大学レベルの参考書(学術書)や論文を書く人も所詮は受験競争を経験した人で、受験勉強で得た知識が少なからずその後の思考の枠組みに影響を与えていると思うんだよね。
それで「枠組み」なんてものはなかなか自覚的に認識できるものじゃないから、その枠組みを共有していない人にとってはより言葉を尽くさないとわからないことでも「既知の事項として」という感覚すら持たずにそういう言語化をはしょって文章を書いている部分があると思う。
特に幾何学に関する記述は、本人のセンスにとっては空気のように当たり前のことでその説明がシンプルであったりしても、なんでそうなるのってことが枠組みの無い人にはわからない。ある人からすれば「なんかこいつすごく察しが悪いな」としか思えない。
これは大学と高校の話ではなく高校とそれ以下の話なのでたとえが悪いのだが、たとえば高校物理である角度と別の角度が同じという事実から式を導出するのに、なぜ角度が同じかという説明まではされてないみたいなことがある。
これは中学までの数学を身に着けた人にとっては当たり前のように角度が同じだと認識できるが、そうでない人には説明が必要。
しかし書き手はすべての読者のレベルに対応することは不可能だし、「枠組み」さえあれば当たり前のようにしか思えない角度の同じさを説明しようという発想すら起こらないから、こうしたことがある。
こういうことはは中学受験レベルの算数から差がはじまっていて、ああいうのが解けるような学力をセンスとしてあるいは勉強したことで枠組みとして身についてる人と、そうでない人とでは、同じ文章では伝わらない程度の断絶ができていると思う。
自分には大学レベルの本を理解する素地が足りているのか、と思うから、彼らが通っているはずの受験勉強から得た枠組みと同じものを自分にも構築すべく、高校レベルのことを勉強しなきゃという強迫観念がなくならない。学術書や論文の書き手も当然すべてのレベルの読者には対応してないし、かりに対応しようとしても「枠組み」は「空気」のようなものだから、枠組みを持たない人間を無自覚に想定読者として排除してしまうだろうから。
]]>マジでネトウヨ認定てゴミのすることだからもう少しそれに自覚的になったほうが良いと思うよ
]]>優柔不断ってのは、「優しく柔らかく断ずることなく」って意味の言葉だからな?
「優しい。柔らかい。BUT 断ずる事ができない」じゃないから。
「優しい つまり 柔らかい つまり 断じることがない」だから。
「優しさ」ってのは「断定しない」ってことなんだよ。
逆に考えてみ?
なんでもかんでも「俺はこう思う!だからお前もそうあるべきだ!」と言ってる人は優しい人か?
違うやろ?
優しくなさの塊やろ?
「俺は違うと思うが、コイツがこう考えるなら、そういう考え方もあるんだろうな」って考えられる人が優しい人なんだよ。
つまりな、「自分の想像力や理解力の限界に自覚的であり、あらゆる可能性が存在することを最後まで捨てない人」が「優しい人」なんだよ。
優しい人はこっちが無理を言っても「なるほど……コイツにも考えや都合があるのだろう……今回は飲んでやるか……」と手を貸してくれる。
そういう態度に甘えていくうちにいつからか「俺に都合よく動いてくれる人」≒「優しい人」みたいに考えてしまうのが日本語力赤点かつサイコパスのクソ野郎。
優しい人が大きな決断を後回しにしがちなのは、自分の想像力の限界を知っているがゆえに、行動をする前にリスクの判断を限界までやろうとしてるから。
物腰が柔らかい人がなぜ柔らかな対応をしているかと言えば、想像力のない人間が抱きがちな「俺はマジで素晴らしい人間だから、みんな俺の言うとおりであるべきだし、俺に対して敬意を払うべき」という傲慢さがないから。
優しさとは、柔らかさとは、自分の判断力を疑うという行動方針によって生み出される態度なのだよ。
分かったかね?
]]>①増田が強度の高い「ごっこ」を望むなら、それに乗る相手は見つかっているはず
②増田が「ごっこ」ではなく(セックスだけでなく)人生をめちゃくちゃにされたいなら、自覚的である時点で不可能
俺は嘘松じゃねーかと思う
]]>普通に変な人だよね
]]>でも、話そうとすると声がかすれた。
ちなみに俺は、精神科に勤務する看護師だ。
端的にいうと、20年近く勤めている病院で看護部長と上手くいかず、メンタルがやられて眠れなくなった。バッチリ、適応障害にあてはまる。
それもさ、精神科認定看護師と精神看護専門看護師なんて大層な名前のする資格も持っていたりする。
何が認定だ。どこが専門だ。
今になると、どこか恥ずかしい感じすらする。
この反応もあるいは症状なのだろうかと思う。
とくに、ここ最近は、動悸(心拍が上がるというよりは心音に自覚的になってしまい、苦しくなる)、呼吸苦、声が出なくなるような感覚、不眠や中途覚醒、早朝覚醒、強い不安感などが出現している。
注意力や集中力の低下も顕著に感じる。自宅でも仕事についてのことで不安で頭がいっぱいな状況であり、気持ちが休まらないことが数ヶ月に渡って継続している。
特に夜に帰宅する際、1人で直線の長い道路を運転していると、ふと「車が追突してくれたらいいのに」「ガードレールに突っ込んだらどうなるだろう」という考えが浮かび、自分の考えに恐怖し、慌てて否定することもあった。
毎日、行き詰まり感、やるせなさ、無力感、情けなさ、恥ずかしさなど様々な感情が渦巻き、頭がいっぱいである。
恥ずかしながら、イライラや落ち込みも増え、職場でも他のスタッフに不快感を与えるようなコミュニケーションをとっているのでないかと感じている。
そんな僕だけど、自分自身で向精神薬を飲むのは初めてだ。「処方された薬はキチンと飲みましょう」と患者さんに言い続けてきた僕ですが、余分な知識があるせいか、服用することに変な期待と地味な恐怖感がある。
あと休職もすすめられたが断った。
会社での自分の立場がさらに悪くなると思ったからだ。しかし、これも典型的な反応だ。
まあ、スルピリドは胃薬みたいなもんだからな……
ひとまず、元気になる胃薬を飲もう。
皆様もご安全に。
]]>もちろん、「自分にとって役に立っていない」という実感から出発して、(なんらかの理論的な接合点を提示して)「世の中の大半の人にとっても役に立っていない」という立論をすること自体が無理筋なわけではない。
しかし、三角関数をめぐる議論と同様、「社会システムの維持・運用・改善において、どのような役割を果たしているか」を充分に理解して初めて、それを主張する権利があるんじゃないのか、と思う。
言うまでもなく三角関数の社会的な実利の最たるものは、工学の分野における設計・計算・分析、さらにはその背景にある数学的思考法そのものへの貢献だよな?
