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はてなキーワード: 高二病とは

2018-05-25

anond:20180525124802

多分現時点で元増田も友人も高校生なんじゃないかなと思うんだけどこっちからするとどっちも高二病罹患しちゃったか

という感想しかない

2018-04-04

anond:20180404134114

政府を盲信するのがかっこいいと思っている高二病

2018-03-23

中二病って、素晴らしい。

彼らの事、嫌いじゃないよ。

初カキコ…ども…君も、カルミカミ君も、その他沢山の名コピペを生んでくれたどこかの誰かも。

中には胡散臭くて作り話臭い物もあるけど、個人が書いてるししゃーない。

文体はどうあがいても素人だが、出来事の真偽はどうあれ、これほど『物語』として見た時に素晴らしいものがあるだろうか。

まあ本人たちにとっては洒落にならん失敗話なのだが、その失敗談が良い意味か悪い意味かを問わず、誰かの笑いになるんだ。

稀に『ああこれ俺もやってたわ…』みたいなのがあって気分が下がることもあるが。

中二病は痛々しいが、この通り『笑い』を生んでくれている。

こう考えれば案外、中二病も悪いもんじゃないなと思えるし、現在進行形中二病に対して生暖かく見守ってやるか、という気持ちにもさせられる。

あ…高二病は……、えっと……、

ネットで物申すマンな上にイナゴ気質があるし、ネットde真実やネトウヨを患いかねないので……お帰りください。

2018-02-27

anond:20180208085143

ちゃごちゃ言ってるけど結局色々な要素が重なって自分が醒めちゃったけど今までハマってたものに醒めてしまった自分が後ろめたいか言い訳してるって感じ

ジャンル替えで前ジャンルに砂かけする人の典型パターンだな

受験とか言ってるから多分若いんだろうけど高二病大二病一種だと思うよそれ

2018-01-18

意識高い系って、要は中二病の流れでしょ?

中二病

高二病

大二病

社二病

 

中二の頃に黒歴史ノートだったのが、社二になったら僕の考えた最強のイノベーションになる

一度は多くの人が掛かるやつで、問題卒業していない人

そういう意味で、20代意識が高いのはそっとしといてやれよと思う

2018-01-17

anond:20180116130219

多分、増田のような高二病患者には最も受け入れがたい職業だと思う

コピーライターって言うなればカッコイイ二つ名を考えるようなものから

仕事価値を考える考えない以前に拒否感が出てしま

それは仕方のないこと。きっといつかコピー凄さが分かるようになるよ

2017-12-17

https://anond.hatelabo.jp/20171215211839

分かる

嘘の表情、薄っぺらい演技が気になると恥ずかしくなるよね

アニメドラマ映画も気になってしま

唯一舞台演劇はその場の言葉のやり取りだからわざとらしさが少なくてまだ見続けてる

その内に小説思考の爪痕が見えるようなのは恥ずかしくて読めなったりした

音楽も声の軽さ、音の配置の稚拙さに気付いたら恥ずかしくて聴けなくなった

ストラテラとピラセタムを毎日オーバードーズしてた時はノルアドレナリンが異常に高まったのかなんなのか、全ての細部の嘘っぽさに気付くようになってしまったよ(多分細部への異常な注目というより精神異常の割合が高い)

結局、そういうのからは逃れられないから全ての創作感謝するしかないと分かった

悪いとこよりも良さを見つける努力をしないと高二病みたいな皮肉屋になってしまうから

その演技臭い恥ずかしいわざとらしさを味や面白さと思うようにすると、少しは楽しめると思うから

まあ積極的に見るのはごめんだけど

という十代のチラシの裏

2017-11-10

anond:20171110193232

とりあえずなんでも俗説って事にして切り捨ててマウント取っていく典型的高二病で草

2017-09-26

anond:20170926072300

高二病自覚があるなら黙ってればいいのに

北朝鮮安倍に脅されてミサイルを撃ってるみたいな展開を想像する人はいないんですかね」

「みんなして同じ方向を向いて、金正恩攻撃してるのを見て本当に怖くならない?」

とか言い出す奴を見たらお前もアホだと思うだろ?

