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2011-12-23

てるあきIT系専門に行って感じたこと

初めに

私はIT系専門学校に通っている。わかりやすく言うとプログラマ養成校だ。これからそういう学校に行こうと思ってる奴、考えている奴らに、長所短所シェアしようと思う。

まり

私の学校の授業の内容は基本情報C言語がメイン。

・良いところ

基本情報がとれること。あえてあげるならこれであろう。今のシステム開発業界リーマンショック以来の冷え込みがつづいている。昔ならプログラム経験でもホイホイやとってくれたものが、今ではベテランでもどんどん切られる。そういう時代である。私も面接時に基本情報をもっていることが評価された。大学などでは基本的に資格取得のための授業をしてくれない。そのため独学でやる必要がある。もちろん独学で取れない資格ではないし、独学がのぞましい。しかしこれは全ての情報系検定の基礎になるものである。できるならば誰かに教えてもらうのが好ましいと思う。私は今はプロジェクトマネージャ試験という、試験勉強をしている。これは情報国家試験の中で”Level4”に区分される高度試験である。(ちなみに基本情報はLevel2)実はこのプロマネ試験、基本を取っていれば以外と独学でいけるのだ。これは他のLevel4試験にも言えることだと思う。基本的な知識は基本情報勉強し、高度試験ではそれの読解、論述が出題されるイメージだ。高度試験取得のためにも基本情報はしっかりと教師に教わったほうがよいと私は考える。

・悪いところ

企業から専門学校の評価が低い。これにつきる。正直そのへんの大学よりは授業内容も深く、仕事に活かしやすい。しかし、最低学歴として大卒を設定している企業が非常に多い。とくに中堅・大手にはその色が強い。そのため、それまでITとは無縁だった文系大学生にも追い抜かれてしまうのだ。ただこれについては本人のやる気しだいだといえる。yahooドワンゴなどの一部の企業は専門からでも採用している。そういった大手を狙うならば、入学したその日からそれに向けて努力すべきである情報知識などは正直ほどほど。求められるのは圧倒的自主性とコミュ力。例えば自分サーバつくっちゃったよ~とか、クラスメイト巻き込んでサイトたちあげたったなど、クリエイティブな活動が評価される。

最後

結論から言うと、純粋プログラマを目指したいならこれほどよい教育環境はないだろう。短期間で資格習得することができ、実務に近い授業を受けられる。しか大企業などを目指したいなら専門学校に来るべきではない。3流でも4流でもいいか大学に行くべきである。そして目標曖昧な奴な絶対に来ないほうがいい。そのへんの専門とは違い、ほとんどの授業が座学である。それに耐え切れずに挫折したクラスメイト普通にいる。適当に遊びたいならファッション系か3流大学にいくべきだ。この記事が、未来ある若者のためにならんことを

2011-12-22

自炊問題ひとつ見てもなぜ日本にはジョブズが生まれないのかわかるな

http://blog.livedoor.jp/tabbata/archives/51228444.html

ダメなのは作家出版社「ではない」と思う。

特にある程度ベテラン作家出版社の多くが保守的なのはアメリカでも日本でも変わらないと思う。

古い人の考えをいくらgdgdと批判しても、そこはどこの国でもたいして変わらんのだと思うよ?

問題はどちらかというと、新しい人の側にあるのだと思う。新しい人が、つまんねー。




日本だと、「作家出版者を叩く人」には人気が集まっても、じゃあということで自炊代行を始めたり、独自のサービスを始めた人を応援したりはしない。

この田端さんという人も、これだけ作家の批判はするのだから自炊代行について何らかの援助になるかというと

そういう「責任」が生じそうなことは念入りに避けているのがわかる。 

本当にただ皮肉を言ってるだけだ。 

なにか提言をしているようにも見えるが、それも「自分以外の誰かが、そいつらの責任でやれよ」と言ってるだけ。

このあたり、どんな的はずれなことでもきちんと自分言葉として発言し、

他人の批判も自画自賛や自分の行動のエネルギーに変えてしまうというハックルさんに慣れているはてなーとしては「つまらねー」としか言いようがない。





誰もが、「電子書籍の流れは止められない」「それに逆らうのは悪だ」というなんとなくの流れは読んで、遅れてるやつをバカにはするもの

じゃあその流れをつかんで自分は何をするか、っていったら何もしない。

むしろ、新しいことが始まらないのは古いやつがわるい、と古いやつの方ばっかり見てる。

古いやつを叩いたら、新しい何かを始めるための埋蔵金が手に入って何もかもうまく行くってな考え方が許されるのは、民主党支持者か記者クラブアンチ銀英伝世代までだよねー。

これからは奪い合いじゃない、シェア時代だ、とかソーシャル時代だ、とか言ってる人がなんとも身近な話題では

古いやつとか弱者からむしりとることばっかり考えてて、新しい何かを産み出そうみたいな感じに見えないのがすごく気持ち悪い。

特に記者クラブアンチの人は、まず最低限の職業倫理を規定して、そのマナーを守るまでは、絶対信用してはいけないゲス野郎だと思うわけですよね。





結論。

煽るのが得意な人は多い。特に仮想敵を立てて、スマート論理自分正義に見せるような政治好きな人は。それに無邪気に付き従う人も。

でも実行する人は少ない。 イケてるアイデアを思いついたら、不恰好でもいいか自分でやろうという人は。それを支えようとする人も。

結果として、とりあえずそれほどイケてないアイデアでも、実行したやつがベストセラーになったり、上場会社作ったりするらしい。

むしろ今の日本は、実行する人にはチャンスかも知れないねー。叩かれまくるだろうけど。



紙の本に未来がないことと、電子書籍に良い未来があるかは別

いくら詭弁作家を叩いてもあんたらの見たい電子何とかは出ないよ。無いか自炊するんだと開き直るなら自分たちで出版社に掛け合え。そこまで作家に求めてどうするよ

作家を叩いて自己満足に浸っても非生産的

電子書籍が普及しない責任作家に押しつけてるようで違和感

紙の本に愛着がある人も多いのではないかな。頭のいい人には「ただの物理的な紙の束」に見えてもね

この人は活版印刷技術を貶めたいだけなのか?常に電源を気にする必要がある電子書籍にそれほどadvantageがあるとも思えないんだけど

コンテンツ業界立場から見るとiTunesってコンテンツデジタル化したら既存流通は壊滅し、パブリッシャーは儲けが減るという失敗例だよね。そこを変えないと既存権利者が変わろうとしない

彼らが今最高に「ダサいことを言ってる」という点については激しく同意なんだけど、電子書籍に直結できるか…とか、村上龍がまとも…とかについては無邪気すぎる

批判するだけだと、批判しながらも「その人が何とかしてくれるのを期待している」状態になる。

責任自分たちじゃなくて、自分無能だと罵っている作家に委ねてることになる。つまり、その人の力けが強くなるってことになる。

結局のところ、いくら文句いっても、自分たちで何かアクションしなけりゃ、何も始まらない。むしろ文句いえば言うだけ相手が偉くなる。

このことを忘れてる人が何を言っても、アメリカの後追いしかできないということになる。






ここで終わり。自分で言うのも何だけど、なかなかゲスな記事がかけた。人のダメな点を見つけて、ぜんぜん違う話と結びつけてねちねちといびる。いいなこれ、楽しいな。実に増田的だ。





増田というのは基本クズだ。クズ自分意見は何も言わない。意見とは自分責任で何か言葉を発することだけれど私は徹底的に無責任なことしか言わない。

無責任に他人を批判して、「ああ増田はやっぱり口だけのゲスだな」と蔑まれるのが増田の義務。それ以上を望むならブログを持つべき。私はそれができないからずっと増田でやってる。

しか増田をずっとやってるから田端さんの記事の無責任っぽさがよくわかる。田端さんの記事も「増田でやれ」と言いたい。

まぁ無責任と思われるような記事をあえて実名で書く感覚は理解出来ないけど。仕事差し支えないのかな。実名匿名ってよく論争になるけど、無責任な批判だけなら匿名で十分だろうに。 

実名で何かモノを言うなら、自分責任で何か書くのは当然でしょう? 

田端さん、古い作家さまをそこまで批判するなら、「こうしないのはバカとかダサイ」とまで実名をもって語りたいなら、ご自身で何かされたらいかがですか?

村上龍電子書籍、正直、あんまり成功してないと思うんですが、そノ取り組みが素晴らしいと思うなら、何か推進のために活動されたらいかが?

