はてなキーワード: 煙草とは
25歳、デザイナー兼プログラマー。デスクの上に広がったコーヒーの空き缶たち、吸殻でいっぱいの灰皿。
朝になるとオフィスに入ってきて「もう、相変わらずなんだから…」と呆れながらも多くを語らずテキパキと片付けてくれる彼女。夜中のミーティングで誰かが笑うたびに舞った煙草の灰で汚れた机をため息混じりに拭きながらも、その横顔は嫌そうでもない。
オフィスの冷蔵庫には缶コーヒーしか入っていないことを知っていて、買い出してきた食材を隅っこのキッチンスペースで調理し「どうせマトモなもん食べてないんでしょ」と言いながら朝ごはんをつくってくれる。ぼくは何か返事をするわけでもないけれど、パソコンの画面を見ながらそれを食べ「おいしい」と一言だけ言う。その言葉でぱあっと彼女の顔が明るくなる。
食事を終え、再び本格的に仕事をはじめるぼくを見届け、彼女は皿洗いをはじめる。それが終わると邪魔にならないように、隅っこで編み物などをしている。せっかくの休みの日を、わざわざこんなところで過ごさなくてもいいのになあと思う。彼女のために何かしてあげたいと思いつつも、納期の迫った案件のことで頭がいっぱいで、彼女のことはいつも後回しになってしまう。
仲間たちと独立して立ち上げた会社は、まだ軌道に乗っていない。夜中、みんなが仮眠スペースに入ってからも納期の迫った案件と闘っていたら、いつの間にか寝ていた。そして上記のような夢をみた。目覚めたら、コーヒーの空き缶たちと吸殻でいっぱいの灰皿が目に入った。25歳、デザイナー兼プログラマー。彼女はいない。納期は迫っている。
かれこれ、少なくとも5年以上はまともな食事を取っていない。
晩は4種類のメニューのどれか(チンジャオロースー・きのこの炒め物・麻婆茄子・レトルトの餃子)と決められていて、
他のものは食べられない。
理由は、専業主婦の母が更年期障害になって料理をしなくなり、その上で自由に台所を触るのを禁じたため。
私は大学生だ。高校は、全生徒が大学に進学するのが当たり前ということになっていて、
それ以外の進路を希望すると指導室行きになる学校だったため、就職という選択肢はなかった。
父と母と私の3人家族。父は単身赴任していて好きなものを食べられるから、私のことなんて知ったこっちゃないのだ。
父の口癖は、「お前さえ黙っていれば家の中は丸く収まるんだ」。
朝ご飯と昼ご飯は、私は食べること自体が禁止されていて、お湯を沸かしてカップラーメンを食べることさえ許されなくて、
それでも食べない訳にはいかないから、大声で罵倒されながら、「すいません、すいません」と体を縮めて食べる。
一方、母は、朝ご飯はサークルKのチョコクロワッサン、昼ご飯はローソンのシャキシャキレタスサンドという規則になっている。
買ってくるのは私。母は一歩も外に出ない。
それらの商品が売っていなかったりすると、手に入れられるまで、いつまで経っても家に入れてもらえない。
晩ご飯は、先述の4種類のメニュー(つまり、フライパンで作れる簡単な料理)だけで、私の食べたいものを好きに作ることはできない。
「火を使うと暑くて汗をかいて嫌だから」という母の都合で、調理は私。どんなに疲れていても、私。
のろのろしていると、母の手や足が飛んできて、怒鳴られて、殴られて、蹴られる。
料理する時間は6時半という決まりで、だから門限があって、友人たちが飲みに行く背中をいつも一人見送っている。
台所には、いたるところにほこりが積もっている。食器棚にも、鍋にも、お玉やフライ返しにも、分厚い綿ぼこりが積もっている。
母は精神科に通院していて、幻聴が聞こえるらしい。その幻聴の内容や、母が便秘だの下痢だのというシモの話を、嫌な顔一つせず聞きながら、食事を取らなくてはならない。
実は私も精神科通いだ。ロヒプノール(睡眠薬)がないと絶対に寝られない。
今日した両親とのやりとりを書き出してみる(土日なので、父がいる)。
すると母が飛んできて、
「うわー、くっさい!なんてことしてくれるの!」
と騒ぎ出した。
いつもなら、ここで「申し訳ありません」と頭を下げる。
「電子レンジぐらい自由に使わせて。くさいとか汚いとか言わないで」
すると今度は父が飛んできた。
「お前ーっ!養われてる分際で何を言っとるんだ!!