じゃあ、漢文は?
これに対する答えが全く思いつかない奴は「能力不足により学習成果を碌に得られなかったせいで、勉強に意味がないと思っている馬鹿」だから、発言資格なしな。
(教養なき輩に教養が何たるかを語ることができようか。)
【参考】
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/m-dojo.hatenadiary.com/entry/2024/03/01/033138
最近なんかブクマカの傾向が変わって、自分の頭で考えることが苦手で権威に弱い奴が増えているから、わかりやすいように、まず権威を引っ張ってきてやるな。
日本の文学は漢字に非ずや、日本の文学は漢文崩しに非ずや、漢字を用ゆるの法を解せずして、能く文を作ることを得んや、真に文に長ぜんとする者、多く漢文を読まざる可らず
(幸徳秋水『兆民先生』より)
まあ、僕が言いたいことは中江兆民が全部言ってくれているなって感じなんだけど、自論として敷衍すると、主に以下のことを主張したい。
(1)現代社会において(おそらく歴史的にも)、最重視されているのは言語コミュニケーションであり、非言語コミュニケーションは補助的役割しか果たしていない。
(2)よって、社会全体の「言語運用能力」の水準維持・向上は、優先順位が著しく高い。
(3)日本社会においては現代日本語の運用能力が重要であるが、現代日本語は突然変異的に現れたものではなく、漢文や古文といった歴史的蓄積を基盤として成り立っている。
(4)したがって、義務教育において漢文の語彙・修辞を学習することは、多くの人が現代日本語における表現技法に長じることに繋がり、より豊かな自己表現・他者理解の実現という形で、社会全体の福利に資するものである。
(1)と(2)は、まあ大体の人が同意してくれるかと思うけど、一応補足すると、たとえば、「勉強ができない小学生はまず国語ができていない」っていうのはよく指摘されているよな?
なんでって、そりゃ「学習は言語による伝達が前提とされているから」だよな。
これは歴史的に過去の蓄積の継承には言語が最も重要な手段だったからだよね。だって、対面なら非言語的な手法もある程度役に立つけど、時間的・距離的制約からして対面による伝達のみに頼るのは非効率すぎるよね。
今となっては、動画や音声を記録してそれを広く伝播させることも可能にはなったけれど、それだって結局かなりの部分を言語に依存しているよね。
世界中を探せば、たとえば言語ではなく音楽を用いたコミュニケーションを重視する民族が存在するかもしれないけど、そういった方法論は全くヘゲモニーを握っていないよね?
「画像」を共有するインスタ、「動画」を共有するTikTok、それぞれそれなりに流行ったけど、これらがSNSの最大勢力か?違うよね、ここでも「言語」を共有するコミュニケーションツールが最大勢力よね。
したがって、「言語」の問題は、他の「音楽」とか「美術」とかと同列に語ることはできない。
個々の認知・思考への影響もあるけれども、それ以上に社会全体の問題として、人類の発展を支えてきた知恵・知識の継承、認識の共有による社会形成といった点において、「言語」こそが最優先と言ってもいい。
で、どっちかっていうと、(3)や(4)の方が意見の分かれるところだよね。
この辺は実感がない人が一定数いても仕方がないかなとも思うので、いくつか具体例を挙げていく。
たとえば、語彙のレベルでは「五十歩百歩」とか「鼎の軽重を問う」とかになる訳だけど、もう少し広く文章表現にも関係している。
冒頭で書いた「教養なき輩に教養が何たるかを語ることができようか」は【反語】という表現技法で、これ漢文由来です。(もちろん英語にも反語的な表現はあるけど、日本語の文章表現の由来は漢文の方。)
「すべからく~だ」の誤用がちょくちょく話題になるけど、これ【返読文字】という漢文の読み下し技法を由来とする表現だね。(漢文的には「須らく~べし」)
あと、よくあるのは、【対句】かな。「Aはα、Bはβ」みたいなやつ。
杜甫の『春望』の「感時花濺涙 恨別鳥驚心」(時に感じて 花にも涙を濺ぎ 別れを恨んで 鳥にも心を驚かす)が典型例。
項羽の『垓下の歌』の抜山蓋世、正確には「力抜山兮気蓋世」(力山を抜き 気世を覆う)も有名だけど、厳密には対句とはちょっと違うのかな。
こういう文章表現、現代日本語でも見たことない?
それと、結構重要な影響を及ぼしているのが、「同じようなことを複数回表現したいときに、できる限り同じ言葉を使わない」というルール。
冒頭で僕が書いた「能力不足により学習成果を碌に得られなかったせいで、勉強に意味がないと思っている」っていう文章だけど、これ「勉強が苦手だったせいで、勉強による成果が得られなかったせいで、勉強に意味がないと思っている」という表現だったら、どう?
なんだか頭悪そうに見えるし、その点を置いておいても、同じ単語が出てくるせいで目が滑ってあんまり頭に入ってこなくない?
要するに、見栄えが悪いという美学の問題でもあるんだけど、読みやすさや読み手に浮かぶイメージの豊かさの観点から、できる限り、別の語彙で(=表現を吟味し、言葉を尽くして)語るのが良い文章ということだし、これは漢文から大いに技法を学べるところなの。
文化的影響の側面を言い出したら、たとえば井伏鱒二の「さよならだけが人生だ」とかかなり色々あるけど、実利の話としては脱線かもしれないし、そこはまあいいや。
とりあえず、ざっとした話としては、「漢文は現代日本語の語彙・表現・リズムに大きく貢献しているし、それは無意識のうちに現代日本語話者に多大な影響を及ぼしている」とだけ理解してくれればいい。
漢文が重要なのは「言語」が重要だから。
漢文を学ぶことは現代日本語を学ぶことであり、これ抜きに豊かな文章表現はできない。
できるっていうんなら、実例を持ってきやがれ、ってんだ。
(実際、本当にそういうものがあるのなら、日本語の新たな可能性だから、見てみたいと思う。)
優先度が低い
こっちは優先度が高いと思っていて、その理由を「言語の重要性」と「日本語における漢文の重要性」としてるので、「優先度が低い」とだけ主張しても平行線なのよ。
どちらかの点を否定する論拠がほしい。
現代数学だって当然に突然変異ではなく歴史的蓄積を基盤として成り立つものであるが、数学能力を育むためにユークリッドの原論から始めようという奴はおらぬ。
一理ある。
ただ、問題は、現代日本語の「修辞学」を学ぶ方法がほとんどなく、事実上、漢文がそれを補っている、っていうことなのよ。
現代文の授業で充分論理的な表現技法を習える。
断片的な読解テクニックは教えてもらえても、まともに「修辞学」を習えた覚えがない。それを言うなら漢文だって充分ではないけど、有用度は漢文の方がかなり高いと思う。
まあ、しょせん僕の経験でしかないので、ある程度多くの人の共通体験として、「現代文の授業のおかけでこれが身に着いたよね」というのが明確になれば、議論も落ち着くのかもしれない。
漢文や三角関数は高校で習うのでは?
