はてなキーワード: 詰め込み教育とは
増田です
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hidamari1993 定石の詰め込みが思考力の向上にも繋がることは詰め込み教育の威力が証明してるのにまだこういうこと言う人いるんだね。
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詰め込み教育を否定しているように感じられたんでしょうか。学習力の勉強と詰め込み教育って矛盾してないですよね?
文章や聴覚情報の理解、要点の把握、効率的な暗記の手法を学ぶことで、詰め込める情報を増やすことが目的です。
詰め込み教育はテキスト内の情報だけを「詰め込む」のですが、テキスト外の学習方法も「詰め込む」ことで
勉強の効果を上げようという話をしているつもりでしたが、そこまできっちり書かないと理解されないみたいですね。
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sbedit1234 馬鹿か。結果を計測した方が正確かつ簡易。
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何の結果が、誰の視点で簡易かつ正確なのでしょうか。
効率的な暗記の技術が身についているか、暗記のスピードは何を見て計測できますか?
耳からの情報の理解と整理と視覚化の能力はどうやって確認しますか?
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narwhal 国語。現代文のテストはその能力で解く。ただしまともに教育をしてはない。実のところ教育しないことによって阿呆を篩に掛けているようにも見える。
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また、塾で対策ができるようなことが篩になるのですか?
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drying_flower だいたいやってるじゃん。上から国語数学小論文かな
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国語のテストで悪い点をとっても「何が悪くて、何を考えてどのような解き方をすれば解けるようになるのか」を一人で理解できる人はもともと頭が良いと思います
勉強の方法に絞ってテストし、重点的に対策をすることを目指そうという話をしています。
僕は学ばなかったです。頭はよかったので「春はあけぼの~」とか繰り返していれば、「いつの間にか」できるようになってはいました。
例えば、長文を覚えるときは、ブロックに分けて頭文字を反復するといいですよね。
は(るは)あ(けぼの)よ(うよう)し(ろくなりゆく)や(まぎわ)、す(こし)あ(かりて)、む(らさきだちたる)く(もの)ほ(そく)た(なびきたる)
↓
「はあよし はあよし はあよし」・・・
↓
「は(あよし)」
この段階だと「は」だけで「はるはあけぼの ようよう白くなりゆく」が引き出せる状態になります
↓
これを各ブロックで行えば
「はやく」で、一文全体が思い出せるようになります
↓
「は(やく)」
これで、「は」だけで「はるはあけぼの・・・・たなびきたる」が思い出せるようになります
これをそれぞれの文で繰り返せば、長い文章も高速に、かなりはやく覚えられるようになります。
こういう方法を理解しているかどうかで勉強に差が出てくるのはあきらかです
例えば、受験対策で有名なものに「まず目次を覚える」というものがあります
目次の文章も、この技術を使えばかなり高速に覚えられるようになるわけです
こういう学習の基礎となる方法を積み重ねることで、「無駄な繰り返し」を減らして
勉強ができる人が増えていくようになるはずです。
最近になって働き方改革とかセクハラとか昭和の時代から引きずってきた慣習が変わっていこうとしている。それって、さんざん馬鹿にしてきたゆとり世代が社会に進出したあたりからだと思っている。年々学生の学力が低下しているのは否定しないが、根性論で物事をすすめようとする考え方を一掃するにはカリキュラムを削りに削るのは必要だったのではないか。
それにもかかわらず、プログラミングや道徳の教科化などどんどん教える教科を増やそうとしている。文科省は考える力を養うことや新しい時代に対応するためという理由にしているが、考える力を養う点は今までの主要5教科で十分対応できる。今まで天下り的に教えることをやめればいいだけであって、別に教科を増やす必要はない。考える力をつけるためには考えるための時間が必要である。別に余計な知識を増やす必要はない。
コンピュータリテラシーについては教育すべきだと思っている。約3割の小学生は自分のスマートフォンを持っているという。いくらフィルタリングを掛けていても自分のスマートフォンから発信する方法は規制されていない。学校裏サイトや掲示板といった独自の文化を持った閉じたインターネットでは無くなった。YoutubeやTwitterにはいまや小学生でも投稿できる時代だ。気軽にTwitterにアップした画像が実は位置情報付きだった可能性があると知っている小学生はどれぐらいいるのだろうか。
新元号に変わろうとしているが昭和の時代に逆戻りしているように感じている。詰め込み教育の成れの果ては、ただ知識を暗記するだけが勉強だと勘違いすることだ。それと同じことを次世代の子供達におこなおうとしているのではないか。時間が足りず、義務教育の現場では夏休みや土曜日に授業をしているところもあると聞く。限られた時間で教えるには何を教えるかを考えなくてはならない。むやみに増やしてもコンピュータのストレージのように知識を吸収できる人間はわずかしかいない。そういう意味では、何を絞って教えようとしたゆとり教育は少なくとも失敗ではないと思っている。
テスト勉強は得意だった。部活が試験休みに入ったら定期試験の範囲を試験までの日数で割って勉強計画を立て、1週間計画通りに勉強した。家庭科だって保健体育だってきちんと勉強した。定期試験の成績は良かった。たまに行われる試験範囲の無い実力テストは定期試験より順位が落ちた。いわゆる「大して勉強しなくても頭良いやつ」に負けた。
別に詰め込み教育のせいでこうなった訳ではないと思う。親に勉強しろと言われたことはない。生まれつきの性格がやりたいことをやるよりやるべきことをこなすことに向いていたのだろう。日本の学校が自主性を重んじる教育方針だったら落ちこぼれていたかも。司馬遼太郎の小説で無能な官僚として描かれるタイプ。坂本竜馬とは正反対。
理想、目標が提示され、それが納得できるものであれば、そこへ辿り着く方法は自由に選ばせてほしい。今の職場はそんな自分には向いている。別に仕事自体は楽しくはない。大量の事務をこなすのは結構楽しいんだけど。ストレス無く働ければそれで十分だ。
でも自分の子供には自分のやりたいことを見つけてほしいと思ってる。ストレスは無いけどすごく楽しいわけでもないんだ。自分に似ていたら無理かもしれないけど、希望としては。
と、35年の半生を振り返って思う。
私がまだ中学生だった頃、数歳上の人達の就活情況があまりにも悲惨で、教師をはじめとする大人達が焦り始めていた。でも彼らは焦るだけでどうしたらいいのか分かっていなかった。
とにかく私達子供をシビアな社会を生き抜ける強い人材に育てようと大人達が暗中模索し始めた。そんな学生時代だったと思う。私達はほとんどモルモットだった。
思うんだけど、それまで大人達はまともに子供を教育する意識がなく、子供達の数の多さに甘えてるか圧倒されて何もして来なかったのではないだろうか?
