読者(鑑賞者)はAさんが昨日家の中でウンチを漏らしたのを神の目線で知っている。
そこにAさんが昨日ウンチを漏らしたことについてBさんが話しかけてくる。
BさんがどこでAさんのウンチ漏らしを知ったのかがこちらに開示されることはない。
雰囲気で何となく察したのか、Aさんのことをストーキングしてるのか、それは永遠に明かされない。
自分が飛ばしたのかと思ってAさんがウンチを漏らしたエピソードからBさんが話しかけてくるまでの一連の流れを見直すも、Bさんがウンチ漏らしを知る機会はなかったように見える。
きっとあとで真相が明かされるだろうと思って放置するんだけど、いつまで経ってもBさんがいつどこでAさんのウンチ漏らしを知ったのかは明かされない。
なんだかこういうの凄いモヤモヤする。
AさんがBさんとの会話の中でウンチ漏らした話を自分から漏らしたのかも知れないけど、それは作中で描写されてない。
描かなくても作者が伝わると判断して切り落とした情報が、読者には伝わることなく作者の脳内で完結したまま物語が進む。
作劇の定番的な要素だったり花言葉によって語られたりしていればネットで情報仕入れて把握することも出来るけど、本当にただただ雑誌ページ数の都合で切り落とされたネームの中に眠った情報が補完もされてないとかだとマジでどうしようもない。
ミステリー作品でもないなら受け手に全ての情報がスッキリと与えられなければいけないってことは無いと思うんだが、話の繋がりに違和感があるとそこに余計な意識が取られて作品への集中力が下がるから良くないと思う。
Aさんは漏らしたことを増田に書いた。 それを読んだBさんは、文体の特徴からこれはAさんだと気づいた。 みたいな小話を入れろってことなんでしょうけど、入れたとたんに、 増田と...