断言できる根拠がないって点では同じなのに

たつき監督=善 カドカワ=悪という構図

たつき監督が「人気が出たのは俺のおかげなんだから」といって無茶苦茶要求をして、

カドカワが泣く泣くお断りを入れた、みたいな展開を想像する人はいないんですかね。

もしくはカドカワが難色を示したかネット暴露して、みたいなのとか。

自分無知から気付いてないだけで、

みんなにはそんなことはあり得ないって断言できる根拠があるのかな。

業界知識とかないから、その辺わからないなぁ。

カドカワ自体が今までに何度もそういう悪を行っていたっていう、

決めつけではない確固たる実績がある、とかだろうか。

何にせよ、今の結果を見るにカドカワたつき監督に何を要求されても

はい」と頷く以外の道はなかったということだね。

それだけ監督の力は大きかったんだろうし、大きいことを成し遂げたと

(少なくとも世間にはそう思わせるだけのことやった)ということだろう。


から真実がみんなの言ってる通りなら

本当に監督ご愁傷様です、って感じではあるんだけど

みんながみんなして片方を善、片方を悪と断じて

ああだこうだ言ってるのを見ると、どうにもモヤモヤする。

天邪鬼というか、いわゆる高二病というやつかな。

みんなと違うこと言ってる自分カッコイイ、という気持ちがないとは言わない。

ただなぁ……みんなして同じ方向を向いて、悪者攻撃してるのを見て本当に怖くならない?


余談。

監督ご愁傷様、と書いたけど。

一番ご愁傷様なのは、どんな形になったとしても

2期を本心から楽しめなくなってしまった視聴者なのかもしれないね

ほんと誰も得してない。

2017-08-27

こういう性癖名前ってつけられてんのかな

むかし「女装少年家出中」ってゲームにドハマリした。

ハマったのは5年くらい前だけど、今でも続いてる。真くんが好きだ。

かといって、いわゆる男の娘が好きなわけでもない。

まあ与えられたら与えられたで抜きますよってスタンスではあるんだが。

他方で、いわゆるショタにもピンとこない。

少年愛」かというと微妙

確かに生意気なのは好きなんだけど...いわゆるショタ系に多いストレート生意気さはやだ。

ツッコミポジ」程度の理性ある生意気さ、とでもいうのかなー。

ボーイッシュちょっと影のあるアニメキャララブプラスの凛子とかAチャンネルトオルとかまどマギ杏子とか・・・年齢がバレるかも)

がもともと好きで、その延長って感じなのかなあ。

自分がなれなかった自分を見守っているのが好きなのかもしれん。

一応補足すると、俺がホモフォビアと近いのは重々承知だ。不快感を抱いた人がいたら申し訳ない。

はいえ、俺は無理に線引しておのれをノーマル側に置きたいわけではなく、少し自分欲望を掘り下げてみたいってところなんだよな。

ホモ?そのレッテルを受けるにやぶさかではないが。

そんなわけで、俺の性癖名前をつけてくれ。

※※※追記

なんかほそぼそと反応があって嬉しい。ありがとうございます。返信をいくつか。

確かにレッテル貼り不毛かも。

ただ他方、名前がつくとそちらに寄せたエロ同人が出てくるという・・・実利がね!

>>男がオナニーする時、自分女性という心理で抜く人も多いと聞いたので、それほど珍しくもないのでは。

無論、たとえばおねショタでは俺はおねえさんサイドにつく。

ただ、ショタがしっかり男を好きになってくれればなあという思いがある。

俺=女というわけではないんだよな。近いんだけど。

>>キャラクター性格的な類型の分類よりも、キャラクターの置かれている境遇とかシチュエーションのほうに自分投影するような感覚なのかしら

そうかも。

俺は妙に高二病(もう死語?)こじらせてて、たとえば理不尽環境にもあえて順応するのがカッコいいと思ってたんだけど(痛すぎだな・・・

そこでしっかり中二病やってる子を見ると自分がなれなかった自分を見てるようで愛おしい・・・という感じかな。

>>ちょっとマセた生意気な感じが好きとか?/内面より黒髪ショートスレンダーみたいな見た目が好きなんじゃねえのという気もするが。

ぐぬぬ・・・という感じ。

その点ではロリショタ共通するんだよなー。

ロリショタって安易な図式を掲げるつもりはないけども。

>>杏子がいるなら見た目だけで決めてるわけでもなさげだぞ。 /結城晴とかはどう?グっと来る?もう少し性格悪い方がタイプか?