え?私よりも歳上の、氷河期世代の一番歳上の世代以前から苛烈な詰め込み教育とか教育ママとかそういう問題はあっただろう?って。
確かにそうやって子供を猿回し的に追い込んで追い詰める風潮はあったけどそれは本当に教育と呼べるものだったのだろうか。
大人達は子供達に色々強いてはいたけれど、子供達の人口があまりにも多かったので、脱落者も多かったがしばいてもしばいても必ず少数(これがかなり多いんがが)は立ち上がり着いて来るから、自分達のやり方が適正かどうか振り返って来なかったのでは。
私が子供の頃、大人達はそれ以前の調子で子供達をしばき上げ、着いて来れた者だけを優遇するような事を普通にやっていた。
教室で行われていたのは「教育」というよりは「篩落とし」だ。成績の悪い子供には落ちこぼれのレッテルを貼って非難するだけ非難して、あとはほっぽっておいた。
上の世代の子供達はそれでもよかった(いやよくない)。何故ならすごく数が多かったから、優秀な生徒も数はいるし、落ちこぼれは落ちこぼれで数の暴力で大人達に反抗しまくっていたから。
私の世代は数が少ないので、簡単に大人達に制圧されてしまっていた。
上の世代が滅茶苦茶荒れまくっていたところから急に大人しい子供達になった(単に人数が少ないだけである)から、大人達はちょっと調子に乗っていた部分があるんじゃないかと私は思う。
何を言っても従順に言うことを聞くからって、大人達は私達にいろいろやり過ぎた。それなのに私達は主体性が無いだの自分が無いだの目が死んでいるだのと謗られながら大きくなった。
全部自己責任って言われて来たけれど今思えばそれは違う。大人が過干渉だったせいだ。
子供の数が少ないのを言い訳に、児童会を形骸化したり地域の子供達主導でやって来た活動に大人が手を出すようになったり、そんな事もあったな。
私達の目標となるすぐ上の先輩達は、私達を前に戸惑い、大人達と後輩の間で板挟み状態だった。彼ら自身は過酷なしごきを耐えて来ていたのに、後輩は部活に1人とか二人とか、そんな極少数しかいない訳で、そんな貴重な後輩を逃したら顧問から怒られるし部が自分の次の代で潰れたら先輩達に顔が立たないので、とても困っていた。
それでどうしたらいいのかわからないので、それまで後輩に押し付けていた雑用を全部自分等で引き受けておいてあとはほっといた。後輩がちんたら遊んでても居るだけマシだと無視をする。言いたい事は山程あるけれど、数の暴力の弱いもの虐めになるのを恐れて何も言わない。でも優しかったし親切だった。
私達が見てきたのは先輩方のそんな背中だ。
そういう風に育った子供達が、下の面倒を見るべき年頃になった。これが問題を起こさない筈はないと私は思っている。
ところで話は変わるんだけど進撃の巨人を読んだ。ウトガルド城~トロスト区奪還戦の辺り。主人公世代の目標になるべきすぐ上の世代の兵士がどんどん死んでいく。特にナナバとゲルガーが死ぬ辺りが刺さった。新兵なんか軍隊においては基本使い捨て要員なのだろうがそれを守って死んでいくナナバ達に自分の先輩方の姿を重ねてしまう。さすがアラサーの書いた漫画だなあと思った。
ホント嫌になった。
魔術とか弓とか…持っている武器?というか職種?でそうなってるからって戦闘中でも安全な位置から動かない奴がいるのよ。それもパーティの中に。俺が身を呈して守ってやってんのにそいつらときたら適当に矢をばらまいたり、火球が飛んできたくらいで術の詠唱やめてんの。やる気あんのか。攻撃は最大の防御だろ?お前らには俺の傷をひとつでも減らそうという気はあるのかい?ええ?召喚系の奴なんか自分じゃ何にもやらないのに経験値貰ってるんだよなあああ……あいつ何なの?何の経験を積んでるんだよ下僕の管理経験か。管理職が何の利益を生むんだよ?ああ?
天は二物を与えない。
攻撃の柱になるために重い装備を諦めたのは分かる。その逆が俺だからな。
でもさぁ……俺が3体の敵に10回ずつ殴られてる間にお前らは何回攻撃できてんの?33回攻撃できんの?それも途中でやめたり外したりしてるよな?
あっ、ここでわかった天才だわ、
魔術の使える重装兵になれば最強じゃね?指先と口先だけ動けばいいんだしフルメタルアーマー着てても行けるんじゃねーかな。重装魔術士とかアリだよアリ。馬に乗った魔道士とかいるし全然アリ。天馬やホウキに乗ったり自ら飛ぶ術もあるんだから上空から進路上に隠れてる敵を爆撃することもできるはずだよな!なんでそういうこと考えないの?バカなの?丸暗記はできても知的創造はできない詰め込み教育世代なの?