そうだっけか。
僕は中一で漢文、中三で三角関数を習ったけど、私立の中高一貫だったので、カリキュラムがいびつだったからなのかも。
もしかして、普通の公立の中学・高校の学校教育のことわかってないかもしらんね。
そういう意味では、僕の方こそ発言資格ないかもしれない。
(高校で)論理国語は選択、(中学で)漢文は必修。
なるほど、2022年から「論理国語」という科目が増えたんだね。ものを知らずに思い込みで主張して申し訳ない。
https://www.taishukan.co.jp/kokugo/product/?type=textbook&id=63
カリキュラムを見ると、「定義」「具体的/抽象的」「立場・対比・対立・仮説」「統計・分析・分類」等に重点を置いているみたいで良さそうだね。
これを必修化してはどうか、というのはよくわかる。
]]>と思いきやそこから先にも上達の壁はいくらでもあるし、飽き性のおれはそこを超えたら慢心して最初の向上心が遥か彼方へ行ってしまった。
何やったって最初は誰でもメキメキ上達するし、その楽しさに乗じてそこそこの所まではいける。それでもやっぱりどこかで頭打ちになってきて、よほどの関心や情熱がなければしんどくなってくる。楽しくない練習でも地道に続けないと成長が止まってしまう。楽しめるといいよナ…その少しずつの歩みを……
でも実際のところは惰性で続けるばっかりで、成長もせず足踏みばかりのもどかしさに負けて、楽しさも失せて投げてしまう。
こういう中級者、上級者の壁ってどんな趣味にもあるような気がする。型通りの事はそれなりに出来るけど、自分のやりたい事を自由に出来るほどのレベルではないもどかしい期間。ここを超えて、頭の中でこういう動きをしたい、こういう表現をしたいって思った事を正確に取り出せたらどれだけ楽しいだろうか。
色んな趣味に手を出しては最初の初期衝動的な楽しさばかりを食い漁ってまたよそへ行くおれみたいな飽き性、器用貧乏タイプはまあ世の中ゴロゴロいるんだろうなって思う。逆にそういう所でストイックになれる人間ってどれくらいいるんだろうなって思う。
世の中の人間は自覚的にでも無自覚でもちゃんと自分の興味に食らいついて生きているのか。おれみたいに惰性で生きてウジウジしているのか。そういう事を考えて自覚することすらなく漫然と生きているのか。
おれも人生で一回くらいは上級者の壁を越える感覚を味わってみたいぜ。好きな曲聴いて脳内エアギターを掻き鳴らすのも割と楽しいけど、やっぱ五感で味わいたい。なので半音下げチューニングが億劫で手を出していなかった群青日和を練習し始めた。目標目指して弾いてるとやっぱ楽しい。
]]>元増田の失敗は増田という界隈で吐き出したことだな。
界隈によって正義は変わるんよ。マッチングアプリ界隈なんて要は出会い系界隈なんだわ。暗黙のルールがあってどんどん進めて行く界隈。それをマッチングなんて砂糖にくるんで安全ですよ〜みたいにやり始めてるからややこしいけどな。
ともかくここみたいな理論理屈ですべての感情もコントロールできるみたいなウンチング机上空論何も生み出せない進められない考えてます気づいてますアピールしかしない界隈で話しても間逆すぎて無駄です。
ホテル行って何もしなかったら男のせい。これが出会い系界隈。
ホテル行って合意確認してその気がなかったら男のせい(別に手を出してないのに!)。これがウンチング(中略)界隈。
ウン(中略)界隈は「じゃあマッチング界隈が変わって来たんじゃないすか〜」みたいな身にもならん移行期におけるアップデート側こそ正義みたいな運営側の肩持つようなクソオブクソを投げつけてくる。ホント正義ぶって攻撃的ですよね。いや従前の界隈文化があってそこに界隈が育ってたわけやん。運営やメディアはアップデートしましたみたいな建前で出会い系としていた界隈をマッチングアプリ界隈として清潔ですみたいな印象操作してるけど、実態の運営を支えてるのは従前の界隈文化および男の性欲だろ。それらを机上の空論でワルイコトにし続けるならあとは男なんて詐欺師しか残らんよ。そしたら女もクロサギ化が残っていって界隈勘違いして入った女性が傷ついて終わりの地獄絵図が残るだけだよ。このお相手の女性が本当の男詐欺師に引っかかったらと思うとゾッとする。運営はいいよ?金が生まれるんだから。男が詐欺師だろうが女がクロサギだろうが女性が傷つこうが金は生まれる。
ウン界隈はそういうのが分かってない上に机上の空論でいいこと言った気になって、その実上記の界隈詐称の強化という悪い方向に物事を進めてしまっていることに無自覚な、悪魔の手先の受け子やってるような方々なんだわ。受け子には真っ白な制服が渡されて「自分は天使の活動をしてるんだ〜」なんて思い込んじゃってさ。愚か愚か、愚かどころか「ある意味被害者」という名の「加害者」ですあなた達は。詐欺師の背中を静かに押して、女性の被害者を少しずつ増やしていく。気づいてくれ頼む。真っ白な棍棒を「天使の警棒だよ」と渡されてバカみたいにそれを使わないでください。それはもう攻撃的な「加害者」です。もしくは自覚的にそれをやってる何とか騎士団ですかね。だとしたら終わりだな。終わってるほんと。これだけ言ってもあなたがたの攻撃性には遠く及ばないのが悔しい。
