はてなキーワード: 花言葉とは
結論から言うが、生成AIが広まることによってイラストレーターを含めた絵を描く人間(面倒なので以降まとめて絵師と略す)の需要も価値も損なわれることは決してないし、恐らく寧ろ向上する。ただし一部の層のみ。
最近話題の生成AI、いわゆるクリエイター界隈ではあっちらこっちらで話が広がって、しかも誤解や間違いもどんどん広まって、いったいどうしたことかと混迷を極めている。見る人が見れば本当に面白い状況だろう。加えてXの唐突な規約変更(と誤解されている)で投稿画像が無断学習されると騒ぎになり、SNSは今や群雄割拠の戦国時代みたいになっている。自分もXのフォロワーがやれブルースカイ、クロスフォリオに移行するやら、今後のイラストはすべてポイぴくを挟むやら、創意工夫をもってAI学習の手から逃れようとしているのを眺めていた。
これらの行為率直に言って、無駄だなと思う。無駄ではないがあんまり成果の出る行動ではないな、と思う。むしろAI学習から逃れられない上にインプレッションが下がるだけなのでどちらかというと損失の方が大きいだろう(人はURLをタップして新規ページにアクセスするという一手間をとんでもなく惜しむ、自分も画像直貼りなら見る絵も、URLクリックになった場合はサムネが余程好みでない限りほぼ100%見ない。これについては論文出てるから興味ある人は読んでみるのをお勧めする)
まずこの情報社会のインターネットという大きな箱において、データ収集されないで済むものの方が少ない。基本インターネットに上げた時点ですべて情報社会の餌になると考えた方が逆に健全だ。デジタルタトゥーとか言うだろ、使い方も意味も違うが、構造自体はほぼそれと同じだ。原則として「セキュリティ保護(パスワード認証)のないデータはすべて学習の対象となる」と考えた方が良い。これはインターネットという性質を考えれば自明の理だ。AIのスクレイピングを阻害するプラットフォームに上げたとて、基本人が自由にアクセス出来るのにAIが学習出来んわけなかろう。人間が自由に見れるものはAIも自由に見れる。これが基本原則であることを分かってない人が多すぎる。勿論サーバーにAI学習を阻害する設定を相当しっかりやっていればだいぶ軽減はされるが、まあ最終的にアクセス出来れば学習は出来る。これは変わらんと考えておいた方がいい。むしろXはAPI制限などをbot対策などを相当労力掛けてやったので(ユーザーからは不満たらたらだったが)そういう意味ではAI学習対策がなされている方だとも言う考え方もあるようだ。X自体の学習は防げなくても、X外からの学習は防げるからなあ。こればっかりは何を良しとするかだけど。
話がそれた。
まあそうやって他SNSに移行しようとどうしようと基本的に生成AIからの学習は逃れられないし、それはインターネットという情報社会の性質上仕方のないことだといえる。まあ仕方ないという理由で諦められないから絵師の一部はみんな怒ってるのかもしれないが。ただひとつ間違えないでほしいんだが、そもそも学習して誰しもクオリティの高い画像が出力出来るようになるのは悪いことじゃない。これは学習が法的権利として制限されていないからだとかそういう小難しい話をしたいのではなく、単純な社会全体としての話だ。
「”一部の人間しか出来なかったもの”が、簡単にちょっとの手間で”皆が出来るようになる”のはいいことだ」
レトルトや時短料理なんて最たるものだろう。ホテルのシェフが時間かけて、時には数日かけて作っていた料理が、かつて圧力鍋、今では自動調理鍋なんてもので似たようなクオリティが一瞬で誰でも出来る。材料入れてボタン押すだけ。シェフ監修がいわゆる偏向学習LoRAだとするなら、自動調理鍋や圧力鍋が生成AIに当たる部分だ。この例えに色々モノ申すところはあるだろうが、細かいところが問題なのではなく、論旨は「誰にでも出来るようになるのは社会にとって絶対的”正”だ」ということだ。