地方によっては白魔術士+戦士=ナイト(自己回復できる盾役!)という定義もあって、俺としてはこれを全世界的に広めたい。ただ消耗するだけの盾役なんて人気出るわけないじゃん?一応戦士だけど他方では客商売ですからな。盾役で主人公やってる奴なんてまずいない。まぁいるにはいるがほんの、ホンーっの、ひと握りだ。そいつらの名前わかる?分かるわけないよね?主人公なんだから世間一般では盾役だとは認知されてないんだよ((爆笑))じゃあそこそこ有名な奴で盾役をひとり挙げてみろって言ったらどうよ?挙げられるわけねえ。盾役なんてそんなもん。「後ろ盾」とは言うが、後ろになんていちいち気が回らないから後ろ盾が大事なんでしょ?盾役なんてそんなもん。まったくもってそんなもん。じゃあ有名でも何でもないイッパシの戦士でしかない俺はどうなるんだよ?すごい遠いところで言うとヌリカベか?石崎くんか?あいつらには仲間のピンチという見せ場があるから有名になれてんだよな。でも世の中そうそううまく出来てるモンじゃねえし。そいつら戦士じゃねえし。
結論を言うとな、戦士にはキャリアパスが無え。騎士なら魔術方面含めてエリート街道まっしぐらよ。何が違うんだ?たかだか仕官してるか傭兵かの違いだろ。能力的に差があるわけじゃねえ。要するに高い身分に生まれれば物理系も術系も両得できる、前でも後ろでもオーケーのオールラウンダーになれるってわけだ、くそが。結局血筋なんだよなあああジャンプ作品か!俺はそんなの認めねえ!!
【追記】
投稿してまもなく法術士に見つかり「あなたの傷を癒してバフ与えてやってんのは誰でしたっけ」となじられました。ハイあなた様です。というわけで回復系は対象から外します。ただし魔術士!テメーは(略
あと弓系もダメね。火力が無いのに安全圏から石投げてるようなものだからね。
それと俺が引き受けるのは物理だけね。それはパーティどころか全世界的に認められてる戦士の制約ですから。魔術の専門職なのに術に怯むような人の意見は不要です。
【追記 2】
ストやめました。もうバレてるので。あと調べてみると戦士の求人ってそんなに無いんですよね。実際問題。
そんなことよりも転職しようと思います。なんか最近みんなで気づかってくれて、パーティの戦術が低リスク寄りになりました。これまでの頑張りのおかげか、そんなにガツガツしなくても生計と増強が両立できるようになってきたんで。そんな方針変更とも相まって、俺も回復能力を身に付けてサポート役を2枚にしようということになりました。
ネットで調べると戦士の上位職に回復系の術をマスターできる職業があるらしいです。専門職と比べると術の修得に時間がかかるらしく、戦士としての力も相当に衰えてしまうようで、そうやすやすと行きそうにはありませんが……仲間はみんな後押ししてくれています。
結構前になるんだけど、マイケルムーア監督の「世界侵略のススメ」って映画を見た。
元々この監督は好きだったし、今回もアメリカンなブラックジョークで笑かしてもらおう、みたいな軽い気持ちで観に行ったのね。
で、予想通りアメリカンジョークで笑ってたら、段々笑えなくなって来て、最後には結構泣いちゃってた。
映画自体が良かったのももちろんあるんだけど、映画の中で描かれてるアメリカが日本と同じなんだよね。
今までこの監督が作った映画、ボウリング・フォー・コロンバインや華氏911、シッコと言った映画は海の向こうのアメリカが抱える深刻な問題を扱ってた。(銃規制の話や、国民皆保険制度が無く貧困層が医療の恩恵を得られないと言った話)
それが今回は労働や教育、人間の尊厳と言った問題がメインで、よくよく聞いてるとそういう話題のアメリカの現状は日本と変わらないんだよね。
なので海の向こうの話かと思ってたら、突然話が身近で現実的な話になっちゃった。他人事では聞いていられない。
アメリカは長時間労働に低賃金、休みも少ない。休みが多いと言われるフランスやイタリアはどう?
アメリカは詰め込み教育に学歴社会。学力世界一なフィンランドはどう?
アメリカは前科者は人間扱いされず。まともな職も得られない。死刑制度を廃止したポルトガルはどうしてる?
もちろん良いことばかりじゃないし、不況だらけで経済は行き詰まってるけど、欧州の人は「やりたくないことはやらずに、人間らしく生きていこう」としてるんだよね。
社会で生きていくためには嫌なことでもやっていかなくちゃいけない。それができなくなったら人間失格だ。
そんなことはない、と思いながらも心のそこではそう思ってた自分に気づいて、そして大変ながらも人間らしく生きていこうとする欧州の人達のその姿勢に涙が止まらなかった。
詰め込み教育ってなに?
無思考に必要あること無いこと詰め込んで量産型を作る教育でしょ??
本能寺の変が何年に起きたか何も見ないで言える無能な官僚が量産されるんでしょ?
そんなのが国を引っ張っていくっていうんだから当然、日本衰退しますわ(爆汗
いやーでもさ、応仁の乱、何年に起きたか何も見ずに言える人ってすごいよねー
1400年くらいだっけ??
誰が起こしたんだっけ??藤原道長(?)だっけ?
あ、あと詰め込み教育信者のどもの声、ここに「put」しておきますねー汗汗
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1416063024
何なんだよ日本。
一億総活躍社会じゃねーのかよ。
会社入って1年目だけど小中高で勉強したこと、ほとんど使わねーじゃねーか。
どうすんだよ俺活躍出来ねーじゃねーか。
たくさん勉強して、就職活動して社会に出て働いて税金納めろって言うくせにこのゴミみたいな教育システムは何だ?