2011-12-16

http://anond.hatelabo.jp/20111216010739

海外資本の参入はあんまり期待できないと思う。

診療報酬制度出来高から包括に変更したくらいの時点はある意味チャンスだったはずだけど参入なかったし。

正直日本医療に入ってきたってうまみ無いでしょ。障壁は無駄にすごい高いし。

寒村とか言葉の通じる日本人ベテランドクターが逃げ出すんだぜ。

2011-12-07

http://anond.hatelabo.jp/20111207202531

朝の山手線では毎日といっていいほどオッサン同士の言い争いが起きている。

複数の会社の線を乗り換えながら通勤してるとわかるんだけど

山手線(つーかJR?)はすぐ遅らせたり止めたりするし駅員の態度も悪いよ。

他と比べて明らかに。




ホームのアナウンスだって何故かいつもキレ気味の上から姿勢だし嘘アナウンスばっかりするし。

(たとえば山手線で「まもなく次の電車も参ります」って言うときは嘘で、

 むしろ次の電車は遅れてるから素直に信用なんかすると痛い目を見る。

 ベテラン通勤客はみんな知ってるから少年状態でアナウンス誘導は無効になってる。)

駅構内のスペースも利用人数に比して異常に狭かったり動線が見事にクロスしてたり

突っ込みどころが満載。




まあ話がそれて悪いけど。

山手線JRは他の会社と比べても色々よくない。

2011-11-10

[] 本来の「もしドラ」はこういう小説だったんじゃないか

長くなったので、先に結論だけ書いておきます

もしドラには2つテーマ性を感じた。(作者的にはもっとあるのだろうけれど力を感じたのはこの2つだけ)

 ・人間出会いや出発点を描く、という意味では素晴らしい作品だと思う。

 ・社会からズレてしまっているor適応する振りをして生きている人の生きづらさとその解放を描く、という意味では中途半端もったいない

全体としては今ひとつだけれど、ものすごく光る要素を感じる作品だったと思う。



というわけで、「小説の読み方の教科書」の次に「もしドラ」の感想を書こうかと思ったけど、

この不思議な「小説」については、単体で語りにくいので、「少女不十分」という「小説」を補助線として使わせてもらいたいと思う。

ちなみに、西尾維新の作品を読んでない人にはわけわからんですがご了承ください。





ものすごく読みたくなる西尾維新少女不十分」感想文 http://zeark969.blog38.fc2.com/?no=2968

私はこの感想読んで、少女不十分よりもむしろむしろ「もしドラ」を読み返したくなった。

(というか少女不十分の内容としては不適切だと思っている。少女不十分は「難民探偵(白)」のようなものなので、こっちも読んで見るよろし)

はてなベテラン小説家としては新人として「少女不十分」を書いた結果がもしドラなんじゃなかろうか、と。

 

僕は本作以外に西尾作品を知らないが、西尾維新の作品がいくつも映像化されていることくらいは知っている。

まり、できるのだ。

西尾維新だってシンプルな文章と無理のない展開でベストセラーとなり、映画化されるレベルものを仕上げるのは容易なはずなのだ。

ではなぜそうしなかったのか?

それはこの作品が小説家を目指していたかつての西尾維新の半自伝的内容であることを思えばすぐに答えは出てくる。

しかしたら今よりも小説に対して真摯だったかもしれない時代の話。

西尾維新はこの作品を絶対的に小説としてだけ存在させたかったに違いない。

間違ってもいつものように高く評価され、メディアミックスされないために、あえて未熟な箇所を多く設置したのだ。

少女不十分が新人の作品だとしたら、おそらく三ページも読まれない内に棚に戻されてしまうだろう。

西尾維新という安心ブランドがあるから、読者は多少の違和感は覚えつつも読み進めてくれるのだ。

そして気づく。

普通に書けば一行で済む文章に、比喩暗喩、掛詞、反語、反復、倒置法、隙あらば韻を踏もうとするなど

数々の言葉遊びを仕掛け、自分小説を支えてくれたファンに精一杯「活字」で恩返しをしてくれていることに。

そこに筋の通ったストーリーなど必要ないことに。

これこそ本作が絶対的に小説でなければならない理由だ。

10年かけて築いた信頼関係がここにある。

僕は本作以外に岩崎作品を知らないが、岩崎夏海の作品がいくつも映像化されていることくらいは知っている。

まり、できるのだ。

岩崎夏海だってシンプルな文章と無理のない展開でベストセラーとなり、映画化されるレベルものを仕上げるのは容易なはずなのだ。

ではなぜそうしなかったのか?

それはこの作品が小説家を目指していたかつての岩崎夏海の半自伝的内容であることを思えばすぐに答えは出てくる。

しかしたら今よりも小説に対して真摯だったかもしれない時代の話。

岩崎夏海はこの作品を絶対的に小説としてだけ存在させたかったに違いない。

間違ってもいつものように高く評価され、メディアミックスされないために、あえて未熟な箇所を多く設置したのだ



もしドラ新人の作品だとしたら、おそらく三ページも読まれない内に棚に戻されてしまうだろう。

ハックルという安心ブランドがあるから、読者は多少の違和感は覚えつつも読み進めてくれるのだ。そして気づく。

普通に書けば一行で済む文章に、比喩暗喩、掛詞、反語、反復、倒置法、隙あらば韻を踏もうとするなど数々の言葉遊びを仕掛け、

自分自尊心を支えてくれたはてな村住民に精一杯「活字」で恩返しをしてくれていることに。

そこに筋の通ったストーリーなど必要ないことに。これこそ本作が絶対的に小説でなければならない理由だ。

10年かけて築いた信頼関係がここにある。

本来はこういう小説だったんじゃないかと思う。





少女不十分に対する批判と、もしドラに対する批判って、文章力「以外」ではほとんど同じだと思う。

ご都合主義だとか、作者の自慢だとか、作者のこと自体が気に入らないとか、これが本当だったら俺の人生は何なんだ、とか色々。

テーマも似てると思う。 

少女不十分の少女みなみであるし、少女不十分の主人公は岩崎夏海であり、

あるいは、少女不十分の少女岩崎夏海であり、少女不十分の主人公はドラッカーである

(この「混在」のせいで、読者からすると「ドラッカー」の価値がわかりにくいを通り越してドラッカーなめてるような小説に見えるのはご愛嬌。)



そういえば、岩崎夏海がめずらしく西尾維新化物語をほめていたのが結構印象的だった。

http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20111006/1317885951

しかし読めばわかるが、彼はその褒め方について化物語面白さを全然語れていないと思う。的外れもいいところだと思う。

多分、それはもっと本質的な部分で感動させられたのだろうけれど、猫物語(白)の羽川翼のように、

化物語自分本質を付いているということを、それにゆさぶられることによって見えた自分の核の部分を見つめることを避けたのかも知れない。

彼はジョブズについても的はずれな分析とか論評を書いているが、

意外とブログに書いているとぜんぜん違う部分で本当にジョブズに救われたような部分があるのではないか

彼が的はずれなことを書いている記事ほど、彼がその対象に本当に揺さぶられてるんじゃないかとおもう。

この人は結構こういう「出会い」の体験を何度もしている人なんじゃないだろうか。

ぎりぎりの所でなにかと出会って救われたり、出会い自分を飛躍的に変化させる、ということを、体験から理屈を越えたレベルで信じているのだと思う。

(この部分に思いを馳せないと、この作品には、つながりとして「?」を感じてしまうことになると思う。)

ブログを読んでいても、この人は「真の教師」を求め、自分も誰かにとってのそれでありたいんだろうな、という点はよく伝わる。

もしドラ成功後は、デュルケムの言うところのアノミー自殺に対抗するためだろうかその傾向を加速している印象だ。(あまりにも空回りしている印象があるが)





もしドラ」も、正直ドラッカーについてすべてを理解できているようには感じなかった。

ただ、その必要はないんだ、と思う。それは学者仕事で会って読者の仕事ではない。

むしろ化物語ヒロイン阿良々木暦出会うことで、生まれ変わりを果たすように、

みなみドラッカーコミットしていく過程自分をみつめ、劇的に変化する。その部分が大事なんだと思う。

経営学者としてでもなく、社会生態学者としてでもなく、一人の人物としてドラッカー出会い

そこから何でもいいか自分物語に必要な何かを学び取り、自分自分で救い、クソッタレ世界の中で生きていく。

そういう「一人の人間の、出発までの話」を書こうとした部分はすごいと思う。

私はそういう意味で、この本は「ドラッカー入門書」という言葉は正しいと思う。まぁドラッカーに限らずの「出会い入門書」と言いたい。

先に感想を書いた「小説の読み方の教科書」は少し茶化したような書き方をしたけれど、もしドラは本当に「小説との出会い方の教科書」と読んでもいいと思う。

(もちろんもしドラは「出会い方」しか教えてくれないので、その後の「斬り結ぶ」方法や「深める」方法などは別の書物を参考にするべきだが)




「成長ではなくて出会いを描く物語」「劇的な結末ではなくて出発点を描く物語」「恋愛や友情以外でも人を変える出会いはある点を語った話」という点に絞ってみれば、この作品はかなり素晴らしい作品だと思う。(逆に前者側の評価指標で見るとすごい低評価になる)

作者がもしドラ成功した後すぐ別のところに興味が移ってしまうあたりを見ると(的はずれなことも多いけれど)

