はてなキーワード: 学力とは
某メーカーの子会社の外注のSIerというとても弱い立場から、その某メーカーのお客様的な立場に転職しました。
エンジニアとしてのステップアップとしては理想の状況なんだろうけど、結局そこでできるのは
メーカーに対してあーしろ、こーしろ、みたいな注文とか。
んで、社内上司へのプレゼンとか外注さんへの作業依頼書とかがメインの作業になりつつ。
あれ?これってはたしてステップアップなのか?はたしてエンジニアとしてはスキルが身に付いているのか?
社内向けに実現するのかわからない未来のロードマップ資料を作ったり、
毎日そんな作業に追われ、技術的にはあまり身につかず、ワード・エクセル・パワーポイントの日々。
git?なにそれ、Linuxコマンドなにそれ?みたいな環境で世間から取り残されているような。
#そういう職種なんだろうけど
大きな企業に属するってこういうことなのね、みたいな諦めの気持ちとかが出てきて少し辛い。
んで、本音を言えば、もともとたいして学力とかないし学歴もFラン大卒程度なんだけど、
なんだかうまいこと採用されて周りはそこそこ良い大学の新卒の人が多いわけ。
正直に思うと、やっぱり頭の善し悪しはハッキリと出てくる。頭の回転の早さとか
飲み込みの早さとか、理解の早さとかで。
中途で入ったわけだけど、その会社の超若手にも劣る部分がけっこう見えるわけで。
なんというか、レベルの違いを感じていて正直辛いわけです。
Fランを卑下するわけじゃないけど、いままで居た弱小会社ではそこそこ出来る方だったと
自負できるくらいではあったつもりなのに、今の会社では周りのレベルが違いすぎた。
今まで上の中くらいのつもりだったのに、今は下の中くらいのレベルになっている気がする。
まぁ最初の不慣れを差し置いてとも思いたいけど、やっぱりそうじゃない。
現在30を少し超えた年齢だが、新卒4年目社員よりも出来が悪いという状態。
おそらく「なにコイツ、中途のくせに使えねぇ」と周りで思っている人もちらほらいる
雰囲気を感じている。年下ばっかりですし。
その会社を選んだ自分の責任でもあり、転職はもちろん自分の意思なわけで。
しかも、おそらく日本ではほとんどの人がCMを見たことがあるくらい
有名な会社なわけだけど、やっぱりきつい状態で困っている。
前回の記事はまとめサイトに掲載されたりTwitterで拡散されたりしていた。
今回はその続き。
http://anond.hatelabo.jp/20111219120206
まとめサイトに掲載されたときにも元教員からコメントのあったとおり。
2年間でどのような像に仕上げようかという目標がない。
資格系の学校の場合、あるのは検定に合格させるという目標だけ。
だから、授業の半分以上は検定対策。
これで授業が面白いはずがない。
実務を縮小した課題をしているだけ。
作業はするけど、提出さえすれば単位は取得できる。
詳細は「芦田の毎日http://www.ashida.info/blog/cat34/」を参照。
言っていることは過激だし現場の苦労は知らないと思うけど、おおむね同意。
午後のプログラム言語は選択式だけど、半数以上の学校はCASLII(アセンブラ)で受験する。
なぜか。学生が長文を読めなくなっているから、ステップ数が少ない言語を選ぶ。
当然、就職には役立たない。
基本情報を取得しているからといって、プログラムができるとは限らない。
あとは、遊び程度にC言語をやるぐらい。
一部の人気学科(看護等)以外は、全入時代。一条校ではないから、補助金もでない。
一人あたり、年間で100万円。入試は面接だけ。学力試験はしない。
オープンキャンパスに○回以上参加でその面接すら無くしている学校も。
当然、学生当時の担任も在職している。元担任には頭があがらない。
古くからのやり方が変わるはずもない。
もちろん、ここに書かれていることが該当しない学校もたくさんある。
おいおいおいw
いるなあ、ああ、いるなあ。
はてなid持ってる人にも居るなあ。
文ぐらいちゃんと読もう。
「自覚がないだけでこいつは本当は弱者男性だ!」って言うなら主張は主張として自由だけど
元増田を「弱者男性の自覚がある男」と呼ぶのは明確に読解力とか学力的なもんが足りてない。
そして本題だけど
いくらなんでもフェミニスト男性を「怖い存在」に擬するのは無茶苦茶すぎるよ!