この視点において、この先も生成AIが大きく制限されることは恐らくない。だって社会にとって悪いことではないからだ。かつて裕福な家庭しか画家を雇い自画像を残せなかった時代が、技術の発展でカメラが生まれ、カメラも高価で専門職に頼む必要があったものが、インスタントカメラになって世間の多くに普及し、絵の具や鉛筆がなきゃ美術を成しえなかった人たちが、パソコンとペンタブという十万程度の投資で無料のYoutubeを見て誰もが絵を描ける環境を整えられるようになった。お金が無くても、技術が無くても、環境が無くても、苦労が無くても「出来る」ということは、社会にとってはその社会の技術が熟成した証拠でありその結実でもある。人間はそういう歴史を積み重ねて文化を発展させてきたのだ。そういう意味において、生成AIの在り方は正しいと言える。
ただし、ただしだ。
ただ、それでは絵師たちは自分たちの努力が無価値と感じ、自分たちの成果が使い潰されていると感じるだろう。仕事は取られ、搾取されるだけ搾取され捨てられてしまうんだ、と。もうここまでの文を読んで反AIの人間は多くが読むのをやめたと思うが続ける。本当にそうだろうか。本当に絵師たちはそんな無価値なものなのだろうか、と思う。
結論を言う。そんなことはない。
だってみんな圧力鍋で美味しいビーフストロガノフを作れるようになったらお店で出るビーフストロガノフは売れなくなるのか。みんな簡単に手軽にスマホで写真が撮れるようになったら、写真家の仕事は無くなるのか。無くならないだろう? 無くならないんです。写真という技術が生まれてなお、未だに筆を執ってキャンバスに写実風風景画を描き続けてる画家がいてその作品が売れているように、どれだけ高精度の生成AIによって高クオリティの絵が乱立しようと絵師と呼ばれる人たちの生み出すオリジナルイラストの価値が損なわれることはないんです。
ただ、弱肉強食とも言える淘汰は発生するだろう。「淘汰」とは即ち、プロとしてのクオリティレベルの向上を指す。単純に言えば、これまでのようにちょっと絵を描いてお小遣い稼ぎみたいのは出来なくなる。なぜならそのレベルなら生成AIでいくらでも個人が作成出来るようになるからだ。写真家が普通の風景写真を売ろうとしても売れないように、イラストもただ絵がちょっとうまいだけでは売れなくなる。プロに頼むからにはプロのクオリティを求められる。
ここまで読んで気付いた方もいるかもしれない、特に今プロとして第一線で働いているイラストレーターの方。
そうなのだ、プロであり技術があるほど、生成AIがあろうとこれまでと変わらないのだ。
生成AIは少し見れば分かる通り、とにかくコンセプトアートに弱い。「猫耳娘」とか「セーラー服の美少女」とか汎用的なお題ならいくらでも出力出来るが、「猫耳娘のイヤリングが彼女が猫の頃を彷彿とさせる飼い主の想い出の品がモチーフになってる」とか「セーラー服の美少女の足元には好きな人との思い出の公演が映っており、画面に添えられた花言葉はふたりのこれからの関係を暗示している」などといった、「一枚絵でドラマを読み解かせる」という構造がとにかく不得意だ。生成AIの構造と成り立ちを考えればそれは至極当然だ。AIにとってイラストはドット単位の色の集合体であり、そこに意味はない。そこに意味を感じるのは人間であり、読み取るのが観客であり、読み取りやすく指向的にドラマを仕込むのがイラストレーターと呼ばれる絵を描く人間の仕事だ。
だからこそむしろ、イラストレーターはより重宝され、求められることになる。人間はドラマやストーリーに魅力を感じる生き物だ。そういう意味で、どれだけクオリティが高かろうと、重要な場面でのイラストは現状絶対にAIに任せられない。色んなジャンルでよくある「周年絵」であれば、これまでのドラマや記念コンセプトをふんだんにあしらいたいだろう。こういうものこそイラストレーターに任せていくようになる。
