はてなキーワード: 煙草とは
バージョンアップで変更される可能性とか、
それでもやりたくなかった。
マトリクスを書いて、外堀を埋めて、ぴったり当てはまるロジックを考えろ?
そこに使えるメソッドがあるのに、わざわざ不安定すぎる道を選べと?
上司に伝えたら殺されそうな開き直りを内心覚えながら、状況を聞くPMに答えた。
これは分かりました、これは分かりません、これは分かりません、これは全く分かりません……
教師に、宿題を忘れた理由を聞かれて、はぶてた態度で答えるように
PMに首を振り続けたら、何も言わなくなった。そして昼も過ぎ、煙草でも吸いにいくかと顔を上げたところで一角でチームの皆が集まってるのが見えた。
『こうすれば、いけるんだって。
GSM対応版で、CDMAの検知は未実装だから、その部分と実地確認が簡単に出来るようなアプリをお願いします。
知らないうちに調査は終わってロジックもほとんど出来ていた。試験表も一緒に来た。
言い訳しても作れない。
立ち上げたアプリが全く動かなくて
理由も分からず、デバッグコードを手当たり次第に埋め込んでいったら瞬く間に汚くなってやり直しの繰り返し。
そのうち、もらったソースコードにも手を入れて手をつけられなくなり、15時でファイルサーバーのリカバリーサービスが走ることを思い出すまで、頭を下げてソースコードを再度貰いにいくか迷った時間は最高に無駄だった。
それでもようやく時間内に検知処理は出来るようになって、しかしそれ以外にかけられる時間はなかったから、ボタンが左上に偏るわ、出力される文字は小さいわ、散々なものが出来上がることに。
PMに持っていくと始めに聞かれた。
忘れてた。慌てて自席に戻ってやり直すと、CDMAのところ……つまり、自分が作ったところだけ期待通りに出来ない。
テストにパス出来なかったこと、修正箇所を調査したが分からなかったことを伝えると、今日は遅いし、後は引き継ぐよといつもの笑顔でお疲れ様。
死にたくなっただけだった。
コミュ障の俺が、何故いつも飯食ってるかって聞かれて
「一人で食べるのが居心地いいんで。あと、昼休みなのにそれ、会社命令なんスか?」
上司は違うと言ってたけど、昼休み休憩っていうのは自由時間のはずだよな。
何で給与発生してない時間帯の態度まで命令されないといかんの?
俺は一人で飯食ってダラダラ煙草吸ってぼーっとしときたいんだよ
余計なお節介が過ぎる。
普段上司なのを嵩に来てモラハラ・パワハラしまくる癖に休憩中も指示されんのかよ
えっと、これも職務に当るんですかね。
給与が発生するならともかく、人間関係とかマナーとか昼休憩ですらもいちいち口出してくる奴なんなの?
就業時間、フルタイム仕事を真面目に取り組む、これだけじゃダメなんですかね。
駅から少し距離のある喫茶店。この街では、それなりに長い歴史を持つお店なのだが、駅前開発の影響を受け、つい先日現在の場所に移転した。オーナーの意向で、移転を機に若い女性向けの内装となったため、長い歴史には似つかわしくないポップな洒落た空間となっている。仕事の息抜きに、ぼくが立ち寄るお店のひとつ。二十代〜四十代の、働く男性たちがこのお店を利用する主な顔ぶれだ。
移転してからというもの、近くの高校に通う女子高生たちが出入りするようになり、それはそれで平和的な絵面なのだが、どこか尻がむず痒く落ち着かない。だから、最近は専らお昼が落ち着いた時間に寄るようにしている。この時間はお客さんも少ないため、ぼくはオーナーや店員さんたちと他愛もない話をしながら、珈琲を二杯飲んで帰る。この日もそのつもりだったのだが、思わぬ出会いによって習慣を破らざるを得なくなった。
その老人は、店内に入ると軽い戸惑いの表情を浮かべたが、数秒のうちに何かを納得し、カウンターに腰を据えた。お客さんはぼくと彼だけだ。カウンターに二人で並ぶカタチになった。老人はぼくの前に灰皿が置かれているのを目にし、自らもガサゴソとポケットを探りはじめた。オーナーの女性が、スッと灰皿を出す。老人は煙草を探す仕草をいったんやめ、オーナーの機転に「ありがとう」と会釈をする。その仕草から「ダンディで、丁寧なおじいさん」という印象が漂う。ぼくは不思議と、この老人がいまのこのお店の雰囲気に最も似合っている人物であるような気がした。
