランティアが、そや男の恰好させたらええんちゃうか、ということで、
男装をさせることにした。
しばらくすると、男装しているほうが、性欲を刺激されるみたいで、
最近そういう増田の何もしないおせっかいが増えすぎたおかげでここ十年で通報件数が10倍くらいになってるとかそういうニュースをよく聞くぞ。
んで、児相は10倍に増えているかと言えば増えておらず、働き方も改革されている、と。
これ、他力救済に頼ってていい状況だと思うか?
8年付き合った彼と今年結婚することにした。
プロポーズなんてものはなかったが、3年前に私の両親に紹介、2年前に先方のご両親に挨拶、去年両家顔合わせを実施した。
顔合わせでもやもやしていることがある。私の母がこなかったことだ。
我々カップルは東京に拠点があり(同居はしていない)、先方は東北、私の実家は関西にあるため、顔合わせは彼と話し合った結果東京で開催された。
先方のご両親+ご兄弟は予定をあわせて訪ねてきてくれた。お父様は半身不随の体で来てくれておめでとうの言葉をくださった。
私の家は父しか来なかった。母は「めんどくさい」「犬の世話がある」と来てくれなかった。
その理由をそのまま先方には説明できないので「母は体調不良で欠席です」と伝えたが、めちゃくちゃ恐縮しながら伝えてしまったためウソだということはばれていると思う。
実際先方のお母さまはあとで彼に「××さんのお母さんは結婚を反対しているから来ないの?」と聞いてきたそうだ。鋭いお母さまでなによりだ。東京までの距離がめんどくさいのと15歳の犬(どこも不健康なところはなく若いころと変わらず毎日餌を食べ毎日散歩している)の介護(1日2回の餌やり)があるので冠婚葬祭は参加できないと言い張ってるだけだ。
そう、母は他にもいろいろな行事をすっぽかしている。
名古屋で行われる自分の親の法事。四国に単身赴任した父が入院したときの手続き&見舞い。全部私が一人で行った。東京に住んでいて正社員でブラック企業で毎日8時から23時ぐらいまで働いている身にはすべての手続きは本当に大変だったが家族の為なら仕方がない。
毎日20通ぐらいLINEがくるが話題は「犬の抜け毛」「父の薬代が月4000円もかかって迷惑」「犬のおしっこ」の3つのうちどれかである。専業主婦の日記帳みたいな内容に私はどういうコメントを求められているか全くわからず寝る前に「はい」と返信することにしている。最近自動化して夜10時ぐらいに「はい」とポストされるようになった。
先方のお母さまがたまにコメや野菜などを送ってくださる。電話してお礼を言う。
私の母からは月1で封書がくる。犬の抜け毛が入っている。電話はしないでLINEで犬の抜け毛が届いたことを感謝する。
私は結婚する。今は30万円の手取りから8万円母に仕送りをしている。年間96万円。それを9年。大学生の時はバイト代をそのまま実家に入れていた。高校から大学にかけての学費は全額免除だったので親に迷惑をかけていない。父は現役だが老後の資金を貯めたいのだそうだ。
でもお礼を言われたことないし使途は不明だ。実家にはSWITCHやソーダストリームやヘルシオオーブンや4Kのテレビなどが鎮座ましましている。世間には「ためておいてあげたお金だよ」と今まで仕送りしたお金を結婚するときに渡してくれる親がいるそうだ。大人なのでお金の管理ぐらい自分でさせればいいし大変なおせっかいだと思っているが、私の母にはそういう心は期待できない。もしかしたら父がリタイアしたあとの離婚の資金になるかもしれないとまで思っている。