フェミニスト女性に擦り寄り擦り寄りしながら「クンクンクゥ~~~ン!」って感じで毎日毎日必死に迎合してる男性を見るけど
あれは「気の毒な存在だなあ」とか「気持ち悪いなあ」みたいな生暖かい同情や軽蔑の対象にはなれども
メインで論じられるような存在じゃないっちゅうだけじゃん。
Q.フェミニスト男性は何故俎上にあげられないか?(複数回答可)
A. ザコだから
飼い犬に過ぎないから
馬鹿な女と性犯罪を犯す男を減らせれば日本はどれぐらい平和になるんだろうか。
馬鹿な専業主婦というものがこの国最大の癌な気がしてならない。
なまじ、そんなものに生存権を与えているために主婦のための番組なんてものが出来上がり、夕方のニュース番組は政治や経済より芸能人のゴシップとやれどこのランチが安いみたいな大変くだらない内容の方が重視され、韓流なんてありもしないものがあることになってしまった。
こういうくだらない層を駆逐できるだけでどれだけ日本がマシになるだろう。
もちろん、「馬鹿な」とつけているとおり専業主婦が悪だなどと思ったことは一度もない。
だったらまだ仕事させてる方が国のためになる。
もう一つ許せないのは性犯罪。
そんなことをする馬鹿は二度としなくなるような罰を与えるべきだ。
愚かかどうか。
馬鹿な女と性犯罪を犯す男を減らせれば日本はどれぐらい平和になるんだろうか。
馬鹿な専業主婦というものがこの国最大の癌な気がしてならない。
なまじ、そんなものに生存権を与えているために主婦のための番組なんてものが出来上がり、夕方のニュース番組は政治や経済より芸能人のゴシップとやれどこのランチが安いみたいな大変くだらない内容の方が重視され、韓流なんてありもしないものがあることになってしまった。
こういうくだらない層を駆逐できるだけでどれだけ日本がマシになるだろう。
もちろん、「馬鹿な」とつけているとおり専業主婦が悪だなどと思ったことは一度もない。
だったらまだ仕事させてる方が国のためになる。
もう一つ許せないのは性犯罪。
そんなことをする馬鹿は二度としなくなるような罰を与えるべきだ。
愚かかどうか。
教員の仕事量の内、授業・部活関係は学校によって大きく変わるところだと思います。
例えば都内でも、一学年一クラスしかないような高校があります。
そういう所では、全学年を一人の教師が教えます。毎回違う授業ですね。
また、10クラスあるような学校では、一人の先生が一つの学年の一つの授業しか見ない、などということもあります。
こちらだと、1クラス週2回授業があっても、同じ授業を10回×2で済みますね。
私の例で言うと、1学年6クラス前後ありますが、学校が習熟度別の展開授業を行っていることと、理系・文系でやっている内容が違うこと、さらには生徒の学力差が激しいこともあり、同じ内容の授業は少ないです。
更に、ベテラン教員の中には、「このクラス教えたくない」みたいなわがままを言う先生も(極希にだと思いますが)いるので、私の場合、全4種類の授業を持っています。
その内、同じ内容をやっているのは、3クラスと2クラスですね。
| 担当クラス数 | 週の回数 | |
|---|---|---|
| 授業A | 3 | 2 |
| 授業B | 2 | 2 |
| 授業C | 1 | 3 |
| 授業D | 1 | 3 |
で、週16コマです。
実際に用意するのは、2コマ分+2コマ分+3コマ分+3コマ分で、10コマですね。
http://anond.hatelabo.jp/20111025181753
「何してるのそんなに」って意見もあったんで、少しだけ。
8時少し前に学校に着く(以前は7時半には着いていたけれど、最近は校門に立って挨拶とかもしなくなったので、この時間で間に合う)
↓
今日の連絡事項の確認や、保護者からの欠席の連絡への対応、今日やる「雑務関係」の確認(授業関係は、忘れようがないから確認しない。雑務は忘れがちなので毎朝確認)。