もちろん、そういったコンセプトを生成AIが表現できないのは「現状」の話だ。時代は変わる。コンピューターの普及、スマートフォンの普及で情報社会レベルが格段に変わったように、やがて生成AIもコンセプトアートをきちんと表現していく時代も生まれるだろう。もう十年は先の話だろうが、ただ十年後はそうなるかもしれない。それにはもう少し時間が掛かる。それまでに絵師としてのポジションをどう確立させていくかは、今現在絵を描いている人間に求められている課題だ。そんな課題と向き合うことなくこれまで通りの世界でイラストを描き続けたいというのは、残念ながらただの停滞思考に過ぎない。時代は変わる。どう足掻いても。それに適応していかなければ廃れるだけだ。それに適応しなかったものから、絵を描いて仕事をする、というポジションから脱落することになってしまう。
ちなみにAI生成なんかじゃなくて絵を描く楽しみを知るべきだ! というのはお門違いである。
「自動調理鍋を使わずじっくり数時間かけて煮込んでこその料理だ!」「一瞬の風景を何時間も掛けて描くことに意味があり、写真なんて偽物だ!」「ピアノを習ったことないやつがデジタルで曲を作るな!」とは誰も言わないだろう。求めてるものがそもそも違うのだ。じっくり料理をすることに、じっくり観察して絵を描くことに、楽しみを見出す人がその手段を選べばいい。生成AIで絵を出力することが「絵を楽しんでいない」とイコールにはならない。もちろん主張したい気持ちも伝えたいことも一定の理解はある。だがこれを読む貴方だって「音楽とはホールの生演奏を聴いてこそすべてだ」と言われても困るだろう。そうじゃない、手軽なものはいくらだってあっていいのだ。そうやって多くの人間が手軽に楽しめるようになることが文化の発展であり、先人たちが作ってきた成果なのだ。
だから生成AIでイラストレーターの仕事が奪われるとか、そういうデマは少し落ち着いた方が良い。もしこれからも絵を描く仕事を続けていきたいなら、どうやって生成AIと共存していくか、それを考えてみてほしいと思うよ。学習を「無断学習」とか「窃盗」とかいうのも、考え直した方がいい。情報社会はデータの集積で成り立つ社会である以上、収集されるのは貴方たちのイラストに限らない。すべてだ。検索履歴・ワードすら貴方たちのデータはデータベースに集積されている。それが嫌なら電子世界から手を切れ。ネット回線を閉ざした山奥に籠れ。便利な通販があるのも、いつでも繋がれるSNSやアプリがあるのも、そういう情報解析の技術の末のもので、我々がいるのはそういう社会なんだよ。
とはいえ、生成AIによる成果物の取り扱いについては早く文化庁が結論を出してある程度法規制してほしいとも思うよ。悪用する人間はどんな技術に対してもどこにでもいるからね。あと、生成AIイラストと声優業界の生成AIボイスの問題は別物だと思ってるぞ。あれは声という一個人の尊厳の侵害に障る部分が多いからな。言った言わないは千年前から現在に至るまで人間の問題になる議論だから慎重に取り扱わなければいけないと思う。刑事犯罪立証に関わることもある部分だからね。ただ声帯を失くした人への補助AIとかはどんどん発展してほしいね。
現状がどんな関係性で、いつまでに、どんな関係を築きたいかが分からないから、アドバイスも後押しもしようがないが、
今のところは単なる同僚で、誕生日程度のイベントならば、一般論として4000円~5000円の花束は重すぎるかな、とは思う。
○1年後に恋人関係になりたいなら、一輪花程度がちょうどいい。花言葉をチェックし、恋愛の意味を「持たない」夏の花をいくつかピックアップし、その中から、お店へ行って実際に見て、ぴんときたものをラッピングしてもらうといい。ちょっとしたお菓子を一緒につけると、「生花はメインのプレゼントではなく、お菓子のついで」といった言い訳にもなる。
○すでに恋人がおり、奪おうとしているとか、1カ月以内に付き合いたいというなら、逆に2万円ぐらいの花束をつくってもらえ。相手もまず見たことのない大きさになるから、インパクトが強い。ただし、相手からどん引きされて敬遠される可能性があるだけでなく、フォロー(言い訳)を失敗すると職場にもいづらくなるから、覚悟もしておけ。
○とはいえ、現状がどんな関係性なのか知らないから(かなり脈がありそうに感じているとか)、4000円~5000円ぐらいの花束がちょうどいいのかもしれない。最後は増田が好きに選べ。