はい、つまりその界隈の構造を理解しきってない元増田さんが悪いです。元増田の界隈理解は片手落ち。今は上記の構造のため別界隈文化のメンバーも参画していて詐欺師が残るように残るように悪魔と天使(自称)達に仕向けられていますので。詐欺師以外は犯罪者のレッテルを貼られます。今回のお相手のような人とはトラブルになる前に優しく「こちらから」切っておくのが正解。優しい顔で無関心。あなたが生き残るにはより狡猾な詐欺師になるしかありません。あいつ達のせいです。あ〜あ。
]]>本人は「他の人より仕事できない、仕事の締切を守れない、遅刻する、何度も同じことを聞く、眠れない、タバコと酒がやめられない、浪費癖が治らなくて貯金がない」のが辛いと言ってた。自覚的な困難はあるんだよ。
これを俺から勝手に産業医に相談すればよかったんだろうか。
]]>⚫︎放火魔の漫画は過去作の再掲だったが、まだ現場の鎮圧すら終わらない状況で思わせぶりなキャプションをつけて投稿されたものに事件風刺の意図がないとするのは無理筋である。『ルックバック』も同様に、あの日付けにあのストーリーを掲載した時点で議論の俎上から逃れる道はない。
⚫︎実在の事件を扱った作品は『ルックバック』だけではないとの反論が発表当時散見されたが、『ルックバック』の場合、作者と事件の距離感が特殊である。事件について作者が共感と感傷を寄せすぎている。おそらく第三者として事件を咀嚼せざるをえない無力を嘆く意図があるのではと推察する。
⚫︎主人公が戯画化された危険な精神病者を成敗する(妄想をする)というスカジャパ“チック”な核がエモやら創作賛歌やらで巧みにコーティングされているため、受け手によって論点がブレがちで、ややもすれば本職のクリエイターすら無批判に歓迎していたりする。技術的な面に重点を置いて語る者はこの限りではないが、例の事件への追悼だとして賞賛する者は氷水入りのバケツに頭を沈めた方がよい。
⚫︎特にクリエイター界隈では極めてセンシティブな素材を扱うのだから、作者もそれなりに慎重になっているのかと思えば「(アニメ化が)楽しみです」ときて、もう何も分からなくなった。「未消化なものを消化」できたら次は他人の手に作品を預けて更なるコンテンツ化を許すのか。事件関係者が未だ苦しむ中で何を「消化」したというのだ。
⚫︎いや、アニメ化された途端に強い当事者性を帯びる可能性があるのか。ほとんどの役職を一人で担う中で原作担当までするのは難しかろう。有りもののネームバリューを借りるのは仕方がないのか。
⚫︎作者は次作『さよなら絵梨』でキャラの口を借りて「受け手の心を揺さぶるならば作り手も傷つかなければフェアではない」といった主旨の主張をしているが、作り手も一緒に傷つくなら受け手を巻き込む無神経が赦されるわけではないのではないか。
⚫︎今一度強調するが、この話は『ルックバック』の作品としての質を懐疑するものではない。とても上手い漫画であることに疑いの余地はない。
以上、SNSで呟こうとしたものの、厄介な人に噛みつかれそうでやめた散文をここに投げる。
]]>増田の方がよほど悪意に自覚的に見える
]]>撮影の現場にどれだけ多くの人が携わっているか想像できるだろうか。
現場はもちろん上には企画がいて、スポンサーの広報や決済者、広告代理店、膨大な人数が「あなた」の作品のメディアミックス化事業に携わっている。
「あなた」には作品を守るために著作人格権を行使し制作を止める権利がある。
権利を行使した結果、数百人の稼働に穴が空き、会計的にはすでに切った手形を組み戻す事務手続きも生じるだろう。
上場企業だと会計で特別損失を計上し、株主総会で株主が経営陣に問いただす場面も生まれるかもしれない。
ケータリングの業者は仕入れが無駄になったり、貸衣装も行き場を失い、ロケ地の観光協会は肩を落とせば御の字で、印刷代も無駄になったかもしれない。
「あなた」の担当編集はしばらく昇進の目はなく、かつて「あなた」の担当だった編集長も肩身が狭い思いをするかもしれない。
「あなた」が同人誌即売会で合体サークルを作ってる作家とは付き合いが疎遠になるかもしれない。
もちろんこれらは全て杞憂かもしれないし、仮にこの内の誰かが首を括ったとて「あなた」にはなんの責任もない。
だとして「あなた」はその権利を行使するかどうかの判断を気分良く下せるだろうか?
過ぎたる力を手にしたと後悔はしないだろうか? 作品を守るためならあらゆる犠牲を許容すると主張できるだろうか?
とはいえそんな犠牲は嫌だからと製作に介入する手段も「あなた」にはある。
最善を尽くそうとした「あなた」は演劇についてどれほどの知識があるだろうか。
脚本は? 演出は? 撮影は? 編集は? 監督業については?
「あなた」は筋書きに手を加えて内容を修正しようと試みたが、その悉くが上手く行かなかった。
脚本は演技と演出で修正され、修正した演出は撮影で加工され、理想の絵を撮ったと思ったら編集され、しまいには主役の露出時間が少すぎると口を挟まれ。
「あなた」は本業ではないとはいえクリエイティブで次々に妥協を強いられる。
自分自身の手と頭で望みもしない作品を組み上げていく。
「あなた」は己が作品を守ろうとせんがために己が作品を自ら崩していく。
「あなた」には制作中止という権利がある。
「あなた」はどうする?
