はてなキーワード: 高二病とは
いやー、シン・ゴジラ、最高だったね。
というか、今までの邦画監督たち、何してたの?昼寝でもしてたの?ってレベル。
さて、本題。
最近、大絶賛のシンゴジラに対して、逆張りで冷水をぶっかけて評判を貶めようと
画策する中二病(むしろ高二病か)患者がネットを騒がせている。
彼らは、必死にシンゴジラのアラを探したり、あるいは非論理な罵詈雑言を
だが、そんな投稿は、当たり前だが全て反論され、徹底的に叩き潰される。
当然だ。
なぜなら、シンゴジラは「名作」であることが確定しているからだ。
少数派が評価しても、多数が評価しなければ、その作品はせいぜい
「隠れた名作」、あるいは「カルト的人気」といった形容しかもらえない。
これはもう、「名作」「傑作」としか呼びようがない。
なんせ、批評家が尊敬され、批評家の意見が最重要視された時代が過ぎ去った今、
内容そのものの良し悪しで名作かどうかを判断することは不可能だからだ。
勿論、個人個人が自分勝手な判断で「これは名作」「これは駄作」と定義することはできる。
しかし、それはどこまでも主観的であり、客観的評価に進むことはできない。
客観的評価とは、結局のところ、多数の評判によるしか無いのだ。
こういうと、観測範囲が狭い、シンゴジラを評価しないコミュニティもあると反論を
シンゴジラを評価するコミュニティと、評価しないコミュニティでどちらの規模の方が
2chのようになんでも叩くようなコミュニティを挙げても意味が無いので注意してくれよ。
よって、少なくともネット上では明らかに多数派がシンゴジラ肯定である以上、
「傑作」であることは客観的評価なのだから、声高に叫んでも問題はない。
さらに言えば、客観的評価である以上、多少は「アンチ」を貶めても炎上などするはずはない。
「この作品は知性が無いと楽しめない」とか「この作品の良さを分からないなんて残念だ」
とか「この作品を批判する奴らは、恋愛描写が入らないと楽しめないスイーツ脳のバカ」
とか言っても、Togetterに発言をまとめられて炎上などしない。
逆に、少数派である「アンチ」や「批判派」、これは黙っているか、自分の個人的感想で
あることを強調した上で、批判はそうとう柔らかく、皮肉っぽくなく、婉曲的にマイルドに、
文章読解力が低い人間には肯定に見えるくらいの勢いで感想を述べなければならないのは当然だ。
なんせ、私達「多数派」が不愉快な思いをしたなら、それをまとめブログやまとめサイトに載せ、
だから、アンチがいくら騒ごうがその意見は否定されるし、その意見はシンゴジラの地位を
変えないし、ただ惨めな目に遭うだけだ。
口だけ開けて雨と埃だけ食って辛うじて生きてろ。
同じようなテーマではある。
しかし直接的に描こうとしたゆえに逆にゲルサドラや空ちゃんといったギミックに頼ることになり、その結果せっかくアニメなのに抽象的になり感性に直接訴えかける力を失ったクラウズインサイトにたいして
婉曲的に描こうとしたゆえに逆にえげつないくらい直球なアンナ錦宮や科学者さんという直感的にわかりやすいマジキチキャラを生み出せすことに下セカ。(いただきの白やこすりちゃんは超つまらないキャラだった。原作は9巻まで出ているが1巻がピークだったら嫌だなぁ)
どちらが「面白い」アニメであったかというのはもはや語るまでもない。
と、10話までは思っていたけれど10話にしてようやく盛り返したのは嬉しい。
私はすっかりリズムと同じ感覚で醒めた目で見ていた。ここまでの展開はわかりきった結末であり、爾乃美家累の浅はかさや国民のアホさを冷笑するくらいしか楽しみがなかった。高二病だった。
だが、クラウズは私がこんなものだろと決めつけていた結論よりは少しだけ先に行こうとしている。
「空気のおそろしさ」を描くだけで満足するのではなく、その空気を私たちは制御できるというテクノロジーと意思の形を示し、未来を描く、という課題が示されようとしている。
ただし、この問に対する答えははじめちゃん主導で導く場合はこのアニメの評価はやはり上がらない。
あくまで爾乃美家累の決断として、Xが述べたように人間がサルより勝ることを提示し、リズムが納得するという形を取ることは必須条件である。
作者のオナニー的な話のために、はじめちゃんとカッツェ、爾乃美家累とリズムの相剋という物語の必須構造すらないがしろにするならやはりこのアニメは駄作であったと断じるにいささかかのためらいもない。
困ったことに、爾乃美家累があきらめから立ち上がったからいいではないか、格好いい戦闘シーンで空気と戦ってるからいいではないか、という展開になるおそれがちょっとだけある。格好いい戦闘シーン、結構なことだ。しかしその要素はほかならぬこのアニメに求められているものではない。きっちりと納得行く結末を期待したい。
唐突な当り前の孤独を見てすぐに想像できた人はそのアニメを正当に評価出来る人だ。
逆に全然想像できなくて透子の母親が発した自分も若い時なった事がある発言もすぐ理解出来ない人は、無理解なだけ。
要するにリア充だとか、中二病・高二病の類を青春時代に発症した事がない人、つまり中学高校に行ったことがないひきこもりやニートには難しいのだろう。
単なる統合失調症なだけだ。
それをさも自分の眼は可笑しくない、グラスリの監督は頭がおかしいと論じるのは自らアホである事を証明しているに過ぎない。
それこそ、この手の高尚なアニメは見ない方が、無い頭を捻って知恵熱起こしたりアホさ加減を思い知って不快な気分にならない分、君のためにもなる。
で、そういうのは高二病の一種なの?