デレマスまったく追ってなかったから初めて知った。

急いでスカイプアイコンしました。

>>陰のある女キャラ世間ささやかな反抗なり抵抗をするために男っぽく振舞うのを上から見てニヤニヤしてるなら広い意味でのSだと思うが、女装少年もありならMなのかも。

どっちもあるなー。

俺はMのほうだって思ってはいるんだが、「結局高みからニヤニヤしてるんでしょ?」と言われたら否定できんなあ。

2017-08-17

https://anond.hatelabo.jp/20170817200113

ん?善悪両方するのが人間だろ?

差別は悪で、自分悪人で、だけど理想を持って善へと進もうぜ、っていうのが基本だろ。

なに高二病にはまってるのさw

2017-08-11

安倍晋三政権の支持者って要するに高二病か。

左翼や反権力中二病だと思っているんだな。

2017-07-18

何者にもなりたくたい症候群

これに罹る人自体は、めずらしくない(私だってそうだ)。だが今後、きっと爆発的に増えていく。デジタルネイティブ若者に関しては特に著しく勢力を増やしていくだろう。

情報技術が発展し、情報リテラシーが高まり他人多種多様生き様や頭の中をヴァーチャル追体験できるようになっていくほど、そうなる。

あるいは、縮小し閉塞感に満ちていく社会において「○○のような人材」が求められれば求められるほど、他人の望む人間になることを是とする人は減り、真逆にあたるこの症候群が増える。

現代は多くの人が情報の海に晒されているが、基本的にはみな、好きで晒されている。

情報から距離を置けない理由には社会的欲求(横並び意識)も関係しているだろうが、根源的な部分で、人間知識欲ははかりしれない。

ともかく数年もそういう情報収集に没頭するうちに、人はすべての情報客観的に見るようになる。

言い方をかえると、すべてが他人事になっていく。自分思想行動様式と一致する主張ですら、他人事であり、移入することができなくなる。

感動しないわけではない。心酔しないわけでもない。でも、その素晴らしいものは(ゴミみたいなものもだが)、すべて、自分とは別の世界のことだ。無意識距離を置くようになる。

自分世界には、何もない。ゼロではないが、大したものはない。そのことに虚しさや悔しさなどを感じる時期も通り過ぎてしまった。きりがないのだ。自分空っぽでいい。そうなっていく。

はてブなんていうメタツールを使っている人ならその感覚がよく分かるはずだ。

自分主観的意見」ですら客観視しだして、「これはくだらない、取るに足らないものだ」と思うようになり、いずれ黙るようになっていく。

自分が言わなくても、自分が思いつく程度のことは静観していれば誰かが必ず言う。それどころかもっと洗練された素養を感じる意見が次々と出る。

たまに黙るようにはならない人もいるが、そういう人は、自己空虚さを完全に意識から消しているので、傲慢上から目線発言をするようになる。覚えがあるだろう。

 

自己主体とすることを肯定することは、一人の人間としての人生に埋没してしまうことだ。

それは極めて当たり前のことだが、しかしそうではない、メタ視野の万能感を、我々はもう知ってしまっている。

他人企業社会、そういった観察対象生き様、行く末を見るのは刺激的だけれど、自分がそれに加わろうとは思わない。

できることな人間をやめて、電脳化して、この先数千年くらいの人類を観察していたい。

それはある意味で、死へのあこがれかもしれない。

そうでないのなら、これは静かなる反抗だ。

まりにもできの悪い現実に対する?いや、違うだろう。情報を手にしてしまったことに対する、が妥当だろうか。

もう少し踏み込むなら、世の中にあふれる要素に対して、人生があまりにも短すぎることを知らされてしまったこと、

そして「実体験」の価値相対的に見て瑣末なレベルにまで薄れてしまったこと、その2点に対するハンガーストライキだ。

から何もせず、社会にも加わらず、ひたすら情報摂取して、内なる膨張を続けながら生きる。

 