ここにあるもんは全部俺のもんだ!
俺が外で働いてやってるんだ!
文句があるなら、家も学費も自分でなんとかしてみろ!
ったく胸くそ悪い!!(ほぼ一字一句再現)」
くさいって言われたら、嫌でしょう?」
とたずねてみたが、
と言われた。
豚汁は隅の方でこそこそ食った。
「養ってやってる」。小さい時からずっと言われてきた。
「養ってやってる」と言いながら、父は私の尻や足を触る。
例えるなら家庭内キャバ嬢という感じだ。
通学中の電車の中、夜寝る時の布団の中、父と母にされた仕打ちがぐるぐる回る。
小学3年生の時、父に包丁を突きつけられて、刺されそうになったこと。
その後、「あんたみたいな出来損ない、誰だって殺したくなるわよ」と言った母。
父に足首を掴んで11階のベランダからぶら下げられたこと。それを冷ややかな目で見ている母。
海に行くのを楽しみにしていたのに、母がカッターナイフで浮き輪を切り刻んだこと。
「俺は仕事があるんだ!出世できなくなったらどうする!」と怒鳴って、
何故か航空ショーを見に行ってしまった父。
買えなくて家に入れてもらえなかったこと。
それから。「大学受験の邪魔になるから」と言って、父が私の文鳥を殺したこと。
あの子の口から、血か内蔵かよく分からないオレンジ色のものが出てきて、目を見開いたまま死んでいたあの姿。
「文鳥ちゃんはあなたに勉強しなさいって教えるために死んでくれたのよ」とうっとりして目を輝かせた母。
来年、就活が始まる。就職したら家を出る、それまでは耐えなければ、と思うが、その前に折れてしまいそうだ。
ジプレキサを処方されているのは母であって私ではない。
ここに書いたことはほとんど事実だ。嘘だったら本当に嬉しいけど……
両親の作ったルールにも穴があるので(金銭管理がいい加減な家庭で助かっている)、
その隙を突いてこっそり飲み食いしたり、時たま起こる父の気まぐれでかろうじて生きている。
パソコンとネットは、リビングに置いてある父のやつを、勉強用(レポート書いたり、大学で配布されてるWeb問題集解いたり)という名目で借りている。
骨折以上の大ケガさせられて初めて「虐待だ」って言うもんだと思ってた。
これぐらい普通じゃないの?女ってこういう扱い受けるもんじゃないの?
だって、家で何か食べてると怒鳴られるけど最終的には食べてるし、大学だって行かせてもらってるし。
自分がどんなに怒ってても悔しい気持ちになってても、親の前ではへらへら笑ってなきゃいけないから、
なんかストックホルム症候群みたいになっている。
父や母も機嫌いい時は優しくて、急にケーキ買ってきたりして、
次の瞬間血相を変えて物を投げつけたりしてくるから、何が何だか分からなくなってしまう。
『母がしんどい』は本屋で立ち読みした。買ったのがバレたらヤバいので、自立してから買いたいなと考えている。
大学の保健室や相談室には、去年の5月くらいに相談に行ったよ。
今通院してる、保健士さん?がいる大きな精神科の病院でも相談した。
「かわいそうだね。頑張ってね」で終わりだった。
なぜ、こんな家にしがみついているかと言うと、私が無能で愚図でのろまだから。
せめて大卒にはなって最低限の専門知識を付けておかないと、まともに生計を立てられそうにないから。
普通の女の子みたいに要領よく何ごともサッサとできたら、高卒でも食っていけるのに。
「どうしてお前は普通の子みたいに要領よく何ごともサッサとできないの!?」「サッサとやりなさいよ!サッサと!」母の口癖だ。
もしかしたら、大学を卒業しても就職できなくて、風俗に沈んだりその辺で餓死したりするのかもしれないけど、
我慢して大学を卒業したら、その可能性は減るかなー減ったらいいなーと思う。
就職担当の先生には、なるべく遠くの企業に推薦してくださいとお願いしてある。
「昔から女性がする仕事だとされてきたような仕事は、たぶん君向いてないんじゃないか」って。
航空機のこと以外に何も考えてない堀越二郎が科学技術を尽くした傑作を作った、そのことをあなたは否定できますか、と感じたという話。
あくまで宮崎駿の映画だけを見ての感想です。ネタバレ全く配慮しません。当たり前だけど映画の話であって、堀越二郎本人について特に思う所があるわけでは有りません。