結婚したら私の稼ぎは私だけの稼ぎではなくなる。8万円の仕送りをやめたい。
いろいろ書いたが結局この2点に尽きる。
・仕送りやめたい
もう何年も前の話になる。仕事が忙しくストレスが溜まる生活を繰り返していた俺は、週に1、2度都内のあるバーで飲んで帰ることが習慣化していた。繁華街からは少し外れたところにある特徴のないショットバーで、特におもしろいメニューも嗜好ももないが、質の悪い酔っぱらいも居らず、1時間程滞在しても自分以外に客がいないことも珍しくないことが魅力のバーだった。
ある金曜日の夜、多分22時くらいだったと思う。流石にこの条件で他に客がいないことは珍しいのだが店は空っぽだった。半ば指定席と化しているカウンターの一番奥に私が座ると、店を一人で切り盛りするマスターは慣れた手つきで私におしぼりと灰皿を出しながら「タイミングが良かったですね。さっきまで戦場のようでしたよ。もう今日は静かだと良いのですが」と語っていた。
しかし、私の最初のオーダーが手元に届き煙草に火をつける時、もう一人客が入ってきた。大学生くらいの若い女性だった。派手さは感じないが華やかさを感じさせる美しい女性で、失礼ながらこんな小さな雑居ビルに入っているバーが似合うような女性ではなかった。おそらく恋人か何かと待ち合わせだろうと思いながら、私は驚きのあまり不躾にも凝視してしまった目線をバックバーに移した。カウンターしかない小さな店だから、普通こういう状況ではマスターは私とは反対の、入り口に近い席を進めるはずだ。俺にできることは、後から来る連れが騒がしい男でないことを祈るだけだった。
ところが、どうやら驚いて一瞬固まっていたのはマスターも一緒だったらしい。なぜか一度俺と目を合わせたマスターが「いらっしゃいませ」と言い切るころには彼女は私と一席空けた隣に座ろうとしていた。奥から詰めたほうがいいだろうと考えたのだろうし、これだけならそれほどおかしいことでもないのだが、何だか少しドキドキしたことを覚えている。
マスターもそれは同じようで、どこかぎこちない動きで彼女にお絞りを渡した。この店はマスターの気配りだけは一流と言って差し支えないため、一見の若い女性が一人で入ってきたら、さも常にそうしていますという素振りでメニューを渡しそうなものだが、マスターは彼女にお絞りを渡したまま姿勢を正して硬直するようにオーダーを待っていた。妙なことになってきたぞ、とそう思った。
私とマスターがそうして硬直していると、彼女は小さな、それでいて良く通る声で「ザンシア」と呟き、私とマスターをもう一度硬直させた。居酒屋やダイニングバーで出るようなカクテルではないし、スタンダードであるかも怪しい。私もショートカクテルということ以外はどういうものかは記憶にないカクテルだった。流石のマスターは「はい」とだけ答え慣れた手付きでオーダーを作り始めたが、私は混乱し始めていた。彼女は確かに華美ではあるが水商売には見えないし、偏見だろうが女子大生がこんなカクテルに詳しいというのも不自然だ。見た目通りの年齢ではないのかもしれないと思いながらチラリと彼女を横目で見ると、バックバーを眺める彼女からはどこか幼さも感じ、余計に俺は混乱することになった。
彼女の正体について私が思いを巡らせながらマスターがカクテルを作る様子を見ていると、ザンシアというのはかなり強いカクテルのようだった。シェイクする分を考えても、40度はあるかもしれない。それがカクテルグラスになみなみと継がれる様子を見ると、本当にあのあどけなさの残る女の子がこんなものを飲めるのだろうか、という余計なおせっかいを考えざるを得なかった。