芯の通った太い声に、オーナーがもちろんですよと笑顔で答える。老人は、珈琲を淹れる準備をしはじめたオーナーを優しげな目で見届け、ポケットから丁寧に折りたたまれた一枚のチラシを取り出した。すぐ近くのデパートのチラシだ。
「クリスマスケーキ…ですか。」
ぼくは何気なく尋ねた。
「ひ孫に…ね。」
老人はチラシを前後させながら、文字の読みやすい距離を測りつつ答えた。
「ひ孫さんですか。」
ぼくは少し驚きの気持ちが込められた声を出してしまった。オーナーも少し顔を上げ、驚きの表情。ご老人は、確かにご老人だが、ひ孫がいるような歳には見えなかった。そんな空気を察したのか、老人は「ふふ…今年、九十歳」と照れくさそうに自分の歳を告げた。
「九十歳!」
「…そう。長生きしてしまったねえ。ここらも変わるわけだ…。」
「九十歳というと…ぼくの六十五歳上ですね…。」
「そうかね。君は孫より歳下か…この歳になると、若い子を見ても幾つか判断つかなくなるなあ。」
「はあ…それはそうで…いや、そういうものですかね。」
「おまたせしました」
「このあたりでお仕事をされていたんですか?」
「このあたりは、たまにかな。魚をおろしに来ているんですよ。」
「魚…」
「え…!まだ現役なんですか!?」
「そうだよお!さすがに重たいもん運んだりするのは、若い人たちに任せているけれどねえ。」
「はあー…」
「いまは…いい時代になったよ。君たちは自由だ。軍人勅諭を暗記する必要もない、どんな仕事だって選べるし、勉強したいことがあれば、その道の学校はたくさんある。幸せな時代だよ。」
遠い目をして語る老人に、ぼくらは何と言ったらよいかわからずにいると、老人は「まあ、私たちだって負けじと幸せだったけどな」とニヤリと笑ってみせた。説教臭い話がはじまるわけではなさそうで、ぼくは少し安心した。店内の緊張が一気に解けていく。
「若い頃は、どちらにいらっしゃったんですか。」
「戦後は東京だねえ…東京に出てくれば何でもあると思っていた。」
「ああそうさ。あの頃、渋谷の喫茶店には珈琲とあんみつしかなかった。フルーツポンチというものを出す店が出はじめた頃は、仲間とみんなして食べに出かけたものだ。」
「…なんだか、想像もつかないです。」
「そうだろうねえ…メチャクチャな時代だったよ。何もなかったけれど、楽しかったし、若さだけはあった。それに…」
「それに…?」
煙草の煙をふかし、一呼吸置く。「…女性も美しい人が多かったねえ。」
オーナーが嬉々として尋ねる。「おじいさん、カッコイイし、モテたでしょうねえ。」
老人は煙を払うように手を動かし「ぼくは、ぶっきらぼうだったから全然ですよ。」
老人は、遠くを見つめるようで、すぐ近くのことを語っているようだった。
「ふむ…」老人は少し思案を巡らせ「…言葉遣いが綺麗な女性だね。言葉遣いが綺麗な女性は、セクシーだよ。」
この言葉に、ぼくは胸を打たれた。「美しい言葉遣い」と「セクシー」という単語が、こんなにもスマートにイコールで繋がることを、ぼくはこの時まで知らなかった。
それから、老人はぼくらの知らないこの街、東京、日本という歴史を語り聞かせてくれた。やがて「おお、そろそろひ孫のケーキを買いに行かないと」と言って立ち上がり「はじめて入ったけれど、いいお店ですね」と優しく言葉を残し、去っていった。
その言葉に煽られるようにして、予定時刻を大幅に過ぎていることに気づいたぼくも立ち上がった。
http://news.mynavi.jp/news/2013/12/19/010/index.html
妻子持ち男子の休日というと賑やかな予定が入っていそうなイメージですが、実際はどうなのでしょうか。我輩が忘年会で聞いた、「大声で言いたい、既婚男子に意外と多い休日の過ごし方」をご紹介して候。
■終日家族サービス
