急に動悸が来たり、何もないのに変にそわそわしたりしてた。
聞きかじった程度だけど、そういう症状は脳内物質の分泌過多であったり、
過小であったりするのが原因だと聞いていたのでセロトニンという安定作用のある脳内物質の発生を促すサプリを飲んでみた。
そしたらまぁあれだけ苦しんでた動悸やら不安感がめっきりなくなり、しばらく安定していた。
精神ってのはそういう物理的な世界から離れた神秘的なナニカみたいなイメージがあったので何とも拍子抜けしてしまい、興味を持っていろいろと調べ始めた。
調べるうちにいろんな事がわかり、人のいろんな行動や欲求にも脳内物質で合点がいくもんだから笑ってしまった。
所詮ネットソースの知識だから多少の間違いや解釈違いもあるかもしれないけど。ってかかなりあると思う。
大雑把に一部だけ紹介したいと思う。
ドーパミンが出て痛くない、なんだか興奮するとかノルアドレナリンが出て不安感を吹き飛ばすとかが有名なのかな。
知ってる人には何を当然って感じなんだろうが鬱とか躁鬱もこいつらの分泌の偏りのせい。だから薬で無理やり分泌させたりする。
他にも健康的な出し方だとスポーツとか周りからの承認欲求を満たすことで分泌される。だから気持ちいいって感じる。
麻薬とか、セックスとかもそう。結局気持ちいい、よっしゃ生きるかってのは脳内物質が出てるから起きる。
個性の差異も結局脳の構造と脳内物質が上手い事出るかどうかだけなんじゃないかと思った。
いつも思慮が浅いけどニコニコしている人達と思慮深いけど卑屈な人達の違い。
いわゆるセックスに依存するメンヘラ女や人と上手くかかわれないコミュ障とか世間的に言えば危ない人達。
なんとなく脳の構造が違うとは思ってたけどこれがあまりにもはっきり見えてきてとても驚いた。
たとえば、考え過ぎる人は下手すると思考のド壺にはまるもんだからどんどん気分が落ちていく。
考え過ぎる事が出来るってのはある種の才能なんだけれど、考え過ぎる人は内容のほとんどが悲観的でそれがドンドン膨らんでいって現実にも影響を及ぼすようになってしまう。
だから上手くガス抜きできない人は頭がいいのに社会に適応できないという状態になる。考え過ぎて悲しくなれば脳内物質がドンドンそのように変えていく。
逆にあまり考えない人達は思考量が少ないから強烈な個性があったりはしないけど毎日幸せそうにニコニコしていて精神疾患にはかかりにくい。(例外はあるにしろ)
人と話して認められて、承認欲求も満たされて脳内物質はガンガンでる。目標のハードルも日常のささいな事で満足できるから上手く幸福中毒にハマれる。
恋愛期間は脳内物質が異常なバランスになる。何かがきっかけで好意をいだけばドーパミンが分泌されドキドキして、夜はセロトニンが足りなくてそわそわして眠れなくなる。
んだよ、愛だのいっておいて神秘じゃなくて結局機械仕掛けなのかよって思った。
人は安定したいから自分の理解者を作る。生存確率を高める為でもあり、子孫を残すためでもあり、脳内物質の快感にうまい事はまるためでもある。
というか、当たり前の事をひたすら書き連ねているけど結局人って幸福中毒に過ぎないのかと思ったら神秘的でよくわからないナニカが、パズルの中身を見たようにつまらなくなってしまった。
散々叩かれるメンヘラや誰とでも寝る女だって、脳内物質が足りてないからセックスやらで脳内物質を無理やりでも出そうとする。
今まで否定的だったけど、あの常に不安感でたまらない状態や不安感がセックスや人からの承認で解消できるなら、と思うと納得がいく。
これは経験した人にしかわからないし、常に幸福中毒にハマってる人にはわからない。分子ですら安定したがってるんだし、人も当然安定したがるわけだ。
でも、結構な人は自分の心の弱さのせいだと思って、ホントはなんでもない機械仕掛けだと気付かない。
一緒にラーメン食っても酒を飲んでも出る。出産だって子供を愛するように脳内物質がでる。
首を絞められて死ぬ寸前、ノルアドレナリンが分泌されて気持ちよくなる。リストカットだって脳内物質が出る。やめられないわけだ。
快感の共有をした分だけ人は仲良くなっていく。快感や感情には全て脳内物質が付きまとう(当然だけど)
なんだ、こんなもんか。って思った。あれだけ神聖化されててもただの機械仕掛け的な反応が起きてるだけなんだなって。
なんだかそう思うと少しつまらない。わからないから面白かったのに、わかってしまったとたんあんまり面白くなくなった。
一緒に友達とバカやるのも、ラーメン食うのも、恋愛するのも楽しい。けど、頭の裏でなんて事のない科学反応が起きてるだけだと思うと何だかさみしい。
最近アスペルガーやら鬱やら精神分野については理解が深まってきた。
だからこそ思う。普通ってなんなんだ。異常って言われても機械仕掛けなんだからしょうがない。脳を丸ごと交換するわけにもいかない。
ここまでわかってるくせに肝心の自我がどこにあるかってのがわかってないから脳の交換もできない。まったく使えない奴だ。
運よく大きな異常をきたさなかったけど、俺が異常に生まれたらどうすればよかったんだろうと思う。
人を殺すことでしか、陥れる事でしかドーパミンが分泌されず生きる気力が湧かないのなら。
それでも中途半端に脳内物質に左右されない理性が残っているなら、死ぬしかない。
それでも世間は死ぬなという。無茶言うなや。ガソリンが足りないのに走れるわけがない。
中途半端に自我と精神がリンクしてるくせに、中途半端に隔離していて余計つらいだろ。
でも、世間がいわゆるメンヘラや発達障害に求めてるのってそういう事じゃないのか。
薬のおかげで多少まとも?になれるようになったけど、寛解はしても完治という物はないらしい。
じゃあどうすればいい。高度に医学が発達してみんなが普通になれる方法が出来たとして、みんなが上手い事幸福になれる脳になったら。
なんだそれ、全然面白くない。無個性もいいところだ。それこそ今より機械と変わらなくなってしまう。
結局八方ふさがりでどうしようもないのか。
何となくはわかっていたけど、こう自覚してしまうと何ともつまらなくなってしまった。
この事を知ったらなんだか、いろいろとつまらなくなってしまった。
なんとなく口寂しくなって煙草に火をつけた。ニコチンが血液を回って脳に作用する。
脳はそれに応じてドーパミンを吐き出す。なんてことはない、投げたボールが落ちてくるようなものだ。
少し気分が晴れやかになった。タバコが体に悪いのなんて知っている。無理やり脳内物質を出して体を傷つけてるんだ。
それでも、なんだかさみしくなって無理やり煙草の火をもみ消した。
お寒いようだけど、中途半端に残った自我での俺の精一杯の幸福中毒への抵抗のつもり。
明日もきっといろんな脳内物質によって俺は幸福中毒に振り回されるのだろう。
でも、タバコはもうやめようと思う。
化学的不均衡 http://anond.hatelabo.jp/20131017201044