ここまでは、一般的な会社とそんなに変わらないと思う。
正直、連絡事項を伝えるだけなら誰でも出来る仕事。でも、生徒の変調を見逃さないためには大事だし、本気でやろうと思えば、毎朝何らかの話を用意しておく・生徒一人一人に話をさせるとかもできる。
最近は手を抜いているから、行って口頭で連絡事項伝えておしまい。
授業は、一日に3~4コマ程度です。授業は教師の仕事の中ではわかりやすい仕事の一つだと思うので、説明しません。
強いて言えば、HRや総合などもきちんと計画たてて準備してやってますよ、ってくらいですね。
高校の場合、多い日で一日4コマ、200分程度空いているわけですが、その間何をしているのか。
ここまでで、大体160分くらい使ってますね。
もちろん、この時間だけじゃ授業の準備は終わらないので、詳しくは後ほど。
本当はここで生徒関係の事もやってますが、便宜上分けて後にまとめて記述します。
生徒が質問に来たりして、ご飯食べてる時間がないので、昼休みは生徒対応で大体終わります。
ですので、上に書いた、授業と授業の間の空き時間などでご飯を食べます。
教員の休憩時間も、生徒と同じでここに設定されているので、ここで食べないと、午後も授業が詰まってたりすると、最悪放課後まで食事出来ません。
最近は、昼休みに職員室から逃げ出して、生徒に見つからないところで食事しています。これなら生徒が質問に来たりすることもありませんから。
朝と同じです。
夜七時前くらいまで拘束されます(部活自体はもう少し早く終わりますが、生徒が完全下校するのを確認したりするので)。
ようやく翌日の授業の準備が出来ます。
私は、良い授業をするためには、一回の授業に三倍の時間準備をしなさい、と教わりました。
前述したように、一日の授業数は3~4コマ。
当然無理です。ここから9時間も授業準備したら、朝4時ですから。ですので、「良い授業」をするのは早々にあきらめます。
これなら8時には授業準備が終わります。
学級日誌系もそうですが、小テストの採点や、生徒一人一人にコメントをつけたり、回収したノートの確認などです。
コメントとかやらなければ、もっと早く終わります。最近はここも手を抜いて極力何も書きません。
もちろん、生徒の反応は明らかに変わります。コメントを書いてあげた方が、モチベーションが上がって成績もあがります。
ですが、丁寧にきめ細かに見ていくと、終わりがありません。
今では、手を抜きまくって、9時過ぎには学校を出られるようになりました。
回収物や返却物に、一人一人コメントを書いたり、きちんと目を通したりすることもなくなりました。
宿題なんて、回収してやってあるかだけチェックして、答え配って各自で答え合わせさせてます。
授業準備はともかくとして、これらを全部きちんとやったら、0時過ぎても帰れません。
現状、お役所的事務作業さえきっちりやっておけば、「良い教師」と認定されます。
授業の内容がどんなにグダグダでも、担当教科の生徒の学力が下がっていても、明確な判断基準がないので、よっぽどの事がなければそれでクビになったりはしません。
極端な話、少しでも早く帰りたかったら、必須とされる事務作業だけやって、生徒の話も聞かず、授業も全て教科書を読むだけにして、後は各自で自習させて、部活も活動拒否すれば、毎日定時で帰れます。
それが生徒のためになるかどうかは知りませんが。
けど、まともな就業時間で、まともに生徒と向き合える仕事にしてくれ。
定期考査前に生徒が職員室に質問に来たり、何か生徒に問題が起きると、最初は「俺の出番だ。がんばろう」と思ってたけど、最近は「面倒くせぇこと持ち込むなよカスが」とすら思う。
例えばみんなが目にした事のある物で言えば、学級通信とか。