俺だ。
「誕生石」
「星占い」
「血液型うらない」
これらも大嫌いだ。
なぜ嫌いなのか。
簡単だ。
誰かが思いつきで言いだしただけの話であり、論理的ではないからだ。
コミュニケーションの手段として使うには余りにも下の下の下だ。
少しでも確実に相手にメッセージを伝えるという意思、その当たり前の誠意が欠如している。
気に食わんよ。
コミュニケーションってのは、テレパシーが成功するかどうかのESPごっこゲームじゃないんだ。
論理的に情報を積み上げ合って、お互いの中にあるイメージをすり合わせる行為なんだ。
たまたま同じことを考えていたら面白いという偶然の一致にかける遊びではないんだよ。
同じことを考えうる流れがあり、その流れの中で同じことを考えることが出来たのを確かめる遊びなんだ。
僕はその概念がプログラミングにどう関連しているのかを理解するのに時間がかかった。
しかしベクトル空間と行列の操作がコードの中で美しくシンメトリーを描く瞬間を発見した時の驚きは、シュレディンガーとハイゼンベルクの式が同じ結果を示していたことを知った時のそれに似ていた。
現実と理論が一致するその感覚は、あのときの僕の混乱とシンクロしていたのかもしれない。
デバッグ作業の合間に僕はふとネットサーフィンに耽ることがある。今日もそんな日だった。仕事に行き詰まり何気なくSNSを眺めていた時、ひとつの広告が目に入った。
聞いたこともない小説だった。ただ何となくその本のタイトルに僕は興味を引かれた。
普段は本など読まないプログラマーの僕が、なぜかその小説に惹かれたのだ。クリックすると古びたオンライン書店のページに飛び、その本の概要が表示された。
SFとミステリーの融合、奇妙な登場人物たち。そして何より、レビューは一切なかった。誰も知らない小説、誰も語らない物語。
そんな時、妻がリビングから現れた。彼女の顔には疲れと苛立ちが混じっていた。夫婦生活はすっかりすれ違っていた。彼女は朝早くから仕事に出かけ、僕は夜遅くまでコーディングに追われる。二人の生活リズムはまるでパズルのピースが合わないかのようにぎくしゃくして、欠けてしまったパズルのピースを探すほどの元気もゆとりもなかった。
仲違いの理由は妻の不倫関係にあった。僕はそのことを知っていながらも何も言えずにいた。
ある夜、僕が帰宅した時、妻は知らない男と電話していた。僕がその会話を聞いてしまった瞬間から心の中で何かが壊れた。
「またネットで何か探してるの?」彼女は僕を見下ろしながら冷たく言った。
「ただの小説だよ。何か面白そうだったから」と僕は言い訳がましく答えた。
彼女はため息をつき、何も言わずにキッチンに向かった。その背中を見送りながら僕は自分の無力さを感じた。すれ違いはいつの間にか深い溝となり、その溝は埋まることなく広がり続けていた。
デバッグ作業に戻るとふと机の片隅に一本の指の模型が目に入った。かつてあるハッカソンで作った人工指だ。触覚センサーを内蔵し人間の感覚を模倣することができる優れ物だったが、結局プロジェクトは頓挫しその模型だけが残った。何かを触れ何かを感じるために作られたものが、今ではただのオブジェクトとなっている。それが僕自身の姿と重なって見えた。
ある日、三毛猫のミケが窓辺に座っていた。ミケは僕たちの唯一の癒しだった。僕がミケを撫でると、彼女は満足そうに目を細めた。猫の可愛さは、まるで不確定な世界の中で確かな存在感を持つシュレディンガーの猫のようだ。そんな時、妻が外から帰ってきた。手には一束のたんぽぽを持っていた。
僕は驚きながらも、そのたんぽぽを受け取った。
デバッグ作業の合間に、僕はふとネットサーフィンに耽ることがある。今日もそんな日だった。仕事に行き詰まり、何気なくSNSを眺めていた時、ひとつの広告が目に入った。「聞いたこともない小説」そう銘打たれたその本のタイトルに僕は興味を引かれた。
普段は本など読まないプログラマーの僕が、なぜかその小説に惹かれたのだ。クリックすると、古びたオンライン書店のページに飛び、その本の概要が表示された。SFとミステリーの融合、奇妙な登場人物たち。そして何より、レビューは一切なかった。誰も知らない、誰も語らない小説。