大学でたは良いけど、10何年学んだこと活かせないうえに奴隷みたいに働くくらいなら日本の糞教育なんて学ぶ意味ねーよw
義務教育すっぽかして専門技術とコミュニケーション能力高めたほうが活躍できてたわアホ
不倫してもいいし賄賂受け取るのもどうでもいいから、非効率なゴミ教育を見直せ、教育に時間とカネを回せ
ふざけんな日本。
不倫したり賄賂受け取ったりウチワ作ってるやつ見繕って国会議員を半分位クビにすりゃ財源作れるだろ。
―宣伝―
はてブで、「いい人がいない」のメカニズムというスライドが上がっていた。
「いい人がいない」のメカニズム
http://www.slideshare.net/KanameHayashi1/ss-54044195
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.slideshare.net/KanameHayashi1/ss-54044195
比較的好意的なコメントが並んでいて驚いたので、違和感を書き留めておきたい。
違和感は主に2つある。1つ目は時間軸と性質を意図的に混同していること。2つ目はものとひとの性質を意図的に混同していることだ。
時間が短いうちは表層的なところしか見えないが、時間が経つと内面が見えるそうだ。本当にそうだろうか。
例えば、初めて会ったときに何か親切を受けて内面的な魅力を感じる人もいるだろうし、時間が経って「変わってしまった」と感じる場合もあるだろう。
製品開発においては「同じコスト、開発期間、開発環境」が同じであれば、全体としては似たようなもので、どこに重点がおかれているか違うだけであり、人についてもポテンシャルに大差はなく、どこが得意かが違うだけだとのことだ。
例えば、皆さんの周りを見渡していただくと、果たして魅力を「合計」すれば同じような人ばかりだろうか。そう感じる人はむしろ少数派なのではないだろうか。「同じコスト、開発期間、開発環境」という言葉を人にむりやり当てはめるのであれば、「育った家庭等の経済力、年齢、生活環境」と考えられる。「詰め込み教育が主体の若いうちは人のポテンシャルに大差はない」そうだが、例えば、高校生くらいでも十分に千差万別と言えるだろう。ましてや、このスライドが対象としている女性はおおよそ20代半ば以降と思われるので、違いはより顕著だろう。
もしかすると、この合計は「それまで」(傾きに合計が同じという仮定が入っているが。)ではなくて、「一生」の積分だという反論もあるかもしれない。しかし、これも時間軸と性質を混同させているところが変で、例えば、上に書いたとおり、初めて会ったときに何か親切を受けて内面的な魅力を感じる人もいるだろうし、時間が経って老けていくことに表層的な魅力が減ったと感じる人もいるだろう。
また、これらの指標はそれぞれに注目すれば、全く真っ当なためにうまくミスリードできているという印象を受ける。
出会ってすぐは表層的な魅力を感じるのに対して、時間が経つと内面的なところも見えてくるのはその通りだろう。
第一印象で、その様な魅力の基準で人を判断してしまうのもその通りだろう。
内面に比べれば、外面を向上させる(当人にとって好ましい方に変える)方が比較的簡単なのもその通りだろう。
などなど、どれも個別に見れば、多くの人が同意できるような内容になっている、と思う。
しかし、それらを意図的にせよ、非意図的にせよ組み合わせてしまったことで、おかしな話になっていると思う。最初に疑問系で書いたが、このような話が好意的に受け入れられるのは、ある種の希望を反映しているという感じがする。
なんでしようとおもったのだか。
もう片方は100キロの障害児。
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トラバついたので一応。
それなりに育てよう」ってのを早めに認めることがないんじゃないか。
今、こじれてる。
100キロの方成人してるけど授産施設で上手くやっていけず暴れる。
親も100キロってお相撲さんみたいなものだからとめられないし
金で何でもわがままをかなえる。
もう一件遠い医者がいるけど
不幸になるような気がするんだ。
というか「うすうす見てればわかる」こともないからそうなのか。
==============
全員医者じゃない職に育ててるお家があって、
そっちのほうがすごい幸せそうだなとおもった。
塾とか予備校だと集中講座って大体2~3時間で詰め込みで勉強するよね。
今度政府案でまた詰め込み教育にするけど、カリキュラム見ても土曜が復活するだけで
抜本的な解決が出来てないから学習の効率が凄く悪そうに見える。
宿題を課しても一日で覚えられて反芻して自分の頭に吸収して秀才になれる人って
全員が、とは言わないでも半分以上の生徒が一日に少ない量の学問を種類別に浅く広く吸収するのは
効率がかなり悪いと思うんだけどなぁ。
いっそ丸一日使って一つの教科を集中的に学習した方が吸収率も高いし効率が良いし合理的かつ経済的だろう。
その意味じゃ、月火水木金土と6日間あるんだから、英数国理社とあと一つ何かを加えて集中的に学習させた方が
.●前提
.
.肌にも老化を感じる24,5歳までとなる
.
.しかし、その時期は
.この時点で適齢期を過ぎてしまう
.
.また、産後のことを考えた際も
.やはり現実的に無理がある
.
.これではせっかく作ったキャリアをフイにするのは
.また、この時点での相手の男性についても
.
.今後は女性が30歳をこえ
.そもそも結婚相手を探すことが難しくなってくる
.
.現在、母体が出産に適した時期を越えてしまっている部分が大きい
.
.
.
.●完全なる少子化対策
.
.やるべきことはたった2つ
.2.子育ては祖父母が行う
.これだけだ
.
.
.
.各々が2年間を調整し、兵役にあてている
.それと同様に
.16-20歳の4年を確保する
.
.具体的には
.
.海外に見聞を広めるもよし
.趣味にいそしむもよし
.
.要するに、先に社会に触れさせ
.
.恋愛は大いに推奨
.出産も推奨し
.
.この時点で女性に
.
.
.子供1~2人が生まれていることとなる
.
.
.
.●2.子育ては祖父母が行う
.