あれを配ろうと思ったら、東京都の場合、まずPC上で起案して、起案番号なる物を取得して、関係分掌の担当教員などに判子をもらって回らないといけない。
学級津心に限らず、外部に配布する物は全てこれが必要。
要するに、個人情報保護とかそういう問題で。お題目としては「外部に配布する物は、教員個人個人が勝手に作れないようにして、きちんと各部署でチェックしましょうねー」ってこと。
一事が万事こんな感じ。
問題起きた時に「我々(上層部)はきちんとルールを作って、やらせてました」と言うためだけの作業が非常に多い。
三年生担任にもなると、前の会社の一つの部署で作ってた書類より遙かに多い量の書類を、一人の教員が作ってる。そんじょそこらのITベンチャーが一年間で書く書類の量より多いと思う。
ブ米で、「三年目には転職前よりマシな生活手に入れた」とか書いてる人いますが、殺意覚えるんでやめてください。
生徒と関わるのが仕事なのに、生徒と関わる時間減らして労働時間削って、何が「マシな生活」ですか。
本音を言えば、今だって毎回一人一人の小テストにコメント書いて返したいし、一人一人と毎日ちゃんと挨拶して、話しかけてくる生徒全てにきちんと受け答えしたいんですよ。
でも、それをやったら日付変わる前に帰れないし、毎日それを続けていたら死ぬと思ったから、やめたんです。
就業時間は確かに減りましたよ。
でも、それって本当に「マシな生活」ですかね。
「学力がある」とは旧帝早慶一工ないしはそれに順ずる偏差値を有していた者とする。
「学力があるニート」とは要するにフミヒロ氏(参照1、参照2、参照3)のような人物である。
要するに人生において重要とされる時期に外的・内的な要因により大ゴケした連中である。本人は「こんなはずでは」と思っている。一大事である。そして、他人にとっては正直、別に珍しくもない。
多くのエリートが夢想する「汚点のない人生」への夢を挫かれた哀れな人種である。本人もさすがにそれは諦めている場合が多い。同窓会へも行けなくなっている。己の栄誉は既に失われた。
ならば彼らが次に望むものは何か。金である。最低4桁は欲しいと思っている。
だが親は、もっと諦めている場合が多い。どこでもいいから社会復帰してくれ、健康ならばそれでよい、と思っている。
その意識差に彼らは苦しんでいる。元よりそこを妥協できる人種ならばニートにはならず高学歴ワープアになっているはずなのだがそこは親には分からない。
あまり大きな声で言えないのだが、高偏差値ニートは彼の代から成り上がれそうだった、という場合が多い。
そこで私は彼らの夢を叶えるべく少しだけ知恵を絞ってみた。役立てば幸いである。
そのまんま。彼らが籠もっているのはプライドと現実と親の妥協した望みの間で動けなくなっていることにある。
家を出るには金がいる。ニートの家はたとえるなら、共産国家である。私有財産などない。小遣いもあってないようなものである。自室の物すら半分は親の物である。その情けなさが彼らをより卑屈にさせるのであるが、それは今はともかく、金がないと家を出られない。
もちろん仮病である。
代表的なSSRI(参照)とマイナートランキライザー(参照)の名前と薬効、副作用を一通り暗記しよう。wikipediaがあれば3時間も要らないであろう。
次にメンヘラの思考・行動様式を観察・模倣しよう。2chのメンタルヘルス板、メンヘルサロン板が最適である。そこで鬱になった人が投げかけている相談、日常でどう支障をきたしているか、どういう愚痴を言っているか、を徹底的に学ぶのである。3ヶ月も要せずにあなたは彼らの「理解者」となるであろう。
そして通院である。矛盾のないストーリーを雄弁に、しかし鬱々と語ろう。医者は関心なさげにするであろうが、人生の汚点についても延々と苦しげに自分語りをしよう。ひき篭もり始めたあたりからその兆候があったと述べるのがよい。そして診断書をもらおう。驚くべきほど簡単にもらえる。もちろん薬など飲んではいけない。病んでない者には危険である。