休日の王道。「掃除」「洗濯」「育児」を理由に、布団で惰眠を貪ることすら許されず叩き起こされる。
■予定は買い出しのみ
朝早起きして昼前にはイオンへ。「お昼はどうするの?」という質問に「フードコート」と当たり前のように答えられ空しくなるも、本当はマックのハッピーセットで子供が大喜びしてくれるだけで心がほっこり満たされる。
「家で吸ったら怒られるから」とこっそりファミレスに出かけるも、家族連れでにぎわい終日禁煙。家族で楽しそうに談笑している光景を見て妻と子供も連れてくれば良かったなと、失敗した気分に。
元上司の挙げた結婚式の写真を発見。毎回「へー、元上司も結婚したんだ。長かったなぁ」と思うが、よく考えると再婚とのことなので累計数は相当なはず。
休日にあふれる合コンの写真を、「みんなまだまだ若いなぁ」と悟りを開いたような気分で眺める。自分も合コンで妻と出会ったことは忘れている。
■慣れない料理で新鮮
あまりにも料理しない事に対して妻の雷が落ちるかもな恐怖心から、慣れない料理に挑戦してしまう。実際にやってみると楽しく、食材を奮発したので財布は軽いけど、心は豊かなる。
夜になって外の空気を吸いたくなり、散歩へ。こっそり持ってきた煙草に火をつける。ふとマンションを見ると、意外にも灯りが漏れていてよその家族のシルエットが見れたので、「みんな家族団らんしてるんだな」と勝手に賑やかな光景を夢想する。
絵本を読み聴かせて、子供が寝たら夫婦で晩酌して、酒が入ったら普段怖い妻も優しくなって……とやっているうちに夜が更ける。妻と子供を愛しているため、飽きることがない。
■想いが募り身体を求めてビンタ痛っ
普段妻に任せっきりな生活を反省して、「ごめんね」「愛しているよ」などとに口説き子作りに取り組もうにも、ふだんからしていないため唐突すぎてビンタされる。翌日はお互い気まずくて挙動不審になる。
■深夜に言い尽くしがたい愛情に包まれる
一日家族と過ごしたおかげで、深夜に川の字で寝ている妻と子供の寝顔を眺めていたら急に涙が流れた。しかし妻も子供も寝入っているので、声を出して泣くわけにいかない、なんとなく頭を撫でていたら寝落ちしたまま日付は月曜に。
この1日だけでは妻子持ち男子の全てには結びつかないかもしれませんが、聞いていて心が温かくなっていたし、なんだかやる気もでたし、意外と結婚も楽しそうです。家族サービスする休日も良いかもしれません。
「それは山です」のくだりの前に喫煙所を思い浮かべた。ライターを貸したり貸してもらったりする時に、よく世間話をしたりする。
自分から話を向けることもあるけど、大概は相手から話しかけられる(それはまた大概おっさんだったりする)。
ビルの中の喫煙室だったり、雑居ビルの近場の共同の喫煙スペースだったり、そういう場所。話す内容は、天気のこととか喫煙者の自虐とか当たり障りのないことが大半。
そこから顔見知りになって会釈し合ったりするような仲になることもあるけど、相手の大体は初めて会う人。
最近はこういう、人の輪みたいなものを認識しないと喫煙してても落ち着かないし、人の輪を認識してしまったためにタバコをやめる意志が失せ気味になってしまった。
多分自分以外のおっさんたちもそうやってタバコをやめる機会を逸し続けてるんだなと思う。
たまに話しかけるなオーラ出してる人もいるけど、そんな人でも同僚(に見える人)に話しかけられたらけっこう楽しそうに雑談してるし、こういう人は意外と多いんじゃないかと思う。煙草を吸ってたら奇妙な結びつきが出来てしまって、それがまたタバコを吸う動機となる。タバコを廻る円環の完成である。
こんなスモークコーナーソサエティの話は若干不適切だとは思うんだけど、まあやっぱり其の場限りのアドホックなコミュニティものであってもその「場」の質でその雰囲気やルールは作られるんだろうなと思う。山なら「危険だから」-「命だいじに」、喫煙所なら「休憩だから/迫害されてるから/時間を潰したいから/現実逃避したいから」-「みんな楽しく」。
電車だと難しいだろうな。目的や使い方が千差万別だもの。この議論は携帯電話と電車の組み合わせが消滅するまで続くんじゃないかな。