.
.今の価値観ならばそう思う
.そこを無視する背景はここにある
.
.ドラえもんでこんな話がある
.-------------------------------------------------
.ならば、タイムマシンで
.-------------------------------------------------
.
.祖父母世代に行ってもらう
.
.なぜなら、祖父母世代には余裕がある
.余裕を持って子育てができる
.
.また、後述するが
.今の祖父母世代のような体力の衰えはまだ表れておらず
.
.
.
.●完全なる少子化対策・具体例
.-------------------------------------------------
.
.今までならば、A子さんが産もうと思っていても
.A子さんも子育てをするには
.進学も就職もできない
.そして高卒のB斗くんでは
.
.そんな背景から親は反対一色となり
.
.子供は祖父母が育てる
.A子さんの両親が赤ちゃんの世話をし
.
.
.二人が28歳となるあたりで
.経済的な余裕もでき新居を用意する(ここまでは通い婚)
.小学校高学年となり
.一緒に暮らす
.
.A子さん夫婦36歳のころ
.
.A子さんは円満退職
.-------------------------------------------------
.
.その後に子供を生むかどうか選択するため
.上記の具体例と
.
.にも関わらず
.この例のとおりであれば
.
.
.
.
.この案にはメリットが多数ある
.
.
.☆高齢化社会にならない
.人口ピラミッドを横に増やす、伸ばすことしか考えていないことだ
.
.今の世代の男女を炊きつけ多くの子供を産んでもらうことにしろ
.それは今、目先の危機回避のみであり
.次の世代での問題をどうするかを考えていない
.
.今回の新対策
.縦に重ねて厚くしていくことは
.
.高齢化社会とはならない
.
.
.☆孤独な老人が発生しない
.現状では25歳で子供を産み、50程度で孫がうまれ
.そしてひ孫が生まれるかどうかで
.
.子供の数も1人が主で
.家族の数に対する老人の数は多く
.老人の面倒を見切れないことが多い
.
.寂しい老後のまま
.
.モデルケースのとおりだと
.60歳でひ孫が生まれ、80歳で玄孫(やしゃご)が生まれる
.
.世代間の間隔が小さいほど
.世帯の数も多く
.たとえ子供が一人であっても
.協力して老人の面倒を見れる可能性が大きい
.
.
.やれ婚活だ!
.やれ妊活だ!などと
.
.
.それらを無視する形で
.無理やり人生設計を強いても
.
.この時期のカップルは
.
.自然に解決できる
.
.
.それは不況の影響も大きいし
.
.一人当たり2000万ともいわれる
.
.大きく余裕ができる
.
.また、老人世代も
.貯蓄の最たる理由である
.今ほど溜め込まずに済む
.
.世代間が短くなることで
.
.
.
.●完全なる少子化対策・QA
.Q:恋愛期間の4年は長すぎるのでは?
.→
.A:1年で社会見聞を広げ、2年目で交際開始
.
.
.→
.センター試験範囲のみに絞る
.
.
.→
.A:逆に増えることが想定される
.人との付き合いで養われる
.
.
.Q:自由恋愛出来ない者も多くなるのでは?
.→
.という悪しき共通認識が働いているためだ
.これは致命的である
.少なくともアメリカの
.女子を誘ってペアで参加してね」
.小学校でやるべきだろう
.
.
.Q:16,7歳の娘が交際、性交渉、出産なんてとんでもない!
.まだ子供だし相手の男を見極める眼もないに決まっている!
.→
.そしてもう1つが
.具体的にいうと
.自分の所有物としての執着の2つを強く持ちすぎている
.そして、それは娘に対して異常なほど大きい
.30近くなった娘には「結婚はまだなのか」と迫る
.ステレオタイプの親などは
.ちなみに、草食系男子の増加は
.つまり「うちの娘に欲情するならばお前を罰する!
.(それが嫌ならば口説こうともするな)」という重圧によるのは明白だ
.
.相手の男に対する眼は前項のとおり
.男女ともに早い段階で学ばせるべきだ
.それでも娘の自主性に任せられないというのならば
.それは親自身が子離れできていないことになる
.そして、祖父母が子育てをする以上
.娘の相手は親にとっても非常に大事なこととなる
.娘がよりよい相手を見つけられるように努力し
.娘から信頼されることがよい親の在り方になるだろう
.
.
.→
.それが親子両方のためになるとも思えない
.親が必ず子供に接していなければならないというのも
.実際はシッターを雇うなどで、リフレッシュしながら
.それに両親はいないわけではないので
.親子の断絶にもならない
.
.
.Q:年齢差のあるカップルはどうなる?
.→
.
.
.●まとめ
.完全なる少子化対策のためには
.子育ては祖父母に行ってもらう
.
.