ハロワはロクに採用する気もない企業がたくさんいる。とりあえず受けてみて、4つほど落ちよう。面接時には必ず重度の鬱病であることを暴露することを忘れずに。万一受かってしまった場合、採用後鬱を理由に仕事をドタキャンしよう。数回ドタキャンすればハロワで就けるような職場なぞすぐにクビになる。クビになったという事実もかなり大事である。後々、必ず役立つ。
ナマポ申請である。親に見捨てられ、鬱で、仕事もできない。自治体によるが、楽勝である。おめでとう。
ナマポで生き残れとはもちろん言っていない。自力で経済的に成功しないと高学歴ニートは成仏できない。勉強しよう。
士業がよいだろう。東大行くよりはよほど楽である。なんなら国立医学部でもいいだろう。
理系高学歴なら3年24時間フル活用すれば地域を選ばなければ正直なんとでもなる。
高校物理など大卒には遊びであることはエリートニートには周知のことであろう。
ギャンブルや酒をしなければ勉強のための費用など簡単なものだ。勉強は近場の図書館でするといいだろう。
勉強していることは役所の連中には隠しておこう。参考書が見つかったら「しようとしたが鬱でまるで手がつかぬのだ、社会復帰したいのだが」と悲しげに言おう。
医学部の学費だが、長年ニートを養えるような家庭なら大丈夫だ。医学部なら学資ローンや奨学金も楽勝である。安心して偏差値レースに舞い戻るがよい。
以上である。やってみれば分かるが、勉強できる人間であれば驚くほど簡単である。
親と医者と役人と納税者を欺くことになるが、どうせ今のままでは余計社会のお荷物となるであろうし、
長期的に考えれば実利的には誰もが得をする。win-winである。
「医学部に受かるのか」という声が多いが、前提として当エントリの対象者は「勉強しかできぬクズ」であり、そのような方は残念ながら増田の念頭に初めから含まれておりません。
教育問題が取りざたされて久しい。
私はとある私塾の講師として授業を受け持っていて、担当は高校3年生が中心である。
高校生ともなれば、ある程度の学力のばらつきが出るのは当然であり、
高校の授業内容を全員が等しく身につけることは必須ではない。
有り体な言い方をすれば、良い大学を受験したい人はしっかり勉強すればいいし、
そうではない人は適当にやっていればいい。
実質的に教育問題とは、とくに初等教育の問題であると考えてよいだろう。
特に、生活のリズム、社会のマナーを身につける小学校という場について考えてみたい。
一般的なのは、教育系大学あるいは教員養成系教育学部をもつ大学に進学することである。
http://www.keinet.ne.jp/doc/dnj/rank/12/k205.pdf
を見てみると、教員養成系の大学の偏差値は50~55程度が多いように見受けられる。
これらのレベルの大学を卒業した学生が教員となり、現場で児童に教育することになる。
http://www.keinet.ne.jp/doc/dnj/rank/12/k203.pdf
自分の高校時代を思い浮かべてもらいたい。
偏差値70のトップレベル集団と、平均点そこそこの集団は違う。
具体的な人間を思い浮かべてみてほしい。
さて、教育特に初等教育は、親からの目が特に厳しい職業である。
小学校の教員のもとには毎日まさに鬼のようなクレームが寄せられるらしい。
そんな業種として、他に医療が挙げられる。
そしてその医療の担い手として大きな役割を果たすのが医師である。
医師になるためには医学部医学科に入学する必要があり、その偏差値は理系の中でもトップクラスである。
http://www.keinet.ne.jp/doc/dnj/rank/12/k210.pdf
によると、国公立の医学部医学科の偏差値は65~70程度が多い。