あ、ちなみに自分は電車では誰か他人が会話してたら電話するけどすごい静かなときや神経質そうな人がいたら電話しない派。マナーや誠実さじゃなくて「怒られるかそうでないか」で振る舞いを決める質です。
休日、俺は自宅近所の定食屋に昼飯を食いに行った。カウンターに座り、店員に日替わり定食を注文し、暇つぶしにスマホでも眺めていた。
隣には五十代くらいの背広の男性が座っていたのだが、そこでかなり異様な光景を目の当たりにした。
俺がカウンターに座り、注文を終えた直後に男性の注文が運ばれてきていた。
すると男性は、吸っていた煙草を灰皿に起き、静かに注文の品を食べ始めた。
そして、味噌汁を一口すすると、また灰皿の煙草を取って紫煙を一呼吸くゆらせ、再び茶碗に持ち替え白米をほおばり始めた。
おかず、米、味噌汁、煙草、おかず、米、味噌汁、煙草…これを延々繰り返し、煙草が短くなると、二本目の煙草に火を付け、再び同じループを繰り返し始めたのだった。
「現時点で知られてる中では問題ない」ということはある意味正しかったりするからな。
本当に長期間、将来的に全く問題ないかどうかなんて調べるのは難しいというか、ある意味不可能な所があるわけで。
その証拠に日本では新薬を認定するのに物凄い時間がかかる(ま、ここには利権が絡むから別の要素もあるが)
実際、問題ある、と医学的証拠が出ればそれを根拠に法律を作ることは可能なわけで。
勿論、ただただ追いつかないだけ、ということもあるかもしれないが、実際に問題がないかもしれない。
煙草や酒なかは悪影響はある程度医学的に示されていても禁止にしない。それは影響が十分小さいのと、それらを合法として扱い、市場が大きすぎて禁止にすると混乱が起きてしまうから。
観てきましたので感想を。
なんだろう、個人的には素晴らしい映画だったと思う。
作り手の優しさが溢れていてすごく素敵な時間でした。
でも僕が宮崎駿が好きだから、という理由がこの映画を楽しめた一番の理由だと思う。
映画としては果たしていい出来なのか、駿を、ジブリを好きじゃない人にも楽しめるのか。
そのへんはよくわからない。まぁジブリ好き以外は見に行かないと思うけど。
とにかく、僕は宮崎駿が大好きなのです。
あんなに内に矛盾を抱えながら、それと向き合って70過ぎまで作品を作る。
どうしようもなく報われない行為のように見えるし、もうやめちまいなよって思える。
なんであんな狂った老人が、なんであんなに可愛く見えるんだろう。
なんであんなに愛おしく感じるのだろう。
あぁ、これはきっともう、彼に育てられたから、なのかもしれませんね。
風立ちぬの声を庵野さんにしようと言い出した時の周りのそれマジすか…みたいな空気と、
一人で楽しくなってきてる駿が、もう見ててたまらなく可笑しくて笑ってしまった。
途中で、そんなになんでもないシーンで、なんだか無性に泣けてしまった。
駿の姿が、周りのスタッフが、関わっている全ての人の愛情が溢れてるのを感じて、
なんだかそんな愛情をもらったような気がして、ボロボロに泣いてしまった。
それでもこの王国と同じ時間を過ごせたことが、とても幸せに感じます。
市から無料で検査を受けられるクーポンを支給されていたので病院に行く。
処女だし受ける必要ないよなー、と最初は行かないつもりでいたのだけど、母が「せっかく無料で受けられるんだから受けたほうがいい」と強く勧めるので、「じゃあ…」という感じで重い腰を上げ足を運ぶ。
番号札を取り、呼ばれるまで待つ。待ってる間スマホで「子宮がん検診 処女 必要性」と検索してみる。すると、知恵袋なんかが出てきて「処女であったとしてもがんである可能性もあるので経験の有無に限らず受けるべき」という内容の回答を何件か見かけ、そういうもんなのかー、と考える。そんなこんなしているうちに番号を呼ばれ、クーポンと保険証を出して、書類を書いてくださいと言われる。現在飲んでいる薬はあるか、煙草は吸っているか、妊娠しているか、最終生理日はいつか、など紙に書き入れる。そこに経験あり、なし、という項目は無かったのでやはり関係なく検査はするんだなと勝手に解釈する。