おそらくこの人はそういう「出会い」や「出発」を求めてやまないタイプなのではないかと思う。

正直アニメでもなんでも、ありきたりな結末には飽き飽きしているので、むしろこういう「強烈な出会い」や「強い動機の出発点」を描ける点を大事にしてほしいなと思う。

時代的にも、大人が語る将来や成功といったものにはネガティブイメージがつきまとう。

大事なのは、そういうつまらないゴールを目指してごちゃごちゃやる話とか、決断主義もののような、義務感で戦うみたいな話じゃないと思う。

ゴールはよく分からなくても、スタートせずにはいられないような強烈な出会いを描くことなんじゃないかと思う。

大人が読んだら無責任で、危険な話かもしれなくても、まずワクワクさせられるスタートをこそ、読みたいと思う。





ここから蛇足。それにしても・・・

ここまでわかってた上で、要するに結末部分はおまけだ、というのはわかっていても、まぁラストはひどい。笑えない。

あれは物語カスにする要素であったと思う。蛇足どころの話ではない。この結びによって、この話そのもの茶番になっている。あまりにも若者馬鹿にしている。

出版社ダイヤモンド社でなければこの部分は書かなかったのではないかと今でも信じたい。

もちろん、作家としては新人の彼が、出版社の意向を無視して好きな様に書けるわけではなかっただろう点は承知している。

から、この作品については特に序盤については高く評価しつつも、次回作以降の期待を込めて全体としては低い評価を付けたいと思う。

そういうわけで、私は序盤と中盤以降で、別の作品とまでは言わないが、作者の本質は序盤にあると思っているため、

作者がその「結末」を持って、「序盤」部分の書店員の行動を正当化したあれは、全く理解できなかった。  http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20110812/1313128129

作者自身が、序盤と結末をつないでしまうこの感覺が私には今でも理解出来ない。どういうつもりなんだろうか・・・




結論 うまくここに接続出来なかったのでやや唐突ですがご了承ください

良くも悪くも40歳のこれはオッサンでないと書けない、40歳のオッサンの感性で書かれた話だと思う

この作品を理解する上でドラッカーの知識は全く必要ないが、ある程度の人生経験というか前提を共有できることは必須だと思われる

少女不十分」が、西尾作品を読んだ人でないとほんとうの意味で感動出来ないように

(彼の10年の積み重ねや作品傾向を知らないと、作品の芯の部分に心から共感できず、ただのお話に読めてしまうのと同様に)

もしドラ」という作品がほんとうの意味でわかるのは、ビジネスの良いも悪いも知った40過ぎのオッサンではないか

はいま21歳だけれど、この小説を今の時点で本当にわかったとは言い切れないので、コレ以上はなんとも言えない。





次はfateかPersona4の話をしたいと思いますzeroじゃなくてstay/nightの話ね。

本当はもしドラのもう一つのテーマであろう「生き辛さ」について書きたかったのだけれど、

正直もしドラはコレについて十分に描き切れた作品だとは到底言いがたいので、それはPersona4fate stay/nightにまかせる。

2011-11-05

[][] ウィキペディア日本語版観察記 31

ウィキペディア日本語版では、ユーザー世代交代が進みつつあるという感じがある。

特に今年4月くらいから、それを象徴するような出来事がいくつかあった。



まず一つ目は、管理者二人がアカウント不正に共有しているのではないか、という疑惑に端を発する、管理者辞任の騒動。

詳細は「Wikipedia:コメント依頼/婚姻・それに準じる場合のCU権限について」あたりから


多重アカウントの方針の改訂

そもそものまりは、荒らし目的の多重アカウントに対抗するためにルールが厳格化されたことだった。

多重アカウントによる荒らしというのは、典型的には、

荒らしが何かやらかす→それを見つけた管理者が荒らし投稿禁止にする→荒らしが新しいアカウントを作ってまた同じことをする」とか、

荒らしが複数のアカウントを使ってあたかも別人のように議論に参加し、特定の意見を多数派に見せかける」とかがそれにあたる。

古いルールでは、「悪いことをしないなら、非公開の多重アカウントを持っていてもいい」となっていた。

要するに、普段は歴史系のお堅い記事ばかり書いてる人が、

アニメの記事を書くときは恥ずかしいから別アカウントにしたい、というようなことが許容されていた。

新しいルールでは、非公開にしてはいけない(つまり同一人物だと明記しないといけない)、ということになった。

それだけではなく、同一人物でなくても同一世帯に住んでいてIPアドレスが同じであるなら、

事実上見分けがつかないので、その場合も「同一世帯にいるよ」と言っておかないといけないことになった。


管理者がルール抵触する

二人の管理者はこの新しいルール抵触していた。

といっても、抵触しようが普通は分からないはずだった。

ウィキペディアでは、アカウント持ちユーザー接続IPアドレスは、

ごく限定された管理者数名(チェックユーザー権限が必要)にしか見られない秘密情報だし、

よほど露骨に互いを持ち上げ合ったりしていなければ、疑いをかけられることもない。



ことが公になり始めたのは、本人たちが同居を臭わせる発言をしたところからだった。

片割れが、エイプリルフール冗談の一環として、相手の人と「新婚旅行のため」ウィキペディア休みます、という発言をした。

これと前後して、チェックユーザー権限持ちの管理者がIPアドレスをチェックし、

接続元を共有しているにもかかわらずそのことを明言していない」という点でルール違反の状態にあることを公表した。



明言していないのが問題なら明言すればいいんじゃないの、となるだろうけれど、

なかなかそうは行かなかった。

まず、同居というのは(少なくともこの二人にとっては)けっこうプライベート情報で、積極的に公開したいものじゃない。

おそらくそれに加えて始まりがうっかりした失言だったこともあって、本人たちは対応を1ヶ月近く渋った。



他のユーザーからは、問題の二人自身がチェックユーザー権限持ち、ということが深刻に受け止められた。

非公開のIPアドレスの記録からIPアドレスの一致を確認して、多重アカウントを摘発する立場である人たち自身が、

形式的には、多重アカウント荒らしと同じことをしていて、

しかもそれを指摘されてから長い間、何も対応しようとしないのは明らかにまずい、と考える人が多く出た。



一方で、「特に悪いことはしてないし、ルール精神に照らし合わせれば問題はない」という意見もあった。

二人は古くから別々にウィキペディアで活動していて、

オフラインで会っているユーザーも何人かいるし、

「同一人物なのに複数の人物を装って議論に参加していた」わけがない。

あくまで形式的には抵触するというだけのことだから、目くじらを立てることはないという意見

特にベテランで、当人たちと親しくしていると見受けられる人からは同情論が目立った。



その後の顛末は「Wikipedia:コメント依頼/婚姻・それに準じる場合のCU権限についてからたどれるけれど、

結果としては本人たちが管理者やチェックユーザーの権限をすべて返上することで収束した。


考察

状況説明が長くなったけれど、この一件から読み取れると思うのは、

ウィキペディアユーザーの世代による考え方の差のようなもの

古いユーザーには、

ルールではなくルール精神重要

実質的に問題でないのなら神経質にルール違反をとがめる必要はない」

という傾向が強い。

新しいユーザーは、

ルールは守るために作ってるのだから、形式的に守って当たり前」

チェックユーザー管理者ならなおさら厳密に守らないと、示しがつかずルール形骸化してしまう」

と考える傾向が強い。



ウィキペディアの古い時代には、そもそも活発なユーザーは互いの活動を知っていて、

誰が信用できる人なのかは分かっていた。

からルールはそもそも少なかったし、形式的なことで細かくとがめる人もあまりいなかった。

最近ではそれが、個人個人の信頼と裁量に任せたやり方を、形式化されたルールで置き換えていこうという風になっている。

というのも、信頼ベースでやっていると、それ自体が新しい人に対する参加障壁になってしまからだ。

新しくウィキペディアに来た人から見ると、誰が常連で信頼されているのかというのはすぐには分からない。

そこで「この人は常連さんだから、例外的に大目に見られてるんですよ」などと言われても困惑するだろう。

「昔は活動的で信頼されていたけれど長い間休んでいる」というような人の扱いにもややこしくなりがち。

久しぶりに戻ってきて昔の感覚で自由にやると今はルール違反、みたいなこともよく起こる。



今回の場合、二人が古い意識でいて、ことを大きくせずに終わらせたいと考えていたところ、

他のユーザーあいだには厳格派が思いのほか多かったために、

本人たちにとって不本意な結果に終わってしまった、というように見える。



形式化されたルールを重視する人が多数派になっている、という意味で、

この出来事はユーザー世代交代を象徴する出来事だったように思う。



もう一つは「秀逸な記事」からいくつかの記事が除去されたという話、だったんだけど、

1件めですでに長くなったので、こちらはまたあとで書く

2011-11-04

ネットの鱶の生態を知れ

最近のカツマさんもそうだが

「余裕を示す仕草から自分を叩く人間”を分析して見せる」の所作というのは

いっきり傷ついてて平静でない人が苦しみながらとる行動として

大変によくあるパターン




人を叩いたり煽ったりする人間というのは

叩きや煽りベテランであることも多いので

そういう「叩きが効いているけど強がってる人の所作」については

熟知してるし簡単に見抜く




あなたやカツマさんの行動と言うのは

水に浸かった負傷者が傷口押さえつつ大きな音を立てて

水中の鱶(フカ)が寄ってこないように威嚇してるようなもの

実際には音を立てるほどかえって鱶が寄ってくるし、出血匂いは完全にばれてる




あなた達がやるべきことは

傷口を隠して平気な振りをすることでも

大きな音を立てて鱶を追い払おうとすることでもなく

まずなるべく静かに水から這い出ることだ



http://anond.hatelabo.jp/20111104152035

2011-10-28

二種類ある

要件定義からスタートし、顧客の気まぐれに振り回され、ベテラン新人もまとめてヒーコラいいながら作ったものが一つ。

もう一つは、その分野の技術に普段から趣味レベルで慣れ親しみ、まるで呼吸をするかのように自在に操れる人が、「これ便利じゃね?」とある日ふと思いついて趣味がてら作ったもの