労働者」になりたくない。

「親」になりたくない。

「男(女)」になりたくない。

強者(=搾取肯定するもの)」になりたくない。

「○○主義者(=世界を狭くするもの)」になりたくない。

「○○ファン/シンパ(=何かに従属するもの)」になりたくない。

ひとつひとつを見れば、中二病高二病かといったものをこじらせたんだな、と一笑に付されて終わるかもしれない。

けれどもこうした「○○になりたくない」という思いはインターネットの海で練り上げられて竜となり、

それらが寄り集まった集合体として、漠然とした怪物の姿となる。

その影はどこにでもあり、その姿は気づけば心のどこかに転写されている。

現代人のほとんどが、そうやって心に怪物を飼っているはずだ。

その怪物こそが、何者にもなりたくない症候群の主たる発生源だと思う。

  

この症候群に罹るのは、若者の間だけではない。

中年になっても、老年になっても、一言で表せるような身分を勝ち取る行動を頑なに起こさず、さまよい続ける境界者であり続ける。

そんな境界者とて、なにか巡り合わせた特定の状況に依存して生きているわけだが、決してその状況を肯定したり、堅持しようとするわけではない。

吹けば飛ぶような場所にいて、弱者であることにこだわり、風が吹くならば死んでも仕方ないと覚悟しつつも、防御行動を取らない人達だ。

そういう人の割合がふえてくると、これまで人類の築いてきたコミュニティの在り方は根底から崩れる。

それが悪いと言うわけではない。いち罹患者として言わせてもらうと、自然の成り行きなのかもしれないし、興味深いと思っている。

 

ある中年職歴なし引きこもりすねかじりもやしメガネより。

2017-06-09

「俺、オタクヤバスwww」

みたいなのもう古いと思うんだよね。

今の時代だとオッサンアニメ見てても何でも無いというか、むしろいい年こいてアニメガーゲームガーとか言ってる人って何十年高二病やってるのっていう状態じゃん。

そうなるとオタクであることを「ヤバイwww」とか言うのはもう無理だと思うんだよね。

というかさ、ネットの発達によって世界中ヤバイ奴らが真贋玉石入り混じって可視化されすぎてもう「ヤバイ」にかつてのような力は無くなっている。

この時代に未だに「ヤバイ」によって自分立ち位置を手に入れようとすることがもはや虚しさしかない。

そして、そんな次の時代はもう始まってるのに多くの人が取り残されているのが恐ろしい。

2017-05-08

信者気持ち悪くなる瞬間

あるジャンル信者なのだ

ネット上のコミュニティに居ると、他の信者が一瞬でキモくなる事がある

 

誤解しないで欲しいが、信者が無条件で気持ち悪いわけではない

しろアンチよりぜんぜん素直でよい存在だと思う

 

ではどういう時に気持ち悪くなってしまうのか、改めて考えてみる

 

1.過度な帰属意識を持ち始める

まるでそれの製作者や当事者であるかのように振る舞う瞬間、傍から見るとキモい

勘違いしちゃってるんだ、お前は別に制作者の家族でも関係者でもなく、いち消費者だよ

と教えてあげたいが、大抵思考がそっちに逝っちゃってるので話が通じない

 

ちなみにこれは昔からある

スポーツチームの監督か、それより上位の目線で物を語るおっさんがそれだ

 

2.○○→すごい 俺→すごい

どっかで見たことある構図だが

1の帰属意識のあとにこれが来る

例えば、対象が売上で1位になったとか、権威ある人に評価されたとかになった際に

帰属対象を褒めることで自分自身気持ちよくなるようなケースだ

 

から見ると、結果的ナルシストに見えるのだからそもそもキモいのだが

自分の成果ではなく、他人の成果を用いてナルシストをやっているように見えるので輪をかけてキモくなる

 

3.他と比較する

1,2の後にこれが来る

他と比較して、対象が他より優れていると優位性が得られた際に

それを協調し始めると周りから煙たがられる(これについてはキモいというより、ウザがられると言ったほうが正しいよね)

 

4.上記を全部大上段から俯瞰する

全部ひっくるめた上で評論家のような振る舞いを見せた瞬間に、キモさが爆発し

凄まじい臭気を帯び始める

 

 

ちなみに、ここまではまだキモさの序章だと思う

よりキモいのは、1→2→3→4を、間違った情報や浅い考察でやり始めるとき

自分のほうが情報について詳しい場合、得も言えぬ気持ち悪さを体験することになる

(ちなみにそれを指摘すると信者同士の喧嘩になる。

 その際は、片方が片方をアンチ呼ばわりするが、アンチ認定してる人が大抵浅い方だ。

 なぜかと言えば認定というのは結局、情報判別がつかなくなった時にする最後の手段からだ)

 

不思議なことに、これをやらかすのは若い層に多い(高校生大学生くらいの時期)

歴史上の偉人を見ても、何かの派閥に肩入れしたりするのがこの年頃なので、そういう時期なのかもしれない(高二病大二病?)