教育も医療も、周りの期待が大きい。耐え切れないほどの重圧がのしかかる。
教員の立ち振る舞い方で、児童はいかようにも変わっていく。それが初等教育であると考える。
かつて、私立医学部に入学するのに必要な偏差値は50を切っていた時代があった。
今では軒並み65程度まで上がっている。
医療の現場では、患者やその家族との信頼関係を作るように現場レベルでの指導が行われ、徐々に大学医学部での教育も変容しつつあるようだ。
教育も同じであるべきである。その時に求められるのは教員がいかに児童や保護者との信頼関係を気づいていくか。
それを念頭に置いた教員養成のための教育が、今の限られた教職課程の授業の中で行われているのか。
そしてそれを実現できうるレベルの学生が今の教員養成系の大学に集まっているのだろうか?
教育を本当に志す者のための教員養成機関になっているだろうか?
決して、就職先がない人の掃き溜めであってはならない。
強い信念を持った素敵な教員が増えることを願ってやまない。
何で天皇は自分の心がつまらないことも理解できないのか。明治憲法にしろ現行憲法にしろこういう子供に何の夢も希望も与えない保守的なものを作るべきでない。私が公民で初めて憲法を見たときは「何が平等だよつまんねえこと言うな」「何だこの古色蒼然とした漢字の羅列は」と思ったものだ。「君が代」も歌詞が意味不明でつまらない。とにかく全体的に退屈で、なぜこんなものが日本国家の礎になるのか、その発想自体が理解不能だ。また天皇の実施する学校制度も極めてつまらない上、ここ30年は失敗している。これでは救いようがない。他方、民間の作るものは実に面白い。天皇が大学入試競争の存在を認めない反面、予備校や出版界は入試競争や偏差値差別の存在を認め、学生の心を明るくする情報操作に満ちている。こういう面では、天皇より、民間やヤクザの方が優れている。しかし、天皇制にはかなりの程度支配力があって、楽しんでいる者の邪魔さえする程度に達している。今の日本の真っ暗さをみれば明らかだろう。つまり天皇制とは鬱の象徴であって、せっかく躁状態になっている社会を脅かす存在なのである。日本は常に躁状態で世界制覇を目指せばよい。ところがなぜか日本の歴史には常に天皇制という厄介なものがあって、つまらない真面目腐ったことを言って楽しんでいる人の邪魔をしてくる。しかもその程度が尋常でないのは裁判所の長ったらしい判決文や警察の取調べをみても分かる。精神を殺しにかかってくるレベルなのである。なぜこうなるのか。それはもともと日本社会に鬱的傾向があって、それが支配的だからだろう。民間やヤクザのように、差別のある明るい躁状態の社会は例外的で、日本人なんて何をやってもだめだし、どうせ地道に生きるしかないという本質的な諦念がこの国に鬱という原則をもたらしている。それがここ数十年のグローバリズムで、何が何でも躁にならなければいけないという風潮が、天皇制を抑圧し、民間やヤクザの価値観の伸張を可能にしてきたが、二度の経済失敗によって再び日本全体が鬱状態になり、天皇制にすがろうという空気と、ここまでやったからには諦め切れぬという民間やヤクザの勢力が拮抗状態になっているのが現状である。しかし、鬱の天皇制と躁の民間ヤクザが戦争をするうちに、日本人の精神はズタボロになって、様々な紛争や事件が起こる中で絆を喪失し、気がついたら精神が空洞化した地獄が現出していたわけである。このように鬱と躁が戦争をするとろくなことにはならない。しかも鬱勢力の執拗さはすさまじいものがある。日本はそろそろ鬱の天皇制をかなぐり捨てて、差別のある明るい躁社会のデザイン設計をしなければならないのではないか。それにはまず受験競争を認めたうえで、東大を中心とする帝国社会へと再編成して、学力により人間を序列化することだ。それによって日本は極めて面白い社会になるはずだ。