前者でしか仕事をした事がない会社経営者に限って、後者のような経緯で生まれたものが自社で作れない理由を真剣に悩む。いやそれ無理だから逆立ちしても不可能だから。それは無理と割り切って、今ある仕事に専念しましょうよ。

2011-10-26

http://anond.hatelabo.jp/20111026152437

教員仕事量の内、授業・部活関係は学校によって大きく変わるところだと思います

 

例えば都内でも、一学年一クラスしかないような高校があります

そういう所では、全学年を一人の教師が教えます。毎回違う授業ですね。

 

また、10クラスあるような学校では、一人の先生が一つの学年の一つの授業しか見ない、などということもあります

こちらだと、1クラス週2回授業があっても、同じ授業を10回×2で済みますね。

 

私の例で言うと、1学年6クラス前後ありますが、学校が習熟度別の展開授業を行っていることと、理系文系でやっている内容が違うこと、さらには生徒の学力差が激しいこともあり、同じ内容の授業は少ないです

更に、ベテラン教員の中には、「このクラス教えたくない」みたいなわがままを言う先生も(極希にだと思いますが)いるので、私の場合、全4種類の授業を持っています

その内、同じ内容をやっているのは、3クラスと2クラスですね。

 担当クラス週の回数
授業A
授業B
授業C
授業D

で、週16コマです

実際に用意するのは、2コマ分+2コマ分+3コマ分+3コマ分で、10コマですね。


中学場合、習熟度別展開をしているのは希です

高校では、やはりどうしても大学受験が絡んできますから

ちなみに、定期テストの内容もクラスによって違う場合もあります

2011-10-15

http://anond.hatelabo.jp/20111015101759

軍隊だと士官学校出たての少尉ベテラン下士官が部下目線ガンガン指導入れまくって

「指揮するものの考え方や適性」を指導するって聞くな。

上司としての能力を鍛えるその上司だけでなく、上司を育てる部下ってのも組織的に育成できればいいんだが。

2011-10-07

http://anond.hatelabo.jp/20111007102043

ちょっとベテランが多い(=アイドルに向かない)だけで、映画吹き替えやってる声優でも普通にオタク向けアニメに出演してる。

2011-10-03

http://anond.hatelabo.jp/20111003203440

世の男が口にする、彼女に作ってほしい料理とは

彼女料理の腕を試すような意地の悪いものではなく

料理プロでもなければベテラン主婦でもない、料理経験の浅そうな彼女が作ってくれても

笑顔で「美味しいよ」と言いながら完食できるような料理のことではないか

それに料理の得意な彼女なら、リクエストされたメイン料理以外にも、メインと相性の良さそうな副菜一品か二品、適当に見つくろって作るものですよ。

から隅まで一々リクエストするのは野暮ですよ。

料理の腕前を披露するための料理は、あなた彼女に作ってあげれば良いでしょう。

2011-09-26

ほらぁwww

http://anond.hatelabo.jp/20110926141913


ほらきたwww   http://anond.hatelabo.jp/20110922151700 と同じ



行かせてもらってませんから保健所精神衛生相談にも行きました。案内するだけで紹介はしてくれません。自分でそういう病院電話しても、CWから話してと言われますが、CW病院関係の事は精神科関係だけでなく、何も知らないそうですネット新米CWが書いた質問サイトへの投稿には、ベテランCWCWは紹介できる病院の2、3知ってないといけないとか書いてるのに。




公務員の「できない」は「やらなくても、咎め立てされない」ですから、覚えておくといいですよ、みなさんも。生活保護じゃなくても公務員と関わる機会はあるでしょうから

2011-09-18

ソーシャルゲーム予算規模を軽くまとめるので開発を依頼するつもり

2012年1月書き直し。文章が長いという意見が多く見られたので箇条書きでまとめ直した)

規模別まとめ



  • 中規模
    • 初期開発費:300万円~1000万円
    • スタッフ人数:2人~5人(外注グラフィッカー含む)
    • 開発期間:1ヶ月~2ヶ月
    • 運営費:月50万円~100万円(人件費
    • サーバー代:月3万円~100万円
    • 宣伝費:月10万円~100万円
    • 売上:月5万~5000万円
    • 概要:少しは真面目に作ったパターンほとんど失敗するが稀にヒット作が飛び出すこともあります


  • 大規模
    • 初期開発費:1000万円~4000万円
    • スタッフ人数:4人~9人(外注グラフィッカー含む)
    • 開発期間:3ヶ月~4ヶ月
    • 運営費:月100万円~300万円(人件費
    • サーバー代:月20万円~300万円
    • 宣伝費:月100万円~1000万円
    • 売上:月5万~3億円
    • 概要:ヒットを狙うならここがスタートライン









雑記















2011-09-11

http://anond.hatelabo.jp/20110911123230

実際とっくに終わってるんだよ。

希望退職者を大量に募集した次の株主総会で「コスト大幅削減に成功しました(ドヤッ」って社長が言ってのけるくらいだもん。

他にも、ベテランを全部クビにして新人に置き換えればOKとかTwitterで自慢げに語り出しちゃうし。

2011-08-18

プログラム好きな人こそIT企業に向いている

http://anond.hatelabo.jp/20110817212958

老舗やベテランが古いやり方を続けるのはあたりまえだし、

プログラム作る以外の仕事が多い会社もあるだろう。


しかしどんな会社でどんな仕事内容かなんて会社ごとに違う。


プログラマとして使える人材プログラムに向いている性質をもった人だ。

自分の体験だけで全体を決めつけてしまうような人間プログラマには向かない。


プログラマの素質がある人が活躍できるのはやはりIT企業プログラマをすることだ

2011-08-16

http://anond.hatelabo.jp/20110816044728

サンデーマガジンの方でもベテランブームが来てるとかって台詞がなかったっけ?

2011-08-15

http://anond.hatelabo.jp/20110813021554

ネガティブな発言は人を不幸の方向に導く。

導くためにしてます

ベテランネクラになると自分ネガティブな気持ちに落としこむことです快感になったりする。

よくご存じで。けっこう快感なんすよ。

ネクラな人たちはなんでネガティブな発言がやめられないのかということ。

それが楽しいからです

ネクラな人たちにとってこの世界は、悲しみとか怒りとか醜さとか無意味とか悪に溢れているように見える。

実際悪で溢れてるんだからしょうがない。そのために壁を築く。

しかし、もっと冷静になって考えるとそれは世界の一側面でしかないことに気付く。

ネクラな人たちが見る世界と同じくらい、そこには楽しみとか喜びとか美くしさとか価値とか善がある。

世界は人が思っている以上に多様なのである

そういう世界もあるんでしょうね。私には不可視ですけど。

ちょっと笑える話を聞いたり、

お酒を飲んだり、

気の置けない友だちと話したり、

引越ししたり、

仕事をやめたりするだけで、なんかちょっと楽しくなる。

酒を(一人で)飲む以外はできないから楽しくなれませんね。

世界のことをよく知っている人がいるならば、この世界はどうしようもないと思っている人に向かって

「そんなことないよー、意外とこんな楽しいとあるよー」

と教えてあげることである

これがやはり根本的な解決となる。

から楽しいことはあっても不可視だし手が届かないんですって。

そりゃあ世の中には泡銭をつかむ奴もいれば女を食い散らかす奴もいるし、他人に迷惑を掛けても気にせず自分のしたいことをする奴もいるだろう。だがそれを教えてもらったところで、その楽しいことを独占している連中に対して憎しみが増すだけで逆効果ですらある。