 

 

蛇足だが、これらの心理をうまーく言葉に落とし込んだのが「サポーター」だと思う

あなた方は関係者ですよ」と言ってあげることで、「あなた臭い信者でいていいんですよ」という免罪符を与え、強力な宗教組織っぽい何かを作ってしま

はいビジネス的にはうまくいくので、スポーツでは上手く活用できていると思う。

あくまスポーツの話ね。他意は決してない)

 

最近この強烈な信者臭を感じるのはやはりコンテンツ業界なのだ

コンテンツ業界が「サポーター」という単語を使わないことを祈る

鼻が曲がってしま

2017-01-15

「超潔癖主義」の非現実性

くさや問題が表した潔癖主義

ファブリーズの件もそうだが、今の日本は「超潔癖主義」に蝕まれすぎではないかと思う。くさやが臭いのは誰がどう考えても事実なので、地元はこのCMに便乗するくらいでいいと思う。

何かにつけて「地域差別ガー」というバカにはあきれてしまうが、つまるところ地域の抱える不都合な事実を外部が指摘することを拒絶するけつの穴が小さい子供である。それこそ、彼らの好きな言葉を借りれば「言論弾圧愛好家」ではないか。文化や社会には二面性がある。

私が生まれて間もない頃の話だが、1980年代1990年代鉄道文化が洗練されていたという話題がSNSや掲示板で流行している。はっきり言って、不良が巣を作りそうな文化がそこにあったわけだが、それでも鉄道ファンは誇らしく思う。「鉄道王国」も日本文化だと自尊心を持っているはずだ。

本来文化・社会性とはそういうものではないか2000年代新自由主義旋風だって文化や科学技術などの高度化の裏に犯罪の高度化や富裕層人口インフレ問題もあった。2010年代1960年代の再来のようなのムードの裏に貧困問題があった。オートバイブームの裏にはシビアな封建もあった。

オタク文化マイルドヤンキー問題共通点

オタク今日社会全般で受け入れられているという。あれといえば、昭和負の遺産にもかかわらず迷惑者が誰も輩出しなかったことを「世界に誇る日陰者」と自画自賛する書き込みが拡散されたことが多くの人に衝撃を与えたものだった。案の定オタク自身の努力で出世が実現するとスゴイ発言まみれになった。

冷静に考えてほしいのだが、同じ大衆の同胞であるべき人達がそれと村八分にされる時点で、そもそもすごくなんてないのである。そもそもオタクとは昭和時代学歴社会実験の失敗に伴いヤンキーと共に発生した負の遺産である本来ここで必要な発想は、負の歴史として再発防止策を考えることであり、恥かしく思うべきことである

仮にもしオタクがすごかったとしてもそれは個人個人がすごいのであってオタクはすごくないのである社会が立派だったとしても、それは日本人の寛容性のことである。もしあなたが大衆の一員であれば、さほど無関係ではないか

私は「オタクスゴイ」とそっくりな問題を抱えているのが「マイルドヤンキー」ではないかと思っている。地方リア充話題が出ると、なぜか不良とこじつけ話題が出てくる。不良とは縁のない人でもヤンキーのように扱われる、あの変な社会空気である

当たり前だが、リア充すべてが悪人なわけではない。大体ヤンキー本来の意味は実は汚い。もともとはアメリカ人白人を罵る言葉として生まれたものだ。ジャップと同じ意味合いアメリカ人が「ヤ○○」の言葉を使うものとしてとらえてほしい。

マイルドヤンキーに代わる言葉はあるだろ。とんでもなくダサそうな文化を謳歌しているのは一握りの地方民のうちの一部とか、不良経験者だけではないかと思う。あのグダポンの撒き散らす固定概念への批判としてもいうが、私は地方を何度も見てきたが、北関東でもマイルドヤンキーなんて一握りの数しかいなかったよ。