二郎は実際何も考えていない。まず、単に可愛らしい女の子とちょっと近い距離感になったから菜穂子のことを好きになった。菜穂子でないといけない理由なんて何ら描写されていない。彼の自主的な決断はせいぜい婚約を申し込んだことだろうが、それも結局菜穂子にも推されたおかげか何の反対もなく済んでしまっている。結婚だって同棲がけしからんと言われて決めたことだ。そしてさらに、本庄を零式艦上戦闘機の開発メンバーに入れないこと、これだって自主的な決断ではなく人から言われてのことだ。
極めつけは、寝込んでいる菜穂子の横で煙草を吸うシーン。煙草を吸わないと頭が回らなくて仕事にならない人間が、いいよと言われたからというだけの理由で、肺が悪い最愛の人の隣で煙草を吸って零式艦上戦闘機を設計する。菜穂子と飛行機をどっちを取るか、そういう決断のスキーム自体に無理があることは認めるが、そういった決断が迫られうることに心を巡らせてみるまでも無かった。菜穂子があまりに忍耐強い、かくも素晴らしい日本人女性だったから。
更に、二郎は自らの航空機設計の才能を一度たりとも否定されていない。また、本庄が堀越に抱く劣等感が描かれるといったこともない。なので、二郎がただ一途に航空機が好きで他人からの評価はどうでも良いのか、あるいは知らず知らずのうちに尊大になっていて挫折に弱く周りのエンジニアに対して自らの能力によって優位な立場に立てていないと気が済まないのか、という問題は棚上げにされている。二郎は自分の才覚や自尊心といったことに無自覚でいられている。
そんな二郎の身に起こったのは、腹を空かせた子供にシベリアをあげようとして逃げられる体験だ。自分が隣人を思いやる優しい人間だと思い込んでいるが、実際には他者の気持ちなんてものを考えてみてすらいないというこの構図は、二郎は人々を笑顔にする航空機を作ろうと夢見ていたものの、実際には人殺しの道具となり最後にはパイロットを殺してしまったという悲劇に相通じるものがある。夢で見た村人を笑顔にするための航空機、それは確かに精巧で美しい航空機であろうが、しかしそこに乗る村人とは一体誰であるのか、村人達は何を思っているのか、そんなことに思いを寄せておらず、村人達とは二郎にとって都合の良い抽象的な妄想上の概念だ。カプローニが去ったのは、確かに海外の技術の猿真似を辞めるという成長であるが、それは航空機設計という狭い世界の中でのことだ。
本当に人殺しの道具を作りたくなかったならば、軍用機しか作ってないと初めから分かっていて三菱なんぞに入社しないだろう。仮に入社したとしても、せめて輸送機や偵察機のチームを志望するくらいのことは有っても良いだろう。そうしなかった二郎は、結局のところ彼にとって美しい航空機を作りたかっただけなのだろう。
そこで提起される問題は、この二郎の態度が否定されるべきなのかどうかということだ。例えば原子力発電を取ってみると、原子力発電がもたらすエネルギーで人々を笑顔にすると思い込んで、自分が好きな原子炉の設計を必死に行ったエンジニアがいたとしても何ら不思議に感じない。あるいはヒトラーとナチス党員のトットが国民が自動車でピクニックで出かけることを夢見て公共建築の傑作たるアウトバーンを建造した話も思い起こされる。では、この種の独善は否定されるべきなのかというと、必ずしもそうとは言えないように思われる。隣人を深く理解し幸福にすることを求めるよりも、妄想に取り憑かれる方が、科学技術自体は美しいものであり得るのではないか。そういった問題を、風立ちぬは鋭く提起しているように思われた。
じゃあそこで、風という主題系、生きなければならないという言葉がどう活きてくるのだろうと考えると、やはり命の儚さを謳っているように思えて、やっぱり儚さとか残酷さとかそういう映画なのかなとなって何だこの感想はとなるんだけど、あまり気にしない…。
その本人が主観的にやってる行為によって、日傘も煙草も周囲に迷惑をかけてると言ってるんじゃん。
反論も何もそこが崩されてないのに何を反論すればいいんだよ。勝手に盛り上がらないでくれ
うんうん、主観的に見れば何だって利益になりうるし、不利益にもなりうるよね、わかるわかるー。
で、「日差しを避けるための道具」であり、実際に日差しを避けることができる日傘と、
「気分を良くするための道具」なのに、喫煙者の健康に悪影響を与え、吸わないときには不快感さえ与える煙草と、
いったいどういう共通点があんの?