幸せになりたい人なんてのはほとんどいなくて、みんな自分幸せになりたくて必死だというのが現状だ。

だって幸せになりたい。

根本的にこれが間違ってると思うよ。世の中には私のように無意識に不幸せな方を選ぶ人間というのも一定存在するから。理解できないだろうけど。

http://anond.hatelabo.jp/20110813021554

ネガティブな発言は人を不幸の方向に導く。

導くためにしてます

ベテランネクラになると自分ネガティブな気持ちに落としこむことです快感になったりする。

よくご存じで。けっこう快感なんすよ。

ネクラな人たちはなんでネガティブな発言がやめられないのかということ。

それが楽しいからです

ネクラな人たちにとってこの世界は、悲しみとか怒りとか醜さとか無意味とか悪に溢れているように見える。

実際悪で溢れてるんだからしょうがない。そのために壁を築く。

しかし、もっと冷静になって考えるとそれは世界の一側面でしかないことに気付く。

ネクラな人たちが見る世界と同じくらい、そこには楽しみとか喜びとか美くしさとか価値とか善がある。

世界は人が思っている以上に多様なのである

そういう世界もあるんでしょうね。私には不可視ですけど。

ちょっと笑える話を聞いたり、

お酒を飲んだり、

気の置けない友だちと話したり、

引越ししたり、

仕事をやめたりするだけで、なんかちょっと楽しくなる。

酒を(一人で)飲む以外はできないから楽しくなれませんね。

世界のことをよく知っている人がいるならば、この世界はどうしようもないと思っている人に向かって

「そんなことないよー、意外とこんな楽しいとあるよー」

と教えてあげることである

これがやはり根本的な解決となる。

から楽しいことはあっても不可視だし手が届かないんですって。

そりゃあ世の中には泡銭をつかむ奴もいれば女を食い散らかす奴もいるし、他人に迷惑を掛けても気にせず自分のしたいことをする奴もいるだろう。だがそれを教えてもらったところで、その楽しいことを独占している連中に対して憎しみが増すだけで逆効果ですらある。

幸せになりたい人なんてのはほとんどいなくて、みんな自分幸せになりたくて必死だというのが現状だ。

だって幸せになりたい。

根本的にこれが間違ってると思うよ。世の中には私のように無意識に不幸せな方を選ぶ人間というのも一定存在するから。理解できないだろうけど。

2011-08-13

ほぼ全レス返し「ネガティブなことは言ってはいけないのか」論争に終

まず、人は特性として自分の好きなものに向かっていく。

好きなものをその時々に応じて「価値がある」とか「美しい」とか「建設的だ」とか自分勝手に賞賛する

…いやごめん、それは憶測かもしれん。




でも高確率で人は好きなもの自分の周りに置こうとしたり、追い求めたりする。

わざわざ自分の嫌いな曲を集めて聴く人なんてまずいないし、

苦手な人と付き合うという人も…いるかもしれないけど苦痛だと感じているかもしれない。

自分が何かを嫌うという「対象への嫌悪」それ自体を好む人はいると思うし、実際にいる)。




ネガティブな発言は人を不幸の方向に導く。

幸せになりたい人なんてのはほとんどいなくて、みんな自分幸せになりたくて必死だというのが現状だ。

だって幸せになりたい。




金がほしいし、

恋人がほしいし、

仕事したくないし、

気ぃ遣うの疲れたし、

時間がほしいし、

休みたいし、

あのボケナス脊髄ひっこぬいてフニャフニャにしたろかっておもうし、

あー遠いなー 幸せって。




からまあ、どこの誰かも知らん人のネガティブ発言を聞いてるヒマなんかこれっぽっちもない。

ストレスばっかりたまっていく。




もうちょっと説得力のあるというか、全体の最大幸福のための話だと、

要するにネガティブな発言を吐いても、主体も客体もだれも幸せにならない。

建設的でないからそんなことを言うのはやめろ、

(私はいいけど)他の人が迷惑するからやめろ、という感じで主語が大きくなる。




ネクラではない「明日が楽しみな人たち」は、自分幸せだと周りも幸せになるということを知っている。

その逆の発想で自分の不幸を拡散すれば周りも不幸になってしまうじゃないかとかなり注意勧告される。




更に明日が楽しみじゃない人たちにとってもこの説はけっこう支持される。

糾弾されるのはネクラネガティブ発言をやめられない人たちだけになってしまった。

しか悲惨なことにその説はだいたいあってる。

ベテランネクラになると自分ネガティブな気持ちに落としこむことです快感になったりする。

人はだいたいどんな環境でもある程度慣れてしまうのだ)。




それでもネガティブな発言をする人はあとからあとからどんどん増えていく。

なんていうか、ネガティブになるしかないって状況だ。

仕事場や学校たまるストレス愚痴として発散するのと似ている。




みんな人生という仕事場でたまったうっぷんをちょっとでもごまかしたくてネガティブ発言をする。

世の中の理不尽ネガティブさを無視することができないのだ。

「イヤなら見るな」と言われてもムリだ。

ネガティブ発言禁止令が施行されたらきっと狂うだろう。




あーじゃあ、そういうネクラな人の心理状態を鑑みて、慎重になってネガティブ発言は見逃してあげるべきなんだろうか?




まったくストレスなく人生を送れる人なんていない。

友だちのグチを聞いてあげることは許して、ほかの人のグチは聞かないし許さないだなんて不公平なのかも?




そんな誰かが割を食うような解決方法はイヤだなあ。

ネクラな人だって「我慢してやってんねんぞ」みたいな態度を感じると気ぃ悪いわ。

できればwin-winの関係がいい。




もうちょい考えを深めてみよう。

論争が起こることのそもそもの疑問が二つある。




  • ネクラな人たちはなんでネガティブな発言がやめられないのかということ。
  • そうでない人たちはなんでネガティブな発言を許せないのかということ。



ネクラな人たちにとってこの世界は、悲しみとか怒りとか醜さとか無意味とか悪に溢れているように見える。

しかし、もっと冷静になって考えるとそれは世界の一側面でしかないことに気付く。

ネクラな人たちが見る世界と同じくらい、そこには楽しみとか喜びとか美くしさとか価値とか善がある。

世界は人が思っている以上に多様なのである




実際、自分を劣悪な環境に置いていれば、どんどんネガティブになっていくけれど、




ちょっと笑える話を聞いたり、

お酒を飲んだり、

気の置けない友だちと話したり、

引越ししたり、

仕事をやめたりするだけで、なんかちょっと楽しくなる。




環境改善する度合いが高ければ高いほど(つまり劣悪な環境から離れれば離れるほど)、

世界だんだん美しくなっていくように見える。




しかし、それは世界が変わったのではない。

自分しか変わってない

世界が変わるのを期待して待っていても、その前に狂うか死んでしまうかもしれない、

もっと悲惨なのは、より悪い方に世界が変わっていくかもしれないということだ)。




ぼくの書いたことがもし正しいとすれば、ネガティブな発言を我慢するだけでない、もう一つの道が見えてくる。




世界のことをよく知っている人がいるならば、この世界はどうしようもないと思っている人に向かって

「そんなことないよー、意外とこんな楽しいとあるよー」

と教えてあげることである

これがやはり根本的な解決となる。




できれば言葉で教えるだけでなく、一緒に楽しいことをするといい。

言葉による理論ではなく体験による感動で理解してもらうといいんじゃないかな。




しかしもう一つの疑問が残っている。




なんで、人はネガティブな発言を忌み嫌ってしまうのか?

人にはその避けがたい特性があるから、誰か忍耐強い人が世界の素晴らしさを説く前にケンカが起こってしまうのだ、

たぶんね。




しかし、だからといって個人的には「対象が嫌いだ」という感情封殺してしまいたくはない。

人はなるべく朗らかに、全てを愛する博愛主義者のように生きたほうがいいんだろうか?

そんなせまっ苦しい考え方のために人が生きているとは思えないし思いたくない。

人はもっともっと多様な価値観や考え方を持っていいと思う。




ニューギニアの島では弔いの儀式として食人文化があった気がする。

今はない?

かならずしも弔いのために用いられた儀式ではない?

まあなんでもいいけど、食人の習慣があったのは確実である




それを野蛮で邪悪な悪習だと言えるのは現地人でない人だけである

アフリカの牧畜民ヌアのコミュニティでは、不妊の妻にかわって姉妹が夫の子を生んだり、

またその逆や、あるいは夫が子を持つ前に死ぬと兄弟が亡兄の妻との間に子を作ることがある。

前者の場合は夫の子であり、後者場合は弟の精子で宿った命でも、亡き兄の子どもということになる。

この社会でいう夫とは、彼らの生業手段である蓄牛を婚資として支払ったものだ。




日本では親子関係は血のつながりなんだけど、彼らは牛のつながりであって、

ぼくらは彼らをバカにする時、彼らはぼくらをバカにするのだ。




「血のつながりってwwwwwつながってるわけないやろwwwwww」




ある事象価値があるとかないとかって判断してしまうのは多くの場合

特定のコミュニティ内でしか成立しない狭い考え方による独断と偏見しかないのかも。




あれ?ちょっとまてよ…。

ぼくさっき”個人的には「対象が嫌いだ」という感情封殺してしまいたくない”と書いたよねえ?