その元の増田ですが、そういう意味に受け取ったのならすまんかった。訂正する。
東電の対応VTRを見る限りでは、従来型の詰め込み教育で、とにかくテストとその回答だけを求める入試を目標に
一つのことだけを盲目的にやってしまうという 情操教育が間違っていたというのは 理由の1つというか、直せるべき項目としてはあるというのは正しいと思うな。
ようするに、圧倒的に悪いのは、本人たちではあるが、それを言ってもしょうがないので
今直せることは何か?というと、教育の見直しぐらいしか無いだろう。という感じであり、東大やその他の大学が主原因だという事じゃない。
ブコメだとネタにマジレスとか言われたり賛否があるんだけど、自分はすごく感動した。自分も「こんなこと勉強して何の役に立つの?」とか聞いちゃう子どもだったから、妙に心に刺った。
それは小学生とか中学生のころの話じゃなくて、高校生にもなってそんなことを聞いてた。個人面談で先生に聞いてた。その時の答えは、
「今はそんなことを考えて立ち止まってる場合じゃないだろ。勉強の意味なんて勉強すればわかることだ。いまはとにかく勉強しなさい」
というものだった。
で、自分はその答えに全然納得がいかなかった。わかってるなら、どういう意味があるのか言えよ!と思った。だから上のエントリが刺さった。あのとき先生がそうしてくれたらよかったのにって思った。コメントとかに勉強は役に立たつ必要はないっていう意見もあったけど、これも違うと思う。役に立つと思ってやったことの方が身につくし、楽しい。実際に、知識がお金に化ける場合もある、人を助ける場合もある。役に立たないより立つ方いいに決まってる。
上記エントリによると『大人は「知識はどんな風に生きてくるのか」ということを力説し、また「役に立つこと」を実感させてあげないといけない。』らしい。まったくもってそのとおりだ。自分は高校時代に「勉強が何の役に立つか」を本気で考えていたから、普通の人よりこの質問により多くの解答を出せる。だから、今度はこの質問に答える側になってやろうと思った。
『多くの子どもに、「将来」という言葉は刺さらない』らしいが、勉強が最も直接的に役に立つフィールドは仕事だと思う。だから、勉強が役に立つ職業の説明から入る。職業という点で考えると、教科ごとに役に立つ職業は異なる。
建築家(どのような構造が壊れにくいのか計算するのに必要)、研究者(物理、化学、工学、情報系などは直接的に使うが、その他、心理学、経済学、生物学などほぼすべての研究に統計は必要)、ゲームプログラマ(3DのCGなどは特に計算が難しい)、その他のシステムエンジニア、プログラマ(どうやったら計算量が少なくできるか考えたり、負荷を分散できるか考えたり色々)、機械の設計をする人間(船、飛行機、車、エレベーターなどなど動くものの設計には計算が欠かせない)、弁理士(特許の手続き等を行う人。こういう文章http://kantan.nexp.jp/%E7%89%B9%E8%A8%B1/a2007272629/を書いたり読んだり)。
ガソリンスタンドの店員(危険物を取り扱うため)、研究者(主に化学と生物学。医学、薬品や農薬の開発、試験、コンピュータ、発電、蓄電、建築などに応用できるような新素材の開発)、官僚(農林水産省や経済産業省など。農薬、食品添加物、産業廃棄物の基準をきめたり色々)、医者、看護師、獣医、畜産家、農家、栄養士、薬剤師、保健師、衛生管理者(食品工場など)、水道局員。警察(科学捜査系)。
海外に行く人。外国人がいる職場で働いているひと。英語の資料を読まなきゃいけない人。論文とか書く人。
翻訳家、記者、作家、漫画家、企画職、コピーライター、検事,裁判官,弁護士,政治家,官僚(法律の難解な文章を読んだり、条文を作る際により正確にものを伝える)、システムエンジニア,プログラマ(ソフトウェアの利用規約はだいたい難解、仕様を作る際もわかりやすく伝えないといけない)。
自分が思いつくもので、わかりやすく役に立つ職業はこんな感じだ。自分が理系だし、理系の方が役に立ってることが分かりやすいので理系科目に力を入れている。国語とか社会科とかは広く薄く役に立ってる気がするのでこの仕事で役に立っているというのが少しわかりづらい。
さて、この職業のリストを見て自分はこの職業につかないから関係ないやと思ってる人も多いんじゃないかと思う。しかし、実際にはこのような職業を評価する側の人間も同様の知識が必要となる。たとえば、雇用主、人事、取引先の人間。このような人は上記に挙げた職の人間を評価しなければならない。その人の態度や風貌で評価をするのはあまりよろしくない。それ相応の専門的な知識が必要だ。上記に挙げた職の人と取引のある人間というとその範囲は一気に広がる。そして、取引先には消費者も含まれる。
家電を買うにしたって食品を買うにしたって知識は必要だ。これまでマイナスイオンのような科学的に根拠のないものがブームを生んだ例もあるし、健康食品だってそういうものがあふれている。これからも第2、第3マイナスイオンが生まれるかもしれない。どういう理論で効果があると主張されているのか、実験は正しい条件で行われているのか。そういうことを判断するのには科学の知識が必要になる。
答えはNOだと思う。具体的に、勉強嫌いな高校生S君を想像してみると、すぐに反論されてしまうのが目に浮かぶ。
学力を必要とする職業は多いが、あまり必要でない職業も一定数存在する。土木作業員、コンビニ店員、居酒屋店員、服屋の店員、料理人、バス,タクシー,トラックの運転手、芸人、音楽家、デバッガー、清掃員。もちろんこれらもある程度の学力がいるが、せいぜい中卒レベルの学力があれば学校の勉強よりももっと役に立つことをするべきだというのも筋が通る。そして、それが学力が必須でない職業につくのが、学力が必須の仕事に就くのより大変かといわれるとそうとも言えない。学力が必須でない職業に就いた人は幸せになれないわけでもない。学力が必須の仕事についたからといって幸せだとは限らない。医者は多忙だし、貧困な生活を送るポスドクの研究者もいる。社長や政治家より、責任のない立場の人間のほうが気が楽かもしれない。
マイナスイオンの話にしたって、科学に詳しい友人が一人いれば済む部分が大きい。高校時代にやるべきことは勉強よりも友達作りなのかもしれない。