そもそもマイルドヤンキー言葉根底に都会人による地方人への偏見がある。車好きを例に挙げるまでもなく、外国には日本人が思い浮かべる都市部人間殆どいない。むしろマイルドヤンキーの特徴として挙げられる、「買い物先でショッピングセンター依存している」人は日本を出れば都市部ですら腐るほどいる。国土全体で鉄道依存社会が成り立つ国は、日本を除けば、オランダみたいな地形に恵まれる地域シンガポールのような都市国家以外にない。

「超潔癖主義」の究極である子供ファシズム

私はこの潔癖の究極が「子供至上主義だと思う。日本人はみな車嫌いで鉄道好きというおかしな風潮も、子供のために嗜好を装う仕草だという。必死すぎる。大人な人は、それが普通なしょうがないと受け入れるべきではないか。一番ひどいのは私鉄だ。

子供日本人美徳だと、道徳的な人を表す言葉として普及しているが、これはあの押しつけがましい「道徳」と同じうさん臭さを感じて、私は不気味に思っていることである子供って要は非現実的理想の追求であり、病気だ。

そもそも日本私鉄社会の根源は鉄道公有化の失敗だとか戦争連続による財政難だとか、歴史上におけるネガティブもの副産物である。今でも「幼稚」とかいう。それはつまり堂々とした対等な存在としてリスペクトするものではなく、結局これは子供なる年齢を使った言葉で「恵まれない現実にある人達」を見下している、前時代的な、差別を連想する表現である

欧米圏を見ればわかるように、鉄道弱者というか、つまりよそ者、あるいは貧乏人や弱者のためにある公共施設であって、所得関係なしに使うことをよしとする、ましてや商売の道具としてみなす日本おかしいのである

一昔前ですら日本ではここまで「子供」はうるさくなかった。子供大人らしい事由成熟した男女を目指した途上段階であり、気づけば加齢で大人になっていた、あるいは10代ですでに見た目も中身も大人同然という人もごろごろいて、それがわずか15年ほど昔までの常識だった。

あるいは「リア充な美しい大人は好きですか」というように、青年性を脱した兄や姉であるべきだった。正しさではなく「美しさ」が評価された。この美しさという言葉自体清潔を意味するもので今の異常な潔癖主義に通じたのも、もちろん事実ではあるけどね。

不都合現実」を受け入れた理想の発展が必要

特定環境を聖域化し、あるいは特定の人を「聖人」化してみなし、それを潔癖性を極めた発想とともに崇拝し、潔癖と反する不都合な事実を見て見ぬふりをしたり、あるいは無理してでも隠蔽させようとしたり、それを指摘する存在を許さない、あの感覚。グダポンの言葉を借りればこれは畳精神である

昔の高校を題材にした作品から黒髪すっぴんさんの描写を削減し、わざとそうでない人を代わりに差し替える。これも聖域を作る発想に由来することではないかと思っている。

その点、例えば私が韓国学生をみて感動をしたのは、日本において学生というと黒髪が少ないイメージなのかもしれないが、実際には黒髪のおりこうさんが多くいたこと、そういう風潮がそこかしこにあったため、他人に緊張することがなかったかである

バス停留所で会話したローカル若い女性は、なんかお茶目で、自分生活圏にやってきた外国人を楽しませようというホスピタリティがあって、ものすごく魅力的だったが、やっぱり大人オタクで、至上主義のない国のほうがよほど大人も魅力的だなと感じたのだった。

これは地方にも言える。マイルドヤンキーの連中なんてありゃ「普通リア充か重度なオタク」だ。オタク?ってくらい偏執的で、大衆らしさに欠けている。いわゆる元ヤンさえ良くも悪くもリア充らしさがない(事実、彼らが外国に行くとサブカルオタク扱いになる)広い意味での問題なのだ

日本に出てくるテレビタレントには個性らしさがない。オタクがいない(例外はあるが)。根っこからのおりこうさんであることを売りにした俳優・声優がいないし、変わった趣味を売りにする者もいない。誰もがそうなるありのままもないし個人差もない。