んで、

今その理由を書いたよねえ。世界はいろんな価値観を持った人がいて、

それを認め合っていいんじゃねーの?みたいな。

「みんなちがってみんないい」論法




でもちょっとまって。

ネガティブな発言をする人は、世界を(あるいは自分を)嫌悪している。

そして、そうでない人はネガティブな発言を嫌悪している。




バーロー「あれれー?どっちの人たちも{きらい}って感情は同じだねー。」




そうなのだ。

ネガティブな発言というのはポジティブ感情ではない。絶望とか嫌悪感の表出なのである

ネガティブ発言を許せないという人は「○○が嫌いだと、人が言うことは嫌いだ」と言っている。




これはなんともバカバカしい話だ。

自分の嫌いは認められても、他人の嫌いは認められないと言っているのだから




ぼくは個人的にはみんなちがってみんないいと思ってるんやけど、

その前提が成り立つことを許してもらえるなら、

自分の嫌いを認めるなら、他人の嫌いも認めていいんじゃないか?」

ってことになる。

そうじゃないと「ネガティブ発言やめろ!」と言うたびに自分のクビを絞めてることになる。

ブーメランが飛んですぐに返ってきてる。「あんたがやめろよ…」と。




このバカバカしさは「ネガティブ発言をするな」という注意喚起のけっこうな抑止力になるかもしれない。

しか嫌悪する感情は否定されないことになる。

わーい!ぼくらは誰のことを嫌いと言ってもいいんだぞー!

○○のバカヤロー!!必死に走って間に合わずに目の前で電車のドアが閉まってしまえー!!!




というわけで




これでみんなハッピー?かな?

間違ってるかなあこれ?

2つ目は若干強引な感じもするから、もっといい方法あったら教えてほしいな~◎




ここまで読んでくれてありがとうございました。




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--------





追記









現段階で寄せられたコメントにできる限り返答していきたいと思います

正直、賛同してくれる意見も多くて助かりますが、

どうしても批判のほうに目がいってしまって精神的にキツいです

考え方としてまだ稚拙で詰めの甘い部分もあるかと思いますが、

慎重に言葉を紡いでいきたいと思います






お前が一番ネガティブなんじゃね?って誰か突っ込んであげるべきだと思うの


ぼくはたぶんネガティブなんだと思いますポジティブそうに見える書き方になっていますが、

ネガティブさを排斥しようとする状況が見るに耐えられないのです

せめて「死にたい」ぐらいは言わせてほしいのです。ほんとに死なないために。






何か発言しよう、と思うとネガティブなことしか思いつけない病


そういう人がたくさんいると思うんです。たぶん。

殺したくないんです






増田みたいな奴は正直生きてる価値無いし死ねばいいと思うよクソが。安全地帯にいる奴は気楽でいいですね。


ごめんなさい。生きててすいません。

生きてるんじゃなくてまだ死んでないだけのような気がしています

ぼくはあなたのような人と共に生きたい。許しあいたい。強い人が怖い。

よかったらぼくのブログを読んでください。

http://d.hatena.ne.jp/yukkun1986/






新人の頃、意識的なマイナス思考仕事には重要だと教わった。物事のいい面よりも隠れた危険性を常に考えろという「かもしれない運転」的なやり方


建設的なマイナス思考ですか。たしかにそれはいいのかもしれないですね。

未来という不確定性を検証するための思考はプラスマイナス関わりなく可能性の一つとして考える余地があるのかもしれない。

ぼくはなんの役にも立たない(かもしれない)マイナス思考封殺したくない。

ぼくは人の発するマイナス思考にすごく救われています






あとでよむ


お願いします。






そうだね~、「いけない」ていう義務的じゃなくって、「いいたくないなぁ」ってね、うん。


ネガティブなことを言いたい人って実はあんまりいないのかも。

誰も傷つけたくないのですが、それよりも自分が傷つくことのほうが怖かったりします。






これに関して自分は結論がまだない


ぼくもたくさんの意見をいただいて、

これで終わりにすべきではないと思いました。






ネガティブであれポジティブであれその発言を自分感情だけで否定するよりまず相手の気持ちを考えれば少しは寄り添えるだろう


そうなんです。相手の気持ちを考えることができれば、ぼくらは少しは寄り添えると思います

問題は、双方にその余裕があるのかということです

個人的にはぼくたちはもうちょっと相手を褒めたり、甘やかしてもいいんじゃないかと思います

もうこれ以上人が病んでいくのは、堕ちていくのは耐えられない。






結論は俺も同じ考え。


ありがとう

現状が少しでもラクになればいいんです

死ねばラクになれる、みんながもっと優しくなってもきっとラクになれる。

ぼくはどうせなら後者のほうがいい。







わーい。ネガティブ発言してもいいんだー(違)


ぼくはそれを咎めません。咎められません。

あなたはもっとあなたらしく生きてほしいのです






とりあえず、うっかり口にしたネガティブ発言に対してネガ感情をぶつけてくるポジティビストは怖いなあと思う


怖いです。ほんとに怖いです

でも彼らを嫌いになれないのです

ぼくがもうちょっと社会的に弱い立場だったら、

その立場を利用して言い返すこともできたのに、だなんて

ゲスなことを考えてしまます。なんでこんなことに…。






【一番いけないのは、お腹が空いていることと、一人でいること】という話。


どこかで泣いている人がいたら、笑わせるんじゃなくて

まずは一緒に泣きたいんです孤独はとてもつらい。






バーローww


ちょっと悪ノリが過ぎたかも知れません。

でもあなたが喜んでくれるなら、それはよかった。






ここでコメントしてる人達同士は仲良くなれなさそう


クズ人間を集めて、ユートピアを作りたい。

クズでもYESと言いたい。






注意喚起くらいなら別にいいよ。強制力もないし、カウンターできるし。ポジであれネガであれ、みんなで同じ方向向いてるのが一番キモい


カウンターできません。

ぼくが正しいとか間違ってないなどとは思えないのです

ちきりんさんが最近おすすめしていた「若者殺しの時代」という本の中では

バブル経済のことを「国中上げて間違ったことはやってないだろうと思っていたのだ。」と表現していました。

ぼくが合ってるとも思えませんが、じゃあ世の中の望むべく方向が合っているのかと考えると、

それもぼくにはわからないのです






ポジティブ思考のイケイケで日本は負けただろwww / 「文句言う前に努力しろ」の一言で様々なデモが潰れちゃってるんだよね、それ一番言われてるから


ぼくはネガティブで、基本的にネクラだと思います(たまにはポジティブにもなりますが)。

 「文句言う前に努力しろ」の一言でいったい何人が死んでいるのだろうと思うと、ほんとうに恐ろしい。






暗い人は四六時中年中無休で暗いわけではなく、暗いことを言う確率が高いのでは。明るい人も同様。10回会って7回暗かったら70%の暗い人確率キャラってやつなのかしら


そうだと思います

ネガティブな発言が少しでもその人の気を紛らわせることができているのなら、

それでまだ死なないでいてくれるなら、死んでしまうよりははるかにマシだと思います






ネガティブな発言をしている人間ネガティブ志向解釈してしまう時点で説得力が無い。ネガティブな事をいう奴は人生面白がっている奴も多い。ポジティブバカのように人生を楽しもうとはしてないかもしれないが。


これはたしかにそうだと思いますネガティブ発言を風刺漫画のようにコメディ昇華する人はいると思います

(その喩えが適切かどうかはわかりません)。






読みにくいけど、今抱えてる問題意識に近かったので読んだ/かくして、「そんなネガティブ発言してると、世間からうざいやつだと思われちゃうよ」という太宰メソッドで注意勧告する羽目になって自己嫌悪するわけよ。


人間失格にある


(それは世間が、ゆるさない)

(世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)

(そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ)

(世間じゃない。あなたでしょう?)