そんな時、妻がリビングから現れた。彼女の顔には疲れと苛立ちが混じっていた。夫婦生活はすっかりすれ違いがちだ。彼女は朝早くから仕事に出かけ、僕は夜遅くまでコーディングに追われる。二人の生活リズムはまるでパズルのピースが合わないかのようだ。
そして、僕たちの仲違いの理由は、妻の不倫関係にあった。僕はそのことを知っていながらも、何も言えずにいた。ある夜、僕が帰宅した時、妻は知らない男と電話していた。僕がその会話を聞いてしまった瞬間から、心の中で何かが壊れた。
「またネットで何か探してるの?」彼女は僕を見下ろしながら冷たく言った。
「ただの小説だよ。何か面白そうだったから」と僕は言い訳がましく答えた。
彼女はため息をつき、何も言わずにキッチンに向かった。その背中を見送りながら、僕は自分の無力さを感じた。すれ違いは、いつの間にか深い溝となり、その溝は埋まることなく広がり続けていた。
デバッグ作業に戻ると、ふと机の片隅に一本の指の模型が目に入った。かつて、あるハッカソンで作った人工指だ。触覚センサーを内蔵し、人間の感覚を模倣することができる優れ物だったが、結局プロジェクトは頓挫し、その模型だけが残った。何かを触れ、何かを感じるために作られたものが、今ではただのオブジェクトとなっている。それが僕自身の姿と重なって見えた。
やけになった僕は、深夜の街をさまよい、風俗に足を運ぶこともあった。そこでは、まるで別の世界が広がっていた。虚無感と欲望が交錯するその場所で、一瞬の逃避を得るためだけに時間と金を費やした。
ある日、三毛猫のミケが窓辺に座っていた。ミケは僕たちの唯一の癒しだった。僕がミケを撫でると、彼女は満足そうに目を細めた。猫の可愛さは、まるで不確定な世界の中で確かな存在感を持つシュレディンガーの猫のようだ。そんな時、妻が外から帰ってきた。手には一束のたんぽぽを持っていた。
僕は驚きながらも、そのたんぽぽを受け取った。
夜、僕は届いた小説を読み始めた。ページをめくるたびに物語は奇妙に絡み合い、現実と夢が交錯する。登場人物たちの葛藤や喜びが僕自身の感情とリンクしていく。やがて僕は一つのことに気付いた。その小説は僕たち夫婦の物語と重なっていたのだ。
翌朝、僕は妻にその小説のことを話した。彼女は驚きながらも興味を示し、僕たちは一緒にその物語を読み進めることにした。ページをめくるたびに僕たちの心は少しずつ近づいていくように感じた。
たんぽぽが咲き誇る春の日、ミケは僕たちの間でくつろいでいた。僕たちの生活は完全には戻っていないが、少しずつ、確かに何かが変わり始めていた。それは一本の指のように繊細でありながらも、確かな感覚を伴っていた。
読者(鑑賞者)はAさんが昨日家の中でウンチを漏らしたのを神の目線で知っている。
そこにAさんが昨日ウンチを漏らしたことについてBさんが話しかけてくる。
BさんがどこでAさんのウンチ漏らしを知ったのかがこちらに開示されることはない。
雰囲気で何となく察したのか、Aさんのことをストーキングしてるのか、それは永遠に明かされない。
自分が飛ばしたのかと思ってAさんがウンチを漏らしたエピソードからBさんが話しかけてくるまでの一連の流れを見直すも、Bさんがウンチ漏らしを知る機会はなかったように見える。
きっとあとで真相が明かされるだろうと思って放置するんだけど、いつまで経ってもBさんがいつどこでAさんのウンチ漏らしを知ったのかは明かされない。
なんだかこういうの凄いモヤモヤする。
AさんがBさんとの会話の中でウンチ漏らした話を自分から漏らしたのかも知れないけど、それは作中で描写されてない。
描かなくても作者が伝わると判断して切り落とした情報が、読者には伝わることなく作者の脳内で完結したまま物語が進む。
作劇の定番的な要素だったり花言葉によって語られたりしていればネットで情報仕入れて把握することも出来るけど、本当にただただ雑誌ページ数の都合で切り落とされたネームの中に眠った情報が補完もされてないとかだとマジでどうしようもない。