「俺の主観では似たようなものなんだ、その主観は誰にも否定できないんだ」って主張したいわけ?
常識的に考えて無理でしょ?
ちなみに、この次には周囲に与える影響の問題が控えてるけど、そっちの反論はもう用意できているのかな?
http://anond.hatelabo.jp/20130716162838
この記事を読んでちょっときになったので言っとく。
同じ景色を眺めていたのではない。
自分のことを絡めて少し書く。
ただホンモノヤンキーとは少し違っていた。
相手がヤンキーなら現場を押さえられなければ暴力沙汰はほぼ発覚しない。
よく言えば、一般生徒に対するいじめはしないのでかっこよいが、
格下のヤンキーをいじめれば最下層のヤンキーは一般の生徒に捌け口を求めるので、
無害ではない。
ヤンキー界では下層に部類されるところだが、
部活だけはまじめにやっており、
ヤンキー界でも上層にいることが出来た。
ホンモノヤンキーの大半は、煙草を吸い、シンナーなんかでラリッてるので
1対1の喧嘩にはさほど強くないことが多い。(もちろん一部には強いやつもいる)
どれだけ無茶できるかに左右されることが多い。
しかし、がたいのいい運動部にはまともにやっても勝てないことは
認識しているので一応一目置かれる。
とまあ、こんな感じで、自分は一般の生徒には直接暴力をふるったり、
カツアゲしたりなんかしないので、
同じクラスになったまじめな生徒なんかは普通に接するし、同じだと思っていた。
ただ直接接することがない他の一般の生徒からは
このファッションヤンキーとホンモノヤンキーの区別はつかない。
まあそんなことは置いといて。
ヤンキーにファッションを感じなくなった高校時代は普通に過ごし、
大手ではないが、さまざまな業種を行っており、
まあうまいこと幹部候補としていろんな部署を回ることになった。
飲食部門に配属されたとき、企画なんかもあるけど、現場を知らなきゃね。
地元にある店舗だったので、盆正月にはたまに同級生がやってくる。
さて、この時である。
私のことをホンモノヤンキーと思ったまま、
思ったらしい。(後日他の友人らから聞いた話)
あなたのように、憐みの目で見ている奴もいただろう。
何が言いたいのかというと、
すべてがすべてDQNのまんまじゃないんだよ。ってこと。
あなたは、Facebookで同級生の動向を探ったようだけど、
多分、自分の都合の良い奴らだけを探したり、
都合の良い部分だけを見ているんじゃなかろうか。
ということ。
あなたがかわいそうだと思っている奴らは、
かつては教師や大人たちに対し盛大に反抗し違法行為もしていただろうけど、
今ではそれなりに法を守り、上司や取引先との関係を維持するという成長をし
子を産み、育てという世界にいる。
あなたの知らない世界を過ごし、社会性を身に付け生活している。
でも、あなたは、そのDQNの顔色を伺い薄っぺらい中学時代を過ごし
大学生になったいまもそのDQNの動向が気になって仕方がない。
何やってんだか。じゃない?