簡単だ。ほぼすべての仕事が仕事として成立しなくなる。ほとんどの日本人が生きていけなくなる。
そもそも、学校の勉強というのは「ある人が勉強をしたとき、その人が得をする」ようにではなく、「みんなが勉強をしたとき、みんなが得をする」ように作られているはずだ。例えば、騙されやすい人間が増えれば騙す人間も増えやすい。集団の中にいる知識を持った人間がガセや嘘がはびこるのを防いでいる。日本人全体の語彙が増えれば、説明のとき使える言葉も増える。先進的な科学技術がみんなの生活を支えている。ある人の勉強によって、周りの人が得をする例と言うのは山のようにある。
このことがいわゆる『囚人のジレンマ』の状態を作っているので、ひとりの人間を勉強させるように説得するのは難しい。自分で手間をかけて勉強するより、他の人にやってもらったほうがはるかにお得だ。
勉強が自分でやるより他人にやらせるほうが得なことを踏まえると、自分は勉強しないけど人には「勉強をしろ」と言う人間や、「理由は言えないけどとにかく勉強しろ」という人間の多さにも納得がいく。自覚のあるなしに関わらず、周りの人間が勉強しないことへの危機感をもって行動ができている。つくづく人間って賢いと思う。生命の神秘すら感じる。
自分でやるより他人にやらせるのが得なら、子どもがやるべきは「たくさん勉強する」ことよりは「周りに勉強をさせられるような人間になる」ことなんじゃないかと思う。だから、どうすれば人に勉強をさせることができるかを考えてみる。
子どもには勉強をしろと言いつつ、官僚を馬鹿にしたり、科学者に「お前の研究は役に立ってない」と言ったりする人がいる。こういうのは明らかにダメだろう。これでは子どもが「なぜ勉強をするの?」と思うのは当然だ。勉強をたくさんしてそれを生かしている人たちは褒めなきゃいけない。これこれこういうところがすばらしいということを具体的に言えれば、子どもが勉強と尊敬される人間になることを関連付けられて、勉強への意欲がわきやすい。
また、たくさん勉強をしている人間を「がり勉」などといって馬鹿にするのも良くない。これは大人より子どもがしてしまう。あまりそういう人間を馬鹿にして減らしてしまうと結局は自分が損をすることになる。
人は同調圧力に弱い。周りに勉強している人が増えれば、勉強は楽しくなるし。自分が勉強していることに対する疑問も持ちにくい。
誰かが勉強している時はその質を上げられるといい。楽しく勉強できるようにするとか、短時間でもより多くのことが身に着くように勉強法やテキストを改善してやったりするといい。どうゆう勉強が役に立つかを教えてあげるのもいいと思う。勉強は役に立つほうが面白い。
志の高い人にとって、役に立つ勉強はたくさんある。簡単ものでもプログラミングができれば、何時間もかかる作業を一瞬で終わらせられたりする。デザインについて学ぶのもいい、デザインは人に伝えるためのものなので人に物事を伝える手助けになる。こういうのhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E5%BF%83%E7%90%86%E5%AD%A6やこういうのhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A9%AD%E5%BC%81を知るのもいい。学校の授業でも英語、理系科目、地理、政治・経済などは役に立つ場面が分かりやすい。
勉強にも大学受験では評価はされないものがある。役に立つ勉強をしてきた人間をしっかり評価するということも重要だ。役に立たない勉強がもてはやされれば勉強はつまらなくなる。
給料が高い方がやる気が出るし、そうなりたい人が増える。雇用主だけが考える話じゃない。消費者がしっかり価値のある技術にお金を払うのも大切だ。消費者がキャッチコピーや広告に流されてその製品に使われている技術が見れないと、会社はキャッチコピーや広告の制作に熱心になって技術者に対する対価が増えない。お金に余裕のある人が、大学研究、素晴らしいオープンソースソフトウェアの開発、政党に寄付をするのもいいと思う、なかなかそんな人はいないかもしれないが。でも、科学雑誌なんかを読んだり最新の技術研究に注目する人が増えるだけでも、その研究が陽の目を見る可能性は増す。
それは自分が勉強をすることだ。周りに勉強している人を増やすには、自分が勉強するのが手っ取り早い。勉強している人間をほめるのも、対価を増やすのも、勉強している人を見分けられる必要がある。十分な学力がなければ、支持している人間が似非科学者であってもそれを見抜くことができない。勉強をしなければ、勉強の質を高める方法もわからない。
「勉強って何の役に立つの?」は答えるのが難しいが、「勉強を役に立てたいのですがどうすればいいですか?」という質問なら少し話が変わる。幸い、今はインターネットがあり勉強を役に立てる方法は身近になっていると思う。単純なものだと、学習サイトでも作ればいい。上でも言ったとおり職業上、勉強を必要としている人がいるし、昔習ったことを復習したいという人もいる。そういう職業になりたいという人もいる。そういう人に向けてサイトを作ればある程度需要はあると思う。 楽しいものが好きならばゲームを作ることもできる。高度なものとなると少し難しいが、ミニゲームであれば中学レベルの数学で通用する。ブロック崩しあたりだとちょうど中学の座標やグラフの交点とかの知識が役に立つ。ブロック崩しなんて作ってもぱっとしないかもしれない。それは、もうすでにあるものだからなんだと思う。重要なのはちゃんとした知識があれば、今はまだないものもできるということだ。
勉強の役にたつすばらしい場面というのは今はないものを生み出せる、新しい勉強の役立て方を見つけた時だと思う。印刷機だって、テレビだって、洗濯機だって、パソコンだって、FaceBookだって、スマートフォンだって、十分な知識があったから生まれた。それが生まれる以前は勉強がそんなことに役立つことは知られていなかった。
有名な動画Did you knowによると2010年の需要のある仕事Top10は2004にはなかった仕事らしい。