地域格差を考えなよ
http://todo-ran.com/t/kiji/10714
いやむしろ200万いってたらいいほうかもしれない
http://todo-ran.com/t/categ/10009
ttp://anond.hatelabo.jp/20110916100034
こっちもはっとこう
そうだよ、まともな子育てできるわけないじゃん
http://todo-ran.com/t/kiji/11963
当然持ち家率も低い
http://anond.hatelabo.jp/20110923180937を読んで思った。
増田は「自分に嘘をついている」というけど、その興味のある分野を勉強するには増田の学力じゃ足りない訳で、妥協して違う勉強したら「やりたいことじゃない」って言ってる。
それは自分を欺いてるのとは違う、理想に叶わなかった現状にダダこねてるだけだ。
だいたい何で入学時にそういうことが把握できなかった? 未来を把握できなかったツケが回ってきているだけじゃないか。
親のせい? ちゃんと授業してくれなかった高校のせい? 推薦してくれた先生のせい? ガイダンスが十分でなかった大学のせい?
「勉強についていけないので辞めます」というのを「自分を理解できていなかった」というオブラートに包んで「ねっ私かわいそうでしょ」っていう感じ。
「この卒論は自分の人生に意味を持たない」なんていうけど、大学卒業した人間で卒論の内容がその後の人生に大きく関わる人間なんて全体でみたらあんまりいないんじゃないかな。
目の前の卒論を仕上げられないくせに、「やりたいこと」もできなかった自分のプライドを大切にしている。
そこまで「確固たる自分」を偉いと思い込んでいるのが不思議で仕方がない。
少なくともいろいろアドバイスしてくれた教授のほうが偉いよ、教授に従って卒論だけでも仕上げて卒業しな。好きなことはそれからやればいい。
本当に「やりたいこと」があるならば、どんな環境でもやりたい人はやっていくし、環境のせいにして「できない」って言う人は本当にやる気がない人だから。
「自分に嘘をついている」とは便利なキーワードで、「嘘をつかれている自分」は限りなくピュアな存在であって「嘘をつかざるを得ない環境」だけを責めている。
大学で卒論出すような年齢なんだし、そろそろ自分の責任は自分でとろうよ。「自分に嘘をついた」なんてキレイな言葉の誤魔化しはやめて、カッコ悪いけど「やっぱりできませんでした」っていうレッテル貼って生きていくしかないんだから。それが増田の本当の自分なんだから。
ここで残れなかった人は親共々地方に移住
逆に残れれば親と一緒に上京可能
無理でも寮完備
東京にあるエリート会社にはエリートコースからしか入社できない
むしろ一度地方に行ってしまうと二度とエリート都市東京には侵入できない
くらいしないと無理
俺は社会に出るまで中学受験というものがあるのを知らずに育った。
周囲にも中学受験なんてしている子はいなかったし、そもそも受験しに行く中学がなかった。
当然、小学生の塾通いもない。
さすがに高校受験はするが、無理をしなければ推薦で入学できてしまう。受験なんて行事みたいなものだった。
大学進学をはなから考えていないので、高校の選択で無理をしないわけだ。
余談だが、田舎ではレベルの高い私立高校がごく一部を除いてない。私立に行く=勉強できないと見られる。
中の上レベルの高校は公立に集中している。
親が低学歴だと収入が低い。私立の学費は払えない。必然的に公立に行く事になる。
大学に行くのは奨学金がもらえるほど優秀ではない限り、金銭的な問題で難しい。
親の生活が苦しいので子供にはすぐ働いて欲しいと思っているからだ。
30万規模の地方市
自分:幼稚園未経験→公立小学校→公立中学校→公立高校(偏差値63に推薦入学)→就職