これは、日本人一定割合。どちらかといえば韓流ファン経験のある人たちで、同じくマイルドヤンキーか学がありそれなりに品格のあるような人が、ものの感じ方の成熟が遅れたことにあるんじゃないか、と私は思っている。子ども時代や貧乏なときは誰もが感性が幼稚で極端な理想を抱くものだ。

しかし、大人になり、10代になり、豊かになれば、あらゆる体験を通して現実を知るというか、様々な存在を知って、自分自身の肉体と考えの成長もあって、そういう非現実理想を一度捨てることになると思う。代表大学生における運転免許取得ラッシュだ。「免許取得者は学のない人のほうが多い」とか「都会人は一生免許と無縁」の虚構に気づく。

私達ネット原住民的には中二病とか高二病とも揶揄される、つまり冷笑主義にも陥るのだが、その現実実在不都合性を含めた事実の中にある魅力に気づき、そこから新しい夢を見出だしたりするのが、普通の諸外国ならハイティーンか遅くても20代経験する段階で、日本人もかつてはそうだったのではないか

そういうわけで、高学歴だろうと、立派な社会的地位にいようが、年齢が中高年だろうと、マイルドヤンキーと変わらないような潔癖主義理想を振りかざして現実を拒絶したり自由創造表現ユーモアを叩くあの感じは非常に納得がいかない。幼稚な人が多すぎる日本現実がほんとつらいです。

(韓国などの例外を除く)外国コンテンツは、優れた表現ほど徹底的に不都合現実事実に向き合っている。だが、それをただそのまま描いたり、不穏に誇張するだけではなく、そこから楽しさや夢を見出だそうとする傾向があると思う。その際にはお堅い因習を破ることになる。

だがその独創性第一段階にある「お堅い因習を破ること」を全力否定するのがグダポンのいう「畳精神」であり、右派や私の言う「コリアニズム(文化的右傾化)」である。つまりどんな理不尽でもそれがしきたりで、その空間では聖域性を守るために自分が屈しなきゃいけないし、適応しない他者は咎めなきゃいけないという枷を兼ねた同調圧力も発生する。韓流ブームものすごく親しんだ人ほど危ない。

ティーンエージャーになる前の現実離れした理想主義(と、それを理想を向けられた側がそのまま受けとめなければいけないということ)に畳精神コリアニズムはとても相性がいいのである。新しい幼稚な感覚と、古い老いた因習コラボさせると、アニメ漫画特撮ドラマビデオゲームまがいな、子供ヤンキーだという狂うジャパンがあふれるのである

私が現代の日本はともかくとして一昔の韓流華流コンテンツ敬遠したのは、アメリカコンテンツとは違い、理想主義を極めたあのディズニーでさえ、そのテーマパーク映画などに「不都合現実を受け入れた上でのイマジネーション」がないからだ。理不尽もの批判的に描くこともなく、拒絶せずにそれを受け止めることすらしない。現実逃避ありきなのだ

私の記憶する限り韓国中国テレビドラマアニメには、日本人ネガティブ過ぎるとして驚いた自転車乗りの姿が描写されていない。1990年代2000年代(2010年代)に日本型暴走族話題になったが、それを風刺するような作品は出てこない。当たり前だが韓国人中国人オタク風刺するような作品もない(日本ですらオタク風刺作品はあるが)

そういう子どもたちはこうしたコンテンツの変わりに漫画小説(ライトノベルを含む)やゲームいかれた様子を見ることで、それを教訓にすることができるわけである日本作品で言えば喧嘩番長龍が如くに出てくる「不都合現実を誇張した」不健全卑猥日本風景も、実は意外にも理想や夢とどこか通じるものがあるし、その中にもやはり社会に対するメッセージもある。

そう考えると、欧米程でないにしても自由な創意工夫性は日本においてはなんとか健在であり、その自由表現の娯楽を通して成長につながることもできたりし、その上でまた新しい夢が見れるというのが、本当にすごいと思っていて、韓国中国にもそういうクリエティティを獲得するには、まず日本同様に現実至上主義と畳精神解体を加速させることが必要なのだ

2016-09-15

http://anond.hatelabo.jp/20160915153258

自然かつ適切に通過しないとどんな形でも手を加えようとしたら逆効果だよ

中二病概念流行ってそれらへの逆張りが主流化したのが昨今の高二病全盛の原因だから

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