という言葉が印象に残っています

自己嫌悪するしかないほど逃げ場がありません。もう首を絞めつくしました。

ぼくはそれをどうにかしたい。






何かを貶める発言をするなら逆の考えの人達から反感を買うくらいは覚悟してないとそれは甘え。反感を買ってでもする意義があると思う発言だけすればいい。


甘えたいです。ごめんなさい。

ほんとは人をイヤな気持ちにさせたくないです。ごめんなさい。

自分ウソをついて「大丈夫です」と言う度に、自分が嫌いになっていく。






皆でネガティブ言い合って皆でそれを嫌い合う。それが公平なのかも。どちらかが我慢するのはどうかな?/寛容さは大切だと思うけど。。


例えば、学校デブな同級生に向かって「やーいデブ」と悪態をついて、

ひるんだり、へこんだりせずに「デブで悪かったな!」と言い返せることが対等で良い関係を作るのかもしれません。

乙武さんはそういうことをやっているので、みんなが彼のように強くなれればいいなと思いますが、現実はそうはいかないですね。

メンタルの弱い人に救済を。






嫌いな曲集めて聴く行為はたまにする。訓練と寛容のために。普段聴かないジャンルにもかじっておくぐらいの気持ちで


あなたは素晴らしい人だと思いますあなたのような人が救いになるんじゃないかと思います






出家するべき


徒然草を読んでから、山に草庵を建てて暮らしたいと考えて

今も思っています






ネガティブ発言を許せないという人は「○○が嫌いだと、人が言うことは嫌いだ」と言っている。これはなんともバカバカしい話だ。」…「フジテレビが嫌いだと、人が言うことは嫌いだ」と言っている人は多いね


誰のこともあまり嫌いになれない(苦手な人はいます)ので、嫌いだと言ってる人に遭遇すると混乱してしまます

その気持ちがわからないけど、否定したくないです






間違った部分を一つ一つ改善することなしに(長期的な)幸せなどあるものか。


長期的な幸せを望みます。それと同時に短期的な不幸・死の連鎖を止めたい。

それらが同時にこなせたらどんなにいいだろうか。

何が間違っているのかぜひ教えていただきたい。






前にポジティブシンキングだかの企業倒産したような。見えてる世界で綺麗醜いを言うことはプラスマイナスはないのかな。それをどう思って聞くか言うかでかわるのかな。


解釈の違いで人の反応は変わるかもしれません。

ぼくは今よりもう少し寛容な社会を望みます

そしてぼくはポジティブではないと思います。たぶん。






何を言っても気に入らなければネガチブだの暗い明るいに結びつけたがる人のそばにはいたくないなあとは思った。


そういう人たちは怖いですが、ぼくには彼らを叱りつける権利がない。

しかし、気に入らないという思いが誰かを殺しているのかもしれないならば、

ぼくはこのケンカをやめさせたい。






言ってもいいんじゃないかと思う。だってにんげんだもn…(ry


ぼくもそう思います

もし、将来ネガティブにならざるを得ない状況がひっくり返ったとしたら(つまり誰もが「明日が楽しみな人」になったら)、

根本的な解決になるかもしれませんが、その分ネガティブ発言への風当たりの厳しさは増すだろうと憶測します。

から、やっぱり「それでいい」ということにしたい。






ぼくはもっともっと慎重になりたい。

間違ったことをしたくない。だから

賛同する意見も非難する意見も助かります




ありがとうございます

2011-08-12

岩崎さんの対応が幼稚過ぎるので文句言う

岩崎さんの、はてなでの言及には一切耳をかさないという芸風は十分理解しているつもりだが、今回のはひどいのでちょっと文句を言っておく。

http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20110812/1313128129

「もう少し丁寧に聞」くことは、かえって事態をややこしくする。だから書店員は、聞かなくて正解なのだ。

そうやって何が何でも自己主張を押し通すのは子供の態度だ。




もっと大人な対応でも十分説得できたでしょう?

書店員みなみの二人の組み合わせは偶然のものではなく、奇跡的なものであった。運命的なものであった。

相手がみなみだったからこの対応が可能だった

結果として書店員自分責任で薦め、みなみ自分責任でそれを受け取り、ちゃんと活かした。

からこの作品はすばらしんだ。

でいいじゃないか。なぜこれを「書店員が客の話を聞かないのは正解」になるんだ。

なぜ一般的にも自分が正しいとか言っちゃうわけ?なぜコレが分からない人は常識がないとか言えちゃうの?そんなの岩崎さんじゃないよ。



「一般的にみたら問題になりうる行為かもしれないけど、この二人の間では奇跡的に良い出会いになった」でいいじゃないか

書店員もすごい、みなみもすごい。傍から見たら変に見えるかもしれない。

でも実はこの二人すごいんだよ、だからこの話はおもしろいんだよ、って言えばいいじゃない。

まず「一般的に見たら納得しにくいかもしれない」という相手の主張を受け入れて、その上で「この二人は特別なんだよ」て返せばいいじゃない。



少なくとも、相手は納得できてないと言ってるのに、

そこで返す言葉がよりによって「分かる人にはわかる。わからないのは経験が足りないから」とか小説家としてどうなの?

それがわかる経験を積んでる人にはこの小説いらないし、わからない人には小説を読んでも無駄になる。

どうせそれは「小説経験に変える技術」がないかだって言いたいんだろうけれど、それならなおさら「技術的に」説明しろ。

経験の有無とかで逃げてるのはそっちじゃないか。ここで逃げておいて「小説の読み方」本を出すのは許しがたい。ちゃんとここで説明しろ。





あと、ここの主張はみなみの力を低く扱っているという点で気分が良くないし、なによりこの主張は有害だ。

それは、例えて言うなら「泣いて嫌がる病気子供注射を打つ」ようなものなのだ。もし医者が、病気子供を前にして、顧客子供)が泣いているからと言って注射を打つのを拒否したら、あなたはその医師真摯だと言うだろうか? それと同じである書店員にとっては、みなみ注射が怖いと泣いて嫌がる子供と一緒で、彼女が何を言おうが思おうがそれは基本的には関係ない。書店員は、みなみにとって重要なことを、むしろみなみ本人よりよく知っているのだ。それゆえ、医師子供病気を正しく診断するかのように、みなみが『マネジメント』を欲しているということを正しく突き当てた。だから顧客のことを考えていないなどということはなく、むしろギリギリ真剣に考えた結果、その言葉をあえて聞かなかったのだ。

あなたの「医師」の喩えは、全く説明になっていない。

書店員母親じゃない。資格を持った医師でもない。

ホメオパシー権力を持って子供強要する無知母親と、「十分な知識もある資格を持った医師」の中間に位置する書店員が「診断」できる理由として全く使えない。

全く妥当でない喩えを出して自説の正しさを主張するのはペテン師のやることです作家の誇りがあるならこの部分は取り消していただきたい。

その上で、書店員の子の判断が「お話の都合として結果的に正しかった」ではなくて、この時点で「プロの行動として正統である」とみなすその根拠を示しなさい。

書店員母親を明確に区別できると主張するその根拠を「この話はフィクションから」という説明を排して説明しなさい。


この行為ホメオパシーなどで「子供のため」に嫌がる子供に不確実な療法を強要する母親は少なくとも行為の時点ではなんの区別もない。

究極的には両者を分けるのは結果だけである

しかも、もしドラの結果はフィクションで作者が用意したものである

自分で用意したフィクションの結果を持って、不確実な行為の「正当性」を主張するのは論理がひっくり返っている。

それは有害以外の何者でもない。もちろん「そう判断するに足る十分な知識や経験を持っているか」によってその判断の正当性が変わる。

から作品中で書店員の判断の「正当性」がどれほどものかと問うているのだ。

それに対して「十分に経験のある人ならこういうふうにできるもんなんです」って書店員はいからベテランって設定になってんだよ。

それは読者に当然求められる想像ではない。合理的な解釈でもない。読者に「つじつま合わせ」を要求している。

くそんな要求を当然のごとく読者に求められるな。読者依存だ。自分小説を読む人がみんなマルケス読んでるとでも思ってるの?





もう一点、岩崎さんはかなり深刻な勘違いをしているようだからいっておく。

本の読者に求めるのは、自分が理解できなかったら「理解したいとも私は思わない」という態度を取るのではなく、「これを理解できるようになったら、自分人生がもう少し豊かになるかもしれない」と考えて、「今の理解できない自分ダメなんだ。この状態を脱するために、虚心坦懐にこの本を読もう」と思ってもらうことである。そういう「自分を否定する気持ち」があって初めて、「物語で触れられていない部分」に「イマジネーション」が「働」き、「辻褄が合うように」読めるようになる。つまり、読み取れなかったものが読み取れるようになるのだ。

これを主張していいのは時の試練を経てなお支持される古典のみである

もしドラは1年半支持されている。300万部近く売れた。それは本当にすごいことだと思う。別にそのことを否定するつもりではない。

だが、「まだ」1年半である。しきりに「もう」1年半だという主張をしているが、この主張をするには「まだ」早い。

思い上がるな、と言ってるわけじゃない。むしろあなたはこの成果を誇っていい。

でも、だからこそその基準はまだ使えないってことくらいはわかれよ。




岩崎さんの今回の記事はあまりに幼稚である

本人が主張していらっしゃるように、普段はこんなにねちねちと他人に嫌味を繰り返すような記事を書かない人だと思っている。

論理には必ずしも賛成しないけれど、少なくとも自分ではよく考えたんだろうな、と思える文章を書いていらっしゃる

今回は感情垂れ流しで読んでて不快な文章だった。次からはこういう文章を書かないでいただきたい。





あーもう腹立つから書いちゃう。

から何度も何度も何度も思ってたけど、岩崎さんの文章はねちっこいよね。ねちっこい。

何度yaneuraoさんを「実生活でそういう経験のある人」と対比して否定しようとしてんの。

あなたのその粘着気質な所が心底気持ち悪い。その卑屈な性格が出ていて吐き気がする。

一回でスパッと決定的な表現を書けないからってそうやって何度も何度も繰り返すのはやめようよ。

どうしてそんなに繰り返すほど大事なことなら、もっと表現を磨こうとしないの?