親が低学歴でも中学や大学受験の選択肢があったり、私立中学や塾に行かせてもらえるだけのお金がある子はラッキーだと思うよ。
塾や私立にいけるのが当たり前ってのがもう、俺とは感覚ずれてる。
http://www.oecdtokyo2.org/pdf/theme_pdf/education/20080909eag2008.pdf
OECD 加盟国の中では、男性の大学進学者数が女性を上回る国は日本、ドイツ、韓国及びトルコのみであり、その差は日本が最も大きい。日本における大学型高等教育機関への進学率は男性が52%、女性が38%であるのに対し、OECD 平均では男性50%、女性が62%である。
男女平等が進むと女性の方が大学への進学率は上がるのに(それこそ男性は学歴がなくても体力でどうにかなる仕事があるから)、日本はまだ女性の方が進学率が高くてしかも男性との格差が一番低い、と。
日本の女性は男性に比べて浪人を禁止されたり教育費を抑制されるから大学に行ける学力を持っていても短大に進む人がいるため短大進学率が上がると。
何も矛盾してないじゃん。
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20110812/1313128129
これを「まずい客対応」と解釈してしまうyaneuraoさんは、単にマイノリティというだけではなく、「ひねくれ者」のそしりも免れないだろう。それは、素直さや謙虚さの欠如に起因するもので、このままでは、今後も小説を楽しく読むことができないのはもちろん、人生を楽しく生きるということさえ阻害されてしまう。これについては、問答無用で直されることをお勧めしたい。
http://blog.tatsuru.com/2011/09/02_1151.php
学ぶ側の「無垢さ」、師の教えることはなんでも吸収しますという「開放性」、それが「師をその気にさせる」ための力であり、弟子の構えです。たとえ、書物の中の実際に会うことができない師に対しても、この関係は同様です。同じ本を読んでいても、教えてもらえる人と、もらえない人がいるのです。
「学ぶ(ことができる)力」に必要なのは、この三つです。繰り返します。
第一に、「自分は学ばなければならない」という己の無知についての痛切な自覚があること。
第二に、「あ、この人が私の師だ」と直感できること。
第三に、その「師」を教える気にさせるひろびろとした開放性。
この三つの条件をひとことで言い表すと、「わたしは学びたいのです。先生、どうか教えてください」というセンテンスになります。数値で表せる成績や点数などの問題ではなく、たったこれだけの言葉。これがわたしの考える「学力」です。
言ってることは全く同じです。ハックルさんの記事にダメだしをしておきながら、内田先生のコメントに熱烈なラブコールを送ってる○○さんは頭悪いなぁと思う。
消化力が強い"には、"腐りかけのものを食べても腹を壊さない"も入れてほしいなぁ。
です。この3つで学力を定義とするならば、学力低いと言われても「学力の高いバカ」になるよりはマシな場合もあると思いますね。
もし目標のために大学に行かないという選択をとった人間は、こいつらにモチベーションを下げられないように。
人からの視線がフリーターになる以前よりうっとうしくなってきたら危険信号。
それ以前の友達は、自分の性格を見て応援していたのではなく、「アナタは私と同じレベルの学力・社会的地位なんだから、同じ馬鹿同士頑張ろうね」みたいなニュアンスで言っている。早い話、フリーターになった瞬間、下に見られる。場合によってはコレが親に信頼されなくなるより辛い。
信用を下げるだけ。少ないが、ちゃんと話を聞く人間も必ずいる。
11で書いたことを実践して、出来た友達は信頼できる。めちゃくちゃ信頼できる人間。この時代に彼氏彼女を作れたらベストかもしれない。