じゃないよ。
今じゃすっかりあなたのこと忘れてるよ。きっと。残念だけど。
このままじゃ
あなたはこれから社会に出ても見下す人を探して生きるような人生になるよ。
就職しても、あなたより低いレベルの大学を出た奴らの出世を妬んだり、
喜んだりするだけの人生を送るようになるよ。
よく、見下され、抑圧されたことがバネになって成功した。
その人たちを超えようとする力のことを言うんだ。
あなたは、自分がかつて見下していた人を今でも見下し続けているだけじゃない?
上昇思考とかじゃないよそれ。
ヤバいと思うよ。
そういうアンビバレンス抱えたことありますか、どう処理しましたか。」
ってことに関して言うと、
そんな矛盾した感情なんて誰にでもあるし、これからも再々抱くことになるよ。
どう処理するか?
そのうち忘れるよ。
少なくともあなたの求める
いった事のない場所、出会ったことのない人、まだ見ぬものにわくわくしたい」
生活をしたいなら、そんなことにウジウジしてる間はない。
もうちょっとましな方法は、見下すんじゃなくて見上げる人の動向を気にしよう。
出来ればその人に近づいていって、教えを乞うたり仲良くなったりしよう。
こういう、「全ての人間は恋愛体質」「恋愛成就が人生の目的」「常に相手を探して当たり前」「いい年して彼氏・彼女がいない奴は人間としておかしい」「美人の処女はいない、いたら性格に問題がある」みたいな決めつけは、どうして起こるんだろう。メディアなんかによる洗脳の結果だろうか。単に頭が悪いのだろうか。
酒や煙草を飲まない人がいるのと同じように、SEXしない人だっていることが何故わからないんだろう。他人は全部自分と同じと思ってるのか。自己中か。
恋愛なんて出会いが必要なんだから更にハードル高いのに。たまたま良い出会いがなかっただけの人は一定数必ずいるのに、そんなこともわからないのだろうか。
飲み会の目的はコミュニケーションと言われることが多いが、実はコミュニケーション手段としては効率が悪い。
まずコストが高い。1人あたり数千円の出費、時間、出かける手間、幹事の手間などが、毎回確実にかかる。これらは正確に金額に換算すると、許容し難い額になることであろう。
また酒が入ることにより参加者の思考力が低下する。何かを判断する際冷静にできずその場のノリに流されやすくなる。会話の内容が何故か無意味にループすることが多い。全体的にカオスになりがちで、仕事の話などはまずできないと思った方が良い。
また居酒屋などを利用した場合周囲が騒がしく会話が聞き取りづらい場合が多い。煙草の煙が集中力を阻害する。飲食物がテーブルを占拠するため筆記用具やPCを使う場所がなく必要時にメモを取りづらい。地下の店舗が多いため検索が必要になってもネットが使えないことが多い。等々、コミュニケーションを阻害する要素が多く存在する。このような中で、後々お互いの利益になるような有意義な会話ができるだろうか?
さらに身体にも悪い。アルコールは確実に肝臓に負担を掛けるし、参加することで単純に体力を消耗する。酔っぱらいの多い満員電車で帰宅する際にも余計な体力を消耗する。場の雰囲気で飲み過ぎてしまうことも多く、二日酔いになれば翌日の活動に支障をきたすし、化粧を落とさずに寝てしまった女性の肌は荒れる。
ざっと考えただけでこれだけのデメリットがあるのに、それを上回るメリットが飲み会にあるだろうか?コミュニケーションが必要なら、他にもっと良いコミュニケーション手段があるのではないだろうか?