勉強がどう役に立つのかは時代ごとに変わっていくし、勉強の新しい役立て方というのは次々と見つかっている。勉強の新しい役立て方が見つかると、世の中の仕組みが爆発的に改善されることだってある。勉強にははそういう夢がある。見つけるのは多少むずかしいかもしれないが、それをできた人はたくさんいる。勉強を役に立てたいのならその方法を探してみるといいと思う。
これを読んでも勉強に乗り気にならないという人はいると思う。人にやらされる勉強っていうのはどうしてもやる気がわかない。
正直、学校の勉強の質はさほど高くないと思う。歴史はもっと現代史に力を入れるべきだろう。カエサルが死に際に「ブルータス、お前もか」と言ったなんて話は何の役にも立たない。フランス革命のころにナポレオンがどうこうしたという話ですらも大して役には立たない。南アメリカ、アフリカ、東南アジアなども含めて、ここ100年の歴史を詳細に学んだほうが役に立つ。昔の人間より今の人間の方が身近だ。より正確な記録もあるので嘘も少ない。古代の話は教訓を学ぶには記録が少なくて曖昧すぎる。また、古文は考古学者か歴史作家にでもならないと役に立たない。もっと役に立つ勉強をするべきだと思う。小説は人の気持ちを考えるのにあまり適してないと思うし、教科書に取り上げられる論説文は論理的に穴だらけの文章も多い。
それでも、詰め込み教育、ゆとり教育を経てだんだん良いものになっていると思う。テキストも改善され、勉強はより楽しくなっているようにみえる。
自分は詰め込み教育からゆとり教育への変遷は改善だったと思っている。円周率を3.14で計算することは小数の筆算の能力を高めるが、現在では紙とペンより計算機の方が身近にある。筆算よりは、およそ3として暗算で計算できる能力のほうが有用だ。総合的な学習は調べ学習や、クラス内の発表練習、英語の学習などに割り当てられた。時代の変化に学習指導要領が追いつくまでにはラグがあるが現場の人間が内容を決められる授業がそのラグをうまく埋められるようになっている。初めて、パソコンに触れたのも、検索エンジンに触れたのも(当時使ったのはgooだった、なつかしい)、htmlに触ったのも総合の時間だったと思う。この勉強は間違いなく役に立っている。そして楽しかった。
学問も進歩してるし、教育も進歩しているんだと思う。でも、まだ無駄は多い。それは、これからもっと改善されていくんだと思う。
個人的な意見だけど、学校の勉強にやる気のわかない人は別のことをやってみるのもありだと思う。いま目の前にある勉強よりもっと役に立つことがあると思うなら、それをやればいいと思う。学校の勉強よりも役に立つことを見つけたいと思ったらそれを探してみればいいと思う。自分は学校の勉強より、プログラミングの勉強してゲームとかつくってた。それは学校の勉強よりももっと役に立つことだと思ったから。そういうことを続けていたら、IT系の会社に就職することが決まった。自分で役に立つと考えてやったことを評価してくれる人はいた。
ちょっと長くなったのでまとめる。
自分が考えた勉強の意味はこんな感じだ。勉強の意味は考える人ごとに多少違うものになるんだと思う。勉強には他にもこんな意味があるんだという人がいたら、ぜひその意見も聞いてみたい。勉強の意味は多い方がいい。一人の人が勉強の意味をたくさん感じられるようになったらそれだけ勉強をする人は増えるはずだ。
しかし今では気の合う友人が出来て、それなりに楽しい学校生活を送っている。
そして時が経つにつれて、恋愛ごとに関心を持つようになっていった。
友人のうち何人かは、いつの間にかクラスメイト同士で付き合うようになっていたのだが、自分が恋愛感情をもつような人は校内にはいなかった。
そもそも自分と仲の良い異性の友人は、みんな恋愛沙汰には無関心で、まともに恋愛話をしたためしがない。
それも相まって、巷でよくある「異性の友人関係から恋愛に発展する」ということが起きない状況に陥っている。
生徒数が40人ということ、「学業に支障をきたす恐れがあるので原則としてバイトは禁止」という規則があること、
詰め込み教育的なカリキュラム内容のため日常的なサークル活動は厳しくなっていること。
その上現地での人脈が少ないため合コンといった交流も開けず、逆に周りの連中も恋愛に興味がないので合コンすら誘われない(存在しない?)という。
もちろん友人の紹介も(失礼ではあるが)期待はできない。
なぁなぁに生返事で終わってしまい、こちらの真剣度がまるで伝わっていない。
とどのつまり自分が通う医療系専門学校では恋愛のできる場、要するに出会いの場が極端に少ないのが現状である。
「何のために専門学校に入っているんだ。」
と言われるかもしれない。
しかしそれだけでいいのだろうか?
中学高校はがむしゃらに部活動に打ち込んでいたため、まともな恋愛をすることができなかった自分が
新生活をはじめて気づいた「恋愛がしたい」という当たり前の感情である。
これらを両親に伝えると、「勉強も恋愛も、自分のやりたいことを精一杯やりなさい」と心から応援してくれた。
ただそれでも恋愛がしたい。
日本人の平均IQが上がってきたならば、それは社会や学校と行った総合的な仕組みとしての詰め込み教育が練度を上げてきていることを意味する。
二十歳過ぎればただの人、という箴言通り頭の良さとはあまり関係がない。
むしろ一般に言われる“頭の良さ”は記憶力に結びつきやすいし日本の学力テストもそこに主眼が置かれるが、そんなものは実際に社会に出れば外部記録の検索で事足りる。
一応IQテストは論理構成力を診ているけれど、所詮は子供向けだから優れていることを診ている訳ではない。
今後日本に必要なのは記憶力ではなく、論理を組み合わせ柔軟性を持った結論に至る論理的な考察力と構築力だろう。千葉大の藤川教授( @daisukef )が推奨するdebate訓練あたりは正にこれに該当するんだけど・・・小中学生から始めないとなかなか身に付かないんじゃないかな(苦笑。
和を以て尊しとする精神は繰り返しゲームが大前提となる小さな市場では最も効率的ではある。しかし自動的に世界が舞台となる今日では非効率極まりない仕組みでもある。小中学校のレベルから「足して二で割る」日本式のやり方を変えていかないと、このまま日本経済はひたすら落ち込んでいくのだろう。