しばらくして名前を呼ばれ、問診室に入る。椅子に腰かけ、看護士さんに性交渉したことがあるかどうかを聞かれる。性交渉って言い方うけるなーと思いながらバカ正直に「いやー、ないですね…」と答える。すると、「無い方は、大丈夫だろうということで、こちらのクリニックでは検診対象外となっております」と告げられる。「あ、そうなんですか…」「はい。あちらの部屋で子宮頸がんの説明を先生にしてもらい、お帰りいただきます」「はい…」という流れで、医者がいる部屋に移動して、子宮頸がん資料が入れられたクリアファイルをペラペラと捲りながら説明される。あんまり真面目に聞いていなかったから断片的にしか覚えていないけど、「子宮頸がんは基本的には性交渉によって感染します(つまりお前は圏外)」だとか「癌ができる場所は個人によって異なる」ということなどをつらつらと語られる。最後に、「あなたは経験がないということで、検診なしで大丈夫でしょう。いつかパートナーができてそういうことがあったら検診に来てください」とめちゃくちゃオブラートに包んだ言い方をされる。いや、たぶん一生ないんで大丈夫です…という気持ちとなんで男の医者(産婦人科の医者が男なんてけっこうあることだろうけど)にこんなこと言われなきゃなんねーんだよ…どうせ喪女だよ、誰からも好かれず20年間生きてきてんだよボケが…つーかせっかく来たんだから適当でもいいから検診してくれよ…などと心の中で纏まりに欠ける悪態をつく。
説明が終了し、待合スペースに腰かけているとすぐに受付に呼ばれ、クーポンが返却される。
死んだ目で「ありがとうございましたー」と言いながら、クリニックを去る。
帰り道、自転車を漕ぎながら少し泣く。
昨夜股をいつもより念入りに洗浄したり毛ってそのままでいいの? と悩んだり脱ぎやすいようにスカート履いてきた自分愚かすぎる、と。お前、検診できる段階にいませーんwって感じ。
というか、クーポンと一緒に送られてくる書類に、「処女は検査しなくて大丈夫です」的なこと書いてよ!
完全に無駄足だった。自分の喪女加減を部外者に広め、そして「誰からも必要とされたことがない」という普段目を逸らしている事実を突き付けられ虚しくなるという。消えたい。
久しぶりに分煙されてないレストランでランチを取って、あまりの臭いの強さにびっくりした。
彼らは哀れむべき中毒患者で、昼食がてらスパーッと一服(彼らは3本ずつくらい吸っていたが)吸える場所は貴重だという気持ちなのかも知れないが、やっぱり異常に臭いが強い。
「臭いんで止めてもらえますか?」と言う事は、喫煙者差別なんだろうか?結局、ゴタゴタが面倒なんで言わないかったけど。まぁ、若干恨めしい目で見ちゃいましたけどね。
分煙が当たり前になってしまうと、喫煙者の撒き散らす臭気や煙というのは強烈で、反対にこれが(昔の煙草はもっとキツいヤツが主流だったし)許容されていた時代というのは、いったいどんなに野蛮な時代だったんだろう?と思う。
喫煙者は、煙草を止められる事に自分達が迫害されていると、いい気はしないだろうし。まぁ、実際社会から迫害されてる訳なんだけど。彼らが迫害される事に、一欠けらも同情出来ない自分がいる事に気付く。
酒にも多少の臭気はあるし、酔っ払いが電車に同乗したりするとうんざりする事もあるが。彼らが泥酔していない限り、然程迷惑も無いし、中毒性も痛め付けられる肝臓も本人持ちだし、殆ど気にならないが。喫煙はヤバいね。あれは、本当に迷惑な趣味だよ。趣味のレベルで言えば、下着泥棒が趣味ですな位迷惑だ。いや、下着泥棒より劣悪な趣味だと言える。周りの健康まで害する。そんな趣味他に無い。
ネットサーフィンをしていたのが上司にバレて、解雇予告に怯えている私である。
自業自得であるし、こうなることを分かっていてやっていたので後悔はないが、
自分ちょっとクズだなあ、と思っている傍らで、反省心とか自分が悪かった、
いけないことをしたという気持ちが一向に湧き上がらないことにちょっとだけ危機感を覚えている。