電子書籍の話題で、既存の出版社をDisったりするブコメを見るたびに、違和感がある。
正確には、出版社Disに見える、日本の出版業界をDisったりするブコメを見るたびに、だ。
白状しよう、書店員と付き合っていた事がある。
だから、彼女を見て書店員を好きになったのか、書店員が好きだから彼女を好きになったのかは正直判らない。
本屋に立ち寄って、上の棚に本を入れようと少し背伸びする女性をつい目で追ってしまうのは、
だから、街でベージュのコートをつい目で追うような、そういうことかもしれない。
それで、書店員と付き合っていたから、色んな話を聞くことが出来た。
アタリマエのことだけど、その本代の20%が書店の利益になってるという意識は正直なかった。
大きな本屋になると、単に大きいというだけで25%ぐらいになる、らしい。
普通、仕入れが5%も違ったら、まあ勝負にはならないように思う。
でも、本の場合は売値が固定だから、安く仕入れて安く売る、という競争にならないので、なんとか住み分けができる、らしい。
合ってるかどうかはわからないけど、そんなものかな、と思っていた。
店長だったかオーナーだったかは、返本とか支払い?とかで、よく頭を抱えている、みたいな話も聞いた。
そういう話を彼女から聞いているうちに、アタリマエなんだけど判ってなかったことで、漠然と判ったことがある。
出版業界、というくくりをした時に、その末端に居るのは、たぶん彼女なんだ。
「なぜ固執するのか」とか「音楽業界の教訓を活かしていない」とか「既得権益が」って言われるたびに違和感があるのは、彼女がDisられているように聞こえるからだ。
いつも重そうなカバンを持ってた営業の人とか
いつも立ち読みをしてる爺さんとか、
そういった、本屋の周りに見えている人達は、たぶん、みんな居なくなってしまう人達なんだろうとは思う。
レコードを売る店なんて、もう見ない。
だから、同じように、きっと彼女が働いていた本屋も遠からず無くなるんだろうとは思う。
でも、それは「他の業界での教訓を活かしていない」からじゃないと思う。
活かしても活かさなくても、彼らは居なくなるんだ。
店長はきっと、電子書籍サイトのWebマスターにはなれないだろうし、
日販の人も、既存書籍を電子書籍にスキャンする係にはならないと思うし、
あの営業の人は、たぶん営業をかける先がぐっと減って、楽になるのかもしれないけど、
間違い無く彼女は、電子書籍サイトのクレーム受付係として、小さなキュービクルの中で働いたりは、しない。
しないで欲しい。
出版社の人が表に出てくることが多いけど、そうじゃない人達沢山で、出版業界、書籍の業界は成り立ってる。
もちろん、そういう人達の雇用を維持しようとして、出版社が動くのが遅いってわけじゃないと思う。
ゲームの小売なんかと違って、正直、街の本屋さんが大手出版社に意見したりは、たぶんできないわけだし。
何が入っているのかわからないけど重そうなカバンを持ち歩いてた営業の人が、ある時僕に携帯を見せてくれながら教えてくれたことがある。
僕は実は女性向けの(エロじゃなかったみたいなんだけど、僕には違いが判らなかった)ケータイ漫画の担当もしてる。
これはでも、書籍じゃないよなあ、そういって笑っていた。
その電子書籍は、きっと、読む人に喜ばれてるから、結構売れてるんだと思う。
だから、商売としては正しいし、顧客のニーズにもあってるし、評価されるようなことなんだと思う。
でも、あの画面の本を「売る」流れの中には、猫好きのお兄さんも、愚痴り気味のおじさんも、髪をかきあげるたびに少しいい匂いがした女の子も、出てこない。
だから、出版社が電子書籍に舵を切るっていうのは、つまり既存の出版業界を全て切り捨てて、生き残るってことだと思う。
出版業界は動きが遅い、じゃないんだ。一回店を畳んで、新しい場所で商売を始めようとしてるだけなんだ。
仕入先は掴んだまま、今までの取引先を、全て切り捨てて。
悪いとは言わない。
商売だし、世の中の流れは止められないんだろうし、顧客はいつもわがままで新しいものを求めてる。
でも、ほんの少しでも良い。
出版業界は、音楽業界の二の轍を踏まないように変わるべきだ、とコメントしたくなったら
それは変わるんじゃなくて、既存のメンバーを全て解散させて、新しいメンバーで始められるように、
今の業界は、早く死に絶えるべきだ、そうコメントするのと同じ事なんだな、と思い出して欲しい。