しかし私の心配は杞憂に終わったようで、横目で見ていると彼女は一息でカクテルグラスを半分ほど開けていた。私も酒に弱いわけではないが、真似できる気はしなかった。少なくとも試したところで酒を楽しめないだろうことは間違いなかった。ますます混乱する私がこの後彼女に声をかけられて、挙動不審にならなかったことは奇跡だと思う。
「ねぇ」彼女は俺のことを見て確かにそう言った。「煙草、分けて下さらないかしら」、と。一字一句間違いない。確かに彼女はそう時代がかった口調で私に煙草を求めたのだ。混乱に次ぐ混乱の中、重ねて言うが私がどもらなかったことは奇跡でしかない。
「どうぞ」と言いながら私は彼女に箱を開けた煙草を差し出した。彼女は慣れた手付きで私の持つ箱から煙草を一本取り出し「ありがとう、火もいいかしら」と答えた。またしても「かしら」だ彼女はいったいどこの世界からやってきたのだろう。
ごめん書くの飽きた
悩むことと責任を結び付けたことはこれまでなかったで新鮮だった。共感はできないけど。
嫌われるとか、無責任だ、と結びつけることでは人は育たないと思う。
全く異なる考え方で生きているので、参考にはならないだろうけど
日々、生きているといろいろな課題、困難、イライラ、ネガティブな事柄にぶつかる。誰しもそうだ。
しかし、目の前に現れた課題を、どうしよう!どうしようといっていてもしょうがない。
俺なりの基準はこうだ。
1ヵ月後、1年後、3年後、その問題が重要な意味を持つかどうか。
場合によっては、状況が変化して、一か月もすれば意味をなさない、あるいは忘れてしまっていることもあるだろう、であれば、一か月後に忘れるようなことを今悩むのは無駄だ、というような視点でみている。
大きな歴史の流れのなかで、コップの中の嵐に過ぎないことであれば、悩むのはやめようと思うだけだ。
人を育てるときに、重要なのは、無責任とか倫理を説くことではなく、
トリアージの判断材料となる事実を淡々とみせていくことだ。あとは本人の気づきを待つ以外にやれることはない。
でも、面白いことに、同僚や上司からみると、俺は細かい仕事の出来具合などに悩んで大局を見失っているようにみえるらしい。
フルパッケージで支援というおせっかいは依存を育むだけなのでは?
僕はモテなくて彼女がずっといない。ぼーっとしている間に30歳を過ぎてしまった。とはいえ、そのことを僕自身はあまり気にはしていない。
ほしくないといえば嘘になるが、なにがなんでもほしいというほどの熱量はない。いい出会いがあればいいなという程度だ。彼女を作るためにあちこちでかけたり、誰かに紹介をしてもらおうなんて気持ちはない。それで生涯独身になるなら仕方ないとすら思っている。
もしかしたら僕が少数派なのかもしれないが、そういう人間もいるのだ。
先日、会社の飲み会があったが、そのなかで腑に落ちない発言があった。
「○○君に良い子を紹介してあげてよ」
僕の現状を見かねた上司が女子社員にそう声をかけていた。話を振られた女子社員たちは皆困った顔でやんわり断っていた。なんだこれは。公開処刑じゃないか。
恥ずかしい思いをしたこともかなり腹に据えかねていたんだけど、一番もやっとしたのは、自分では全然気にしていないことをさも問題があるかのように扱われたことだ。そして、さらにそれを他の人達に投げかけて迷惑をかけている。これも非常に腹が立った。
恋愛はこの年齢になったらしていないといけないのか?恋愛ができない自分は異常なのか?その問題はすぐに解決しなくてはいけないのか?