ふとSNSを見ると感想があがっている。
どんな物事にも賛否両論があることを「あなた」は重々承知している。
気にしすぎないことも大事だ。所詮は匿名の声だ。
それでも目についてしまう、「原作ファンの失望」と「妥協の産物を褒め称える声」が。
「あなた」のファンとしてい認知しているアカウントの投稿が。
面白かったですという100の投稿に埋もれる僅かな1つのポストが、どうしても頭から離れない。
そして何故か作品の裏の事情が、勝手な憶測とともに広がっていく。
面白かったという100の投稿は「あなた」の作品を見てもいない万の声にかき消される。
もはや作品どころか「あなた」自身のパーソナリティですら大衆に消費されていく。
「あなた」には公開停止という権利がある。
それを行使して守れるものは何も残っていない。
-
著作人格権を行使できないような契約を結ぶのは、ある種のセーフティネットであることに自覚的であるべきだ。
著作権者も、権利の使用者も、どれほど重大な決断になるかを知った上で契約を締結しよう。
]]>
いっぱい見てくれてありがとう。
気遣ってくれたブクマカたち、ありがとう。
もちろん、事実も真実も今俺がどこでどんな暮らしてるかも全く知らないくせに、書いてもないことを妄想や憶測や曲解や邪推で補完して膨らまして、
俺を批判したり同情したり憐憫したりアドバイスしたりしてくれたブクマカたちにも、ありがとう。
それを無意識のうちにやっている人も、自覚的にやってる人も、いるなと思いながら目を通した。
でもまあ、それはいいんだよ。
それが欲しくて増田に書いたし、
俺は生きてるから。
俺の言動の意図がねじまがった形で波及して、求めてもいない影響をどこかやだれかに及ぼしてしまって、
俺自身が誤解されたり損害をうけたりすることがあっても、
俺自身が弁明や訂正をできるから。
俺は生きてるから。
死者にそれをやるのは卑怯だよね。だって死者は、裁判で訴えることも言い返すことも説明することも訂正することも弁明することも謝罪することも、できない。
死者は憐憫してほしいのか称賛してほしいのか忘れてほしいのか助けてほしいのか居なかったことにしてほしいのかも、もう確かめるすべもない。
自死について、テロ行為と書いたことで苦しませた人は本当にごめんね。
漫画家さんの自殺はテロ行為だなんて言うつもりはなかったんだよ。
自殺者の自死をテロ行為にしないために、生きてる人が気をつけるべきことがあるんだって話をしたかったの。
俺んとこで言えば、俺は、妹のせいで母が壊れたと思うべきではなかったし、壊れた母から悪影響を受けるべきでないし、母にも妹のためにこそ壊れないでほしかった。
だってこれが成立すると、あの自殺が俺たち家族にとってテロ行為とも呼べるシロモノになってしまうじゃない、って話をしたかったの。
こういう現実が、こういう思想で自殺にメリットを感じる価値観と地続きと思う。
https://anond.hatelabo.jp/20230715095602
妻子を気に掛けたくれた人もありがとう。
俺の妻から苦しみを聞かされたわけでもない、なんなら妻の顔も名前もしらないのに、妻の気持ちを代弁してくれた人も、ありがとう。
これ以上自殺の呪い(と言い換えます。テロは強すぎたね)の悪影響をひろげないために、妻と子供には、より誠実に向き合って、より大切にしていこうと、あらためて強く思いました。
人の心なんて、生きてようと死んでようと、絵にかいて見せることも形づくって触れさせることもできない、言葉を尽くしても伝わらない、どうやっても想像の域を出ないものだから、切ないね。
無意識のうちに、自分の妄想や憶測を、事実と同列に取り扱ってしまう人は、「人とは自分が見たいように物事を見てしまう生き物だ」ということ知ってほしいな。知ってて損はないし上手く使えば得になる。なんなら知らないと損してしまうこともある。
俺もまだまだ勉強中だから、偉そうに言る立場じゃないのだが。
追記ここまで
妹はいわゆる境界性パーソナリティ障害っぽいところがあって、思春期はまあ大変だった。
気に入らないことや思い通りにならないことがあれば、ヒステリーやリスカやハンストで家族を萎縮させる。
妹以外の家族、俺と父と母は割りと温厚というか事なかれ主義というか淡白だったものだから、
最後の方はYESマンに徹していたな。
とにかく言うことを聞く。「これして」「あれちょうだい」全てその通りに。
心によりそうのは2の次いや3の次、もっと後回しだったかも。
そうすればとりあえず刃物はしまってもらえたから。
勉強は中の下、外では外交的でないまでもヒスも起こさず我慢だけしてるから、人付き合いは良好でなくても不穏でもなくて、
つまり社会生活に不具合がなかったから、幼いうちに医療にかかることがなかったのは心残りだ。
大学は県外へ行き実家を出た。
卒業と同時に、大学で出会った彼氏の地元に嫁いだ。
俺たち家族はほっとした。実家の環境が合わなかっただけで、家族以外との生活には問題ないんだ。
あの子は変な子でも変わった子でもなかったんだ、と。
妹が嫁いでまもなく、俺も結婚し、2世帯住宅を建て、両親を呼んだ。
実家は取り壊した。妹がヒステリーを起こしたときの痕跡が生々しくのこる実家は、みんなにとって黒歴史だった。
妹が壁に書き込み続けた呪詛の言葉。蹴ったり殴ったりして開けられたいくつもの穴。食器を投げつけた傷。包丁が刺さったあと。拭いても拭いても落ちない血痕。
リノベーションするにも、業者のひとに見せるのすら憚られたから。
今思えば、何て書いてあったのか、あの子の心の叫びを知っておけばよかったな。
新居に引っ越してから一度、妹は旦那さんと一緒に遊びに来た。
旦那さんは、気さくで温厚でいい人だ。嫁の実家なんて気を使うだろうに。
俺ら家族に対して不穏な態度を隠しもしない妹に不満をみせることもない。
一晩泊まって、翌朝になっても客室から出てこない妹とは対象的に、旦那さんは一人早くに起きてきて、朝食の支度を手伝い、妹抜きで朝食を囲んだ。
今思うと、もしかして欠陥品かもしれない妹を押し付けた俺ら家族と、もしかして欠陥品に今現在虐げられる暮らしをしているかもしれない旦那さんと、何も知らない俺の嫁さんで、なんとも言えない緊張感はあったかもしれない。
妹にとって、自分の実家とは言えないが自分の両親と兄が暮らすこの家は、居心地がイイとはいえないだろうが、
自分の親族の家に来ているというのに朝になっても起きてこない妹に、何も言わないし様子も聞かない俺たちは、旦那さんの目にはどう映ったんだろうな。
嫁いで何年経っても、妹に子供はできなかった。
なにかの機会で、旦那さんのご両親と俺と俺の嫁と俺の両親で一緒に食事をした際、
先方のご両親からそのことに触れられたが、俺の両親はなんとも煮えきらない反応をして、話題を変えた。
この頃には俺の嫁も、俺の妹の不穏な雰囲気を察していたかもしれないな。
妹が嫁いで8年くらいの頃かな。
仕事から帰ったら母親が血相変えて玄関まで出てきて。
「妹が離婚する」って。
妹から電話があって、そう言ってたって。もちろんいつものヒステリーからくるヤケクソの話ではなく、その電話で旦那さんとも話して、「直接ご挨拶をさせていただきたいのと、離婚届の署名をおねがいしたいので、伺わせてください。この度は誠に申し訳ありません」って感じの話だったらしい。
俺たちは困った。嫁いでからずっと妹は働いてなかったはず。
もう30になるという歳で、職務経験もないあの子が、今すぐどこかで働き口をみつけて、住むところをみつけて、一人暮らしをして、ってできるのか?