ミステリー作品でもないなら受け手に全ての情報がスッキリと与えられなければいけないってことは無いと思うんだが、話の繋がりに違和感があるとそこに余計な意識が取られて作品への集中力が下がるから良くないと思う。
と言ってもしばらく前の話ですが。終わってからもしばらくモヤモヤが治まらないので文字にしました。
以下、通過中もふんわり思ってはいたけど通過後に情報整理して感じた不満点です。
人によってはだいぶ悪口に見えるかもしれないので好きな方はご注意下さい。
なお、当たり前ですがネタバレなので未通過、現行の方はご遠慮ください。
KP:回してくれたのは有難いけどもう少しリアルのスケジュールどうにかしてほしかったしHO1のPLを贔屓したいのはわかった
HO1:主人公。このシナリオはHO1のためといっても過言ではない。PLはKPと仲良し。卓の主催
HO2:サブ主人公。死体入れ違い周りをごたつかせるために出した感もなくはない
HO3:HO2とギスらせるためのキャラ。通過後に取ってつけたような特殊技能を持っていることが判明した
テキセ、適宜セーブして別日、てやり方をしてたんだけど、そんなやり方をしていたらラスト回とその前で1ヵ月空いた。
そこまで間空けるのキツイから分けたいって言った私の意見は割と無視された。このKPでの長期卓は二度とやりたくない。
そして1ヵ月空いて余計なことを考える時間ができてしまったせいで自視点での不満点がたくさん見つかってしまった。
まずHO1が相模原と付き合ってたことを隠していたことに納得がいかない。死ぬ可能性のある職場で隠す理由ってなに?実は付き合ってた、とか後から聞かされても困る…。というかこのシナリオ自体が、ラストの展開とかからしてHO1のために作られてる感じが凄い。だってあんなの絶対HO1にトドメ刺させる接待というか忖度出るじゃん。
最初からあの植物が出る度にやかましいほど言われてたアイビーの花とかもさ…花言葉ありきで植物の選択してない?アイビーって蔦と葉の印象強すぎて花のこと全然わからないんだけどパッと思いつく人いるの?調べたら花の形は可愛かったけどすごい控えめな花だったよ。申し訳ないけど、他の花が咲いてたら引き立て役にしかならなそう。
HO2の妹探しがいつから始まったかは知らないけど、警察に所属して人探ししたいなら別の課に異動願いでも出せばいいのに。事件関係で泊まり込みまでする課に所属して自力でまともに人探しなんてできる?他の行政とか探偵とかそういうのに頼ってるならいいけど、自力で妹探しは無茶でしょ。
というか、妹と生き別れた理由がないせいでここもだいぶ納得できない。両親が亡くなって施設に引き取られた→別々に引き取られて生き別れ、だとしても施設に問い合わせればワンステップで引き取り先に連絡つきそうなんだけどそういう感じではなく?両親離婚からの生き別れなら話はもっと簡単だからこの可能性はないとして、妹探しに本気度が感じられない。一緒に行った方が妹大事執着ムーブをかましてくれたおかげでなおさらHO2の設定に無理が生じてしまった。
HO3はほんとただただHO2を煽るための役だったな。後から話聞いたらHO1とHO2がそれぞれ私とギスってて、HO4大変そうだな~って眺めてたとか言うから本当にHO2とギスるための役だと思った。KPが大変になるのはわかるけど、神童・猪狩の役回りをHO3・HO4で受け持っても問題なさそう。KPが本当に大変だけど。
HO4はHO1に質問攻めにされるわ、(自分が余計なこと言ったせいもあるけど)HO2とギスるわ、設定不備がボコボコ見つかるわで本当にしんどかった。話の要の相模原に種を渡した張本人のはずなのに渡した動機が謎だし、種の品種改良の時間短縮されすぎだし、相模原が刺される前後の棒立ち案山子っぷりも謎だし…。そこら辺のことは秘匿でもいいからHOとか記憶回復時の内容に盛り込んでほしかった。