どうしてそんなに繰り返すほど表現に自信がないなら、その表現をやめようとしないの?

どうしてそんなに繰り返すほど自分の正しさを信じてるなら、どうしてそんなに自己正当化めいた文章を書くの?

自分でもわかってんだろ。

自分では自分の言いたいことを表現するだけの文章力がないってことを。

他人の読解力にケチつけてる暇があったら、もっと自分文章力磨けよ。

はっきり言うよ。

あなたの作品、構成とかテーマは悪くない。着眼点は素晴らしいと思う。これは素直に認めよう。

でも、あなた小説家としてあまり稚拙な文章表現が、その素晴らしい物をスッキリ受け取らせてくれない。

問題はあなたにもあるんだよ。

そのことをちょっとでいいから認めようよ。

ブログ開設当初から、全く文章力が向上している感じがしない。

自分はこれでいいんだって思ってるなら大間違いだ。

山田悠介だって初期作品と比べたらだいぶましになった。でもあなた全く変わってない。

この先に期待できない。

使命云々を次々乗り換えていくのも結構だけど、

ただ小説を書くだけじゃなくて、人を教化していきたいなら、

もっと人をうならせる文章書けよ。こんなgdgd繰り返すループみたいな文集書いてないでさ。

今回のあなた対応は本当にひどい。幼稚な大人そのもの

2011-08-10

現場には細かすぎるルールが多すぎる会社もうこいつはダメ

どんどん会社ルールを変更、追加(減らない)して現場強要するわりに上層がルールを全部理解していないどころか、ルールを遵守すると作業に時間がかかりすぎて客からクレームが来るしまつ。だから結局ルール遵守を言われても適当に手を抜く。ルールに対して手を抜くことが重大なミスにつながっているかというと、必ずしもそうではないと私は思う。

ルールさえ守ればいいような押しつけがあり、仕事機械的に処理するようにシステムをくみ上げたくせに、機械的に処理した事によるミスを責め立てる上層。いや、機械的に処理するのは職業上絶対に良くないけど、そうせざるを得ないようにシステムルールをくみ上げているのは上の人間のあんたらでしょ?って言いたくなる。

余裕を無駄と切り捨て、切り捨て、必要な余裕さえ失っているのはなにもうちの会社だけではない。流通会社もそう。こっちが毎回毎回沢山モノを買うのは実績で分かっているのに毎回毎回欠品欠品。せめて月末は絞ってますぐらいなら納得するけど毎日毎日毎日…。あの会社毎日在庫を絞ることに命をかけているんじゃないかと思う。

チェックシステムとか、間違いを起こさないようにするためのものなのに そのチェックをしさえすれば良いみたいなモノになってるから、人の心構え部分まで踏み込めずに表ばっかりのハリボテになってるし。

時間に余裕があるときミスと、無いときミスってあるけど。

時間に余裕があるときミスは、機械によるチェックシステムでかなり良くなる気がするんだけど無いときミスは、思考する時間すら惜しいか機械によるチェックに感覚依存してしまい、ミスに繋がる。

機械チェックに依存しない自主的な思考による判断を求めているんでしょうに…。

ひよこ性別鑑定士初心者に、30年以上のベテランの判断力を求めているようなもの

こういう細かいルールが、結局は、私達の仕事の安全性を高める目的と言いつつ、上層が「これだけ指示しているんだから間違えるはずがない。間違えたら下の人間がルールを遵守してないせいだから私達は悪くない。私達は仕事をした!だから評価してくれ!」と言いたいためだけの仕事邪推するしかないものから嫌になる。

大なり小なりどこの店でもルール不徹底を隠しているそうで、それでまた何か起こったらルールが増えていくというイタチごっこなのであった。

2011-07-25

理不尽にキレられた

商品企画の仕事をしてる。先日、某百貨店の売場改装作業に駆りだされた。

普段はうちの営業の人間が行くんだが人手が足りないってことで商品企画で新人の俺が行くことに。

作業してる人のほとんどが、百貨店に商品納めてる業者の人ばっかり。百貨店人間は指示出してるだけ。

まぁそれはいいんだが、午前の作業が終わり、業者の中で、40後半くらいのベテランっぽい人と少し話す時があって、

何気なく、「この作業ってどれくらいかかるんですかね?」と聞いたら、

「何時に終わるとかそんなんじゃないんだよ!そんな甘い話じゃないから。分かる?そんなことばっか言ってると駄目だよ、ったく・・」

といきなり切れられ結局、最後まで無視された。何が癇に障ったのかまったく分からない。

2011-07-17

大企業新入社員は「スーパーの女」を観ろ

伊丹十三監督スーパーの女コンサルの見本としても優れているんでしょうけど、

働く基本として見とくといいよと言う話。

ポイントはただ一つ。人は感情で動く。



大企業新入社員であるあなた入社していきなり下請けの業者さんを使ったり、

大先輩の工員さんに指示したり、それまでの価値観では許されないことが目の前に広がっているはずです

ラッキーなことに大企業総合職として職に就くことができただけで、

ただ単純にそれだけのことで、いきなりそう言う立場になる。



こんなの間違っている!といきどおる人もきっといるかも知れません。

が、人にはcalling(神さまから与えられた、いわば天職)があると割り切るしかない。

会社利益を上げるために、最適な配置になっていると思いましょう。

あなたはその分、業者さんよりも工員さんよりも、大きなプレッシャーの中頑張らなければならないのです

もちろん、敬意を持って接することを忘れずに。



入社直後のあなた自身は無能です

しかし腐っても大企業あなた会社に蓄積されたノウハウ自分ものとして使うことができる。

いっぽう、スーパーの女こと宮本信子扮する井上花子は、主婦の立場としてスーパーに対してコンサルティングできる能力を元々持っています

から立場的にはすごく似ています。どちらもベテランからはド素人(に見える)。

そして、あなた上司からの命令にせよ、花子自身の考えにせよ、自分で手を動かすことは不可能。

結局はいかに業者さんや工員さんに気持ちよく働いてもらうかということになります

そのためにはどうするか?



  • 酒を飲み交わそう。
  • 愚痴を聞こう。
  • 頼み込もう。
  • 時に喧嘩しよう。
  • 理不尽なこともやってみせて肝っ玉を見せてやろう。
  • 最終的にはケツを持って怒られる覚悟を持とう。
  • 下っ端の言うことでも正しいと思えば認めよう。

花子コンサル的な発想力が鮮やかなのですが、人心掌握術にも長けています

上のように箇条書きにすると実に凡庸ですが、この人のためなら働くか・・という諦めの心を相手に持ってもらう。

その様が実に痛快に描かれていて、泥臭い労務管理仕事いいんじゃない?って思えるようになります

特に取引業者さんや職人さんとの人間関係に悩む新入社員には「スーパーの女」を見てほしい。

確かにコンサルとか格好いいけど、最終的には人が動かないと仕事にならないですから

人と心が通じ合って、成果が出せるというのは、働く人間にとって最高のことなのですから

人は感情で動く。



あと蛇足になりますが、この映画大事存在は、津川雅彦扮する五郎専務です

信頼できる経営者の下で自由に働けるというのは何にも代え難い財産です

この人は一見パッとしませんが、従業員の見えないところでちゃんと正しいことを主張するし、

いざというときには、対立する従業員の間に立って仲裁もする。

大企業人材の宝庫ですたまたま自分とは合わない上司に当たった人も数年経てばまた新しい上司に巡り会えるはず。

辞めるなんて言わずにちょっとだけ辛抱してみてください。

2011-06-28

http://anond.hatelabo.jp/20110628015752

枝でもなんか馬鹿なこと言ってるやつがいるが。

プログラムなんて、書き方はどうでもいいんだよ。

笑っちゃうよな書き方でもさ、「最終仕様」と「書いた奴の思想」が紙であれば。

コードを見れば思想が判るとか、あれ幻想から

書いた本人だから判るってだけだから

あり得ないから、そんなの。

迷惑をかけない書き方ってのは、「しっかりドキュメントを残す」以外にないからな。


でな、良い現場ってのは、メンテナンス性の高い開発ツールを使い、メンテナンス性の良い言語を使ってるところじゃない。

「最終仕様」と「書いた奴の思想」が紙として残る現場

管理者が何を残すべきかをわかってる現場

それが出来てないところは50歩100歩で全部一緒。

一番危険なのは古参ベテランエキスパート仕様管理してるようなとこ。

はた目には「その人に言えば何でも解決する」だが、その実「その人がやらなきゃ誰にもできない」だからな。

その状況を「ほかの奴らはダメだ、さすが俺様」とか思うようになったら、プログラマとしては終了。

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