もしくは、こちらに帰ってきても生家はない以上、ここに住むのか?
そりゃ一時的には問題ないが、ずっととなると。
俺には子供が二人できていた。
言葉にはしなかったけど、妹との暮らしは、子どもたちには悪影響ではないかと思ってしまっていたことは、忘れていない。
あのとき俺らは利己的だった。
8年大丈夫だったんだから、なんとかなろう。
妹の癇癪持ちは、もう治ってるって。大人だもの。
仮にそれが一時的に出てしまったのだとしても、時間が経てば解決する。
離婚なんてしなくても済むはずだ。
だってあの気さくで温厚な旦那さんだもの。
妹の問題点も笑って許してくれるさ。
母はその晩、妹に電話をかけた。
離婚したとして、どうやって暮らしていくのか?現実的に難しい問題がいくつかあることを妹に話していた。
だから、もう少し頑張ってみたらどうか?とも。
今思えば、いつでも帰ってきておいで、って、言ってやるべきだったかなあ。
妹はまもなく首を吊った。3日間意識不明をさまよったのち、死亡となった。
俺は妻に子供を任せ、両親を連れて嫁ぎ先へ飛んだ。
旦那さんの憔悴ぶりは見ていてとても可哀想で、なにより申し訳なかった。
俺は仕事が有るのと、妻に幼い子供2人押し付けてるのも気に掛かかるものだから、両親を残して通夜だけでお暇した。
空港までは旦那さんが送ってくれた。
旦那さんは別れ際に、「僕のせいで、申し訳ありません」と言ってくれた。
この時点で俺は、妹の亡骸を見てもなお、妹が死んだ事実よりずっと、俺の妹がこの人やこの人の家族に迷惑をかけてしまったということのほうが胸を占めていた。
「旦那くんは悪くないよ。一番つらいのは旦那くんだろ。」
そう言って別れた。旦那さんは泣いていた。
俺は本当に浅ましかった。
あのまま妹を俺の家に受け入れていれば、妹は俺の家を破壊したかもしれないし、俺の家で首を吊ったかもしれない。
そう思うと、妹が、意識不明から復帰することがなくてよかったし、すべて旦那さんがケツ持ちしてくれてよかった気がする。
そもそも妹が嫁いだとき俺は、「これで妹に縛られた人生から開放される」「死ぬまで妹の面倒見てくれる人ができてよかった」そういう気持ちではなかったか。
妹の幸せにも妹の未来にもなんの興味もなかったのではないか。
旦那さんは、こんなかたちではあるが、妹が死ぬまで面倒見てくれて、汚れ仕事をすべて請け負ってくれた恩人。
旦那さんの未来は、もしかしてこのことのせいで暗く閉ざされてしまうこともあるかもしれないけど、俺たちは、旦那さんのせいにして、何ら変わらない日々を送れるんだ。
はやくこの地を離れたい。
そういう気持ちでいた。
あれから2年が経った。
1周忌は仕事を言い訳に行かなかった。妻も両親も旦那さんも、俺に何も言わなかった。
今月、妹の3回忌があった。そのため久しぶりに嫁ぎ先を訪れた。
曇天でいまにも降り出しそうな空模様のなか、お経を聞いた。
そんなに多くの法要に顔を出した経験が有るわけではないのだが、よく見るのは、故人の配偶者が存命の場合は、故人と配偶者の馴れ初めや思い出なんかを坊さんが語ってくれたりして、参列者でほっこりして、故人を悼んで…なんてするイメージだった。
そういうのは無かった。離婚が決まっていたからなのか、自殺だからなのか。もしくは、旦那さんに新しい女でもいるのかな。見覚えのない女性の参列者を見かけると、そんなことを考えたり考えなかったりした。
法要のあとは、旦那さんと妹が暮らした家に伺って、形見分けをしてもらってから、両親を伴って帰路についた。
旦那さんと妹が暮らした家は、記憶の奥底に閉じ込め蓋をし忘れたことにしていた、実家を思い出すようだった。刃物や食器を投擲することによってついたであろう傷は、しずかに床や壁にこびりついていた。
2年間の月日が流れる中で、妹の嫌悪を感じる点も、忌まわしさを感じる点も、憎悪を感じる点も、あまり思い出せなくなっていく。
思い出を美化しているらしく、生前は良い思い出とは思っていなかった記憶さえ、なんだか温かい感情を伴って思い出されることすら有る。
だから、本当の妹は、ここに書いているよりもずっと酷い人間だったかもしれない。
記憶の美化は故人の美化で、それは後悔を呼んだ。
幼い頃から妹に手を焼く度に忌まわしく思ったし、
脅しによって周囲の人間を思い通りに操ろうとする様を本気で憎んだときもあったよ。
だけど、俺から見たら「気に入らないこと」「思い通りにならないこと」で感情を爆発させる妹だったけど、
妹にとっては、きっとそれが何より辛くて苦しくて助けてほしいことだったんだよなあ。
今でこそ、境界性パーソナリティ障害っぽい、だなんて偉そうにラベルを貼れるけど、あの頃は、そんな妹自身が抱える暗闇について、目を向けることすら無かった。
分かりにくかったけど、きっと助けてほしかったんだろうな。
俺には知識も教養も度胸もなくて、何もしてやれなかったな。
妹を大切にする暇もなく、妹より大切なものをいくつも持ってしまって、さいごまで蔑ろにしてしまったかな。
あの頃俺がつらかったのも事実だし、
妹がつらかったもの事実なんだろうなあ。
そして、この2年の月日で、母はどんどんおかしくなった。
母をまもるため、母を大切にするため、俺はこの家を建てたのだけど、母はいま妹ばかりだ。
俺が妙な助言をしてしまったせいで、母は妹にあんな電話をしてしまって、だから妹は死んでしまって、だから母は壊れてしまったのかなあ。
妹がヒステリーを起こして母を殴るたびに、母に刃物を突きつけるたびに、俺は母をかばったものだけど、母はそれももう忘れてしまったのかなあ。
俺が生きていても、母にとって意味はないのかなあ。
俺の子どもたち、母にとっては孫であるこの子達も、母の大切な一人娘が死んでしまったことの前では、無価値なのかなあ。
父は、もともと目が見えない人だったが、母がおかしくなってから、認知症も進行したように思う。
だから、3回忌は、俺もボイコットができなかった。
ハンディキャップが有る父。妹に攻撃される母。人格障害っぽい妹。
俺も、頑張りすぎたのかな、幼い頃から、妹の兄でありながら、妹の父のかわりや、母の夫のかわり、あらゆる自分を演じようと、無理をし過ぎたかな。
こんな俺が、妻や子どもたちを大切にできているのかな。
いろんなことが複雑に絡み合って俺たちはここにいるんだなあって最近よく思う。
最初は、「妹が自殺したのは、配偶者である夫とのいさかいのせい」と思い込もうとしていた。本質はどうあれ、そのほうが俺の人生にとって都合が良かったから。
だが、壊れてゆく両親という現実や、美化される自分の記憶とともに、その自己暗示も、維持ができなくなってきて、自責の念が強くなってきたと思う。
それと同時に、なぜか新しく故人である妹への憎しみが湧いた。
俺たちを苦しめる原因って結局すべて妹だ。感情を削ぎ落として考えたらそうだ。
そして母への怒りを感じた。
俺は子供だったし、母は大人だった。夫が盲目だからって、俺に頼り切りでなく、大人として責任を果たしてほしかったよ。
妹が死んだ途端、被害者ぶるのはやめてくれ。
あの子を病院にかからせることができたのは、あの頃はあなただけだったじゃないか。
俺に負債をおしつけて、それで今更被害者面なんて、浅ましいと思わないのか。
色んな感情が渦を巻く。
妹はこんなふうに壊れる俺たちが見たかったのだろう。
妹を厄介払いするように嫁にやって、妹以外で結託している俺たちに、自分の重要性を知らしめたかったのではないか?