これを英会話に置き換えてみる。
「彼はこの年齢にもなって英語が話せないんだ。このままだとまずいから、○○君に誰か英語を教えられる人いない?」
日本に住んでいる多くの人は英会話ができなくても生活に支障はない。それをさも異常者のように上のようにお世話を焼かれると、ほとんどの人は良い気分にはならないと思う。僕にとって「良い子を紹介してあげてよ」と世話を焼かれるのはこれぐらい余計なお世話だった。
世話を焼く、というのは基本的に相手を一人前の人間として扱わない行為だ。良かれと思ってしたことも、相手のプライドを傷つけることになりかねない。誰かにおせっかいをするときには細心の注意を払うべきだ。相手が問題だと思っていないことに対しては特に。
「オタクの内部」という言葉でくくれない程度には、現代において「オタク」なる言葉は複雑化していると理解した方がいいと思う。
古のオタクがどんなにかっこつけても、現代の「オタク」文化というのはファッションとしての側面が強いんだ。その文脈において、セクシャルな表現というのは、自らのアイデンティティと密接に結びついたセクシャリティを表現するための代えがたい手段でもある。(gender expressionや、身近な例ではミニスカートのように。)単に性器を擦るための一プロセスではないんだよ。たとえ副次的に「性器を擦ることに流用可能」だったとしてもね。それは、たとえ恋人とセックスするのが普通のことだったとしても、それを他人に詮索されない権利があるのと似ている。「それをエロい目で見ているかどうか」なんて、質問そのものが暴力的であることに気付いてほしい。
あなたは「オタクの問題」を「自分の問題」のように語っているけど、きっとそれは優しいからそう考えてしまうんだろうけど、時にそれは傲慢だよ。あなた個人に「オタク」を代表する権限はない。要らぬおせっかいがセクハラになる場面もあることは、下記のような例とも重なる。
お風呂施設の食堂にいたら「目のやり場に困るから」とタオルで隠すように言われてすごくショックだった。
目のやりどころに困ってるのはその人の問題であって、私はタンクトップ型ワンピでお風呂上がりに寛いでただけ。私の問題ではないのに、なぜ私がタオルで身体を隠さなきゃいけないの? pic.twitter.com/6AHoD9dIx9— 元鈴木さん (@Motosuzukisan) 2019年9月28日
ポスターに表象されている「女性キャラクター」はもちろん架空の人物だ。一方、それを描いた人、企画に携わった人、それらを鑑賞する人はすべて血の通った人間だ。この場において、性の主体者は誰なのか。客体は「何」なのか。その性のあり方を侮辱する権利はあるのか。それらをゆっくり問い直して欲しい。
想像通り、その人達はあなたの噂をしつづける可能性はあると思う。
悪い評判をばらまいて、それでいい気分になれるんだからずっとやるかも。
飽きてやらないかもしれない。
ただ一つ言いたいのは、そんなものは気にしなければ案外大丈夫ってこと。
あなたが思ってるより、噂ってのは無力です。
嫁さんや子供が連座制であなたの悪い噂に引きずられていじめられるとでも思ってるんだろうけど、そんなことはないです。
あなたへのわるい噂は、職場であなたが得た評価や、今後獲得していく社会での評価に比べれば大したこと無い。
世間は広くてあなたに構ってる暇も、その噂が本当か嘘かを確かめる暇もそんなにないわけ。
おせっかいと親切の線引きはどこでどうやってできるのだろう?
自分のやったことが相手の気分や受け止め方次第で左右されてしまうとしたら、誰も他人に何かをしようとは思わなくなる、助け合いの精神は生まれない。
一方的に何かをやっておきながら「親切と受け止めよ、感謝せよ」っていうのは確かに傲慢な気がするけど、望む望まないは別にして仮にも手伝ってもらっておきながら「ありがた迷惑だ、感謝の態度を示す必要はない」っていうのも同様に傲慢な気がする。
これって鶏か卵かどっちが先か、って話になるんかねぇ。
俺は理不尽が嫌いだ。偶然以外に、理由のないことが生じてしまう事が嫌いだ。
この程度の救いようのない理由で、他者を傷つける事を俺は忌み嫌う。
多くの人は自分自身の感情や考えを説明できないまま、行動を起こしてしまう。それによって他者に危害を与えることになっても、許されると思っている。
そんなことがあっていいはずがない。
自分自身の頭の中さえコントロールできない人間が、他者を陥れる資格など、ないと思う。
なぜ腹が立つのか、なぜ攻撃をしようとしたのか、説明して話し合えば互いにきずつけあうことなどないのに。
彼らはそんな簡単な想像さえできないような、動物的な人格を自らひけらかしている事に恥ずかしささえ覚えることはない。
多くの人は想像力と、その想像を支える教養を置き去りにしていると感じる。
どう考えても最善の一手が多くの場合にはあるのだ。
最小のダメージで最大の利益を得る一手がそのには確かに存在する。
少しのおせっかいで窮地にある者は活路を得る。
頼む、少しでいいんだ。少しだけ想像してやってくれ。