かといって何をするわけでもないのだが。
私はどうも、今ここでこうしなければいけないんだ!と分かっていても体が動かない。
横断歩道のない道路を左右を確認しつつ、いつ渡るかどうか決めかねているときのような状態に陥る。
それでいつも注意される。
動けない。動かなければいけないのに、動けない。
動かなくていい時に動いた時の、あの感じを思い出してしまって固まってしまう。
対処法を考えているが、自信と勇気をもつ、くらいしか思い浮かばない。
会社が就活生に対し、笑顔の絶えない職場です、と言うのは決まり文句のようなものだ。
私の職場がまさにそんな感じで、よくある頻度で息苦しさを覚える。
上司に「暗い」「声が小さい」と言われた。自信のなさから来るものだろうと指摘された。
自信はこれからやっていく業務でつけていくといい、あとは声を大きく、笑顔を意識して等などアドバイスされた。
はじめはそれを真に受けて、意識して笑顔を浮かべ、声も出すようにしていたが、
仕事で失敗したときに素でない笑顔や明るさを維持するのは難しい。
なんとか笑顔をつくるものの、目頭が熱くなってしまうので(豆腐メンタルすぎて泣きたくなる)、結局は半笑いのような状態になる。
通常時でも笑うのは苦手な方だ。
私としては最高の笑顔で笑っている状態でも、きっと傍から見たら不気味な半笑いなのだろう。
それでも一対一の会話ならまだいいが、集団での会話となると笑顔を維持する、つまり朗らかにいることがものすごく難しい。
なぜそこで笑えるのか、愛想笑いだというのは分かるのに私は同じことができない。
楽しそうに会話している同僚を見ていつも思う。
何でそんなに自然に笑えるのだろう。
私もがんばって笑ってみるが、どうにも上手くできない。
笑顔を浮かべれば、人とのコミュニケーションも円滑になるのに、笑えない。
女性相手でもやっと人並み、というレベルなのに、苦手意識の強い男性相手となるともう、
自分から会話をふることなんて大勇気だ。男性の多い職場なのに、なんてことだろう。
前任の人はミスが多いせいで一年を過ぎたあたりで解雇されたと風のうわさで聞いた。
私はきっと、暗くて笑えないという欠点にプラスされて、業務時間内でネットサーフィンをしていたという
そもそも休憩時間がまともに取れないから(喫煙者には煙草休憩が許されるのに!)
ネットサーフィンしまくったというのは、まあ、理由にすらならないだろう。
いくら法定休日数が守られているからっていっても、なんだかもう疲れてしまった。
オマエ馬鹿だろ。
これは自慢ってかミサワ。そして大概が見てる。さらにNHKだけしか見ない自慢、ニュースだけしかしない自慢にも発展できる。
その全てがミサワの事が大半。
は?
は?
23区なら普通は持てない。これを上の2つも含めこれらを自慢と感じる馬鹿はどこにも居ない。
自慢じゃない、単に自分と意見が違ってムカつくだけだろ、アホか。
そんなこと主張する奴居ない。
Youtubeで音楽を聴いている人にとって「金出して(CDやmp3を)買ってます」は自慢
ワレザーにとって「違法コピーしてません」は自慢
お前みたいに堂々違法コピーしてますって馬鹿がアホなだけだろ。そっちのが「自慢」だろ?
「何わざわざ金出してCDとか買っちゃってるの?情弱www」ってお前が自慢してんだろ?アホか?
上に比べてこれが一番多いだろ、お前、ほんとに人と喋ったことあるのか?
ある種の人々は、自分が習慣的にやっていることについて「私はしません」と言われるとそれだけで自慢されたと感じるものらしい。
たとえば、
自家用車を持っている人にとって「自動車持つ気ないです」は自慢
Youtubeで音楽を聴いている人にとって「金出して(CDやmp3を)買ってます」は自慢
ワレザーにとって「違法コピーしてません」は自慢
以上はすべて実際に誰かが言っていた例だが、こうして並べると反社会的だったり非生産的だったり何らかのネガティブな要素が含まれているケースが多いように見える。無意識の罪悪感が彼等に強迫観念をもたらしているのだろうか?