つまり自殺ってテロ行為なんだ。
他人を変えるために、死というウルトラCを用いて、インパクトを与える。
他人というのは、俺らだったかもしれないし、旦那さんだったかもしれないけど。
まんまと呪われた母は、そして呪われた母に巻き込まれて変わらざるを得なかった俺や父は、
妹の思うつぼだということだ。
彼女は、あの世でほくそ笑んでることだろう。
でも、妹はそんなやつじゃないとも思うんだ。
本当に逃げたかっただけだ。
俺たち家族からも、旦那さんからも、厄介者扱いされていると感じてしまう現実から。
見捨てられる恐怖から。
もちろん俺たちだってそんな、あからさまに厄介者扱いなんてしなかったよ。でも繊細で傷つきやすいあの子は、なにかを受け取ってしまったかもしれないじゃないか。
そんな弱い子でもない。
あいつは、内面にそういうマグマをかかえつつも、無難に人付き合いができる賢い子でもあったよ。
怒りっぽく、傷つきやすく、繊細で、家に帰れば人の悪口ばかりだが、本人の前ではおくびにも出さない。そういうしたたかな子だった。
自殺だって、彼女が彼女なりに選択をしたことだ。良し悪しはべつにして、彼女の中にそれなりの正義があったに違いない。
同情がほしいなんてそんな浅ましい理由で、こんな愚かな真似をするわけがない。
だから、外野に過ぎない俺等が勝手にあれやこれや憶測や妄想をして、勝手に因果関係を見出して、勝手に怒ったり悲しんだり憐憫したりするのは、彼女に失礼ではないか、とも思う。
とにかく。
自殺って本当に良くないな。嫌でも思い出すし、
外野が勝手に悲劇のエッセンスに利用してるのを見ると、自分のことのように腹が立つ。
これは俺の認知が歪んでいる自覚は有る。
にしてもだ、自殺って脳天気なバカどもが考えてるよりずっとずっと地獄だよ。
自分のクソデカ感情をシェアしたくなる気持ちはわかるけど、自死遺族からしたら、それすらもノイズだったりするかもよ。
発信することは、真意が売名でも承認欲求でも吐き出しでも追悼でも救済でも擁護でもなんでも、ノイズになりうるし、エゴイズムだと思う。
しらんけど。ありがたく思う人もいるかもしれんけど。
フィクションじゃないんだよ。病死や事故死や老衰とは話が違うんだよ。故人の何を知っているんだ。
自殺するようなことがなきゃ、書かれなかったであろう伸びなかったであろう記事をいくつも見たよ。
自死によって世界が変わるのは、良く変わっても悪く変わっても、なんだかテロリズムを感じて気色悪いんだ。
生きてようと死んでようと、その人間が行ってきた善行も悪行も変わらないから、本質的には同じなのに。
俺は芸能人や有名人が自殺しても勝手な憶測は書かないようにしているし、因果関係も見出さないし、責任追及もしない。憐憫もしない。
死者が物言わないからって、単なる憶測がでかい面をしていい理由にはならない。
本気で愛してんなら、自殺と絡めず書いてくれ。だし、死ぬ前に書いてやれ。愛だけ叫んでろよ。
称賛も憐憫も必要ない。ただ愛を込めて心のなかで悼んで差し上げろ。
自分が救われたいだけなら、自分にあう死生観の宗教にでもたよってくれ。
]]>だから自分のせいじゃないことにしたくて責任転嫁してる
]]>アフィに乗せられてるだけって知ってからは、自分の中の下品な本能に自覚的になれて、その感情を抑制できるようになったよ
お互いがお互いを罵り合うのは本当に時間と労力の無駄
]]>女性の過去が受け入れられない男性が無理に女性と関わろうとすると双方が不幸になるよ。
俺は25歳まで彼女ができなくて「あ、俺は女性関係でコンプレックス抱えたな」って自覚的になった瞬間に女性との交際を望まなくなった。
「諦めた」って言うと後ろ向きというかネガティブなイメージが湧くけど、俺の場合は前向きな心持ちだった。
みんなどうしてそんなに異性や異性との出来事に苦しめられ、それでもなお関わろうとするんだろうか。
]]>・巨大ロボットや宇宙人や怪獣が最早リアルな存在だと認識されなていないからシリアスと相性が悪い
マクロスとかマブラヴとか。レイズナーは今同じ事やってもシリアスなリアルロボットとは思わなれないだろう
バーンブレイバーン1話はこれに自覚的だった
・リアルにすると人型ロボットではなくなる
FLAGとかヘヴィーオブジェクトとか86とか
・”シリアス”にすると地味になり埋もれる
オブソリートが証明してしまった。話題にならず認知されない。不人気な最大の理由
・地味にならないようちょっと派手な要素を入れると「これじゃない」と言われる
アルジェヴォルンとかアルドノア・ゼロとかコードギアスとか大多数。「ガンダムも21世紀になってからはシリアスじゃなくなった」もこれ
]]>暇空の相手を揶揄することに一生懸命すぎて、話題の掘り下げが全然できないモンスターになっちゃってる部分も駄目
ヨッピーは広告代理店根性というか、世間と広告に対する感覚が結構ずれてるところに自覚的なのか意図的に無視してるのかわからないけど、ひたすらヘイト溜める構造になってるので、ずれを認識してるなら「してるけどそんなこと言ってたら経済回らない」の部分をもう少し理解してもらえるように説明すべきだとおもう
暇空は煽り芸であるうちはまだ面白さもあったのに、レスバに一生懸命になりすぎて、議題をひっくり返してでも体面を保つみたいになってからつまらなくなった。煽りは賑やかしで本題は真相究明っていう軸がすっかりなくなってしまった。左右ひっくり返した緑萌みたい。