「他者の気持ちを慮ることが不得意」とか書いておいてくれれば相模原へ種あげたのも「自分が好きだからって理由で種あげたんだろう」て納得はできるし、「刃物が苦手」とかあれば刺されそうになった時に刃物が見えて動揺して動けない理由付けとして納得できた。医学の心得があるくせにその後の救命行動しなかった理由はマジでわからないし、血で急成長するようなヤバイ植物の種を他人に渡す理由もわからないしそもそも何のお礼に渡したのかもわからないけど。
HO4には「相模原にお礼として渡した」としか情報が落とされないし、それも南へ渡したついでに書かれてるだけだから、もしかしたらお礼じゃないかもしれない。というか、改良の依頼者(?)である南より先に相模原に渡してそうなんだけどそれはどうなの?南の日記に「同僚の女性に渡したと言っていた」みたいな記述があったはずだから南より先に相模原に種渡してそう。
というか、どれだけ前に渡したかの記述はないけど、相模原は貰った種を事件当日までポケットに入れっぱなしにしてたの?種を貰ったことが迷惑だったならすぐに捨てればいいけどHO1に明かされてた記憶回復情報の中だったかに「植物が好き」てあったからそういうことはしないだろうし、でもそんな女の人が種を雑に扱うのにも違和感がある。ここら辺もめちゃくちゃ気になるけど種を渡した順番については「人の気持ちを慮ることが不得意」ならまだわかる。
でも正直、そこまで他者に対して鈍感な人間は植物サークルに所属してても他人と関わらないと思うよ。
相模原が刺された後の棒立ち案山子は単にシナリオの不備だと思うけど、ここも「救命行動をとっているHO4の体を巻き込んで蔦が伸びて、HO4を救うためにHO1が相模原の死体を撃った」とかにしてくれれば追っていたはずの的場を逃がす理由にもなるしHO4が添え物にならなくて済んだと思う。
シナリオと言えば、ラスト付近の神童と猪狩もね。猪狩は一緒に来てたらしいけど教会ついてから空気だったし、神童も助けてから空気だった。エンディングで猪狩と神童のおかげで謹慎で済んだ、みたいな記述はあったけど戦闘パートに参加させる気がないなら猪狩は教会の入口で待たせるとか、神童は助けられてすぐその部屋から抜け出して応援を呼ぶとかしてくれればよかったのに。いない理由付けができないからいるはずなのに空気になってしまっていた。助けられたのにお礼も言えない神童…一緒にいるはずだし武器も持ってるのに何もせずにただ見てる神童…そして的場とか植物からもシカトされる神童…。エンディングから動き出すんじゃなくてその前からきちんと動いておきなさいよ。
一応、シナリオの流れとしては面白かったことは言っておきます。
開始からラストまで述べ2ヵ月もかかった通過中のスケジューリングの杜撰さとか、それによってどうでもいいことまで考えてしまった自分が原因の不満点が大半なので普通にスムーズに通った人は問題なく楽しめると思います。
3話までの話は
第1話 ビデオテープ規格:VHS vs ベータ(おまけで コンパクトカセット vs エルカセット)
と二大巨頭の激突において、猫が敗者側に賭ける(そしてしくじる)という路線だった。
しくじり猫がバーテンダーになり、カクテルに関するデタラメなエピソードを披露し、
更には客にとって必要なこととは真逆の花言葉の嘘を話すしくじりをしましたという構成になって、ちょっと困惑。
煽り文も「少し趣向を変えまして」と書いてあったので、箸休め回かと一旦は納得したのだが・・・
第5話は幕末~開国の時代において、とある料理屋が魚料理だけを続けていくか、新たに肉料理をだすかの選択で猫がしくじるという話。
一見、魚 vs 肉 という二項対立の形にはなっているのだが、作中にも述べられているようにそもそも日本では長い間肉食禁止令が出されていたので、魚が負けるというよりは欧米の肉食文化を取り入れるか否かという変化の問題で、最初の3話とは毛色が大分違う。この話の中で魚は負けたが魚食文化の敗退ではなく、現に我々は肉も魚も食べる文化を今でも持ってる。
このように、4話5話で元ネタであるシュレディンガーの猫の「生きている状態と死んでいる状態が重ね合わさっている状態から、観測によってどちらかの状態に収縮する(そして本作の猫は必ずしくじる)」というコンセプトから外れてしまっている。