急に動悸が来たり、何もないのに変にそわそわしたりしてた。
聞きかじった程度だけど、そういう症状は脳内物質の分泌過多であったり、
過小であったりするのが原因だと聞いていたのでセロトニンという安定作用のある脳内物質の発生を促すサプリを飲んでみた。
そしたらまぁあれだけ苦しんでた動悸やら不安感がめっきりなくなり、しばらく安定していた。
精神ってのはそういう物理的な世界から離れた神秘的なナニカみたいなイメージがあったので何とも拍子抜けしてしまい、興味を持っていろいろと調べ始めた。
調べるうちにいろんな事がわかり、人のいろんな行動や欲求にも脳内物質で合点がいくもんだから笑ってしまった。
所詮ネットソースの知識だから多少の間違いや解釈違いもあるかもしれないけど。ってかかなりあると思う。
大雑把に一部だけ紹介したいと思う。
ドーパミンが出て痛くない、なんだか興奮するとかノルアドレナリンが出て不安感を吹き飛ばすとかが有名なのかな。
知ってる人には何を当然って感じなんだろうが鬱とか躁鬱もこいつらの分泌の偏りのせい。だから薬で無理やり分泌させたりする。
他にも健康的な出し方だとスポーツとか周りからの承認欲求を満たすことで分泌される。だから気持ちいいって感じる。
麻薬とか、セックスとかもそう。結局気持ちいい、よっしゃ生きるかってのは脳内物質が出てるから起きる。
個性の差異も結局脳の構造と脳内物質が上手い事出るかどうかだけなんじゃないかと思った。
いつも思慮が浅いけどニコニコしている人達と思慮深いけど卑屈な人達の違い。
いわゆるセックスに依存するメンヘラ女や人と上手くかかわれないコミュ障とか世間的に言えば危ない人達。
なんとなく脳の構造が違うとは思ってたけどこれがあまりにもはっきり見えてきてとても驚いた。
たとえば、考え過ぎる人は下手すると思考のド壺にはまるもんだからどんどん気分が落ちていく。
考え過ぎる事が出来るってのはある種の才能なんだけれど、考え過ぎる人は内容のほとんどが悲観的でそれがドンドン膨らんでいって現実にも影響を及ぼすようになってしまう。
だから上手くガス抜きできない人は頭がいいのに社会に適応できないという状態になる。考え過ぎて悲しくなれば脳内物質がドンドンそのように変えていく。
逆にあまり考えない人達は思考量が少ないから強烈な個性があったりはしないけど毎日幸せそうにニコニコしていて精神疾患にはかかりにくい。(例外はあるにしろ)
人と話して認められて、承認欲求も満たされて脳内物質はガンガンでる。目標のハードルも日常のささいな事で満足できるから上手く幸福中毒にハマれる。
恋愛期間は脳内物質が異常なバランスになる。何かがきっかけで好意をいだけばドーパミンが分泌されドキドキして、夜はセロトニンが足りなくてそわそわして眠れなくなる。
んだよ、愛だのいっておいて神秘じゃなくて結局機械仕掛けなのかよって思った。
人は安定したいから自分の理解者を作る。生存確率を高める為でもあり、子孫を残すためでもあり、脳内物質の快感にうまい事はまるためでもある。
というか、当たり前の事をひたすら書き連ねているけど結局人って幸福中毒に過ぎないのかと思ったら神秘的でよくわからないナニカが、パズルの中身を見たようにつまらなくなってしまった。
散々叩かれるメンヘラや誰とでも寝る女だって、脳内物質が足りてないからセックスやらで脳内物質を無理やりでも出そうとする。
今まで否定的だったけど、あの常に不安感でたまらない状態や不安感がセックスや人からの承認で解消できるなら、と思うと納得がいく。
これは経験した人にしかわからないし、常に幸福中毒にハマってる人にはわからない。分子ですら安定したがってるんだし、人も当然安定したがるわけだ。
でも、結構な人は自分の心の弱さのせいだと思って、ホントはなんでもない機械仕掛けだと気付かない。
一緒にラーメン食っても酒を飲んでも出る。出産だって子供を愛するように脳内物質がでる。
首を絞められて死ぬ寸前、ノルアドレナリンが分泌されて気持ちよくなる。リストカットだって脳内物質が出る。やめられないわけだ。
快感の共有をした分だけ人は仲良くなっていく。快感や感情には全て脳内物質が付きまとう(当然だけど)