]]>大体X(Twitter)の世論では、実家の太さ細さというのは定期的に話題になる。しかし、これはあまりにもピンからキリまで幅広く、個人の感覚に寄与する。だからこそ、この話題では「十分恵まれているのに自分が裕福だと気づかないタイプ」が大抵槍玉に挙げられる。その無自覚でいること自体が、暴力的だからだ。
そして私は自分が恵まれていると「気づき」、「無自覚でいることが今の世の中では暴力的なのだ」と思って寄り添う姿勢を見せたら、それこそがブルジョワ仕草だと痛感したという出来事があった。
自分が恵まれていると公言するのは、あまりいい美徳ではないだろう。そもそも家にお金があるかないか、人と話すこと自体は上品かというとそうではない。
そして生まれ育った地域や環境は、大いに自分の金銭感覚に影響を与えるため、周りと感覚が似通っていればわざわざ話すことでもない。そうして恵まれている場合は中々気づかない。また、大いに時代の影響もある。かつては夜職は「影の職業」という感覚があったが、今では本当に生活のためにその選択をせざるを得ないという状況は、中々理解できないだろう。
そして個人的なお金持ちの感覚は、例えば松濤に家がある、インターナショナルスクールに通う、などが指標だった。しかし、このようにわかりやすい金持ちよりも、日常に出るお金の使い方で色濃く個人の感覚は出てしまうのだなと大学に入ってから思った。
私は1000円くらいのランチは量にもよるが、安いと感じる。高いと感じ始めるのは1400円からで、1300円くらいまでならまあいいかと思う。
一方で違う友達は、2500円のランチを普通に誘ってくる。何十万もするバッグを普通に下げてニコニコ集合してくる。でもいい子だし、大好きな友達だ。これも彼女の世界で、彼女の感覚だ。でもその時点で私は世界が違うな、と感じた。彼女は幸せそうに、何度でも海外に行っている。そこに嫌味はなくて、ただ単に「世界が違う」。
そしてまた違う友達は、数百円でも昼ごはんには高いという。500円でもダメらしかった。そういう彼女から見れば私のお金の使い方は、あり得ないほど豪快なんだろうと思う。こちらがこのくらいかなと思って出した500円でも、彼女には受け入れられない。
親が学費を出してくれること。本が欲しくて言ったら別途それは必要なお金だと出してくれること。外食に行ったら好きなものを食べなさいと言ってくれること。私の日常は、とても贅沢なんだとある時気づいた。これは日常ではないんだって。
自分でもこれは使いすぎだと自分で買う。でもその感覚ですら甘やかされて育った様子が滲み出てしまって、自分に対する厳しさになっていない。うちの家庭の必要経費の感覚は、他では必要経費ではない。そんなギャップは友人間ではとても根深くて、日常的に出てしまう癖が酷く友人を傷つけてるなんて分からなかった。
某有名作家のスタンスを見ると、自分の父を思い出す。似たような年代で、同じように無自覚なブルジョワだ。友達の前で一言「寒い、上着持ってくればよかった」と話した世間話が、「じゃあユニクロがあるから上着を買ってこい」と飛躍した話になる。本当に現代のマリーアントワネットみたいで一切の悪気なく放つ言葉が、根深い社会的階層を示す。友人には苦笑いして言われた、「お金持ちだね」と。
流石に否定しまくって、厳しく父に伝えても、別の場面でこの父の子なんだと露呈する感覚がある。一生本当の意味で分からないんだと思う。分かろうとする努力をした、自覚的であれと思った。でもそんな態度でさえ、人に示しても無駄だし、どんなに金持ちではないと必死に弁明しても、言動からSNSから分かってしまうんだ。
この話題、きっとあなたも見てることでしょう。私は、金銭感覚について踏み入れるべきではない領域まで荒らして、傷つけました。私も傷ついた面もあったけど、弁明する立場ではない。
あなたと話したことで、私は恵まれていることに気づいても、ただその立場を自覚して、ひっそりと黙るべきなのだと分かりました。20代のうちに気づけてよかった。あなたを傷つけてしまって、ごめんなさい。でも、これから先の人生で傷つける人を減らせたと思う。
もう話せない友人へ、本当にありがとう。そして、ごめんなさい。幸ある未来を望みます。
追記:このような話題は友人と話すべきではないというのは最もですが、生活の中で出てくる金銭感覚のズレによって、例えばどんなご飯を食べるかなどによって、その人の感覚や家の背景が見えてくるというのが私の考え方です。そしてこれはデカ主語で申し訳ないのですが、昔に比べて家のお金について結構開けっぴろげに言う傾向があると思います。でなければ実家の細さ、太さなんてSNSで話題にはならないでしょうから。
]]>多勢がマナー守ってたら従ってるだけで守らない方が多数になったら守らないでしょ
オタク以外と変わらんよ
一番ヤバいと感じた人達はこれ
X(旧Twitter)でコミケ来場目安の10時に到着した人の「既に列が形成されてるんだけど、目安を守らないなら始発でも徹夜でも変わらんやろ」って愚痴に
「始発の何が悪いんですか?来場目安が何を意味するかわかりませんけど」みたいに返してた話の通じない人とそれに同調してたやつらな
意味がわからなすぎて何か読み飛ばしたかのかと思って何回か読み返したよ
せっかく初参加っぽいい人がルールを守って楽しもうとしてたのに、嫌になって参加しなくなったりルールを守らなくなるようにわざと誘導してるのかと思ったわ
自覚的にやってる転売ヤーよりやばいだろ
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