なんだ、こんなもんか。って思った。あれだけ神聖化されててもただの機械仕掛け的な反応が起きてるだけなんだなって。
なんだかそう思うと少しつまらない。わからないから面白かったのに、わかってしまったとたんあんまり面白くなくなった。
一緒に友達とバカやるのも、ラーメン食うのも、恋愛するのも楽しい。けど、頭の裏でなんて事のない科学反応が起きてるだけだと思うと何だかさみしい。
最近アスペルガーやら鬱やら精神分野については理解が深まってきた。
だからこそ思う。普通ってなんなんだ。異常って言われても機械仕掛けなんだからしょうがない。脳を丸ごと交換するわけにもいかない。
ここまでわかってるくせに肝心の自我がどこにあるかってのがわかってないから脳の交換もできない。まったく使えない奴だ。
運よく大きな異常をきたさなかったけど、俺が異常に生まれたらどうすればよかったんだろうと思う。
人を殺すことでしか、陥れる事でしかドーパミンが分泌されず生きる気力が湧かないのなら。
それでも中途半端に脳内物質に左右されない理性が残っているなら、死ぬしかない。
それでも世間は死ぬなという。無茶言うなや。ガソリンが足りないのに走れるわけがない。
中途半端に自我と精神がリンクしてるくせに、中途半端に隔離していて余計つらいだろ。
でも、世間がいわゆるメンヘラや発達障害に求めてるのってそういう事じゃないのか。
薬のおかげで多少まとも?になれるようになったけど、寛解はしても完治という物はないらしい。
じゃあどうすればいい。高度に医学が発達してみんなが普通になれる方法が出来たとして、みんなが上手い事幸福になれる脳になったら。
なんだそれ、全然面白くない。無個性もいいところだ。それこそ今より機械と変わらなくなってしまう。
結局八方ふさがりでどうしようもないのか。
何となくはわかっていたけど、こう自覚してしまうと何ともつまらなくなってしまった。
この事を知ったらなんだか、いろいろとつまらなくなってしまった。
なんとなく口寂しくなって煙草に火をつけた。ニコチンが血液を回って脳に作用する。
脳はそれに応じてドーパミンを吐き出す。なんてことはない、投げたボールが落ちてくるようなものだ。
少し気分が晴れやかになった。タバコが体に悪いのなんて知っている。無理やり脳内物質を出して体を傷つけてるんだ。
それでも、なんだかさみしくなって無理やり煙草の火をもみ消した。
お寒いようだけど、中途半端に残った自我での俺の精一杯の幸福中毒への抵抗のつもり。
明日もきっといろんな脳内物質によって俺は幸福中毒に振り回されるのだろう。
でも、タバコはもうやめようと思う。
触られたくもない。植物学者だった伯父が可哀相です。
どいつもこいつも煙草臭かったです。当日だけ吸わなければバレないとでも思ってらしてなのでしょうか。
受付さんの女の口からも煙草の臭いがしました。会社名をさらしたほうがいいですかね?
伯父さん家族とは仲良く、色々なところに私たちも連れて行ってくれました。伯父さんがいなければ北海道や
南アルプスでテントを張ったりするような機会に預かれなかったでしょう。私はそんな伯父が大好きでした。
そんな自然をいっぱい愛していた伯父さんの最後が煙草臭い葬儀社のおかげで酷いものになりました。
有毒物質と化学物質にまみれた煙草をどうしてスタッフは吸うのでしょう?
周波の違いはあれ、自然に還る一環のお仕事に携わるのですから臭いのは厳禁でしょう。
今後死亡者年100万人時代がかなりの間継続されると聞きますが、どれだけの人が葬儀屋の煙草のおかげで
失望したり、怒りで手が震えたり、最後のお見送りの気持ちを邪魔されたりするかと想像すると暗澹たる気が
致します。
既に健康増進法によって公的な場所での一切の喫煙は厳禁ですので、葬儀社スタッフは全員禁煙すべきです。
犠牲を繰り返さないためのささやかなアドバイスとして、葬儀社に念書の提出を提案します。
過去10年間煙草を吸った人間は葬式に一切携わらない。違反して臭いがした場合は契約を無効とする。
こうすれば、故人の最後のお別れの場が変な臭いで台無しにされるようなことが日本からなくなるでしょう。
葬儀社にも、煙草を吸わないスタッフのみで固めることでプラスになります。
伯父とのお別れは残念でしたが、